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静寂の音

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クラシックギターのソロコンサートに行ってきました。 会場はパイプオルガンのある小ホール。 元々はオルガンの音を美しく響かせるために作られたホールですが、 ギター奏者にとってもここは憧れの場所なんだそう。 その良さが素人の私にもわかるほど、 クラシックギターの音色を十分に味い尽くした贅沢な時間でした。 五十嵐紅さんってご存知でしょうか。 私ははじめて知った方なのですが、 その紅さんが弾くギターの音色が本当になんと表現したらいいものやら・・・ ボキャブラリが乏しすぎる私で申し訳ないけれど、 もうギターなのか何なのか、宇宙を感じられるような聞いたことのないような音でした。 最後の最後まで音が小さく響く感じや、 余韻が消えてからも~そこにかすかに残っている漂う感じとか。 「静寂」というタイトルの通り、 音があることで静けさを感じられるという体験でした。 ギターの音って小さいのですね。 演奏中は耳を澄まして、 お客さんたちみんなで音を立てないよう集中し、 何だかみんなでコンサートを作るかのようで楽しかった。 時々、弦がキィーンって鳴ったり、 コンコンっていう感じの音が出たり、 ギター1本なのに、何本かあるかのように音が重なっていたり。 一体どうなっているのか? 技術的なことはまったくわかりませんが、 もう、な~んかとにかく良かったあ~って。 心が熱くなりました。 五十嵐紅さんのHPをたまたま見ていたら、 ―――素人でも玄人でも関係なく、「いいな」と思ってもらえることこそが、嬉しい。 音楽は、まず好みの世界だから。――― と書いています。 確かに! みなそこから始まるんですね。 盛岡にまたぜひ来ていただきたいと心から願います。 G線上のアリア、ラ・カンパネラ、太陽がいっぱい、星めぐりの歌が良かったです。 あの静寂をもう一度味わいたいな。 ライブでぜひ聞いてほしい!

私もがんばろう

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義母の施設への入居(お引越し)が終わりほっとしています。 倒れて入院したときは、これからリハビリもやる意味があるのか? と思うほど左半身が全く動かなかったのですが、 今は支えがあれば装具を付けて立つこともできるようになりました(すごい回復力!)。 半年いた病院では部屋の窓が遠くて、 ベットもほぼ一日中カーテンで囲まれていました。 でも今は、ベッドから窓の景色が見えます。 歩く人や行き交う車、 また少し離れたところには畑があって~ 遠くには山並みも見えます。 「いいところだわ。ああ、生きててよかった・・・」 そう言って涙ぐむ義母を見て、 これからの人生、ここで楽しくおだやかに過ごしてほしいと心から思います。 病院でがんばってリハビリをしてきたからこそ、 いい施設にめぐり会えたのだと、神さまに感謝です。 はじめて食堂に行くと、 皆さんといっしょに昼食を食べていました。 その姿がとても自然ですんなりテーブルにつき、 もうお友だちができたようでした。 女性って生きものは(男性よりは〜という意味で)、 独りでもいられるし、 他人ともそれなりにそこそこ仲良くできるしで、 そのあたりは男性より割と新しい環境にも慣れやすく社会性が高いのではないか?と思いました。 施設という小さな社会の中にもこれからいろいろあるかもしれませんが、 義母ならばひょうひょうと乗り越えていきそう。 私もがんばろう!!

