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パターンを守るもの

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一度パターンの存在を認めると、 そのパターンは水を得た魚のように主張してくるような気がしました。 もうなかったことにはできないし、 あとはそのパターンがケアされるまで、 パターンも堂々と主張してきます。 その主張を受けとめるのは母性。 母性がパターンを受け入れ、 そして次に父性によってパターンよりももっと堂々と 大きな愛で語られていくのでした。 このバランスでパターンは守られていくんだな。 遠くから見るとこんなに大きな木

変えようとしない

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パターンへの語りかけに、 「私」はそうは思っていないけどね・・・という言葉を付け足すと、 ああ、そうなんだ~って思うときと、 ああ、そうだよね~って思うときがあり、 この差は微妙ですが全く違うものです。 前者は、パターンが優勢になっているために、 「私」がそうは思っていないことをすっかり忘れているというか、 パターンの言い分を聞くのにどこか必死さがあるように思います。 後者は、パターンの言い分もわかっているけれど、 深いところの真実として本当は違うということも知りつつ聞いている。 「私」の立ち位置を今一度確認しながらもパターンへも寄り添いたいと思っている感じがあります。 語りかけをするときはまずはパターンだけを見る。 言いたいことはわかったわかったと、すぐに白パターンを考えたくなるのは、 今いるパターンを何とか変えさせたいという魂胆があるのだと思う。 そうなると、今の自分を変えさせる目的で語りかけをしているようなものだと思いました。 これからは「私」が見守っているから、 あなたは何も変わらなくて大丈夫。 「私」がそうは思っていないと言っているのは、 パターンがどう思っても大丈夫なんだよと言っているのと同じ・・・ということなのかな。 今日は26℃曇り 過ごしやすい一日でした!

正直さをとり戻す

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そのときの自分の気持ちに意識を向けると、 れっきとした怒りがありました。 でも怒りもあるけれど、それについての先行きの不安や恐怖心もそこに同時にあって、 それを何とか表面的に解決させるために思考が動き出すように思いました。 いろいろ考えることでその不安への対策ができて、 怖いと感じたものもだんだん落ち着いてきます。 でも、やはり一番はじめの怒りはそのままそこにパターンとしてある。 そのまんまそこにいていいからね、と普段パターンへ言っているくせに、 怒りがあると仕事がしずらいのでそこは見ないようにしていたんだなあと思います。 自分に嘘をつくというのはこういうこと。 嘘はつきたくない、と思っていても、 感情を見ていないことが結局は正直じゃないことになっていたとは・・・。 わかっていなかったな、ということをまた自覚しながら、 また一歩一歩やっていこう。

もっと意識的に

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先生のカウンセリングを受けました。 行く前に話すことを整理したくても出来ず・・・その理由が身に染みてわかった気がしました。 パターンに反応しているのにそれを思考ですり替えていました。 こう考えていけばいいとか、こういう捉え方もあるとか、全部パターンがやっていること。 普段から染み付いている、すぐに頭で考えようとする癖。 意識的に目を向けていないとこうなってしまいます。 特に仕事中は、感情を無視していたり、感じるのではなくすぐさま考えることをやっているのでした。 それは自分に嘘をついていることと同じ状態だということも教わりました。 自分の感情を見ないということは、表面的な解決を私は優先していたんだな。 そうなると、見た目にはうまくやっているように見えます。 でもどうありたいのかの「私」とは不一致性が出てきて、いつまでもどこかすっきりしない感じがありました。 仕事をより良いものにするためにお互いを尊重し合いながら進めていけるようにとするのは、 表面的にはそうなんだけど、 自分のやる事はそこではなかったのです。 自分がやる事は、他人や外の出来事ではなく自分(パターン)を見ること、またそれをゆるすこと。 いつどんな時も、たとえ仕事であってもここを外していいということはない。 もう一度、感情に意識を向けることと、向けた後もしっかりパターンのケアをし続けていこう。 まだまだ甘いんだなあ。 自分に喝を入れます。 いつもの茅ヶ崎の景色

食事をつくる幸せ

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母はこの頃、食べ物の好き嫌いが出てきた感じで、 毎回冷蔵庫を開けては、何つくろう?って思います。 一応好きな食材は買ってあるつもりなのですが、 美味しそうに見えてないと食べなくなってきている・・・ように思います。 1年ほど前からどんどん体重が落ちてしまって、 年だからね~と、自然に食事の量は減っていくものだと 主治医の先生からは聞いていました。 それでも、あまり食べないままにしていると 今度は歩くこともままならなくなってしまうので、 せめて好きなものだけでも食べてほしいと思い、いろいろ試行錯誤していたら・・・ 見た目が重要だということに気づいたのです。 例えば卵焼きも、黄色の鮮やかさとキレイに一口大に切って出すとか、 和え物も小鉢に量が少なめに上品に盛ってあると食べます。 味噌汁も今まで食べていた田舎味噌より、白味噌の方が美味しいと言う気がして、 そこに油揚げと野菜をバランスよく入れると、完食するような気がします。 ゼリーやヨーグルトも、ガラスの器に盛ってあげると食事の最後に、 あら~これは何?と言って嬉しそうに食べるのでした。 母のおかげで、そういう工夫を楽しませてもらっている私。 食卓に美味しそうなものが並ぶ光景は、作っていて楽しいし、 他愛もない会話もはずみます。 なんだか小さい頃の食卓を思い出しました。 子どもの頃、自分の好きなものが出るだけでなく、 わあ~!という感動と共に食べていたのだと思う。 そういえば、私が喜ぶから作っていた(ハンバーグとか餃子とか) と母から聞いたことがあるので、 食事って食欲が満たされるだけでなくちょっとした感動の時間なのかもしれません。 そして何よりも、一緒にご飯を食べる人がいるということが一番! 自分ができることがあるということの幸せを母からもらっています。 九戸村名物といったらコレ「甘茶でかっぽれ」

