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しっかり聞きたいのに

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本日の宣言「しっかり話を聞く」でした。 いつもは「ちゃんと」という言葉を使うことが多いのですが、 今朝は「しっかり」という言葉が浮かび・・・ 落ち着いた姿勢で集中して聞ききたいと感じたからなのかもしれません。 がしかし、少しさわがしい喫茶店での会話でしたので、 周囲の雑音や近くに座っている方たちの話し声が気になり、 私と同じように相手の方も感じていたら申し訳ないなって、 それも気になりますます集中できなくなってしまいました。 しっかり聞きたいのに聞けない・・・。 少し前のめりになって相手の言葉を聞き洩らさないようにしていたのですが、 後から、「この席で大丈夫ですか?」と(他にも空いている席はあった) 聞いてみても良かったかなと思いました。 話しずらそうにしていたら、「話しずらくないですか?」とか、 時間を気にしていたら「時間は大丈夫ですか?」とか、 何でもそのまんまを聞けばいいことなのに。 なぜできなかったのだろう・・・。 相手の話を折ってはいけないとか、 聞くことでかえって周囲の雑音が気になりはじめるかもしれないと、 いろいろ考えだしたパターンがいました。 要するに、 その時の自分はちょっと正直じゃなかったのかも。 白ではなく黒を選んだんですね。 そのうちだんだん周囲の雑音に慣れたのか、 その後はもう気にならなくなっていましたが、 もしまた機会があったときは(また騒がしい喫茶店のときは)、 素直に聞いてみようと思いました。 ちひろのケーキ大集合

自分のために起こること

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朝に今日の宣言をしていますがー ほぼほぼ考えずに、瞬時に出てきたものを心の中で言います。 今朝は、「今日起こることはすべて、 自分のために起こることです。ありがとうございます!」でした。 大抵、この朝の宣言をした時点で もう何を言ったのかも忘れて一日を送り、 後から全然思い出せないのですが、今日はめずらしく覚えていました。 起こることすべて・・・ということは、 ああ嫌な言い方するなあとか、 おばさんだって思われているんだろうなとか、 なんでこんなに思うようにいかないのよーとか、 無理だと思ったけど何とかなりそうだなとか、 これらパターンが思ったこと全部、自分のためなんだという実感がわきました。 つまり「私」を育てるためのものしか起きない。起きていないんです。 そう思うと、あれもこれも、 な~んかいいことばっかりじゃん!って思えました。 明日の朝はどんなことを思うのかなあ。 街中がさくらまつり♪

不快感と息苦しさ

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今、何を感じている? 今日はとても忙しい一日で、全てを終えて家に着くとどっと疲れてしまいました。 そして、着替えをしてそのまま畳の上で寝てしまい・・・ さっき目を覚ます(えーーーもうこんな時間!)。 ですが、こんな日でも一回だけ、 何を感じているんだろうって感じてみた瞬間がありました。 うーん、むしろこういう時の方が、 あきらかなネガティブ感情だから気づきやすいのかな。 今日は、たまたま訪問先でとても声が大きい方と話しをしたのですが、 その声をずっと聴いていたら途中からその声の大きさが気になり、 内容が半分しか入ってこず集中できませんでした。 ああ、今、自分、不快感と息苦しさがすごいな・・・ 明日もたぶん忙しい一日になりそうですが、 感じてみよう。 たのしいお店♪(よくパンを買います)

友人との会話で

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友人が転職したということで、 一年ぶりの再会でご飯を食べにいきました。 仕事の話をいろいろしていくうちに、 前職でのつらい体験が今も傷ついたまま心に残っていて、 自分にも似たような経験があるため、光景が目に浮かぶようでした。 その話を聞く自分の中の母性は、 友人の気持ちに寄り添い静かに受けとめているようにも感じました。 また少し客観的になって感想を言う自分もいて、 そこは父性をもって話していたということだったのかなと、後から思いました。 自分の中に母性も父性も両方あることが感じられ、 それは自分だけでなく、友人にもあった(誰にでもある)と。 もしかしたら、 どちらか一方だけの自分で話を聞いたり話したり ということの方が多いのかなと感じます。 普段いちいちこれは母性だとかこれは父性だとか思わないので、 バランスが偏っていても気づかないのかもしれません。 パターンで話しているかどうかという視点ならばともかく(←これは分かりやすい)、 「私」が話すというところを意識的にもっていても、 その中でも母性や父性というところで、 聞いてもらえたなのか、助言をもらったなのか、ただそばにいてくれたなのか、 なにかお互いにどこが伝わるのかの感じ方はいろいろです。 自分のパターンに対する語りかけは、 以前はほぼほぼ母性だけでやっていたために なんだか寄り添うというよりべったり感があって、 それはパターンよりでもありました。 ということは母性とも違うのかも。 また父性だけだと気づいたときは、 母性がするような受けとめや、待つということ、そこに一緒にいるという感覚など、 それらが省略されて父性がパターンの気持ちを正しく代弁したとしても、 その語りかけはただ「こなしていた」に近かったのだと思います。 ということは、父性だったのかもあやしいな。 普段の語りかけの要素といったものが、 こうして友人との会話の中でも起きているんだなあって、 ああ、だから語りかけって誰がやっているのか?そこが大事なんだなあって感じた夜でした。 一瞬の夕焼け 遠くに岩手山

それをする動機

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それをする動機は何か? 今、何を感じている?の他にもう一つ問いかけが増えました。 今日はあることについての話をしている人に対して、 その話に乗っかって、ああでもないこうでもないと、 自分もその中に入ってしゃべろうかどうしようかと一瞬思った自分がいました。 その動機は何か?と問えば、 話に入ることで自分は、共感していますよとアピールしたかったのかもしれません。 そうすることで、相手にほっとしてほしい。 そしてなぜほっとしてほしいのかの動機をさらに問うと、 その人を敵に回したくないという動機が出てきました。 ああ、そうだったんだ・・・ でも、動機不純のまま、そうしなくて良かったと思いました。 そして、これまでのような共感は要らないし、 敵だとか見方だとかいうところには、 もう自分はいなくていいんだと思ったのでした。 何も期待せす、何も見返りも求めずであれば、 その輪に入らずとも立っていられます。 そして、そこで何か不快な感じがあったら、それを充分感じて、 「語りかけをする」なのか、「黙りなさいと言う」なのか。 いろいろその時のふさわしい自分への選択をすればいいのかな。 先生のここ数日のブログ は内容がちょっと難しいのですが、 まずは何となく、はあ~そういう感じかあと思ったのと、 わかっていないということをまずは分かりたいと思いました。 そして少しでも分かっている部分(例えば動機は何なのか?と問うことなど)は、 それはやっていこうと思います。 パイプオルガンって威厳がある