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1月, 2024の投稿を表示しています

私が選んで生まれてきた

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晴れた空に雲が気持ち良さそうに浮かんでいた日、 父とお別れをしました。 腕の中で抱きしめながら、たくさんありがとうを言いました。 やっと自宅に戻って来れて、 とても幸せそうな嬉しそうな顔をしていました。 あの世に行くための旅の支度を家族で手伝い(シャンプーもした)、 できるだけ身軽にするために写真と手紙だけを入れました。 道中辛いことがあったら、 これを見てほっとしてもらったり、 大丈夫、まっすぐ進んで行ってねと背中を押してあげられるように。 無事、行くべき場所に行かれますようにと願いました。 本当はもっともっと話がしたかった。 もっと長くそばにいて欲しかった。 後から出てくる私の知らない話。 こんなに温かく優しく賢く強く、 素晴らしい人を私は父に選んで生まれてきた。 もう会えないことがとても寂しいけれど、 少しずついつもの日常に戻り、 私は父の子であることを恥じないように、 いえ、自分自身に恥じないように生きていきたい。 朝起きて、仕事をして、ご飯を作って、母をみて。 毎日自分のやれることをやり、 行きたい道を進み、 謙虚に、でも喜怒哀楽を素直に感じながら毎日を過ごしていこう。 お父さん 本当に私のお父さんでいてくれてありがとう。 あちらに行っても修行がんばってね。 そしてまたいつか会おうね。

はじめて講座

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Rowingのホームページを更新しました! 【はじめて講座】 で、こころのケア講座の日程をお知らせしております(←ここが変わりました)。 講座では、心のからくりをぎゅーっと凝縮して解説しています。 お一人でも不安なく講座を受けられるように、 愛を込めてお話しさせていただきます! 2月11日(日) アイーナ 7F 711号室 13:30~15:00 3月 2日(土) オガール 2F アトリエスタジオ 13:30~15:00 3月17日(日)オガール2F アトリエスタジオ 10:30~12:00 日程によって会場が違いますので、ご注意ください。   ❁参加費 無料 ❁定員 4名まで  ❁持ち物 筆記用具    ❁申込方法     【メール】onmnyn@gmail.com    【携帯】080-2808-9896  年明け早々、1月らしくない1月というか、いつもと違うな・・・と感じる日々です。 天災や気象異常のことだけでなく、 何かこれまでにないこと、 想像すらしてこなかったことがどんどん起きているような、 そんな今までの常識を捨て外に飛び出していくような、 そういう不思議な空気感を感じています。 その大きな変化をどんなふうに超えていきたい自分であるのか。 自分自身の挑戦と役割を意識しながら一歩一歩前を向いて進んで行こう。 龍のようにぐんぐんと天を泳ぎ、激しさを持って突き進んで行こう。 そう、これこれ。こういう感覚ですね。 なんだか動きたい自分がいるという方。 大空に向かって突き破っていきたいという方。 その感覚はあなたにしかないものです。 それを持って、大きな一歩を踏み出して行こうではありませんか! モネすごかった!

何も心配はいらない

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自分の思い通りにしたい、というパターンは、 こんな時でもそう思うのか?というような時にも出てきます。 父の容態が依然よくないので、できる限りそばについていたいと思いそうしています。 目を覚ましてほしい、起きて笑ってほしい、またお腹空いたなあと言ってほしい・・・ そう願っていますが、なかなかそうはならない日々が長く続くと、 願いも微妙に変わってくるのです。 もしかして、今月だけで有給休暇使い果たす勢いだな(まずい)とか、 あの仕事だけはキャンセルしたくないとか、 夜中の呼び出しは勘弁してほしいとか。 父への思いとは裏腹にパターンが騒いでいたりします。 もしかしてこれも、 自分のパイプの中に自分以外の人を入れるということか、と思いました。 父はおそらく今、自分のパイプの中でしか生きていないように思います。 誰かのそれには入らず、天とつながり自分のタイミングで全てを決め、 順調に歩いているのかもしれません。 私は自分のパイプに父を入れたり、他人を入れたりしながら、 自分の思い通りにならないものをなるように、自分の都合であれこれ考えています。 どこに父が向かおうとも、 パターンがいろいろ言ってこようとも、 そんな中でも私は「私」で進んでいきたいのに・・・ 昨日は娘も休みで一日そばにいたのですが、 貴重な休みなんだからやることやってきていいよと言うと、 おじいちゃんとこんなに長く一緒にいられて嬉しい。 と言っていました。 確かに・・・この時間こそが貴いもので、 こうしてゆっくり時間をかけて、自分を整わせてもらっているのだと思いました。 何も心配いらないよ。大丈夫だよ。 と父に心から言えるようになっている自分でよかったと思うし、 父も、お前もな!って言ってる気がしました。

気持って何?

