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正直さをとり戻す

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そのときの自分の気持ちに意識を向けると、 れっきとした怒りがありました。 でも怒りもあるけれど、それについての先行きの不安や恐怖心もそこに同時にあって、 それを何とか表面的に解決させるために思考が動き出すように思いました。 いろいろ考えることでその不安への対策ができて、 怖いと感じたものもだんだん落ち着いてきます。 でも、やはり一番はじめの怒りはそのままそこにパターンとしてある。 そのまんまそこにいていいからね、と普段パターンへ言っているくせに、 怒りがあると仕事がしずらいのでそこは見ないようにしていたんだなあと思います。 自分に嘘をつくというのはこういうこと。 嘘はつきたくない、と思っていても、 感情を見ていないことが結局は正直じゃないことになっていたとは・・・。 わかっていなかったな、ということをまた自覚しながら、 また一歩一歩やっていこう。

もっと意識的に

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先生のカウンセリングを受けました。 行く前に話すことを整理したくても出来ず・・・その理由が身に染みてわかった気がしました。 パターンに反応しているのにそれを思考ですり替えていました。 こう考えていけばいいとか、こういう捉え方もあるとか、全部パターンがやっていること。 普段から染み付いている、すぐに頭で考えようとする癖。 意識的に目を向けていないとこうなってしまいます。 特に仕事中は、感情を無視していたり、感じるのではなくすぐさま考えることをやっているのでした。 それは自分に嘘をついていることと同じ状態だということも教わりました。 自分の感情を見ないということは、表面的な解決を私は優先していたんだな。 そうなると、見た目にはうまくやっているように見えます。 でもどうありたいのかの「私」とは不一致性が出てきて、いつまでもどこかすっきりしない感じがありました。 仕事をより良いものにするためにお互いを尊重し合いながら進めていけるようにとするのは、 表面的にはそうなんだけど、 自分のやる事はそこではなかったのです。 自分がやる事は、他人や外の出来事ではなく自分(パターン)を見ること、またそれをゆるすこと。 いつどんな時も、たとえ仕事であってもここを外していいということはない。 もう一度、感情に意識を向けることと、向けた後もしっかりパターンのケアをし続けていこう。 まだまだ甘いんだなあ。 自分に喝を入れます。 いつもの茅ヶ崎の景色

食事をつくる幸せ

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母はこの頃、食べ物の好き嫌いが出てきた感じで、 毎回冷蔵庫を開けては、何つくろう?って思います。 一応好きな食材は買ってあるつもりなのですが、 美味しそうに見えてないと食べなくなってきている・・・ように思います。 1年ほど前からどんどん体重が落ちてしまって、 年だからね~と、自然に食事の量は減っていくものだと 主治医の先生からは聞いていました。 それでも、あまり食べないままにしていると 今度は歩くこともままならなくなってしまうので、 せめて好きなものだけでも食べてほしいと思い、いろいろ試行錯誤していたら・・・ 見た目が重要だということに気づいたのです。 例えば卵焼きも、黄色の鮮やかさとキレイに一口大に切って出すとか、 和え物も小鉢に量が少なめに上品に盛ってあると食べます。 味噌汁も今まで食べていた田舎味噌より、白味噌の方が美味しいと言う気がして、 そこに油揚げと野菜をバランスよく入れると、完食するような気がします。 ゼリーやヨーグルトも、ガラスの器に盛ってあげると食事の最後に、 あら~これは何?と言って嬉しそうに食べるのでした。 母のおかげで、そういう工夫を楽しませてもらっている私。 食卓に美味しそうなものが並ぶ光景は、作っていて楽しいし、 他愛もない会話もはずみます。 なんだか小さい頃の食卓を思い出しました。 子どもの頃、自分の好きなものが出るだけでなく、 わあ~!という感動と共に食べていたのだと思う。 そういえば、私が喜ぶから作っていた(ハンバーグとか餃子とか) と母から聞いたことがあるので、 食事って食欲が満たされるだけでなくちょっとした感動の時間なのかもしれません。 そして何よりも、一緒にご飯を食べる人がいるということが一番! 自分ができることがあるということの幸せを母からもらっています。 九戸村名物といったらコレ「甘茶でかっぽれ」

自分と向き合う時間

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 ●自分は特別で一番だ という大きなパターンへの語りかけを続けています。 やる前に疲れて寝てしまうこともあるけれど、 それは時々やってしまう、化粧落とさないで寝てしまった!という感じのものに近く、 朝起きたら顔を洗おう(翌朝、語りかけしよう)・・・という軽さがよい意味でちょっと出てきたようにも思います。 と、感じたのは、 一度決めたことをやり続けたいと思うときに、 できなかったことがあると、また違うものを選び直したり、 続けられないのは自分の意思なのに、 続けられるようなものを選び直そうとするパターンがいます。 また、そんなこともやれない自分なんだと責めるパターンも。 完璧にやりたがるパターンがいろいろささやくのだ。 でも、もうそういう執着はもう不要だということも少しずつわかってきているため、 できない日があってもまたやってみよう、という方を選んでいます。 家に帰ったら顔を洗うように、または寝る前に歯を磨くように。 それだけのことだけど、それだけではないと言ったらいいか・・・ 瞑想をしているかのようにパターンと向き合うこの時間が、 自分にとって日々とても大切なことに感じられるようになってきました。 続けるということも、 他人とも過去の自分とも何にもくらべることなく、 前を向いてやっていける自分でありたい。

もしかしたら~

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親戚の家に寄った帰りに九戸神社へ行きました。 下から見上げると、樹齢500年規模の大きな杉の木がたくさんあって、ちょっと薄暗くもあり、 気が遠くなるような急な階段がず~っと続いています。 いつもだったら、これくらいの階段であったら速攻にあきらめてしまうのですが、 もしかしたら~登れるのかもしれない・・・と思い、 少しずつゆっくり登ってみたのでした。 上を見ると転びそうになるので、下を見て一段一段登ります。 途中、止まりかけたり、深呼吸をして息を整えたり。 残り10段くらいになると一気に登りたくなるのですが(と言っても早くは上がれないんだけど)、 はやる気持ちをおさえて最後までスローペースで登り切りました。 登れるのかどうかの根拠を探すこともなく、 いけるかなどうかな、体調も悪くはないから大丈夫かな、 などとあれこれ考える間もなく、 上を見ていたらす~っと足が出た。 そして思ったよりも、息は切れても心は軽かったです。 こういう感じでやってみればいいんだと、 神社だけに、神さまから背中を押されたような気がしました。 帰りは風が気持ちよかった!