自分と向き合う時間

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 ●自分は特別で一番だ という大きなパターンへの語りかけを続けています。 やる前に疲れて寝てしまうこともあるけれど、 それは時々やってしまう、化粧落とさないで寝てしまった!という感じのものに近く、 朝起きたら顔を洗おう(翌朝、語りかけしよう)・・・という軽さがよい意味でちょっと出てきたようにも思います。 と、感じたのは、 一度決めたことをやり続けたいと思うときに、 できなかったことがあると、また違うものを選び直したり、 続けられないのは自分の意思なのに、 続けられるようなものを選び直そうとするパターンがいます。 また、そんなこともやれない自分なんだと責めるパターンも。 完璧にやりたがるパターンがいろいろささやくのだ。 でも、もうそういう執着はもう不要だということも少しずつわかってきているため、 できない日があってもまたやってみよう、という方を選んでいます。 家に帰ったら顔を洗うように、または寝る前に歯を磨くように。 それだけのことだけど、それだけではないと言ったらいいか・・・ 瞑想をしているかのようにパターンと向き合うこの時間が、 自分にとって日々とても大切なことに感じられるようになってきました。 続けるということも、 他人とも過去の自分とも何にもくらべることなく、 前を向いてやっていける自分でありたい。

もしかしたら~

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親戚の家に寄った帰りに九戸神社へ行きました。 下から見上げると、樹齢500年規模の大きな杉の木がたくさんあって、ちょっと薄暗くもあり、 気が遠くなるような急な階段がず~っと続いています。 いつもだったら、これくらいの階段であったら速攻にあきらめてしまうのですが、 もしかしたら~登れるのかもしれない・・・と思い、 少しずつゆっくり登ってみたのでした。 上を見ると転びそうになるので、下を見て一段一段登ります。 途中、止まりかけたり、深呼吸をして息を整えたり。 残り10段くらいになると一気に登りたくなるのですが(と言っても早くは上がれないんだけど)、 はやる気持ちをおさえて最後までスローペースで登り切りました。 登れるのかどうかの根拠を探すこともなく、 いけるかなどうかな、体調も悪くはないから大丈夫かな、 などとあれこれ考える間もなく、 上を見ていたらす~っと足が出た。 そして思ったよりも、息は切れても心は軽かったです。 こういう感じでやってみればいいんだと、 神社だけに、神さまから背中を押されたような気がしました。 帰りは風が気持ちよかった!

キラキラしたところ

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今日はちょっと変わった支援をしている事業所を見学してきました。 SNSで見ているかぎりは、ここ福祉なんだろうか? (相談できる場所なんだろうか?という意味) という疑問がちょっとあったのですが、謎が解けた感じがしました。 この場所を求めている人たちはたくさんいると思うので、 盛岡にもやっとこういうところができたのか!と驚きでした。 楽しく通ってほしいという願いの通り、 あっと驚くようなカッコイイ内装やキラキラインテリアで、 毎日来るのが楽しくなるだろうなあって。 スタッフの方たちも若くて本当にいきいきしていて・・・ だったのですが~、 好評価の感想とは別に自分の感情としては、 心臓バクバク、緊張、不安、疲労感だったのでした。 そこがいいとか悪いとかいうものではなく、 正直に自分をみると、それが本当の自分なんだなって。 帰宅後、その感情から解放されたためなのかどっと疲れが出てしまいました。 なんでこんなに今日疲れた?って考えたら、 自分には今流行りのもの、いわゆるサブカルにほとんど興味がないため、 その世界にいると自分のセンサー的には落ち着くものがなく、 こんなにも疲れるものだったのです。 一緒に見学しにいった方は、 もう目をキラキラさせてとても嬉しそうでした。 そこは本当に良かった。 今日のパターンは、 ●新しいものにはついていけない ●自分はもう若くない あたり・・・かな? しっぽのキーマスープカレー 

GWもカレーか?

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昨日のランチにあんなにお腹いっぱいカレーとナンを食べたのに、 夕飯に夫が食べたいというのでチキンカレーを作りました。 私は元々カレーが好きなので、 手作りでも市販のルーでもレトルトでも、 どれもそれぞれのおいしさがあるので連日でも食べられます。 結構、同じものをはまって食べ続けるということがよくあるのですが、 この2日間の様子をみるとまだまだいけそうなので、 GWもどこかのカレーを食べに行きたいな~と思いはじめています。 スープカレーもいいかもなあ。 ただ、ご飯の量も結構食べてしまうし、 カロリー的にはかなり高いと思うので、 GW明けにお腹周りが大変なことにならないように気をつけたいです。 なかなか100回噛むというのも、カレーだとちょっと難しいです。 美味しすぎて喉を通過するのが早い。 今日は会社でもGWにどこに行くかという話が飛び交っていました。 そういう話は聞いているだけで顔もほころびわくわく感が伝染します。 休みがはじまる前の数日が、一番楽しかったりして〜 私はGWも変わらず、大物パターンの語りかけと(←これ、今年の目標)、 昨日勉強会でここやろうって思ったところを重点的にやっていこうと思います! バーモントカレー中辛

勉強会っていい

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今月の勉強会はいつもより人数が少なかったのですが、 みなさんのお話をじ~っくり聞くことができて良かったです。 ここ2か月あまりの様子をそれぞれに話すということでしたが、 私は2か月前に大変だった(とパターンが思っていること) をもう一度整理するためにお話ししました。 でも、話してみると、 現実的にやること(行動を変えること)はやっていたのだけれど、 肝心のはじめに湧いた感情に対して、 パターンをよく見ずに思考で対処していたことに気づきました。 もう一度、あの時の感情は何に対してひっかかっていたのか? 確かにいらっとしたし不快だったし、怖かった。 といういろいろな感情が入り混じっていたことが思い出されます。 何がそんなに怖かったのか。 うーん、本当に何が怖いとパターンは思っているんだろう? 1つの理由が出てきても、じゃあそれはどうしてそう思うの?とみなさんからの質問が続いていきます。 なぜ?なぜ? ああ、こんなふうに自分へ向き合うことができていなかったんだなあ。 自分に甘かったんだと気づかされました。 今月は先生が来られなかったけれど、 なんかしっかりみなさんから教わっている私。 ホントにホントにみんなが先生に見えました。 勉強会は、自分の成長に欠かせないありがたい時間です。 久しぶりのナン、美味しかった♪

