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5月, 2021の投稿を表示しています

一人では生きられない

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生まれてきたときも死ぬときも、たった一人だっていうのに、 生きている間はこんなにもたくさんの人と関わり合っている、ということの不思議をなぜか考えていました。 死ぬときは、もしかしたら家族や誰かがそばにいるかもしれないけれど、それとは関係なく、 息をひき取り肉体から魂がぬけていってしまうときは、もうすでに一人になっているんでしょうね。 でもその後、間もなく、あの世にいる人たちがすでに出迎えてくれるようで、 「ただいま~」って久しぶりの再会を懐かしむ、喜びでいっぱいになる、満たされるのだそうです。 だから一人でも全然寂しくも悲しくもないらしい・・・ということを聞きます。 もしも本当にそういうものだとしたら、 この生きている間の、数々の「執着」というものって何なんだろうって思います。 物質的なものに限らず、 自分を見てほしい、認めてほしい、愛してほしい、一緒にいてほしい、 ずーっと永遠に死なないでほしいということもそう。 よく思われたい、評価されたい、人の上に立ちたい、 はたまた、目立ちたくない、悪く思われたくない、責められたくない・・・ ということも全部、パターンである限り執着なのだと思います。 自分がたどってきた道を振り返ると、そこに必ず何かしらのこだわりがあって、頑ななものがあって、 絶対にこれは嫌というものがあります。 そういうときは決まって悔しがったり、不安になったり、辛くなったり、 そうならないことがものすごく怖いと思ったり・・・ それが(それら執着をいうものが)、幸いなことに、「パターン」だということに気づけているのと、 それが(それら執着をいうものが)、「正真正銘の本当の自分」なんだと、思い込んで生きていくのとでは、 天と地との差があるのではないかと思うのです。 最終的に、 自分がどうなっていきたいのかが分からずに生きていくということほど、虚しいものはないのかもしれません。 お金さえあれば、家族さえ元気でいれば、病気さえしなければ、 これさえあればそこそこ生きていけるだろうと、 一見高望みでもなく、普通の生活でいいと思うことであっても、 その、○○さえあればの○○ですら失うことがあります。 そんなときに、○○がなくても自分はこう生きていきたい、 これが自分の生きる軸なんだと思うものがあれば、 どんな弱さも愚かさも過ちも、少しずつ受け容れながらやっていけるか

思い通りにしたい

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先日書いた日記 での●思い通りにしたい、のパターンですが、 〇思い通りにならなくても自分は大丈夫、という白を作りました。 その白を作ってみたら、相手の方の話が以前よりも入ってくるような感じがありました。 その方にはこれまでどんな生活があって、どんな人との関わりがあって、何を感じてきたのか。 また今は、どんなことに影響されながら、自分の考えを確立していったのだろうか。 お話しをしていくうちに、 そこに至るまでの様子がほんの少しだけですが、理解できたような気がしました。 ああ、それなら、自分が思う通りには感じないし、考えないことも分かる・・・。 そして、自分はなぜその人が自分の思う通りになってくれないと嫌だったのかも、 正直に自分に問えば、すぐわかることでした(自分の都合だけだったのだ)。 こんなくだらない理由で、その人を自分の思い通りにしたいと思い、憤りを感じていたとは・・・ ああ良かった、自分の思い描いた通りにならなくて!と逆に安心しました。 白を選ぶと、その後に取る行動が変わってきます。 白の世界は、とてもさばさばとして、とても落ち着きが出ます。 その落ち着きが生まれると、相手を知りたい理解したいと思う気持ちも生まれ、 相手もよく自分のことを話してくれるような気がします。 そこで思ったことは、 思い通りにしたいと思うときって、もしかして相手の話をよく聞いていなかったり、 あまり深く話すことがなかったり、理解していなかったり、 そもそも自分はそういう態度でいなかったのではないかと思いました。 よくわかっていないから勝手に決める、ということをやってしまっていたのかなと思いました。 相手への理解が深まってくると、 むしろ、その方自身が思うような方向へ(選ぶ道へ)進んでいってほしいなと思うようになるのかもしれません。 今度パターンが騒いだら、 自分は相手のことをまだ知らないのかもしれない、と思い出して接してみようかなと思います。

