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9月, 2021の投稿を表示しています

縄文人のように

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昨夜、冷蔵庫が突然壊れました! かれこれ23年。我が家の食生活を支えてくれた冷蔵庫と急なお別れ。 夜のうちに、娘に冷凍室のものと冷蔵必須の生鮮食品を持っていってもらい(娘、大喜び)、 野菜と調味料を残し、ほぼガラ空きとなって、もはや冷蔵庫ではなく物入れとなっております。 今日は、仕事から帰る途中、無性に喉が渇いたのですが、 そうだった~冷えた飲み物がうちにはないんだ!・・・と気づき、 自販機で、すぐに飲む分だけを買って帰りました。 夕飯はどうしようかと思い(肉も魚も渡してしまった)、 インスタントラーメンに野菜を入れて食べました。 それだけでは足りないので、枝豆とトウモロコシも茹でました。 食後にまた何か飲みたくなったけれど、冷たいものは買いに行かないとないので、 ノンカフェコーヒーをいれて飲みました。 こうやって、今食べるもの、今飲むものだけを口にするって何かとても原始的でいいですね。 日曜日まで冷蔵庫を買いに行けないので、 今週はこんなふうに家にあるものを食べつくそうと思います。 朝はご飯と味噌汁と卵焼きがあれば充分ですし、 お昼も、このところずっと、おにぎりと味噌汁を持って行っていたので、特に困ることもない。 夕飯はまだ麺類もあるし、根菜でスープも温野菜も作れるし・・・で、やはり困ることはなさそう。 運良く季節的にも、暑くもなく寒くもなく、で良かった。 ちょうど先日行ったばかりの、 御所野遺跡の縄文文化 を思い出すかのように、 大昔の冷蔵庫のない暮らしはどんなだったのだろうかと想像。 食べ物は腐る、ということをあらためて実感し、 あたりまえに何でもかんでも冷やせていたことに何の感謝もなく生きてきました。 縄文時代の人から見たら、冷やせる箱があるって本当にびっくりですよね。 数日間は、その都度食べるものだけを手にいれて調理するか、 また保存のきくものを選びながら、最小限でまかなえるのかもしれません。 飲みものも、自然と、常温または温めて飲むものを飲むようになりますね。 こうしてみると、なんて、体が喜ぶものばかりなのでしょう。 (痩せれるかもしれない・・・) ものすごく不便な生活かと思いきや、まったく大丈夫そうな気がします。 縄文人のように?冷蔵庫無しの生活にかなりわくわくしています。

自分を守る

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職場での人間関係にとても悩み、毎日のように傷ついていたことがありました(トイレで泣いていた)。 自分だけに向けられる強い口調、無言の圧力、無理難題を強いられる。 それなのに、はっきりと、 「自分はいじめられている」とは誰にも言えませんでした。 いじめられるというのは、あくまで自分側が受けとる感覚であって、 他人からみればそうは見えなかったり、 当の本人もそんなつもりはなかった(傷つけているとは思っていない)かもしれない、 そう思いたかったのだと思います。 そこを認めてしまうと、 自分はいじめられ、排除されるに値する価値のない人間、みじめでダメな人間なんだと。 仕事ができない人、人間関係が築けない人、かわいそうな人になるのがとても怖かったのです。 つまり、いじめられるというのは(自分がいじめられることに関しては)、 相手が悪いのではなく、自分が悪いからと思っていたのです。 そんなとき、もうこれ以上耐えられない、 という出来事が起こりカウンセリングを受けました。 そのとき言われたことを、今もはっきりと覚えています。 相手に矢を放ちなさい(相手に牙を向けなさい)。 自分を守るためにしなさい。 こんなことを考えたこともなかったので驚きました。 相手を攻撃するなど、そんなことをしたら負けを認めてしまうことではないか、と思う気持ちと、 それができたらどんなにスカッとするだろうか、と思う気持ちとが葛藤しました。 負けを認める、というのは、 意地悪する人なんかに負けてたまるか!ということよりも、 ぼろぼろになっている自分を絶対に見せたくなかった、こっちの理由だったと思います。 こんなに傷ついている、弱っている自分を見せることで、 さらに嫌な言葉、傷つく言葉を投げかけられるのではないか、という恐怖がありました。 でも、その恐怖心というものは、 自分がそこに立ち向かえない、そんなことができるわけがない、 という誰よりも自分自身をさげすむものがあったように思います。 そのときの自分は、矢を放つことはできませんでしたが、 「自分を守る」ってどういうことだろうと毎日考えるようになりました。 今の自分がかろうじてできることは、 反応をしないという抵抗でした(ここに至るには、パターンへの語りかけがもちろんあるのだが・・・)。 無防備だった自分に、今度は分厚い盾をかざすようになったのです。 そうや