Aさんありがとう

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Aさんが 「魂の道場」 を卒業されたとお聞きしました。 この学びには卒業というものなどないと思っていましたが、 みんな個々の背景を持って、個々の課題に向き合って生きる時、 「卒業」という一つの区切りからまた新たな人生が始まるのだと思うと、 私がAさんと会えたことはなんて幸せだったのだろうって今思います。 Aさんは、私にとってはお姉さん的存在でしたが、 とてもおちゃめで、ときどき、え??って思うような考え方をしていたり、 なかなか自分の周りにはいないタイプの方のように思っていました。 だからなのか、 Aさんの発信するブログに笑わせてもらったり、 励ましてもらったりしたこと数知れず・・・です。 はじめて茅ヶ崎クラスに行った日に、 岩手から名物の南部せんべいをお土産にもっていったら、 まさかのまさか、Aさんも私を歓迎しようと 全く同じ南部せんべいを用意してくれたのでした。 (この話、もう何度もネタにしてすみません) まさか関東在住のAさんが、 岩手から来る私に、普段食べている岩手のせんべいを用意しないでしょう・・・って思うのですが、 そういう、なんで?って思うようなことをしてくれるのがAさんでした。 そういう独特なユーモアをもらいながら、 これまで一緒に道場で学んできたことはとても誇りに思うし、 私も先生やAさんのようにのびのびと年を重ねていきたいと思うのでした。 あの笑顔を思い出すだけで私の心は軽くなります。 Aさんご卒業おめでとうございます!!

心の重さを感じたら

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それをする動機は何か?と問うと、 相手から嫌われないように、 いろいろ言われないように、 クレームにならないように等々・・・今日はいろいろありました。 パターンが言っているところを動機をすると、 なんとも気分が重くなるような結果を受け取ります。 たとえうまくいっているかのように見えていたとしても、 自分だけわかる心の重さをどこかに感じているのでした。 そして、その重さがいやだから動機をよく考えようとするのではなく、 やはり、自分はどうありたいのか?と考えれば、 動機って考えずとも瞬間的にそうしようって、なるものだと思いました。 ちょっと重たいなあって感じたら、 さあ、ここから何を選ぶの?って自分へ問いかけよう。 さあ、ここからどんな感じで、どんな気分で次へいこうとしている? って感じてみよう。

癒しの持続

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今日はシェービング(顔剃りのことで~す)へ行ってきました。 もうこれが、あまりにも気持ち良くって、 途中記憶がないほど脱力して寝てしまいます。 これはもう、私にとっての「癒し」なんだと思います。 感覚的な気持ち良さ、そしてその最中の安心感、終わった後の爽快感。 それに浸る前と後では、気持ち入れ替わったように続く。 他にも、犬を見かけるとそれだけで癒しをもらうし、 緑があるところで空気をめいっぱい吸ったりするのも地球からの癒しです。 特に自然から受け取るものは、 そこに人として生かされているという実感がどこからともなくわいてくるので、 そのありがたさで涙が出そうになることがあります。 (これが、大地への感謝なんだろうな) 一般的には癒されるって、一時的なもので、 しかも誰かに何かにしてもらうことが多いと思いますが、 そこに浸り、あの後もその軽さを感じ続けることができるのは自分の意思なのかも。

一歩踏み出す

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誰かの役に立つことをしたい・・・で思い出したのは、 先日、友人が困っている様子をみて、 たまたまそれが自分にできそうなことだったので、 代わりにやってみたということがありました。 それをするのに自信があったわけではなかったし、 よくわかっていないこともたくさんありました。 でも、少しでも力になりたいという気持ちだけでやってみたら、 思いのほか一歩前進した感じがありました。 以前の自分であれば、 こんなふうに自信がないことをやってみようとは思わなかったと思います。 後から間違っていたら迷惑もかかるし、 ちゃんとわかっていないことには手をつけたくない(ってパターンが言う)。 でも、少しずつですが、 わからないことに対しての怖さがあまりなくなってきている気がしました。 少しでもできそうなところがあればやってみればいいし、 違っていたとしても、今の自分の持てるものは出したほうがいいと、 (たとえ、後から言うほど頼りにならなかったと思われても~) そういう軽さを以前より持てているように思います。 自分にできることしか神さまは与えない・・・ということもよく言われますが、 その「できる」をどう意味付けるかにもよります。 自信があって、他人に誇れるもので、得意なことだけではない。 一歩を踏み出すことも、自分にとってできること。 そういう意味付けもいつの間にか自分の中に付け加えられてあったのかもしれません。 まだ結果として役に立てたと言えるかどうかは微妙ですがー でも、これからも誰かの役に立てそうなことがあったら、 もう完璧さはいらないとわかったので~やってみようと思います。 雪解け水で北上川の水量が増えてました(大槌の山にかけたい…)

自分のできること

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大槌町の山火事がTVで流れて、この火の燃え方を見ていると、 昨年の大船渡の山火事以上ではないかと思ってしまいます。 自分の家の近くまでせまってくる火は、 さぞや怖いだろうし、でも逃げなければならないし、 こういうとき自分はどうするのだろうか。 天災がない、または、小難で済んでいるということが、 本当に大きなことであり、 これこそ日々地球に感謝することでした。 自分の家が目の前で焼けてしまった様子を見ていた男性は、 本当に信じられなかったと言っていました。 信じられないことが、これからの地球には起こるのかもって感じます。 ただ見ていることしかできませんが、 どうか一日も早く鎮火することを祈ります。 そして、直接的に自分ができることがなくても、 もし今、誰かの役に立てることがあればそれをしたいと思いました。 ご近所のしだれ桜は満開🌺

