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3月, 2024の投稿を表示しています

探求心と熱量

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家の中にグリーンが2つほどありますが、どんどん弱々しくなってしまい、何をどうしたら元気になれるのか? 以前から中に入ってみたかった植物屋さんがあって、 今回やっと相談することができました。 お話してみると、ああ、この方って本当に植物が大好きなんだなあ ・・・ってわかります。 そして、好きだからこそ、おもしろいからこその植物への『探求心』が半端ないです。 たぶん、自分のためにやっていたものが、いつのまにか誰かのためにもなり、 仕事にもなっていったのでしょうか(次はそこらへん聞いてみたい)。 喜び、発見、おもしろさを見出し、もっと知りたいと思う心にあふれています。 こんなにグリーンが好きなのに、自宅は育つ環境が整っていないとのことで、 なんと一個も置いていないそうです。 それもまた愛情を感じます。 植物には、水と光が大事だというのは私でもわかりますが、 もう一つ大事なのは・・・風なんだそうです。 風がないと病気になったり元気がなくなってくるのだそう。 それを聞いて、特に冬の間、全然窓を開けていなかった我が家はまずい・・・と思いました。 適度な換気、風は、人間の住まいにも必要ですし、光も水(食事)も大事。 植物好きの方ってもしかしてペット(生き物)を飼うような感覚なのかなと思いました。 私は今までどんだけグリーンというグリーンを枯らしてきたことか・・・ エアプランツは誰でも育てられるからと言われたけど、枯らしてしまいましたし、 多肉植物もいつのまにか縮んでしまっていました。 ユーカリはドライフラワーになっただけでした。 でも、ここの植物屋さんに相談すれば、きっと私でもなんとか育てられるグリーンがあるかもしれないと希望が持てます。 一人でも多くの方に正しい知識を知ってもらいたいと思い、教えてくれるのでしょうが、 たんなる知識としての情報ではないものが伝わっていく気がします。 それは、知識以上の『熱量』です。 それは決して独りよがりのものではないし、押しつけとも違う。 グリーンを育てることの楽しさが伝わりこちらも楽しくなってきます。 グリーンを買っていくお客さんに対しても、優しいまなざしでした(モンステラのことをずっとポトスだと言っていた私にも優しい!)。 今日は長年知りたいと思っていたことがわかったし、 我が家のグリーンたちも元気になりそうで、うれしい一日でした。 植え替え

たまには派手に!

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先日、母のシャンプー・ブローをしてもらいに初めての美容室へ行ってみました。 思いつきで入ったお店だったのですが・・・ ここがもう、すごい美容室だったんです! いらっしゃいませ~と、まず金髪の女性の方が現れ、お洋服も見たことのないようなド派手な色。 店内を見ると、オレンジカラーをメインに装飾もすごく派手。 そして何より、スタッフ全員が金髪で、どこでそういう洋服買うんですか?って聞きたくなるような、 全身オレンジ系の衣装(もはや洋服ではなく、衣装)を着ています。 そして不思議なことに何もかもが派手なんだけど、 なんだか楽しくなってくるような元気になるような、気持ちよい明るさなのです。 「何ここ・・・す、すごいじゃん」 戸惑いを隠しながら(目が泳ぐ)、 えーと・・・私ではなく母親の髪を洗ってブローしてもらいたいんですが。 母はオレンジ色のスタッフにシャンプー台へと案内され、 私はその間、王様が座るようなゴールドでゴージャスな椅子に座り(なんでこんな椅子がある?)、 店内をきょろきょろしながら待ちました。 美容雑誌を手に取ると、そこにはこちらのお店をプロデュースしたらしい方が載っていて、 こういう系列のお店が全国にもあり、 雑誌で紹介されていた店舗もやはりオレンジカラーで統一していました。 そして、働くスタッフも当然のようにド派手なファッションで、 そして・・・とても輝いていて美しいのです。 女性を(男性もかな)美しくするだけでなく、健康で元気で明るくするのが美容師だと書かれてありました。 だから一番に美容師たちがそうあるべきで、 美容室はそれを叶える、最高のリラクゼーションを味わえる場所であると。 出来上がった母を見て、またびっくり。 今まで見たことないようなボリュームたっぷりの、 素晴らしくかっこいいブローで仕上げてもらいました。 思わず、お母さん、すごくいいよーーーー!ステキ! シャンプーも化粧品もすべてにこだわりぬいた商品を使っているようで、 お値段もまたすごい・・・けど、 お肌にいいシャンプーというのがちょっと気になりました。 そして、こちらのお店は単に見た目を売りにしているのではなく、 気配りもすごいと思いました。 私が待っている間、 スタッフの方がさりげなく声をかけてくれたり、 なんでわかるの?と思うような自分が好みの本を持ってきてくれたり、 母にも優しく親し

