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いつでも自分が正しいと思っている

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自分が正しいというパターンがあることは自覚をしているのに、 そのパターンだったとすぐには気付かないことがあります。 相手が状況に合わない言動をしていると、 なんでそういう行動になるんだろうってイライラしたり。 自分のやり方ではないやり方でされると、 そうじゃないでしょうってムッとしたり。 相手に反応がないと、わからせたくてさらに話してみたり。 (反応がないのはまだわかってないんだなーとパターンが思うから) というようなとき、 自分が正しいというパターンがそうさせている。 でも、そこにすぐに直結しないため、 あんな言い方されたくなかったとか、 あんな態度はないでしょうと、 相手の問題だと思う癖が抜けないのだと思いました。 どこかこれは相手の問題もあるでしょうって思いつつ、 でもイライラしているのは自分だから、 そこの部分はパターンを理解せねばとケアをしている気がしました。 この怒りは、 どこのパターンにつながっているのか? 根っこを見ると、パターンが思う正しさにすべてつながっていたのかも。 ケアをするのに自分の内ではなく外を見ている。 つまりパターンよりでやっていたってことがあります。 「正しさ」というパターンが思う絶対的なものは、 引っかかるときは何かもっと、 大きな感情に飲みこまれそうになるときだというのも、 無意識にあったかもしれません。 でももっと身近で吹けば飛ぶような小さなことにも隠れている。 自分は正しいとパターンは思っているから、 ちょっとしたことで、 そうじゃないでしょうってなことになるんだなあと。 いつでも自分が正しいとパターンは思っているってことか~~ お庭のあじさい、今年は咲いてくれたよ~~

それ、パターンで言っているよね?

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以前、勉強会で自分の話をすると、 クラスの人から「それ、パターンで言ってるよね?」 と言われたことがありました(毎回のように・・・)。 今となれば、本当にその通りで、 「そうなのよ、パターンはそう思っているんだよね」 と言えるのに~ その頃はそれを言われることがとても嫌でした。 パターンで言っていることを自分が認識できていないと 毎回指摘をされている(直されている)かのようで、 これじゃあ何も話せないじゃんって思っていました(←っていうのもパターンですけど)。 不思議なもので、 「・・・ってパターンは思っているんだよね」 と心の中でつぶやくことをやっていると、 パターンがそれ以上ああだこうだと言わなくなり、 気持ちも落ち着いてくる感覚があります。 でも、それを言わずに(気づかずに) ごく普通にいつものように話していると、 やはりパターンで話しているという意識はないのだと思いました。 勉強会ではあたり前のようにパターンを意識して話せていたと思っていたけれど、 そうでもなかったのです。 「それってパターンで言っているよね?」 と言われときに悔しく感じたのは、 パターンで話していることを自覚できない自分をゆるせないパターン。 今もし、このパターンに引っかかったら、 語りかけをしていくだけだー。

どちらかのルーティン

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今年も半分過ぎました。 早いですね〜 今年の目標は、 一日の振り返りをするということで、 感情、感覚、出てきたパターン、 そしてパターンのケアをすることを毎日のルーティンに入れてきました。 私は元々ルーティンで毎日この時間にワークをするということがなく、 今年の目標としたこともあり、今はだいたい2パターンの時間の使い方が定着してきました。 疲れているときは、早く寝て朝に昨日の振り返りをする。 元気なときは、夜にその日の振り返りをする。 これだけのルールですが、 今の自分にはこのどちらかを選択するだけで 自分に向き合えている気がして、 本当にちょっとの工夫で変わるという経験は大事なんだなあと感じました。 中には、疲れていて夜も朝もダメ〜って日もあるけれどー、 残りの後半戦もこれでやっていこうと思います。 梅雨入りしてから晴れてます…

自分は正しい、というパターン

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今語りかけをしているパターンの中の言葉をとって、 いろいろ意味付けワークをしています。 その中で、パターンっていかに自分が楽に生きていけるのかだけを 考え続けているんだなあと思いました。 ここで言うところの楽とは、 まったく嫌な思いをすることなく、あなたが正しいです、 一番です、素晴らしいですと、 称賛をあびては自分をかえりみずに守られて生きる。 という意味の楽。 (言葉にしてみると、なんかすごい・・・) 「正しさ」の意味付けのプラスで出てきたものに 「文句を言われない」というものがありました。 これが出てきたとき、あ~なるほど!と思いました。 そう、パターンって、ちょっとの文句も言われたくないんですよ。 自分の正しさは最強で、 それさえあれば他人からも納得してもらえるし、 とやかく言われないし、堂々としていられる。 とパターンは思っています。 でも、それらの弊害として何がおこるかと言えば、 「そこが絶対だと思ってしまう」 というマイナスの意味付けも出てきました。 正しさはプライドとなり、 自分を守るために盾となって立ちはだかるのだ。 考えてみると、 ●あんな言い方されたくなかった、 というパターンがちょいちょい出てくるのは、 大事にされたいというのもありますが、 パターンの正しさを否定されたと感じた際に出てくるもの。 パターンは、ちょっとの否定もゆるさんぞと、 正しさという盾をかざして戦っているんだなと感じました。 これは苦しい。 ●自分は正しい、というパターンのケアをしっかりやって、 この苦しさからパターンを救っていこう。 きっとこのあたりが自分の(魂の)課題なんだなあって感じます。 先日のピザは、紫波フルーツパークで作りました 秋はぶどう狩りも楽しめます!

『かくかくしかじか』私の場合

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映画『かくかくじかじか』を観ました。 漫画家の東村アキコさんがまだ高校生だった頃、 地元の絵画教室の恩師との9年間の日々を描いた作品。 東村さん役を永野芽郁さん、師匠の役を大泉洋さんが演じていました。 大泉洋ファンの私としては、 どうしても役柄以上に本人の素も出ているように感じてしまい・・ とても面白くて泣けるいい映画でした。 とにかく無謀な教え方をする先生。 その時はどんなにか怖くても、 なぜかついていってしまう生徒の気持ち、わかる気がしました。 温かくて優しくて真っすぐで・・・という先生の本当の心を感じているから。 そしてそこに来る人はみな、 1つの目的(絵がうまくなりたい、描きたい) というだけで先生の言うことを黙って聞いています。 映画の中で、とにかく 「描け(かけ)ーーー!」 「考えずに描けーーー!」 と主人公が何度もげきを飛ばされるシーンが出てきます。 これ、道場の先生と重なってしまいました。 「ちゃんとやりなさい!(パターンへの語りかけ)」 「考えるんじゃなくて、感じる!」 って言われているのと同じではなかろうか。 (いろんな言い方をしますが、中身はこれ) 竹刀こそ振りかざしませんが、 会ったときからずっと、先生は私に(私たちに)、 自分を見ることだけを言い続けています。 自分との関係を作らずして他人との関係は築けないということを ずっとしつこいくらい、ダメ出しを毎回しながら、 何度でもあきらめずに言ってくれる。 それがどんなに大事なことであるのか・・・ そしてそこからすべてが始まっていくことも教えてくれています。 (まだまだ自分は道の途中) 映画のように多感な時期に出会っているという話ではなく、 私の場合は40も過ぎてからの出会いです。 いい大人になってから、 「先生」と言える人が今いるということ、 学びたいと思うことがあるということが すでに恵まれているのではないかと感じました。 来月は茅ヶ崎に行きますが、 とにかく毎日語りかけ。 その他もろもろ毎日自己探求。続けていきます!