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パターンを選ばない自分になりたい

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2日間の道場を終えてー 語りかけを正しくやり続けることと、 自分はどうありたいのか、という目指すものを明らかにしていくこと。 この2つが体中をこだましています。 この2つについて(他にもあるんだけどまずはここにしぼる)、 次の回までに毎日意識して、 語りかけは深くもっと自分を見ていきたいし、 今、何を感じている?をできるだけ多く問いかけていきたいです。 「考えるな、感じろ」 Don't think, feel 黒パターンで考えるのをやめる ただただ感じよう 先生からの問いを受けて、 感じられない自分はダメだと思っているのもパターン。 分らないことを(感じられていないことも) あれこれ考え続けているのもパターン。 自分はやることがたくさんあって、 どれも優先でどれも必要なことで何も削れない、 と思っているのもパターン。 家族は大事で、夫が今一番大変なんだから 自分が助けるのは当然だと思っているのもパターン。 そんな夫にもしものことがあったら、 一人で生きていけないと思っているのもパターン。 会社員ってこうだから、仕事ってこうだから、あの人ってこうだから、 だから自分はこうするしかないって決めつけたがるのもパターン。 それらを選んでいるのは誰のせいでもなく自分でした。 そう、自分がぜ~~~んぶ選んでいる。 思考して選んでいる。 自分の体のことも、魂の望むこともちゃんと感じずにです。 じゃあ、どうありたいのか? パターンを選ばない自分になりたい。

同じことをやり続ける

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岩手クラスの道場1日目は、 なぜか盛岡冷麺を食べていたときに、 年をとってみんなで学べないという日が来ても こうやって先生やクラスの仲間と一緒に学んできたことを 冷麺を食べるたびに懐かしく思い出すんだろうなと思いました。 なんでそんなことを今しみじみ思ったのかわかりませんが・・・ 15年経って、自分があまり変わっていない部分もあるし、 全然違っている部分もあります。 ただこうして続けてこれたのは自分が選択してきたことではあるけれど、 やはり先生やみんなのおかげだと思いました。 クラスの人の発言にパターンが引っかかったり、 みんなより自分は劣っているとか、成長していないとか、 そういう比較のパターンはずっとそこにある。 開示はまだまだだと思うけれど、 これからもっと開示しあえるクラスになっていくようにも思う。 15年前も今も、 感情が騒げばケアをして・・・と、 ホントいつも同じことをやっています。 でも同じことをやっているんだけれど、 15年前とは変わっているところもあります。 朝目覚めると暗い気分で一日を始めていたことも、 眠れなくて気が狂いそうな夜も、 しょっちゅう自分はダメな人間だと泣いていたことも、 今はそういう自分ではなくなっている。 それはやはり、パターンという存在を知ったから。 それは「私」ではないんだと知ったから。 そして、その先にずーっと先にあるもの、 それを見てみたい一心で続けているのかもしれないです。 階段を一段上がっただけで見える景色が変わるように、 今日も自分を知ること、やっていきたい! 今まで食べた中で一番おいしく感じました!

手放せないもの

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毎日の日課、そして永遠と続くご飯作り。 それに役立っているのが、 雑草の中に埋もれながらも育っている野菜です。 途中で枯れてしまったり芽が出なかったものもありますが、 生き残っているのは、ナス、ニラ、ピーマン、ししとう、パプリカ、青しそ。 虫食いも多いし、形もいびつ。 でも味がすごくいい! 雑草をかきわけて収穫していると毎回蚊にくわれ、 この数分間さえも面倒がらずに手袋と長袖を着用することを覚えました。 (かなりくわれてから気づいた・・・) お花がたくさんあった頃もとても華やかで良かったのですが、 花はとても手がかかり、その体力と年々見合わなくなる。 (野菜も本来は手がかかるものかもしれませんがー) 思い切って減らして良かった。 その空いたところに、 ちょっと苗を植えただけなのに育ってくれている野菜たちがなんだか愛おしい。 スペースを作るって大事ですね。 お花をあきらめてスペースを作ったところに、 こんな生活が待っていたとは・・・。 何かを手放す(捨てる)と何かが入ってくる。 もしかすると、これの繰り返しで生活は成り立ち、 逆を言うと、足すばかりではあらゆることがパンクしてしまうっていう、 これも法則の1つでもあるのですね。 自分が心の中に手放せずにいるもの。 今日はそれを見つけていきたいと思います。 トマトはいただきました!

