教えるときの動機
この頃、人に教えるという機会がある度に、 相手が思うような反応や態度や理解ではないときに、 自分の胸のあたりがざわざわするのがわかります。 昨日語りかけしたパターンの、 なぜそうパターンは思うのか?という部分を 再度じっくり考えてみました。 (こういう時は考えることが大事だ!) そうしたら、 たまたまというか、今まで自分が出会った方たちは、 パターンに引っかかったとしても、はい次~というように、 気に留めることがあまりないような(感情をかき乱されることがない) そういう人たちとの経験が多かったのだと思いました。 それでも、引っかかったのならば、 本来はスルーせずにパターンへの語りかけが必要だったんだ(自分の場合は)。 でも、そうしてこなかった自分。 それほど「私」は機能していなかった。 今もろに、 パターンが求める反応や態度や理解とは異なる人(出来事)が現れて、 それで語りかけを真剣にやっているのだと思う。 そして真剣にやってみたら、なんと、教える動機のところで、 エゴ丸出しの、他人で自分を満たそうとしているパターンの姿が はっきりと見えたのでした。 そうだったんだ・・・という驚きは、 そんな動機が隠れていたことを、 今の「私」は見つけられたんだなという驚きでもあります。 変わらずそのままでいていいパターンたちに これからも「私」はそばでずっと見守っていきます。