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停滞し続けない

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自分にとって心地よいことをしよう。 というのが昨日の朝に思ったことでしたが、 その感覚を持ちながら(ときどき忘れながら・・・)過ごしてみたら、 なんかとてもいい休日でした。 野菜に水をあげて、ちょっと調べものして、昼寝をして、 サンドウィッチマンのTVを見て笑って、家族でお蕎麦を食べに行った。 帰りに見た夕陽がとてもきれいだった・・・ その間、感情もいろいろありました。 昨日の不快だったことを思い出してため息ついていたり、 また、お店の店員さんの態度にイラっとしたりということがあったり、 その度に、今何を感じている?と自分に問い、 そのまま語りかけをしたりもしました。 一日ただただ心地よいことだけだった、というのではなく、 不快になることもイラ立つことも普通にあります。 その時の感情を受けとめながら、 それ以上いろいろ思考しないようにしてみると、 また元の穏やかさは戻ってこれるんだなあって思いました。 不快になってもイラ立ってもいい。 どんな感情を出してもいい。 ただ、そこに停滞し続けない、思考し続けないというのは私の強い意思を使います。

少しだけ朝型

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このところ一日のルーティンが少し変わってきています。 少しだけですが朝型になってきました。 そのため、日記も朝書いているのですが、 夜に書いていたときよりもあまり考えずに書けるようになった気がします。 朝は時間がない・・・というのもホント思い込みの一つでした。 実際時間はあまりないし眠いのもあるけれど、 眠くても夜の眠気と違い、だんだん目が覚めてくるということも知った。 そして何より、静かな環境で書けます。 これは今まで一番自分が望んだことであり、 それが現実に叶っていることがうれしい・・・ ということを~ ブログをはじめてもうすぐ6年になりますが、今知りましたよー笑。 こんなふうに長い年月を経て知ることってありますね。 もっと早く気づけなかったのか?と思うけど、 朝は絶対に時間を作れないというのがパターンだということにも気づけていなかったので、 体が強制的に朝型をつくってくれた気がします。 さあ、今朝の宣言は、 自分にとって心地よいことをしよう!です。 これで一日やってみよう。 作業台の布をシャ―ッて引くのが好き

成長過程の私

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まだまだまだまだ成長過程の私。 肉体はちょっとあれだけど・・・精神は育ち盛りです。 そう思ったら、これからの自分へなんだか勇気が湧いてきます。 なんとなくそう思っているのではなく、 自分自身と対峙してみると以前より少しだけ感じられるのです。 正直さ、素直さ、客観性、受容、達観性など それらの資質を意識的に使おうとしていたところから、 だんだん無意識に使っているかのようにも感じます。 また、そういうたくさんの資質が私にはあることを、 以前の私よりもあたり前に受け容れているのだと思いました。 自分がしたことを真っ直ぐ見ようする力が働くとき、 感情が少しづつ落ち着いていって、 パターンのケアのときにもそれらの資質が使われているんだなあと。 成長したいと願うことは、なんどでも試される・・・ 私にとって必要不可欠なもの。 鍋敷き 毎日の必需品

装わない

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自分の身の丈を知る、ということがありました。 今の自分という人間がどういう領域にいて、 どういうものを持ちながら、 またはまだ持っていないものがありながら今を生きているのか。 パターンの理想というものがあって、 それは違うと自分の内側ではわかっているはずなのに、 していることはその理想に近いことをしている。 ああ、なんて表面的なことをしているんだ自分は・・・と気づく。 たぶん自分が自分の身の丈を本当にはわかっていないから、 パターンは表面的な自分を装ってしまようにも思います。 そして、そんなパターンをまた嫌うパターンがあり、 自分はそんなレベルの低い人間ではないと思いたい・・・からまた苦しむのです。 だから、どんなにいろいろな感情がわき、 それらがつらいと感じてもまずは何かを装わないこと。 ちゃんと今の自分を認めること。 このありのままの自分を! ここからやっていこうと思いました。 今の自分「私」はまだまだ成長過程。 そのための日々のワーク。 この6時間後は雨でした~

体にしみこんだもの

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昨日のつづきになりますがー 自分の失敗や自分に対しての指摘など、 他人にそれらを知られたくない(聞かれたくない)と思うパターンは、 心の中で「いやいや、今それを人前で言わなくてもいいでしょう」 と言った相手を否認している状態でもあります。 そうすると素直にそれを一つの事象として受け入れることなどできず、 まずは、そう言ってきた相手を責めたり、 言われた自分の不甲斐なさに傷つき落ち込むパターンもいます。 この場合、気分はよくありません。 でもそれが、言われたときは「快」ではないけれど、 「不快」にもならないこともあります。 そういうときは、自分の失敗や自分に対しての指摘を素直に聞ける自分を感じています。 他人にそれらを知られてもいい、聞かれてもいいと思う白パターンがいることに気づくのだと思う。 黒パターンではなく白パターンの方に心地よさを感じられるようになっている、この感覚。 この感じ方って、ワークを通してしか体にしみこませることができなくて、 でも体にしみこんだものは、頭で理解するよりもずっと覚えているのかもしれません。 最近、物忘れやあたらしいことを覚えられない自分ですが、 「私」とパターンは同じではないということはしみこんでいる・・・だといいな。 雨が降りそうで降らなかった