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どんな人生も楽しみたい

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パターンを何とかしたい。 つまり早くこの苦しさから逃れたい、っていうパターンがありました。 苦しいのは嫌、ネガティブでずーっといるのは嫌、 もやもやすっきりしないのは嫌だとパターンは言っています。 パターンって、本当にいつもいつもいつも、 自分の思う通りの状態にしたいと思っているんだなあ そんな時、そのパターンを否定するパターンもいて、 いやいや自分の思い通りにしたいなんて思っていませんよと、  だいたいでいいですよ、そのだいたいという譲歩した感じもパターンのわがまま。 全く自分が意図したものではなくても、 それがまあまあ受け入れられるものであればいいとか言って、 結局は少しでも思い通りであってほしいという気持ちがある。 どこまでいっても、パターンって望みを言ってくるんだと思いました。 そういうパターンもあるがままに許すというと、 自分勝手に好き勝手に生きていいみたいに聞こえてしまいますが、 そのまま続行させていいという許しではなく、 そう感じるパターンの存在を自由にし、見守る「私」でありたいです。 どんなふうに感じてもいいのだと。 これは思い通りだとかこれは思い通りじゃないとか、 そういう世界ではなく、 どんな人生も楽しめる、そんな自分でありたい。 そういうこと・・・なのかな? 藤田嗣治さんのネコだった!

頭のぐるぐる

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今日はなかなか頭のぐるぐるが止まりませんでした。 何度か、ストップ!黙りなさい!おーーーい! と言ってみるのですが、 すぐに頭が働いて気になっていることを考えてしまいます。 負のスパイラルに突入。 こんな時でもあきらめず、 なるべく上を向いて、 「そうだよね、あなたは今、怖いって思っているんだね」と、 それぞれの感情に意識を向けてみました。 相当な恐怖と不安があるのだから・・・ そうやっているうちに、ふと、 何とかしたいというパターンがいたことも感じました。 何とかならないパターンが嫌。 というパターンもいたのです。 パターンを許すということは、 パターンがいても気にならないということか? それとも、気になってもいいということを許すことだろうか。 うーん・・・ 気になってもならなくてもどっちでもいい。 っていうくらい、パターンを自由にさせてあげたいなあ パターンよ、ごめんなさい。 怖かったんだね、不安だったんだね。 もうゆっくりあなたを休ませてあげたい。

しっくりくる順番

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今日は起きてしまったことを、ああ~うう~と悔やんでいますが、 なるべくそのままの感情を感じてみます。 空を見て、上を向いて感じる。 緊張、不安、悔しさ、腹立たしさ。 心臓もばくばくしている。 これが今の状態なんだなあ そして・・・ どうしてそうなっているの? って、何のパターンなんだろうと考える(ここは考える、探す)。 順調にいってほしかったし、落ち度なくやりたかったし、 こんなにやっているのだから、そうできると思っていた。 つまり、●自分は正しい(正しくやっている) というパターンがいたから、 それをじゃましたものに対して緊張もしてくるし、 不安になるし無性に悔しくもなり、最後は腹が立ってくるのでした。 この、感情を感じるところからの~パターン探し。 この順番がとてもしっくりきます。

微妙な感情

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慣れというのは、 いろんなところでパターンを喜ばせているのではないかと思いました。 できているのか、できていないのかのこだわりの世界にいる時、 できたと認識することがあると、 パターンは調子に乗り、うぬぼれ、おごり高ぶる。 単なる「慣れ」がいつしか、自分はできるになっていた。 と気付かないのですね・・・ ただ、それを続けていたことで、 また長くそれをやるような状況があったからそうなったというのに。 特に仕事! ずっと同じような仕事をしてれば、 ある程度長く同じ会社にいれば、 誰だってそこに慣れてきて、それをしていない人よりは できるようになるってことあるでしょう。 それを能力があるとか、自分は特別だとか、評価が高いとか、 勘違いしてはいないだろうか。 一見ほめられてちょっとは嬉しかったりしても、 すっきりした爽やかな軽さとは違うので、 ああ、パターンが喜んでいるなあと分かる。 感謝があるかないかでも分かる。 よくよく自分を観察すれば、 本当は、ほめられても嬉しいという感情とは違っています。 モヤモヤ、羞恥心、不快感、息苦しさがある。 だとしたら、これは自分を特別扱いしたいプライドや、 がんばってきたというこれまた自分が一番というプライドか・・・ 微妙な感情もちゃんと感じていこう。 そして誰がそう思っているのか見ていこう。 東家さん 少し早いお昼なら空いてます~ 

慣れで対処する

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パターンを嫌うパターン。 今、何を感じている?と問うと、 疲れた、イライラする、腹がたつ、ちょっと悲しい。 という気持ちがありました。 母へ何度も繰り返して話したり、その話も全然かみ合わなかったり。 耳が遠いので大きな声でずっと話し続けることにもへとへとになってしまう。 そんな時に、出た感情。 母が認知症になってからちょいちょい顔を出してきたパターン。 語りかけをしているからここまで落ち着いてきた? いえいえ、日常でのやり取りの「慣れ」が自分を落ち着かせていたんだと思いました。 仕方ないよな~という頭での理解と、 そして毎日の慣れで対処できると、 そうしてきた自分がいたのだと分かりました。 このパターンを本当にはゆるしていなかったのです。 これは、今までずっと語ってきたパターンを嫌うパターンです。 母親にもうちょっと話を聞いて(わかって)ほしいと思う自分がいて、 そう思うことがなんだか全く成長していないと自覚させられるかのようで、 そこで湧くネガティブさも強烈です。 でも、ここも心臓を優先します。 今年はこのあたりのパターンにもしっかり語りかけをしていこう。 水辺に近づいていったら、藻で滑って転びました