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8月, 2022の投稿を表示しています

気がゆるむ

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とうとうやってしまった・・・ いつかやってしまうんじゃないかという予感がありました。 美容室のシャンプーで寝落ちして(ここまではよくある)、 とうとう自分のいびきで目が覚めました。もう~~~びっくりです。 美容師さん(男性)から「なんか~寝言?みたいにも言ってましたよ~」 えーーーーーー!!!うそでしょ??? うそであってほしい。 そんな寝言なんか言わないでしょうよ、何かの間違いじゃ・・・ いびきだって、可愛い感じのものでしょう(家でするのとは違うはず)・・・ と思いたかった。 でも、残念なことに、 美容師さんの大したことなかったかのように気遣っている様子で、 かえって、すごかったんだろうなと察しがつきました。 野生動物のような姿をお見せしてしまい、 本当に本当にすみませーーーーーーん、と謝りました。 もうおばさんなのか、おじさんなのかわかりません。とほほ。 いつもお世話になっているこちらの美容室では、 結構わたし、これ以外にも恥ずかしい体験を何度かやらかしています。 あるとき、顔から生えていた3センチくらいの金色の毛が発見されたのもここです。 顔にくっついていると思ったら、引っ張られたら痛くって、 なんといつの間にか、ほっぺから生えていたんですよ、長い毛が(ヤギか?)。 そしてあるときは、 急いでカレーを食べてから行ったことがあって、 白髪染めをしている最中にお腹がきゅるるるる・・・大変なことになりまして、 まだ塗り終えていないのに、2度もトイレに走ったこともありました。 お腹が弱い方は、美容室前のカレーはやめた方がいいです。 そして、今日です。 本当に本当に、ここの美容室のシャンプーは天にも昇る気持ちよさなのです。 だから、今後も絶対に寝てしまう可能性は大なので、 いびきかくまで爆睡しないようにセーブできるかどうかが問題。 それにしても、次は何をやらかすのでしょうか、わたし・・・恐ろしいです。 美容室の他にも、シェービング、歯医者、車の助手席、研修や講習会、オンラインで何かやるとき等々、 人がいるところでも気がゆるみ、寝そうになる(又は本当に寝る)自分。 できれば、恥ずかしい姿はさらしたくありませんが、 だんだん、ああもう仕方ないよねって思える自分にもなってきているかもしれません。

健康診断

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今日はこれから年に一度の健康診断に行ってきます。 去年くらいから、歳をとるってこういうことか! と思うほどの体型はもちろんのこと、 体力の衰えを実感することが多くなりました。 特に、歩いているときに早く歩けないな~と感じます(息が切れる)。 最近はさらに、階段をあがったり、 ちょっと小走ししたときに、呼吸ができない感じがあって、先日めまいで倒れそうになったことがありました。 それ以来、ちょっと気をつけて歩くようになったのですが、 つい、信号が点滅すると走ってしまい(まだ走れる、いける、と思ってしまう自分)、 やはり同じようなことがありました。 年々、確実に歳をとっていくにしても、 普段の運動不足がたたれば、ますます体力が落ち、体調もよくなることはない。 頭ばかり使って動かない日常を変えたいと思い、 やっと涼しくなってきましたので、最近は歩いたり、ヨガを復活させています。 そこで感じるのは・・・ 本当に、びっくりするくらい若いときとは違うということ。 これでこんなに筋肉痛になるか? もうこんなこともできなくなっていたのか・・・等々かなり衝撃があります。 ある意味、体のことを放置しすぎたなと、反省。 自分の体の歴史もありますので、そこも考え、それなりの体調を目指していきたいです。 今日の健診をきっかけに、 体への気遣い、メンテナンス、飴とムチ、 自分を大事にすることの一つとしてやっていきたいです。

