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自分を引き上げよう

感情を感じたとき、その次にするのは、 何のパターンか探すこと。 ここで、あ~パターンを何とかしなきゃなとか、 語りかけやんなきゃと言っているのは、 これもパターンの声です。 それが出てきたときに、黙りなさいとパターンへ言って、 やることをやる。 これが間を置かずにやるのが今の私の課題だなと感じます。 今日は、語りかけの文章を考えはじめると 以前作ったものとの違いが出てきて、 パターン視点ではなく、 より「私」視点になって発する言葉が連なっていました。 「私」自身が作っていくんだと意識。 これが自分を引き上げるということなのかなと思いました。 集中力を発揮するということです。 ネガティブな感情に対して、 またか・・・とネガティブな感情を嫌うパターンに対して、 私はどうしたいのだろうか。 そのままパターンの声に従いたいのか?と問う。 自分を引き上げるために、 あれこれ考えず、 目の前にいる出てきてくれたパターンへ そうだよね、って話しはじめよう。

先延ばしせずに

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今日も母のところに行く以外は、何もしない一日でした。 昨日と似たような感情が何度もあり、 主婦であるのに何もしないというのは(ご飯は作ったけど) ちゃんと家事をしなきゃというパターンがあるんだなあと実感。 でも、そういうパターンがあるなと思うだけで、 次に進んでいない。 夫に、「ごめん、何もする気が起きなくて」 と言って寝ながら連ドラを観ていると、 「いいじゃん、休みなんだから」 私のパターンをなぐさめるような言葉が~ 内心、ほっとするパターンがいました。 とりあえずだらだら過ごしていいという許可をもらい、 以前だったら、じゃあいっか~って そこで完結していただろうな。 でも今は、夫の反応ではなく、 自分の心の中はどうか? もっとさくっと、間を置かずに、 先延ばしせずに語りかけしていこう。 じゃーん 新しい辞書買いました!

単純なことに反応

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連休でだらだらと過ごしています。 寝てばかりいる自分に対して、 ふとどんな気持ちかと問えば、不快~そして罪悪感と不安な気持ちがありました。 家事をなんにもやっていない罪悪感。 そして、こうして常に眠くて重たい体を感じながら、 いろんなことが面倒くさく、年々動きにくくなっていくことへの不安。 そんな中、お風呂に入って思うのは、 気持ち良さ、解放感、リラックス、安心感。 安心感・・・? なんだか久しぶりの安心という感情だなあって思いました。 思い出せば、先日温泉に入ったときも、 夜布団で寝るときの瞬間にもありました。 そういう単純なことで自分って ゆるっと穏やかになるんだな。 いただいたパンで朝食

感情をみたくない

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どんな気持ちかと問うときに、 すぐにこれとそれ、っていう感じにパッと感情が出てこない。 ということがあります。 そういうときでも、 何かしらの違和感、不快感(快ではない) を感じているということだけはわかります。 自分の中でその違和感と不快感を認められると、 さらに、息苦しいとか、もやもやするとか、不安になるとか、怖いとか・・・ 自分の気持ちがだんだんはっきりと自覚できるようになっていくけれど、 自分の気持ちをはっきりとわかりたくないというパターンがいました。 どういう気持ちなんだろうって、 違和感と不快感の正体をみたくない。 後回しにしたがるパターンもあるんだと思う。 パターンだと気づいているけれど、 今はまだ感情を見たくないパターンです。 (何で今はまだ見たくないのか?) でも、少しずつ、そこに入り、 胸のあたりをさすりながら言ってみる。 正直に話しても大丈夫だよ。 どんな気持ちだった?と。 パターンでやっていると とにかくネガティブな感情がつきまといます。 でも、その時がまた来ない限り平気で日常が過ごせたりすると、 後回しにしてしまうんだな~ (そうするパターンがいるんだなあ) 連休に入っても、問いかけよう。 あきたこまちって、おかずが何でも合う

天日宮 あまつひのみや

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秋田の大仙市にある唐松神社に行ってきました。 樹齢300年以上の秋田杉が両側に並び、 細い道の参道を歩いていくと、 その先に下へ降りる階段があって、その下に神社の本殿がありました。 普通は、参道を歩いて行った先の階段を上がり、見上げるような位置に建てられると思うのですが、 唐松神社は見下ろすかたちでひっそりと建てられています。 とても珍しい祀られ方なのだそう。 階段から見下ろすと大屋根がしっかり視界に入ってきます。 神様(天)が上から人間を見ているということはあっても、 神様が私たち人間より低いところにいて見守ってくださるって不思議な感じでした。 地元の方たちが長い間、 この神社を守り大切にかくまっていたかのようにも感じました。 また、本殿に向かう手前には 天日宮(あまつひのみや)という神殿があり、 周りが池のようなおほりになっていて(美しい錦鯉も泳いでました) そこだけ別世界でした。 水に囲まれている様子が胎内を表しているようにも見えるし 古墳や城のようなかたちにも見える。 また、太陽や宇宙を表しているかのようでもあります。 丸い石を集めて規則的に造られた土台も、崩れないよう設計され手がけてありました。 神道の中では一番北に位置する神社がこちらで、 八百万の神ということになります。 奈良時代に物部氏ゆかりの神社として建てられ、 神主さんは物部氏の末えいの方なのだそうです。 八百万の神様って自然の中のあちらこちらに神が宿っていて、 ちょうど稲刈りがこれから始まるこの黄金色の季節は特に、 その恩恵を感じずにはいられません。 私たちの中にも外にも神様がいる。 もっといろいろ知りたくなる神社参拝でした。