どうかしましたか

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今日は猛烈に、自分の思い通りにしたいと思う人がいました。 この人を自分の思い通りにしたい・・・なんて言うと、 ものすごい傲慢。って思うかもしれませんが、 残念ながら大なり小なりほぼすべての人が、誰かについてそう思いながら接しています。 いやいや、自分は誰かを思い通りにしたいなんて思ったことないです!という人も。 親に対して、子どもに対して、妻や夫に対して、立場が上(または下)の人に対して、 誰となく、怒りやいらだちや、悲しみや落胆を感じたならば、 それは自分が求める状態になっていない現状をみて(つまり、求めていたものがあるということ)、 そういう感情が起きているのです。 そういうとき、自分自身に対していつも思うのが、 自分の思い通りになることが決していいこととは限らないと、なぜ思わないのか?ということです。 思い通りに人が動いてくれるかどうかで、自分の人生が良くなっていくのかならないのか、 価値ある人生になっていくのかならないのか、誰にもわからないのにです。 そういうことを、これまでの経験ですでに知っているはずなのに、 相手の言動に反応している自分がいます。 これって結構疲れる。 だったらいい加減、いらいらしないで、怒らないで、悲しまないで、 「思い通りにならないことが、どうかしましたか?」 と自分自身に言ってみたらいいのに、と思いました。 きっと、「ああ、何でもなかった、大丈夫だった」と冷静に答えるはず。 もうちょっと先の未来にいる自分は、こうして思い出すことが結構できます。 そのちょっと先の未来の自分を見据えて、今、そうであったらいいのになあと思いました。

病気をするということ

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20代の頃に患った悪性リンパ腫(血液のガン)のことについて、 思うことを少し書こうと思います(少しといいつつ長い)。 自分にとって必要な経験であったと、今は心底思っていますが、 当時はもちろんカウンセリングも学んでいませんでしたし、 自分というものが何なのか考えたこともなく、 「生きる軸」というものが何もなく過ごしていた時期でした。 病気だとわかった時にじわじわと心の内側から湧き起った感情は、 悲しいというより、どこか自分のものであって自分のものではないような感じがありました。 その日から悲劇のヒロインになったんだ、と思った自分は、 そのヒロインがどうなっていくのか、どう見られれば救われるのか考える自分もいました。 今思うと、とても恥ずかしいのですが、 いかに自分は不幸かということを、友人たちにわざわざ伝えたのを覚えています。 でも、伝えても状況は変わらず(あたり前だが)、 自分に起きたこととは何の関係もなく生き生きと働いている、恋愛している、子育てしている、 とても幸せそうな友人たちを見て、ただただ他人も自分自身も恨みました。 抗がん剤治療をして髪の毛がぬけた自分を鏡で見ると、 20代という一番輝いてみえるはずの若さが見る影もなくなり、悔しくて泣きました。 放射線治療を受け、その後副作用が長く続き、 体の中身が全て破壊されてしまったのではないかと思うほど体力が落ち、不安が常にありました。 ますます自分はかわいそうな人、悲劇の人で居続けることをやっていたように思います。 社会復帰した後、再発したとわかった時は、 意外にも以前のような悲劇のヒロインの感情はなかったです。 他人にどう自分が映っているかよりも、 怒りや悲しみ、悔しさよりも、もっともっと深いところで、 真っ黒な塊のようなとんでもないものが自分にあることを感じました。 そしてこのときやっと、その塊を感じることで、やっと現実を受け入れはじめたように思います。 「自分の何が、こんな人生を送るようにさせてしまったのか」 疑問がわいたのです。 病気をしている方がすべてそうだということでは決してないのですが、 自分にとっては、何かがはっきりと間違っているものがある・・・ 「大きく道がそれている・・・」としか思えませんでした。 でも当時は、そう思っても具体的に何をどうすればいいのかわからず、 ただまな板の上の鯉のように、