寂しい理由

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今月はたくさんの方とのお別れがあり、 寂しい・・・という感情には裏などなく、 ただ素直に感じているだけと思っていましたが、 これって何かのパターンなんだろうか?と思いました。 寂しいと感じる理由には、 もっと話がしたかったのがあります。 まだまだこれからも語りあったり、笑ったり、悩んだりしながら、 時間を共有したかったのに、もうそれができないことに寂しさを感じているのです。 でも、そこにもまた、何でそう思うの?としつこく聞けば、 話をしたかったと思う気持ちの深いところには、 その人とはこれからもっと楽しいことがあったはずだし、素晴らしいことになったはず。 そしてもっと自分がその人によって成長ができて、幸せを感じて・・・と相手に期待をしていたように思いました。 自分を満たしてくれるものがこの人にはあって、 それがもう叶わないんだなあと思い、寂しさを感じてしまったのかもしれません。 もう二度と会えないかもしれない。 そう思うと、いてもたっても居られないような気分になってしまうのは、 その人からもう得られるはずのものが得られなくなってしまった・・・と思う悔しさもありました。 今までも寂しさを感じるときは、 似たようなことが心の中でうずまいていたと思いますが、 今、冷静になってその理由が見えてくると、寂しさが少しやわらいでいくような感じがありました。 それにしても・・・ パターンは、 自分をひいきにしてくれる人、褒めてくれる人、 認めてくれる人、興味関心をもってくれる人、そういう人には弱い。 なぜならばそういう人たちは、 自分を気分よく機嫌よくさせてくれるから、パターンは離したくないんですね(お別れしたくなーい)。 パターンは巧妙ですので、それとは悟られないように高揚感を持たせ、 その人のそばにいることで自分が成り立っていくかのような、そう思い込ませる魔法をかけるのだ。 自分がいい感じだと思っていたものが、 実は自分のパターンがいい感じだと思っていた・・・ということは多々あります。 そこの違いを見極めていきたいものです。 また自分を一つ知ることができたと思いました。 自分という人間を知るための材料って、 いつでもどこにでも用意されているんだな。 電気のひもにぶら下げたい

