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国語辞典が好きだった

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最近、語りかけで分からない言葉や漢字があると辞書を引いています。 スマホをパッと開いて調べるのが常でしたが、 突如、棚の奥に国語辞典があったこと(それも兄のお古)を思い出し、 引いてみたくなりました。 すぐに出番があり引いてみると、 言葉の右側のところにえんぴつで線が引かれています。 ということは・・・ まだ10代の若かりし自分が、まったく同じ言葉の、 意味なのか漢字なのか分かりませんが知りたくて調べていたということですよね。 って思うと、なんかすごくないですか! 40年以上経っているのにまだ引いている(ちゃんと覚えられていない)ってこと。 毎日、結構な割合で、 もうすでに線が引いているものを引いてしまいます。 そのたびに、線を新たに引けないことにがっかりしてしたり、 まだ一度も線を引いたことのない言葉に出会うと、 何だか誇らしくうれしい気持ちになるのでした。 これは、新しいことを覚える方が勉強した気になるというパターン。 または、自分は進んでいる成長していると感じたいパターンか? 辞書を引いては、そっか!と思い、 また忘れては、確認したくて引く。 この行為自体が好きで無心に楽しんでやっていた。 勉強(学ぶこと)ってこんなふうに手間をかけながら、 遊び心をもちながら続けられていくんだなあと、 昔の自分に教えられた気がしました。 年季入ってます! ページをめくる音、手触りも好き

ふわふわした白い毛

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以前から行ってみたかった山荘のそばにある動物舎。 とてもきれいに管理されたところに、 羊、ヤギ、ポニー、牛、そしてウサギがいました。 こののんびりとした土地柄にぴったりの 全く噛みつく様子も暴れることもしない、 ストレスゼロでここにいるのではないかと思うほど、 素朴な動物たち。 みんな地球の仲間だなあって思う。 うさぎは、昔飼っていたミミというメスのうさぎにそっくりで 釘付けになりました。 でも、よく見るとミミよりも耳が大きく体もデカい。 ふれあい用のカゴに今にも脱走しそうな元気なのが1匹、オリには2匹お昼寝中でした。 聞けば、ジャンボウサギという品種なんだそう。 秋田ゆえに「どんぱん三姉妹」と名付けられていました。 注:秋田には民謡どんぱん節というのがあり、ここ大曲ではジャンボウサギの発祥の地でもあり、動物舎ではこのような意気なネーミングで呼ばれていました。雪深い地域に住む雪うさぎというほのぼのとしたイメージとはほど遠い、食用目的で品種改良されたうさぎなんだそう(食べるのは可哀そうすぎる…)。 人の手に慣れているせいか撫でても嫌がらず、 ふわふわした白い毛は本当にもう癒しのなにものでもありません。 とにかく可愛かった~~! また会いに来るね~~!

楽しさを無理に感じようとしなくていい

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イベントでは今回もはじめての方々との交流。 笑顔いっぱいで楽しい一日でした・・・が・・・ 自分はその中にいて何を感じていたか? 一緒に大笑いし、素直に楽しいと思う時もたしかにありました。 でも、自分がこれからもずっとやりたいことではないなあと感じた瞬間もあった。 小さな焦燥感というのか、 平たく言えば面白さや自分にとっての必要性を感じなくなっている。 自分はこういうものを求めてはいないことや、 (イベント自体は素晴らしいことだと思っているんだけど) 体の疲れも感じていました。 でも1年前の自分は全くそうではなかった。 疲れがあっても吹っ飛ぶくらい、 この時間を楽しめたし癒されてもいたし、 学ぶものがたくさんありました。 今でも学ぶものはあるけれど、 以前の自分とは変わってきているのかも(パターンも変化する) ということに気づきはじめている。 一度決めたことだし、相手がいることだから今さら変えられない。 っていうのもパターンです。 楽しさを無理に感じようとしていたことも今日感じました。 そして本当に楽しみなのは、 温泉に入って非日常を大自然の中で過ごし、 時に友と語らうゆったりした時間。 そこでは一人自分を振り返る時間もたくさんあります。 そうか・・・私はこういうことがやりたくて イベントを手伝っていたのかもしれない(こっちがメイン)。 もしかしたら、他人から学ぶ事より今は 自分が感じて考えて実践していくことを選びたいのかもしれません。 今朝はきゅうりメインの冷汁と目玉焼き

それぞれに大事なこと

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今日はちょっと何ていうか今までにないことがありました。 「快」か「不快」かと言えば、 本当にどっちとも言いがたい・・・ でも感情が全くないわけではないので、やや快かもしれません。 何のパターンなのか、まだ見れていませんが、 「快」の中にこれからどう自分がまた感じていくのか、 観察していこうと思います。 夫のお母さんの体調が思わしくなく、 お世話のために(少しでも口から食事を摂ってもらいたいために)、 「俺、会社1か月休むことにした~」と言って、 今朝早くに布団を車に積み、お母さんの施設へ向かった夫。 驚いたのは驚いたんですが、 何かそれで良かったって思ったのでした。 夫の体や気苦労を思うと心配がないわけではありませんが、 自分が選択して行動していく姿に、 ここ数日悩んで悩んで決めたことなんだなと思うと、 私もできることをしたいと覚悟が決まった気がします。 そんな中、娘も突然会社を辞めようかなと言って、 世間一般的にはダメなことなんだと思いますが、 2週間ほど行ってません。が、しかし、 それで良かったなと思って見守っています。 今までしたくてもできなかったご飯を作ったり、 部屋の掃除をしたり、散歩してみたり、 両祖母たちに会いに行ったり。 15年近く働いてきた会社の仕事を全部放り出し、 ずっとやりたいと思ってきたいことを今やっている。 何もしたくないのかと思ったら、 その逆だったんだなあと思ってみています。 それで、私は・・・といえば、 明日はいつもの秋田のイベントで一泊してきます。 以前なら、こんな時に遊びに行くなんてとパターンを嫌って感情はゆれたと思う。 けれど、パターンなんだなと自覚を持ちながら 楽しんでこようと思います。 家族であってもみなそれぞれに、 今自分にはこれが大事だなと思うことをしたいんだなあと感じた一日でした。

待てなかったこと その2

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昨夜、母の入れ歯が、なんと、 真っ二つに割れてしまいました! 40年前に作った入れ歯。 これまで何度か修理して使っていたのですが、 もう限界なのか・・・ 母はこの世の終わりのように大ショックの大パニックでした。 私はそんな母をはじめはなだめていたものの、 歯がなくてもムース食っていうのが今はあるよ、お母さん! と介護食のセールスマンのように、 画像を見せながらこんな食事もあるし、 これより形が残るタイプもあると。 まだまだ歯がなくても食べれるものはあるから安心してと説明しました。 でも・・・ こういうところなんだあと思いました。 待てていない自分(←パターン)。 母がこの大パニックから一刻も早く脱して落ちつきを取り戻してほしい。 と、パターンは思っている。 そうじゃないと、 自分がいつまでも母をなだめなければならず、 母の機嫌をとる生活が続き、自分が安心できないと思っているのです。 こういう時こそ、 母の気持ちを待ってあげられたら良かったなと思いました。 寄り添う時間を短めに切り上げてしまい、 母が自ら落ち着いていくことを信じて待てなかった。 その後、入れ歯は思いがけずたった1日で修理されて戻ってきました。 母の満面の笑みを見て、 いつもみてくれている歯医者さんも一緒に喜んでくれました。 「待つ」っていろんな待つがあるんだな。