目を合わせる

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最近、話をするときに、 相手の目をじーっと見て話している自分がいます。 え、普通じゃないの?と思うかもしれませんが、 これって自分的にはあたり前なことではなかった。 恥ずかしがりやとか、そういうことではなくて、 いわゆる苦手な人、嫌いな人には、 その気持ちが何だか相手に伝わってしまいそうで、 以前は目をずーっとは合わせられなかったのです。 また、嫌いだから顔もできるだけ見たくなかった。 それが、 この頃はじーっと顔も目もいくら見ても、 あれ?大丈夫になっている。 もちろん全て毎回そうとは限らないと思うのですが、 それでも今は、嫌いであっても(好きではないけど)顔を見ても不快な気持ちにならない。 そういう変化を感じています。 他人の顔を凝視していると、相手の心を見ているような感じがあって、 それは、「私」がその人の心の中にあるパターンを見ている(見せられている)んだなあと思う。 他人も、「こういう人」ではなく「こういうパターンがある人」です。 made in iwate ♪

察知する「私」

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今、どんな感情がわいている? と問うことについてですが・・・ そういうと、何かすごく大きな出来事によっての大きな心の動きを言うように 聞こえるのかもしれませんが、全然そんなことないです。 本当に些細なこと、一瞬で通り過ぎてしまうようなこと、 そういうちょっとしたことでも「感情」を察知している私がいることに気づきます。 それくらい、小さな心の動きにも意識が向けられているということ。 これまでは、そういう小さな心の動き(ネガティブさ)は何かをすれば忘れるだろうとか、 気にしない気にしな~いと変なおまじないのように言い聞かせていることもあった。 また、逆に気にする自分(パターン)もいて、 くよくよといつまでも考える。 また、朝から晩まで寝ているとき以外はずっとそこから離れられず、 考えぬいて何とか答えを出そうとして自分で自分を苦しめたり、 また頭(これも別なパターン)で納得させたりしていたのだ。 今、どんな気持ちでいる?という問いには、 その時の正直な自分がいます。 そう感じさせる何かしらのパターンがあって、 その何かしらのパターンに寄り添う「私」は空気のようにそこにいつでもいるのでした。 些細な動きさえも察知できる「私」には嘘はありません。 ということは~ 「私」自身の感度も上がってきているということなのかな。 地域の安全!非難経路の確認!

パターンへ抵抗する

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感情が湧きおこるとパターンが騒いでいるなとわかります。 ここまではいいのですが、問題はその後で・・・ パターンが騒いだことにすごく疲れるときは、 そのパターンに抵抗しているパターン(別名:プライド)がいるとき。 ●思い通りにしたい、というパターンに引っかかり、 パターンはがんばって相手を思い通りにしようとすると、それはそれで疲れるのですが、 それ以上に、そんなパターンを自分は認めたくなくて、 思い通りにしたいなんて、 そんな(程度の低い)こと思っていませんよ~ってパターンをシャットアウト。 思い通りにならなくても大丈夫だ! というふりをしていると、これは本当に疲れます。 「そうだよね、あなたは思い通りにしたいなんて、そんなことは思ってはいけないって思うんだね」 の後に、 「私は、そうは思っていないけど・・・」 ここをしっかり付け足しました。 こうやって、本当の「私」は思っていないんだと、 どんなパターンもいていいのだと、パターンに伝えることでやっと光が届くような気がします。 だから疲れたときは何が起きているのか? ここを見ながら、パターンに温かな光を注いでいこう。 郵便局のメッセージは的を得ています!

仕事中にやること

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今日は月曜日。今週もスタートしました。 週末は「わらしべ」イベントでリフレッシュし、温泉にも入れて桜もいっぱい見れて、 いろんな疲れもどっか飛んでいった気がします。 仕事、職場、会社に行くということ、 どれも言い方は違えど昔は切り替えをしていたように思います。 または、割り切ってやる、とか。 そうやって月曜日をスタートしていた。 この頃感じるのは、 そういう意識的な切り替えや割り切りがないというと少し言い過ぎかもしれませんが、 プライベートでもどちらでも結局は自分はどうありたいのか?に意識は向けられることには変わりないのだなあと。 感情や感覚がわいて、 パターンを見つけ、今までのそれではないところを選び、 それはどんなあり方をする自分なのかを考える。 プライベートならできるとか、仕事ではそうはいかないとか、 その区別をしなくても(決めつけなくても)、 だんだんとどの場所にいてもやりたいこと、ありたい姿は同じなんだなあと思ったりします。 だからといってそのありたい姿は、 いつも自分に正直にのびのびといれるわけではないんだけど、 少しでも心に軽さを持ついい感覚の方を選んでいきたい。 白い部屋に入ったときのあの清々しさです。 それをたまに思い出して、浸って、仕事中もやっていこう。 今、何感じてる?もだし、 それをする動機は何?もだし。 なんか、仕事中やること増えたな。 まだ若い桜♪

ほっこりします

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今年の桜はお天気にも恵まれて、 なんだか例年よりきれいに咲いている気がします。 そして、この頃は桜の名所に行くよりも、 人があまり来ないような場所に咲く桜を好んで見るようになりました。 山の中にふっと薄い桜色を見つけて、 「あれ、もしかして桜?」と気づく瞬間も好きです。 春のこの時期以外は気づくことがない(何だかよくわからない木)・・・この控えめさがなんともいい。 桜が咲くのが待ち遠しいと思うようになったのは、いつ頃だったのでしょう。 若い頃は桜はおろか、花にも全く興味がありませんでした。 それが、いつだったか娘が小さい頃にお花のことを「お花さん」と呼んで話しかけている姿を見て・・・ 子どもの純粋さもそうですが、それからお花に興味をもつようになった気がします。 水やりをするときは必ず何かしら声をかけては、ほっこりしてしまいます。 とはいってもなかなか枯らしてしまうのも得意なんですが・・・ 今年は何のお花を植えようかなあ