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はじめて心のからくり(仕組みを)聞いたとき、 本当の「私」とパターンが、 完全に分離されているということが本当にびっくりしたのを覚えています。 その前に、パターンって何?(←こっちのびっくりが先でした) 今考えていることもあれもこれも、一般常識でさえもパターンなのか? ・・・と、もうそれはそれは衝撃の連続でした。 ここで、頭がものすごくいい人だと、 すぐにそういうことなんだなと理解し、 じゃあ何を実践すればいいの?とスキルの方に進むのかもしれませんが、 私の場合は、はあ~とか、へえーーー!が長らくつづき、 はじめにやったことは確か、 出来事に対して自分がどんな気持ちになったのか?・・・でした。 今日、こんなことがありました、どんな気持ちになったのですか? とひたすら毎日、自分に問うのです。 はじめは、あ~こう言われたから何も言えなかったな・・・ というように気持ちではなく状況を思い浮かべるだけだったり、 また、おろおろしたな~と自分がしたことを思い浮かべてみたり。 なかなか、気持ち(感情)って、 自分のことであってもわからなかったのです。 それくらい、自分自身を感じ取ることをまったくやってこなかったんだと思いました。 今は、そういうことは無くなって、 自分の気持ちは自分が一番よくわかっています。 そして、どうしてそういう気持ちになるのかも。 こういうところからスタートした自己探求への道でした。 自分を知るということが、ものすごくおもしろくておもしろくて、 今に至っております。 時に激しく、ぐさぐさ自分で自分を突っ込みながら、 また、一つ見えなかったものが見え、感じられなかったものが感じられ、 そして、自分がより自由に楽になっていく。 深く深くものごとを捉えられるようになっていく。 そういうおもしろさなんですね。 昨日はオガールでの講座でしたが、 このおもしろい!という感覚が自分が生きていくうえで、 一番好きな感覚だなあとあらためて参加された方から教えていただきました。 ここが自分を幸せにしていくことの真理だと感じます。 ありがとうございました。 受け取ったものを一つ一つ噛みしめていきたいです。

ゆっくり息をする

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呼吸を整えると、自律神経が整い心が落ち着いてくると言われています。 呼吸法というと少し構えてしまうかもしれませんが、 できるだけゆっくりと息を吐き、 吐ききったら思い切り息を吸い(ちょっと止めて)、 そしてまたゆっくり吐ききる。 息の仕方一つでいろいろなことが感じられます。 心がある場所、横隔膜を広げ動かす。 いわゆる腹式呼吸とは違うやり方ですが、 「私」を膨らませたり縮まらせたりというイメージでやってみると、 自分の体の中に確かに息づいているものを感じます。 私は普段から何もしていなくても小動物のように脈が早いので、 この息の仕方を教わったとき、人一倍効果を実感しました。 こんなに深く呼吸ができるということが、まずすごいと思ったし、 ゆっくり息をするというのは、 自分の中に静けさが生まれ、気持ちがとても安定してくるのです。 また、少しオーバーな表現かもしれませんが、 自分がこの肉体を持って生まれてきたことに、なんだか感動してしまいます。 息をするだけなのに・・・ 意識がそこに向かい、自分のすべてが集まっていく。 たったこれだけのことをするのに、 ものすごい集中力が発揮されていると思いました。 ほんの1~2分でも瞑想のような状態が作られ、 細胞一つ一つがぷちぷちと目覚めるような感じがあります。 そして、体への実感だけでなく(ここからが本題)、 今自分に起きていること、そのままの現実が見えてくるような気がして・・・ この肉体と感情と思考とそして行動していく自分が創りあげた現実、といったらいいでしょうか。 今、何が起きているのかがよく見えてくる感じがします。 その自分が創りあげた現実に向かっていくということは、 自分の責任でもあるように感じました。 肉体への責任、感情や思考への責任、行動への責任。 息をするというところから、現実が見え、 自分に向かうところにまで発展するとは思ってもみませんでしたが(自分がそうしているのだが)、 体だけ、心だけ、というものはなく、 なんだか全部が全部つながっているんだなあと思います。 快晴の岩手山 1月とは思えない景色