ちょうどいい定食

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昼休みに定食を食べました(夜は居酒屋をやっている)。 肉か魚か、ミックスか、日替わりか、牛すじかを選べます。 焼き鮭、かぼちゃの煮物、ゴーヤの漬物、小魚の佃煮、ご飯、大根の味噌汁 これで1,000円。 食べ盛りの人には物足りないかもしれませんが、 私は食べすぎて眠くなる午後を考えれば、ちょうどいい量でした。 白米がすごく美味しくて、 鮭の塩気がちょうどよく美味しくいただきました。 この値段設定とメニューの種類。 なんかいいなと思いました。 女将さんが一人でやっているため、 食材が高騰している中、安過ぎず高過ぎず、 さらにお客さんも払いやすく店側も受け取りやすい千円札1枚。 これならやっていけると思い、決めた値段なのかな。 しかも、料理はお膳で運ばれてくるのです。 なんか武家のご飯を食べているかのよう~ 足が4つついたお膳は、テーブルを汚すこともなく、 ほとんどのお客さんが、カウンター越しに「ごちそうさまでした」と言って 手渡しして片付けています。 お茶とお水はセルフで、 お手拭きはテーブルの上にまとめてありました。 きっとお店を出すときに、 一人で無理なくやっていくには・・・って考えたのだと思います。 自分のやれることと、ここはゆずれないというところ、 そのバランスが大事だと思うし、 お店を出すからには、 一元さんではなく通ってもらいたいという願望もあるはず。 お客様第一なのか、 自分第一なのか・・・。 自分第一だからお客様も大切にできる。 (勝手にいろいろ想像する) 自分のしたいことと現実とのバランスを考えるって、 何をするにも大事なんだなあ。

祭りの音

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盛岡の秋祭りはずっと雨に見舞われ、 やっと晴れた最終日。 辛うじて山車を見ることができました(動いてないけど~)。 それだけでも嬉しい! 遠くの方からは太鼓や笛の音、鐘の音、 音頭の唄声も気持ちよいほど響き渡り聞こえてきます。 祭りの音を聞くのがとても好きです。 街中が浄化されるといったらいいか~ 神社でパンパンと柏手を打つときのような、 周辺の淀んだ「気」もパッと切り替わるような、 祓ってもらっているような。 心がすーっと洗われる感じがあります。 神さまが私たちの街を守ってくれていることを感じながら 家路に着きました。

欠けてはいけないこと

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今月も新たに 大学生 を迎い入れ、 自分はここから何を学んでいるんだろうって思います。 私自身も都内の関係機関へ出向き実習を受けたことがありました。 でもそのときはもうすでに社会人だったので、 学生のような初々しさは全くなかったと思う。 (おばさん頑張ってまーすという感じはあっただろうけど笑) 研修先でやっているような業務は、 初めてでわかりませんということもなく、 多少自分が知らないことであっても観察していると何を意図しているのかもすぐに理解できるため、 ここへ勉強しに来ているはずの身分を忘れてしまうような心持ちになっていったのでした。 勉強になることもたくさんあったはずなのに、 仕事のやり方の違いにばかり目がいき、 こうした方がいいのに何で?と、否定的に観察していたように思います。 自分の方が正しいというパターンで物事をみていた。 自分の方がもっと難しい業務をしているからわかるとか、 自分ならこうするとか、 自分ならそもそも、もっといい研修内容を実習する人のために考えるとか。 ホント恥ずかしい話ですが、 あらさがしのようなことをして、 何やっているんだ、あの時の自分よ・・・と言いたい。 表面的には教えて下さいという態度をとっていたと思うけれど(大人の対応)、 私の中身がそういうパターンで物事を受入れていたため、 相手も、この人には自分が知っていること全て教えてあげよう! とは、たぶん思えなかったでしょうね。 貴重な期間をあろうことに私はただ不満を抱えて終えた記憶があります。 だから今、自分を客観的に見てみると、 自分が普段大事に思っていることを学生たちへ惜しみなく伝えたり、 学生が学びたいことをもっと提供できないかと考えたり、 そして自分が学びたくて学生からたくさん話を聞いています。 でもそれは自分がそうしたいという思いと、 そうしたいと思わせる相手の姿勢がそこにはある。 その姿勢が見習うべき素晴らしいこと、 自分に欠けてはいけないことだと感じています。 初心忘るべからずの心です。 今後どんな学生さんが来ても、 たとえ、過去の自分のような心のありようで研修にのぞむ人だったとしても、 (そういう人いないと思うけど) 自分は自分自身のためにも、その方のためにも、 今の自分のあり方を確認するかのように 関わっていきたいなあって思うのでした。 明日もよろしくお願いします...

私の体の記録 終わり

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この病院に来ると20代のころをどうしても思い出します。 私のある意味、青春時代とも言える大事な人たちとたくさん出会った場所。 夜中に病室を抜け出し(なんたって20代ですから)、 誰もいない院内を歩き、静かになった外来の待合に寝てみたり、 元気そうに見えた友だちとは、 トイレで着替えをして喫茶店まで行ったこともあった。 本当に若いときの好奇心ってすごいし、 今より監視もだいぶゆるかったのだと思う。 おかげで、つらいだけの思い出ではなく、 それなりにこの状況を楽しもうという気持ちで過ごせていたのだと思う。 それでも、自分がこの世で一番不幸な人間かのように ガン治療にあたって先生にたくさん感謝もしたけど、 同じくらい文句も言っていました。 もう少し患者の身になってほしいと無理なことを考えていたし、 自分の知らないところで先生方が どんなに想像をめぐらし知恵を出し合い 最善の治療を施してくれていたのかなど、思いもしなかった。 だから呼吸器科の先生と今日で最後になるかもという日、 「いろいろ調べてくださって、本当にありがとうございました」 と心からのお礼を言いました。 先生は半分背中ごしで、 「はい、お大事にね」 と何らいつもの日と変わりなく返事をしてくれました。 その後~ 耳鼻咽喉科の先生からは、 手術は出来なかったけど悪いものではないし、 鼻の治療ってずっと続くけどそういうものだからと説明がありました。 励ますような、大丈夫だからと言いたいような。 魂からにじみでるような優しいことばをもらい、 それで充分だと思いました。 先生と言ってもまだ全然若いのです。 目にかかる前髪とロン毛の中から刈り上げがちらっと見え、 下半分は青くカラーリングしている。 パンクの人?と思わせる見た目と優しい声のギャップ。 その先生が 「気休めだけど表面のポリープだけ切ろうか?」と言うので、 何の迷いもなく切ってもらうことにしました。 その場で部分麻酔をかけ、 小指の第一関節ほどのポリープは、 歯を抜くときのような力がかかりグイっとちぎれるような鈍い音がした。 「あ~・・・喉に落ちそうだな・・・」 そう先生がつぶやいた時、 切り落とされたポリープをゴックン。 私、ポリープを飲みこんでしまったんです~~~(泣。 「あ~、生検に出そうと思ったのに・・・ま、しょうがないか」 「え~すみません・・・ それ...