江口寿史イラストレーター展

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岩手県立美術館で江口寿史さんのイラストレーター展『彼女』が開催されています。 どこかで見たことのある、たくさんの『彼女』がお出迎え。 先日開催されたライブドローイングには残念ながら行けませんでしたが、 その場でマジック一本で描かれた 二階堂ふみさんモデルのイラスト も、 すごくすてきでした(マッキーを使っていた!)。 等身大を越えたあの大きさのキャンバスに描くって圧巻です。 江口さんの描く女性は、実際にそこで出会った人をモデルにした絵が多くあります。 場所も描きながら(どこにいる彼女か?という視点がまたいいのだ)、 『彼女』が映えるような色遣いが、 とてもドラマチックで生き生きとして、 イラストであって、生身の人間を感じさせてくれます。 原画では髪を結んでいるのに、色を塗るときにはストレートに下ろしていたり、 写真では茶色のコートを着ていたのに、描くときは白いコートになっていたり・・・ もしかしたら、色を乗せると、 描きたいもののイメージが変わってしまうということもあるのかもしれませんが、 似合うヘアスタイル、似合う色がインスピレーションで浮かぶのでしょうね。 それにしても、『色』の持つエネルギ―はすごいなあと思います。 モノクロの原画に色を乗せたとたん、命が吹きこまれるというか・・・ そして、自分が見たものと、実際に描きたい世界というものはちょっと違うのかもしれません。 『彼女』を捉える江口さんの感性が、色遣いにとても表れているように思いました。 江口さんは、街で出会った女性たちと会話をしながらその人物の人間性に触れ、 その心の中の美しい部分を描いているのだと思います。 それを表現したくて色をのせていく・・・ だから、魅力的な彼女になってしまうのでしょうね。 特におしゃれな服を着ていたからではなく、 とび抜けて美人だったからでもなく、 ごく普通にそこで生活していた、仕事していた、学校に行っていた、そういう人たち。 普通の人の美しさを引き出すのです。   なんと、すべての展示されたイラストが写真OKだった!もっと撮ればよかった・・・ 時代がジェンダーレスになっていく中で、 性別の概念も自分自身薄れていっているような気はしますが、 こういう絵を見ていると、女性のやわらかさ、可愛らしさ、 明るさ、朗らかさ、華やかさ、そして見た目と裏腹な強さがとてもいいなあと感じます。

信頼してほしい

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会話の中で、相手の人が何を言わんとするのかわからないことがありました。 本音をずばり・・・ではなく、 本当はもっと何か考えていることがあるけれど今は言えないのか、 それとも何か違うことを話したいのか。 わたしがそれらを察することができないので、引き出すことができません。 何度か帰るそぶりをしても、まだ何となくそこにいて話が終わらないような感じがあります。 何か気になることはありますか? と聞いても特に出てこない・・・ もしかしたら、このメンバーでは言いにくいことがあるのかもしれないと思いましたが、 状況が変わっても、相手から「実は・・・」というような話は結局ありませんでした。 こういうとき、 もしかしたら、本当に何もなかったのかもしれませんが、 自分のパターンとして、 ●本音で話してほしい(嘘をつかれたくない)、というものがあります。 自分は本音で話しているという意識があるので、 そちらも言いたいことを言うべきだと思っています。 自分はそうしているんだからあなたもそうしてほしい。 自分がやっているのに、あなたがそうしないというのはフェアじゃないと感じている。 全く同じ立ち位置(フェアな関係)ではなくて、 自分がやや上でありたいという気持ちと、 自分が信頼されていないから話してもらえない、それは下に見られているという気持ちもあったのかも。 フェアじゃないという意味付けで分析してしまいます。 まるで、自分がそうしてあげているんだから、 だから、あなたもちゃんとそれに応えるべき、それがマナーみたいな。 無意識でしたが、 やっていること、感じたことを正直に見れば、そういうことなんだと思いました。 信頼されているというのは、 そこに上下関係はないはずなのに(もっと純粋なものであるのだが)、 自分が上にいるから信頼される、下に思われているから信頼されない・・・みたいになってしまっていました。 本音で話すことも、 信頼することも、 相手に望むことではなく、自分がそうしたいかどうか、自分側の問題。 相手の態度は関係ないということです。 されたい自分がいたけれど、自分がする、という方がとても自分の真理に近づける気がします。 相手ではなく、 自分が本音で話したい、信頼したい、そうわたしはありたいのでした。

2つの心

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お盆前から続いている雨で、いろいろ予定を変更して過ごしていましたが、 昨日は朝からやっと青空が見え、これは海に行くしかないでしょう!と、 お墓参りの後は、地元人しか行かない小さな海水浴場へ。 三陸の海って、 一番暑く海に入りたいこの季節に、冷たーい『やませ』が吹きます。 内陸はカラッとしたお天気。さぞかし海は最高だろうなと思って行くと~ そこには低い雲と真っ白い霧が漂い、冷たく湿気を含んだ風が海を覆っているのです。 寒っ・・・ 水が冷たくて、悲鳴をあげてしばし固まる。 でも、だんだんそれにも慣れてきて、 スカートのすそをまくり上げ、じゃばじゃばと波と遊びます。 結果、ずぶ濡れになりました。 自分だけの世界を楽しんでいい・・・ 自分対宇宙、という大きなものの中に包まれ、 砂の中に足が吸い込まれるたびに、「私」と宇宙が一つにつながっているような感じもします。 そしてそこには、どこまでも純粋な心が広がっている気がしました。 自分自身の中には、 この目の前に広がる海のように美しく、純粋で広い心と、 窮屈で暗く、どんよりした狭い心があることを感じます。 はじめからすっと、いい心でいくこともあれば、 今日はいい心ではなかったけれど、次は違う心を使ってみようと決心するときもある。 真夏のやませにがっかりする人もいれば、関係なく海を楽しむ人もいる。 同じものを与えられても、受け取るものは違います。 人生を創っていくって、そんな感じなのかもなあと思いました。