恥ずかしくない

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季節限定で、ホームセンターの駐車場にお焼き屋さんが来ています。 ここのお焼きのあんこが、 甘さ控えめの北海道粒あんでとっても美味しいのです。 先日も出先で発見。 帰ったら夕飯だけど、その前にちょっと食べたいな。 たまにはクリームにしようかなどうしようかな~ と財布片手に早歩きでお店へ直行。 すると、向こうからも同じ勢いで直行してくる男性がいました。 もう本当に同じ歩幅歩数で、 ちょうどお店の前でどっちが先?という感じになりました。 お互いにどうぞどうぞとなって、 男性が、それじゃあとクリームを2個注文していました。 ちょっと笑いながら、 「事務の子にいつも世話になってるんで~」と言います。 私は、「あー、お疲れ様です」と言うと、 「あ・・・クリームで良かったかな・・・」 「クリームも美味しいですよね」 「ですよね!」 「やさしいですね!」 男性は、じゃあお先しますと言って足早に去って行きました。 きっと、会社へ戻る道すがら私のようにお店を発見し、 戻ったらその事務の子に頼まなければならない仕事があったのでしょうね。 お焼きで日頃のありがとうの気持ち伝えようかなと。 そして相手の顔を思い浮かべながら直行。 食べ物ってなんかもらった方も嬉しいですよね。 そんなことを想像しただけで、こちらも温かい気持ちになります。 年々、本当によくこういう体験をするようになりました。 見知らぬ人から話しかけられるとか、私も話しかけるとか。 知らない人との数十秒の会話がちょっといい体験なのです。 最近ますます自分がそれをしたら言ったら恥ずかしい・・・ というのがなくなってきているように思います。 恥ずかしいと思ったとしても、すぐに「笑える」に変換されるのです。 今までは、 うわ~恥ずかしい、自分って最低だ~、なんて思われたんだろ~ って落ち込むようなことも全然平気に思えることが増えて、 自分のしたことを笑えるようになっているんですね。 この笑いに変える感覚を持つと、もう誰とでも話せるような気がしてきます。 まあ、おばさんだから・・・というのもありますが、 単なる図々しさだけでなく、 自分自身を愛せるようになってきているからなのかなあとも思いました。 結局お焼きはあんこにして、 たこ焼きも買って帰りました ^^

たんたんとやる

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今日はなにかとても、 たんたんと仕事をした一日でした。 普段、事務仕事の時間も多いのですが、 人のことであれこれ考えながら何かしらやっている時間が、 大半を占めていると思います。 そんな中、「たんたんとやれた」という感覚って何だろう? あまり感情がさわがないとか、 深刻に考え込まずにやっているという感じだったかもしれません。 自分のパイプに他人を入れない(または他人のパイプに自分が入らない)。 これを日々意識しているのですが、 パイプというのは簡単にいうと、自分と天をつなぐようなものがあって、 自分のパイプはみな、自分だけのものです。 自分が見ているものは、自分だけの世界ということになります。 みんな生まれてきた目的も課題も違うので、 みんなぞれぞれにそれがあって、自分の中の世界で物事を見て捉え、 そして、時に天から後押しをもらいながら成長しているのだと思います。 その自分のパイプの中にちゃんと自分が居ながらして、 他人と会話をしたり、サポートをしたり。 他人との間には透明な壁があって、 相手が見えているけれど、自分の場所は変わっていない・・・そんな感じでした。 パターンで行動しているときって、 自分の中に他人を無理やり入れて、何ならそこに長らく居座らせているということをやっています。 または、その逆もしかりで、 他人のパイプに土足でおじゃましている(そこでああだこうだ言っている)。 そうなると、 自分の価値観に他人を合わせようとしたり、 他人の人生を自分の人生に合わせようとしたりしてしまいます。 それって、本来はどちらにとっても居心地が悪いものなのです。 気づくと、平気で自分のパイプに他人を入れてしまうのだけれど、 とても不自然なこと、窮屈なことを自らやっているのだと思いました。 でも、そういうものが無い・・・ となるとどうなるのか? パイプの中はすっきりとし、 他人を冷静に見る、理解できる目も備わり、 天からの後押しも得られやすくなっているのかもしれません(詰まりが取れるから)。 これがもしかすると、「たんたんとやる」に近い感覚かなと思いました。 現実には、相手のことをいろいろ考えてはいるのですが、 どこか距離感があり、透明な壁があり、 自分の中にはその人は入ってはいません。 入らずに対応を考えているという感じです。 私の解釈になりますが、 はじめて、たんたんと

