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1月, 2023の投稿を表示しています

道場との出会い

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【合同セミナーの参加受付:残り1枠】 1/23の日記 でお伝えしました、 『魂の道場』 で学ぶ皆さま、 というのは、 伊藤先生にあらためて確認したところ、 先生の日記を読んでいるすべての方が対象ということでした! (言葉が足らず申し訳ありません!) ですから、セッションやカウンセリングを受けたことのない方も、 お気軽に、合同セミナーってどんなだろう? という好奇心をもとに、どうぞ盛岡にいらしてください!! 個人参加であっても、困ることのないように私たちがサポートいたします。 ・・・・・・・・・・・・・ 今日は、この告知にあたって、 道場の出会いを思い出しておりました。 私は、過去のことをよく忘れていることが多いです。 周囲がしっかり覚えていることも、そんなことあったっけ? と自分でも怖いほど、本当に記憶が残らないのです。 先生の日記を読むようになったのも、 はじめてのセミナーがどこで開催されて、 どうやって行ったのかも、結構思い出せないのですが、 そんな中はっきり覚えていることが一つだけあります。 まだ岩手クラスがスタートする前、20名ほど集まっていたでしょうか。 和室で受けた先生のセミナーで、 仰向けになって瞑想のようなワークをしたとき、 びっくりするほど、ぐっすり寝てしまったんですね。 あ~よく寝た。 気持ちいい~ あの目覚めたときの気持ちよさだけは、しっかり覚えています。 何を学んだのかは忘れましたが(先生すみません)、 先生の声に導かれたそのワークだけは、 ああ、なんかこれ、いいかもしれない(学びたいかもしれない)・・・ その後、10年以上もの間、 あの時感じた、それこそ根拠のない自分にとって必要だと感じたものが、 今までこうして楽しく続いているのでありました。 本当に理屈ではないものですね。 人によっては全く合わない、いいと思わない、わかりにくい、面倒くさい、即効性がない、自分でやらないと成長も何もない・・・ などなど向き不向きも含めあるかと思いますが、 自分のセンサーに触れ、 やってみたい!と思ったことを、何も考えずにやっていたというのは、 人生の中でもそうそうないことだと感じます。 考える前に体がうごいていた・・・みたいな感じですね。 そのような体験が、どなたにもあるかと思います。 そして、それは、大抵自分にとっても真実だったり、 自分の魂がのぞんでい

これはどういう現象?

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岩手合同セミナーはあっという間に、残り1枠となりました。 ありがとうございます! 満員御礼になりましたら、ブログ内でまたお伝えしますのでよろしくお願いします。 こちらもあっという間に、池に氷が張りました・・・寒っ ・・・・・・・・・・ 今読んでいる量子力学の本。 本当に少しづつですが、日常の起きる出来事に照らし合わせながら、 これってあれのこと? みたいに読んでいると、とてもおもしろいです。 本来の解釈とはちょっと違うのかもしれませんが(今の自分での解釈)、 パターン現象にもあてはまるのではないかと思いました。 たとえば、 ●Aさんにいろいろ言われたくない という黒パターンが自分にあります。 いろいろ言われるのがどうして嫌なのか? それは、自分が否定されるのが怖い。 自分がAさんよりも劣っていることを知るのが嫌。 そして、きっと何か言われるに違いない!と信じ、 そして自分が落ち込むことを想定している自分(黒パターン)がいます。 ある意味、Aさんの発言に集中しているのです。 そして、実際に言われると、 ああもう、いつもこの人ってこう。 もう大嫌いだーーーーー! と、腹を立て、悔しさいっぱい、そして自分がつらくなる。 そこに意識が向けられていきます。 だけど、ケアを続けていくと、 そんなつらさが、少しづつやわらいでくるのがわかります。 黒ではなく白というパターンに「私」は目を向けるようになるからです。 そして、選んだ白パターンにひたると、 Aさんが何か言ってくるのではないか?という怖さも薄れていきます。 何なら、もう言われても言われなくてもどっちでもいいかもしれない・・・ という心境にもなります。 そして、ついに、何も言われなかったとき、 ほっとするとか、今日はいい日だったという、 本来、ガッツポーズを取るほど嬉しくなってもおかしくないのに、 そういうことが、あまり感じなくなってきていることに気づきます。 これは、 意識的にケアをし続けた結果、感情が変化していくのですが、 この変化した瞬間というものは、 ほとんど無意識に近いものなんじゃないかと思います。 本当に人がケアがされると、 人の無意識な部分が働き、世界をつくる・・・? Aさんにこうなってほしい、こんな状況になってほしいと思わなくても、 心の状態がすでに変化しているので、 目の前でおきる現象は、その変化した心が映

盛岡開催、決定!