主体的真理

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深夜にやっているお悩み相談のTV番組『ロッチと子羊』(Eテレ放送) お笑いのロッチが、哲学者の言葉をヒントに悩みを解決していくのですが、 それが結構、おもしろくて見ています。 今回は、仕事をやってもやっても満足しないというお悩み。 自分はいったい何をしたら、満足を得ることができるのか・・・ あれもこれもと求めるあまりに、 何を大事にやっていけばいいのかがわからなくなってしまった、ということでした。 自分が求めているものは何なのか? そこには客観的真理と主体的真理があるそう。 前者は、誰にとってもあてはまる一般的な理想や目的です。 後者は、自分だけにあてはまる唯一無二のものです。 自分が大事にしたいこと、価値観を自分自身で選ぶのです。 答えは自分の中にある、と言ってもいいですね。 主体的真理を目指していくことは、 満足感だけでなく、幸福感も充実感もあります。 本当の「私」が選ぶ心地良さ、ストンとはまるような馴染む感じがあります。 他人のモノサシで測っていては、 いつまでたっても自分の心の中にある本当の満足は得られない。 そう頭ではわかっているけれど、 他人のモノサシの方が何か正しいと思ってしまうパターンがあるのかもしれません。 (自分はダメだというパターンなどがあるかも) ロッチにとっては、自分たちがやりたいお笑いを追求していくことが主体的真理です。 お客様にウケてもらうためは客観的真理。 とにかくウケて笑ってもらえればいいというわけではないんですね。 その悩み相談に来た方は、 仕事として考えれば、お客様の笑顔が見たいし、スタッフと楽しく仕事をしたいと思っていましたが、 それを支えているのは家族の存在(家族の笑顔)。 仕事の虫になってやればやるほど一緒に過ごす時間は減り、 自分の真理とは遠いところに行ってしまっていたんですね。 家族を幸せにしたい、大事にしたい、それがあっての自分なんだと気づいたようでした。 番組後半では、なぜ仕事の虫になっていったのか、 新人時代に擦り込まれたパターンもあきらかになります。 パターンという言葉は使っていませんが、悩みの本質がわかりやすく整理されていきました。 哲学者の言葉を今の自分にあてはめて考えていくように、 心の構造(からくり)も、 いろんな角度から、その方に合った言葉で話せるように自分もなっていきたいと思いました。 ロッチの二人

基本に戻る

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今日は岩手クラスの勉強会でした。 いつもより集まれた人が少なかったのですが、 これはこれで、たくさん話ができてとても楽しい時間を過ごしました。 今日のテーマはレスポンス(応答の練習ですね)。 人前でやる(見てもらう)というところが、少し緊張もありますが、 まずはクライアント役ということで、考えずに話してみました。 自分が話したいことを事前に整理していなくても、 口火を切ったら、どんどんしゃべっている自分がいます。 ただただ、思いついたことを話し、相手の反応でまた感じたままに話す・・・ それが結構、心地いいな~と思いました。 なんだか久しぶりに、なにを言ってもいいんだという体験をしたように思います(本当にだらだらしゃべった)。 これは、カウンセラー役のFさんが、 安心して何でも話していいよ~ という雰囲気で受け止めてくれていたからなんだと思います。 何を言っても大丈夫という場。 そういう場なんだとわたしの意識は感じとり、心が動き、頭が回転し、口が開いていくのです。 うなずきや相づち、質問の内容、声のトーン、表情、空気感など、 どれもこれも自分にとって緊張する要素などなく、 丸裸になって話をしているような感じだったのかもしれません。 これって、 クライアントさんにしてみるとすごいこと(理想)だと思いました。 レスポンスは、カウンセリング用ということでも何でもなく、 普段の家族との会話でも、友達の会話でも、職場でもどこでも応用できます。 相手に理解していることがちゃんと伝わりながら聴いている状態、 相手が話しやすくなる、というのが、とても大事になってきます。 はじめて教わったとき、 早速、家族に試してみました。 意識的にやってみて、自分でもうまくできたなと思った矢先に、 夫から、今日はなんかわざとらしいなあ・・・と言われた。 それだけ、普段の応対は適当だった、そもそも反応もしていなかったんでしょうね。 今は、特に意識はしていませんが、 反応することの大切さは身に染みてわかっているつもりなので、 「人の話、聞いてないじゃん!」と怒られることはなくなりました(話を覚えているかどうかは別だが)。 そして、レスポンスというのは実は、 一人で行うセルフカウンセリング(自分をケアすること)にも使えるのです。 自分(パターン)が言っていることをそのまんま聴き、 そうなんだね、あなたはそ