視野が広がる

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旅の最終日は、7月に世界文化遺産登録になったばかりの 御所野遺跡 に行ってきました。 初めてここに来たとき、 本当にタイムスリップってこのことかと思うほど、 縄文時代に遠い遠い祖先たちが暮らしていたことを思い、胸が高鳴りました。 そして、ああ、この場所いいなあって思ったのです。 今回は、それもあったけれど、ちょっと違う感動がありました。 以前、道場で教わった「時空を超える」というワークがあります。 もしも自分が○○時代に生きていて、現代にワープしてしまったとしたら一体何が見える? というものなのですが(すごいざっくり言えば)、 その逆バージョンで、 自分が生きてきた時代をさかのぼり、 縄文時代という元いた場所へ帰って行けたとしたら・・・と想像。 風が吹き、木々がざわめく音。 風がやみ、肌に感じる暖かな空気。 土間からただよう、火のにおい。 木の実が落ちる音。 鳥たちの鳴く声。 今からおよそ5000年前、人々が暮らしていたといわれる集落。 目を閉じ、耳を澄ますと、 縄文時代に生きていた人たちが感じたものと同じものを、 現代に生きている自分も同じ場所で一緒に感じられたような気がしました。 時空を超えて、いつでもその時代に行ける。 だからこそ、見たこともないものを見たり、住んだことのない場所へ行ったりしても、 どこかに懐かしさや親しみ、そのときの驚きやせつなさ、生きる大変さ、 また喜びや楽しい気持ちまでも感じられるのでしょうね。 ときに縄文の時代、ときに現代、ときに江戸、ときに戦国、ときに・・・ その時代での経験と、いろいろな感情を呼び起こすことができたとしたら、 今の時代だからしょうがない、という時代のせいにする生き方は変わってくるのかもしれません。 いろんな時代を生きた祖先の生き様を想像すれば、 わたしたちはきっと、どんな時代になっても進化していけるのだ。 今回、自分の住む岩手の歴史に触れられたこと、 山に魅せられたことが本当に良かったです。 特に、山の展望台から見える景色は、普段人が見ている現実とは違うということを感じました。 山の視点になると、山と山は意外と近いということ、 町と町にはちょうどいい距離があるということ、 家と家が、人と人のように見えた、ということ。 すべてが生きもののように、すべてが調和し合って存在しているように見えました。 地上からずっと高いとこ