私の体の記録②

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県立病院の耳鼻咽喉科に行ったときには、 もう手術の日程を自分で考え、 入院となったら一人の時間ができて、なんかゆっくりできるかもな~ 『入院=神からあたえられた休息時間』 などと、都合よく考えている自分(パターン)がいました。 しかし、 鼻という顔のほんの一部分の手術なのに、 部分麻酔ではなく全身麻酔が必要だということをはじめて知ります。 過去の私の病歴から先生は 「うーん… 取りたいですか?リスクがどれだけあるか、まずは調べないとね」 え、取るんじゃないの? 呼吸器科を紹介され、 思ってもみない展開へと進んでいったのでした。 全身麻酔ができる身体であるかどうか。 そのための検査がこれからはじまります。 30年以上も前の病気が、 今どのように私の体に影響を及ぼしているのか。 現在の状態を知れるということは、 自分の現実を知ることでもある。 それは心のどこかで願ってきたことだったように思いました。 検査は、まず肺機能に異常がないかどうか調べます。 CTに移った自分の変形した肺(正常な肺と並べられて説明を受ける)。 一部ヘチマのように固くなっていてもなお、 残された肺で今日までがんばってきたんだって思うと 自分を褒めたい気持ちになりました。 呼吸器科の診察室は4つあって、 自分の担当の先生だけ、診察スピードが極端に遅かった。 それだけ先生は患者と向き合い検査結果も受診もていねいだということ(と、受け取る)。 朝に来て夕方までかかって、 5時間以内で帰れた日は「今日は早い!」と思うほど。 あとは会計だけっていうときにも、追加検査を言われて戻ったり、 次の受診の前に、循環器科へ行くように電話がかかってきたり、 おかげ様で、疑うべきところはすべて診ていただいたように思います。 結局、私の息切れ・動悸(数値の悪さ)がどこからくるものなのか? 全身麻酔ははたしてできるのかできないのか? 先生が出した答えは、 「あと考えられるのは、喉の筋肉が麻痺しているか・・・ぐらいなんだよね」 で、それが大当たりだったのでした。 内視鏡で診てもらうと、 喉の声帯が半分麻痺して閉じられたまま。 もう片方の声帯が必死でなんとか動いているというより、 もがいているかのように見える喉の様子がありました。 これだったんだ。 この入口がいつからか半分になっていたことで、 呼吸がしずらかったし声が出にくかった...

私の体の記録①

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今日はここ2年くらいのところの 自分の体のことを記録しておきたいと思い書いてみます。 (とても個人的な話ですみません‼) 母の認知症もあって、仕事帰りに実家へ寄るという生活が、 ときどきから年中無休になっていった頃。 私の体は頭痛やときどきおこる動悸・息切れがあって、 ちょっと無理はできないなあって思うようになっていました。 (見た目はいたって元気なんですが) 鍼灸にも通い、少しは調子がいい日もあるようなないような。 そうして何とか市販薬でごまかしていた2年前の冬 突然ひどい頭痛に襲われ・・・ それがインフルだったため、それをきっかけに かかりつけ医から頭痛薬を処方してもらって飲むようになりました。 楽になるからといってあまり続けて飲むと、 その副作用で頻繁にまた頭が痛くなるらしく、 かといって、我慢するタイミングを間違えると吐き気までしてきます。 こうなると1回の薬を飲んだだけでは治らず、結構しんどい。 ある日、薬局の薬剤師さんとの話から、 専門の頭痛クリニックがあることを聞きます。 その薬剤師さんも頭痛で仕事ができなくなるくらいつらかったのが、 そこへ行ってすっかり良くなったというのです。 そうか、専門のところに行くという手があったな。 期待しながら行ってみると早速CTを撮り、 お~さすが、専門医~(ますます期待感)。 画像を見て言われたのは、 「あなた、鼻がつまっていない?」 頭や脳の血管には異常はなく、鼻の異常を指摘されたのでした。 たしかに、鼻づまりは今にはじまったことではない。 この鼻声も、幼稚園のときから、 当時のアイドル桜田淳子さんに似ていると言われてきた筋金入りのもの。 頭じゃなく、鼻か!と。 頭痛治療もあまり気持ちがいいものではなかったので、 私が行くべきところは耳鼻科だと行く先を変えたのでした。 代々続く市内の耳鼻咽喉科は、 先代の先生の時に、父が副鼻腔炎手術をしていて、 その時入院中の父の写真を小さい頃に見たことがあります。 唇をめくってそこにメスを入れて、がばっと鼻までめくり上げ手術をしたと。 当時、父からその話を聞いてなんておぞましいことなんだ ととても怖かった記憶があります。 そのおぞましい手術をしましょうと言われたらどうしようという不安と、 (今は内視鏡でやるそう) でも父も祖母も縁があった病院だからきっと守ってくれるという願いと、 ...

お知らせ 〜カウンセリング体験〜

今週末のお知らせです。 13日(日)10:15〜11:15やはぱーく会議室 60分カウンセリングの体験ができます。 今回は当日の申し込みもOKですので(但し1名様限定になりますが) カウンセリングってどんな感じ?とご興味ある方もぜひどうぞ。 不釣り合いな広〜い会議室でお待ちしております。 ★ ←こちらからご連絡下さい! この頃は悩み事はAIに相談する方が増えて、 生身の人間にはしないという方もいるみたいです。 それで解決できることもたくさんありますよね。 特に効率的、合理的な回答は得意分野ですし・・・ 私も仕事では使っていますが、 ちょっとこんな時AIに聞いたら何て教えてくれるんだろうと、 本当に些細なことをサクサクと相談したことがありました。 その時の答えの多さにもうびっくり。 さすがだなあ〜って驚きと、 どの答えも飛びつきたくなりました。 でも、本当にそれでいいのかと、 心から魂から、自分がそれをしたいのかと思うともはやそれらは借り物のような無機質さを感じ、 急に覚めていった体験があります。 もしもAIにどうしても聞きたいときは、 聞いた後にその最もらしい視点ではないもの 全く別の視点は無いか?と探してみるのも一つかもしれないと思いました。 飛びつきそうになったわりには、じわじわと何か違うかもと思った答え。 自分のそのアンテナを信じ、 今の自分がどうありたいのかに一番近いものを自分の言葉で探して創る。 カウンセリングってそういう自力で探す、感じ取る、 己を発掘するような場を与えられるような気がします。