悩みがある人ない人

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ときどき、悩みはないです!という方と出会うことがあります。 明るいその笑顔は嘘ではないと思うし、使う言葉もポジティブで、 うまくいかないことがあっても、必要だから起こっているんだと理解し乗り越えている。 それはそれでいいし、 何も言うことはない・・・。 って以前は思っていましたが~ 今は少し違っています。 無理やり悩んでほしいということではもちろんないのですが、 ただ・・・悩まないより、悩むことの方が、 自分を知る上ではとてもいいことだと感じるようになりました。 自分自身を深く広く、知らない部分を知ることができるだけでなく、 物事の捉え方が変わり、人に対してもこれまでとは違う理解ができるようになっていきます。 成長する、進化する、領域が変わる・・・ そして悩むことの先に、 これまでの幸せの概念とはまた違うものが出てくる気がします。 ポジティブだけだとそれは叶わない。 悩むというのは、ネガティブな感情ですが、 自分自身へ気づいてほしいことを、感情によってサインを出しています(ネガティブって大事)。 ここが人間にしかできないすごいところ。 しかも、とても小さく一瞬の感情(ん?と瞬間に通り過ぎるもの)でも感じ取れるのです。 そういうものを、本当は日々私たちは感じ取っているはずなのですが、 普段、頭で考えることばかりしているので、 自分が受け容れたくないものは、思考でぐいっと転換させたり、 スルーして無かったことにすることもできます。 でもそれでは、せっかくの本題(本当はここを見てほしいという部分)を消してしまい、すごくもったいない。 悩み(というパターン)に気づき、 それがあることを認めるということが、 本当の意味で、楽に幸せに生きることへの出発点になるのだと思います。 そこから何を選択していったらいいか、 幸せに生きる「私」になるためにどう行動していこうか?と考える。 むしろ、この一連の作業を悩みもがくことをするために生まれてきているのではないだろうか・・・ だから、小さいことだけど、もやもやしたりイライラしている。 という方は、自分が幸せに生きるために、 自分の魂が一生懸命サインを送っているんだと思っていい。 悩みがあります!と堂々と自覚して大丈夫。 たまに、もうどれが悩みなのかがわからない・・・ということもあるかもしれません。 何に自分は苦しめられているのか、 何が

傷ついたと思うとき

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『傷つく』についての意味付け(中立ワーク)を考えてみます。 マイナスの意味付けとしては・・・ ダメージを受ける、不利になる、弱くなる、立ち直れない、動けなくなる、 耐えられないこと、苦しいこと、かわいそうなこと、人間不信になる、 相手を恨む、元気がなくなる、トラウマ、自分でそう思いこむ、ネガティブ思考に走る、保身に走る。 プラスの意味付けとしては・・・ 相手の気持ちを理解する、優しくなれる、落ち着いて行動する、立ち止まれる、 人が見える、成長する、回復する力がつく、思慮深くなる、言葉を大事にする、 自分の弱さに気づく、自分の守りたいものが見つかる、パターンが見つかる。 そして、本来は中立としてそこにあるのは、 ただ一つの体験です。 いいも悪いも意味もなく、傷ついたと思った体験があるだけ。 見えない心の中の傷はやはり見えませんし、あるかないかもわかりません。 『傷・つ・い・た』と自分が思う、決める。 そう判定をくだして自分がその状態を作っているような感じがあります。 たしかに、グサッときたことがあって、ドキッとして、 緊張が全身を走り、心臓がバクバクし、 もうだめだ、自分には耐えられない、傷ついたあ~ とそこで自分は、「はい、傷ついた人間です」と自分に判を押す。 他の誰でもなく自分自身がそう決定し宣言しているようにも見えます。 傷ついたと思うと、なぜかそれを口にしたくなることがあります。 口に出して自分の正しさを主張し、傷つけた相手を責めたいのかもしれません。 自分が責められたと思っているけれど、 そう言ったり思ったりすることで実は相手を攻撃しているのでしょうね(反撃です!)。 また、誰かに聞かれたら、そう答えることによって自分を守りたいというのもあるかもしれません。 自分は悪くない、傷つけた相手が悪い。 悪くないどころか正しかったし偉かった。 そう表明して周囲からもかばってもらい、守ってもらいたいから傷ついたと言うのかな。 傷ついたと思った時、 何を自分は守りたいんだ?と聞いてみよう。 トロイカのピロシキ

なぜ聞きたいのか?