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昨日、今年の抱負が思いつきました(遅い!)。 年があけて、しばらく考えてはいたのですが、 どうしてもなにかが違う・・・ピタッとくるものがなくて、 もう1月も後半になってしまいました。 でも、それはある日突然にやってくるものなんですね。 まず一つですが、 この一年、とにかく楽しくやる!です。 時間がかかったわりには、 小学生みたいな感じになってしまいましたが、 ここには深い意味が自分なりにあります。 この一年の進む道が見えてきたように感じました。 白パターンを徹底していくと、おのずとそうなっていく。 凡人な自分が、もう失敗を恐れることは何もない。 迷ったら、楽しいかどうかでまずは進んでみよう! という事を土台にしていきたいです。 もう一つは、 前回のブログにも関係するところの、 パターンを嫌うパターンへの語りかけです。 ここは、本当に丁寧にやっていきたいところです。 ・・・・・・・・・・・・・ ということで、 新たな年明けを新鮮に感じとりながら、 今日は、ブログを読んでくださっている道場の皆さまへお知らせがあります! 『魂の道場』で学ぶ皆さまと、 岩手クラス合同セミナーを盛岡で開催したいと思います!!! 6/16(金)~6/17(土)の2日間(両日共に13:00~17:00) 先生をお招きしてのセミナーと、夕食会も皆さまとご一緒できればと思っています。 開催時期にかんしては、 真冬の盛岡も味わってもらいたいと思いましたが、 梅雨に入る前の過ごしやすい季節、6月に開催することにしました(安心してください!)。 先着15名の参加募集。 〆切4/15ですが、定員となり次第終了となります。 事務局 iwateaiina.202306★gmail.com (★←@に変えて送信ください) 詳細は、メールアドレスをいただいた方へ追ってご連絡致しますね。 楽しく、そしてお互いの打合せで出てきたパターンのケアをしながら(笑)、 準備をしていきたいと思います。 どうぞよろしくお願いします!

何に語りかけるのか

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苦手な人、価値観が合わない人、この人嫌い!と思うのは、 すべて、本当の「私」ではなく、「パターン」が思っていることです。 と言ってしまうと、 パターンは誰?私じゃないの?と思うかもしれませんが、 パターンは「私」の一部であるだけで、 イメージとしては「私」がパターンをいつも観察しているような感じです。 そのパターンが嫌う相手を、 たまたま今日は、あまり嫌だなと思うことがなく、 ああ、こういう日もあるんだなと観察しているのは「私」です。 そこに、良いも悪いもなく事実をみている感じ。 そこから、 いつもあの人、こうだといいのになあ 今日は、本当にストレスのないすっごいいい日だったなあ 等々、考えているのは誰かというと、 これは、パターンが考えている。 ということになります。 何かしらの「パターンを嫌うというパターン」です。 ここが、カウンセリングを学び始めたころは、特にわかりにくかった。 ●あの人が嫌い、というパターンがあるとき、 あの人のこんなところが嫌、あんなところがほんと苦手なんだよね、 といった、あの人自身にストレスを感じているだけー ではないのです(ここで留まらない)。 あの人が嫌いだと思う自分自分自身が、ゆるせないのです。 あの人が嫌い、と思っている自分、つまりこのパターンを持っていること自体が嫌! ここにストレスなのです。 いつまでたっても(ケアをしていても)、 嫌だと思わない日がやってこない。 また、パターンに引っかかってしまった! あ~もう嫌だ、こんな自分が嫌だーーー! 全然、進歩していない、成長していない、 早くこのパターン落ち着いてくれないと、いつまでもふりまわされて困るんだよ~ 消えてくれ! っていう感じで、 自分自身(パターン)に嫌気がさすのです。 これは、 ケアする対象が違っているんですね。 パターンを嫌うパターンに語りかける。 これを結構、スルーしていることがあるので、 気をつけていきたいです。 ●あの人が嫌いだと思い続けるパターンがゆるせない ということに気がついたら、 パターンを目の敵にしている、無きものにしようとしている思考があります。 今、自分は何に語りかけようとしているのか? 今日も問いかけていこう・・・