ささやかなこと

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この頃、夕焼けがとてもきれいです。 帰り道、車の窓から眺めていると、 会社を出てから家に着くまでに ほんといろんな夕暮れを楽しめます。 数分しか経っていないのに 空がどんどん変化していく様子がわかり、 女心と秋の空ってこのことかと思ったりします(昭和の人だな)。 移りゆくものを見ていると、 今日の自分も明日には また違う自分として生まれかわっていくこともできるんだなって思う。 最近は、毎日語りかけてきた主力のパターンを、 曜日ごとに、一日1つにしてじっくりやってみています。 これがなんかとても新鮮でいいのです。 慣れているパターンも、 一週間経って新たなまた素直な主張も聞けることがあって 今はこのやり方がしっくりきています。 過去のやり方に引きずられることなく、 こうしてみたいなと思うことをそのまま試す。 その直感はなかなかいい線行っているような気がしました! ささやかなことで生まれかわってみています。

みじめさのなかではじめて生きる

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数ヶ月前までは、 今、何感じている?という問いかけを そんな一日に何度もできるだろうかと思っていましたが・・・ 不思議なことに、 そこに意識を向けることが今は日課になっています。 そうしたいという「私」の意思が、 だんだん練習と共に習慣化され、気づいたらやっているのですから、 できそうにない~という不安は「私」ではなかったんだなと あらためて思いました。 そして、意識を向ければそこが拡大されていくということも 本当にそうだよなあって思います。 『くもをさがす』西加奈子著 岩手クラスで今、まわし読みさせてもらっている本です。 西さんがご自身のガン体験を書いているのですが、 その本の中で湧き出た心情を、 誰かの言ったことばや話、 本に書いてあった文や曲の歌詞に換えて たびたび行間に太字で載せてありました。 あえてそうした表現をすることで 客観視したかったのではないかと思います。   みじめではない  と思いたい。  だのにひとは  みじめさのなかではじめて生きる。   (安水稔和 ー生存のための歌ー) その行間の文は、私にとって『魂に響く55の言葉』のようでもあり、 今、何感じている?の問いを 表現しているようだと思いました。 みじめだと思うこと(そういう気持ち)に正直になることは、 その中で生きている自分という人間を感じること。 感じて、感じて、やっと、 そこからどうありたいのか生き始めることができる。 またこの本からも応援されている自分です。 黄色と紫の組み合わせって、好きだー!

ほんの少し気分よく

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ふとした時に、見ていたTVドラマのセリフが気になったり、 開いたページの文章にはっとさせられたり、 義母が言ったことばにうるうるしてしまったり・・・。 パターンに飲みこまれそうになっても (いや、もう飲みこまれっぱなしだなという時も) 「私」をとり戻せと、 何かに応援されているような、 背中を押してもらっているような気がすることがあります。 そうして何度も何度も大事なことを思い出す。 ありたい自分ではない時も、その後にまた思い出すのだ。 結論を急がないように言い聞かせて、 うまくいかないこと(ってパターンが言っている)が続いても、 腐らないでやっていこうと、 散歩中の犬のまっすぐな眼差しを見て、また励まされたりする。 思うようにいかないのは体もしかりで、 まだまだ若いんだからと言ってくる人の声には耳を貸さない。 自分の体は、自分が思うただひたすら好きなことをさせたり、 または気になったことや少しの刺激を与えたり、 最低限のことだけやっては後は放り出してみたり・・・。 毎日何かしらの気持ちを感じ取るたびに、 体は体でバランスを取るようなことをやっているなって思う。 本当に健気な自分の体。 心と体はやっぱり1つでつながっていると思うから、 嫌だなと思う(パターンがね)心があっても、 その裏にはいいなとちゃんと感じられる心があるように、 体も不具合の裏には、 ちゃんと働いて自分をいつでも元気にさせることができる細胞もある。 明日のことを考えずに、 今日だけをほんの少し気分よく過ごすためのことをやっていこう。 プラスチックのお皿が「こういう日もあるさ~」と言ってくる

「私」の管理監督

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思い通りにいかないことが起こると、 その時は、イラ立ち、怒り、不安、悲しさ、 面倒くささといった気持ちが湧きおこります。 ああ、こういう気持ちになっているんだなと 「私」はパターンを観察していますが、 ただ、そう思っているんだねという共感だけではなく、 「私」がしっかり管理監督をしていくことが大事なんだと思いました。 それが何のパターンなのか考えることでもあり、 そのパターンを代弁したり、白と黒の入れ替えを試みてみたり、 白の感覚を保ちながらこれからの選択をし、 それに見合った、どうありたいのか?を実践へと移していく。 その一連の流れを管理・監督していく「私」がいて、 時には「だまりなさい」をピシャっと強く言ってみたりすることもあるし、 もう頑張らなくてもいいんだよと、 すべてそのままでいいと全信頼を寄せてゆるすということもあります。 今日は、 オブラートに包まず伝えることを選び、 伝えた上で、どうするのかをその場で感じてみることをしました。 事の結末、ゴールを設定せずに、 言った後にまた感じてみようと流れに任せました。 結果的にどうだったのかというのも今は分からないし、 良かったとかダメだったとか何もないと感じます。 ただ、それが言えた自分で良かったと思ったことが 一歩階段を上がって今までと少しだけ違う景色が見えた・・・ような、 そんな気がしました。 思い通りにしたいと思っていることを自分自身に許せた気がします。 穏やかさ、落ち着き、ほっとする感じ。 そして、またこうやっていけばいいのかもしれないと思う 希望を感じます。 日が暮れるのが早くなりました

