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それ、パターンで言っているよね?

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以前、勉強会で自分の話をすると、 クラスの人から「それ、パターンで言ってるよね?」 と言われたことがありました(毎回のように・・・)。 今となれば、本当にその通りで、 「そうなのよ、パターンはそう思っているんだよね」 と言えるのに~ その頃はそれを言われることがとても嫌でした。 パターンで言っていることを自分が認識できていないと 毎回指摘をされている(直されている)かのようで、 これじゃあ何も話せないじゃんって思っていました(←っていうのもパターンですけど)。 不思議なもので、 「・・・ってパターンは思っているだよね」 と心の中でつぶやくことをやっていると、 パターンがそれ以上ああだこうだと言わなくなり、 気持ちも落ち着いてくる感覚があります。 でも、それを言わずに(気づかずに) ごく普通にいつものように話していると、 やはりパターンで話しているという意識はないのだと思いました。 勉強会ではあたり前のようにパターンを意識して話せていたと思っていたけれど、 そうでもなかったのです。 「それってパターンで言っているよね?」 と言われときに悔しく感じたのは、 パターンで話していることを自覚できない自分をゆるせないパターン。 今もし、このパターンに引っかかったら、 語りかけをしていくだけだー。

どちらかのルーティン

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今年も半分過ぎました。 早いですね〜 今年の目標は、 一日の振り返りをするということで、 感情、感覚、出てきたパターン、 そしてパターンのケアをすることを毎日のルーティンに入れてきました。 私は元々ルーティンで毎日この時間にワークをするということがなく、 今年の目標としたこともあり、今はだいたい2パターンの時間の使い方が定着してきました。 疲れているときは、早く寝て朝に昨日の振り返りをする。 元気なときは、夜にその日の振り返りをする。 これだけのルールですが、 今の自分にはこのどちらかを選択するだけで 自分に向き合えている気がして、 本当にちょっとの工夫で変わるという経験は大事なんだなあと感じました。 中には、疲れていて夜も朝もダメ〜って日もあるけれどー、 残りの後半戦もこれでやっていこうと思います。 梅雨入りしてから晴れてます…

自分は正しい、というパターン

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今語りかけをしているパターンの中の言葉をとって、 いろいろ意味付けワークをしています。 その中で、パターンっていかに自分が楽に生きていけるのかだけを 考え続けているんだなあと思いました。 ここで言うところの楽とは、 まったく嫌な思いをすることなく、あなたが正しいです、 一番です、素晴らしいですと、 称賛をあびては自分をかえりみずに守られて生きる。 という意味の楽。 (言葉にしてみると、なんかすごい・・・) 「正しさ」の意味付けのプラスで出てきたものに 「文句を言われない」というものがありました。 これが出てきたとき、あ~なるほど!と思いました。 そう、パターンって、ちょっとの文句も言われたくないんですよ。 自分の正しさは最強で、 それさえあれば他人からも納得してもらえるし、 とやかく言われないし、堂々としていられる。 とパターンは思っています。 でも、それらの弊害として何がおこるかと言えば、 「そこが絶対だと思ってしまう」 というマイナスの意味付けも出てきました。 正しさはプライドとなり、 自分を守るために盾となって立ちはだかるのだ。 考えてみると、 ●あんな言い方されたくなかった、 というパターンがちょいちょい出てくるのは、 大事にされたいというのもありますが、 パターンの正しさを否定されたと感じた際に出てくるもの。 パターンは、ちょっとの否定もゆるさんぞと、 正しさという盾をかざして戦っているんだなと感じました。 これは苦しい。 ●自分は正しい、というパターンのケアをしっかりやって、 この苦しさからパターンを救っていこう。 きっとこのあたりが自分の(魂の)課題なんだなあって感じます。 先日のピザは、紫波フルーツパークで作りました 秋はぶどう狩りも楽しめます!

『かくかくしかじか』私の場合

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映画『かくかくじかじか』を観ました。 漫画家の東村アキコさんがまだ高校生だった頃、 地元の絵画教室の恩師との9年間の日々を描いた作品。 東村さん役を永野芽郁さん、師匠の役を大泉洋さんが演じていました。 大泉洋ファンの私としては、 どうしても役柄以上に本人の素も出ているように感じてしまい・・ とても面白くて泣けるいい映画でした。 とにかく無謀な教え方をする先生。 その時はどんなにか怖くても、 なぜかついていってしまう生徒の気持ち、わかる気がしました。 温かくて優しくて真っすぐで・・・という先生の本当の心を感じているから。 そしてそこに来る人はみな、 1つの目的(絵がうまくなりたい、描きたい) というだけで先生の言うことを黙って聞いています。 映画の中で、とにかく 「描け(かけ)ーーー!」 「考えずに描けーーー!」 と主人公が何度もげきを飛ばされるシーンが出てきます。 これ、道場の先生と重なってしまいました。 「ちゃんとやりなさい!(パターンへの語りかけ)」 「考えるんじゃなくて、感じる!」 って言われているのと同じではなかろうか。 (いろんな言い方をしますが、中身はこれ) 竹刀こそ振りかざしませんが、 会ったときからずっと、先生は私に(私たちに)、 自分を見ることだけを言い続けています。 自分との関係を作らずして他人との関係は築けないということを ずっとしつこいくらい、ダメ出しを毎回しながら、 何度でもあきらめずに言ってくれる。 それがどんなに大事なことであるのか・・・ そしてそこからすべてが始まっていくことも教えてくれています。 (まだまだ自分は道の途中) 映画のように多感な時期に出会っているという話ではなく、 私の場合は40も過ぎてからの出会いです。 いい大人になってから、 「先生」と言える人が今いるということ、 学びたいと思うことがあるということが すでに恵まれているのではないかと感じました。 来月は茅ヶ崎に行きますが、 とにかく毎日語りかけ。 その他もろもろ毎日自己探求。続けていきます!

自分が中心でいたい

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自分が中心でいたいと思うパターン。 意味付けワークを「中心」でやってみたら 広くなりすぎて分かりづらくなってしまったので、 「中心にいる(人)」で意味を考えてみました。 プラスは、 大事にされる・人が集まってくる・守られている・認められている・尊敬されている・ムードメーカー・象徴・重要・核・何もしなくても物事が進む・楽・人に(良い)影響を与える 中立は、 中心にいるというただ一つの事象。 マイナスは、 何をしているのか本当のところが見えにくい・(逆に)していることが目立つ・責任が重い・そこにいると見えないものがある・周りの人あっての自分だということが気づけない・うぬぼれやすい・偉くなったかのように勘違いしやすい・中心にいないと何をしたらいいのか分からなくなる・人に(悪い)影響も与える 意外なところでは、プラスの意味付けに、 何もしなくても物事が進むという捉え方がありました。 中心にいるということは楽なことだと パターンは思っていたんだなあ。 でもマイナスをあげてみると、 周囲へのありがたみとか分からなくなったり、 そもそも周囲と中心と、別エリアに分けて捉えているため、 その楽エリアから外れたとパターンが認識してあわてふためき、 苦しくなっているのかもしれないと思いました。 どちらがいいとか悪いとか、 もうそこではないエリアがある。 そこには、人を介しての自分ではない清々しさがあるように感じました。 「もしかしたら・・・自分が中心でいたいって、 もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」 これを空を見て唱えます。 ピザ作り体験