パターンの継承

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母のデイサービスを開拓していました。 いつも行っているところは、父が入居しているため、 自分のデイサービスというより、父のために会いに行っているという感じです。 私としては、もう一ヵ所行けるようなところがあるといいかなと思い、 先日体験(お試し)をしてみたら、 母も気に入ったようで、通うことになったのでした。 ところが・・・ さすが母です。 私のパターンの思う通りにはなりません。 (楽しんでデイサービスに行ってほしいというパターン) せっかく、いいところを見つけたのに、 母は、体験のときと同じメンバーではなかったと、 前回よりつまらなかったようで、 もう行かないと言います。 母は何かちょっと嫌なことがあったり、嫌な感じの人がいると、 もうだめなのです。 このパターンで、もう何ヶ所ものデイサービスを断ってきたことでしょう。 誰も自分に話しかけてくれなかった(←そんなことはない、ない)。 一人ポツンといた(←結構みなさんと一緒におしゃべりしていた様子)。 グループができていて、自分はどこにも入れない(まだ初日だからね)。 などなど、母は母のパターンのもとで、不満をぶつけてきます。 そんな母を見ていて、 ああ、なんか・・・自分と似ているかも・・・と思いました。 自分にもあるパターンが、母にもある。 私も、新しい場所へ行くと、 周囲から声をかけてもらえなかったり、 一人ポツンといたりすることになると、 自分が大事にされなかったように感じ、悲しくなる。 そんなパターンがあります。 今でこそ、 パターンは落ち着いていることが多くなりましたが、 かつては、被害妄想も結構あり、自分から新しい場所に溶け込むことができませんでした。 母の気に入るデイサービスとは・・・ 自分をちやほやしてくれるところ。 周囲が、自分を喜ばせてくれるところです(ずばり言えば)。 親子って、すごいなと思いました。 母のわがままだなあと思っていたところが、 実は自分もそうだってこと。 母の姿は、自分の姿を見せられているかのようで、 ああ、私もずっとこうやって生きてきた! と思いました。 親子代々に渡って・・・ これは私の代で、よくよくケアして、 なんとかバランスを取っていきたいものです。 そして、今回、 私が自分の都合のために、 そう、自分が困らないために新しいデイサービスに行かせたい! そう思っていたことに

ゆるしたい

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自分のパターンに気づいているけれど、 そのパターンのまま突き進む・・・ということをしたくなることがあります。 意地になっているパターンがあって、 意地になっているなあって、わかったんだから引き返せばいいものの、 このままいってしまえ!と意図的に続けてしまった。 もちろん、結果は・・・それなりです。 そこには、虚しさがあり、逆にふつふつとした満たされないものを感じてしまいます。 黒カードを引いた私は、さらに続く行動も黒カードでいく・・・ パターンだとわかっているのに、 突き進んでみたくなってしまうというのは、 長い間、黒パターンで行動してきたなごりなんだと思います。 それともう一つ。 白パターンを選ぶことをやっていると(まるでいつも白を選べているかのようだが)、 大きな黒パターンで行動することが減ってきて、 黒パターンの結果を試したくなるような感覚に襲われることがあるのです。 これ、どういうことなのか説明つきませんが・・・ 黒パターンで自分を試すというか、再確認したいということなのか。 もちろん、結果は、やっぱりな・・・で終わる。 そして、また、 白を選ぼう!!となる。 でも、以前と違うのは、この残念な感覚を、 どうしようもない人間、最低だ、黒パターンを選ぶなんて!と、 自分をひどく責めたりはしなくなってきているということ。 やってしまったな~と天を仰ぎますが、 そのあと、だんだん、まあそれが自分だからしょうがないか。 と、ゆるすとはまた違いますが、 あきらめの心境になったりします。 次は、ちゃんと胸に手をあて選んでいこうと決めることでもあります。 自分をゆるすというのは、 これも経験を積むこと、練習なのかもしれません。 自分をゆるすということがなかなかできませんが、 この、やってしまったな~という感じ方に少し軽さが出てきたのは、 ちょっといいかなと思っています。 どんな自分にもOKが出せたら、 どんな人に対してもOKが出せるのかもしれませんね。