ちょっとだけ元気に

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今日、シェービング(顔剃り)をしてもらっている最中に寝てしまいました。 3回くらい、「おっと、寝てた」と思い、 その都度大きく深呼吸して意識を取り戻すのですが、 またすぐに気持ち良くなって寝てしまいました。 別世界へ行って、また戻ってきて、また出かける~の繰り返しでした。 目をつむり、温かい泡が顔を包み込み、各方向から顔をなでられると、 それはもう、この上ない至福の時間が訪れます。 猫とかウサギとかハムスターもよく顔を気持ちよさそうに洗ってますね。(顔をクシクシと洗う動物たち)。 動物って、たぶん自分が気持ちいいと思うことしかしないと思うで、 毛づくろいとか、日向ぼっことか、昼寝とか、のびのび~とか、 それをしている時は、なんにも考えていないんだろうなあって思います。 頭空っぽとはこのこと。 自分もシェービングをしてもらうと、もうなんにも考えません。 そういうことを、一日にちょっとの時間でもあれば、 頭も体も心もかなりリセットされるような気がします。 自分のすべてを一旦大掃除するような、心の部屋を全部空室にして換気するような・・・ あれほど何かしら考え続けていた脳も、思考停止。 目を閉じると、現実から自分が離れ、パターンは静まり、 目を開けていては見えないようなことを、肌で感じられるような気がします。 他にも、ふわふわタオルに顔をうずめたり、湯ぶねに浸かって目を閉じるのもいいです。 車内でエンジンをかける前と、エンジンを切った後、 すぐに動かずにほんの少し目を閉じてしばしの間、車の中の空間の静けさに身を置く。 そういう、時間にしたら数分間か数秒間。 どこか旅行に出かけなくても、大自然の中に身を置かなくても、すっかりベットに入らなくても、 手軽にできる魂のお出かけ?とでもいうのかな・・・。 ちょっと元気になって軽くなって戻ってこれるので、これはいいなと思いました。

自分という材料

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大宇宙から見れば、自分ってどんなふうに映っているのでしょう。 何をしているかは表面的なもので、何を感じて何を思ってどこに向かって行っているのか、 ほんの点のような存在の自分でも、宇宙からはその内側は難なく見えていて、 それが必要なものへと寸分の狂いなく影響をあたえあっているように感じます。 例えば、今目の前にいる人、後ろの方で声だけ聞こえている人、事務的に関わっている人、 信号待ちでのとなりの車の人、いつもそばにいる人などなど、 そんな小さな空間(世界)の中でさえ、一日に何度も何かを影響し合うということが起きています。 どこかの誰かに向かって、 その人の内側に持っているものが、何かしらの波動というかエネルギーというか、 放たれてはどこかに届いていることを思います。 その中には自分にとっていいものだけでなく、不快に感じるものもあって、 その場合に、どうやってその「不快」から少しでも「快」に近づけられるよう転換していくのか、 自分の采配一つにかかっているようです。 全ての細胞を使って、全ての資質を使って、 少しでも本来のあるべき状態へ戻していこうと「私」ならばやっていけるのです。 他人が放つものをパターンで受けるのか、「私」で受けるのか。 それらの積み重ねで、自分の内面の奥深いところから湧き起ってくることもあります。 自分という肉体や精神に影響をあたえているというのは、自分自身なのです。 元気でいられることや幸せを感じられることもそうですが、 病気やケガをすることもそうだと思います。 もっと単純には、今どんな気持ちでいる?というところ。 そうやって、生まれてから何億回の感情と思考を生み出しながら、自分の心と体に留まらず、 その周りにいる人たちへもそのエネルギーのかけらが届けられ、 本来の自分の内側にあるものとつながっていく・・・ だから、どんなものを自分は放つのか、何を受け取りたいと思うのか(選ぶのか)を大事にしたいなと思いました。 見えないもの、感じるだけのものを自分の中に落とし込んでいくような作業。 形がないものなのに、それらを材料として自分が形作られていく作業が毎日行われているんですね。 それが、生きていくことのおもしろさでもあり、楽しさなんだと思います。 今日も一日、何かに誰かに影響されて生み出されるものがあるかもしれないし、 自分の中から何かを生み出していくか