旅のつづき

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やはり家のお布団はぐっすり眠れます。 今朝は目覚めもよく、お天気もよく、県北に向かって車を走らせました。 高台の見晴らしのよい場所を見つけ、朝ラーメンを作って食べました。 ラーメンには半熟卵と焼き海苔を入れて。 山で食べるとどうしてこんなにうまいのでしょう。 食事って本当に五感で食べてこそ美味しくいただけるんですね。 いわて銀河鉄道線の奥中山高原駅というところに寄りました。 ここは、マロンという犬の駅長さんで有名になった小さな駅。 今はもうマロンはいませんが、 駅のまわりには丹精込めて育てた色とりどりの花が咲き、 冬にはかわいい雪だるまのイルミネーションが点灯し、 マロンがいた時のように、いつ来てもほっこりする駅なのです。 一年の半分以上はストーブがかかせない地域とあって、 待合室の真ん中にはしっかり石油ストーブが鎮座しておりました。 わたしは車であちこち行くわりには、駅を見るのが結構好きかもしれません。 待合室やホーム、歩道橋、改札口、駅前広場など、 駅が近くにあるとつい立ち寄りたくなってしまいます。 改札口から出てくる人を見ては、何の用事で、どこから帰ってきて、 今日はどんな一日だったのかなあ、なんていろいろ想像してしまうのも好き?なんだと思います。 その後はさらに北上し、 岩手県の最北、種市(たねいち)の海を目指します。 久しぶりの海は波が高く荒々しく、近づくのが少し怖いほどでした(サーファーがいた!)。 そして、海と言えば・・・海鮮が食べたい。 お昼はここまできたら肉ではないでしょう〜 ということで海鮮丼をたらふく食べ、大満足でした。 そして、地元のスーパー巡り(できるだけ小さい店がよい)も楽しいです。 ここでしか手に入らないような魚や野菜、手作り惣菜やおやつから、その土地の食生活が見えたりします。 今日の最後の目的地は、車中泊先の折爪岳でした。 オートキャンプ場ということで、ちょっと敷居が高いかなと思ったけれど、 無料の文字を見て行ってみることにしました。 がしかし、門が閉まっていて中には入れず・・・ オートキャンプ場って予約が必要だったんですね。 いつも行きあたりばったりをやっている自分。 そもそも予約のいる場所に泊まるということがなかったので、勉強になりました(軽くショックを受ける)。 仕方ないので、展望台にだけは行ってみようと上がってみることにしまし

秋旅の途中

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黄金色の稲穂が美しい季節になりました。 のどかな田園風景を見ながら、昨日は室根山(むろねさん)まで行ってきました。 標高895mとあまり高くはない山ですが、 天気がとても良かったので、展望台からは気仙沼港や大島まで見渡せました。 この山にはちょっと憧れがあり・・・パラグライダーができる数少ない山なのです。 この日も結構高くまで飛んでいるライダーたちがいて、本当に気持ちよさそうでした。 ふもとに車中泊をして、 今朝はまた展望台まで上がり(超寒い)、遠くに見える雲海を見ることができました。 ナイアガラの滝のように、風に流された厚い綿のような雲の帯がその下にある町を覆い、 全部のみ込まれてしまったかのような別世界。 神秘の世界でした。 午後からは、 岩手県民ならば子どものころほぼ修学旅行で行ったことがある、と思われる、 世界遺産でもある 中尊寺、金色堂、 そして 毛越寺 へ行きました。 わたしも例外なく、6年生で行ったと思うのですが、ほとんど記憶がなく・・・ 今回、夫も同じく何も覚えていないということで、 あらためて藤原氏三代の歴史を紐解きながら、広い境内を歩きました。 金色堂の装飾を食い入るように見つめ、 極楽浄土を表したと言われる庭園を歩き、ここだけ時がゆっくり流れるようでした。 源義経は、本当にこの地で最期を遂げたのか・・・などなど、 今までしたことのないような夫婦の会話ができたことが、何かとてもうれしく、 特別な場所として刻まれたような気がします。 しかしながら、平泉を堪能するということはかなり歩くことになりますね(くたくた)。 とても遠くへ行ってきたような心地よい旅の疲れを感じました。 「海もいいけど、山もすごくいいね」と山の魅力を今回は再発見。 林の中を歩いていると、もう~森林浴そのもの。 マスクを外し、めいっぱい大地が与えてくれる新鮮な空気を吸い込み、 心も魂も洗い流してくれるような、たくさんの光を浴びながら、 本当に自分って、自然のほんのほんの一部。 小さな存在だけど、ちゃんと生かされていただいているんだなあと思いました。 今晩は一旦自宅へもどり(クール便が届くことになっていた!)、 明日の朝、また旅の続きを再開したいと思います。 今年もお米は豊作だといいなあ。

