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パターンを守るもの

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一度パターンの存在を認めると、 そのパターンは水を得た魚のように主張してくるような気がしました。 もうなかったことにはできないし、 あとはそのパターンがケアされるまで、 パターンも堂々と主張してきます。 その主張を受けとめるのは母性。 母性がパターンを受け入れ、 そして次に父性によってパターンよりももっと堂々と 大きな愛で語られていくのでした。 このバランスでパターンは守られていくんだな。 遠くから見るとこんなに大きな木

変えようとしない

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パターンへの語りかけに、 「私」はそうは思っていないけどね・・・という言葉を付け足すと、 ああ、そうなんだ~って思うときと、 ああ、そうだよね~って思うときがあり、 この差は微妙ですが全く違うものです。 前者は、パターンが優勢になっているために、 「私」がそうは思っていないことをすっかり忘れているというか、 パターンの言い分を聞くのにどこか必死さがあるように思います。 後者は、パターンの言い分もわかっているけれど、 深いところの真実として本当は違うということも知りつつ聞いている。 「私」の立ち位置を今一度確認しながらもパターンへも寄り添いたいと思っている感じがあります。 語りかけをするときはまずはパターンだけを見る。 言いたいことはわかったわかったと、すぐに白パターンを考えたくなるのは、 今いるパターンを何とか変えさせたいという魂胆があるのだと思う。 そうなると、今の自分を変えさせる目的で語りかけをしているようなものだと思いました。 これからは「私」が見守っているから、 あなたは何も変わらなくて大丈夫。 「私」がそうは思っていないと言っているのは、 パターンがどう思っても大丈夫なんだよと言っているのと同じ・・・ということなのかな。 今日は26℃曇り 過ごしやすい一日でした!

正直さをとり戻す

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そのときの自分の気持ちに意識を向けると、 れっきとした怒りがありました。 でも怒りもあるけれど、それについての先行きの不安や恐怖心もそこに同時にあって、 それを何とか表面的に解決させるために思考が動き出すように思いました。 いろいろ考えることでその不安への対策ができて、 怖いと感じたものもだんだん落ち着いてきます。 でも、やはり一番はじめの怒りはそのままそこにパターンとしてある。 そのまんまそこにいていいからね、と普段パターンへ言っているくせに、 怒りがあると仕事がしずらいのでそこは見ないようにしていたんだなあと思います。 自分に嘘をつくというのはこういうこと。 嘘はつきたくない、と思っていても、 感情を見ていないことが結局は正直じゃないことになっていたとは・・・。 わかっていなかったな、ということをまた自覚しながら、 また一歩一歩やっていこう。

もっと意識的に

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先生のカウンセリングを受けました。 行く前に話すことを整理したくても出来ず・・・その理由が身に染みてわかった気がしました。 パターンに反応しているのにそれを思考ですり替えていました。 こう考えていけばいいとか、こういう捉え方もあるとか、全部パターンがやっていること。 普段から染み付いている、すぐに頭で考えようとする癖。 意識的に目を向けていないとこうなってしまいます。 特に仕事中は、感情を無視していたり、感じるのではなくすぐさま考えることをやっているのでした。 それは自分に嘘をついていることと同じ状態だということも教わりました。 自分の感情を見ないということは、表面的な解決を私は優先していたんだな。 そうなると、見た目にはうまくやっているように見えます。 でもどうありたいのかの「私」とは不一致性が出てきて、いつまでもどこかすっきりしない感じがありました。 仕事をより良いものにするためにお互いを尊重し合いながら進めていけるようにとするのは、 表面的にはそうなんだけど、 自分のやる事はそこではなかったのです。 自分がやる事は、他人や外の出来事ではなく自分(パターン)を見ること、またそれをゆるすこと。 いつどんな時も、たとえ仕事であってもここを外していいということはない。 もう一度、感情に意識を向けることと、向けた後もしっかりパターンのケアをし続けていこう。 まだまだ甘いんだなあ。 自分に喝を入れます。 いつもの茅ヶ崎の景色

食事をつくる幸せ

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母はこの頃、食べ物の好き嫌いが出てきた感じで、 毎回冷蔵庫を開けては、何つくろう?って思います。 一応好きな食材は買ってあるつもりなのですが、 美味しそうに見えてないと食べなくなってきている・・・ように思います。 1年ほど前からどんどん体重が落ちてしまって、 年だからね~と、自然に食事の量は減っていくものだと 主治医の先生からは聞いていました。 それでも、あまり食べないままにしていると 今度は歩くこともままならなくなってしまうので、 せめて好きなものだけでも食べてほしいと思い、いろいろ試行錯誤していたら・・・ 見た目が重要だということに気づいたのです。 例えば卵焼きも、黄色の鮮やかさとキレイに一口大に切って出すとか、 和え物も小鉢に量が少なめに上品に盛ってあると食べます。 味噌汁も今まで食べていた田舎味噌より、白味噌の方が美味しいと言う気がして、 そこに油揚げと野菜をバランスよく入れると、完食するような気がします。 ゼリーやヨーグルトも、ガラスの器に盛ってあげると食事の最後に、 あら~これは何?と言って嬉しそうに食べるのでした。 母のおかげで、そういう工夫を楽しませてもらっている私。 食卓に美味しそうなものが並ぶ光景は、作っていて楽しいし、 他愛もない会話もはずみます。 なんだか小さい頃の食卓を思い出しました。 子どもの頃、自分の好きなものが出るだけでなく、 わあ~!という感動と共に食べていたのだと思う。 そういえば、私が喜ぶから作っていた(ハンバーグとか餃子とか) と母から聞いたことがあるので、 食事って食欲が満たされるだけでなくちょっとした感動の時間なのかもしれません。 そして何よりも、一緒にご飯を食べる人がいるということが一番! 自分ができることがあるということの幸せを母からもらっています。 九戸村名物といったらコレ「甘茶でかっぽれ」