頭が働かないとき

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今日はあまり頭が働いていないなって感じていました。 午後から外出の予定があり、 目的地にだいぶ早く着いてしまい車の中でぼんやりしていました。 今度はぼんやりしすぎて時間に遅れそうになり、 30人ほど集まった場所で、空いていたのは一番前の席だけでした。 お昼を食べたばかりの私は、 どうか居眠りしませんように・・・と思いながら話を聞きます。 質問ある方は?と聞かれましたが、 会場はしーーーんとして誰も手が上がらず。 ふいに聞きたいことが浮かんできて、 大したことない質問をしてしまいました。 でも、その質問のおかげで、 自分自身が何かとてもいい感じに力が抜けて、 その後はリラックスしてその場にいられました。 終わってから以前一緒にお仕事をした方を見つけ、 〇〇さーーーん、って声をかけると、 その方も、お~久しぶりだねと、 いろいろ昔話に花が咲きました。 それがとても楽しくて嬉しかった。 今日の出来事どれも、 考えて考えて取った行動ではなく、 成り行きに任せた中で全てが丁度良く、 しかも爽やかに過ぎていったように思いました。 意図せず、作戦を考えず、どう思われるのかを気にせず、 そうやって瞬間的に行動したことって自分にとって 最良であることを思いました。 どうしてこんなふうに落ち着いた自分であったのか? なんてこともしつこく考えないように・・・ また感じたままに自分を置いていきたい。 かぼちゃプリンが美味しい

頑張る自分

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頑張ることについて意味付けを考えてみました。 一般的にはプラスの意味の方が多いと思うので、 まずはプラスを考えます。 ⊕ 強い意思力、自分の中での納得、正々堂々、尊いこと、達成感、無心、何かを得ようとしない、全力投球の体験、自分の限界を知る、勇気を使う、頑張れる環境があると気づく、頑張っている人の気持ちがわかる 中立は、ただ一つの事象。 ⊖ 無理がある、疲れる、表面的だったりする、他者へのアピール、認めてもらいたい行為、報われないとがっかりする、何かを得ようとする、周囲が見えなくなる、常に焦っている、自分の本心が見えなくなる、こだわり、頑張っていない人を責める、頑張れない自分に落胆する、能力があると勘違いする 頑張ることにちょっと無理があったとしても、 やろうと思えば何とかできてしまうことから、 自分はできると思ってしまうパターンがあると思いました。 できると思いたいからやっているわけではないけれど、 頑張っていることにも気付きにくい。 でも、その「できる」の中身は、 余裕があって清々しい気持ちで楽しんでできているならいいけれどー、 黒パターンでいうところの「頑張る」だから、 結果もそれに見合ったものが返ってくるのだと思う。 だったら、「頑張らない」ことを選ぶというのもありますが、 またそれも黒パターンでの頑張らないになってはいないだろうか・・・ 無心でやりたいからやっている。 自分を守り、自分を引き上げる頑張り。 そういう感じで頑張ってみたい。

休息しよう

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もう30度の夏の暑さは去っていったようです。 イワシ雲らしきものも出ていたので、 今年の秋はいつもより少し早く来ているのかな。 今日は風邪っぽい症状があって、 力が出ず、弱々しく大人しく一日を過ごしました。 明日に伸ばせるものは伸ばし、 何事も根詰めないようにして体力を温存させました。 以前は太りたくても太れず、 痩せすぎて体力が全然ない時期も長くあり、 いつも体が冷えていました。 1年中風邪をひいているかのように寝込むことが多かった。 でも、今は体も厚みが出たためか体温も上がり、 手足が冷たいということもなくなり、 体質はほんの10年前と比べても劇的な変化です。 ただ、風邪をひかなくなった代わりに、 無理をしてしまう傾向があるので、 キャパオーバーしないと体を労わないということではなく、 そうなる前に早めに休むようにしたいです。 みなさんも季節の変わり目は気をつけてくださいね。 ということで・・・今夜は早く寝ます。 焼きサバの炊き込みご飯

幸せに包まれながら

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千住真理子さんのヴァイオリンコンサートに行ってきました。 東日本大震災をきっかけに毎年岩手に来てくださっていて、 会場の人たちへ話しかけるような親しみのあるトークと、音楽を愛し敬い魂で演奏している姿が本当に素敵でした。 どんな作曲家が作ったものなのか、 込められたストーリーやそれを弾くときの千住さんの思いなど、 一つ一つ全ての曲への紹介がありました。 (素人には嬉しい曲紹介) ある曲はピアノが非常に難しく、伴奏者の丸山滋さんでないとコンサートで弾くことができない貴重な曲なんですよというお話もあり、 たしかに、脇役でありながら主役級の素晴らしさを感じるピアノです。 あのストラディヴァリウスの音を最大限に引き出すため、 千住さんは看護士のように毎日ヴァイオリン管理に付き添い、 そして、朝早くからホールの環境設定を万全にしてくれたスタッフの方々がいて、 今日の日を迎えることができたと話していました。 まさにヴァイオリンに命が吹きこまれたかのように喜びに満ち溢れた響きでした。 目を閉じて聞くと、 なぜだか今まで忘れかけていた家族との何気ない出来事が思いだされ、 私もたくさんの人に支えられて生きてきたこと、 そしてずっと幸せだったこと、 生かされてきたことを感じ涙が止まらなくなってしまいました。 今日はこれからクラスの勉強会です。 幸せに包まれながら行ってきます。

やや得意なこと

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昨日の日記にも書いたように、 私は普段から何かを忘れたり失くしたり、 壊したりということが結構な頻度であります。 注意欠如に多動もあってか、 ますます不注意が起きやすい動きをしているのだと思います。 (とパターンは言っている) なんですがー、 失くし物については、見つけるのがまあまあ得意だったりします。 すぐに見つかるということではないけど、 先日も誰も探さないような場所から見つけ、 やはり、探す際のコツみたいなものがあるなと確信した気がしました。 口に出して言ってしまうと、 なんだそんなことかというものですが・・・ まずは、 心あたりのところから、絶対ここにはないというところまでくまなく探していく。 くまなく見る、です。 そしてもし、それが無いとどうなるのか最悪の事態を考える。 その最悪を実行するかのごとく行動する。 そして、探し物が得意なご先祖様に、 どうかそのお力を私にも分けてくださいと背中を押してもらう。 それをやっての翌日または数日後、ずっとここで待ってましたよ〜 という感じで出てくることが本当に多いのでした。 なんて言ってて、見つからないものもありますし、 そもそも、 失くさないようにはじめから意識的に気をつければいいのでしょうが なかなかそこが難しいと、パターンは言っている。 結局、見つかったときは見つかった方がいいということだし、 見つからないときは見つからない方がいいということだと信じています。 和でも洋でもない朝食