老いていくままに

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梅雨明けしてから、快晴の空と爽やかな風を感じています。 すでにその風は、お盆に吹くような涼しさです。 熊本の方々にこの涼しい風を少しでも届けられたらと思いますが・・・ 一日も早くライフラインが通り、 夜だけでも休まれる状態になりますようにと祈っています。 今朝はお盆が近いためか、 両親の実家がある田舎の夢を見ました。 小学生の頃、お盆と言えばよく泊まりに行った親戚の家があります。 小さかった自分には、 その家に泊まるということがとてもうれしくて、 子どもながらにここは入っちゃいけないんだろうなあ って思うような部屋をのぞいてみたり、 伯母がやっていた美容室が居間のとなりにあって、 そこを何度も行き来するのが楽しかったのです。 家族みんなが寝る部屋も、 横一列に4人分の布団が敷いていて、 思う存分ごろごろ転がったり、 お盆で来ているいとこを誘って布団で秘密基地を作ったり。 親戚のおじさんおばさんたくさんいて、 大勢の食事の準備を手伝うのも楽しかった。 夢の中では、まだその家には到着していません。 向かう車の中でわくわくしながら何かおしゃべりしているところ。 運転している父へ何か話しかけたり、 兄とバカ騒ぎして笑っているのですが、 そこに母だけが今のままの母でした。 母は耳が遠いためにみんなの会話に入ることはなく(ここだけ現実) 後部座席でひとり車窓から外を見ていました。 自分一人はしゃいでいたけれど、 母をひとりぼっちにしてしまったと少し悲しい気持ちになって、 母に「お母さん、今の話はね~」って 話しかけようとしたところで目が覚めました。 母はこの数年で体重もかなり減って歩くのもやっと。 耳は聞こえず、目も見えなくなり、 先日は入れ歯が真っ二つに割れて大騒ぎしたりと(これは笑った)、 日々、自分の体が衰えていくことを実感していく日々ではないかと思います。 このことが、かわいそうだな、悲しいな。 と思う自分がいたことを夢をみて思いました。 母も一緒に楽しんでほしいと思うけれど、 母には母の事情もある・・・ 自分の気持ちは自分でケアができるという考えのもと、 自分は大丈夫だけど、母は大丈夫じゃない。 というのは違う。 私は母の老いていくままに見守っていけたらいいなと思いました。 野菜は自家製!

疲れた日のパターン

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昨日は疲れて早々に寝ました。 今、朝5時でブログを書こうと思ったけれど、 その前に振り返りをしました。 (今年の目標に「毎日、一日の振り返りの時間をつくる」というものがあるから~) 自分はいつも誰かと比べて劣っている、というパターンの その誰かに名前を入れる。 以前も似たようなパターンがあったなと考えると、 大波ではないけれど、小波がゆれているのを感じます。 波は、いつもゆらゆらとゆれていて、 凪になるのはわずかな時間だけ。 その凪の状態というのは、とても静かで、無感情で、何もないような、 それが自分にとっての本当の心地よさでもあるんだなあと思います。 そして、パターンがあると波が荒れ・・・ やはり苦しいし、嫌だなって思うし、イラ立つし、落ち込むこともある。 そういうパターンが出てくることが嫌だと思うパターンもいる。 そこをスルーして、 パターンで語りかけをしていることもあるのだと思う。 ●パターンに出てきてほしくない というパターンへの語りかけ。 体が疲れているとき(昨日のように)特に出てくるように思う。 なぜならば~、 こんなときにパターンに出てこられると、 ちゃんとケアしなきゃって思うし、 でも今日はちょっとできないなって思うと それはそれで放っておかれたままのパターンが気になって 本当には休まっていない気もするし・・・ だから、パターンに出てきてほしくないんだな。 なぜならば~の部分を声に出して読むと、 なんだかこれだけでほっとする感じがありました。 「私」はそうは思っていないけどね、でさらに、すんっとなる。 疲れたときは、このパターンへの語りかけがしっくりきます。 久しぶりの夕焼け