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3月は、お別れの月でもあります。 こうして会うのも今日で最後かあと思うと、 今までたくさんその方からしてもらったこと、楽しかった思い出が浮かび、 感謝の気持ちを伝えて笑顔でお別れしたいなと思いました。 それと同時に、これだけは言いたい、聞きたいと思ったこともあり、 ずばり話してみたことがありました。 ある行動(ちょっと内容は書けませんが)をどうしてするのか?という質問に、 その人は、私からそんなことを言われたこと自体に驚き、 自分がしていることの自覚がまったくなかったことがわかりました。 ご本人からすると、何のこと?っていう話だったのです。 意外な反応というより、心のどこかで自分もそうかもしれないとわかっていたと思いました。 わかっていたけれど、そうあってほしくないと自分は(パターンは)思っていたんです。 そう、自分のパターンの問題だった。 でも、パターンの問題であっても、それはいつも一瞬のことで・・・ 日常生活を送るに支障はない。 そうやって、後回しにしてきたんだと気づきました。 今、お別れしないですんでいる人にも、 まあ、今聞かなくてもいいか~ ということがたくさんあると思います。 中には本当にどうでもいいことだったりもしますが、 大事なことは、自分がなぜそれを聞きたいのか?というところです。 本当はそこが気になって、引っかかっているのに目を向けられませんでした。 ~するべきだ、普通は~するはず、っていうパターンがあったのです。 理由を聞いて、なるほどなあって思いましたが、 それで終わらせたら、パターンとしてもがっかりすると思います。 その人に出会ったからこそわかったこと。 置き土産のようなパターン・・・語りかけしていこうと思います。 岩手の地酒 揃っています(しまか)!

パターンの代わり

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昨日の講座では、先輩の方々に囲まれてちょっと緊張しました。 年齢とか関係ないと思っていても、 やはりいろいろな人生経験をされている方々へ、 自分の話はどんなふうに聞こえたのだろうって思いました。 話の理解というより、何となくの感じで大きな枠をつかむ方は多いような気がします。 (ってまだ数回しかやってなくて言うのもなんだが) 自分がもっと相手の方に合わせた話し方ができればいいのですが、 なかなかそこは自分でももどかしいくらいアドリブが効かず、 人前で話すという経験が本当に乏しいなあと感じます。 だからこそやっていくのだ。 心のからくりには、パターンという言葉が登場します。 自分もかつては、このパターンという呼び方が、 何だか慣れない感じがあったことを思い出しました。 ここであらためて、パターンを説明しますと・・・ パターンとは、 考え方や捉え方の癖、こだわりや決めつけ、思いこみ、信じてやまないこと、 価値観、常識、世間体、エゴといった、頑なに変わらないものを言い、 誰の心の中にも存在しています(あっていいもの)。 それは、小さい頃に両親や身近な大人から言われて続けたこと、見聞きしたこと、 育った環境や教育、学校の先生、学校の友達、職場の人、 SNSやテレビの情報からもいろいろなものを自分自身へ刷り込み、 その絶対的なパターンによって人は、苦しい感情に飲みこまれていくのです。 でも、なぜ『パターン』と呼ぶのか? 自分も、なんで?って思ったことがありました。 他の言葉はなかったのかなあと。 例えば、モノサシ(物差し)。 自分のモノサシで考えている、とよく言います。 自分も他人も、自分のモノサシでしか見れなくなって、まさに決めつけやこだわりで自分基準であることに気づきません。 すべてを偏見で見ていることで言えば、『色めがね』なんて表現もあるのかも。 そういえば、『バイアス』という言葉で理解した若い方もいました。 誰かにとってはこっちの方がわかりやすい、という言葉があるのかもしれません。 自分はやはり、長年使っているパターンという表現がしっくりきます。 思考パターン、行動パターン、決めつけるパターン、繰り返されるパターン・・・ 若い人たちの話し言葉を聞いて、 聞き慣れない単語、その音の響きから、全然頭に入ってこないことがあるように、 年代によっても、また感覚的な違いからも、