きっと何とかなる

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車で約束の場所へ行く途中、 自分の準備不足で、はっきりした場所も、 その相手の方の名前もどうしても思い出せないということがありました。 (なぜか確かめずに向かっている) 場所は大体あのあたり・・・という感じで、 途中、スマホで調べてみたのですがはっきりした場所が出てこない。 ここかなとは思うけれど、入口や駐車場はどこなのか。 とにかく、あのあたりへまず行こうと思い走っていました。 雨で道も混んでいて、 もしかしたら遅れるかもしれないと焦ってきます。 そして、遅れることを連絡しようにも、 約束の相手の方の名前が思い出せないので伝えられない・・・ 手帳に内容は書いてあるけど、名前だけがどこを探してもない。 ああもう、どうしよう。 緊張、イラ立ち、焦り、不安、胸が苦しくなりました。 結局、スマホの名刺アプリに入っていたのを見つけたときは、 本当に安堵しました(自分で入れたんですね)。 おかげで時間も場所も何とかなり、事なき事を得て帰りました。 こういう時、本当に自分の準備の悪さを反省します。 次は必ず出る前に確認しようと誓う。 と同時に、 何とかなる(なってきた)という経験が、 これまでどれだけ積み重ねられてきたことか・・・と思いました。 ラッキーだった。だから、懲りない。 必ず最後はどうにかなると信じている。 こういうことに関しての自信って、我ながらすごいなと思います。 これも、 「根拠はないけれど、私はやっていかれる・・・」 というものなんだろうか。

慣れていきたいこと

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ふいにやっている、今、何感じている?は、 疎外感、腹立つーーーっていう気持ちがありました。 もうはっきりとしたパターンなので、 こういうパターンを選ばないというのはどういうことだろうか。 ●自分が中心にいたい というパターンからくるものだと思うので、 真逆を考えると、○自分が中心にいなくていい、になります。 自分が中心にいなくていい。 ということは一体どういうことなんだろう? もう自分が輪の中にいなくても、 誰も話しかけてこなくても、 まったく相手にされない、完全無視状態だったとしても、 それでも「私」はいいということになります。 でもそこを選択するには極端すぎて・・・ じゃあ、現実的にやってみたいことは何だろうか。 ワークをやってみて今思うそれは、 中心にいない状態にもっと慣れていきたい、というものです。 慣れたら何とかなるだろうということではなく、 そういう今までやってこなかったことをやってみたいなと思いました。 ずぶ濡れの後の、夕焼け

よく思われたいパターン

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毎年職場でPSW試験の実習生を受け入れています。 毎年のことなので内容もおおよそ決まっているのですが、 今年は何かいつもと違う・・・。 何が違うんだろうって考えたら、 本当に些細なことなんですが~ 実習生と一緒にまだご飯を食べに行っていないことに気づきました。 いえ、行っていないのではなく、 行こうという気が起きていなかったということ。 いつもであれば、まずご飯を一緒に食べに行って、 なぜこの資格を取ろうと思ったのかというところから、 大学の話、バイト先の話、彼氏(彼女)の話まで聞いていたと思います。 しかしそれをやっていたのは誰なんだろうか? 人間、ご飯を一緒に食べることで緊張がほぐれるとか、 担当なんだから学生と心を通わした方がいいとか、 今までそうしてきたんだから今回もしなきゃなって。 変な義務感だったのか、 よく思われたかったのか、 そのあたりのパターンでやっていたのではないかと思いました。 気づいた瞬間から感情がざわついています。 迷い、焦り、不安、不快感。 もうそれは(パターンは)選ばない・・・でやってみよう。 少し秋風感じます

怒りという感情

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怒りは悪いことという意味付けがあります。 怒りという無駄なエネルギーを使わないように、 または感じないよう蓋をして何か気持ちが変わるようなことをしてみたり、 怒られて怖い思いをしたときも、パターンとしては避けたくなる。 怒りをそのまま感じてみる、受けとめてみる、 怒りを感じた原因のパターンを理解してみる等々 パターンだと思うからこそ、 その中に恐る恐るですが入って行ける。 どんなネガティブな感情とも共にいられる自分ではないけれど、 少なくとも、 現実逃避をしたり、 感じないように考えないように何かに没頭したり、 まずは寝る(今は向き合えないと決めつける)といった選択を あまりしなくなったことに気づきました。 こうした時間を自分へつくることは、 自分(パターン)をひとりぼっちにはさせずに、 そばにいるという状態なのだと感じました。 そばにいるって、そういうことなんだなと、 ちゃんと感じてすぐに何とかしようとせずに、 自分(パターン)を待ってあげられる自分にも少しだけなれている気がした・・・。 行動と心との一致性を作っていく。 ってこういうことなのかなと思いました。 風の通り道

昔話

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はじめて母から、母の祖父(私の曽祖父)の話を聞きました。 市日(毎月一回、出店が来て買い物ができる日)になると、 山奥の奥に住んでいた祖父が、 今では信じられないような距離を歩いて 母たち(孫たち)に会いに来ては小銭をくれたという話でした。 ボロボロの布巾着にお金が入っていて、 母はそのお小遣いをもらうのが本当にうれしかったと言っていました。 父親(私の祖父)は厳しくて頑固でとにかく怖かった・・・ でもおじいさん(私の曽祖父)はとても優しかったんだったんだよ、と話す母の顔も穏やかでした。 母の両親(私の祖父母)は駆け落ちして村を出たので、 その時代ではめずらしい恋愛結婚。 夫婦で理容店を営んでいました。 やはり駆け落ちだけに、 母には祖父母たちの家に遊びに行くという子ども時代の思い出はなく (っていうか、思い出せないだけなのか、遠すぎたからなのか) はじめて聞く話に私は母を可愛がってくれたことを想像して 何だか嬉しくなりました。 その時代は生きるだけで大変だったと思うし、 私が想像できないほどの苦労と、 そしてささやかな幸せを感じながら生きてきた祖父母や曽祖父母たち。 ご先祖様のおかげで自分が今ここに生きていることを感じて涙がでました。 母からまたいろいろな昔話を聞いていこうと思います。