笑顔が一番

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笑顔が一番! ってどこかの健康食品のうたい文句みたいですが・・・ 昨日お会いしたベトナム人の女性の方が、 今朝もさわやかな笑みで朝食を運んできてくれました。 朝5時に起きてのお仕事、ごくろうさまです。 接客業であるということもあるけれど、 昨日おしゃべりをしたときと変わらずまたその笑顔に こちらも温かな気持ちになります。 普段、無表情な人も、 ちょっとだけ笑顔が見られると、 その人の心が垣間見れたようなほっとした気持ちになります。 ふっと顔がゆるむとき、きっとこの方の本心というか、 本質のようなものが見えてくるような気がします。 実は昨日、自分より聞けば8歳年上の方から(はじめて会った方)、 「あなたも、私と同じくらいの年でしょ~」と言われました。 がーん。 これは猛烈にパターンが騒ぎました! 自分がそれくらい年が上だと思われたってことは、 なんかやつれたような表情をしていたんだろうか~って。 そしてその方はずっと笑っていて笑顔がとてもチャーミングな方でしたので 余計に自分とのハツラツ度の差があったのかも。 そんなこともあって、 これから先、実年齢より上に見られたとしても、 ますます笑顔だけは絶やしたくないなあと思ったのでした。

人と話して学ぶ

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今日はベトナムから秋田へ働きに来ている女性たちと お話する機会がありました(宿泊施設のスタッフさん)。 お二人とも日本語がとても上手です。 なぜ秋田に就職したんですか?と聞いてみると、 先月まで東京などで暮らしていたそうですが、 再就職となったときに自分の語学力では都会ではむずかしく・・・ それで東北地方の会社なら~と、面接を受けたのだそうです。 つまり、東京と違ってなまりのある東北人相手であれば、 日本語が完璧でなくても仕事で通用するということらしいです。 なるほど・・・たしかになまっている人となら、 相手も標準語じゃないから許してもらえそうだと。 なんか笑ってしまいました。 でも来てみると、皆とても優しい人が多くて、 お二人はまだ若く可愛らしいので、 年配の方たちからもよく話しかけれ、 それがまた日本語の勉強になると言っていました。 外国から来ての苦労は相当なものだと思いますし、 家族と離れて寂しかったりするでしょうが、 そういった苦労の中でもそのこと自体をどこか楽しんでいるかのようでした。 今から自分が海外で何か勉強をしたり働いたりということは、 おそらくないでしょうが、 今までの自分だったら付き合わなかったという人や、 自分といろいろ考えが違う人など、 異なる人間から学べることは多いだろうなと思います。 建物の隙間から岩手山

非同一化

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●思い通りにしたい、というパターンが、 思い通りにならない相手に対して、 ああ、もう~~~、こんなに私が言っているのになんで~~~ってイライラ。 居ても立っても居られない気持ちになりました。 もうどうにかしたくて仕方ないんですね、パターンは。 なんか山が噴火して溶岩がドバーっと流れていくように、 感情があふれているなあと思ったのでした。 思い通りにならないことがパターンはゆるせません。 でも「私」はそうは思っていないけどね、とそばで言っている。 「私」は全然思い通りにならなくてもいいと。 この違いを、パターンと私の非同一化と呼びますが、 同じではない、同化していない。 ということを今一度確かめていこうと思いました。 私は感情を持っているが、感情ではない。 私は肉体を持っているが、肉体ではない。 私は願望を持っているが、願望ではない。 そして、私はパターンを持っているが、パターンではないのだ。

しっかり聞きたいのに

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本日の宣言「しっかり話を聞く」でした。 いつもは「ちゃんと」という言葉を使うことが多いのですが、 今朝は「しっかり」という言葉が浮かび・・・ 落ち着いた姿勢で集中して聞ききたいと感じたからなのかもしれません。 がしかし、少しさわがしい喫茶店での会話でしたので、 周囲の雑音や近くに座っている方たちの話し声が気になり、 私と同じように相手の方も感じていたら申し訳ないなって、 それも気になりますます集中できなくなってしまいました。 しっかり聞きたいのに聞けない・・・。 少し前のめりになって相手の言葉を聞き洩らさないようにしていたのですが、 後から、「この席で大丈夫ですか?」と(他にも空いている席はあった) 聞いてみても良かったかなと思いました。 話しずらそうにしていたら、「話しずらくないですか?」とか、 時間を気にしていたら「時間は大丈夫ですか?」とか、 何でもそのまんまを聞けばいいことなのに。 なぜできなかったのだろう・・・。 相手の話を折ってはいけないとか、 聞くことでかえって周囲の雑音が気になりはじめるかもしれないと、 いろいろ考えだしたパターンがいました。 要するに、 その時の自分はちょっと正直じゃなかったのかも。 白ではなく黒を選んだんですね。 そのうちだんだん周囲の雑音に慣れたのか、 その後はもう気にならなくなっていましたが、 もしまた機会があったときは(また騒がしい喫茶店のときは)、 素直に聞いてみようと思いました。 ちひろのケーキ大集合

自分のために起こること

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朝に今日の宣言をしていますがー ほぼほぼ考えずに、瞬時に出てきたものを心の中で言います。 今朝は、「今日起こることはすべて、 自分のために起こることです。ありがとうございます!」でした。 大抵、この朝の宣言をした時点で もう何を言ったのかも忘れて一日を送り、 後から全然思い出せないのですが、今日はめずらしく覚えていました。 起こることすべて・・・ということは、 ああ嫌な言い方するなあとか、 おばさんだって思われているんだろうなとか、 なんでこんなに思うようにいかないのよーとか、 無理だと思ったけど何とかなりそうだなとか、 これらパターンが思ったこと全部、自分のためなんだという実感がわきました。 つまり「私」を育てるためのものしか起きない。起きていないんです。 そう思うと、あれもこれも、 な~んかいいことばっかりじゃん!って思えました。 明日の朝はどんなことを思うのかなあ。 街中がさくらまつり♪

不快感と息苦しさ

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今、何を感じている? 今日はとても忙しい一日で、全てを終えて家に着くとどっと疲れてしまいました。 そして、着替えをしてそのまま畳の上で寝てしまい・・・ さっき目を覚ます(えーーーもうこんな時間!)。 ですが、こんな日でも一回だけ、 何を感じているんだろうって感じてみた瞬間がありました。 うーん、むしろこういう時の方が、 あきらかなネガティブ感情だから気づきやすいのかな。 今日は、たまたま訪問先でとても声が大きい方と話しをしたのですが、 その声をずっと聴いていたら途中からその声の大きさが気になり、 内容が半分しか入ってこず集中できませんでした。 ああ、今、自分、不快感と息苦しさがすごいな・・・ 明日もたぶん忙しい一日になりそうですが、 感じてみよう。 たのしいお店♪(よくパンを買います)

