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満たそうとしたがるパターン

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すみません、またドラマの話です。 自分の何が、そんなにドラマに満たされていっているのか? と考えた話をしましたがー 満たされているのではなく、 満たしたいがためにもっともっとと、 先を見たくなるということなんだと思います。 このドラマの登場人物たちのように、 純粋に患者を助けたいという気持ちを持ちながらも、 それを叶えるためにはとことん組織や法という壁にぶちあたる。 いわゆる悪役(金で動くDRたち)と言われる人たちが、 黒パターンですべて動くわけですが、 そこに白パターンで動く人たちをじゃまにしながらも少しずつ影響され、 自分のしていることに「ゆらぎ」が生まれていくわけです。 そこが、パターンは生き物であることを ドラマがゆえにわかりやすく表現されています。 ゆらぎながら「私」の輪郭がだんだん見えてくるような感じといったらいいか。 ここが、どんなに大きな協力なく黒パターンを持っていても、 本当の「私」はそれ以上の、それらさえも包み込む器があるということなんでしょうね。 ●黒パターンより白パターンでいたい ドラマを見ていてふと思いました。 なぜならば、黒は苦しく、白はすがすがしく、 白の方が心が軽くなっていくからです。 ネガティブな感情ではないためわかりづらいのですが、 パターンを嫌うパターンがありました。 黒ではなく白を選ぶ人間たちが、 どうありたいのかを自分自身にも問い、 また相手のそれも尊重していくシーンがたびたび出てきます。 自分はあることをゆるすが、他者はゆるしていない。 そういう違いが互いにあっていいということと、 ゆるしている自分が正しいという判断をしないということ。 ああ、そういうあり方がいいなあって思う。 ドラマ見ながら、今何を感じている?と また自問自答していこう。 ひさびさの青!

ドラマが満たす

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普段よくドラマを見るのですが、 昔からずっと好きなものの中に「病院もの」があります。 院内の権力争いなどのどろどろしたものや、 病気を解明して治していく天才DRもの、死と向き合うシリアスものなど、 今見ているのは海外ドラマですが、 日本人では出てこないようなストレートな言葉のやりとりがまた面白いです。 それでー、 なんで私こんなにはまるんだろうって。 自分の過去の体験でこうなってしまったのか、 死という未知の領域について興味があると言ったらいいのか。 この止められない理由は、 ドラマを通して自分を満たしてくれるものがあるのではないか?と考えます。 人生の一大事を乗り越えていくことに対しての爽快感。 ここを感じたいというパターンがあるのかな。 逆境が大きければ大きいほど、 ここからどうやって解決していくんだろうかとか、 解決ではなく、例えば死を受け入れるしかないとか、 受け入れ難いけれど、残された者の人生は続いていくんだということとか、 そういうことに興味があるのかもしれません(昨日書いた日記のように)。 そしてよくある敵対するような人間関係からの 真逆な展開にも興味があります。 殺したいほど憎い相手だったところから、 物語が進むにつれて、どちらかの心に少しずつ変化が生じていく。 そういう人間の変容とか成長とか心の動きが好きということもありそうです。 (ドラマですから、またドラマチックな展開ですしね) 冬のソナタ以来の~寝る間を惜しんでまでも見たい気持ち。 この衝動を抑えるのがなかなか大変です。

最期のときまで

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今日は夫の定期通院への付き添いでした。 診察の後に必ず、栄養指導があるのでここは自分の役目だという認識。 そして主治医の先生から、塩分摂取をここまで調整できていることは素晴らしい と褒められました(お互いに自分が褒められたと思っている)。  しかし、全体的には少し数値が悪くなっていたので、 残念ながらお薬が一つ増えてしまいました。 でも先生がこのタイミングで増やした方がいいという判断ならば、 それを信じて自分たちができることは長期戦で引き続きやっていこう とあらためてまた食生活の見直しをしました。 100%の健康よりも精神性を高めたい。 そう思っているのは私で、夫はどうなのかわかりませんが、 健康について自分を観察していくという点では、 病気になったからわかるこれまでの自分というものが見えると思いました。 肉体の不調は、パターンで言えば、 白と黒のバランスがあまりにも偏りすぎてしまったことを 体を通して教えてもらっているようなことだと思うのです。 感情にふたをして思考に走ること、 常に考えることでいっぱいの状態でいること、 そして、病気になったらもう変わりようがないと思うこと等々。 そこからのストレスがどんなにか肉体を弱らせ、 自分自身を見失ってしまうものであるのか気付かされます。 でも、私自身、今と昔では病気についての意味付けが変わっています。 マイナスの意味付けがないわけではありませんが、 プラスの意味付けもたくさん出てくるのです。 また、ただひとつの事象であることへ何度となく意識が注がれる。 それは、今までの学びがあったからこそのものであり、 健康をないがしろにした精神性ではなく、 肉体という自分の一部も学ぶ教材としながら、 最期のときまで、命への感謝の気持ちを持ち続けたいと思うのでした。 今夜の満月は真っ赤でした

想像力

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今日はみぞれ交じりの雨で、盛岡はすごく寒い一日でした。 でも桜の開花予想は例年より早いようで、 あのうららかな日がやってくるのか~と思うと、 想像しただけでなんだか体がポカポカしてくる気がします。 「私」の資質の一つに想像力というものがありますが、 自由に思い描けるってなんて豊かな才能かと思う。 なんとなくこんな感じ~というものがあるだけで、 目には見えない豊かさを自分に与えることができます。 たとえ現実とは違ったとしても、 想像したのと違ったな~で答え合わせをする感じもなんか楽しい。 その軽さがいいのかも。 深刻さは捨てて、想像していこう。 今年の開花予想日

ネガティブを引きずる時

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ネガティブな感情をいつまでも引きずる時と、 引きずらないで、あ~そう思ったんだなで終わる時があります。 引きずる時ってもしかして、 どうしてそう思ったのか(原因)を考えるところまではあったとしても、 次はそうならないようにとか、今の状況から悪くならないようにとか、 そのパターンに出てきてもらっては困るから、 これからのこと(より良い対策)をいつまでも考えるのだと思います。 ということは・・・ 考えるって結局、ネガティブへの強い拒否反応がそうさせている、とも言えます。 嫌な思いをしないように。だから、考える。 より良くしたいというのも、 少しでもネガティブな感情が出てくるのを嫌がるパターンがしていたり。 パターンを嫌うパターンが、 健気になんか一生懸命考えているのかもしれません。 「私」がすることは、 そんなパターンを見守ること。 白を選んだ先に、どんなふうに自分はありたいのか? すがすがしさ感じるような、のびのびした自分へつながるような、 そんなあり方を感じてみよう。 まだ咲いてませんが…