そういう自分とは

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そういう自分でなければ、生きて来れなかった。 という言葉を聞くと、 自分のしてきたことを本当は悔やみながらも、 それ以外の選択は当時はなかったんだと、 『そういう自分』を肯定したい気持ちがその言葉から感じられます。 あのときはそれが正しいと思ってやっていた・・・ と自分を振り返っても、思います。 後になって、明らかに本音は違っていたとわかるのですが、 本音など関係なかったのです。 だって、他人からどう思われているかが大事だったのですから。 でも・・・これからもそうしたいのか? と問えば、そこは違います。 自分の本音は以前よりはずっと自分がわかってきている。 そこをいつも明らかにすることができれば、 もしかしたらどんな選択であっても、どうにかやっていけると今は思うようになりました。 『そういう自分』を肯定したいというのは、 他の自分がいることを認めたくない・・・と思っているからかもしれません。 パターンと共にしがみついて生きてきた、そんな自分は受け容れがたいので、 パターンとかそういうことじゃなくて~って、 時代がそうだったからとか、環境がそうさせたとか、体がこうだったからとか、 あの人が、この人が・・・というように、 やはりパターンはパターンを守ることに必死なんだなあと思います。 すべての気持ちをわかっているのは本当の「私」だけです。 だからこそ、誰よりも『そういう自分』の気持ちを理解してあげられるし、 声をかけ、労わって、励まして、守ってあげられます。 だから、怖がらずに自分を受け容れていこう。 ところで、本当の「私」が選ぶものはすべていい感覚のものとは限らない。 と師匠から教えられました。 「私」が選ぶのは、いいものに決まっているというのは、 それは陰陽の意味をはき違えていたようで・・・ どちらもあっていいように(というか、無くてはならない)、 陰と陽をぐるぐるとまわって動いて、 そうやっててバランスをとりながら、その時の最良の選択をしていくようです。 いい感じのものを選ぶ。その感覚はとても大事ですが、 そうではないもの中から見えたり気づいたりすることは多く、 だから、時にはいい感覚ではないものを選ぶことも「私」はするのですね。 やっぱすごいなあ「私」って。 先日の、 使っていきたい資質の話 ですが、 今、テーマにしている、 (謙虚さを持って)心をひらく。 これ

伝わったかどうか

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伝わったかどうかが気になる時は、 相手のことを思っているようでいて、自分のことを考えています。 相手にとって大事なことならば心配することもありますが、 よくよく観察してみると、 伝わってほしい → 理解してほしい → 自分をわかってほしい。 の構図だったりします。 自分の話すことが伝わってほしい。 なぜならば、 伝わらないと自分が悪い、自分の話し方がだめだから、自分が否定されているから・・・ とパターンは思っているんですね。 内容そのものがいまいちとか、 興味がわかない話だったということもあるかもしれません。 それであれば、逆にあきらめがつくような気がします。 あきらめきれない、気になる~、なんで伝わらないの~っていうときは、 パターンが納得していません。 問題は、伝わったかどうかが、 内容をわかったかどうかではなく、 自分自身をわかってもらえたのかどうか? で考えてしまっていることです。 これ、本当に飛躍した受け取り方だと思いますが、 自分はやってしまうのです。 それくらい、 自分がしたことに対していちいち他人からどう思われているのかを、 気にしているんです(←パターンは気にする)。 だから、ネガティブな感情がわけば、 伝わらなかったんだと思うだけではなく、 自分をわかってもらえなかったんだと思い、 がっかり感と無力感、また悲しさ虚しさを感じます。 自分じゃなければちゃんと伝わったかもしれないと思い、考え、悩みます。 そんなパターンがいても、 やはり「私」はここからどうありたいのかを決めていくしかありません。 今ここから、もう一度伝えることを見直し、 そしてパターンへの語りかけをしながら、 自分をわかってもらいたいとか、 自分を受け容れてもらいたいというのはやめると決める。 自分はのびのびと楽しく伝えられればそれでいい!を選んでいこう。 この清々しさ、軽さをもって・・・ 来週日曜日は、 こころのケア【はじめて講座】 です。 自分の、なんかこれっていいかも!楽しいかも!をお伝えしていこうと思います。 心を込めて、こころのからくりをお話しさせていただきます。 ご参加お待ちしておりまーす。 ビルのPから 岩手山

どの資質を使うか?