あきらめる

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ずっと昔に、おじいちゃんかおばあちゃんか、知らないお年寄りの方だったのか忘れましたが、 「いつも待っている(待たされている)から、待つのは何でもないんだよ」 ってやさしく言われたことがありました。 たぶん、自分が次に会いに来れる日がわからなくて、 待たせるのは悪いなあって思うような場面だったかもしれません。 「待つのは慣れているから、大丈夫」 その言葉になんだか悲しくなってしまった思い出があります。 待たされることに慣れているなんて・・・かわいそう。 年を取ると、それが自然なことなのかと、今は思うところもありますが、 待たされることが何ともないということが、そのときは我慢しているんだろうなって思ったし、 もうそういうことはあきらめているんだなあと思いました。 早く誰かに来てほしい、早く気になっていることの返事がほしい、 早くわからないことを教えてほしい、早く自分を助けてほしい等々、 不安や困り事をどうにかしたいというのは、それを早く明らかにして安心したいために思うこと。 楽しみを待つにしても、その日がいつなのかわからないのは、とてももどかしい。 自分から行動を起こさずに(起こせない状況もあるし)、 流れに身を任せてひたすら待ち続けるって、とても我慢がいります。 でも、お年寄りが言っていたような何かを待つときの「我慢」というのは、 耐え忍び自分を押さえつけるような感じではなくて、 自分の内側に起きていることをすべて受け入れるような感じなのかもしれません。 抵抗せず、逆らわず、苦しいとかつらいとか思わずに、ただただ時がくるのを静かに待つ。 何なら待つことすら捨てて、 忘れられても、何も起きなくてもそれでもいい・・・ 「あきらめる」ってそういう束縛から自分自身を解放させることでもあるんだと思いました。 何にも期待することがない、あきらめられる「私」、我慢できる「私」。 焦ったり、早く早くって誰かを急かしたり、自分自身を急かしたり、 そういうことをしなくて済みます。 もう少し時間というものもゆっくり感じられるかもしれない。 待ちきれないでじたばた動いてしまう自分は、外から見るととても滑稽です。

ねかせてみる

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●嫌われたくない、というパターンのケアができないまま、 嫌われたくないと思っている相手と会い、 そのまま自分が本当はしたいことを言えずに終わってしまいました。 喉もとまで来ていたけれど、相手のうれしそう?たのしそう?な顔を見たら言えませんでした。 その顔が変わってしまうのを見るのが怖かったのです。 結果、嫌われはしなかったと思いますが(パターンとしては達成できた)、 「私」がそこを選んだわけではないことは明確なので、笑顔で離れた後、もやもや感ははんぱないです。 嫌われたくないには、「好かれたい」という気持ちが潜んでいることがあります。 とても好感の持てる相手だったりするので、もっとお付き合いさせてもらいたい、 そのために自分のことも好きになってもらえたら、と思うのかもしれません。 自分が本当はしたいと思っていたことを言うのか(白)、 それとも、相手に嫌われたくないから言わないのか(黒)、 グレーがあればグレーの部屋に入りたい心境です。 もう少し様子を見たい、今は決められない・・・ たぶん、「私」は本当にそうしたいと思うならば、相手に嫌われても何でも関係ないのです。 そんなこと全然気にしていない。 だけど、そこへの確信がパターンにはありません。 そして、完璧な軽さを感じられる白を選べないとだめ、というのもパターンなのです。 真っ白でなきゃいや・・・ このこだわりがすでにパターンでやっていること。 現実的には、まだ時間があるので、 すぐに結果をださずに、少し寝かせてみることにしました。 「私」への信頼があると、少しゆとりが生まれます。

