みんな若い頃があった
父の百箇日法要と納骨が無事に終わりました。 それにしても私は、親戚に対してものすごい思いこみがあったんだと、 この年齢になるまで気がつかなかったことに、 ちょっと衝撃です・・・ 自分が思ってきたものって(あまりよくない捉え方)、 一体何だったんでしょう。 今になってわかるものって、 あまりにも遅いというか・・・ それでも、自分が生きている間に気づけてほんとに良かった。 今日の法要で、今まで抱いていた親戚へのイメージが崩壊し(そう、ガラッと変わった)、 大家族の中で育った父がいたこと(12人兄妹なんです)、 お互いに迷惑をかけたりかけられたりしながら、支え合いながら、 おもしろおかしくたくましく生きてきたんだなあと、 それを本当にしみじみと思いました。 自分の知らない父の若い頃の話は、 (それを話す、いとこたちももう70過ぎてる) あまりにもぶっ飛んでいて、もう爆笑。 中学か高校生かのまだ子どもの甥っ子たちに、 任侠(やくざ)映画を見せにいったり、自分の推しの政治家の演説会に連れていったり、 普段おだやか~で優しい父とのギャップが、当時理解不能だった話。 それだけ可愛がってくれたし、男気がある人だったと。 私はなんとなくそういう父の行動がわかる気がして、 男気もそうだけど、いいと思ったらみんなにいいと言い、突っ走っていくところが、 あ、自分も似ているな・・・って思った。 みんなやんちゃな子どもだった頃があり、 さみしく泣いていた子どもだった頃があり、 そして、自由で自分らしくいた頃があったのだと思います。 父は、そういう自分らしさを最後の最後まで忘れなかった人でした。 そして母にも。 子どもの頃があって、若い頃があって、 父と出会い家庭を築いて、いろんな苦労があって私たちを育ててくれた。 がんばって生きてきた、それだけでもう充分。 母の兄妹や親戚にも、みんなにありがとうって思ったのでした。 今抱く感謝の気持ちを、もっと自分が若い頃に持てていたら・・・ なんかとても悔しい。 でも、今の自分でなければこんな風に感じられなかったと思う。 ご先祖のみな様に会う日まで、 楽しく自分らしく生き切ったことを話せるようでありたいです。 そして、今度親戚の子たちに会ったら、 父がしたように?自分がいいと思うことをしてあげたい。 冠婚葬祭って、そういうつながりを思い出すためのものなんです