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3月, 2026の投稿を表示しています

とらわれのない世界

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どうありたいか? パターンに引っかかり、語りかけをして白の部屋に入った感覚を選ぶ。 そして、「私」はどうありたいのだろうか?と問う。 そう、自分はもう、 わかっているとかわかっていないとか、 知っているとか知っていないとか、 そんなの関係なーい。 (ここで、小島よしおの、ハイ!おっぱっぴーを思い出す) そこはもうどうでもよくて、ただ、 とらわれのない広い世界でのびのび生きていきたいのだ。 これが純粋な自分のありたい姿。 今日は小雨が降って寒かった〜まだ湯たんぽ活躍中

この国の王なら

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語りかけに重さを感じたら、もう一度やり直してみる。 太陽のようなカラッと感がなんか・・・ない。 そんな時は、空を見上げて語ってみよう。 そして、この国の王様は、 悩みを訴える民にどんな風に話を聞いてあげるのか? 想像します。 話した後、民は重たい気持ちで帰っていくのか。 それとも、わかってもらえたと、 ちょっとの勇気とちょっとの希望を持って帰っていくのか。 王様自身も民の話を聞くことで成長していきます。 見た目も干ししいたけ!

パターンがね!

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「私」がパターンの言いたいことを代弁しているはずが、 いつしか「私」がしているという意識が無くなり、 あれ?これって誰が言ってるの? と我に帰るようなときがあります。 語る言葉が多く長くなっていくと、 途中からパターンが語りはじることがあります。 「もうあの言い方が頭にきちゃってまたか~って思ったんだよね。」 で、終わらせない。 「またか~って、あなたは(パターンは)思っているんだよね」で終わらせる。 くどいほど、毎回最後にちゃんと、 ・・・ってあなたは(パターンは)思っているんだね、と言ってあげよう。 ここが自分にとって、超重要事項。 この言葉を入れるだけで、 すっと背筋が伸び、目の前が開けていくようです! クロッカスが咲くといよいよ春だ~

落ち着きをもって

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毎日語りかけをしているパターンと一緒に、 もう一つ語りかけをしているパターンがあります。 ●自分はわかっている、というもの。 これは自分にとって大事なパターンであり、 (って、どれも大事なんだけど) パターンを嫌うパターンも出てくるので、 スルーしがちだと思うためケアをしばらく継続していこうと思っています。 続けていると、 この語りかけで何かラッキーなことが起きるようになったとか、 自分が全くそこへ引っかからなくなるとか、 そういうことではないけれど、 変化という点で言えば、少し心の中も外も、 全体的な落ち着きが出てきているというところです。 何かに対してというより、 全体的に空気が入れ替わったような、流れが変わったかのような。 何かゆったりした静かなものが自分の中に生まれている・・・ そんな感じがあります。 この感覚は、また何かしらのパターンに引っかかると、 一瞬でなくなるのですが、 それでもまた次の感情をも、以前よりは少しだけ 受けとめていきやすくなっているような気がします。 白の部屋の感覚というものが、 それだけ次の感情にも影響を及ぼしている? そんな気がしました。 チョコレートサンドに合うコーヒーでした♪

自分の部屋

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異動、転勤の季節ですね。 この頃あちこちで引っ越しのトラックを見かけるようになりました。 私の父親も転勤族でしたので、 引っ越し(転校)という一大イベントを人生に何度かしてきています。 新しい土地、新しい家(建物は古くても~)、 そして毎回新しい自分の部屋にドキドキしたものです。 でも今は自分の部屋というものがありません。 そう、自分だけのスペースというものがこの家に無いんです! 考えたら結婚してずーっとそういう環境できているので、 慣れたの半分、いつかは欲しいと願うこと半分。 このブログも家族がいる居間のテーブルで書いてます。 そういうと、信じられない!という反応をされますが、 自分でもよく書いているなって思います。 でも最近は、だんだん家族もこちらの空気を読んでか、 私がPCを開くと娘はテレビを消してスマホに向かい、 夫は自分の部屋へすーっと立ち去ってくれるようになりました。 (そうそう、夫には自分の部屋があるのだ!ずるい) 一人の空間を持つというのは自宅では難しいからこそ、 車の中や外に出たときに語りかけをすることも多いです。 駐車場にとめて、朝できなかったお祈りもしたりします。 その時間が異空間でちょっと好きなんですね。 自分の部屋が本当はほしいけれど、 でもなんかいろいろ工夫してやっている自分自身が内心たのしいのかなと思う。 たぶん次に引っ越すときは、 自分が老人ホームへ入るときではないかと思うです。 なので、先日義母が入居する予定の老人ホームを見学しに行ったときに、 部屋を見て思わず、 いいなあ~ここで一人で暮らすの最高じゃん! ってちょっと思ってしまいました。 今月の社内会議のおやつはケーキ!

