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先延ばしせずに

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今日も母のところに行く以外は、何もしない一日でした。 昨日と似たような感情が何度もあり、 主婦であるのに何もしないというのは(ご飯は作ったけど) ちゃんと家事をしなきゃというパターンがあるんだなあと実感。 でも、そういうパターンがあるなと思うだけで、 次に進んでいない。 夫に、「ごめん、何もする気が起きなくて」 と言って寝ながら連ドラを観ていると、 「いいじゃん、休みなんだから」 私のパターンをなぐさめるような言葉が~ 内心、ほっとするパターンがいました。 とりあえずだらだら過ごしていいという許可をもらい、 以前だったら、じゃあいっか~って そこで完結していただろうな。 でも今は、夫の反応ではなく、 自分の心の中はどうか? もっとさくっと、間を置かずに、 先延ばしせずに語りかけしていこう。 じゃーん 新しい辞書買いました!

単純なことに反応

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連休でだらだらと過ごしています。 寝てばかりいる自分に対して、 ふとどんな気持ちかと問えば、不快~そして罪悪感と不安な気持ちがありました。 家事をなんにもやっていない罪悪感。 そして、こうして常に眠くて重たい体を感じながら、 いろんなことが面倒くさく、年々動きにくくなっていくことへの不安。 そんな中、お風呂に入って思うのは、 気持ち良さ、解放感、リラックス、安心感。 安心感・・・? なんだか久しぶりの安心という感情だなあって思いました。 思い出せば、先日温泉に入ったときも、 夜布団で寝るときの瞬間にもありました。 そういう単純なことで自分って ゆるっと穏やかになるんだな。 いただいたパンで朝食

感情をみたくない

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どんな気持ちかと問うときに、 すぐにこれとそれ、っていう感じにパッと感情が出てこない。 ということがあります。 そういうときでも、 何かしらの違和感、不快感(快ではない) を感じているということだけはわかります。 自分の中でその違和感と不快感を認められると、 さらに、息苦しいとか、もやもやするとか、不安になるとか、怖いとか・・・ 自分の気持ちがだんだんはっきりと自覚できるようになっていくけれど、 自分の気持ちをはっきりとわかりたくないというパターンがいました。 どういう気持ちなんだろうって、 違和感と不快感の正体をみたくない。 後回しにしたがるパターンもあるんだと思う。 パターンだと気づいているけれど、 今はまだ感情を見たくないパターンです。 (何で今はまだ見たくないのか?) でも、少しずつ、そこに入り、 胸のあたりをさすりながら言ってみる。 正直に話しても大丈夫だよ。 どんな気持ちだった?と。 パターンでやっていると とにかくネガティブな感情がつきまといます。 でも、その時がまた来ない限り平気で日常が過ごせたりすると、 後回しにしてしまうんだな~ (そうするパターンがいるんだなあ) 連休に入っても、問いかけよう。 あきたこまちって、おかずが何でも合う

天日宮 あまつひのみや

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秋田の大仙市にある唐松神社に行ってきました。 樹齢300年以上の秋田杉が両側に並び、 細い道の参道を歩いていくと、 その先に下へ降りる階段があって、その下に神社の本殿がありました。 普通は、参道を歩いて行った先の階段を上がり、見上げるような位置に建てられると思うのですが、 唐松神社は見下ろすかたちでひっそりと建てられています。 とても珍しい祀られ方なのだそう。 階段から見下ろすと大屋根がしっかり視界に入ってきます。 神様(天)が上から人間を見ているということはあっても、 神様が私たち人間より低いところにいて見守ってくださるって不思議な感じでした。 地元の方たちが長い間、 この神社を守り大切にかくまっていたかのようにも感じました。 また、本殿に向かう手前には 天日宮(あまつひのみや)という神殿があり、 周りが池のようなおほりになっていて(美しい錦鯉も泳いでました) そこだけ別世界でした。 水に囲まれている様子が胎内を表しているようにも見えるし 古墳や城のようなかたちにも見える。 また、太陽や宇宙を表しているかのようでもあります。 丸い石を集めて規則的に造られた土台も、崩れないよう設計され手がけてありました。 神道の中では一番北に位置する神社がこちらで、 八百万の神ということになります。 奈良時代に物部氏ゆかりの神社として建てられ、 神主さんは物部氏の末えいの方なのだそうです。 八百万の神様って自然の中のあちらこちらに神が宿っていて、 ちょうど稲刈りがこれから始まるこの黄金色の季節は特に、 その恩恵を感じずにはいられません。 私たちの中にも外にも神様がいる。 もっといろいろ知りたくなる神社参拝でした。

ちょうどいい定食

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昼休みに定食を食べました(夜は居酒屋をやっている)。 肉か魚か、ミックスか、日替わりか、牛すじかを選べます。 焼き鮭、かぼちゃの煮物、ゴーヤの漬物、小魚の佃煮、ご飯、大根の味噌汁 これで1,000円。 食べ盛りの人には物足りないかもしれませんが、 私は食べすぎて眠くなる午後を考えれば、ちょうどいい量でした。 白米がすごく美味しくて、 鮭の塩気がちょうどよく美味しくいただきました。 この値段設定とメニューの種類。 なんかいいなと思いました。 女将さんが一人でやっているため、 食材が高騰している中、安過ぎず高過ぎず、 さらにお客さんも払いやすく店側も受け取りやすい千円札1枚。 これならやっていけると思い、決めた値段なのかな。 しかも、料理はお膳で運ばれてくるのです。 なんか武家のご飯を食べているかのよう~ 足が4つついたお膳は、テーブルを汚すこともなく、 ほとんどのお客さんが、カウンター越しに「ごちそうさまでした」と言って 手渡しして片付けています。 お茶とお水はセルフで、 お手拭きはテーブルの上にまとめてありました。 きっとお店を出すときに、 一人で無理なくやっていくには・・・って考えたのだと思います。 自分のやれることと、ここはゆずれないというところ、 そのバランスが大事だと思うし、 お店を出すからには、 一元さんではなく通ってもらいたいという願望もあるはず。 お客様第一なのか、 自分第一なのか・・・。 自分第一だからお客様も大切にできる。 (勝手にいろいろ想像する) 自分のしたいことと現実とのバランスを考えるって、 何をするにも大事なんだなあ。