「わかる」の中立ワーク

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自分はわかっているという「わかる」の意味付けを考えました。 プラスの意味付けは、 ⊕ 安心する、ほっとする、疑問や不安が解消される、頭が整理される、すっきりする、面白くなる、わからないということがわかる、どちらでもいい(答えがなくていい)と思える、現実が見えてくる、新しい視点を持つ、視野が広くなる、わかると言わなくてもよくなる 中立は、ただ一つのわかるという事象です。 マイナスの意味付けは、 ⊖ すべてが分かった気になる、うぬぼれる、偏った見方、正解不正解を考える、わかることでそれ以上考えなくなる、決めつけや思い込み、表面的で終わる、安易、わからないままでいることに耐えられなくなる 一つわかり始めると関係のないことまで見えてきたり、 以前とは見ている世界も変わってきたりして わかる過程にはそういう面白さもあります。 (本来わかりたいと思っていたものが変わる) マイナスの意味付けとして一番強く感じるのは、早くわかってほっとしたいので、 そのままに寝かせておけない。 という衝動性の弊害が自分にはあるなと思いました。 それから、 わからないならば、「私はわかりませーん」って言っていいということ。 何とか答えようとしたり、わかったふりをしないように。 そうできないのは、 わからないことはかっこ悪いことだと思うパターンを選んでいるからなのだと思います。 いつ来ても好きな場所

カウンセリング体験(inやはぱーく)

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来月の カウンセリング体験 のお知らせです。 1時間って本当にあっという間ではありますが、 ご予約お待ちしておりまーす!  (onmnyn@gmail.com  ★ ←こちらからどうぞ) 昨日はもしかしたら、 体のことで今後やりたいことに制限がかかってくるのかもしれない。 という思いがよぎりましたが・・・ じゃあ、制限がかかっていなければ、 普段からやりたいことをやっているだろうか?と思いました。 あくまで制限って、 普段やるのがあたり前になっている「通常業務」についてです。 その通常業務はそんなに自分にとって大切なものなのかどうか。 したくてたまらないものなのか? どうありたいのかには、 それを選ぶという強い意思が必要だと感じます。 有言実行、即決即断がいいというのがサラリーマン的なパターンだとしたら、 臨機応変に焦らずに、じっくり考えて時を待つというのもあります。 どちらかに走りたがるのはパターン。 それをよく感じて、 自分のバランスを取っていけたらいいなと思いました。 誰がその選択を押しているのか? 今、何を感じている? どちらの問いかけもまだまだ意識的にやってみます。 堂々としているウミネコ

病院で待つ間

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今日は朝から、まる一日病院にかかっていました。 おかげ様で、今、何を感じているかの問いがたくさんできたのは良かった。 今、どんな気持ちで自分がいるのかということ以外にも、 パターンが本当に言いたいことは何だろうとあらためて考えてみたり・・・ でも、病院の中は常にさわがしく、 いつ呼ばれるかと耳をダンボにしているため、 昨日の図書館のようにはなかなか集中できませんでした。 人間ウォッチングをしながら、 いろんな人がいるなあってぼんやり眺めていました。 ずっと顔をしかめている人、 自分はまだましだと思って元気出している人、 家族だからしかたなく付き添っている感じの人、 その家族に気を遣いながら自分も具合が悪いのに大丈夫だと笑って見せる人、等々。 (自分のパターンがそう見ているだけです) 予約の診察までに1時間待ち、次の検査場所でも1時間待ち、 採血して戻って2時間、検査追加で1時間、 そしてその結果の話を聞くためにまた2時間待つ。 これは私だけの特別メニューではなく、 同じような時間を拘束された人はたくさんいるのに、 誰一人、受付で怒鳴っている人はいないし、苦情や嫌みを言う人もなく、 ただじーーーっとお昼も当然のように食べずにひたすら待つのでした。 日本人ってすごい。 いや、岩手県民ってすごい忍耐力だなと思いました。 県立病院の事情を知っているからなのか、 もう「そういうもの」という常識があるのか。 自分は途中お昼を食べに行ってきていいですかと聞いたのですが、 次の次に呼ばれると聞いて断念しました。 (がしかし、呼ばれるまで1時間ほどかかった!おーい) まだ検査が全部終わっていないのでまた来なければならず、 そして検査結果によっては、 いろいろ仕事も予定もあきらめなければならないことが出てきそうです。 それは気持ちとしては、 苛立ち、不安感、憤り、焦り、罪悪感。 次は必ずノート、文庫本、つまめるパンを持参しようと思います。 宮古の海 油断して腕が赤くなりました

図書館に行くの巻

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今月の勉強会で話す内容を、 ネット以外から調べるということをしています(自分で出したテーマ)。 久しぶりに行った図書館。 夏休みということもあり、子供たちも本を借りに来ていました。 お盆だから空いているかなと思ったら、 涼みに来ている大人たちも結構いる気がします。 (ただ気持ちよさそうに寝ている人もいたよ~) 高校生かなと思われる子たちは熱心に勉強中。 私は目当ての本を見つけると、 しばらく本棚のすぐ近くの椅子に座って読んでいたのですが、 だんだん気になる箇所が出てきたので、 大きなテーブルの方へ移動し本を広げノートに書き写していました。 斜め前に座っている女子高校生がチラッとこちらを見ていましたが、 自分が集中して書き綴っていると、 その子も結構な長さのものを書いているようでした。 書き綴るペンの音が空間に響き、 本のページをめくる音が心地よく聞こえる。 その中で時間を気にせず、周りを気にせず、好きなだけ本を読んで、 そして勉強できるっていいなあと思いました。 この感じは、 快、落ち着き、静けさ、安定感、ゆとり、おもしろさ・・・です。 ああ、なんか勉強というほどのものではないけれど、 知らないことを調べるって自分は好きなんだなあ。 たまに顔をあげて外の景色を眺める。 人々が本に集中しているこの空間もいいのかもしれません。 宿題はまあまあできましたが、 帰りに読みたい本を見つけたのでまた時間を作って来たいと思います。 もう少し涼しくなったら散歩もしたい

自分はわかっている

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自分はわかっている、というパターン。 「私」はそうは思っていないけど・・・ 自分はわかっている、知っている、 どうすることがいいのかをわかっていると そう思うパターンを選んでいたことを思います。 今までこのパターンを簡単に選んでいたのかもしれません。 簡単に手軽に選んでいる。 考えも浅いというか・・・ いいと思う方向へ行かない展開になると、 イラ立ち、もどかしさ、不快感。 昨日はこれらの感情が特に出てきたように思いました。 今日も今の気持ちをふいに感じ取ってみます。