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クラスの勉強会で、自分が普段よく使っている資質ではなく、 これから使っていきたいと思う資質を考えることをやりました。 備わっている資質ってすごくたくさんあるのですが、 それら全部使っているのかといえば全然そうではないらしい。 モノで例えると、 使い勝手がいいモノは、ボロボロになってもなじんでいるがゆえに使い続ける。 っていうことに似ています。 新製品には今までとは違う使い方があったりして、 そういう便利さや豊かさも知ることがないまま、一生を終える・・・みたいな感じ? 生まれつきの性格や気質、能力的なものがあると思いますが、 それ以上に、誰にでも元から備わっている幸せに生きるための才能が資質です。 優しさ、慈悲、素直さ、たくましさ、正直、親切、判断力、行動力、洞察力、集中力、サポート力、リーダーシップ、積極性、意志力、健康、美、ユーモア、自然、自由、純粋さ、落ち着き、無邪気さ、達観力、生命力、受容、許し、愛、等々・・・(まだまだある) 本当の「私」というのは、 これらたくさんの素晴らしい資質で構成されています。 宇宙の法則に沿って、 わたしたちがすべてのものと調和していくために、 何一つ欠けることのない全知全能である普遍的な意識の「私」。 でも、それを知らないまま、 自分にそんな可能性あるのかな?と疑っていれば、 その思いの通り、「私」ってまだまだ小さな存在でしかありません。 本来はたくさんの素晴らしい資質があるにもかかわらず、 自分が使っているものはと言えば、ほんの一部でワンパターンなものが多かったりします。 そこで、これから、自分のあり方を問うときに、 この今まであまり意識的に使ってこなかったものにも、光をあてたいと思いました。 まずは、『謙虚さ』を持って、『心を開く』。 ここに自分は光をあてたい! 自分と違う意見の人や、違う価値観をもった人、正しさを主張する人、 断定的な言い方をする人や、自信満々の人に対して、 要は自分が苦手だと感じるタイプの人にも、すっとそれを『受け容れる』『謙虚さ』と、 『素直』に『心を開いていく』自分でありたいと思いました。 また、心を開くには、 相手への『誠実さ』と自分自身の『柔軟さ』も必要かもしれません。 そして保身に走ってはいないかどうか? と自分を確認しながら進んでいきたいです。 今の自分にとっての謙虚さとは、 控える、ゆずる、負

その手にのらないように

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あるパターンに引っかかったとき、 お、今、モヤモヤしているな・・・と、 完全にパターンが顔を出していて、今まさに大きく勢いづきそうな感じがありました。 このパターンは、時々登場するので、 察知するタイミングも素早く、「モヤモヤ」の前にすでに「小モヤモヤ」があり、 それらを観察しはじめる「私」がいます。 でも、そこでどんなにパターンが騒ごうとも、 その手には乗らない、その流れには乗っからない。 ということを「私」が選んでみます。 強い気持ちでのぞむと、ちょっとモヤモヤが一旦静止するような感じがありました。 そして、パターンが引っ込んでいったようにも思いました。 現実には何が起きていたかというと、 パターンのまま、その流れのままでいけば、 自分はきっと相手に苛立ちをぶつけていたと思います(ちょっと嫌な感じで言ってしまうとか)。 でも、そういう自分ではもういたくない。 だから、「私」はそれは選ばない、選ばない、その手には乗らない、乗らない・・・ というように念じて(心の中でつぶやいて)ちょっと黙ることをしました。 黙ったことで、少しだけ自分自身が落ち着き(←パターンが落ち着いたのだと思う)、 その後は、モヤモヤが静まり、 言いたいことをゆっくりと感情的にならずに言えたように思います。 この、一瞬の選択は、一瞬であるけれど、その後もずーっと影響します。 不快感、違和感、嫌悪感には思う以上に引っ張られてしまう・・・ っていう経験は何度もしてきてます。 また、自分がそういう行動を選ぶことにあまりに慣れすぎている。 反射的にパターンに引っかかったとしても、 何を自分は選びたいのか? どうありたいのか? そこに注視して、いつもとは違う行動をとり流れを変えていくと、 こっちの道だよ〜って開けていくような感じがありました。 パターンよりも、本当の「私」のパワーを感じた出来事でした。 白ってステキ~

