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パターンの恐怖心

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●自分はわかっている というパターンに語りかけをしました。 「そうだよね、 あなたは、自分はわかっているって思っているんだね。」 この言葉だけでも、 今まで見て見ぬふりをされてきたものに 光が注がれるような明るさを感じます。 パターンはなぜすぐに、 自分はわかっていると思ってしまうのか? 少しの経験であってもすぐに自分はわかっている、もう知っている、 理解していると思いたがるパターン。 もしかすると、●自分は特別で一番だ というパターンにもつながっているように思いました。 「自分はわかっている。なぜならば、特別で一番なんだから」 「自分は特別で一番だ。なぜならば、自分はわかっているんだから」 とどちらを理由にしてもつながります。 そう思うことでパターンは威力が増しますます満たされる。 でも、そこに相反するパターンもあって、 ●自分は劣っている  というのも自分の中ではとても根深いものだと感じます。 ここを打ち消したいがために、 自分を誇示するようなパターンを作ったようにも思います。 心の奥底には、劣っていることを信じる力の方が強くある。 それをどうにかしたくて、 わかっているとか特別だとか思うことで自分を成り立たせてきたのかもしれません。 ということは・・・ 他人より劣っているのではないかという恐怖心がそうさせています。 劣っていると、他人から必要とされないのではないか、 自分の存在価値ってないのではないかと思い怖いのです。 やはりパターンって、 恐怖と不安でできているんだな。 また食べたいな、ばっけピザ

自分はわかっているというパターン

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今日は月1回の勉強会の日。 ちょっと風邪気味でしたが、 やはり行くといろいろ話をしていくうちに元気になります。 みなさんいつもありがとうございます。 今日は最近の話をそれぞれにしてもらい、 参加者は全員がそのことについて感想なり質問などしながら 相手を知るということをしました。 そして、自分の話の番のときは、自分自身を知るということにもなります。 私の話は、先日美容室に行ったときのこと。 数分遅れて行ったことが発端でまずはパターンが引っかかりました。 感情は、イラ立ち、悲しい、苦しさでした。 その後も、美容師さんとの会話から~ちょいちょい引っかかりまくり、 感情は、むなしさ、イラ立ち、不快感です。 そうやって正味2時間程度の間で次々反応していく自分をみてました。 少し整理するようにみんなへ話していくうちに(話すって整理されますね)、 自分がかつて美容師だった頃があるために、 さも美容師の心境やオーダーについての事情など 知っているから、わかるから、こうなんだよね~って言っていることに気づかされました。 自分はわかっている、理解している。 なのにそういうふうにイラ立ったりしてはいけないと、 そんな自分じゃないでしょ? 美容師の事情も知っているんでしょ? いいお客さんでいたいんでしょ? と悪魔のささやきじゃないですが、 パターンを抑え込もうとするプライドの壁が立ちはだかったのでした。 この、自分はわかっている、知っている、理解しているというプライドは、 仕事のときもあって、 仕事中に引っかかったもの(パターン)を素直に出させようとしないのです。 そんなことでイラ立つような自分ではないと、 パターンを否定するパターンです。 よくあるのが、自分が経験したことについて、 経験者だからその人の気持ちがわかるんだよね~っていうものです。 経験者だからといって全く同じ体験ではないし、 捉え方も意味付けも全く違っているのに、 それでわかった気になってしまうのだ。 でも、これもパターンなので! ケアしていこう。 実家の玄関先のたぬき いつも見守りありがとう

今の自分に必要なもの

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一日の終わりに、 今日その日に感じた小さな感謝や幸せ、 良かったことを思い出して眠りについています。 でも・・・ ポジティブな方だけちょっと特別扱いしていないか? とふと思いました。 ポジティブもネガティヴもどちらもあっていいものなのに、 寝る前だけはそんなことをして一日を振り返っていたりする。 どうしてそうするようになったのか・・・ 自分はまだまだネガティヴな感情・感覚に飲み込まれる事が多いので、 感情をただそのまま受け止める。 (飲みこまれるというのは思考がぐるぐるするということ) 今はそれの練習の一つでやってみています。 っていうことを思い出す・・・。 今の自分に必要なものを、 いい感覚のものをちょっとやってみようと思い、 やってみている私なんだなー はりきってモーニングに行くの巻

はじめて講座 2026年3月

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今月の 【はじめて講座】 は~ 3月29日(日)13:45 やはぱーく活動室Aとなっております。 チラシを作り忘れてしまい・・・今のところお申込みはありませんので、 よろしかったら、気になっていた方がおりましたらこの機会にどうぞいらしてください! ―――――――――― 先日、温泉に行った話をしましたがー 翌日からの仕事のときに、毎回少なからず「ああ~明日から仕事だなあ」 って思ったりつぶやいたりする私が、 今回なかったことに後から気づきました。 楽しくくつろぎの時間を過ごした後に、 それも楽しければ楽しいほど、 いつもは現実に引き戻されるような不快感を感じることが多いのですが、 それが今回は・・・ない! 場所が、近場であったから あまり非日常的な感覚がなかったというのもあるかもしれません。 旅行や遠出の外出には、多少なりとも羽目を外すということがありますが、 もしかすると、だんだん仕事中であっても休みでも、 「素」の自分でいる時間が増えてきているのかもしれません。 そしてもう1つは、 今、何を感じている?の問いに対して、 「私」と「パターン」しかいないという状態は変わることがない。 このことが自分の中で、 いつなんどきでも特別な自分というものはない。 という感覚が継続されていて、 その感覚の静けさというか安心感のようなものをこの頃感じています(表現がむずかしいけれど・・・)。 これから花巻東の選抜がはじまります! テレビの前で応援したいと思いまーす。