らせんを歩く

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魂の道場 仲間である、中條洋子さんのHP(ブログ)をご紹介します。 師匠である洋子先生を「ようこさん」と呼んでいるので、 わたしは中條さんを「よーこちゃん」と呼んでいます。 らせんの学び ~飽くなき魂の挑戦~ このタイトルが目に飛び込んできたとき、胸にビビビッときました。 今自分たちが学んでいるものに対して、こんなにもぴったりとくる表現は他にない!と思ったからです。 そうです、まさに螺旋(らせん)を歩くように進んでいるのだと、 感動しました(興奮した~)。 後退しているかのように見えても、 同じところをぐるぐる回っているかのように見えても、 確実にらせんの上を一歩一歩進んでいる・・・それが人生だ、と。 よーこちゃんと出会ったときのことを今もよく覚えているのですが、 きゃしゃで可愛らしい見た目とは裏腹に、 はっきりと自分の考えを言える、真っ直ぐな人なんだなあと思いました。 もしも、よーこちゃんが同級生だったとしたら、 「優等生」または「生徒会執行部」というイメージだったかもしれません。 何事にも真面目に向き合い、努力家で、みんなのお手本で、 宿題をやってこないなんて、ノートをとっていないなんてありえない・・・ それが一般的な「優等生」のイメージだとしたら、これとはまたちょっと違っています。 なんというか、真面目ではあってももっとはちゃめちゃで、熱血で、突進しては派手に転ぶような、 そういう人間ぽいおもしろさと明るさ、親しみやすさを感じられる方なのです。 完璧ではない、そうじゃない部分を「こう思っていたんだよね、自分」って開示する。 ここの真っ直ぐさ、ごまかしのない感じが人を惹きつける力なのだなあと思います。 ごまかしがないというのは、平気なふりをしてきた自分にとってとても革新的でした。 どうして、あんなふうに、間違っていたこと、自分の不甲斐なさを人前でためらわずに言えるのだろう。 勉強会でのよーこちゃんを見て、自分もまずはここで、平気なふりをするのはやめよう。 もっと、思ったことをストレートに言ってみよう、と思うようになったのです。 また、とても情が厚く、義理堅い人でもあると思っています。 自分がお世話になっている人、過去に自分を助けてくれた人、自分がしてもらったことを忘れず、 心のどこかにいつも人を大事に思い続けているように感じます。 理性的な面と、愛情深い面が同居

違反きっぷ

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過去の失敗について思い出したくない、人に知られたくないほど恥ずかしいものがあります。 しかも、それらが本当に山ほどある自分です。 先日も、恥ずかしいというのもそうですが、悔しい、情けない、大馬鹿者と思う大ミスがありました。 車を運転していた自分の目の先には、警察官がたまたま二人立って話をしているなあって思ったのですが、 その警察官の目の前にあった『止まれ』で一時停止をせずに、ブーンと車を走らせてしまったのです。 「今、何をしたかわかっていますか?」 と駆けよられて、 聞かれた相手が相手だったので、交通違反をしたんだな自分は・・・とすぐにわかりました。 目の前が真っ暗になり、それはそれはショックの何者でもない。 はあ、何やってるんだ自分・・・ 警察官は威嚇するわけでも怒鳴るわけでもなかったけれど、 たんたんといかに危ない行為をしたかを説明。 また、今回の罰金を払わないとどうなるか、減点はこうで、免停はこうで、ゴールド免許はブルーになって・・・ などなど、いろいろな話があったけれど、心臓がバクバクでほとんど頭に入りませんでした。 しかし、こんなときも、 とっさに自分のことを観察していました。 こんな状況で、自分はどうやって白を選ぶのか。 それ以前にパターンは何? こんな状況に、パターンとかあるの?違反は違反。 すると、もう本当に驚いたのですが、 な、な、なんと、 ●自分は間違っていない、というパターンがぬ~っと顔を出しているではありませんか。 そして、さっきの場所に標識が本当にあった?と疑い、 道を戻って確認しに行ったのです(もちろん、あった)。 そして、確認がとれた後も、 でも、減速して自分はほぼ止まっていたんじゃないか、歩行者や車も来ないことは確認していたよなあ・・・ などと、この場に及んでもなお、自分のしたことをどこか一ヶ所でも正当化したかったのか考え続けました。 夫にその話をすると、あきれ顔を通り越して、軽蔑のまなざしと共にものすごいカミナリが落ちました。 車を毎日運転する自分は、この体験で、本当にあらためて目が覚めたような思いです。 どんな状況であれ、自分が本当に間違っていたんだろうかとか、 相手が間違っているのではないかとか、 できる限り、自分の非を認めたくない、最小限にしたい、と思うパターンがいるんだなと思いました。 その逆もしかり・・・ですが。 自分がい