友人との会話で

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友人が転職したということで、 一年ぶりの再会でご飯を食べにいきました。 仕事の話をいろいろしていくうちに、 前職でのつらい体験が今も傷ついたまま心に残っていて、 自分にも似たような経験があるため、光景が目に浮かぶようでした。 その話を聞く自分の中の母性は、 友人の気持ちに寄り添い静かに受けとめているようにも感じました。 また少し客観的になって感想を言う自分もいて、 そこは父性をもって話していたということだったのかなと、後から思いました。 自分の中に母性も父性も両方あることが感じられ、 それは自分だけでなく、友人にもあった(誰にでもある)と。 もしかしたら、 どちらか一方だけの自分で話を聞いたり話したり ということの方が多いのかなと感じます。 普段いちいちこれは母性だとかこれは父性だとか思わないので、 バランスが偏っていても気づかないのかもしれません。 パターンで話しているかどうかという視点ならばともかく(←これは分かりやすい)、 「私」が話すというところを意識的にもっていても、 その中でも母性や父性というところで、 聞いてもらえたなのか、助言をもらったなのか、ただそばにいてくれたなのか、 なにかお互いにどこが伝わるのかの感じ方はいろいろです。 自分のパターンに対する語りかけは、 以前はほぼほぼ母性だけでやっていたために なんだか寄り添うというよりべったり感があって、 それはパターンよりでもありました。 ということは母性とも違うのかも。 また父性だけだと気づいたときは、 母性がするような受けとめや、待つということ、そこに一緒にいるという感覚など、 それらが省略されて父性がパターンの気持ちを正しく代弁したとしても、 その語りかけはただ「こなしていた」に近かったのだと思います。 ということは、父性だったのかもあやしいな。 普段の語りかけの要素といったものが、 こうして友人との会話の中でも起きているんだなあって、 ああ、だから語りかけって誰がやっているのか?そこが大事なんだなあって感じた夜でした。 一瞬の夕焼け 遠くに岩手山

それをする動機

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それをする動機は何か? 今、何を感じている?の他にもう一つ問いかけが増えました。 今日はあることについての話をしている人に対して、 その話に乗っかって、ああでもないこうでもないと、 自分もその中に入ってしゃべろうかどうしようかと一瞬思った自分がいました。 その動機は何か?と問えば、 話に入ることで自分は、共感していますよとアピールしたかったのかもしれません。 そうすることで、相手にほっとしてほしい。 そしてなぜほっとしてほしいのかの動機をさらに問うと、 その人を敵に回したくないという動機が出てきました。 ああ、そうだったんだ・・・ でも、動機不純のまま、そうしなくて良かったと思いました。 そして、これまでのような共感は要らないし、 敵だとか見方だとかいうところには、 もう自分はいなくていいんだと思ったのでした。 何も期待せす、何も見返りも求めずであれば、 その輪に入らずとも立っていられます。 そして、そこで何か不快な感じがあったら、それを充分感じて、 「語りかけをする」なのか、「黙りなさいと言う」なのか。 いろいろその時のふさわしい自分への選択をすればいいのかな。 先生のここ数日のブログ は内容がちょっと難しいのですが、 まずは何となく、はあ~そういう感じかあと思ったのと、 わかっていないということをまずは分かりたいと思いました。 そして少しでも分かっている部分(例えば動機は何なのか?と問うことなど)は、 それはやっていこうと思います。 パイプオルガンって威厳がある

静寂の音

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クラシックギターのソロコンサートに行ってきました。 会場はパイプオルガンのある小ホール。 元々はオルガンの音を美しく響かせるために作られたホールですが、 ギター奏者にとってもここは憧れの場所なんだそう。 その良さが素人の私にもわかるほど、 クラシックギターの音色を十分に味い尽くした贅沢な時間でした。 五十嵐紅さんってご存知でしょうか。 私ははじめて知った方なのですが、 その紅さんが弾くギターの音色が本当になんと表現したらいいものやら・・・ ボキャブラリが乏しすぎる私で申し訳ないけれど、 もうギターなのか何なのか、宇宙を感じられるような聞いたことのないような音でした。 最後の最後まで音が小さく響く感じや、 余韻が消えてからも~そこにかすかに残っている漂う感じとか。 「静寂」というタイトルの通り、 音があることで静けさを感じられるという体験でした。 ギターの音って小さいのですね。 演奏中は耳を澄まして、 お客さんたちみんなで音を立てないよう集中し、 何だかみんなでコンサートを作るかのようで楽しかった。 時々、弦がキィーンって鳴ったり、 コンコンっていう感じの音が出たり、 ギター1本なのに、何本かあるかのように音が重なっていたり。 一体どうなっているのか? 技術的なことはまったくわかりませんが、 もう、な~んかとにかく良かったあ~って。 心が熱くなりました。 五十嵐紅さんのHPをたまたま見ていたら、 ―――素人でも玄人でも関係なく、「いいな」と思ってもらえることこそが、嬉しい。 音楽は、まず好みの世界だから。――― と書いています。 確かに! みなそこから始まるんですね。 盛岡にまたぜひ来ていただきたいと心から願います。 G線上のアリア、ラ・カンパネラ、太陽がいっぱい、星めぐりの歌が良かったです。 あの静寂をもう一度味わいたいな。 ライブでぜひ聞いてほしい!