このまま行ってみよう

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ポジティブな感情もネガティブな感情も どちらも解放しましょう、手放していきましょう! っていう心理学というのか、スピリチュアルというのか、量子力学というのか・・・。 そう言う話を聞くと、 それができるようになる方法を教えてもらえば、 これで自分は幸せになれると思う人は多いのではないでしょうか。 ポジティブがいいということじゃなく、 ネガティブが悪いということじゃなく、 どちらの感情もゆるせるようになりたいって思う人は ひと昔前よりもあたり前なくらい増えたような気がします。 でも、その方法はあるようでいて無い。 無いというのは、一度きりでそうなる方法はないということ。 ただあるのは、自分を知ることへの探求をし続けた先に、 自分のどんな感情をもゆるせるようになってきている・・・ ということはあるかもしれません。 知っているつもりほど無知なことはないし、 無知だと思うから、ゆがみなく自分を見ていこうと 何度も謙虚に純粋に自分という感情のかたまりをみていく。 それだけではなく、 時に絵画を見るように音楽を聴くように、 感性をつかって自分の芯の部分をふるわせたり、 心にすがすがしい風が吹くような、 心地良さがあるものを選び自分に与えてみる。 そういういろ~んなことをやってみて・・・ 自分という個体が最後は精神性だけを求めていくのではないかと思います。 健康な肉体でもなく、恵まれた環境でもなく、 心地良いものだけに囲まれることでもなく、 どんな自分をもゆるせる精神性への探求です。 何も変わらずそこにいていい。 そう思えるまでの道のりが 誰にでも用意されていると思うし、 それを選ぶのか選ばないのかも自由な意志がある。 ここで暮らしている日常そのものが探求。 もう別のなにものかにならなくていいんだって、 このまま行けばいいし、連れていってもらえばいいって思うのでした。 池や川にいないと思ったらこんなところに…いた!

泣き声につらくなる

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花粉症の皆さんにはこの季節おつらいことと思いますが、 それもあってか耳鼻科の混みようがハンパないです。 その間、待合室で人間ウオッチングだったのですが、 今、どんな感情か?の問いをマイブームとしているため、 自分の気持ちがとても苦しくつらくなっていることに注目します。 というのも・・・、 クリニックのあちらこちらで子どもたちや赤ちゃんの 泣き声(ギャン泣き)が大合唱だったのです。 そして、それをさせるのは耳鼻科の先生。 まずは、CDみたいな光物を頭につけて手に何やら怖そうな棒を持っているあの格好が怖い。 子どもたちは早速嫌な予感がするんでしょうね、 その後、容赦なく小さな二つ穴の一つをまずはめがけて恐怖の棒がつっこまれ、 ぐりぐりとされて・・・あれで泣かない子はいないでしょう。 その子どもたちの魂の叫びが、痛々しいのと、可哀そうなのと、 そこまで泣くか?と思うくらい終わってからも続きます。 この待ち時間のあいだ中、大なり小なりの泣き声にすっかり参ってしまいました。 他人が苦しんでいるのを見るのも、 パターンにとってはものすごく不快感があるんですね。 自分も苦しさを感じてしまうし、 苦しさが本当に痛みまで再現させてしまうようで、 泣きやむ子をみてはほっとする自分がいました。 自分に起きたことではなくても、 特にネガティブは共鳴しあいます。 ポジティブさよりも引き寄せられる力が強く、共感も呼ぶ。 待合室が何となく子どもたちとお母さんを見守るような空気感になるのも、 そういうことなんだなあと思いました。 ばっけピザ ほろ苦さがうまーい!

気持ちのいい宿

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網張温泉 に一泊してきました。 となりにはスキー場があって、 この季節まだまだスキーヤーがたくさんいました。 娘がまだ小学生の頃、年末に毎年のように泊まりにきていた休暇村。 真冬とあって雪の量もすごければ、 つららのデカさにも圧倒されたのを覚えています。 でも、それより何より、その頃の娘のはしゃぎようが一番すごくって~ こんなに喜んでくれると連れてきたかいがあるというか、 両親もいて家族みんなで本当に楽しかった思い出があります。 あれから20年ぶり?かな、 リニューアルされた見た目の贅沢さより、 今も変わらず温泉が湧いているという大自然の恵みにありがたさを感じてしまいます。 ご飯と地産地消の食材にも、 この土地でできたものを美味しくいただけることに感謝。 この上なく平和な時間を過ごしているなあと思いました。 いつもだと、部屋の電気をつけっぱなしでも気にせずにいましたが、 今は地球の限られた資源のことも考え、 ホテルの省エネに協力できることはして、 ビュッフェもちゃんと食べられる量を取っていただきました。 岩手は温泉が豊富なので、 いろいろな付加価値をつけてお客さん争奪戦ですが、 エコ的な工夫と配慮でがんばっているところを応援したくなります。 過剰なサービスは不要ですので、 地球を守る、自然を守る、その中でちょっとだけ人間も恩恵をいただく。 そんな気持ちのよい宿泊先が増えてほしいなあ 岩手山って、うしろが長い

人類みな同じ

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WBC日本が負けてしまって、 もう試合が観れないと思うととても残念でした。 でも、反対に日本に勝ったベネゼエラの選手たちが、 飛び跳ねて全身で喜びをあらわにしていた姿が印象的でした。 その喜び方が、なんだかうれしいのに怒っている? と思うほど、うれしさを越えて人ってあんなふうな表情になるんだなあと思いました。 感情があるって、 人間らしくてそれがなんだかほっとします。 人類みなそこは同じ。 なのに、自分事となるとイヤな感情いい感情と分けて、 ネガティブが続くことがとても苦しく、 どうにかしたくなっちゃうんですね。 地球人がみな、この地球上のどこかで いろんな気持ちを持ちながら生きている。 そのことそのものがこの世での学びには欠かせないということ。 今日もちゃんと今の感じている自分をキャッチして、 観察していこう! 次の楽しみは春の選抜

それ、誰がやっているのか?