パターンを探す前に

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今日はいろいろ感情が動きました。 緊張があったので、 「なんか緊張してきたー」とつぶやいて自覚。 緊張や不安、心配な気持ち、どきどきはらはらするような時は、 それを時間の経過とともに感じることができるんだなあと思いました。 でも、恐怖心がわいたときは、 ぐっと息が吸えなくなるような感じと、 全身が硬直していくような感じがあり、 こうなると、今自分がとても怖がっているということを 受けとめることはできませんでした。 怖い・・・って思うと、体も凍りつき身動きできなくなる、 思考もストップするような感覚があります。 今日の怖さは、相手を傷つけてしまうのではないか という罪の意識のようなものでした。 他人を傷つけてしまった、怒らせてしまった。 それは聖人君子でいたいとは思っていないし、 自分のすることが完璧だともちろん思っていないのですが、 でもやっぱり相手の態度を見て、 自分は悪かったんだなあと思いました。 ネガティブな感情が今あるということは、 何かしらのパターンなんだと思いますが、 パターンを探す前に、 もう少しこの怖さを受けとめてみたいと思います。 風邪の治りかけには少食

風邪の治し方

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今日は元々お休みだったのですが、 風邪がまだ続いていて体調がよくなかったので、 一日しっかり寝て治そうと思いました。 何もせずにひたすら寝て体力を温存して明日に備えようって。 朝、もう台所に立たなくてもいいように、 今日食べる分の鶏のつみれ汁を野菜たっぷりで作りました。 そのつみれ汁を食べたら、 なんか体が温まり調子もよくなってきて・・・ すぐには寝ずに録画していたドラマをしばらく見てました。 で、気付いたらもう昼。 風邪を悪化させてはいかんと思い布団に入るのですが、 ・・・なんかもう思ったほどつらくはないし(むしろ良くなっているし)、 しっかり寝るほどではないかと思い、 布団に入りながら本を読んでだらだらと過ごしていました。 あ~たのしい。 こういう休み方がなんかいいんですね。 これがもし本ではなく、マンガ本だったら、 小学生が風邪で学校を休むとなったとたんに元気が出るパターンじゃなかろうか。 読みたいだけマンガ本が読めるなんて幸せ~って。 いわゆる、ずる休みのような感じが一番休まる。 思えば、隠れてさぼったり、遊んだり、脱走したり~ ということに面白さを感じる子どもでした。 かなりお調子者でもあり、型にはまるのが嫌なのかもしれません。 それが自分の気質というものなのか。 こんなふうに自分って、 小学生の頃から大して変わっていないなって思う。

福祉も変わった

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今日は新しく市内にできた就労継続支援B型事業所を見学に行ってきました。 といっても、なにそれ?と思う方は多いでしょう。 簡単にご説明しますと~ 障害や疾患を持った方が、一般企業でいつか働くことを目指して 作業工賃をもらいながら職業訓練をする福祉サービスのことです。 (少し自己流の説明ですが) その事業所って、昔でいう作業所というイメージは今や全くなく・・・ 本当にさまざまな作業内容があって、 一般企業とあまり変わらない業務を担っている事業所もあります。 そして、いつまでもB型を利用するのではなく、 就職をばんばんさせていくような一般企業の感覚に近い事業所もあれば、 とってもゆる~く作業をする福祉らしい?居場所の役割を持つ事業所もあります。 今日見学したところは、 福祉でありながら、医療に近い視点と就労の視点を持った 就職や個人事業主を目指す方向けの事業所でした。 なんと、福祉ではめずらしい(岩手では聞いたことがない)職員全員が国家資格者! 看護師、保育士、理学療法士、作業療法士、そして公認心理師の方たちが、 就労系福祉サービスを運営するという、 なんとも時代は変わったなあって思いました。 泥臭く情熱だけで福祉をやっている人が以前はあまりにも多かったのですが、 最近はしっかりと専門性を発揮し、自己理解を深め、自立心を育て、 どんな暮らし(生き方)をしたいのか? というところをとても意識した支援にみえました。 心と体のその方なりの健康という視点でできる限りのケアを事業所で教えながら 自分が自分の心と体をわかっていくことを目指しているように思います。 なんだか自己探求型支援という感じです。 「自分を知る」ということに徹したサービスを 提供しようとしている事業所があることにホントびっくりですし、 そんな事業所が誕生したことが嬉しいです。 私も縁あってこの世界で働きはじめ、 障害がある方に興味がわくようになったのは、 他者との違いを隠しようにも隠せない、 そういう肉体と精神で生きることを選択している(選ばれた)人たちだ という印象があるからかもしれません。 すべてを受け容れられているわけではなくても、 その道を歩くという無意識の魂の覚悟を勝手に感じているのでした。 障害者と健常者という言い方がありますが、 障害者の中にも健常者の中にも人と人の違いがありますし、 結局人間はみな...