鮮度が大事

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パターンが騒いで苦しいとき、パターンへ語りかけをします。 でも、すぐにできる状況ではなかったりするので、 家に帰ってからじっくりやろうって思います。 で、帰ったら帰ったでいろいろやることがあって、 寝る前にしようと思っていたら、眠くなり・・・明日にしよう・・・ と先延ばしになることがあります。 時間が経てば経つほど、 一番はじめに感じたものが薄れ、 パターンが何を言いたかったのかが、わからなくなってしまうことがあります。 どんどんいろいろな感情もわいてきて、 怖い、不安といった感情に語ろうと思っていたのが、 いろいろ考えているうちに、いや、怖いというより腹が立ったんだとか、 待てよ、ちょっと寂しさもあったなとか、 一番はじめに感じたものからずれにずれ。 一体どのパターンへ語りかけをしたらいいんだー!と迷うことがあります。 せっかく、自分を知るチャンスだったのに、パターンを見つけられそうだったのに。 もうわけがわからない・・・ということがありました。 だから、語りかけはできるだけ感情が騒いだら、時間を置かないうちにしたい。 はじめに感じたものをしっかり覚えておいて、 なぜ、そう思うの?と問いかけ、 日本語的におかしくてもいいから、 まずは思いのたけを話す(←パターンが言いたいことを吐き出す)。 この鮮度がとても大事だと思いました。 また、語りかける内容が、 ちゃんとパターンの気持ちを代弁しているかどうかも大事ですので、 すっきりとシンプルに伝わる言葉を選びます。 でも、はじめはとにかくありのままの自分で吐き出す。 他人が聞いたらどん引きするような言葉(笑)、 ドストレートで話すのだ。 あれこれよく考え抜いたものよりも、 はじめに思いついたこのドストレートなものが、一番よかった、しっくりきたということはよくあります。 頭で考えれば考えるほど、本題からはどんどん離れていくものかもしれません。 パターンに響く語りかけは、 時間を置きすぎない。 鮮度を大事にしようと思います。 のれんをくぐると、そば処

気にするパターン

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自分の心の中にあるパターンで、よく登場するものに、 ●あんなふうに言われたくない というのがあります。 相手の反応や、言われたことに、 もう~~~納得いかない、傷ついた、許せない!と、 泣いたり怒ったりしているパターンがいます。 そう思うのにはまた理由があり、 もっと大事にされたかった、尊重されたかったとパターンは思っていて、 これってそうされるに値する自分だと思っているから。 だって、相手を不快にさせたつもりはないし、 逆によく思われるようにこれまでやってきたのだし。 すごくいい人とは言えないかもしれないけれど、 あんなことを言われるほど、自分は悪くはないでしょうってパターンは思うんです。 それくらい、 相手の反応が思うようなものでないと、 パターンは受け容れられないのですね(パターンって、ほんとに許容範囲が狭い!)。 あんなふうに言われた・・・ということに抵抗しつつも、 そんなふうな人間なのかな自分は? とちょっと揺れているところもあるのかもしれません。 他人をいつも気にしているのは、いつでも「私」ではなく、パターンです。 とろろそばって美味しい