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昨日のつづきになりますが、 怖いという感情を「私」が察知し、 しばし私の母性がそれを受けとめていた。 そして、その感情を生みだしたパターンって何なんだろう? と考えたら、 相手に機嫌よくいてほしいとか、 いい関係を築けない自分はダメだとか、 そのあたりがいろいろ出てきました。 出てきたところで、 今度は私の中の父性がパターンへ語りかけはじめるのですが、 それまでの間が、結構くどくどと相手のパイプに入りこみながら (または、自分のパイプに相手を入れて) あのときはこうだったなとか、 なんでこうなっちゃったのかなとかいろいろ考えているんだなあと思いました。 ここの部分はもう母性でも父性でもない。 じゃあ、誰がやっているの? という話になります。 そうやって考え続けているということが、 すでにパターンを嫌うパターンがやっているのだ。 素直に、ああ、これパターンだなと感じて語りかけをするときと、 その前にくどくど考えているときがあります。 後者のときは、それ、誰がやっているの? と問いかけよう。 そこへの意識がまだまだ足りない。 語りかけは「私」がするということに意識を向けよう。 光の反射? うさぎさんが現れました♪

怖いという感情

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「怖い」という感情がわきました。 その感情をしばし受けとめます。 ああ、怖いなあ・・・怖いし、緊張するな、苦しいよ~ と感情がゆれ動くのを感じます。 だんだん、ん?何がそんなに怖いのか自分。 とふと思う。 このときは対象人物がいたのですが、 その人との間に流れる沈黙を嫌がるパターンがありました。 パターンは相手が黙っているということで、 自分は良く思われていないだろうなと感じとっています。 その良く思われていないことの原因は何なのかわからないままに、 自分が何か言ったり行動していること(つまり火に油を注いでいないか?ということ) それが怖いと感じているのでした。 ますます相手を不快にさせていないだろうかと。 そういう決めつけがパターンにはあるので、 自分のトンチンカンな行動も怖いのです。 相手を怒らせているのは自分。 自分にすべての原因があるんだと・・・これって決めつけだよなあ。 こうなってくると、 完全に他人のパイプに入っていることになります。 ああ、そうか~ ここまで細分化してやっと、 そうであるなら、一刻も早く(パイプから)出て行かねば! と思うのでした。 たまに来たくなる駅

私の栄養

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今日は久しぶりに青空が見えて、 それだけで何だか気持ちがいいなあと思いました。 今日のお弁当も自分が好きなものだけを詰めていったので、 なんか自画自賛ですが美味しかったです。 そして仕事終わりには鍼灸に寄って、 施術中とっても気持ちよくて~爆睡しました。 ・・・と、本当に些細なことだけど、 小さな幸せ感じた一日。 この小さな幸せは、 何か行動を起こすにもちょっと軽い感じがあり、 その体の感覚の軽さがまた、心を明るくしていきます。 そんな軽さ、明るさというものを、 一日の中で何度となく感じていくことが、 「私」の栄養になっています。 一週間をねぎらって~宮古サーモン

考えなくていい

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以前もそういうことがあったのですが・・・ 仕事でパワーポイント資料を作っているとき、 それも一生懸命作っている場合、 やればやるほど最後になんだかどうでもよくなって、 結局はこれ無しで話した方がいいかもって思うのでした。 じゃあ、今の今まで頑張ったこの時間は何だったんだ~って思うけれど、 それは無駄ということではなく、 一生懸命に考えて作り続けたからこそ、どうでもよくなった。 達成感とか満足感とかではなく、 もう考えたくないし、考えなくても大丈夫・・・と突如離脱する感じ。 そして、その資料がいいとか悪いとか、 素晴らしいものになったとかなっていないとか、 本当にもうそこはいい、って思うのです。 考えに考えぬいて作ったものより、 相手の顔を見ながら、その時のノリで話したほうがよほどおもしろいし熱量も伝わる(自分自身も楽しい)。 というのを知っています。 だからきっと今回ももう考える必要はなくて、 その時に浮かんだもの、相手の反応をみていろいろ話せばいいかなあって パターンで作っていたことから降りたいと思う。 準備万端でなければできないと思っているのはパターン。 そこには、不安、焦り、怖さがあるから一緒懸命にがんばる。 それらがパワポ作りに励むという行動を取るのだ。 頑張っているときは特に、 誰が頑張っているのか?に気づきにくいです。 いつでも、それ、誰がやっているの?と問い続けよう。 朝陽が入って~障子がステンドグラスに見えた!

菊とナデシコ

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今日は震災の日でしたので、花を買ってきて飾りました。 15年前に思いを馳せている方たちが今日はたくさんいると思うので、 お盆ではないけれど、そのような感じが今朝からしていました。 お花屋さんではいつもアレンジメントされたものが並ぶのですがー 今日はいつもより菊の花が多かったです。 菊の花もいいのですが、もう少しだけ華やかにしたい。 あれこれ迷っていると、 お店の方がピンクのナデシコをそこに合わせてくれました。 まだ咲いていないつぼみがたくさんついています。 ちょっと厳かな感じから、 かわいらしい色が添えられて今日にふさわしい花になりました。 ナデシコの花言葉は、純粋な愛。 純粋な愛を、向こうにいる方たちへ贈りたいです。 (お花の写真撮るの忘れた~)

感情の居場所

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語りかけのノートを見ていていると、 いろいろなネガティブ感情が書かれています。 それは全部自分の中に存在しているもので、 自分が産みだしたものではあるけれど、 ただ一つの事象にすぎない(と言われている)。 いつも持ち続けているものではないし、 出てきては姿を消し、消えたと思ったらまたいとも簡単に出てくるもの。 思考よりも前にあるもの。 感情がわくからいろいろ考えるのかもしれません。 だから~、考えるな感じろ。 この頃は、思考が動き出したらホワイトボードの消すやつをイメージして、 あ~ストップストップ、消して消して~! とつぶやいては、さささと消すことにしています。 でも感情はこんなことする必要がなく、 ただそこにあるがままに居させてあげていいもの。 そこが思考とは扱いが違うんですね(思考に走りやすい私の場合ですが)。 明日が震災から15年。 ということは、この学びも15年です。 TVで毎日のように被災した方たちが出ていて、 今でも失った家族に対してあのときああすればよかったと、 みな後悔や自責の念をもっていて涙する姿があります。 そういう中でも、深い悲しみ、苦しみ、つらさ、 後悔の念をもってそれらと一緒に生きてきたこと、 そうやって学んできたのだと思うと話している方もいました。 誰だってつらさを感じたくなくても、感情は勝手にわきます。 だからそれと共にいるしかないし、共にいるべきものたち。 そうやって生き続けていくことができる強さがあるのも人間なのだなあって思います。 沿岸の春は早いけど、春雪も降ります