パターンの恐怖心

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●自分はわかっている というパターンに語りかけをしました。 「そうだよね、 あなたは、自分はわかっているって思っているんだね。」 この言葉だけでも、 今まで見て見ぬふりをされてきたものに 光が注がれるような明るさを感じます。 パターンはなぜすぐに、 自分はわかっていると思ってしまうのか? 少しの経験であってもすぐに自分はわかっている、もう知っている、 理解していると思いたがるパターン。 もしかすると、●自分は特別で一番だ というパターンにもつながっているように思いました。 「自分はわかっている。なぜならば、特別で一番なんだから」 「自分は特別で一番だ。なぜならば、自分はわかっているんだから」 とどちらを理由にしてもつながります。 そう思うことでパターンは威力が増しますます満たされる。 でも、そこに相反するパターンもあって、 ●自分は劣っている  というのも自分の中ではとても根深いものだと感じます。 ここを打ち消したいがために、 自分を誇示するようなパターンを作ったようにも思います。 心の奥底には、劣っていることを信じる力の方が強くある。 それをどうにかしたくて、 わかっているとか特別だとか思うことで自分を成り立たせてきたのかもしれません。 ということは・・・ 他人より劣っているのではないかという恐怖心がそうさせています。 劣っていると、他人から必要とされないのではないか、 自分の存在価値ってないのではないかと思い怖いのです。 やはりパターンって、 恐怖と不安でできているんだな。 また食べたいな、ばっけピザ

自分はわかっているというパターン

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今日は月1回の勉強会の日。 ちょっと風邪気味でしたが、 やはり行くといろいろ話をしていくうちに元気になります。 みなさんいつもありがとうございます。 今日は最近の話をそれぞれにしてもらい、 参加者は全員がそのことについて感想なり質問などしながら 相手を知るということをしました。 そして、自分の話の番のときは、自分自身を知るということにもなります。 私の話は、先日美容室に行ったときのこと。 数分遅れて行ったことが発端でまずはパターンが引っかかりました。 感情は、イラ立ち、悲しい、苦しさでした。 その後も、美容師さんとの会話から~ちょいちょい引っかかりまくり、 感情は、むなしさ、イラ立ち、不快感です。 そうやって正味2時間程度の間で次々反応していく自分をみてました。 少し整理するようにみんなへ話していくうちに(話すって整理されますね)、 自分がかつて美容師だった頃があるために、 さも美容師の心境やオーダーについての事情など 知っているから、わかるから、こうなんだよね~って言っていることに気づかされました。 自分はわかっている、理解している。 なのにそういうふうにイラ立ったりしてはいけないと、 そんな自分じゃないでしょ? 美容師の事情も知っているんでしょ? いいお客さんでいたいんでしょ? と悪魔のささやきじゃないですが、 パターンを抑え込もうとするプライドの壁が立ちはだかったのでした。 この、自分はわかっている、知っている、理解しているというプライドは、 仕事のときもあって、 仕事中に引っかかったもの(パターン)を素直に出させようとしないのです。 そんなことでイラ立つような自分ではないと、 パターンを否定するパターンです。 よくあるのが、自分が経験したことについて、 経験者だからその人の気持ちがわかるんだよね~っていうものです。 経験者だからといって全く同じ体験ではないし、 捉え方も意味付けも全く違っているのに、 それでわかった気になってしまうのだ。 でも、これもパターンなので! ケアしていこう。 実家の玄関先のたぬき いつも見守りありがとう

今の自分に必要なもの

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一日の終わりに、 今日その日に感じた小さな感謝や幸せ、 良かったことを思い出して眠りについています。 でも・・・ ポジティブな方だけちょっと特別扱いしていないか? とふと思いました。 ポジティブもネガティヴもどちらもあっていいものなのに、 寝る前だけはそんなことをして一日を振り返っていたりする。 どうしてそうするようになったのか・・・ 自分はまだまだネガティヴな感情・感覚に飲み込まれる事が多いので、 感情をただそのまま受け止める。 (飲みこまれるというのは思考がぐるぐるするということ) 今はそれの練習の一つでやってみています。 っていうことを思い出す・・・。 今の自分に必要なものを、 いい感覚のものをちょっとやってみようと思い、 やってみている私なんだなー はりきってモーニングに行くの巻