龍神の年に思う

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  盛岡に戻ると薄っすら雪が積もっていました。 ぴりっとした冷たい空気に、 何だかこれからいろいろな試練が待っているやもしれない自分へ、 身が引きしまる思いがしました。 今年は辰年(龍神の年)で、変化の年なのだそうです。 それも荒れに荒れた大波に翻弄されるかもしれないほどの変化。 ちょっと怖い気もしますがー 大事なことは変わらず、 自分の感情をみて、何を選んで行動するのか、これだけです。 どんな言葉を発し、 どんな言葉に自分が引っかかっているのかよく見ること。 そして、それはどうしてなのか。 自分はなぜそうしたいのか、どうありたいのか(また、出ました~)。 やることは決まっています。 この3日間、よくわからないことがたくさんありました。 理解度としてのわからなさも、もちろんあるのですが、 これまでまったく体験してきていないものであり、今の私では感じれないものなんだと思いました。 よって、想像すら追いつかないのです。 もっと、もっと、ちゃんと引っかかったものへ立ち止まり、 そこに大いに突っ込み、 孤独な時間の中でよーく自分へ問いかけていきたい。 孤独というのも、 これから自分のテーマにしていきたいと思いました。 極端に言えば、 24時間365日、常に自分自身へ問われているのかもしれません。 毎日やることがいっぱいで・・・というときもありますが、 だからやらない~っていうのがもうできない自分にもなっています。 自分を見ないというのは、もう楽でも何でもなく、むしろ苦しいのです。 本当にもうごまかしも、嘘もつけないのだ。 だからこそ、 孤独が私の味方になってくれるのではないかと感じました。 どんな体験も恐れずに、 龍のしっぽに振られながらも、しがみついてがんばりたいです。 茅ヶ崎文化会館 8CAFE+FLOWER

そんな自分でいいのか

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茅ヶ崎セミナー1日目は、まさしく今年の目標を問われる1日でした。 でも悲しいかな、それに気づいたのはホテルに戻りだいぶ経ってからのことで… 師匠から言われたこと、仲間が話していたこと、それらがあっての自分の言動はどんなだったのか。 一言でいうと、すでに甘い!と思いました。 どんなにパターンが騒ごうとも、それには関係なく自分が何を選ぶのか、 どうありたいのかをよく考えて行動に移していく。 ということの全部の工程が甘い。 どんなに教わったとしても、その真意が、深さが、自分には伝わっていなかったのではないか。 つまりは受け入れられる器がまだまだなのだ(でも全くないわけではなく、多少はあると思いたい)。 思い通りに行かない話をだらだら言う自分でありたいのか。 他人の話を折ってまで、自分の話を聞いてもらいたい自分でありたいのか。 自分も知っているわかっていると、わざわざ言いたい自分でありたいのか。 ここを自分に問えなかったと思いました。 パターンはパターンでそのままでよくて、 問題は、「私」がそれをしっかり理解したまま別の選択肢も用意できるかどうか。 ここが頭の中だけで停滞しているように感じました。 今日はそこを注視して、学びのエッセンスをつかむことと、 そしてやはり自分はどうありたいのかを、ちゃんと感じてやっていきます。 茅ヶ崎珈琲倶楽部