天にお任せします

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昨日、書類が見つからない事件で、 探している途中にも相反する気持ちがありました。 まだ決して諦めてはいないという、焦り、緊迫感、衝動的になる気持ち。 そして、成るようになるさと、どこか覚悟もしているという 落ち着き、安心感、平和的な気持ちがありました。 探しても出てこないということは、 必要な申請が今回できないことになるけれど、それも仕方ないって、 それが天が(宇宙が、神が)よしとしていること。 そこから学べということなんだと。 それでもやるだけはやって探して、 そして疲れたから探すのはやめた。 一息ついて~ブログに意識を移した・・・ 途端に探しものが見つかった。 そういうものなんだなあと また忘れそうになると天に教えてもらっている気がしました。 今読んでいる本、天風さんもそう言っています。 「宇宙に丸投げするだけでよい」と。 こういうちょっとしたことで、 今回に限らずいつもいつも繰り返し教わっているのだけれど、 それにちゃんと気付けるかどうか、なんだな。 この空にお任せします

真逆な感情

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今日は家族用の事務処理をしていて、 頭を使いまくって疲労感がはんぱないです。 その仕事がスムーズにいかなかったのは、 途中から書類が一つどうしても見当たらず… でもこういう探し物って必ず見つかるし、 どっかから出てくると信じきって余裕でいる私。 それが今回は~ 出てこないんですね・・・どこ探しても。 家族から「探し屋」とおだてられるほど、 だいたい自分が探すと出てくることが今まであったので、 今回の、このどうしても見つからないものに対してのイライラ感、がっかり感、疲労感はすごい。 絶対見つけたーい。 ・・・とここまで書いて、 なんと今、たった今その書類が出てきました~! (夫が見つける) 急に感情は、 嬉しい、安心する、脱力感っていう真逆なものになりました。 自分が見つけたかったのかなと思っていたけど、 誰が見つけるかは重要ではなく、 素直にほっとすることができた自分でちょっと良かった。

順番を守ろう

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今日は久しぶりに利用者さんたちと余暇時間を過ごしました。 何気ないおしゃべりをし、 ジェンガをしたりオセロをしたり、 あ~こういう楽しい時間っていいなあと思った。 でも、楽しくてもそれなりに感情がざわっとすることもあって、 今、何を感じている?と聞くと、 イライラ、不快感もありました。 そう、こんなにほのぼのとした時間を過ごしても、 ちょっとしたことで不快になって、 ああ、あのパターンに引っかかったんだなあとわかります。 いつも引っかかるパターンだけど、 今までちゃんと語りかけをしてこなかった。 というより、語りかけ以前に、 今、どんな気持ちになっている? と問うことがなかったのです! 立ち止まって感情をみていないがために、 当然、感情がわいていることが無視されている。 どんな気持ちでいるのかを飛ばしてパターンに語りかけたとしても、 語りかけをするために、その時の感情を考える。 っていう奇妙な状態になっているのでした。 そうなると、順序が逆になってしまうから、 それは誰が語っているのか?という話にもなるのだと思う。 まず、気持ち(感情)があるから何のパターンなのか探せる。 この順番を守っていこう。 倒れそうで倒れません

感動する気満々

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WBCが観たいがためにNetflixをはじめました。 いろいろ映画もドラマも見れるということで、 早速見始めたら、午後まるまるTVにかじりついてしまいました。 そして夜は夜で野球がはじまり、またかじりつく・・・ でもまだドラマとは違って、 スポーツは何も手につかなくなるってことはないです。 それにくらべて以前、はまった韓ドラはやばかった。 連続して観ないと気がすまず、 明け方まで号泣しながら観てはまた翌日も懲りずに何時間も観る。 もう主婦業が成り立たなくなってしまったのでした。 ドラマが止まらなくなるのは、その先や結論を早く知りたいからで、 その世界にどっぷり浸かってそこから出たくない。 というものもあるかもしれません。 ええーー!どうなるの~~?っていう期待が満たされるドラマ。 非日常感にパターン騒ぎまくってますね。 ということは~ やっぱり何かしら満たされたいものがあって ドラマや映画にはまるのでしょうか? WBCに関しては、やはり2023年の感動をまた味わいたいのかも。 一人一人にドラマがありますからね。 あ、やっぱりここにもドラマに期待する自分。 感動する気満々で観ています。 牧選手のこの真顔が好き

中村天風さん

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先月、道場でいただいたプリントの中に、 中村天風さんの書いた文章がありました。 それを朝のお祈りの後に音読したり、 カバンに入れていつでも読めるように持ち歩いたりしています。 読むと心にじんわり染みわたり、そして元気が出てきます。 天風さんの本をはじめて読んだのは20代の頃で、 天風さんの病気と自分の病気が重なり、 考え方が変わるだけで完全に生き直すことができるんだと 当時本を読みあさったのでした。 でも、本を読んだだけでそう簡単には人は変わらない。 変わらないけれど、その時の自分なりの捉え方の中で 少なからず肉体としては大きな影響を受け、 病気が変化していったというのも事実です。 でも、それはこの本だけではなかったと思うし、 食事療法や自然療法、大自然の中で過ごすなど、 今までとは真逆な生活によって細胞が変わっていった・・・ または、たまたま病院の治療も効果があった、 ということがあったかもしれません。 いずれにしても、実際に天へ祈り、 すべてをおまかせしようと思うようになってから少しずつ体がよくなり、 結婚もし子育てもし、人並みにも働くようになった今がある。 あんなモヤシのような自分が今日まで生きてこれたのは、 何かに(宇宙に)生かされているからとしか言いようがないのです。 そして、今また天風さんの本を読んでいる。 はじめて読むかのように噛みしめながら読んでいます。 噛みしめてはまた戻って読み返したり、 あの頃とは全然違う本に思えます。 (え?こんなこと書いてあった?と思うほど違う) 今度は、病気直しのために読むのではなく、 魂のやりたいことをこの宇宙にゆだねながら 少しでも自分を整えていきたいと思いながら読んでいます。 爽やかな水色 文庫本で持ち歩いてます~