はじめて講座 2026年3月

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今月の 【はじめて講座】 は~ 3月29日(日)13:45 やはぱーく活動室Aとなっております。 チラシを作り忘れてしまい・・・今のところお申込みはありませんので、 よろしかったら、気になっていた方がおりましたらこの機会にどうぞいらしてください! ―――――――――― 先日、温泉に行った話をしましたがー 翌日からの仕事のときに、毎回少なからず「ああ~明日から仕事だなあ」 って思ったりつぶやいたりする私が、 今回なかったことに後から気づきました。 楽しくくつろぎの時間を過ごした後に、 それも楽しければ楽しいほど、 いつもは現実に引き戻されるような不快感を感じることが多いのですが、 それが今回は・・・ない! 場所が、近場であったから あまり非日常的な感覚がなかったというのもあるかもしれません。 旅行や遠出の外出には、多少なりとも羽目を外すということがありますが、 もしかすると、だんだん仕事中であっても休みでも、 「素」の自分でいる時間が増えてきているのかもしれません。 そしてもう1つは、 今、何を感じている?の問いに対して、 「私」と「パターン」しかいないという状態は変わることがない。 このことが自分の中で、 いつなんどきでも特別な自分というものはない。 という感覚が継続されていて、 その感覚の静けさというか安心感のようなものをこの頃感じています(表現がむずかしいけれど・・・)。 これから花巻東の選抜がはじまります! テレビの前で応援したいと思いまーす。

このまま行ってみよう

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ポジティブな感情もネガティブな感情も どちらも解放しましょう、手放していきましょう! っていう心理学というのか、スピリチュアルというのか、量子力学というのか・・・。 そう言う話を聞くと、 それができるようになる方法を教えてもらえば、 これで自分は幸せになれると思う人は多いのではないでしょうか。 ポジティブがいいということじゃなく、 ネガティブが悪いということじゃなく、 どちらの感情もゆるせるようになりたいって思う人は ひと昔前よりもあたり前なくらい増えたような気がします。 でも、その方法はあるようでいて無い。 無いというのは、一度きりでそうなる方法はないということ。 ただあるのは、自分を知ることへの探求をし続けた先に、 自分のどんな感情をもゆるせるようになってきている・・・ ということはあるかもしれません。 知っているつもりほど無知なことはないし、 無知だと思うから、ゆがみなく自分を見ていこうと 何度も謙虚に純粋に自分という感情のかたまりをみていく。 それだけではなく、 時に絵画を見るように音楽を聴くように、 感性をつかって自分の芯の部分をふるわせたり、 心にすがすがしい風が吹くような、 心地良さがあるものを選び自分に与えてみる。 そういういろ~んなことをやってみて・・・ 自分という個体が最後は精神性だけを求めていくのではないかと思います。 健康な肉体でもなく、恵まれた環境でもなく、 心地良いものだけに囲まれることでもなく、 どんな自分をもゆるせる精神性への探求です。 何も変わらずそこにいていい。 そう思えるまでの道のりが 誰にでも用意されていると思うし、 それを選ぶのか選ばないのかも自由な意志がある。 ここで暮らしている日常そのものが探求。 もう別のなにものかにならなくていいんだって、 このまま行けばいいし、連れていってもらえばいいって思うのでした。 池や川にいないと思ったらこんなところに…いた!

泣き声につらくなる

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花粉症の皆さんにはこの季節おつらいことと思いますが、 それもあってか耳鼻科の混みようがハンパないです。 その間、待合室で人間ウオッチングだったのですが、 今、どんな感情か?の問いをマイブームとしているため、 自分の気持ちがとても苦しくつらくなっていることに注目します。 というのも・・・、 クリニックのあちらこちらで子どもたちや赤ちゃんの 泣き声(ギャン泣き)が大合唱だったのです。 そして、それをさせるのは耳鼻科の先生。 まずは、CDみたいな光物を頭につけて手に何やら怖そうな棒を持っているあの格好が怖い。 子どもたちは早速嫌な予感がするんでしょうね、 その後、容赦なく小さな二つ穴の一つをまずはめがけて恐怖の棒がつっこまれ、 ぐりぐりとされて・・・あれで泣かない子はいないでしょう。 その子どもたちの魂の叫びが、痛々しいのと、可哀そうなのと、 そこまで泣くか?と思うくらい終わってからも続きます。 この待ち時間のあいだ中、大なり小なりの泣き声にすっかり参ってしまいました。 他人が苦しんでいるのを見るのも、 パターンにとってはものすごく不快感があるんですね。 自分も苦しさを感じてしまうし、 苦しさが本当に痛みまで再現させてしまうようで、 泣きやむ子をみてはほっとする自分がいました。 自分に起きたことではなくても、 特にネガティブは共鳴しあいます。 ポジティブさよりも引き寄せられる力が強く、共感も呼ぶ。 待合室が何となく子どもたちとお母さんを見守るような空気感になるのも、 そういうことなんだなあと思いました。 ばっけピザ ほろ苦さがうまーい!