私もがんばろう

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義母の施設への入居(お引越し)が終わりほっとしています。 倒れて入院したときは、これからリハビリもやる意味があるのか? と思うほど左半身が全く動かなかったのですが、 今は支えがあれば装具を付けて立つこともできるようになりました(すごい回復力!)。 半年いた病院では部屋の窓が遠くて、 ベットもほぼ一日中カーテンで囲まれていました。 でも今は、ベッドから窓の景色が見えます。 歩く人や行き交う車、 また少し離れたところには畑があって~ 遠くには山並みも見えます。 「いいところだわ。ああ、生きててよかった・・・」 そう言って涙ぐむ義母を見て、 これからの人生、ここで楽しくおだやかに過ごしてほしいと心から思います。 病院でがんばってリハビリをしてきたからこそ、 いい施設にめぐり会えたのだと、神さまに感謝です。 はじめて食堂に行くと、 皆さんといっしょに昼食を食べていました。 その姿がとても自然ですんなりテーブルにつき、 もうお友だちができたようでした。 女性って生きものは(男性よりは〜という意味で)、 独りでもいられるし、 他人ともそれなりにそこそこ仲良くできるしで、 そのあたりは男性より割と新しい環境にも慣れやすく社会性が高いのではないか?と思いました。 施設という小さな社会の中にもこれからいろいろあるかもしれませんが、 義母ならばひょうひょうと乗り越えていきそう。 私もがんばろう!!

一人じゃない

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今日は最高気温が20℃まで上がり、 石割桜も開花したというニュースを見ました。 あちらこちらで、クロッカス、水仙、こぶしの花などが咲き始め、 春はお花たちから元気をもらう季節。 今月から新しい環境に飛び込む方も多いですよね。 私の職場でも、そういう緊張と不安と期待と 入り混じった方々が通所していて、 それを見守る立場ではありますが、 今年はその気持ちにちょっと変化を感じています。 今までは、私のフレッシュマンに対しての応援したい気持ちが全面に出てしまい、 本当におせっかいおばさんになりそうなほど(なっていないと思いたい)、 いろいろなことに目配り気配りを無意識にやっていたのです。 しかしながら、今はそこまで心配しなくても、 相手の不安を受け取らなくてもいいと思うようになっています。 (これは、相手のパイプにずかずかと入っていくようなもの) 見守るということが、 こんなに静かで落ち着きがあるものだったのか~と。 心はやさしく穏やかに、言葉はたんたんと、 でもひそかに愛を送りながら心の中で見守っている感じ。 なにがあっても大丈夫だ~って。 どんな人へも大丈夫だと心の中で思っています。 とはいってもー、 辛いときも苦しいときも、逃げたいときもある。 そんなときは叫び、泣いて、毒をだし、考えるのをやめてしまおう。 そして、たくさん深呼吸したら、 一人じゃない!と胸に手をあてて思う。 全然ひとりぼっちではないのだ。 私は、この一人ではないんだって思い出すだけで なんだか力が湧いてきます。 今月もはじめて講座やります!  詳しくはHPで!

満たそうとしたがるパターン

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すみません、またドラマの話です。 何をドラマで満たされているのか?と考えた話をしましたがー 満たされているのではなく、 満たしたいがためにもっともっとと、 先を見たくなるということなんだと思います。 登場人物たちのように、 純粋に患者を助けたいという気持ちを持ちながらも、 それを叶えるためには組織や法という壁にぶちあたる。 いわゆる悪役(金で動くDRたち)と言われる人たちが、 理想という黒パターンで動くわけですが、 そこに白パターンで動く人たちをじゃまにしながらも少しずつ影響され、 自分のしていることに「ゆらぎ」が生まれていくのです。 そこが、パターンは生き物であることを ドラマがゆえにわかりやすく表現されています。 ゆらぎながら「私」の輪郭がだんだん見えてくるような感じといったらいいか。 ここが、どんなに大きな黒パターンを持っていても、 本当の「私」はそれ以上の、それらさえも包み込む器があるということなのでしょう。 ●黒パターンより白パターンでいたい ドラマを見ていてふと思いました。 なぜならば、黒は苦しく、白はすがすがしく、 白の方が心が軽くなっていくからです。 ネガティブな感情ではないためわかりづらいのですが、 パターンを嫌うパターンが満たされがっているのかも。 ドラマでは、黒ではなく白を選ぶ人間たちが、 どうありたいのかを自分自身に問い、 また相手のそれも尊重していくシーンがたびたび出てきます。 自分はあることをゆるすが、他者はそのあることをゆるさない。 そういう違いが互いにあっていいということと、 ゆるしている自分が正しいわけではないということ。 そういうあり方がいいなあって思いました。 ドラマ見ながら、今何を感じている?と また自問自答してみよう。 ひさびさの青!

ドラマが満たす

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普段よくドラマを見るのですが、 昔からずっと好きなものの中に「病院もの」があります。 院内の権力争いなどのどろどろしたものや、 病気を解明して治していく天才DRもの、死と向き合うシリアスものなど、 今見ているのは海外ドラマですが、 日本人では出てこないようなストレートな言葉のやりとりがまた面白いです。 それでー、 なんで私こんなにはまるんだろうって。 自分の過去の体験でこうなってしまったのか、 死という未知の領域について興味があると言ったらいいのか。 この止められない理由は、 ドラマを通して自分を満たしてくれるものがあるのではないか?と考えます。 人生の一大事を乗り越えていくことに対しての爽快感。 ここを感じたいというパターンがあるのかな。 逆境が大きければ大きいほど、 ここからどうやって解決していくんだろうかとか、 解決ではなく、例えば死を受け入れるしかないとか、 受け入れ難いけれど、残された者の人生は続いていくんだということとか、 そういうことに興味があるのかもしれません(昨日書いた日記のように)。 そしてよくある敵対するような人間関係からの 真逆な展開にも興味があります。 殺したいほど憎い相手だったところから、 物語が進むにつれて、どちらかの心に少しずつ変化が生じていく。 そういう人間の変容とか成長とか心の動きが好きということもありそうです。 (ドラマですから、またドラマチックな展開ですしね) 冬のソナタ以来の~寝る間を惜しんでまでも見たい気持ち。 この衝動を抑えるのがなかなか大変です。