誕生日の決意

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今日は師匠とわたしの夫の誕生日ということで、 目覚めるとなんだかうれしくてじっとしていられず、 朝ひとりで散歩に出ました。 山と山の間から登る太陽を見ていたら、 手を合わせる自分の胸のあたりに光がすーっと入ってくるような感じがありました。 いつもの景色がとても鮮やかで、まぶしく輝いて見えます。 ものすごい数の出会いの果てに、特別な存在として出会うことができたというこの奇跡を思うと、 少し勝手な妄想ではありますが、 自分にいろんなことを気づかせてくれるために、会いにきてくれたんだ(生まれてきてくれた)と感じてしまいます。 一期一会という言葉は、毎日は意識することがなかなかできませんが、 誕生日や記念日、また誰かとお別れするようなことがあったときに感じるものかもしれないです。 先日の母に起きた出来事 のように、 「また明日ね」と言っても明日本当に会えるという保障はどこにもないのです。 だから、この感覚は自分にとって大事だと思う人にこそ持っていたいし、 今日伝えたいこと、聞きたいことはなるべく今日のうちに話したいし、 「ありがとう」はもう何回言ってもいい言葉なんだなと思いました。 昨日の岩手セミナーでもマントラ(真言)を自分で作るというワークがありました。 自分は感覚的なオノマトペのような言葉しか出てきませんでしたが、 唯一「大丈夫、大丈夫」と「ありがとう」が、今の自分を守る言葉として出てきました。 天に向けて、全ての生きものに向けて、そして自分自身に向けて放つと、 放ったはずの言葉が何倍にもなって返ってきて「私」を包み込んでくれる・・・ そんな言葉の力を借りながらこれまでやってこれたのかもしれませんし、 これからも上を向いて、空を見上げれば、 ほっとするような勇気がわくような、自分にぴったりの言葉で教えてくれるんだと思います。 それにしても・・・師匠のお誕生日をお祝いさせていただき、 感謝と幸せな気持ちをたくさん味わわせてもらいました。 いつもの焼肉屋で「うーん、肉美味しい~」と屈託のない笑顔で連呼しておりましたが、 美味しく食べられるその健康な肉体があってこそ、自分たちも学べるわけで、 そこにご家族の協力もあり、同じ時間を過ごすことができるというのもある意味奇跡です。 そして、奇跡だけど、なるべくして成っているということも感じます。 これから自分が何か間違った方向へ進

同級生

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母がいつもスーパーまで一緒にお買い物に行くお友達がいるのですが、 ある日突然、誰にも何も言わずにどこかへいなくなってしまいました。 いなくなる前日の夕方、その方の家で母はおしゃべりをしていて、  「じゃあまた明日ね」と言ったのだそうです。 しばらく経ってから、 遠くに住んでいる息子さんが、心配して連れていったのではないか、という噂を近所の方から聞いたそうです。 母とそのお友達は同じ年で、わりと最近(ここ5~6年?)親しくなったような感じでした。 母が大腿骨を骨折して入院したときも、留守電に、 「元気になってくださいね。待ってますよ。」とメッセージが何度となく入っていました。 80歳を超えてからお友達になるって、なんかいいなあ~とふたりを見ていて微笑ましく思っていました。 その方がだんだんと歩けなくなってきて、スーパーに行くのも大変になり、 一人暮らしがおぼつかないような感じがありました。 認知症の母が心配をするほど、いろんなことを忘れるようになっていきました。 母はよく「忘れるんだから、ちゃんとメモしておきなさいよ」と、 同級生の友達をたしなめるように話していました。 そしていつも「わたしたち同級生なのよ~」とお互いにいいあい、うれしそうでした。 この一年、その方はますます歩けなくなり、よく転ぶようになっていきました。 そのたびにお世話してあげたり、救急車へ母が一緒に付き添ったこともありました。 ご飯を作って持って行ったこともあったし、財布を無くしたときは、お金も貸したのかあげたのかわかりませんが、 とにかくいろいろ困っているのがわかると助けてあげていたようです。 今、そんなことを思い出しながら、 母はとても怒っているようなあきれているような話し方をしています。 あんなにひどい足の状態にもかかわらず、絶対病院にかかろうとしなかったこと、 物忘れがひどくて(母だってすごいけど)、自分との約束をしょっちゅうすっぽかしたこと、 一緒に何か食べようといえば、いつも同じラーメン屋さんにしか行かなかったこと、 などなど一見悪口か?と思えるような話が次から次へと続きます。 母はそのお友達が大好きで、もっともっと長く、楽しく、過ごしていきたかったんでしょうね。 そして最後は、 「わたしに何も言わないで行ってしまって・・・そういう人だったのよね」と寂しそうに言うのです。 ちゃんと病院