医者になりたかった

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生まれ変わったら、何になりたいですか? よく聞くフレーズかもしれませんが、 私は、恥ずかしながら・・・医者です。 いつもいつも考えているわけではないのですが、 先日、夫のいつもの受診に付き添ったとき、 主治医の先生と会ってー ああ、やっぱり私、医者になりたかったなあ と思いました。 ま、現実は、どう転んでもそんな頭は持っていないので・・・ 今生では100%なれなかったと言いきれます。 でも、もしも来世があるのなら、 内科でも外科でも、精神科でも、何科でもいいので(簡単に言うなあ)、 患者さんの話にちゃんと耳を傾けられる医者になりたいです。 夫の主治医はわりと若い男の先生で、 何と言ったらいいのか、誠実でとても温かみのある人です。 夫の言葉を借りると、 育ちがいい『素直に、曲がらず育った人』という感じ。 毎回、夫のピントのずれた話にも耳を傾け一緒に考えてくれます。 夫婦そろって診察室に来る人たちって、 おそらく先生の前でも(誰が相手でも)平気で、 夫婦喧嘩みたいなやり取りをしてしまう人たちが多いと思うのです。 ちゃんと病気に向き合えていないことを、 あれこれ言い訳したり、相手のせいにしたり、ごまかしたり・・・ 病気に向き合わない病人を改心させようという目的で、 ここぞとばかりに、同伴している方はいると思います(自分もそれ)。 そういう、見苦しい似た者同士の夫婦のやり取りを、 先生たちってうんざりするほど見ていると思う。 けれど先生は、 それぞれがそれぞれの立場で言っている身勝手なことにも相づちをうち、 どうしたら今より少しでもいい状態になっていけるのか、考えてくれます。 これは、なかなかできることではないと思います。 先生も心の中では、またはじまった~って思っているかもしれませんが、 態度や言葉には出ません(それが、すごい!)。 もちろん、まったく偉そうな態度もなし。 でも、本当は難しい手術を行って新聞にも載ったすごい先生らしいです。 受診の回数を重ねるうちに、私も夫も、 この誠実な先生に診ていただいているのだから、 私たちも、言われたことはやってみようじゃないかと、 自然と素直に思うようになってきています(まだまだ努力が足りないが)。 先生が、それはいいことですよ!と、 言ってくれたことに対しては、なるべく続けるようにして、 先生が、困った顔をしながら、 何とかわか

クラゲを食べた?

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今日は歯医者へ歯のメンテナンス(クリーニング)に行ってきました。 歯科医のMさんに以前、なんか歯が黄色くていやなんだけどー という相談をしたときに、 問題は、歯の白さではなく・・・という話になり。 そうか!歯のメンテナンスって大事なんだ!と、 それから、1年に2~3回、定期的に歯医者へ行くようになったのでした。 残念ながら、 Mさんの開業する歯科 は、 盛岡からおそらく半日はかかる伊勢原にありますので、 近所の歯医者さんに数年ほど通っています。 その歯医者さんで、 今日は小さな虫歯を発見されました。 痛くないので自分でも全くわからなかったのですが、 すぐにその場で治療をしてもらいました。 麻酔をしたのは何十年ぶりでしょう。 口の感覚がなくなり、はい、うがいして下さいと言われても、 うまくできないくらい感覚がない。 人と話をするにも、ちょっともごもごしてしまいます。 鏡を見ると、口が曲がっていて、 えー、こんなふうになるんだと、 以前、父が脳梗塞になったときにも顔が(口が)曲がっていたことを思い出しました。 でもまあマスクもしていることだしー、と、 深く考えずにそのまま喫茶店へ向かい、本日のお目当てのナポリタンを食べた私。 そうなんです。 麻酔がきいているので、うまく食べれないんですね。 いつもよりまして、 ケチャップを口の周りにつけながら(顔見れないけど、そうだと思う)、 なんとかかんとか時間をかけて、食後のコーヒーまでいただきました。 帰り道、大分麻酔も散ってきて感覚が戻ってきました。 すると、まさかのまさか・・・くちびるが痛い・・・ そうです私、 くちびるも一緒に食いちぎらんばかりに、噛んでいたんですね!! ナポリタンを食べているときに、 なんか中華クラゲを食べたときのような感触があったと、 あれは、自分の肉を噛んでいたんだと気づきました(おそーい)。 本当に自分のバカさ加減にあきれる。 くちびるの裏側は、血だらけ傷だらけになってしまいました。 歯医者さんも、まさか、 すぐ食べたりしないよねー、って、 大人の常識でなにも言わなかったんでしょうね(注意書きが渡されていたことに、今気づく)。 みなさんも、 歯医者さんで麻酔をしたときは、 くちびるをがんがん噛まないよう、充分にお気をつけください!