一人じゃない

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今日は最高気温が20℃まで上がり、 石割桜も開花したというニュースを見ました。 あちらこちらで、クロッカス、水仙、こぶしの花などが咲き始め、 春はお花たちから元気をもらう季節。 今月から新しい環境に飛び込む方も多いですよね。 私の職場でも、そういう緊張と不安と期待と 入り混じった方々が通所していて、 それを見守る立場ではありますが、 今年はその気持ちにちょっと変化を感じています。 今までは、私のフレッシュマンに対しての応援したい気持ちが全面に出てしまい、 本当におせっかいおばさんになりそうなほど(なっていないと思いたい)、 いろいろなことに目配り気配りを無意識にやっていたのです。 しかしながら、今はそこまで心配しなくても、 相手の不安を受け取らなくてもいいと思うようになっています。 (これは、相手のパイプにずかずかと入っていくようなもの) 見守るということが、 こんなに静かで落ち着きがあるものだったのか~と。 心はやさしく穏やかに、言葉はたんたんと、 でもひそかに愛を送りながら心の中で見守っている感じ。 なにがあっても大丈夫だ~って。 どんな人へも大丈夫だと心の中で思っています。 とはいってもー、 辛いときも苦しいときも、逃げたいときもある。 そんなときは叫び、泣いて、毒をだし、考えるのをやめてしまおう。 そして、たくさん深呼吸したら、 一人じゃない!と胸に手をあてて思う。 全然ひとりぼっちではないのだ。 私は、この一人ではないんだって思い出すだけで なんだか力が湧いてきます。 今月もはじめて講座やります!  詳しくはHPで!

満たそうとしたがるパターン

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すみません、またドラマの話です。 何をドラマで満たされているのか?と考えた話をしましたがー 満たされているのではなく、 満たしたいがためにもっともっとと、 先を見たくなるということなんだと思います。 登場人物たちのように、 純粋に患者を助けたいという気持ちを持ちながらも、 それを叶えるためには組織や法という壁にぶちあたる。 いわゆる悪役(金で動くDRたち)と言われる人たちが、 理想という黒パターンで動くわけですが、 そこに白パターンで動く人たちをじゃまにしながらも少しずつ影響され、 自分のしていることに「ゆらぎ」が生まれていくのです。 そこが、パターンは生き物であることを ドラマがゆえにわかりやすく表現されています。 ゆらぎながら「私」の輪郭がだんだん見えてくるような感じといったらいいか。 ここが、どんなに大きな黒パターンを持っていても、 本当の「私」はそれ以上の、それらさえも包み込む器があるということなのでしょう。 ●黒パターンより白パターンでいたい ドラマを見ていてふと思いました。 なぜならば、黒は苦しく、白はすがすがしく、 白の方が心が軽くなっていくからです。 ネガティブな感情ではないためわかりづらいのですが、 パターンを嫌うパターンが満たされがっているのかも。 ドラマでは、黒ではなく白を選ぶ人間たちが、 どうありたいのかを自分自身に問い、 また相手のそれも尊重していくシーンがたびたび出てきます。 自分はあることをゆるすが、他者はそのあることをゆるさない。 そういう違いが互いにあっていいということと、 ゆるしている自分が正しいわけではないということ。 そういうあり方がいいなあって思いました。 ドラマ見ながら、今何を感じている?と また自問自答してみよう。 ひさびさの青!

ドラマが満たす

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普段よくドラマを見るのですが、 昔からずっと好きなものの中に「病院もの」があります。 院内の権力争いなどのどろどろしたものや、 病気を解明して治していく天才DRもの、死と向き合うシリアスものなど、 今見ているのは海外ドラマですが、 日本人では出てこないようなストレートな言葉のやりとりがまた面白いです。 それでー、 なんで私こんなにはまるんだろうって。 自分の過去の体験でこうなってしまったのか、 死という未知の領域について興味があると言ったらいいのか。 この止められない理由は、 ドラマを通して自分を満たしてくれるものがあるのではないか?と考えます。 人生の一大事を乗り越えていくことに対しての爽快感。 ここを感じたいというパターンがあるのかな。 逆境が大きければ大きいほど、 ここからどうやって解決していくんだろうかとか、 解決ではなく、例えば死を受け入れるしかないとか、 受け入れ難いけれど、残された者の人生は続いていくんだということとか、 そういうことに興味があるのかもしれません(昨日書いた日記のように)。 そしてよくある敵対するような人間関係からの 真逆な展開にも興味があります。 殺したいほど憎い相手だったところから、 物語が進むにつれて、どちらかの心に少しずつ変化が生じていく。 そういう人間の変容とか成長とか心の動きが好きということもありそうです。 (ドラマですから、またドラマチックな展開ですしね) 冬のソナタ以来の~寝る間を惜しんでまでも見たい気持ち。 この衝動を抑えるのがなかなか大変です。