マスクの下の顔

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マスク生活もゆうに一年が経ち、数々のマスクが登場し、ファッションの一部のようになっています。 かと思えば、最近では効果のところで不織布のマスク派が増えてきました(わたしも仕事柄、このマスクのみ)。 感染対策ができるということ以外に、 マスクをすると顔が隠れる、どんな表情をしているか相手に知られない、 ということがいいことと思っている方もいるかもしれません。 マスクをしていると守られているような感じがして、精神的に安心するという方もいます。 表情が知られないためにかえって堂々といられる、緊張がやわらぐ、 面と向かって話がしやすくなるということもあるようです。 マスクをすると息苦しさがあったり、滑舌が悪くなったり、肌がかゆくなったり、メガネがくもったりと、 いろいろ不便な点がありますが、 何と言っても顔がわからないという点が、つけはじめの頃は、すごい困る~と思っていました。 ですから自分の場合はなるべく、初対面の方など次会ったとき自分だとわかって欲しい方には、 お茶を飲んだりするときにあえて 「こういう顔してますのでよろしく」というつもりで見せるようにしています。 また、顔は顔でも笑った顔を見せたい相手には、 たとえ目尻にシワが大集結しようとも、目で自分の気持ちをわかってもらえるように、 少しオーバーにマスクの下で笑ってたりもします。 先日、自分ではまったくそういうつもりはなかったのですが、 「今日、なんか怒っていた?」と言われたことがありました。 普段はにこにこしているのに、今日は笑わないなあと思ったそうです。 正直びっくりしました。 顔が隠れているのに、どうしてそんなふうに思ったんだろう??? 怒っているとか、にこにこしているとか、マスクをしていてもわかるってことですよね。 そんなことがあって、どうせ見えないからどういう表情でもいいでしょうって、 口を半開きにしたり、口をへの字にしたり、ぶすくれる(口をとがらせる)等々、 ふと我に返って、マスクの下の顔を意識するようになりました。 自分がマスクの下の表情を意識するようになってから、 不思議なことに、周囲の人たちの表情もとてもよく見えるようになりました。 あれ?さっきあの人マスクしていたよね?と絶対にマスクはしているのですが、 していないかのように、表情が見えた・・・ということがあるのです。 目が慣れたからなのか、想像

そこにいるだけで

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今日は父が暮らすホームへ行ってきました。 母もデイサービスの日でおじゃましていましたので、ふたり一緒にいるところを久しぶりに見ました。 ふたり並ぶと何だか顔が似てきている・・・元は他人なのに不思議ですね。 母にはデイサービスに行くときは、あれだけ補聴器を付けていくように言っているのに、 やっぱり付けて行ってませんでした。 案の定、父の蚊の鳴くような声を聞き取ることができず、 せっかく何か言っているのに反応してあげない母を見ていて、じれったくなってしまいました。 たまに何かむにゃむにゃっと声を発すると、 自分だったらとてもうれしくて必死で何を言っているのか耳をすまします。 でも母は違っていて、そんな娘の思いなど大したことではないという感じです。 それでも、ポロシャツのえりを直してあげたり、一本びよーんと伸びた眉毛を切ってあげたり、 いろいろ身だしなみを整えてあげようとする姿は、自宅にいたときと同じで、楽しそうに見えました。 子どもの自分にしてみれば、やはりこういういつもの両親をみれるというのは、ありがたいことです。 久しぶりのホームには、新しい人が何人か入ってきていて、 その方たちが座っているテーブルは少し緊張した雰囲気がありました。 父もそうでしたが、入ってすぐは、ここはどこ?なんで連れてこられたんだと、 どんなにやさしい言葉をスタッフがかけても、警戒心むきだしだったと思います。 新しく入ってきたある女性もそんな状態のようでした。 なかなか慣れてくれず、スタッフも接し方で悩んでいると言っていました。 その女性は、たしかに少し緊張した面持ちで怖そうな表情をしていました。 でも、父がとなりに座っているときだけは何か落ち着くのか、 だんだん穏やかな表情をするようになってきたそうです。 父は、その女性のとなりで昼ご飯を食べ、その後母も休憩しに行ったため、 一人うとうとしはじめていました。 そのうち、だんだん父の体が傾いてきて、もう少しで頭がその方の肩にのっかりそうになり、 わたしはひやひやして見ていました。 「なんかね、あういうのもいいみたいなんですよ」 えっどういうこと??? その女性はちらっと父の方を見たくらいにして(若干、顔がゆるんだように見えた)、 頭が寄りかかってもそのままでいました。 スタッフの方も、何十年とこの仕事をしてきて、 あのような関わり方はめずらしいと