幸せの根源

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父のホームの部屋の壁には、 入所してから今日までの誕生祝いの寄せ書きが貼られています。 スタッフさんたちのコメントもおもしろくて、 それに応えるかのような満面の笑みの父の写真があります。 昨夜、酸素をしている父はとても苦しそうで、 つらそうな顔をしているのを見ると、こちらもつらくなります。 でも、壁側にある笑った顔を見ると、 おかしくてこっちも笑ってしまいます。 壁とベットと、交互に見て・・・ 良かったなあと、でもつらいなあと、どっちも思いながら、 冷たくなっている父の手足をさすっていました。 しかしながら、 さすってもさすっても全然温かくならない。 そこで、 私のお気に入りのウール100%の5本指手袋をはめてみました。 全然協力的ではない動かない指一本一本入れて・・・ 足の方も、綿100%の特別な靴下をはかせ、 足全体をさすりこちらも指を一本一本動かします。 さすが昭和一桁の人。 よく歩いたごつい足で、さすりにくい! やっとのことで手足も温かくなり・・・ こんなに時間がかかるんだなあ。 いつも父の手はカイロにように温かったのに。 昔、私の手はいつも冷たくて、 「ひゃっこいな~」と言って温めてもらったことを思い出しました。 親からすればいつまでたっても子供は子供なんだと思いますが、 子供も、親は親というところは同じかもしれません。 関わり方は変わっても、 心のどこかでは、いつまでもわかってもらいたい甘えたい存在なのだと思います。 おぎゃーと生まれて、 ご飯を食べさせてもらい、おむつを取り替えてもらい、 風邪をひかないように洋服を着せてもらい、お風呂にいれてもらい、 いいこと悪いことを教えてもらい・・・ そして、父はよく私と遊んでもくれました。 大人になると、親がいなくても生きていけるようになるのですが、 そうなるまで育ててくれたのは、やはり親です。 いろんな親がいますし、 そこへ対する思いは人それぞれだと思いますが、 育てられたということに子供は、 言葉や目に見えるもの以上に、もらっているものがあると感じているのではないでしょうか。 地球に感謝する、ご先祖様に感謝する、何かしてもらったら感謝する。 いろいろそういう場面はありますが、 今、何もしてもらっていなくても(いいえ、してもらっていますね今も) 存在そのものにありがとうの気持ちでいっぱいになります。 これは、自

話が引き出される

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今年初の講座を開催致しました。 寒い中、足を運んでいただきありがとうございました。 この日はOGAL COFFEE DAY だったので、 館内がコーヒーのいい香りに包まれておりました。 講座では、何枚かのワークシートを用意していましたが、 ワークをするよりもお話を聴いたり、 予定していたものとは違うものをお伝えしたりと、 すべてがその場その場で創られていくような感じがしました。 まだまだ手探りですが、 自分の役割がなんとなくはっきりと示された気がして、 そうだったのか~!というおもしろさだけは大事にしていこうと思います。 1/21(日)もオガールで開催致しますので、 どうぞお気軽にご参加いただけるとうれしいです。 ―――――――――― さて今日は~ 岩手クラスのこちらも今年初の勉強会でした。 ちょっとすごいことが起きたのですよ。 クラスというのは、今年で12年ほどになるのですが、 この話って今までしたことがなかったんじゃないか・・・ って思うほど、 その人の心の奥の奥の奥の話が出たような気がしました。 しかもそれが、一人二人ではなく、全員から出た・・・というのが、 私自身もう衝撃でした。 今日はファシリ役でしたがもう時間配分など関係なく、 皆さんの話に聴き入ってしまいました。 これまで、そこに近い話は確かに聞いてはきましたが、 何と言ったらいいのか、 その人の核心をつくような聞いたことのない言葉がでたのです。 そもそも、みんなからの質問ツッコミが鋭いからそういう話になったのか、 それとも、自分がもうこの話をしないと深い話になっていかないと思ったからなのか、 はたまた、パターンの方から今ならもうそれをみんなの前で話してもいいと、 許してくれたからなのか。 とにかく、自分たちだけでは図れないものの力が働いたように思いました。 ああ、もう飛び込んでいくしかないとみんな知っているのだ。 (わかりづらい話ですみませんが) 私だけが時間の都合で、みんなからえぐられませんでした。 それが残念でたまらなかったのか、 その後のご飯では、自分なりに開示したのですが、 他人から引き出してもらうそれとは、やはりちょっと違うなあと思いました。 そう、引き出された・・・ というのがぴったりくる、すごくいい時間でした。 今年はお互いに殻を破っていくのかもしれませんね。 そして1Fでは能面展 開か

