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話をちゃんと聴く

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今日はクラスの勉強会でした。 普段カウンセリングや職場などでは、 他人の話を聴くことからすべてが始まるのだと思います。 と、言うは易く行うは難しで・・・ それがどんだけ大事なことなのか、ちゃんと本当にやっているのか。 聴いている途中で騒ぐパターンがあると一瞬聞けなくなるし、 相手のパターンを探し考えはじめる自分もいました。 今日の勉強会で、 いかに自分のダメさ加減を知っただけでなく、 皆さんが仕事を通じて自分自身をゆがみなく見ようとしている ことにも衝撃を受けました。 学びを続けていくうちに人の見え方が変わったこと、 また変わらない部分も受け容れていること、 常に自分を見ている(見ようとしている)。 そういう仲間がいたからこそ自分もやってこれた。 グループで学ぶことで、 自分も仕事のありかたへのたくさん影響を受けてきたんだと、 自分一人で成長してきたのではない! というまた一つまぎれもない事実を知るのでした。 みなさんいつもありがとうございます。 こちらは、風情ただようお雛様!

老化は進化

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昨年の後半あたりから頭痛に悩まされてきたのですが、 CTを撮ったときに副鼻腔炎っぽいのが発見されて、 それから耳鼻科に行くようになりました。 なんと、ポリープもあるというので数か月前から薬で様子をみています。 耳鼻科の先生に、 結構(ポリープ)デカいから、これだとあまり匂いしてないんじゃない? と言われ・・・ そう言われてみれば、悪臭もいい匂いもどっちにも鈍感でした。 それで思い出しのが、五感も老化するということ。 認知症の方ってたいていがこの匂いに鈍感(だと思う)。 鼻だけでなく耳も遠いことによって 認知症が進むことは実証されているようです。 (両親もそうでした〜) そして、鼻、耳、だけでなく、 味覚もちょっと変わる感じがするし(ある意味何でも食べれたり食べれなかったり)、 暑さや寒さにもにぶくなって、 冬なのに薄着をしたり、夏なのに冬物の下着を履いていたり。 温度感覚もかなりにぶくなるよう。 目だって、老眼はもとより白内障とか緑内障とか、 私の母も、夜はほとんど見えないということで夕方からの外出はとても不安がります。 それなのに、 自分の感覚器官はなぜか老化しないとでも思っていたのか、自分。 おかげさまで今は痛みの回数が減ってきていますが、 お薬以外にも、ゆる~くストレッチをしたり、 ハリに行ってみたり、光線機治療してみたり、 朝晩のスマホをやめて目を休めたり・・・ いろいろいいと思うものを楽しみながら続けてみています。 そういえば、 老化というものをキョンキョン(小泉今日子さん)が、 「進化」って言っていました! 自分が生きてきたことや見てきたことを、 そういうものをちゃんとまとって、進化し続けて力強いおばあちゃんになりたい。 とも語っていたっけなあ 老いにもどうありたいかなんだなあ サブールさんのパン よく噛んで食べた!

パターンがさわぐことが嫌

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やはり・・・パターンが騒がないと、 何だかほっとしている自分がいました。 っていうのもパターンです。 ●パターンに大人しくしてほしい、とか、 ●パターンがさわぐことが嫌、とか言っているパターンです。 パターンがさわがないということが平和で、自分が成長した証拠で、 さわがないということが穏やかに自分らしく生きられると思っています。 だから、さわぎ出すと苦痛で、 成長していないと責め、 そして、これでは伸び伸びとした自分ではいられない、 って信じているのだと思いました。 パターンはそんな考え方をする自分自身を許せないし、 そんな自分ではないとも思いたいのだ。 よく、先生から言われる、 これは驕り(おごり)なんだと思う。 そんな自分ではないという、 自分は分かっているという驕り。

どんな人生も楽しみたい

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パターンを何とかしたい。 つまり早くこの苦しさから逃れたい、っていうパターンがありました。 苦しいのは嫌、ネガティブでずーっといるのは嫌、 もやもやすっきりしないのは嫌だとパターンは言っています。 パターンって、本当にいつもいつもいつも、 自分の思う通りの状態にしたいと思っているんだなあ そんな時、そのパターンを否定するパターンもいて、 いやいや自分の思い通りにしたいなんて思っていませんよと、  だいたいでいいですよ、そのだいたいという譲歩した感じもパターンのわがまま。 全く自分が意図したものではなくても、 それがまあまあ受け入れられるものであればいいとか言って、 結局は少しでも思い通りであってほしいという気持ちがある。 どこまでいっても、パターンって望みを言ってくるんだと思いました。 そういうパターンもあるがままに許すというと、 自分勝手に好き勝手に生きていいみたいに聞こえてしまいますが、 そのまま続行させていいという許しではなく、 そう感じるパターンの存在を自由にし、見守る「私」でありたいです。 どんなふうに感じてもいいのだと。 これは思い通りだとかこれは思い通りじゃないとか、 そういう世界ではなく、 どんな人生も楽しめる、そんな自分でありたい。 そういうこと・・・なのかな? 藤田嗣治さんのネコだった!

頭のぐるぐる

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今日はなかなか頭のぐるぐるが止まりませんでした。 何度か、ストップ!黙りなさい!おーーーい! と言ってみるのですが、 すぐに頭が働いて気になっていることを考えてしまいます。 負のスパイラルに突入。 こんな時でもあきらめず、 なるべく上を向いて、 「そうだよね、あなたは今、怖いって思っているんだね」と、 それぞれの感情に意識を向けてみました。 相当な恐怖と不安があるのだから・・・ そうやっているうちに、ふと、 何とかしたいというパターンがいたことも感じました。 何とかならないパターンが嫌。 というパターンもいたのです。 パターンを許すということは、 パターンがいても気にならないということか? それとも、気になってもいいということを許すことだろうか。 うーん・・・ 気になってもならなくてもどっちでもいい。 っていうくらい、パターンを自由にさせてあげたいなあ パターンよ、ごめんなさい。 怖かったんだね、不安だったんだね。 もうゆっくりあなたを休ませてあげたい。