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わかってもらいたい、は違う

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毎日、誰かしらの話を聴くという時間があります。 そういう時間は好きなのですが、 話すより、聴くことの方が本当はむずかしいなと思います。 でも少しずつですが、 ずっと聴き続けると、 何かその話の一番大事な部分を感じられるようになったり、 その方が一番言いたいこと、思っていることが見えてきたりして、 そのときは素直にうれしいなと感じます。 はじめはわからなかったけれど、 ちょっと何かわかってきたとき、 自分と相手との間の壁がちょっと薄まる感覚がします。 うれしいなという感覚は、 逆を言えば、わからないままにし続けるのはちょっと嫌なんだと思う。 わからないまま話をずーっと聴いていたり、 話している内容は理解できるけれどそうする理由が理解できなかったり。 事態が進まないままというのは、 その結果のいい悪いに関係なく、すっきりしなくて嫌でした。 それがちょっとずつ、 今はそんなに嫌ではなくなっている・・・かも・・・と思いました。 以前カウンセリングの先生から、 自分をわかってもらおう、というのは違うのよ! と言われたことを思い出します。 「無理なこと」ではなく、 「違うのよ」と言われたことが印象に残りました。 それでも時々出てくる、 わかってもらいたいとパターン。 そして今は、わかりたいパターン。 どちらのパターンが出てきても、 あ、なんかこれって(今の自分がやっていることって) 何か間違っているかも~と教えてもらえる気がします。 蟻さんのリネンって好きだー

今自分がいる場所

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どうありたいか? これは常に意識をそこに向け、 自分にとってとてもとても大事なことなんだと捉えていないと、 無意識でパターンでやってしまうことがある。 やってしまってから、 あ、これを選びたいんじゃなかったと気づく。 それくらいまだまだ、 パターンで行動した方が自分にとっては自然だということ。 その気づきを何回も繰り返して、 どうありたいか?というより、 こうはありたくないというものが見えてくる気がしました。 (と、見えてた気がしたけど、見えてなかった) パターンで行動して後悔しているというより、 選ぶという意思がなかったことに、 もやもや感、不快感、むなしさを感じます。 パターンはパターンのままでいいから。 今回は、わかってほしいというパターンでした。 パターンだと気づいていても、 心の奥ではちょっとくらいはわかってほしくて、 余計なことをパターンが言ってしまいました。 どうありたいのかを選ばなかった自分。 そうやって今の自分がいる場所を理解していこう。 みかんジュースが美味しく感じる

人間関係から学ぶこと

人間関係から学べることの1つに、 自分が今どんな状態であるのかを知るということがあると思います。 道場での学びでいうと、 自分はどんなパターンを持っているのかということなんですが、 どんなパターンを持って生きていても、 パターンにいい悪いはないのです。 ただ、パターンを使い慣れているために それではない、本当の「私」を感じられていないということが 問題なのだと思う。 (問題という言葉以外にしっくりくる言葉が見つからなかった・・・) このパターンで自分は行動しているんだなとか、 このパターンについ引っ張られてしまうんだなとか、 このパターンで自分は自分を満たしてもらっているんだなとか・・・ 自分の思考癖(パターン)をちゃんと認識していくというは大事。 でも、大抵は自分を守るために、 自分ってこういう性格だから~と、 本来の「私」ではないパターンで実は生きていることに なかなか気づけないのだと思います。 なぜなら、パターンで生きていると、 自分のすることに否定的な人や、苦手な人、嫌いな人、 そういう人との関係性は築かないようにする気がします。 (もちろん、無理に付き合う必要はないけれど) また、本当に自分を省みるということは、 はじめはとても苦しさを伴うので、 自分を褒める人、認める人、楽しく付き合える人、 または一緒にいて何の害もなく安心できる人との関係性から、 自分を知ろうとする方が圧倒的に多いのだと思う。 その方が「良い自分」だけを見れるし、気分もよく、そして楽になるから。 でも実際は、 そこからは本当の自分を知ることはできない。 となると~、 人間関係を築きにくい人たちというのは、 自分を知るための(その目的にとっては) 一番ドンピシャな相手でもあるということになります。 教えを乞うにはこれ以上ない相手。 苦痛な人間関係とネガティブな感情から得られているものって、 本当はそういう大事なことが隠されているんだなあ。

病院疲れ

先日までの検査のための通院期間。 これが思いのほか長かったせいか(2か月ちょっと) 夏の疲れならぬ、通院の疲れが出ている気がします。 毎週通い続けて、しかも長時間の待ち時間。 周囲の騒音も苦痛だったし、 自分が自覚するよりも不安と緊張の中で耐えていたのかもしれません。 その日々ももう終わったのですが、 結果的に不具合もわかり、 現実を知れて良かったと思う反面、 体の不調と付き合いながら年を取っていくことを思うと、 連休あたりからかな〜なんだか急に、 何をするにもやる気がおきなくなっていったのでした。 家事だけでなく、外出や買い物、人との約束、 そして語りかけもしたくないとパターンは思っている。 会社にも行きたくないし、 これから先のやりたいことすら、もういいってパターンは思う。 パターンと「私」が同化していくような感じだった。 でも、そこから少しずつ抜け出せてきている感じがあります。 朝のルーティンと帰りのルーティンを たんたんとやり続けていたからではないかと思いました。 感謝のお祈りをし、 今の気持ちを感じ、日記を書く。 決まった語りかけだけする。 そういう習慣になっている行いが自分を救っていたのかも・・・ もしかしたら、 こうやってこれからも何とかなっていくかもしれない。 まだ体はだるいけれど、 大丈夫になっていくのかも・・・ って思う今日でした。

ちゃんと理解する

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自分(パターン)を救助する。 レスキュー隊のようにすぐに駆け付ける。 話を聴いて、言葉にならないものを代弁してあげて、 そばにいて見守る。 ネガティブな感情の中でも特に怒りが湧いているときは、 自分を見失いたくないと、 何とか落ち着かせたいと思うけれど・・・ それも取り乱したくないパターンがやっているんだと思いました。 そうではなく、ちゃんとその怒りも感じて、 取り乱していることも感じて。 そうして、こうしたいと考えずに今の気持ちだけを感じてみる。 本当は、否定していた人のことがすごく羨ましかったり、 自分にはないものを感じていたり、 そうしたないものねだりする自分(パターン)も見えてきました。 隣の芝生は青く見える、みたいな感じです。 そういう感覚があることも正直に認めて(自覚して)いこうと思います。 「ちゃんと理解しているよ」とパターンに言えるのは、 そういう正直さなんだと思う。 トキ(黄色いりんご)って甘い!