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勉強会っていい

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今月の勉強会はいつもより人数が少なかったのですが、 みなさんのお話をじ~っくり聞くことができて良かったです。 ここ2か月あまりの様子をそれぞれに話すということでしたが、 私は2か月前に大変だった(とパターンが思っていること) をもう一度整理するためにお話ししました。 でも、話してみると、 現実的にやること(行動を変えること)はやっていたのだけれど、 肝心のはじめに湧いた感情に対して、 パターンをよく見ずに思考で対処していたことに気づきました。 もう一度、あの時の感情は何に対してひっかかっていたのか? 確かにいらっとしたし不快だったし、怖かった。 といういろいろな感情が入り混じっていたことが思い出されます。 何がそんなに怖かったのか。 うーん、本当に何が怖いとパターンは思っているんだろう? 1つの理由が出てきても、じゃあそれはどうしてそう思うの?とみなさんからの質問が続いていきます。 なぜ?なぜ? ああ、こんなふうに自分へ向き合うことができていなかったんだなあ。 自分に甘かったんだと気づかされました。 今月は先生が来られなかったけれど、 なんかしっかりみなさんから教わっている私。 ホントにホントにみんなが先生に見えました。 勉強会は、自分の成長に欠かせないありがたい時間です。 久しぶりのナン、美味しかった♪

Aさんありがとう

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Aさんが 「魂の道場」 を卒業されたとお聞きしました。 この学びには卒業というものなどないと思っていましたが、 みんな個々の背景を持って、個々の課題に向き合って生きる時、 「卒業」という一つの区切りからまた新たな人生が始まるのだと思うと、 私がAさんと会えたことはなんて幸せだったのだろうって今思います。 Aさんは、私にとってはお姉さん的存在でしたが、 とてもおちゃめで、ときどき、え??って思うような考え方をしていたり、 なかなか自分の周りにはいないタイプの方のように思っていました。 だからなのか、 Aさんの発信するブログに笑わせてもらったり、 励ましてもらったりしたこと数知れず・・・です。 はじめて茅ヶ崎クラスに行った日に、 岩手から名物の南部せんべいをお土産にもっていったら、 まさかのまさか、Aさんも私を歓迎しようと 全く同じ南部せんべいを用意してくれたのでした。 (この話、もう何度もネタにしてすみません) まさか関東在住のAさんが、 岩手から来る私に、普段食べている岩手のせんべいを用意しないでしょう・・・って思うのですが、 そういう、なんで?って思うようなことをしてくれるのがAさんでした。 そういう独特なユーモアをもらいながら、 これまで一緒に道場で学んできたことはとても誇りに思うし、 私も先生やAさんのようにのびのびと年を重ねていきたいと思うのでした。 あの笑顔を思い出すだけで私の心は軽くなります。 Aさんご卒業おめでとうございます!!

心の重さを感じたら

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それをする動機は何か?と問うと、 相手から嫌われないように、 いろいろ言われないように、 クレームにならないように等々・・・今日はいろいろありました。 パターンが言っているところを動機をすると、 なんとも気分が重くなるような結果を受け取ります。 たとえうまくいっているかのように見えていたとしても、 自分だけわかる心の重さをどこかに感じているのでした。 そして、その重さがいやだから動機をよく考えようとするのではなく、 やはり、自分はどうありたいのか?と考えれば、 動機って考えずとも瞬間的にそうしようって、なるものだと思いました。 ちょっと重たいなあって感じたら、 さあ、ここから何を選ぶの?って自分へ問いかけよう。 さあ、ここからどんな感じで、どんな気分で次へいこうとしている? って感じてみよう。

癒しの持続

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今日はシェービング(顔剃りのことで~す)へ行ってきました。 もうこれが、あまりにも気持ち良くって、 途中記憶がないほど脱力して寝てしまいます。 これはもう、私にとっての「癒し」なんだと思います。 感覚的な気持ち良さ、そしてその最中の安心感、終わった後の爽快感。 それに浸る前と後では、気持ち入れ替わったように続く。 他にも、犬を見かけるとそれだけで癒しをもらうし、 緑があるところで空気をめいっぱい吸ったりするのも地球からの癒しです。 特に自然から受け取るものは、 そこに人として生かされているという実感がどこからともなくわいてくるので、 そのありがたさで涙が出そうになることがあります。 (これが、大地への感謝なんだろうな) 一般的には癒されるって、一時的なもので、 しかも誰かに何かにしてもらうことが多いと思いますが、 そこに浸り、あの後もその軽さを感じ続けることができるのは自分の意思なのかも。

一歩踏み出す

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誰かの役に立つことをしたい・・・で思い出したのは、 先日、友人が困っている様子をみて、 たまたまそれが自分にできそうなことだったので、 代わりにやってみたということがありました。 それをするのに自信があったわけではなかったし、 よくわかっていないこともたくさんありました。 でも、少しでも力になりたいという気持ちだけでやってみたら、 思いのほか一歩前進した感じがありました。 以前の自分であれば、 こんなふうに自信がないことをやってみようとは思わなかったと思います。 後から間違っていたら迷惑もかかるし、 ちゃんとわかっていないことには手をつけたくない(ってパターンが言う)。 でも、少しずつですが、 わからないことに対しての怖さがあまりなくなってきている気がしました。 少しでもできそうなところがあればやってみればいいし、 違っていたとしても、今の自分の持てるものは出したほうがいいと、 (たとえ、後から言うほど頼りにならなかったと思われても~) そういう軽さを以前より持てているように思います。 自分にできることしか神さまは与えない・・・ということもよく言われますが、 その「できる」をどう意味付けるかにもよります。 自信があって、他人に誇れるもので、得意なことだけではない。 一歩を踏み出すことも、自分にとってできること。 そういう意味付けもいつの間にか自分の中に付け加えられてあったのかもしれません。 まだ結果として役に立てたと言えるかどうかは微妙ですがー でも、これからも誰かの役に立てそうなことがあったら、 もう完璧さはいらないとわかったので~やってみようと思います。 雪解け水で北上川の水量が増えてました(大槌の山にかけたい…)