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怖いという感情

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「怖い」という感情がわきました。 その感情をしばし受けとめます。 ああ、怖いなあ・・・怖いし、緊張するな、苦しいよ~ と感情がゆれ動くのを感じます。 だんだん、ん?何がそんなに怖いのか自分。 とふと思う。 このときは対象人物がいたのですが、 その人との間に流れる沈黙を嫌がるパターンがありました。 パターンは相手が黙っているということで、 自分は良く思われていないだろうなと感じとっています。 その良く思われていないことの原因は何なのかわからないままに、 自分が何か言ったり行動していること(つまり火に油を注いでいないか?ということ) それが怖いと感じているのでした。 ますます相手を不快にさせていないだろうかと。 そういう決めつけがパターンにはあるので、 自分のトンチンカンな行動も怖いのです。 相手を怒らせているのは自分。 自分にすべての原因があるんだと・・・これって決めつけだよなあ。 こうなってくると、 完全に他人のパイプに入っていることになります。 ああ、そうか~ ここまで細分化してやっと、 そうであるなら、一刻も早く(パイプから)出て行かねば! と思うのでした。 たまに来たくなる駅

私の栄養

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今日は久しぶりに青空が見えて、 それだけで何だか気持ちがいいなあと思いました。 今日のお弁当も自分が好きなものだけを詰めていったので、 なんか自画自賛ですが美味しかったです。 そして仕事終わりには鍼灸に寄って、 施術中とっても気持ちよくて~爆睡しました。 ・・・と、本当に些細なことだけど、 小さな幸せ感じた一日。 この小さな幸せは、 何か行動を起こすにもちょっと軽い感じがあり、 その体の感覚の軽さがまた、心を明るくしていきます。 そんな軽さ、明るさというものを、 一日の中で何度となく感じていくことが、 「私」の栄養になっています。 一週間をねぎらって~宮古サーモン

考えなくていい

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以前もそういうことがあったのですが・・・ 仕事でパワーポイント資料を作っているとき、 それも一生懸命作っている場合、 やればやるほど最後になんだかどうでもよくなって、 結局はこれ無しで話した方がいいかもって思うのでした。 じゃあ、今の今まで頑張ったこの時間は何だったんだ~って思うけれど、 それは無駄ということではなく、 一生懸命に考えて作り続けたからこそ、どうでもよくなった。 達成感とか満足感とかではなく、 もう考えたくないし、考えなくても大丈夫・・・と突如離脱する感じ。 そして、その資料がいいとか悪いとか、 素晴らしいものになったとかなっていないとか、 本当にもうそこはいい、って思うのです。 考えに考えぬいて作ったものより、 相手の顔を見ながら、その時のノリで話したほうがよほどおもしろいし熱量も伝わる(自分自身も楽しい)。 というのを知っています。 だからきっと今回ももう考える必要はなくて、 その時に浮かんだもの、相手の反応をみていろいろ話せばいいかなあって パターンで作っていたことから降りたいと思う。 準備万端でなければできないと思っているのはパターン。 そこには、不安、焦り、怖さがあるから一緒懸命にがんばる。 それらがパワポ作りに励むという行動を取るのだ。 頑張っているときは特に、 誰が頑張っているのか?に気づきにくいです。 いつでも、それ、誰がやっているの?と問い続けよう。 朝陽が入って~障子がステンドグラスに見えた!

菊とナデシコ

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今日は震災の日でしたので、花を買ってきて飾りました。 15年前に思いを馳せている方たちが今日はたくさんいると思うので、 お盆ではないけれど、そのような感じが今朝からしていました。 お花屋さんではいつもアレンジメントされたものが並ぶのですがー 今日はいつもより菊の花が多かったです。 菊の花もいいのですが、もう少しだけ華やかにしたい。 あれこれ迷っていると、 お店の方がピンクのナデシコをそこに合わせてくれました。 まだ咲いていないつぼみがたくさんついています。 ちょっと厳かな感じから、 かわいらしい色が添えられて今日にふさわしい花になりました。 ナデシコの花言葉は、純粋な愛。 純粋な愛を、向こうにいる方たちへ贈りたいです。 (お花の写真撮るの忘れた~)

感情の居場所

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語りかけのノートを見ていていると、 いろいろなネガティブ感情が書かれています。 それは全部自分の中に存在しているもので、 自分が産みだしたものではあるけれど、 ただ一つの事象にすぎない(と言われている)。 いつも持ち続けているものではないし、 出てきては姿を消し、消えたと思ったらまたいとも簡単に出てくるもの。 思考よりも前にあるもの。 感情がわくからいろいろ考えるのかもしれません。 だから~、考えるな感じろ。 この頃は、思考が動き出したらホワイトボードの消すやつをイメージして、 あ~ストップストップ、消して消して~! とつぶやいては、さささと消すことにしています。 でも感情はこんなことする必要がなく、 ただそこにあるがままに居させてあげていいもの。 そこが思考とは扱いが違うんですね(思考に走りやすい私の場合ですが)。 明日が震災から15年。 ということは、この学びも15年です。 TVで毎日のように被災した方たちが出ていて、 今でも失った家族に対してあのときああすればよかったと、 みな後悔や自責の念をもっていて涙する姿があります。 そういう中でも、深い悲しみ、苦しみ、つらさ、 後悔の念をもってそれらと一緒に生きてきたこと、 そうやって学んできたのだと思うと話している方もいました。 誰だってつらさを感じたくなくても、感情は勝手にわきます。 だからそれと共にいるしかないし、共にいるべきものたち。 そうやって生き続けていくことができる強さがあるのも人間なのだなあって思います。 沿岸の春は早いけど、春雪も降ります