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ときめく選択

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温かいものが体にしみる季節ですね~ 昨日の夕飯はサンマのつみれ汁、今日は菊の味噌汁と、 毎日、何かしら秋メニューを考えるのが楽しいです。 そんな私も、若い頃の一人暮らしでは、 まったく料理などしたことがありませんでした。 ご飯だけ炊いて、あとはコロッケかメンチカツを買ってよく食べていた。 それはそれで幸せ感じていましたし、 仕事の帰りにお肉屋さんに寄って選ぶのが楽しみでもありました。 (当時、コロッケは50円とかだったと思う) なぜか寒くなると、 そういう若い日を思い出すのでした。 どうして、そんなお金がなくても不安じゃなかったのか? それには父親から、 間違ったことをしていないで普通に生きていれば、 食べ物には困らない。 という刷り込みのおかげがあったと思います(←パターン)。 間違ったことをしない・・・というのは、 おそらく、自分に正直に生きていればということだと思うし、 お天道様に顔向けできないようなことはしないということだと思います。 そういう生活を送っていれば、 そう簡単にお金で困ることはないんだと。 だから、心配するなと言われた。 そのパターンで今も生きている気がするし、 また、そうしていても、 人生には何があるかわからないので、 困るときは困るかもしれないというのもわかります。 お肉屋さんの前で、 コロッケ何にしようかな~ってときめきながら選ぶ自分。 そういうふうに、なんでも、いい感覚で今を選択していきたい。

芸術の見方

Eテレの「日曜美術館」や「美の壺」など好きでよく見ていますが、 テレビではその作品に対してのナレーションが入り、 無意識にそれを聞いた上で鑑賞しているんだなと思いました。 そういうものが何もなくただ眺めたときは、 その作品から伝わるもの、それに対しての自分の感情が 素直に湧きあがってくるのがわかります。 温かさ、懐かしさ、安心感、 また、楽しくなってくるような、 胸がときめくような、触れたくなるような・・・ というように感情だけでなく感覚的なものもあれば、 何だか怖い、さみしい、冷たい、落ちつかない・・・ というのもあったり。 それが、解説があると急に頭が動き出し、 その知りえた情報に沿うように感情を操作されるような気がしました。 そう言われてみれば、そう感じないわけでもないかも・・・って、 自分がはじめに感じたものをすりかえてしまう。 思考で分析された作品を見ていることになります。 芸術から感じるものを大切にしたいのか、 その背景を知りたいのか、 目的によって見方が変わりますが、 何かしらの情報を得たとしても、 自分が感じるものを大切にしたいなと思いました。 夕方、空を見ていたら、 そこには何の分析もなく、 ただ素直にきれいだな~、気持ちいいな~と感じた。 これです、これ。 自然の中にいると思考がストップして、 感じるものだけの世界に自分が漂う。 普段、思考に走りがちなので、 ただ感じるままでいられる、 自然も芸術もそんなふうに見たいなと思いました。

後悔したくない動機

後悔したくないからやる。 という話をしていたとき、 その動機を少し考えてみました。 それがしたいから、やらないでいるのは嫌だからやるというのと、 やらずに後から自分を責めたくないからやる。 この微妙な違いが、言葉だけで聞くとわからなかったりします。 前者には、その結果は関係なく、 自分がやりたかったからやったということだけで終わる。 後者は、 やらないことに後ろめたさがあり、 相手に対しての不誠実さ、罪悪感を感じていて、 そこに苦しむ自分が嫌だからやる。 結果もできれば、がんばったと誇れるもの、 他者へ認めてもらえるものを欲しているような気がします。 そうなると・・・ 「後悔したくない」という動機の中身が全然違ってくる。 自分に嘘をつきたくないからやるのと、 自分を責めたくないからやるのとでは、 全然そこから得たものは違うのだろうなと思いました。

母の役割

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実家の庭の草刈りをお願いしました。 いつも頼んでいる方なので、 お茶とゴミ袋を用意して庭の隅に昨日のうちから置いていました。 母には何もしなくても大丈夫だよーって話し、 そのことをメモに書いて貼っていました。 母はその日は訪問リハビリの予定だったのですが、 外の草刈りが気になってそれどころじゃなくなったよう。 何が気になるって・・・ 外で働いている方々へお茶とお菓子を出していないことにです。 結局、リハビリをするどころではなくなり〜 理学療法士さんは母を連れて近くの店まで、 それらを買いに歩いて行ったのでした。 往復30分はきつかったかもしれませんが、 母は無事にみなさんにお茶とお菓子を出し 「ご苦労様です〜休憩のときにどうぞ〜」 とか言って安心したようでした。 (という内容を、後からリハの方から聞く) 今回だけでなく、 毎年、植木屋さんや草刈りが入ると母が落ちつかなくなることをわかっていたのに、 メモを貼っておいたから何とかなるかなという考えが甘かったでした。 母は若い頃、役場で働いていて、 毎日のお茶汲みは立派な仕事の一つだったと思います。 サラリーマンの妻となってからも、 来客者はもちろん、家の敷地の中にいる方にお茶を出さないなど 考えられないことなのかもしれません。 (私も、準備していないわけでは無かったんだけど) 数時間後には草刈りのことも、 自分が歩いて買いに行ったことも全部忘れてましたが、 きれいになった庭を見て 「良かったわ〜」と笑う母がいて、 私も良かった。 お母さん、 次は必ずお母さんにお茶出しお願いするからね。 日本一のとろろ蕎麦

「私」がする語りかけ

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パターンの語りかけのときに、 何というパターンに語りかけるのか? そこを考えることからはじめます。 そのヒントが、感情。 どんな気持ちだったのか、正直にみていきます。 こんな黒パターンがあったら恥ずかしいとか、 何かかっこいい言葉というか、 スマートな言葉というかは考えず。 誰かに聞かせるものでもないので、 ただ自分の内側から湧いてきた、そのままの言葉をあてはめるだけです。 ここが正直にちゃんとやれているとき、 本当にすがすがしいほどに、 たんたんと、雲ひとつないカラッ感が出ています。 「私」が語るんだなあ・・・という実感。 語りかけをしたから現実が変わるということではありませんが、 でも何か、何かが変わると自分は感じます。 これまで通りの黒パターンではなく、 白パターンでいこうという自分の中の細胞たちが動くからです。 量子が動きだし、 「私」を構成しているものたちが一斉に本気を出す。 っていう感覚。 だから「私」がする語りかけって、 自分で自分を引き上げていく力があると思いました。