気持ちのいい宿

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網張温泉 に一泊してきました。 となりにはスキー場があって、 この季節まだまだスキーヤーがたくさんいました。 娘がまだ小学生の頃、年末に毎年のように泊まりにきていた休暇村。 真冬とあって雪の量もすごければ、 つららのデカさにも圧倒されたのを覚えています。 でも、それより何より、その頃の娘のはしゃぎようが一番すごくって~ こんなに喜んでくれると連れてきたかいがあるというか、 両親もいて家族みんなで本当に楽しかった思い出があります。 あれから20年ぶり?かな、 リニューアルされた見た目の贅沢さより、 今も変わらず温泉が湧いているという大自然の恵みにありがたさを感じてしまいます。 ご飯と地産地消の食材にも、 この土地でできたものを美味しくいただけることに感謝。 この上なく平和な時間を過ごしているなあと思いました。 いつもだと、部屋の電気をつけっぱなしでも気にせずにいましたが、 今は地球の限られた資源のことも考え、 ホテルの省エネに協力できることはして、 ビュッフェもちゃんと食べられる量を取っていただきました。 岩手は温泉が豊富なので、 いろいろな付加価値をつけてお客さん争奪戦ですが、 エコ的な工夫と配慮でがんばっているところを応援したくなります。 過剰なサービスは不要ですので、 地球を守る、自然を守る、その中でちょっとだけ人間も恩恵をいただく。 そんな気持ちのよい宿泊先が増えてほしいなあ 岩手山って、うしろが長い

人類みな同じ

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WBC日本が負けてしまって、 もう試合が観れないと思うととても残念でした。 でも、反対に日本に勝ったベネゼエラの選手たちが、 飛び跳ねて全身で喜びをあらわにしていた姿が印象的でした。 その喜び方が、なんだかうれしいのに怒っている? と思うほど、うれしさを越えて人ってあんなふうな表情になるんだなあと思いました。 感情があるって、 人間らしくてそれがなんだかほっとします。 人類みなそこは同じ。 なのに、自分事となるとイヤな感情いい感情と分けて、 ネガティブが続くことがとても苦しく、 どうにかしたくなっちゃうんですね。 地球人がみな、この地球上のどこかで いろんな気持ちを持ちながら生きている。 そのことそのものがこの世での学びには欠かせないということ。 今日もちゃんと今の感じている自分をキャッチして、 観察していこう! 次の楽しみは春の選抜

それ、誰がやっているのか?

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昨日のつづきになりますが、 怖いという感情を「私」が察知し、 しばし私の母性がそれを受けとめていた。 そして、その感情を生みだしたパターンって何なんだろう? と考えたら、 相手に機嫌よくいてほしいとか、 いい関係を築けない自分はダメだとか、 そのあたりがいろいろ出てきました。 出てきたところで、 今度は私の中の父性がパターンへ語りかけはじめるのですが、 それまでの間が、結構くどくどと相手のパイプに入りこみながら (または、自分のパイプに相手を入れて) あのときはこうだったなとか、 なんでこうなっちゃったのかなとかいろいろ考えているんだなあと思いました。 ここの部分はもう母性でも父性でもない。 じゃあ、誰がやっているの? という話になります。 そうやって考え続けているということが、 すでにパターンを嫌うパターンがやっているのだ。 素直に、ああ、これパターンだなと感じて語りかけをするときと、 その前にくどくど考えているときがあります。 後者のときは、それ、誰がやっているの? と問いかけよう。 そこへの意識がまだまだ足りない。 語りかけは「私」がするということに意識を向けよう。 光の反射? うさぎさんが現れました♪

怖いという感情

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「怖い」という感情がわきました。 その感情をしばし受けとめます。 ああ、怖いなあ・・・怖いし、緊張するな、苦しいよ~ と感情がゆれ動くのを感じます。 だんだん、ん?何がそんなに怖いのか自分。 とふと思う。 このときは対象人物がいたのですが、 その人との間に流れる沈黙を嫌がるパターンがありました。 パターンは相手が黙っているということで、 自分は良く思われていないだろうなと感じとっています。 その良く思われていないことの原因は何なのかわからないままに、 自分が何か言ったり行動していること(つまり火に油を注いでいないか?ということ) それが怖いと感じているのでした。 ますます相手を不快にさせていないだろうかと。 そういう決めつけがパターンにはあるので、 自分のトンチンカンな行動も怖いのです。 相手を怒らせているのは自分。 自分にすべての原因があるんだと・・・これって決めつけだよなあ。 こうなってくると、 完全に他人のパイプに入っていることになります。 ああ、そうか~ ここまで細分化してやっと、 そうであるなら、一刻も早く(パイプから)出て行かねば! と思うのでした。 たまに来たくなる駅

