投稿

相手の成長は、自分の成果

人に何かを教えるというとき、 自分が手本とするところはやはり自分の先生です。 先生の教え方は、 まずはこちら側の領域まで降りてきて、 こちら側に伝わるような話し方で、 しかも何度でも根気よく教えてくれます(かなり待ってくれていると思う)。 たとえむずかしい話だったとしても、 それが何となく感覚としてわかりそうだなと思うくらいに、 いつか分かるようになればいいんだなと軽さが持てるような すれすれのところを話してくれているような気がします。 こういう、分かりそうで分からないけど、 何となくわかってきたかも・・・というのが学んでいて楽しいのだ。 自分もそんなふうな楽しさも一緒に伝えていけたらいいなと思う。 でも、そこが分かるように、 響くようにというところを考えだすと、 もうそこには黒パターンの期待があるように感じました。 ●相手にわかるようにうまく伝えたい それはなぜか? そうなれば自分が安心し、 自分は尊敬され、 そして相手も成長できる。 相手の成長は自分の成果だと思うパターンがそう言っている。 自分がやっていることを教えるだけだと思っていたのに、 こういうところにも黒パターンっているんだな。

マントラと夜景と

イメージ
昨夜は娘と外食をする約束をしていました。 前から行きたかったお店への予約がやっと取れたのでした。 仕事を定時に終わらせて向かうつもりが、 この日に限ってそうはいかず、 しかもちょっと遠い場所にいて間に合うかどうかハラハラしていました。 そして、娘もまた渋滞に巻き込まれ、 ぎりぎりで向かっていると。 こんなとき、今、何どんな気持ち(感覚)かといえば、 焦りの中に苛立ち、落胆、後悔する気持ち、 そして心臓がばくばくしています(今度は急いで歩いているため)。 そんな自分の状況とは関係なく、 全然動じない(ように見える)娘のマイペースさにもいらいらしているパターンがいます。 ここで、マントラを登場させる。 歩いている間中ずーーーっと、 「もしかしたら・・・思い通りにしたいって・・・もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」 とつぶやいてみる。 呼吸を整えながら唱えて進んでいくと、 普段通らない道の風景が、心の落ち着きと共に だんだん見えてくるようになっていきました。 そして、橋の上にさしかかると、 真っ暗な川の向こうに、市内の夜景が見えてきます。 うお~~、き・れ・い! 素晴らしい光景が待っていました。 しばし足を止めて見入り、 この景色をスルーしないでいられた自分がいて良かった。 待合せ場所には娘が先に到着していて、 すごい鼻息でやってきた私をねぎらいます。 その後は、 ゆっくりと夜の時間を過ごしました。 世界食堂 | Around the world on the table.

宝もの

道場でこれまで先生からいただいた資料をファイルしています。 この話はこんな前から、 先生がもうすでに言っていたんだなと、 あらためて読み返して驚いたりしています。 その中で、自分を知るということをあの手この手で これでもかというくらい教わっていたことに気づかされます(今も続いているけれど)。 それは、先生の自作のものだったり、 キリストが言っていたことや仏陀が言っていたこと、 古代の哲学者や現代の心理学者、歴史上の人物や小説家、 医者、経営者、そして何の肩書も持たない人など この世に生きた人たちの多くの言葉がありました。 そして、芸術にもたくさん触れています。 感じる心を道場の中で育て(お寺に行ったり、社会科見学みたいなこともした~) 芸術、音楽、自然美、創作など、 その中で感じることもたくさんやっていました(って、今もだけど)。 また、体が弱いというパターンを持つ私たちのために、 細胞へ意識を向け量子を動かしていくことの大切さなど、 健康という意味付けを大きく広げられたのもワークのおかげです。 それらすべて非現実的なものは何一つなく、 すべてが現実に生きる自分の糧になっていったのだと、 それらを「私」は使って育っていったのだと心から感じました。 しかし・・・ それらの尊い教えを今、どう受け止め実践しているだろうか? どんなに正しいもの(真善美)であっても、 受けとる側の人間がそのときどう捉えるのか、 黒パターンで捉えればその結果を受け取り、 正しさの中身が別ものに変わっていきます。 正直、難しすぎて、 いまだによくわからないものもありますし、 少しだけこんな感じなんだろうなと感覚的にわかるようなもの、 そして、実際に自分が経験してきたことであれば理解できるもの。 今の自分のエッセンスとして、 その時その時の自分が必要なものを選んでいるように思いました。 当時の自分には通り過ぎていっただけの資料が、 今読み返すとこういうことだったんだって、 以前よりすーっと入ってくるものもあります。 これが意識の変容というものなのか。 日々のワークを大切にする中で、 こんなに自分の引き出しに宝ものがたくさん詰まっていたことを思い、 これぞ、宝の持ち腐れにならないように パターンではなく、ちゃんと「私」で生きていきたいと思った。

こころ忍術 ポポまるっ!

 今朝テレビを付けたら、 『こころ忍術 ポポまるっ!』という子ども向けの番組をやっていました。 忍者の話かな~と思って見ていたら、 感情リテラシーの話でとてもおもしろかったです。 主人公の小学生の女の子が、 学校で友達とのやり取りで「やばい」という言葉を使うのですが、 その「やばい」という表現で誤解を招いてしまいます。 普段「やばい」を何気に使いすぎて、 自分の本当の気持ちが見えなくなっていることや、 自分の気持ちがわからないとどうしたらいいのかも わからなくなってしまうということに女の子は気づくのでした。 心理学的な解説はなく、 学校生活で普通に誰もが子ども頃に体験する、 もやもや、いらいら、しょぼーん、といった感情を 小さいときからちゃんと感じていくことが、 人間としての成長(ここでは、こころ忍者になるための修行)というようなお話が、 とてもわかりやすく、また次回も見てみたいなと思いました。 もしも子どもの頃からずーっと、 今、どんな気持ち?と自分に問くことをあたり前にやっていたとしたら、 自分にとても素直に生きられるのではないかと思いました。 (そして友達の気持ちも自然に想像できるようになる) 番組では、人間離れした忍者も、 はじめから何でもできていたわけではなく、 練習に練習を重ねていろいろな術を身につけていったと女の子に教え、 その子も素直に、ノートに感情を一つ一つ書き出し、 最後に友だちに気持ちを伝えるということをしていました。 AIで何でも知識が増やせ、答えを見つけてもらえる時代。 でも、自分を知る手がかりは、 自分の中にしかないということを教えてくれます。

ちゃんと見ているよ

 一番最初にわいた感情。 その感情は、 何かしらのパターンに引っかかり、表に現れます。 表に現れて、そしてわかってもらうのを待っている。 もしも子どもが困って動けなくなって泣いていたら、 その子のところに駆け寄って、 「ちゃんとわかっているよ、大丈夫だよ」と言ってあげたい。 子どもがいる人にしか、 その感覚はわからないというものではなく、 自分が小さかった頃を思い出してみても、 自分自身に、「ちゃんと見ているよ、ひとりじゃないよ」と言ってあげたくなる。 パターンのケアってそういうことなんだなと思った。