夫婦としての「私」

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夫婦とは・・・を語るには、まだまだ全然未熟なわたしですが、 夫とのふたり暮らしについては、この数年でちょっとした変化を感じるようになりました。 何が変わってきたかというと、ふたりの生活であっても、『わ・た・し・の生活』をしているという実感。 自分を大事にできる日常が送られている、と感じる日が多くなってきたことです。 とは言っても、物理的には同じ屋根の下で暮らしていますので、 夫にあわせた時間で食事を準備したり、食べたいものがあればすぐ作り、 テレビもふたりのときは一緒に見て楽しいと感じる番組を見たり、 日記を書くためにPCに向かうのも、夫が何か話したそうにしているときはやらないようにしています。 出かける予定も、タイミングも状況をみて(夫の不規則勤務を一応確認して)動いていることが多いかなと思います。 他の夫婦はどうしているのかわかりませんので、 これが普通なのか、そうでもないことなのかどうなんでしょう? 娘が一緒に住んでいたころは、子どもと夫のどちらにも合わせるという臨機応変さが必要だったのですが、 ふたりになったことで、単純にどっちかがちょっと我慢(というほどの我慢ではないが)すれば、 何でもスムーズにいくのがお互いにわかってきたように思います(我慢という名の思いやり?)。 そして、それが楽に無理せず暮らせるコツ?でもあるというか・・・。 そして、もう一つは、以前よりもまして話すようになったかもしれません。 お互いの状況を察することに神経を注いでいたところがありましたが、 ちゃんと話す、理由を伝える、ということを大事にするようになりました。 相手にわかってもらうことよりも、 自分の状況や、そのときの気持ちや、なぜそうしたかの動機など、 自分に起きていることを言葉にしてみる、という感じ。 言葉にすると、頭が整理され心が整理され、 自分自身が落ち着くところに落ち着いてくるような感じがします(パターンで話せはその逆もしかり)。 わたしは夫にとって、二度目の結婚相手であるため、 結婚したときから娘と三人での生活がスタートし、いわゆる新婚生活という体験がなく子育てをしてきました。 だからなのかもしれませんが、ふたり暮らしは新婚のような新鮮さをちょっと感じていたように思います。 若ければそれはそれで、幸せいっぱいで何も不安はないのでしょうが、 この年齢になると、このままでは