私の栄養

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今日は久しぶりに青空が見えて、 それだけで何だか気持ちがいいなあと思いました。 今日のお弁当も自分が好きなものだけを詰めていったので、 なんか自画自賛ですが美味しかったです。 そして仕事終わりには鍼灸に寄って、 施術中とっても気持ちよくて~爆睡しました。 ・・・と、本当に些細なことだけど、 小さな幸せ感じた一日。 この小さな幸せは、 何か行動を起こすにもちょっと軽い感じがあり、 その体の感覚の軽さがまた、心を明るくしていきます。 そんな軽さ、明るさというものを、 一日の中で何度となく感じていくことが、 「私」の栄養になっています。 一週間をねぎらって~宮古サーモン

考えなくていい

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以前もそういうことがあったのですが・・・ 仕事でパワーポイント資料を作っているとき、 それも一生懸命作っている場合、 やればやるほど最後になんだかどうでもよくなって、 結局はこれ無しで話した方がいいかもって思うのでした。 じゃあ、今の今まで頑張ったこの時間は何だったんだ~って思うけれど、 それは無駄ということではなく、 一生懸命に考えて作り続けたからこそ、どうでもよくなった。 達成感とか満足感とかではなく、 もう考えたくないし、考えなくても大丈夫・・・と突如離脱する感じ。 そして、その資料がいいとか悪いとか、 素晴らしいものになったとかなっていないとか、 本当にもうそこはいい、って思うのです。 考えに考えぬいて作ったものより、 相手の顔を見ながら、その時のノリで話したほうがよほどおもしろいし熱量も伝わる(自分自身も楽しい)。 というのを知っています。 だからきっと今回ももう考える必要はなくて、 その時に浮かんだもの、相手の反応をみていろいろ話せばいいかなあって パターンで作っていたことから降りたいと思う。 準備万端でなければできないと思っているのはパターン。 そこには、不安、焦り、怖さがあるから一緒懸命にがんばる。 それらがパワポ作りに励むという行動を取るのだ。 頑張っているときは特に、 誰が頑張っているのか?に気づきにくいです。 いつでも、それ、誰がやっているの?と問い続けよう。 朝陽が入って~障子がステンドグラスに見えた!

菊とナデシコ

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今日は震災の日でしたので、花を買ってきて飾りました。 15年前に思いを馳せている方たちが今日はたくさんいると思うので、 お盆ではないけれど、そのような感じが今朝からしていました。 お花屋さんではいつもアレンジメントされたものが並ぶのですがー 今日はいつもより菊の花が多かったです。 菊の花もいいのですが、もう少しだけ華やかにしたい。 あれこれ迷っていると、 お店の方がピンクのナデシコをそこに合わせてくれました。 まだ咲いていないつぼみがたくさんついています。 ちょっと厳かな感じから、 かわいらしい色が添えられて今日にふさわしい花になりました。 ナデシコの花言葉は、純粋な愛。 純粋な愛を、向こうにいる方たちへ贈りたいです。 (お花の写真撮るの忘れた~)

感情の居場所

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語りかけのノートを見ていていると、 いろいろなネガティブ感情が書かれています。 それは全部自分の中に存在しているもので、 自分が産みだしたものではあるけれど、 ただ一つの事象にすぎない(と言われている)。 いつも持ち続けているものではないし、 出てきては姿を消し、消えたと思ったらまたいとも簡単に出てくるもの。 思考よりも前にあるもの。 感情がわくからいろいろ考えるのかもしれません。 だから~、考えるな感じろ。 この頃は、思考が動き出したらホワイトボードの消すやつをイメージして、 あ~ストップストップ、消して消して~! とつぶやいては、さささと消すことにしています。 でも感情はこんなことする必要がなく、 ただそこにあるがままに居させてあげていいもの。 そこが思考とは扱いが違うんですね(思考に走りやすい私の場合ですが)。 明日が震災から15年。 ということは、この学びも15年です。 TVで毎日のように被災した方たちが出ていて、 今でも失った家族に対してあのときああすればよかったと、 みな後悔や自責の念をもっていて涙する姿があります。 そういう中でも、深い悲しみ、苦しみ、つらさ、 後悔の念をもってそれらと一緒に生きてきたこと、 そうやって学んできたのだと思うと話している方もいました。 誰だってつらさを感じたくなくても、感情は勝手にわきます。 だからそれと共にいるしかないし、共にいるべきものたち。 そうやって生き続けていくことができる強さがあるのも人間なのだなあって思います。 沿岸の春は早いけど、春雪も降ります

天にお任せします

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昨日、書類が見つからない事件で、 探している途中にも相反する気持ちがありました。 まだ決して諦めてはいないという、焦り、緊迫感、衝動的になる気持ち。 そして、成るようになるさと、どこか覚悟もしているという 落ち着き、安心感、平和的な気持ちがありました。 探しても出てこないということは、 必要な申請が今回できないことになるけれど、それも仕方ないって、 それが天が(宇宙が、神が)よしとしていること。 そこから学べということなんだと。 それでもやるだけはやって探して、 そして疲れたから探すのはやめた。 一息ついて~ブログに意識を移した・・・ 途端に探しものが見つかった。 そういうものなんだなあと また忘れそうになると天に教えてもらっている気がしました。 今読んでいる本、天風さんもそう言っています。 「宇宙に丸投げするだけでよい」と。 こういうちょっとしたことで、 今回に限らずいつもいつも繰り返し教わっているのだけれど、 それにちゃんと気付けるかどうか、なんだな。 この空にお任せします