違う星からやってきた

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この人がいるとなんだか安心する・・・ 自分が穏やかでいられる、自然体でいられる、無理しないでいられる、というのは、 自分のパターンが騒がない、フラットな状態ということでもあります。 そういうとき、 その人の動き、表情、話し言葉、態度、しぐさ、やっていることを観察をしてしまいます。 いったいどの部分に自分は良さを感じているのだろうか。 自分との違いは何なんだろうって思う。 人との違いを感じると「比較する」ということをしてしまいます。 比較するときに陥ってしまうのは、 自分がその人よりも優れているのか劣っているのか、と考えてしまうこと。 ただ単純に自分よりもこういう能力があって(整理整頓が上手、料理が得意、運動神経がいいなど)、 こういうものをもっていて(国家資格をもっている、会社を経営している、子どもがいるなど)、 ああこんなに自分と違うものがあるんだという、ただ「知る」ということでよいはず。 なのに、自分よりこれが優れている、これができている、ここがすごい!だから自分はダメだ、 といった、いい悪いの評価が入ってくるというところがやっかいだなあと思います。 ですが、この比較ではないところで、 純粋に違いを知って、 例えていえば、 こちらの心がすーっと広がるような軽くなるようなそういう気持ちにさせられる、という人たちがいます。 それが、今の若い人や、子どもたちです。 人と人、魂と魂の違いを感じるといったらいいでしょうか。 なんだか違う星からやってきた新しい人類・・・という感じ。 自分には見えていないもの、感じられないもの、考えがつかないものがあって、 これは悲しいこと、これはつらいこと、これはがんばるべきこと、これは楽しいこと、 などといった決まり事や、枠がないように思います。 よく、今時の若いもんは~っていつの時代も年配者が若者に向けて言ったりしますが、 若気の至りとか、若さゆえのぶっ飛んだ感じとは違う、そもそも住んでいる世界が違う。 でも、そんな新しい人がいるということが、自分にとってとても嬉しいことです。 関われること自体がとてもありがたくて、いろいろ教われることに感謝なのです。 そして、我が娘にも同じようなことを感じます。 小さい頃からなんかどっか違うというか、変わっているというか、理解に苦しむことがたくさんあったのです。 というのも、わたし自身がそこに順応する

確実に実行に移せるものを

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岩手クラスのセミナーからの2日後、 まだ頭がぱんぱんのままではありましたが、集まれる人たちで集まろうと開いた勉強会も、 各自がセミナーで得たものを言葉に出していくことで、また一つの大きな理解へとつながることができました。 今回の自分の学びでこれまでになく衝撃的だったのは(毎回、そう言っているような気がするが)、 人に関わるパターンのほとんどが、 実は、相手に言えていない・・・という事実でした。 パターンの言い訳を聞いていると、 こう思うのは、自分がおかしい?のかなと思ったし、 言われた方はどう思うんだろうって思ったし、 自分のパターンなんだから、パターンで言ってはいけないって思ったしー、 というように、結局思っていることは山ほどあるのに、「言わない」のです。 じゃあ、言わない、言えない、のはなぜ? 相手を不快にさせてはいけないし、自分が間違っているかもしれないし、 傷つけたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、 仲間外れにされるかもしれない、恨まれるかもしれない・・・ と相手の反応が怖いのです。 そして、相手を不快にさせる、傷つける、といいつつ、 そういう相手を見る自分が深く傷ついてしまうことが怖いのです。 だから、人が関わるパターン(あの人が嫌い、あの人の言い方がいや、あの人が思った通りにしてくれない等々)は、 傷つくことが怖いパターンでもあるため、なかなか白を選べない、 ということがあります。 白に何を持ってくるかで、より白としてしっくりくるのか、 「白選び」は、とても大事になってきます。 今までの自分ならばもうそろそろできそうだな、 という確実に実行へ移せそうなものを選ぶといい。 また、これが今の自分に必要だと感じるものを選ぶ、 ということも今回あらためて教わりました。 〇あの人が嫌いではない、は今はまだまだ実行へ移せないので、 〇あの人の側を離れてみよう 〇あの人に無理に話を合わせることをやめてみよう  というように、遥かかなたに君臨するマスター級の白パターンを選ぶのではなく、 いつかたどりつきたいと思いながらも、 身の丈にあった、明日にでもすぐに実行へと移せるような確実に一歩をふみだせる白パターンを選ぶことが、 とても大事な一歩になるということ。 具体的に状況を変えていけることであれば、より白のすがすがしさを感じられそうです。 それが、今回は、 言いにくい(