何に執着するか

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皆さんは、今年の目標もう立てましたでしょうか? 師匠から常々言われていることの一つに、 自分はどうありたいか?というものがあります。 年が明けて、なんだかますます心に響くようになったので・・・ 今年は、これだな、と思い、 ここにこだわって一年を過ごしていきたいと思いました。 そう、こだわって。 あり方に執着していこう・・・と。 そこで執着という言葉をあえて使ってみると、 あまりいい意味では使ってこなかったなあと思いました。 執着とは、マイナスの意味付けは出てきやすく・・・ なんだか固執するような、しがみついて離さないような黒パターン的な感じも受けます。 でも、 やはりこだわってやってみたいというのも、今の素直な気持ちです。 出来る限り、自分のそのときのあり方をちゃんと選んで行動していきたい。 あのダライ・ラマも・・・ 執着には、持つべき執着と、捨てるべき執着とがあると言っていました。 その話は、社会的不正に対しての怒りについてでしたが、 その不正と闘うという場合には、 目的が果たされるまでその怒りの感情は持続されるべきだと。 怒りや執着って、 僧侶が一番手放すべきものだと思われているかもしれませんが(自分はそう思っていた)、 その背景にひどいことをされている人がいたら、そこに慈悲がある怒りであれば、 もってはいけないものだとは言いきれません。 なぜならば、その怒りは、偏見のない価値ある感情なのだそうです。 あり方を考え、そこに執着してみるというのも、 よいものを求める純粋な心から来るものだと思うので、 それならば、そこを求める心には執着してもいいということになるのでしょうか。 『ダライ・ラマとの対話』上田紀行著 以前読んだときにはさらっと読み終えた感じでしたが、 あらためて読むと、こんなことが書かれてあったんだ! と少し以前より理解できるものがありました。 今持っている本を、また今年は読み返していくのもいいかもしれません。 龍のカバーが、今年っぽい

エネルギーのみなもと

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今日は仕事始めでした。 体調がまだいまいちで、ちょっとだるい。 出勤して一時間もたっていないのに、 あ~、早く帰って寝たい・・・ 今日一日をどうやって乗り切ろうかと考えていました。 そのうち、 来社予定の方が一人、二人といらして・・・ 仕事をしているうちに夕方には、すっかり元気になっていました。 今朝のあの調子の悪さはどこにいったんだ!と思うほど、 いつの間にか体が軽くなり、いつもの自分に戻っていたのです。 その元気って、 人と会って話しをした(聴いた)ことにほかなりません。 面談、打ち合わせ、カウンセリング等々。 自分自身の立ち位置の違いはありますが、 共通していることは、どれも対話です。 なんと、 対話が、自分のエネルギーのみなもとであったとは! 心が、体が、精神(魂)が生き生きしてくるような、 そしてまた穏やかになっていくような、 すっかり解放された自分がいました(ちょっとびっくり)。 相手の方といい距離感を保てると、 よいエネルギーが通いあっている感じがあります。 それは、パターンと「私」が分離されているかのように、 相手と同化していない(同調していない)状態。 この距離感というものは、とても楽で自然な状態なのだと思います。 2024年の始まりに・・・ ありがとうございます。  

心を温めたい

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年明け、石川能登の地震と羽田の事故のニュースがとびこみ、 いたたまれない気持ちでTVを見ていました。 予期せぬことが起こると、 いろいろなところで歯車がずれ、 いつも通りの日を送るというのは、奇跡なことではないかと思いました。 今年は雪が少ないといっても一月ですから、 被災された方々が暖を取られているかどうかも心配です。 自分たちのときは、余震もこれからの不安もそうでしたが、 あの寒さが心身にこたえたことを思い出します。 話が少しとびますがー 実は私、大晦日の晩から昨日まで寒気と微熱が続き、 ほとんど寝て過ごしていました。 (こんなときに不謹慎かもしれませんが) 寝ても寝ても眠れてしかたありませんでした。 そして、寝ると夢を見ます。 亡くなった友人が夢に出てきたり、 認知症ではない元気な父と母も出てきたり・・・と、 夢と現実の境界線がないような感じがありました。 建築士だった友人とは、いつものように家のことでのおしゃべりをしました。 また、父と母も、なにか仕事の相談を私がしている感じで、 何かまともなことを言われて、世の中甘くないよな~ ってやり取りをしている自分がいます。 姿かたちが変わってしまっても、 人の意識は変わらずそこにあると、自分は信じているところがあります。 意識は時空を超えて届くものだと、思いたいのです。 それで思うのですが・・・ 今、テレビを見ていて、 何か自分もすぐに行動を起こさなければと思う人もいると思います。 でも、今の私にも何かできることがあるとしたら、 自分の心を整え、冷静さを保ち、 そして冷えた心を温めることだと思いました。 自分の心をまずは整え、平和にする。 それが、家族、友人、身近な人たちを温め、 その意識がやがては世界へも広がっていくかもしれません。 本当に小さな小さな動きだと思いますが・・・ そう願っていきたいです。