愛と希望を運ぶ「私」

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昨日は、 こころのケア【はじめて講座】 でした。 はじめて聞く話、はじめて会うカウンセラー、 はじめて自分のことを何もわかっていなかったかも・・・と感じる。 いろいろなはじめてを体験する機会として、 また、そこから心のからくりを知って、 自分を知ることに興味をもっていただけたらいいなあと思っています。 猛吹雪の中(私はすごい地吹雪に遭いました!)ご参加下さり、 本当にありがとうございました。 ーーーーーーーーーー インナーチャイルドという言葉。 ふいに出てくる子どもの頃の自分がいます。 小さい頃、とても寂しくて悲しくて、孤独でつらかった、傷ついた、怖かった、 そういう体験が誰にでもあると思います。 大人になってからもずーっとそのときのまま、 一人ぼっちでいる子どもが心の中に存在し、助けてくれるのを待っています。 その子どもに、今大人になった自分が駆けつけて何か話してあげたい・・・ そう思うけれど、その子はもしかしたら、口を閉ざし、耳を閉ざし、 大人になった私にも背を背けるかもしれません。 怖くてずーっと震えているかもしれません。 一人ぼっちで小さくうずくまって泣いている・・・ そんな思いをしてきた自分だからこそ、そうする子どもの気持ちがわかります。 小さい頃の昔の自分に、声をかけたり、そばに居てあげたり、 時には一緒に遊んであげるというのは、 たしかに現実にはできないことですが、意識はそこに向けることができます。 「怖かったよね、さみしかったよね。大丈夫だよ、ここにいるからね」 子どもは、とても弱い存在だけれど、 無邪気さ、素直さ、単純さ、明るさ、好奇心、ユーモア、 そして希望と共に前へ進もうとするエネルギーがあります。 もう十分そばに居てくれた、わかってくれた、遊んでくれたと感じると、 自分で立って歩こうとしていきます(結構あっさりと)。 そうなるまで、何度でも根気よく、 愛と希望をもった「私」が接してあげたい。 インナーチャイルドは小さな子どもとも限らず、 大人になってからの自分にもいえることです(もうチャイルドとは言えない年齢)。 そうやって、遥か昔に、 寂しがっている、つらくて孤独でずーっと下を向いている自分を感じたら、 すぐにそばに行って守ってあげたいと思います。 地吹雪の後の、静けさ

成功している人

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ここ数日、新たに発見したパターンをケアしています。 人は見た目ではないし、肩書でもないし、お金があるかどうかでもない。 ・・・ということは百も承知なはずなんですが、 完全にそうは思っていないため、 パターンは正直なので、そういう人が現れると反応してしまいます。 特に成功していると思われる人。 ここに自分のパターンは敏感になるときがあります。 自信に満ちあふれ、自分の好きなことをし、会社を興し、何かを成し遂げ、 人脈もあり、たくさんの人から好かれ、いつも笑顔で前向きな言葉を多く使い、 素敵な洋服を着て、素敵な家に住んでいて、高そうな車に乗り、 すごい個性的で魅力がある人・・・ といった一般的に見た成功している人に反応するパターンがあります。 パターンは、いいなあ~、楽しいだろうな~、幸せそうだなあ~ 自分のような凡人にはない世界を見ているんだろうな~ と自分と相手を比較し、 途端に、全てに劣っている自分という極端な見方をしはじめます。 そして、ひがみ、うらやましがり、 自分をみじめに思い、相手を怖いと感じるのです。 一瞬、そんなパターンは自分にはないと思いたいパターンもあります。 そんな低レベルの自分ではないと思いたいのです。 もっと深いところを見れる自分なはずだと・・・。 でもパターンの反応は、隠せるものではありません。 感情がわくのですから・・・ でも裸になりきれない自分は、 オブラートに包んだような語りかけを作ってしまいました。 いくら語られても、パターンも全然理解された感じがしないし、 「私」からの愛をいまいち感じられない。 ただ、それらしい言葉(パターンが言いそうなこと)が並んでいるだけで、 どこかすっきりしない語りかけとなってしまっていました。 語りかけに遠慮はいらない。 もっとバカ正直に、直球で、えぐい言葉を使った方が響く。 師匠に作ってもらった語りかけの文章は、 本当にパターンが思っていること全て気持ちいいくらいに代弁していました。 自分に正直になるとか、素直になるとかいうのは、 もっと直球でど真ん中でパターンに語りかけるということでもあるのですね。 そもそも、そうじゃないとパターンに失礼です! 成功している人。 その捉え方も自分のパターンです。 成功って何だ? 一つの状態、区切り、失敗と思わないこと、 行動したこと、勇気をだしたこと、瞬間的なもの、定