空気のような人

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そんなに会ってはいない(よく知っているわけではない)けれど、 会ったときにとても心が通じるような、風通しのよい人っています。 それは大抵、自分のパターンを満たしてくれる人。 という見方もできるのですが、 必ずしもそうとも言えないのではないか・・・ なんとなくその人のあり方というのかな、 どういう感じ方、考え方をするのか。 そこに「快」「不快」というはっきりしたものはなく、 なんか無理がない自然な感じがそこにはあるのだと思います。 そういう人がだんだん増えてきている。 空気のような人たちと言ったらいいのか。 もしかしたら~ですが、 自分自身少しだけ人に対する決めつけが弱くなってきているから そう感じるのかもしれないし。 以前だったら、この人はこういう人だから~とか、 いつもこういう考えなんだよね~とか、 そういう自分で決めつけたもので人を見ているんだなあと思いました。 そんな決めつけが薄れていくと、 結局、自分が楽になっていく。 人との違いも、ああ、違っていていいんだなとストンと落ちてきている気がします。 少な目に盛ってもおかわりする

話を聞きながら考えるのをやめる

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この頃、話をちゃんと聞くということを意識的にやってみて、 ちょっと分かり始めたことがあります。 相手の話に集中すると、 その人が何を言いたいのか、または言わんとしていることは何なのかが よ~く聞いていくと話の中にちゃんと出てきているのです。 ちゃんと何を言っているのがわかる。 本当に何を今まで聞いていたんだ?と思うくらい、 何だか聞くということが今とても楽しくもあります。 だから、今までの人生半分損している・・・とまではいかなくても、 それでもすごくもったいないことをしてきたと感じました。 今はもう会うことができない人に対してもそうですし、 天国に行ってしまった人にもそうです。 そして今生きている人に対しても、 もっとちゃんと「聞く」ということが自分が誠実にできていたならば、 話の内容だけでなく、その人への理解も違っていたと思うのです。 そして最大の癖である、話を聞きながら自分が話すことを考える ということをできるだけやめたい。 違うことを考えるっていうのもやめよう。 それがあっては、ホント何も聞いていないと同じかも。 これからも、仕事でも家でも、 いろんなところで実践あるのみ。 言葉をもっと大事にしていこう。

可愛い動物たち

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このところお天気がいい朝は、 空を見あげると白鳥たちが団体さまで飛んでいます。 旅立ちが近くなると、 よく声を出して何か合図を交わしているのか? ただ飛んでいたころと違ってどこか活気がある。 空を飛ぶ白鳥たちのあのお腹の白さを見ると、 ああ触ってみたいな~と思う。 絶対に人間には触らせることのないお腹。 でも、犬を飼っていたころはよくお腹を出して、 たくさん撫でてあげてかわいがったことを思い出します。 先日は、高松の池のベンチでお昼のパンを食べていたら、 次々とすずめが集まってきて、 (きっとパンのおこぼれを狙っていたんだと思う) すずめから寄ってこられたのははじめてでした。 今にも手ですくって捕まえれそうだけど・・・捕まらないだろうな。笑 こちらもすごく可愛い。 これからだんだん春が近づき、 犬の散歩に出会ったり、小鳥の泣き声を聞いたり、 我が家の庭を堂々と横ぎるネコたちにも会える。 今はペットを飼っていませんが、 一歩外に出れば、動物たちに癒される生活だということに気づきます。 よく見ると飛んでます

母性の登場

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今、何を感じているのか? イライラ、不快感。 昨日からのPCトラブルで、 夫がいろいろやってくれているのですが、 もう昨日からずーっとPCの話ばかりで、なんか疲れました。 私としては、 ダメなら新しく買おうと思っているけれど(もうかなり前から調子悪いんです) いつまでもこの原因を探る夫。 だんだん、壊れたのは私の使い方が悪いという話になっていって・・・ なんかもう腹立ってきた~。 というのが、今日結構な頻度で出てきた感情です。 こうして今感じていることを噛み締めて、 あーもう嫌だ~!疲れた~! って心の中で叫ぶ。 これを受け止めてくれているのが「私」の母性なのか? 甘いもので小休憩

2026年目標は〜

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PCの調子が悪くスマホからぽちぽち入力しています。 明日は直ってほしいなあ〜汗 さて、今日で2月も終わり、 今年の目標・継続したいことを確認します。 今年は毎日必ず「一日の振り返り時間を持つ」にしました。 毎日やるというところが自分にとって重要。 今日感じたことを振り返り、 パターンが見つかっていれば語りかけをしたり、 今日一日で良かったことや感謝することを書き記してみたりしています。 もしも眠くなってしまっても、 この最後の良かったことと感謝だけは、 最低一つ思い出してから眠りにつくようにしています。 これは思いのほか、気持ちが柔らかくなるようなほぐれていくような感じがあり、 安眠にもつながっているかもしれません。 もう一つ今年の目標・継続したいことがありますが、 そちらはちょっと義務感こなし感がなきにしもあらず・・・ 以前からある付き合いの長い強いパターンへの語りかけです。 もう少し丁寧にやっていこうと思います。 白鳥さんもそろそろ旅立ちかなあ

待つ練習

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人の話をちゃんと聴く。集中して聞く。 ということを意識してみて、 相手が何を言っているのか(言いたいのか)、 以前よりも入ってくるようになった気がします。 って、言うと・・・どんだけ今まで聞いていなかったの? ということになりますがー 自分が思うほどは聞けていなかったのではないかと思う。 たぶん、聞いたつもりになっていたことが多く、 いつの間にか無意識に聞くことを中断させては、 思考を使いだし、自分が次に言う言葉を考えていたりしていた。 相手が何を話しているのか、 早く理解したいという気持ちもあったかもしれません。 すぐにわかる自分でありたいとパターンなら、そう思う。 そうやって分からないと決めつけているパターンが、焦っていたように思う。 聞くというのは、待つことに似ています。 話の中の点と点がつながっていくのを時間をかけて待つ。 そうすると点と点がだんだんつながってきて、 一つ理解が進む。 そうやって背景が見えてきて、もっと聞きたいなあってなるのでした。 話を聞く練習、待つ練習って楽しいです。 消しゴムサイズ