少しの変化

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●(親に)死んでほしくない、というパターンがあります。 そのケアと同時に、 自分だけの「死生観」を持つこと、そこに向き合うことが、わたしの課題だと思っています。 「死」については、30年前に自分は死ぬかもしれないと感じた体験がありました。 ( 「病気をするということ」 ) そういう体験があっても、死生観を持つまでには至らなかったのだと思います。 自分が死ぬことと、大事な人、愛する人が死ぬことは全く捉え方が違ってきます。 怖いものではない、不幸なことではない、失うことではない、とは言えないのです。 特に、いつか来る両親への死に対して、 頭だけで考えたものが行ったり来たりして、定まらない状態が続いています。 そんな中、一冊の本を読んで、 今の自分の課題とつながっていくものではないかと思うものがありました。 ベストセラーらしいので、読んだ方も多くいるかと思いますが、 ー覚悟の磨き方ー(時代のすべての異端児たちへ)  超訳吉田松陰 編訳池田貴将 サンクチュアリ出版  この本のはじめに書かれてある「心」について。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 結果じゃない 大事なことは、 なにを、どう手に入れるかではなく、 どんな気持ちを感じたいかなのです。 たとえ手にいれたものが、どれだけ美しくて広い家だとしても、 住んでいる人がやさしい気持ちになれないのなら、 それは貧しい人生です。(本文より) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 死について考える前に、 今、生きている 親とのかかわりについて、 自分が最も優先するものは、やはりこれなんだと思いました。 母を助けることを自分が後悔しないようにやってあげることではなく(それもあっていいが)、 それをする自分は、どんなふうに感じてそれをしていたいのか。 そういう一つ一つの積み重ねを経て、 いつの日か、死に対しての哲学につながっていく、ということもあるかもしれません。 うまく言えませんが、 今までのように母のために、母が喜ぶ、母が笑顔になるためにそれをするのではなく。 例えば、母の家で。 冷蔵庫をきれいに掃除し、買い物してきたものを見やすく美しく並べ、 開けたら何か食べたくなるような、その空間を作ることに没頭する。 無心になってお風呂を洗い、ちょうどいい温度に沸かし、ふかふかのタオルを用意し、 今日はシャワー

初・東京バレエ団

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東京バレエ団 全国ツアー HOPE JAPAN2022 「ギリシャの踊り」「パキータ」「ボレロ」 先日の、初・クラシックコンサートに続き、初・バレエを鑑賞しました。 ポスターのプログラムに『ボレロ』と書かれてあるのを見て一瞬で、 あ!これ観たい!と思いました。 わたしにとって、クラシックといえばボレロ(思えば、ここから始まった)。 単調に刻まれるリズム、静けさの中の緊張感からはじまり、繰り返される旋律。 強さが増していく音楽に鼓動が高鳴り、クライマックスに向けての曲調の急展開が好きです。 何度聞いても、感動します。 そんな大好きな曲に、バレエがあったとは・・・ というか、バレリーナのために作られた楽曲だったんですね。 いろいろ調べてみると、バレエなのでちゃんと物語もあり、 酒場で一人踊っていた踊り子に、周囲が魅了されていくというストーリー。 まさに曲に、踊りに、惹き込まれていった自分のよう。 東京バレエ団のボレロ(柄本弾さんのボレロ)は、本当に素晴らしかったです。 踊りというより、儀式のような神聖さを感じました。 女性では唯一踊ることがゆるされているダンサー上野水香さんのボレロも、 いつか生で観てみたいなあと思いました。 踊りの中で、腕を下げ、肘と肘を合わせて手首を90度に開くポーズがあったのですが、 そこがすごく気になりました。 どうしてあんなポーズを使うんだろうか(もう少し複雑でバレエらしい形もあったろうに)。 それゆえ、すごく真似したくなって家に帰ってからやってみました。 おお、肘と肘を合わせるってこんなにきついんだ。 あんな単純なポーズと思ったけれど、 すごくシンプルであることほど、きれいに見せることが難しいのですね。 足の位置も何となく真似して、リズムも何となくのってみました。 一体、この人何してるんだろう・・・ という感じになったのは言うまでもありません。 でも、そんな笑える自分が鏡に映ろうと、 こうかな?どうかな?と真似することがだんだん楽しくなってきます。 そういえば、 楽しそうなこと、いいと思ったことをすぐ真似する子どもだったなあ、 と昔を思い出しました(ピンクレディもすぐ覚えた)。 盛岡は昨日からさんさ祭りが始まりました。 バレエもさんさ踊りも、 踊ることが楽しいし、観るのも楽しい、という人たちがたくさん参加し、 街は3年ぶりのにぎわいとなりまし