家とわたし

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本当に興味があるもの、やりたいことというのは、 自然に体が動くようになっていて、 それは小さい頃から何ら変わらない法則のように思います。 この学びがそうです。 先生がお元気でいてくれるかぎり、 また自分も元気でいられて、その場へ行かれる環境があって続けられるものですが、 何より自分の学びたいという意志が、 そういう現実を作り出していると思うのです(特別、意識はしていないけれど)。 そういう体が勝手に動いたということの一つに、 先日、改築した古家を見に行くということがありました。 築100年越えている家は、以前からなんとなく視界に入っていたお宅で、 周囲がどんなに変化しようともずっとそこにたたずみ、 家にしてみればどんな気持ちで、 明治、大正、昭和、平成、そして令和とその風景を見てきたのでしょうね。 そんなタイムスリップしたかのような、その空間を感じてみたいと思ったのでした。 新しい主人ができて、手がかけられ、人が集まり、風が入り、家とともに生きてきた木々が手入れされ、 それは本当に気持ちよい空間で、家がとても誇らしげに喜んでいるように感じました。 この、「家」という一つの歴史と今ある世界に、自分が重なります。 自分にもそういう歴史があって、 その歴史で積み上げられてきた自分と自分をとりまく世界(作り出した空間)があるのだと思います。 魂の道場 で学ぶという今の自分にたどりつくまで、 長い長い歴史と、必要な段階があったのではないかと思います。 もっと早く、若いうちからこういうことを知っていれば、もっと楽に生きていたかもしれないし、 人を傷つけたり、自分を傷つけたりしないで済んだのかもしれない、 そんなふうに思うことはありましたが、 今の自分でなければ、心に、体に、沁みわたらせることができなかったのだと思うのです。 これまでの自分の歴史(前世も含めて~)と、 今生きている時代、そして日本という国に生まれて・・・だからこそ叶っているもの。 古家も100年前は今とはまったく違う暮らしだったのでしょうから(囲炉裏があったそう)、 今は今の時代に合った使い方で、また息を吹き返し、 戸惑うことなくただこの家で暮らす人たちを、また変わらず見守っていくように思います。 ということは、 自分の今住んでいる家も、自分たちを見守ってくれているのですね。 週末は感謝の気持ちを込めて、たくさん