最期のときまで

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今日は夫の定期通院への付き添いでした。 診察の後に必ず、栄養指導があるのでここは自分の役目だという認識。 そして主治医の先生から、塩分摂取をここまで調整できていることは素晴らしい と褒められました(お互いに自分が褒められたと思っている)。  しかし、全体的には少し数値が悪くなっていたので、 残念ながらお薬が一つ増えてしまいました。 でも先生がこのタイミングで増やした方がいいという判断ならば、 それを信じて自分たちができることは長期戦で引き続きやっていこう とあらためてまた食生活の見直しをしました。 100%の健康よりも精神性を高めたい。 そう思っているのは私で、夫はどうなのかわかりませんが、 健康について自分を観察していくという点では、 病気になったからわかるこれまでの自分というものが見えると思いました。 肉体の不調は、パターンで言えば、 白と黒のバランスがあまりにも偏りすぎてしまったことを 体を通して教えてもらっているようなことだと思うのです。 感情にふたをして思考に走ること、 常に考えることでいっぱいの状態でいること、 そして、病気になったらもう変わりようがないと思うこと等々。 そこからのストレスがどんなにか肉体を弱らせ、 自分自身を見失ってしまうものであるのか気付かされます。 でも、私自身、今と昔では病気についての意味付けが変わっています。 マイナスの意味付けがないわけではありませんが、 プラスの意味付けもたくさん出てくるのです。 また、ただひとつの事象であることへ何度となく意識が注がれる。 それは、今までの学びがあったからこそのものであり、 健康をないがしろにした精神性ではなく、 肉体という自分の一部も学ぶ教材としながら、 最期のときまで、命への感謝の気持ちを持ち続けたいと思うのでした。 今夜の満月は真っ赤でした

想像力

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今日はみぞれ交じりの雨で、盛岡はすごく寒い一日でした。 でも桜の開花予想は例年より早いようで、 あのうららかな日がやってくるのか~と思うと、 想像しただけでなんだか体がポカポカしてくる気がします。 「私」の資質の一つに想像力というものがありますが、 自由に思い描けるってなんて豊かな才能かと思う。 なんとなくこんな感じ~というものがあるだけで、 目には見えない豊かさを自分に与えることができます。 たとえ現実とは違ったとしても、 想像したのと違ったな~で答え合わせをする感じもなんか楽しい。 その軽さがいいのかも。 深刻さは捨てて、想像していこう。 今年の開花予想日

ネガティブを引きずる時

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ネガティブな感情をいつまでも引きずる時と、 引きずらないで、あ~そう思ったんだなで終わる時があります。 引きずる時ってもしかして、 どうしてそう思ったのか(原因)を考えるところまではあったとしても、 次はそうならないようにとか、今の状況から悪くならないようにとか、 そのパターンに出てきてもらっては困るから、 これからのこと(より良い対策)をいつまでも考えるのだと思います。 ということは・・・ 考えるって結局、ネガティブへの強い拒否反応がそうさせている、とも言えます。 嫌な思いをしないように。だから、考える。 より良くしたいというのも、 少しでもネガティブな感情が出てくるのを嫌がるパターンがしていたり。 パターンを嫌うパターンが、 健気になんか一生懸命考えているのかもしれません。 「私」がすることは、 そんなパターンを見守ること。 白を選んだ先に、どんなふうに自分はありたいのか? すがすがしさ感じるような、のびのびした自分へつながるような、 そんなあり方を感じてみよう。 まだ咲いてませんが…

とらわれのない世界

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どうありたいか? パターンに引っかかり、語りかけをして白の部屋に入った感覚を選ぶ。 そして、「私」はどうありたいのだろうか?と問う。 そう、自分はもう、 わかっているとかわかっていないとか、 知っているとか知っていないとか、 そんなの関係なーい。 (ここで、小島よしおの、ハイ!おっぱっぴーを思い出す) そこはもうどうでもよくて、ただ、 とらわれのない広い世界でのびのび生きていきたいのだ。 これが純粋な自分のありたい姿。 今日は小雨が降って寒かった〜まだ湯たんぽ活躍中

この国の王なら

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語りかけに重さを感じたら、もう一度やり直してみる。 太陽のようなカラッと感がなんか・・・ない。 そんな時は、空を見上げて語ってみよう。 そして、この国の王様は、 悩みを訴える民にどんな風に話を聞いてあげるのか? 想像します。 話した後、民は重たい気持ちで帰っていくのか。 それとも、わかってもらえたと、 ちょっとの勇気とちょっとの希望を持って帰っていくのか。 王様自身も民の話を聞くことで成長していきます。 見た目も干ししいたけ!

パターンがね!

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「私」がパターンの言いたいことを代弁しているはずが、 いつしか「私」がしているという意識が無くなり、 あれ?これって誰が言ってるの? と我に帰るようなときがあります。 語る言葉が多く長くなっていくと、 途中からパターンが語りはじることがあります。 「もうあの言い方が頭にきちゃってまたか~って思ったんだよね。」 で、終わらせない。 「またか~って、あなたは(パターンは)思っているんだよね」で終わらせる。 くどいほど、毎回最後にちゃんと、 ・・・ってあなたは(パターンは)思っているんだね、と言ってあげよう。 ここが自分にとって、超重要事項。 この言葉を入れるだけで、 すっと背筋が伸び、目の前が開けていくようです! クロッカスが咲くといよいよ春だ~

落ち着きをもって

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毎日語りかけをしているパターンと一緒に、 もう一つ語りかけをしているパターンがあります。 ●自分はわかっている、というもの。 これは自分にとって大事なパターンであり、 (って、どれも大事なんだけど) パターンを嫌うパターンも出てくるので、 スルーしがちだと思うためケアをしばらく継続していこうと思っています。 続けていると、 この語りかけで何かラッキーなことが起きるようになったとか、 自分が全くそこへ引っかからなくなるとか、 そういうことではないけれど、 変化という点で言えば、少し心の中も外も、 全体的な落ち着きが出てきているというところです。 何かに対してというより、 全体的に空気が入れ替わったような、流れが変わったかのような。 何かゆったりした静かなものが自分の中に生まれている・・・ そんな感じがあります。 この感覚は、また何かしらのパターンに引っかかると、 一瞬でなくなるのですが、 それでもまた次の感情をも、以前よりは少しだけ 受けとめていきやすくなっているような気がします。 白の部屋の感覚というものが、 それだけ次の感情にも影響を及ぼしている? そんな気がしました。 チョコレートサンドに合うコーヒーでした♪