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装わない

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自分の身の丈を知る、ということがありました。 今の自分という人間がどういう領域にいて、 どういうものを持ちながら、 またはまだ持っていないものがありながら今を生きているのか。 パターンの理想というものがあって、 それは違うと自分の内側ではわかっているはずなのに、 していることはその理想に近いことをしている。 ああ、なんて表面的なことをしているんだ自分は・・・と気づく。 たぶん自分が自分の身の丈を本当にはわかっていないから、 パターンは表面的な自分を装ってしまようにも思います。 そして、そんなパターンをまた嫌うパターンがあり、 自分はそんなレベルの低い人間ではないと思いたい・・・からまた苦しむのです。 だから、どんなにいろいろな感情がわき、 それらがつらいと感じてもまずは何かを装わないこと。 ちゃんと今の自分を認めること。 このありのままの自分を! ここからやっていこうと思いました。 今の自分「私」はまだまだ成長過程。 そのための日々のワーク。 この6時間後は雨でした~

体にしみこんだもの

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昨日のつづきになりますがー 自分の失敗や自分に対しての指摘など、 他人にそれらを知られたくない(聞かれたくない)と思うパターンは、 心の中で「いやいや、今それを人前で言わなくてもいいでしょう」 と言った相手を否認している状態でもあります。 そうすると素直にそれを一つの事象として受け入れることなどできず、 まずは、そう言ってきた相手を責めたり、 言われた自分の不甲斐なさに傷つき落ち込むパターンもいます。 この場合、気分はよくありません。 でもそれが、言われたときは「快」ではないけれど、 「不快」にもならないこともあります。 そういうときは、自分の失敗や自分に対しての指摘を素直に聞ける自分を感じています。 他人にそれらを知られてもいい、聞かれてもいいと思う白パターンがいることに気づくのだと思う。 黒パターンではなく白パターンの方に心地よさを感じられるようになっている、この感覚。 この感じ方って、ワークを通してしか体にしみこませることができなくて、 でも体にしみこんだものは、頭で理解するよりもずっと覚えているのかもしれません。 最近、物忘れやあたらしいことを覚えられない自分ですが、 「私」とパターンは同じではないということはしみこんでいる・・・だといいな。 雨が降りそうで降らなかった

聞かれたくない

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あんな言い方されたくなかったと思うとき(思っているのはパターン)、 言い方の内容に引っかかっているということではあるのですが、 結構あるのは(私の場合)、人前で言われたこと、この状態に引っかかっていたりします。 もしも、誰もまわりにいない一対一のときに言われたら、 ネガティブな感情がここまでわいただろうか。 もしかしたら、自分のしていることを反省なり改善なり、 真摯に受け止めるということもするのかもしれない。 だけど、まわりに人がいる、それが良く思われたいと思っている人だったりすればなおのこと、 自分へ向けられた「あんな言い方の内容」をパターンとしては恥ずかしいから他人に聞かれたくないのだ。 だって、聞かれたら自分の評価が下がってしまう。 それが耐えられないとパターンは思っているから。 このあたりに引っかかると、 パターンは言った相手をすごく責めたくなります。 夜食 野菜ペースト

それだけのこと

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今、何感じている?と、朝目覚めて思いました。 朝っぱらから・・・まだ一日が始まっていないのに・・・ それだけずっと心の奥に持ち続けていた(しかも、無視されていた)感情なんだとわかります。 恥ずかしい、悔しい、無力感、イラ立ち、憂うつな気分。 これらがずっとあったはずなのに、一日のふりかえりのときには、 もっと大きな感情の方をみていた。 でも、ここに気づけてよかった。 数日間?いやもっと?無視をしていたんだと思うけれど、 やはりずっとそこにいるものには嘘をつけないんだな。 もうひとりぼっちにはしないし、 あなたは何も変わらずそこにいていいよ。 パターンで受けとっていただけだったんだ、それだけのことだったんだと分かると、 窓から心地いい風が入ってくるようで、 一気に空気の入れ替え~晴れやかになります。 こんなに単純だった~ これどうしたらいいかなあ?などど考えるのではなく、 自分(パターン)を見ればよかっただけ。 本当にこれだけで良かったんだ!と。 また今日も、小さいざわざわもみていこう。

パターンに教えてもらうもの

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孤独の時間が自分を創る。 というけれど、今日は一日中ゆったり家で過ごしたことで、 今まで同じワークをしていても見えなかったものが少しだけまた見えた気がしました。 ●自分は特別で一番だ というパターンの理由は、 小さいころからの体験が根底にあるため語りかけにそこを入れてきましたが、 他にも思い出したものがありました。 「がんを経験したけれど、自分はこうして生かされている」というものです。 がん体験をパターンは過剰に評価しているのだと思います。 確かに病気は価値観を壊し、生き方を変えてくれたものではあるけれど、 何か特別な力が自分を支えてくれたのだという、 感謝とは違うパターンの驕りがあったのだと思いました。 パターンって、かなり分厚い層で作られているのかもしれません。 幼少期からのほめられたり、ちやほやされたということだけではなく、 結構大人になってからも自分は特別で一番だというものを刷り込み続けていたんだなあ 語りかけにこの理由を追加てみたらしっくりきたので、 パターンが教えてくれたのだと思いました。 朝ごはん シジミ汁