少しだけ・・・

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先日の日記 にも書いたことなのですが、 年をとっていく母に対して、優しくなかった自分。 その後振り返ってみて、本当のところは、選べる白を作っていなかったんじゃないかと思いました。 しっかりしてほしい、話しが通じてほしい、何度も同じ話をしないでほしい、すぐに忘れないでほしい・・・ という黒パターンたち(総称すれば●自分の思い通りの母でいてほしい、というパターン)。 母と一緒にいる時間の中で、3回、4回、まだまだ続く同じ話。 こちらも聞かれればまるではじめて話すかのように、何度も説明しなければなりません。 そういうとき、イライラがたまって、いい加減にしてくれーーー! って思うのですが、 そこに、「私」を登場させて、 〇自分の思い通りの母でなくてもいい、はちょっと選べないのです。 自分に余裕がないとき、疲れているときは、その白はハードルが高いのだと思いました。 そこで・・・ 今までと少し違う白を作ってみました。 この白ならば、実際の生活の中で確実に無理なくやっていけるであろう、というところを選ぶ。 これが何だかとても自然でよかったです。 そして、何よりあっさりと、簡単に行動に移せます。 今回作った白パターンというのは、 ○少しだけ、話を聞いてみてもいいのかもしれない、です。 「少しだけ」というのは、3~4回くらいまでかもしれませんが、 はじめから、母と一緒にいるときは、その白を選ぼうと決めます。 そうすると、ちょっと心にゆとりが持てて、 ほうほう、その話ね~と、 しばらく繰り返されていっても、淡々と聞いていられるのです。 内容によっては、最後まで(自分が家に帰るときまで)引っかからなかったということもあります。 起きていることはいつもと変わらない状況なのに、やはり白で行動する自分側の状況はこんなにも違うのです。 母の笑顔とともに穏やかに落ち着いていられました。 「少しだけ」というのは「ずーっと話を聞く」ということではないので、とても気が楽です。 「それ、もう同じ話、5回目だよ~」 と言った自分は、これ以上は我慢しなくていいかなと、 でも、とても軽くスカッと、落ち着いて言えたように思います。 これがはじめから黒パターンで言うとなると、母の受け取り方も、重く悲しく不快そのものになるだけ。 自分自身も同じ気持ちになってしまいます。 白パターンを作る際に、ちょっと理想の自分が浮か

パラリンピック

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パラリンピックをはじめて今年TVで見ました。 なんてすごい大会なんだと、今までこんなすごい大会をTVで見られなかったことが、 とてももったいないと思いました。 有名になった大会の意義に記されている言葉、 「失ったものを数えるな、残された機能を最大限に生かそう」 これは障害者でなくても、壁にぶちあたったとき、心に刻むべき大切なことだとしみじみ感じます。 わたしの周りには、車椅子の方がいるということもあって、 やはり車椅子の競技に注目してしまいます。 足を使えない生活を余儀なくされた人生の中で、 スポーツを通して自分を極めていく姿に、何も感じない人はいないのではないでしょうか。 自分の足で立てない、行きたいところへ行けない、 という制限された人生(自分の知っている人は、結構どこにも行けるよと言っているが)。 そうではない人たちを見て、何を思うのだろう。 そんなことよりも、もっと大きな自分との対話(戦い?)がいやおうなしにあるんだと思いました。 かたや、肉体に制限はないけれど、 心に壁を持ちながら、 自由に生きられない、どうしてこんなに思い通りにいかないんだ、世の中不公平だ! と嘆く人もこの世にはたくさんいる。 動く手足、動く目、動く口、動く耳、動く頭。 パラリンピックを見ていると、本当に障害って何なんだろう・・・と思います。 苦悩の形は違っても、 その人がその苦悩を糧に、どう生きていきたいかの思いで、 こんなにも人が放つ輝きが違うのだと、 選手たちを見て本当に圧巻というか、言葉にならないくらい胸打たれるものがあります。 個人的には、 車椅子バスケ に目が離せませーん。 バスケットという競技以前に、 なんであんなにくるくると自由自在に車椅子を使えるの~? まずそれがすごすぎて、 もう純粋に見ていてこんなにおもしろい競技はないなあと思いました。 五体満足の人と同じような練習も肉体改造もできないのではないかと思った自分が、本当に浅はか。 並大抵の努力ではあの動きにはならないでしょうね。 本当にかっこよくて、おもしろくて、元気をもらいます! それからもう一つ、 今回はじめて見て、とりこになったのが、 ボッチャ (この響きがなんともかわいい)。 肉体機能を最大限に生かすバスケットとは対照的な感じがあります。 脳性まひの方が、残されたわずかな体の機能を使いながら、 精神性を高め、知