投稿

不快感と息苦しさ

イメージ
今、何を感じている? 今日はとても忙しい一日で、全てを終えて家に着くとどっと疲れてしまいました。 そして、着替えをしてそのまま畳の上で寝てしまい・・・ さっき目を覚ます(えーーーもうこんな時間!)。 ですが、こんな日でも一回だけ、 何を感じているんだろうって感じてみた瞬間がありました。 うーん、むしろこういう時の方が、 あきらかなネガティブ感情だから気づきやすいのかな。 今日は、たまたま訪問先でとても声が大きい方と話しをしたのですが、 その声をずっと聴いていたら途中からその声の大きさが気になり、 内容が半分しか入ってこず集中できませんでした。 ああ、今、自分、不快感と息苦しさがすごいな・・・ 明日もたぶん忙しい一日になりそうですが、 感じてみよう。 たのしいお店♪(よくパンを買います)

友人との会話で

イメージ
友人が転職したということで、 一年ぶりの再会でご飯を食べにいきました。 仕事の話をいろいろしていくうちに、 前職でのつらい体験が今も傷ついたまま心に残っていて、 自分にも似たような経験があるため、光景が目に浮かぶようでした。 その話を聞く自分の中の母性は、 友人の気持ちに寄り添い静かに受けとめているようにも感じました。 また少し客観的になって感想を言う自分もいて、 そこは父性をもって話していたということだったのかなと、後から思いました。 自分の中に母性も父性も両方あることが感じられ、 それは自分だけでなく、友人にもあった(誰にでもある)と。 もしかしたら、 どちらか一方だけの自分で話を聞いたり話したり ということの方が多いのかなと感じます。 普段いちいちこれは母性だとかこれは父性だとか思わないので、 バランスが偏っていても気づかないのかもしれません。 パターンで話しているかどうかという視点ならばともかく(←これは分かりやすい)、 「私」が話すというところを意識的にもっていても、 その中でも母性や父性というところで、 聞いてもらえたなのか、助言をもらったなのか、ただそばにいてくれたなのか、 なにかお互いにどこが伝わるのかの感じ方はいろいろです。 自分のパターンに対する語りかけは、 以前はほぼほぼ母性だけでやっていたために なんだか寄り添うというよりべったり感があって、 それはパターンよりでもありました。 ということは母性とも違うのかも。 また父性だけだと気づいたときは、 母性がするような受けとめや、待つということ、そこに一緒にいるという感覚など、 それらが省略されて父性がパターンの気持ちを正しく代弁したとしても、 その語りかけはただ「こなしていた」に近かったのだと思います。 ということは、父性だったのかもあやしいな。 普段の語りかけの要素といったものが、 こうして友人との会話の中でも起きているんだなあって、 ああ、だから語りかけって誰がやっているのか?そこが大事なんだなあって感じた夜でした。 一瞬の夕焼け 遠くに岩手山

それをする動機

イメージ
それをする動機は何か? 今、何を感じている?の他にもう一つ問いかけが増えました。 今日はあることについての話をしている人に対して、 その話に乗っかって、ああでもないこうでもないと、 自分もその中に入ってしゃべろうかどうしようかと一瞬思った自分がいました。 その動機は何か?と問えば、 話に入ることで自分は、共感していますよとアピールしたかったのかもしれません。 そうすることで、相手にほっとしてほしい。 そしてなぜほっとしてほしいのかの動機をさらに問うと、 その人を敵に回したくないという動機が出てきました。 ああ、そうだったんだ・・・ でも、動機不純のまま、そうしなくて良かったと思いました。 そして、これまでのような共感は要らないし、 敵だとか見方だとかいうところには、 もう自分はいなくていいんだと思ったのでした。 何も期待せす、何も見返りも求めずであれば、 その輪に入らずとも立っていられます。 そして、そこで何か不快な感じがあったら、それを充分感じて、 「語りかけをする」なのか、「黙りなさいと言う」なのか。 いろいろその時のふさわしい自分への選択をすればいいのかな。 先生のここ数日のブログ は内容がちょっと難しいのですが、 まずは何となく、はあ~そういう感じかあと思ったのと、 わかっていないということをまずは分かりたいと思いました。 そして少しでも分かっている部分(例えば動機は何なのか?と問うことなど)は、 それはやっていこうと思います。 パイプオルガンって威厳がある

静寂の音

イメージ
クラシックギターのソロコンサートに行ってきました。 会場はパイプオルガンのある小ホール。 元々はオルガンの音を美しく響かせるために作られたホールですが、 ギター奏者にとってもここは憧れの場所なんだそう。 その良さが素人の私にもわかるほど、 クラシックギターの音色を十分に味い尽くした贅沢な時間でした。 五十嵐紅さんってご存知でしょうか。 私ははじめて知った方なのですが、 その紅さんが弾くギターの音色が本当になんと表現したらいいものやら・・・ ボキャブラリが乏しすぎる私で申し訳ないけれど、 もうギターなのか何なのか、宇宙を感じられるような聞いたことのないような音でした。 最後の最後まで音が小さく響く感じや、 余韻が消えてからも~そこにかすかに残っている漂う感じとか。 「静寂」というタイトルの通り、 音があることで静けさを感じられるという体験でした。 ギターの音って小さいのですね。 演奏中は耳を澄まして、 お客さんたちみんなで音を立てないよう集中し、 何だかみんなでコンサートを作るかのようで楽しかった。 時々、弦がキィーンって鳴ったり、 コンコンっていう感じの音が出たり、 ギター1本なのに、何本かあるかのように音が重なっていたり。 一体どうなっているのか? 技術的なことはまったくわかりませんが、 もう、な~んかとにかく良かったあ~って。 心が熱くなりました。 五十嵐紅さんのHPをたまたま見ていたら、 ―――素人でも玄人でも関係なく、「いいな」と思ってもらえることこそが、嬉しい。 音楽は、まず好みの世界だから。――― と書いています。 確かに! みなそこから始まるんですね。 盛岡にまたぜひ来ていただきたいと心から願います。 G線上のアリア、ラ・カンパネラ、太陽がいっぱい、星めぐりの歌が良かったです。 あの静寂をもう一度味わいたいな。 ライブでぜひ聞いてほしい!

私もがんばろう

イメージ
義母の施設への入居(お引越し)が終わりほっとしています。 倒れて入院したときは、これからリハビリもやる意味があるのか? と思うほど左半身が全く動かなかったのですが、 今は支えがあれば装具を付けて立つこともできるようになりました(すごい回復力!)。 半年いた病院では部屋の窓が遠くて、 ベットもほぼ一日中カーテンで囲まれていました。 でも今は、ベッドから窓の景色が見えます。 歩く人や行き交う車、 また少し離れたところには畑があって~ 遠くには山並みも見えます。 「いいところだわ。ああ、生きててよかった・・・」 そう言って涙ぐむ義母を見て、 これからの人生、ここで楽しくおだやかに過ごしてほしいと心から思います。 病院でがんばってリハビリをしてきたからこそ、 いい施設にめぐり会えたのだと、神さまに感謝です。 はじめて食堂に行くと、 皆さんといっしょに昼食を食べていました。 その姿がとても自然ですんなりテーブルにつき、 もうお友だちができたようでした。 女性って生きものは(男性よりは〜という意味で)、 独りでもいられるし、 他人ともそれなりにそこそこ仲良くできるしで、 そのあたりは男性より割と新しい環境にも慣れやすく社会性が高いのではないか?と思いました。 施設という小さな社会の中にもこれからいろいろあるかもしれませんが、 義母ならばひょうひょうと乗り越えていきそう。 私もがんばろう!!