思考で動かしているもの

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昨日は鍼灸をしてきました。 今の自分の体には、ハリがあっているような気がします。 本当は自分でも簡単な運動というか、 何かは自発的にやったほうがいいだろうなあとは思っているのですが、 なかなか体を動かすという余力がありません。 ただ、この頃は朝起きると肩と首が固まっているので、肩をまわし~ ってやるようになったら何となく調子いいです。 と、先生にお話したら、 「そうですか。本当に軽くならやってもいいですけど、ストレッチとか可動域を広げたり柔軟運動したりというのはやめてくださいね」 と言われたのでした。 え・・・それっていいことじゃないの? 肩まわしなんかより、 そっち(ストレッチやヨガ)がやれるにこしたことないんじゃないの~ と、もやっとしました。 肩まわし以上のことをすると体を傷めたり、 他のところを悪くするので、絶対やめてくださいと。 普通の生活の動きだけでいいですよということでした。 この会話、以前にもありました。 あくまでも私の場合は、という話。 それより何より「肩まわし」と「ストレッチ」の違いは、 前者は、本能的に気持ちいいから動かすというもので、 後者は、やったほうが健康的だろうと思考で動かしているものかもしれません。 お~、そういうことか。 と先生の言葉以上に腑に落ちた自分でした。 こういうこと体の一つ一つにも、 考えないで感じたものをすればいい。 っていうことなのかもしれない。 岩手山も久しぶりにくっきり!

心の奥底にあるもの

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カウンセリングの先生が書いた最近の日記に、 「自分はうまくいくだろう」 というものがありました。 人は心の一番底にある思いが自分自身なのだと。 そしてそれは、根拠のないところの 「自分はうまくいくだろう」というものと 「自分はうまくいかないだろう」というもの。 自分の心の底にはどちらがあるのだろうか。 これまでのパターンを見ていると、 はじめはネガティブなものしかないと思っていましたが、 だんだんに相反するパターンも見つけ、 気づけばいつも同じようなパターンを許せず、 そのパターンが自分を苦しめているようにも思う。 自分は能力がない(劣っている)と思うパターンと、 自分はいけてる(特別で天才だ)と思うパターン。 これは大波小波のように、 いつも交互に揺れているのではないかと思います。 自分は頭が悪く、物覚えが悪く、 何の取柄も能力もないとパターンは落ち込み苛立つ。 だけど、本当は自分って結構運がよく意外と天才じゃないか? と明るく幸せも感じていたりする。 そういう相反するパターンがいるけれど、 おそらく、どちらかといえば、 「自分はうまくいかないだろう」というものの方が心の奥底、一番下にあって、 それを感じているからこそ、そうはなりたくない、 それを打ち破りたい、自分を変えたいと思うものが、 パターンのかたちを変えて出てきているようにも思う。 でも、先生の日記に書かれてあるように、 その根底を変えようとしても無駄。 無駄どころか、変えようとしていることがすでに量子力学的に違っている。 だからやることは一つ。 目の前に出てきたどんなパターンも丁寧にみていく。 そして許していく、ということを「私」が選ぶ。 その積み重ねしかないのかもしれません。 その積み重ねでパターンは安心してそのままでいられるのだ。 そのままということが、すでに、 見える世界が変わるということなの・・・かも。 きれいな色の夕陽~!

ただ、感じる

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またまた昨日の続き。 尊敬するという気持ちが湧いたというのは、 逆を言えば、今までそう思っていなかった・・・ と、書き終わってから気づきました。 びっくりしたけれど、 ある意味そんなびっくりするようなことでもないような気もしました。 自分とはそういう人間。 そういう段階(レベル)にいたんだなあと思うから。 共に学ぶからこそ、 みんなに負けたくないという気持ちや、 自分だけひとり劣っていると思う焦る気持ちもあり、 そういう感情がわいては、 出てきたパターンをまた嫌うパターンもあります。 でも、それらの人と比べるパターンが、 今は騒がなくなってきたということではなく、 そういうパターンあるよなあ~ってただ感じられるようになってきたことが、 前より少しだけ違う自分に感じるし、 みんなに対しても、素直にすごいなあって思えるのかもしれない。 今日も、今、何感じている?と問いながら、 そうあなたは感じているんだねとパターンに言えることが これが密かに自然体でいいなと思いました。 半生焼きのたらこと、豚汁

尊敬する気持ち

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昨日、グループで学んできた仲間の変化・成長を感じているとき、 今まで味わったことのないような、 とても静かな落ち着きと、誇らしさといったらいいか・・・ みんなを尊敬したい気持ちがありました。 自分のしてきたこと、できていないこと、 またどんな気持ちで過ごせるようになってきたのかを 「私」の視点で静かにみていることが、 本当に素晴らしいことだと思ったのです。 自分を探求し続けてきた同志でもありますが、 それぞれの持つ魂の課題はまったく違うもの。 私にもそういうパターンがあるなあと共感はしても、 その人にしかわからない向き合い方、 魂がしたがっていること、というのがあります。 いつも自分自身に、どうありたいのかを問いて、 「私」を育てていくことをあきらめない勇気と強さ(ねばり強さかな)。 私はそこに今までずっと感化されてきたのだと思いました。 そんな響き合う環境を与えてくれたこと、 自分とめぐり合ってくれた方たちに感謝しかないです。 みなさんありがとう。 いただいたお団子 ありがたくいただきました!

話をちゃんと聴く

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今日はクラスの勉強会でした。 普段カウンセリングや職場などでは、 他人の話をちゃんと聴くということから始まります。 と、言うは易く、 行うは難しで・・・ それがどんだけ大事なことなのか、 ちゃんと本当にやっているのか。 聴いている途中で騒ぐパターンがあると聞けなくなるし、 相手のパターンをも探し考えはじめる自分もいました。 今日の勉強会で、 いかに自分の聴くことへのダメさ加減を知っただけでなく、 皆さんが仕事を通じて自分自身をゆがみなく見ようとしている ことにも衝撃を受けました。 学びを続けていくうちに人の見え方が変わったこと、 また変わらない部分も受け容れていること、 常に自分を見ている(見ようとしている)。 そういう仲間がいたからこそ自分もやってこれた。 グループで学ぶことで、 自分も仕事のありかたへのたくさん影響を受けてきたんだと、 自分一人で成長してきたのではない! というまた一つまぎれもない事実を知るのでした。 みなさんいつもありがとうございます。 こちらは、風情ただようお雛様!