真逆な感情

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今日は家族用の事務処理をしていて、 頭を使いまくって疲労感がはんぱないです。 その仕事がスムーズにいかなかったのは、 途中から書類が一つどうしても見当たらず… でもこういう探し物って必ず見つかるし、 どっかから出てくると信じきって余裕でいる私。 それが今回は~ 出てこないんですね・・・どこ探しても。 家族から「探し屋」とおだてられるほど、 だいたい自分が探すと出てくることが今まであったので、 今回の、このどうしても見つからないものに対してのイライラ感、がっかり感、疲労感はすごい。 絶対見つけたーい。 ・・・とここまで書いて、 なんと今、たった今その書類が出てきました~! (夫が見つける) 急に感情は、 嬉しい、安心する、脱力感っていう真逆なものになりました。 自分が見つけたかったのかなと思っていたけど、 誰が見つけるかは重要ではなく、 素直にほっとすることができた自分でちょっと良かった。

順番を守ろう

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今日は久しぶりに利用者さんたちと余暇時間を過ごしました。 何気ないおしゃべりをし、 ジェンガをしたりオセロをしたり、 あ~こういう楽しい時間っていいなあと思った。 でも、楽しくてもそれなりに感情がざわっとすることもあって、 今、何を感じている?と聞くと、 イライラ、不快感もありました。 そう、こんなにほのぼのとした時間を過ごしても、 ちょっとしたことで不快になって、 ああ、あのパターンに引っかかったんだなあとわかります。 いつも引っかかるパターンだけど、 今までちゃんと語りかけをしてこなかった。 というより、語りかけ以前に、 今、どんな気持ちになっている? と問うことがなかったのです! 立ち止まって感情をみていないがために、 当然、感情がわいていることが無視されている。 どんな気持ちでいるのかを飛ばしてパターンに語りかけたとしても、 語りかけをするために、その時の感情を考える。 っていう奇妙な状態になっているのでした。 そうなると、順序が逆になってしまうから、 それは誰が語っているのか?という話にもなるのだと思う。 まず、気持ち(感情)があるから何のパターンなのか探せる。 この順番を守っていこう。 倒れそうで倒れません

感動する気満々

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WBCが観たいがためにNetflixをはじめました。 いろいろ映画もドラマも見れるということで、 早速見始めたら、午後まるまるTVにかじりついてしまいました。 そして夜は夜で野球がはじまり、またかじりつく・・・ でもまだドラマとは違って、 スポーツは何も手につかなくなるってことはないです。 それにくらべて以前、はまった韓ドラはやばかった。 連続して観ないと気がすまず、 明け方まで号泣しながら観てはまた翌日も懲りずに何時間も観る。 もう主婦業が成り立たなくなってしまったのでした。 ドラマが止まらなくなるのは、その先や結論を早く知りたいからで、 その世界にどっぷり浸かってそこから出たくない。 というものもあるかもしれません。 ええーー!どうなるの~~?っていう期待が満たされるドラマ。 非日常感にパターン騒ぎまくってますね。 ということは~ やっぱり何かしら満たされたいものがあって ドラマや映画にはまるのでしょうか? WBCに関しては、やはり2023年の感動をまた味わいたいのかも。 一人一人にドラマがありますからね。 あ、やっぱりここにもドラマに期待する自分。 感動する気満々で観ています。 牧選手のこの真顔が好き

中村天風さん

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先月、道場でいただいたプリントの中に、 中村天風さんの書いた文章がありました。 それを朝のお祈りの後に音読したり、 カバンに入れていつでも読めるように持ち歩いたりしています。 読むと心にじんわり染みわたり、そして元気が出てきます。 天風さんの本をはじめて読んだのは20代の頃で、 天風さんの病気と自分の病気が重なり、 考え方が変わるだけで完全に生き直すことができるんだと 当時本を読みあさったのでした。 でも、本を読んだだけでそう簡単には人は変わらない。 変わらないけれど、その時の自分なりの捉え方の中で 少なからず肉体としては大きな影響を受け、 病気が変化していったというのも事実です。 でも、それはこの本だけではなかったと思うし、 食事療法や自然療法、大自然の中で過ごすなど、 今までとは真逆な生活によって細胞が変わっていった・・・ または、たまたま病院の治療も効果があった、 ということがあったかもしれません。 いずれにしても、実際に天へ祈り、 すべてをおまかせしようと思うようになってから少しずつ体がよくなり、 結婚もし子育てもし、人並みにも働くようになった今がある。 あんなモヤシのような自分が今日まで生きてこれたのは、 何かに(宇宙に)生かされているからとしか言いようがないのです。 そして、今また天風さんの本を読んでいる。 はじめて読むかのように噛みしめながら読んでいます。 噛みしめてはまた戻って読み返したり、 あの頃とは全然違う本に思えます。 (え?こんなこと書いてあった?と思うほど違う) 今度は、病気直しのために読むのではなく、 魂のやりたいことをこの宇宙にゆだねながら 少しでも自分を整えていきたいと思いながら読んでいます。 爽やかな水色 文庫本で持ち歩いてます~