特別な日

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ゴールデンウィークの5日間、自分の中ではやりたいことがあります。 それは読書と掃除、片付けです(そんな声を大にしていうほどのことではないが)。 読書はこの期間のために、読みたい本を3冊購入してありますので、 公園のベンチや喫茶店で、または夜の時間にゆっくり読みたいなあと思っています(たのしみ〜)。 昨日今日と夫も休みだったため、 昨日は買い物がてら、ちょっと遠くまで足をのばして暗くなるまでドライブを楽しみました。 自分としては、昨日たくさん遊んだので、 今日はいつもしていない場所の掃除をして家で過ごそうと思っていました。 朝から雨が降っていて小寒くて、こういう日はこもるのにちょうどいいなあと思ったのです。 ですが、夫はこの雨の中、まさかのまたしてもドライブに行きたいというのです。 えーーーー、自分はまったく行きたいとは思わない・・・ 朝から読書をして布団から出ず、行きたくないオーラを放っていたのですが、 夫はそれには屈せず、なぜそうしたいのかを話してきます。 明日から仕事が始まるから(しかも忙しくなるので)、今日までは好きなことをして過ごしたいと言う。 つまりは、自分に合わせてくれ、ということなんだなと。 こんなとき一番いい方法があります。 白と黒の部屋に入ってみて「私」がいいなと直感で選ぶというもの。 いろいろ考えずにまず入ってみる。 すると、本当はどうしたいのかがわかります、軽く明るくほっとする感じがありますので。 選ぶ理由はつけずに、ただただそうなったとき、どっちがいいかだけ感じます。 意外なことに、 白の部屋(夫にはつきあわないで、家で掃除をする)も、 黒の部屋(夫につきあって、掃除は明日以降にする)もどちらもぱっとしませんでした。 どちらかに軍配があがるはずなんですが、 ごくたまに違いがほとんど感じないということがあります。 そこで、究極の選択として自分がときどき使っているのは、 もし明日、人生が終わるとしたら・・・どっちを選ぶのか、というもの。 こうすると、「私」が選ぶものははっきりしました。 今日は夫につきあおう!を選びました。 選ぶと状況が一変に変わり、霧が晴れていくように準備が進みます。 結果的に、とてもいい一日になりました。 途中、わたしが居眠りをして空白の時間も長くありましたが、 ただ、一日一緒にいるということが良かったと思いました。 昨日とは

ケガをするかしないかの感覚

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ヨガ教室を離れて約一年。 恥ずかしながら、もっぱらテレビを見ながらの、ながらヨガになっています。 体は正直で、一年前より固いなあ、しならないなあと思うところがでてきました。 無意識に自分がやりやすいポーズや、気持ちがいいポーズばかりやってしまうので、 固いところはさらにほぐれることなく、また筋力もついていきません。 これはまずいなと思い・・・ 最近また時間をかけて少しづつ苦手なポーズも取り入れながらやっています。 そのとき、ほんの少しだと思うのですが、 無理をして体をひねったり伸ばしたりしていることがあるようなのです。 いた気持ちいいくらいの感じで、と自分では思っているのですが、 体に起きていることは、違うようなのです。 一日経ったくらいに、何か足が痛いとか、首が変な感じとか、股関節の動きが悪いとか、 やる度に、どこかをちょっとづつ痛めている感じがします。 どれもいつの間にか自然に治ってしまうくらいのものですが、 ここが治ると、今度はこっち、というように、 気を付けているつもりでも、痛みがなくなると調子にのってしまうのでしょうね。 そのうち、 今、この動きは体が伸びていて気持ちいいけれど、これ以上やらない方がいいかもしれない・・・ と、少し手前で止めたり、ゆるめたり、微調整するようになりました。 痛くないけれど、無理をしたときの痛みをちょっと想像してみるのです。 そうするとたくさん動けるようになるよりも、安心してポーズが取れることの方がずっと効果があることに気がつきました。 これと似たようなことを、子どもの頃に体験したなあと遥か遠い記憶を思い出しました。 じっとしていることが苦手、落ち着きがない子(よく言えば、活発な子)だったわたしは、 木登りはもちろん、高い所に登ったり、飛びおりたり、 狭いところやすき間に入ったり、あちこち走り回ったりと、 とにかく周りをハラハラさせる子どもでした。 当然、ケガもよくしていて、 膝には自転車で何度も派手に転んだそのときの傷跡が、今も残っていたり、 顔には10針縫った跡がうっすら消えずにあります。 お風呂に入るたびに、身に覚えのない青たんが見つかることもしょっちゅう(そのあたりはいまだ変わらず)。 ただ、そんな落ち着きの無い性格はなかなか変わらなくても、 いつしかケガをするかしないか、 というぎりぎりの線がわかるような気をつけて走り