老化は進化

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昨年の後半あたりから頭痛に悩まされてきたのですが、 CTを撮ったときに副鼻腔炎っぽいのが発見されて、 それから耳鼻科に行くようになりました。 なんと、ポリープもあるというので数か月前から薬で様子をみています。 耳鼻科の先生に、 結構(ポリープ)デカいから、これだとあまり匂いしてないんじゃない? と言われ・・・ そう言われてみれば、悪臭もいい匂いもどっちにも鈍感でした。 それで思い出しのが、五感も老化するということ。 認知症の方ってたいていがこの匂いに鈍感(だと思う)。 鼻だけでなく耳も遠いことによって 認知症が進むことは実証されているようです。 (両親もそうでした〜) そして、鼻、耳、だけでなく、 味覚もちょっと変わる感じがするし(ある意味何でも食べれたり食べれなかったり)、 暑さや寒さにもにぶくなって、 冬なのに薄着をしたり、夏なのに冬物の下着を履いていたり。 温度感覚もかなりにぶくなるよう。 目だって、老眼はもとより白内障とか緑内障とか、 私の母も、夜はほとんど見えないということで夕方からの外出はとても不安がります。 それなのに、 自分の感覚器官はなぜか老化しないとでも思っていたのか、自分。 おかげさまで今は痛みの回数が減ってきていますが、 お薬以外にも、ゆる~くストレッチをしたり、 ハリに行ってみたり、光線機治療してみたり、 朝晩のスマホをやめて目を休めたり・・・ いろいろいいと思うものを楽しみながら続けてみています。 そういえば、 老化というものをキョンキョン(小泉今日子さん)が、 「進化」って言っていました! 自分が生きてきたことや見てきたことを、 そういうものをちゃんとまとって、進化し続けて力強いおばあちゃんになりたい。 とも語っていたっけなあ 老いにもどうありたいかなんだなあ サブールさんのパン よく噛んで食べた!

パターンがさわぐことが嫌

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やはり・・・パターンが騒がないと、 何だかほっとしている自分がいました。 っていうのもパターンです。 ●パターンに大人しくしてほしい、とか、 ●パターンがさわぐことが嫌、とか言っているパターンです。 パターンがさわがないということが平和で、自分が成長した証拠で、 さわがないということが穏やかに自分らしく生きられると思っています。 だから、さわぎ出すと苦痛で、 成長していないと責め、 そして、これでは伸び伸びとした自分ではいられない、 って信じているのだと思いました。 パターンはそんな考え方をする自分自身を許せないし、 そんな自分ではないとも思いたいのだ。 よく、先生から言われる、 これは驕り(おごり)なんだと思う。 そんな自分ではないという、 自分は分かっているという驕り。

どんな人生も楽しみたい

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パターンを何とかしたい。 つまり早くこの苦しさから逃れたい、っていうパターンがありました。 苦しいのは嫌、ネガティブでずーっといるのは嫌、 もやもやすっきりしないのは嫌だとパターンは言っています。 パターンって、本当にいつもいつもいつも、 自分の思う通りの状態にしたいと思っているんだなあ そんな時、そのパターンを否定するパターンもいて、 いやいや自分の思い通りにしたいなんて思っていませんよと、  だいたいでいいですよ、そのだいたいという譲歩した感じもパターンのわがまま。 全く自分が意図したものではなくても、 それがまあまあ受け入れられるものであればいいとか言って、 結局は少しでも思い通りであってほしいという気持ちがある。 どこまでいっても、パターンって望みを言ってくるんだと思いました。 そういうパターンもあるがままに許すというと、 自分勝手に好き勝手に生きていいみたいに聞こえてしまいますが、 そのまま続行させていいという許しではなく、 そう感じるパターンの存在を自由にし、見守る「私」でありたいです。 どんなふうに感じてもいいのだと。 これは思い通りだとかこれは思い通りじゃないとか、 そういう世界ではなく、 どんな人生も楽しめる、そんな自分でありたい。 そういうこと・・・なのかな? 藤田嗣治さんのネコだった!

頭のぐるぐる

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今日はなかなか頭のぐるぐるが止まりませんでした。 何度か、ストップ!黙りなさい!おーーーい! と言ってみるのですが、 すぐに頭が働いて気になっていることを考えてしまいます。 負のスパイラルに突入。 こんな時でもあきらめず、 なるべく上を向いて、 「そうだよね、あなたは今、怖いって思っているんだね」と、 それぞれの感情に意識を向けてみました。 相当な恐怖と不安があるのだから・・・ そうやっているうちに、ふと、 何とかしたいというパターンがいたことも感じました。 何とかならないパターンが嫌。 というパターンもいたのです。 パターンを許すということは、 パターンがいても気にならないということか? それとも、気になってもいいということを許すことだろうか。 うーん・・・ 気になってもならなくてもどっちでもいい。 っていうくらい、パターンを自由にさせてあげたいなあ パターンよ、ごめんなさい。 怖かったんだね、不安だったんだね。 もうゆっくりあなたを休ませてあげたい。

しっくりくる順番

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今日は起きてしまったことを、ああ~うう~と悔やんでいますが、 なるべくそのままの感情を感じてみます。 空を見て、上を向いて感じる。 緊張、不安、悔しさ、腹立たしさ。 心臓もばくばくしている。 これが今の状態なんだなあ そして・・・ どうしてそうなっているの? って、何のパターンなんだろうと考える(ここは考える、探す)。 順調にいってほしかったし、落ち度なくやりたかったし、 こんなにやっているのだから、そうできると思っていた。 つまり、●自分は正しい(正しくやっている) というパターンがいたから、 それをじゃましたものに対して緊張もしてくるし、 不安になるし無性に悔しくもなり、最後は腹が立ってくるのでした。 この、感情を感じるところからの~パターン探し。 この順番がとてもしっくりきます。

