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インナーチャイルド

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インナーチャイルドの話をほとんどしたことがなかったと思うのですが、 それもそのはず・・・私自身が体験してきていないので書けませんでした。 ところが、このひと月で過去の自分がそこに蘇ったかのように次々と出てきています。 その子たちは今もずーっとあの時の苦しいまま、 深く傷ついた心のままで今日まで生きてきているのでした。 時が止まったまま・・・何も変わっていない。 その意識の中で、救いを待ちながら生き続けてきたあの頃の自分へ、 やっと、やっとです、 手を差しのべる機会が来たのだと思いました。 今の私だったら寄り添い、助けてくれる。 そう思って出てきてくれているのかもしれない。 傷ついたその子たちは、 どんな何を話してくれるんだろう。 焦らず時間をかけて、何回でも会いにいこう。 約30年ぶりの下北沢 何もかも変わっていた(でしょうね)!

つながっているパターン

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ネガティブな感情が動けば、パターンなんだなと分かります。 でも、ポジティブな感情にもいろいろあって、 すごく楽しいとか、ものすごく安心するとか、 その極端なポジティブさの裏には、 それが無いとなったときの落胆と不安、恐怖心を同時に持っていることがあります。 学校を卒業してからあたり前に私は働いてきたわけではなく、 病気で働けず、退院はしたものの家にひきこもっていた時期もあったし、 働いてもすぐに体調を崩して辞めるということが過去にたくさんありました。 その頃の自分はもう大人なんだけど、インナーチャイルドだったのです。 誰の役にも立っていないこと、お金を生み出していないこと、 この社会で何一つ機能していない。 ただ家にいて三度の飯を食べている自分は、 無価値だと思っていたし、そう思うことで深くキズついていたんだ。 今ケアを続けている、 ●自分は人より劣っている、というパターンは、 仕事をしないこと自体がもうすでに自分は劣っていると思っているから、 やたら仕事をしたがる(している風にも見せたがる)。 ちゃんと働かなきゃ生きている意味ないし、楽しくやってはそれは仕事ではないと思っているから。 似たようなパターンでつながっていました。 今日も一日お疲れ様でした、と言っているかのような灯り

パターンに引っかかる

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仕事だからといって、 気持ちを切り替える必要はなかったんだ・・・ と、昨日の日記に書きましたがー 切り替えていこう、割り切っていこう、そういうものなんだから頑張ろう。 遊びじゃないんだから、みんなも頑張っているんだから、 働くってそういうことでしょう、大変なことでしょう~ ってパターンが言っているんだと思いました。 (旅先での語りかけ~) こんなに楽しんでいいのだろうか・・・という少しの疑問というか、 罪悪感にも近いようなこの引っかかる気持ちは、 少しでも楽しんだり、 楽そうにしてはいけないというパターンに引っかかったからなんだと思います。 仕事と言った時点で、のびのびしている自分がいていいのだろうか? と思ってしまった。 「もう大変なんですう」って言った方が共感を得られる。 本当はそんなに大したことなくても、「別になんともないです、楽です」とは言えない。 また、本当は水面下で必死でがんばっているのだが、 もがいていることや努力していることは見せない、ということもある。 それはすべて、 一般的に思う仕事(働くこと)に対しての価値観に合わせようとしているんだと思う。 その方が人間関係がうまくいく、嫌われない、波風立たない。 と考えてのパターンでの発言なのだと思います。 いかに仕事となれば、 パターンで考えパターンが言っていることが多いことか・・・(あ、仕事じゃなくてもあるか!) もう、それ、必要なんだろうか。 本当にそういうふうに見せないと、思わないと、人間関係は保たれないのだろうか? みんなパターンで生きているため、 パターンを満たす言葉がほしいのだと思う。 自分も頑張っているんだから、大変なんだから、あなたもそうあってほしいのだと。 でも、その役割を自分が担わないくてもいいのかもしれないし、 自分のパターンも他人から満たしてもらわなくてもいい。 となると・・・ 自分は仕事に何を求めているんだろう。 ただ毎日を今目の前にあるものを楽しみ、喜び、 ありがたいなあと思って過ごしていきたいのです。 そういうことなんだよなと思ったら、 オンだからとかオフだからとかは、あまり関係ないってことになっていくのかもしんない。 喫茶店といったら~ ナポリタン♪

のびのびと~

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出張2日目。 こんなんでいいのだろうか・・・ って思うくらい楽しんでいる自分がいます。 仕事であるのに楽しいというのは、久しぶりかもしれません。 普段が苦痛ということではないのですが、 場所が変わり、また一人で行動しているからでしょうか、 とてものびのびしている気がします。 研修は内容的に受け身ではいられないために、終わるとくたくたです。 さらに宿題が出るので、ホテルに帰ってからももくもくとやって、 そこは、充分やっていますと胸を張れる。 でもー、大変だけどー楽しいんですね。 どういうところが?って、 ホテルで生活しているという非日常的なところなんだろうか。 夜、一人でぶらっと飲みに行ってみました(いいお店を見つけてしまった~)。 カウンターで飲んでいても全く寂しくはなく、周囲も気にならず、 むしろ、他のお客さんの会話が聞こえてきて、 人生相談のような話や、昔取ったきねづかの話など、 聞こえてくる内容がおかしくて、 ひとり飲みって、こういう楽しみ方があるんだなと思いました。 洗濯も、家では夫がやってくれることが多いのですが、 ここでは自分から積極的にやる私。 部屋にあるテーブルの上も使いやすいように私物を並べ、 普段は片付けが下手なんだけど、ここではそれなりに快適に生活している。 外を歩くときは、息が切れて早く歩けませんが、 ここではさらにのんびりと周りのペースに合わせず歩けています。 そして、昼はホテルで小1時間ほど昼寝。 そのせいか、とても体調が良いのです。 この暑さで体力もなくなり、頭も回らないのではないかと思っていましたが、 むしろ全体的に調子がよいことにびっくりです。 この現象を考えてみました。 たぶん、バカンス気分と仕事が混ざった感じというか、 オンとオフの区別がなくなり、 ずっとリラックスしているのだと思いました。 楽しいという気持ちのまま何でもやっているような感じ。 仕事だからといって、気持ちを切り替える必要はなかったんだなあ・・・ のびのびいて、いいんだなあ。 こんなふうにやろうと思えばやれる気がしてきました。 盛岡に帰ってからも今のこの切り替えない感じを忘れずにやってみたいです。 金魚を見たの久しぶり

完璧な出会い

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だんだん目的地に近づいてくると、 車窓の景色も緑がなくなり、びっしりとそびえ立つビル群とマンション。 これだけの人がここで何かしらの人生を送っているんだなって(毎回言ってるかもしれませんがー)思います。 そして、こんなにたくさんの人間が住んでいるというのにですよ、 この世で出会う人はほんの一握りでしかない。 そう思うと、今出会っている人たちって本当に奇跡だなあって思う。 その奇跡的な人たちから今生は、 何を学ぼうと計画して自分は生まれてきたのだろうか。 今や朝ドラ「あんぱん」で有名になった言葉。 何のために生まれて、何をして生きるのか? 本当にもう、 どう生きたいのか?を問い続けるために、 必要不可欠な出会いしかしていないのだと感じます。 私の人生に選ばれし方々。 その完璧な出会いと環境の中で、 自分が自分に向き合える生き方をしていく。 それだけだー! 結局、あんバターを買いました