空気のような人

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そんなに会ってはいない(よく知っているわけではない)けれど、 会ったときにとても心が通じるような、風通しのよい人っています。 それは大抵、自分のパターンを満たしてくれる人。 という見方もできるのですが、 必ずしもそうとも言えないのではないか・・・ なんとなくその人のあり方というのかな、 どういう感じ方、考え方をするのか。 そこに「快」「不快」というはっきりしたものはなく、 なんか無理がない自然な感じがそこにはあるのだと思います。 そういう人がだんだん増えてきている。 空気のような人たちと言ったらいいのか。 もしかしたら~ですが、 自分自身少しだけ人に対する決めつけが弱くなってきているから そう感じるのかもしれないし。 以前だったら、この人はこういう人だから~とか、 いつもこういう考えなんだよね~とか、 そういう自分で決めつけたもので人を見ているんだなあと思いました。 そんな決めつけが薄れていくと、 結局、自分が楽になっていく。 人との違いも、ああ、違っていていいんだなとストンと落ちてきている気がします。 少な目に盛ってもおかわりする

話を聞きながら考えるのをやめる

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この頃、話をちゃんと聞くということを意識的にやってみて、 ちょっと分かり始めたことがあります。 相手の話に集中すると、 その人が何を言いたいのか、または言わんとしていることは何なのかが よ~く聞いていくと話の中にちゃんと出てきているのです。 ちゃんと何を言っているのがわかる。 本当に何を今まで聞いていたんだ?と思うくらい、 何だか聞くということが今とても楽しくもあります。 だから、今までの人生半分損している・・・とまではいかなくても、 それでもすごくもったいないことをしてきたと感じました。 今はもう会うことができない人に対してもそうですし、 天国に行ってしまった人にもそうです。 そして今生きている人に対しても、 もっとちゃんと「聞く」ということが自分が誠実にできていたならば、 話の内容だけでなく、その人への理解も違っていたと思うのです。 そして最大の癖である、話を聞きながら自分が話すことを考える ということをできるだけやめたい。 違うことを考えるっていうのもやめよう。 それがあっては、ホント何も聞いていないと同じかも。 これからも、仕事でも家でも、 いろんなところで実践あるのみ。 言葉をもっと大事にしていこう。

可愛い動物たち

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このところお天気がいい朝は、 空を見あげると白鳥たちが団体さまで飛んでいます。 旅立ちが近くなると、 よく声を出して何か合図を交わしているのか? ただ飛んでいたころと違ってどこか活気がある。 空を飛ぶ白鳥たちのあのお腹の白さを見ると、 ああ触ってみたいな~と思う。 絶対に人間には触らせることのないお腹。 でも、犬を飼っていたころはよくお腹を出して、 たくさん撫でてあげてかわいがったことを思い出します。 先日は、高松の池のベンチでお昼のパンを食べていたら、 次々とすずめが集まってきて、 (きっとパンのおこぼれを狙っていたんだと思う) すずめから寄ってこられたのははじめてでした。 今にも手ですくって捕まえれそうだけど・・・捕まらないだろうな。笑 こちらもすごく可愛い。 これからだんだん春が近づき、 犬の散歩に出会ったり、小鳥の泣き声を聞いたり、 我が家の庭を堂々と横ぎるネコたちにも会える。 今はペットを飼っていませんが、 一歩外に出れば、動物たちに癒される生活だということに気づきます。 よく見ると飛んでます

母性の登場

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今、何を感じているのか? イライラ、不快感。 昨日からのPCトラブルで、 夫がいろいろやってくれているのですが、 もう昨日からずーっとPCの話ばかりで、なんか疲れました。 私としては、 ダメなら新しく買おうと思っているけれど(もうかなり前から調子悪いんです) いつまでもこの原因を探る夫。 だんだん、壊れたのは私の使い方が悪いという話になっていって・・・ なんかもう腹立ってきた~。 というのが、今日結構な頻度で出てきた感情です。 こうして今感じていることを噛み締めて、 あーもう嫌だ~!疲れた~! って心の中で叫ぶ。 これを受け止めてくれているのが「私」の母性なのか? 甘いもので小休憩