微妙な感情

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慣れというのは、 いろんなところでパターンを喜ばせているのではないかと思いました。 できているのか、できていないのかのこだわりの世界にいる時、 できたと認識することがあると、 パターンは調子に乗り、うぬぼれ、おごり高ぶる。 単なる「慣れ」がいつしか、自分はできるになっていた。 と気付かないのですね・・・ ただ、それを続けていたことで、 また長くそれをやるような状況があったからそうなったというのに。 特に仕事! ずっと同じような仕事をしてれば、 ある程度長く同じ会社にいれば、 誰だってそこに慣れてきて、それをしていない人よりは できるようになるってことあるでしょう。 それを能力があるとか、自分は特別だとか、評価が高いとか、 勘違いしてはいないだろうか。 一見ほめられてちょっとは嬉しかったりしても、 すっきりした爽やかな軽さとは違うので、 ああ、パターンが喜んでいるなあと分かる。 感謝があるかないかでも分かる。 よくよく自分を観察すれば、 本当は、ほめられても嬉しいという感情とは違っています。 モヤモヤ、羞恥心、不快感、息苦しさがある。 だとしたら、これは自分を特別扱いしたいプライドや、 がんばってきたというこれまた自分が一番というプライドか・・・ 微妙な感情もちゃんと感じていこう。 そして誰がそう思っているのか見ていこう。 東家さん 少し早いお昼なら空いてます~ 

慣れで対処する

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パターンを嫌うパターン。 今、何を感じている?と問うと、 疲れた、イライラする、腹がたつ、ちょっと悲しい。 という気持ちがありました。 母へ何度も繰り返して話したり、その話も全然かみ合わなかったり。 耳が遠いので大きな声でずっと話し続けることにもへとへとになってしまう。 そんな時に、出た感情。 母が認知症になってからちょいちょい顔を出してきたパターン。 語りかけをしているからここまで落ち着いてきた? いえいえ、日常でのやり取りの「慣れ」が自分を落ち着かせていたんだと思いました。 仕方ないよな~という頭での理解と、 そして毎日の慣れで対処できると、 そうしてきた自分がいたのだと分かりました。 このパターンを本当にはゆるしていなかったのです。 これは、今までずっと語ってきたパターンを嫌うパターンです。 母親にもうちょっと話を聞いて(わかって)ほしいと思う自分がいて、 そう思うことがなんだか全く成長していないと自覚させられるかのようで、 そこで湧くネガティブさも強烈です。 でも、ここも心臓を優先します。 今年はこのあたりのパターンにもしっかり語りかけをしていこう。 水辺に近づいていったら、藻で滑って転びました

いい感覚もキャッチしている

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この頃、朝に、自分がこれいいなあと、 心が軽~くなるようなことが書いてある文章を読んでいます。 小学生の音読の宿題のようですが、今、これにはまっています。 今朝は先日から続けている 「脳より心臓を優先させる」というもの。 読み込んでいくうちに、 今、何を感じている?の問いに対して 頭ではなく心臓に意識を向けるようにしています。 心臓はたいていドキドキしています。 そして、緊張、不安、イライラといった感情のどれかを感じとっていることが多い。 でも今日は少し違う感覚もありました。 宮古へ向かう途中、盛岡よりずっと暖かい空気に春を感じ、 ほんわかした気持ちになったのです。 さらに太平洋を見ては、本当に気持ちがよく、 すがすがしさと落ち着きも広がっていきました。 ネガティブな感情だけでなく、 白の部屋に入ったときのような心の軽さも感じられた。 その感覚を味わえたことが良かったです。 そうかー、どの感覚も察知している「私」(自分自身)がいる。 黒パターンだけでなく白パターンの心の動きも観察している。 どっちの感情・感覚もキャッチしながら、 どっちがいいという評価もせずに 静かに見ている「私」がいるんだなと思いました。 ・・・もちろん、いつどんな時も、 黙って静かに見ていられる「私」に育っているわけではないですが、 それでも少しずつ、毎日、何を感じているのか? ここは大切にやっていこうと思います。 久々の海だーーー!

おさげっこ

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今日は週末なのでお酒をいただきまーす。 秋田の純米原酒「おさげっこ」。 ネーミングがいいし、味もすっきりしてお米の香りがします。 岩手にも美味しいお酒はたくさんありますし、 たぶん日本一美味しいという海の幸も山の幸もある(完全に身内びいきー)。 でも、秋田も食に関してはなかなかのものだと、 去年一年秋田通いをして思いました。 おそらくその根底には、 まずは水がうまい!空気がうまい! というのがあるのだと思います。 米、野菜、味噌、調味料、 それらを使ったお菓子も素朴なものがたくさんある。 ・・・で、岩手や秋田、そして青森の北東北というかな、 自分が食べてうまいと思ったものを、 知人友人・家族などごくごく身近な人たちにふるまったり、 分け合ったりということはしますが、 県外を飛び出してまで宣伝しようという気がほぼない。 逆にそれが伝統の食を守ってこれた理由の一つではないかと思いました。 何百年も変わらずその土地で食べ続けてきたものには、 なんだか私たちのDNAにも一番合うものだし、 そういうことってとても幸せなことだと思いました。 私の一押しのお酒

痛みと感情を察知する

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今日は久々の頭痛に襲われ・・・ えーと、今どんな気持ち?と問う。 痛い、不快、(早く横になりたくて)イライラしました。 体に実際に起きている痛みとか頭がズキズキするというのは、 感情ではないけれど、感覚としてあるので、 そこも含めて自分に起きていることを認めます。 あ~今自分って、こう感じているんだなあって。 なんか、それだけでもちょっと冷静に客観的になり、 「私」とパターンが離れるような(別ものになる)感じがします。 量子力学や脳科学の理論から心のお話をされている 小森圭太さんが説いていたものに、 「脳より心臓を優先させる」というものがありました。 宇宙意識と同調するには、脳(思考)ではなく心臓の感覚に従う方がよいのだそう。 心臓っていうところが生身の人間ぽく、 胸に手をあてるというのもやはり本能的なものなのかなと思いました。 心臓に従うを言いかえれば、 「私」の感覚に従えばいいということにもなり、 感情や感覚をとにかく感じるところから始まるってことになります。 今こうして日記を書いている時は脳が働いていて、 頭痛のズキズキをなんとかしたい、頭痛になりたくない、 早く日記書き終わって寝たい・・・とか考えてしまう。 でも、そういうパターンのことを考えるのではなく、 ただ、頭痛いし不愉快だしイライラするし~ という正直な気持ちをちゃんと察知して受けとめたいです。 はい、お浸し~