のびのびと働く

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きんきんに冷えた朝、初詣に行ってきました。 こういう日は、青空が広がり、 寒いけど空気がとても澄んでいます。 昨年、試験に合格させていただいたことの御礼参りをしました。 本当にこれはうれしいことだったので、 あと2ヵ所の神社へも丁寧に御礼参りに行きたいと思います。 ほかにも、家族みんな元気で一年を過ごせたことなど、 神様へ長々とお礼を言いましたが、 父が回復したことのお礼は言い忘れた! と、今こうして書いていて思い出しました(今年もどこか抜けている~)。 帰りに、とにかく温かいものが飲みたいと、 何年ぶりかのミスドに寄りました。 紅茶とホットドックを食べ(ミスドらしからぬメニュー)、 そこでは、声優のような明るい声の店員さんがはつらつと接客していました。 お顔を拝見すると、おそらく自分より少し若いくらいではないかと思います。 こんなハイトーンの明るくかわいらしい声は、自分なら出したくても出ません。 かなりベテラン風な感じで、てきぱきと動き、 いろいろなお客様に声をかけていました。 はじめは、声にばかり注目していましたが、 その接客スキルに目がいきます。 なじみのお客様なのか、 お仕事お疲れ様でした~今朝は冷えましたね~、とか。 勉強している学生へ、コーヒーほしかったら言ってね~、とか。 初詣を終えた家族連れに、 アクリル外しますね~広く使ってくださ~い、と笑顔で声をかけています。 そして、私たち夫婦へも、要らない食器をさげ、 すでに夫は、3杯コーヒーのおかわりをしていましたが、 苦笑いしながらまたすすめてくれました。 店長なのか、パートさんなのかはわかりませんが、 この方は仕事だからこうしている(マニュアル通りにやっている) のではない、と思いました。 声優のような声も、自分らしさとわかっていて発している。 それも、とても気持ちよく店内に響くことも、 ご自身もたのしいのではないかと思うのです。 また、人が好きなんでしょうね。 さりげない言葉から、ちゃんとした会話、そっとしてあげる配慮・・・ 相手に合わせて、自分を変えていく。 おそらく、お客様を見た瞬間に、 どう接したらいいのかがわかるのではないかと思いました。 お店であって、仕事であって、勤務時間なわけですが、 その空間と時間と人との出会いを満喫しているように見えました。 なかには嫌なお客様もいるでしょうし、 長時

書く動機

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新年あけましておめでとうございます! 今年も自分をふりかえる時間として、 また、ブログを読んだ方が、 カウンセリングに行ってみようかなと思っていただけるように、 等身大の自分を書いていこうと思っております。 どうぞよろしくお願い致します。 実は、先月から、 あらたな自身の試みとしてnoteに投稿しています。 きっかけは、 職場で新しい企画に取り組んでいますが、 まずは知ってもらうために、体験談を書いてみたらどうか? とアドバイスをもらい、 早速書いてみたのですが・・・ すぐにわかったことがありました。 パターンが騒ぐのです!! ●たくさんの人に読まれたい ●いいね(noteでは「スキ」)をもらいたい といったたぐいの願望があることに、 正直面食らった感じがあります。 面食らうというのは、 自分のパターンのことは、自分がよくわかっているつもりだったのです。 がしかし、 こんなに気になるか?と思うくらい、気になり書けなくなってしまいました。 なかなか、いいねがゼロ、という人はいないので、 自分の投稿に反応がないと、 これはどういうことなんだろう?と思ってしまいます。 SNSに投稿する方たちは、 こういったパターンが騒がない方はいないのではないかと思います。 他人からのいいねがほしいとか、共感を得たいとか、 いい評価をしてほしい、という人は多いと思います(自分も)。 そして、いいねの数がたくさんあると、 これも先入観、パターンなんでしょうが、 その数が内容のおもしろさ、発信者の信用度みたいに感じてしまう。 書く側は自分の正しさ、自分への関心度、たくさんの人から共感されていることを実感する世界。 そこに楽しさ、書くモチベーションがあるのかもしれません。 自己表現をするために、書いている人もいるとは思いますし、 書いて、本当に自分の日記のようにしている人もいるでしょう。 写真をアップしたり、単純に楽しくて、自分の作品を生み出すかのように発信している人もいると思います。 なかには、自分のために書く。 ということを宣言してから書いている方もいます。 書く目的がそれていかないように、 また、他人からの評価を気にせずに生きていきたいと、 本当にそう思って書いている方もいるように感じました。 そこで、自分はどうか?です。 自分の体験を書き、その体験を知りたいと思っている方へ、 情報提供