そのまま言ってみた

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お盆ですね~。 今朝はめずらしく早起きをしてお墓掃除に行ってきました。 お花屋さんにも開店前から並び(みんなこんなふうに並んでいたんですね!) いい感じのお花をたくさん買うことができました。 家にも仏壇があるのでいつも盆提灯を出して飾ります。 テレビを見ていた夫が、 「えーやっぱ出すの?やることいっぱいだな~」 今夫は義母の様子を見に行っているため、 休日も休みという感じがなく、 私まで忙しそうに動くのをとても嫌がります。 そして、そばに来ては(夫はやらないけど)、 あれこれ提灯の組み立て方を、そうじゃないだろう~って口をはさみます。 はい、ここで、今何感じている? 苛立ち、不快感、面倒くさい・・・ この面倒くさいっていう感情、 夫に対しては本当によく出てくる。 あまりにもそばでいろいろ言ってくるので、 「うるさい。いつもやっているから言わなくて大丈夫だよ」 と、気づいたら感じたことそのまんま言っていました。 反撃してくると思いきや、 夫は黙ってまたテレビを見始めました。 自分が今どんな感情でいるのかを知る。 っていうのをしているだけでしたが、 こうやって伝えればいいんだな、と思ったお盆の入りです。 只今調理中。この中には何が入っているでしょう??

ゆったりくつろぐ感覚

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マイヤーリングという滝沢にあるケーキ屋さん。 甘さ控えめの素朴で美味しいケーキがたくさんあります。 今は桃やスイカを使ったケーキやタルトがありました。 季節感があって、職人さんが丁寧に心を込めて作っていることが感じられるお菓子ばかり。 中に足を踏み入れた途端に、 ここはどこ?と外国を思わせるような おどろきと、懐かしさと、ちょっとわくわくしてくる感じ。 この空間があって、時間もゆったり流れていくように感じました。 この時に感じたゆったりくつろぐ感覚も できれば毎日一瞬でも思い出したいなあと思いました。 ケーキを食べれればいいということではなくて・・・ 自分がなんかいいな、好きだなと思う空間と時間感覚。 そういうものを自分の中にも作ってみたいな。 お花さんもくつろいでます

感じられない、を選ばない

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今、何を感じている? という問いを不意に投げかける。 (この、ふいにやるのがいいそう) と先生に言われるも・・・ 四六時中、意識できないものを、 果たして不意にというタイミングで思い出せるのだろうか。 って考え、難しい、できないと決めつけるのもパターンなんだなと思いました。 一日のうちに何度も何度も問いかけるって、 そう簡単なことではないと(パターンは)思っている。 何かネガティブな感情が湧いたときは問いやすいのですが、 その場で、今、何感じているのか? と問うことができない日も多い。 でも、もう、できないという決めつけは選ばない。 何度も何度も問いかけるのは難しい、 と言っているのは誰なんだろうか? ここにも問いかけた方がいいです(自分の場合)。 昨日は5~6回くらいですが、 今、何を感じているのか? 問うことができました。 その中に、面倒くさい、という感情がありました。 感情とは言えないかもしれませんが、 無気力っぽい感じというか、動くのがおっくうな感覚がありました。 こういう感覚、夫に何か言われたときや、 仕事に行く朝や暑い日なんかは特に出てきていたのかもなあ。 ちゃんと感じられている自分がいてよかった。 入道雲 つかめそう~

パターンを選ばない自分になりたい

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2日間の道場を終えてー 語りかけを正しくやり続けることと、 自分はどうありたいのか、という目指すものを明らかにしていくこと。 この2つが体中をこだましています。 この2つについて(他にもあるんだけどまずはここにしぼる)、 次の回までに毎日意識して、 語りかけは深くもっと自分を見ていきたいし、 今、何を感じている?をできるだけ多く問いかけていきたいです。 「考えるな、感じろ」 Don't think, feel 黒パターンで考えるのをやめる ただただ感じよう 先生からの問いを受けて、 感じられない自分はダメだと思っているのもパターン。 分らないことを(感じられていないことも) あれこれ考え続けているのもパターン。 自分はやることがたくさんあって、 どれも優先でどれも必要なことで何も削れない、 と思っているのもパターン。 家族は大事で、夫が今一番大変なんだから 自分が助けるのは当然だと思っているのもパターン。 そんな夫にもしものことがあったら、 一人で生きていけないと思っているのもパターン。 会社員ってこうだから、仕事ってこうだから、あの人ってこうだから、 だから自分はこうするしかないって決めつけたがるのもパターン。 それらを選んでいるのは誰のせいでもなく自分でした。 そう、自分がぜ~~~んぶ選んでいる。 思考して選んでいる。 自分の体のことも、魂の望むこともちゃんと感じずにです。 じゃあ、どうありたいのか? パターンを選ばない自分になりたい。

同じことをやり続ける

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岩手クラスの道場1日目は、 なぜか盛岡冷麺を食べていたときに、 年をとってみんなで学べないという日が来ても 冷麺を食べるたびに懐かしく思い出すんだろうなと思いました。 なんでそんなことを今しみじみ思ったのかわかりませんが・・・ 15年経って、自分があまり変わっていない部分もあるし、 全然違っている部分もあります。 ただこうして続けてこれたのは自分が選択してきたことではあるけれど、 やはり先生やみんなのおかげだと思いました。 クラスの人の発言にパターンが引っかかったり、 みんなより自分は劣っているとか、成長していないとか、 そういう比較のパターンはずっとそこにある。 開示はまだまだだと思うけれど、 これからもっと開示しあえるクラスになっていくようにも思う。 15年前も今も、 感情が騒げばケアをして・・・と、 ホントいつも同じことをやっています。 でも同じことをやっているんだけれど、 15年前とは変わっているところもあります。 朝目覚めると暗い気分で一日を始めていたことも、 眠れなくて気が狂いそうな夜も、 しょっちゅう自分はダメな人間だと泣いていたことも、 今はそういう自分ではなくなっている。 それはやはり、パターンという存在を知ったから。 それは「私」ではないんだと知ったから。 そして、その先にずーっと先にあるもの、 それを見てみたい一心で続けているのかもしれないです。 階段を一段上がっただけで見える景色が変わるように、 今日も自分を知ること、やっていきたい! 今まで食べた中で一番おいしく感じました!