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スナックのママ

お笑いの飯尾さんが出ている『ずん喫茶』。 私も喫茶店が好きなのでよく見ています。 どのお店のマスターやママも、 コーヒーを出し、料理を出し、そしてお客さんとのちょっとした会話。 そうした毎日を何十年と続けるって さぞかし経営面も考えると、大変な苦労があるのだろうなと思う。 でもそこで、カウンター越しに、 マスターやママさんとお客さんが楽しそうに話している光景を目にすると~ それはちょっと憧れます。 (お客さんにではなく、マスターやママさんの方に) コーヒーを飲みながら、お腹を満たしながら、 何か最近あったことをさらっと話せる人がいるって、 どうしていいなと思うのだろう。 (これは、お客さんの方への憧れ) ほっと一息つくなら一人でも充分だとは思うのですが・・・ そんなに深い意味なく、 ただ、感情がわいたことを口にしたい?自分が自覚したい? 普段、人と話すときって、 事務的な話や他愛のない話が多いと思うけれど、 それでも話すことで何かが通いあい、尊重しあい、 語る人生でその人を感じたりするなど パターンは人と触れ合うことを欲しがるのかもしれません。 昔々、会社の先輩に連れられていったスナックで、 ママさんに、そのカウンターの向こうにいることに憧れる という話をしたことがありました。 でも料理を出したり忙しいのがちょっと~って言うと、 飲み物やデザートは買ったものでいいし、 料理もインスタントに冷凍食品、おつまみだって缶詰でOK。 後は自分次第よ~っていう、そんなふうなアドバイスをもらいました。 要するに、お客さんじゃなく、 あなたが無理なく続けられることが大事なのだと。 でも、お客さんをもてなしつつ自分が主だとはっきりと言えるのが、 (城のあるじですしね) ママの凄みだなあって思いました。 今になってみると、 何をするにも自分を一番にしていいんだ! ということだと思う。

楽に生きる感覚

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考えるな感じろ。 ブルースリーさんの言葉通りに、ふいに感じること、 ふいに今誰がそう思っている?を問うことなど、 考えることをやめる練習をしています。 (ここで言うのは、黒パターンで考えること) 考えはじめたなと気づいたら思考をストップさせ、 何かしらの自分のケア(ワーク)に入る。 または、ケアが今はできないというときは何かやることをやる。 やっているときは今を楽しむ。 料理とか、ドラマや映画を見るとか、夫の話を聴くとか、パジャマのゴムを入れ替えるとか。 いつもいつもその通りにはいきませんが、 でも、意識的に続けてみたら・・・なんか、すごくいい・・・です。 料理も没頭するし、映画も思う存分楽しめる。 夫の話も『ながら』ではなく、ちゃんと耳に入ってくるし、 裁縫なんかもする気になる。 もしかしたら、これって、 今を大事にしているということではなかろうか? 何をするにも考えながらやっていて、 いかに、心ここにあらずだったか。 そこには考える分だけいつも苦しさが常にあったのだと思いました。 でも、この軽さを味わってみて思うのは、 日常の中にこんなふうに没頭していいんだっていう、 考えなくてもいい時間がたくさんあったのだということ。 朝起きてから夜寝るまで、 今に生きている感じっていいなあ。

教えるときの動機

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この頃、人に教えるという機会がある度に、 相手が思うような反応や態度や理解ではないときに、 だんだん胸のあたりがざわついて来るのがわかります。 昨日語りかけしたパターンの、 なぜそうパターンは思うのか?という部分を 再度じっくり考えてみました。 (こういう時は考えることが大事だ!) そうしたら、 たまたまというか、今まで自分が出会った方たちは、 パターンに引っかかったとしても、はい次~というように、 気に留めることがあまりないような(感情をかき乱されることがない) そういう人たちとのやり取りが多かったのだと思いました。 でも、そうだったとしても、 どんなに小さな感情でも本来はスルーせず パターンへの語りかけが必要でした(自分の場合は)。 でも、それをやってこれていなかった現実。 「私」は機能していなかったんだなと知る。 今もろに、 パターンが求める反応や態度や理解とは異なる人(出来事)が現れて、 それで語りかけを真剣にやっているのだと思う。 そして真剣にやってみたら、なんと、教える動機のところで、 エゴ丸出しの、他人で自分を満たそうとしているパターンの姿が はっきりと見えたのでした。 そうだったんだ・・・という驚きと共に、 そんな動機が隠れていたことを、 今の「私」はやっと見つけられたんだなと思いました。 変わらずそのままでいていいパターンたちに これからも「私」はそばでずっと見守っていきます。

相手の成長は、自分の成果

人に何かを教えるというとき、 自分が手本とするところはやはり自分の先生です。 先生の教え方は、 まずはこちら側の領域まで降りてきて、 こちら側に伝わるような話し方で、 しかも何度でも根気よく教えてくれます(かなり待ってくれていると思う)。 たとえむずかしい話だったとしても、 それが何となく感覚としてわかりそうだなと思うくらいに、 いつか分かるようになればいいんだなと軽さが持てるような すれすれのところを話してくれているような気がします。 こういう、分かりそうで分からないけど、 何となくわかってきたかも・・・というのが学んでいて楽しいのだ。 自分もそんなふうな楽しさも一緒に伝えていけたらいいなと思う。 でも、そこが分かるように、 響くようにというところを考えだすと、 もうそこには黒パターンの期待があるように感じました。 ●相手にわかるようにうまく伝えたい それはなぜか? そうなれば自分が安心し、 自分は尊敬され、 そして相手も成長できる。 相手の成長は自分の成果だと思うパターンがそう言っている。 自分がやっていることを教えるだけだと思っていたのに、 こういうところにも黒パターンっているんだな。

マントラと夜景と

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昨夜は娘と外食をする約束をしていました。 前から行きたかったお店への予約がやっと取れたのでした。 仕事を定時に終わらせて向かうつもりが、 この日に限ってそうはいかず、 しかもちょっと遠い場所にいて間に合うかどうかハラハラしていました。 そして、娘もまた渋滞に巻き込まれ、 ぎりぎりで向かっていると。 こんなとき、今、何どんな気持ち(感覚)かといえば、 焦りの中に苛立ち、落胆、後悔する気持ち、 そして心臓がばくばくしています(今度は急いで歩いているため)。 そんな自分の状況とは関係なく、 全然動じない(ように見える)娘のマイペースさにもいらいらしているパターンがいます。 ここで、マントラを登場させる。 歩いている間中ずーーーっと、 「もしかしたら・・・思い通りにしたいって・・・もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」 とつぶやいてみる。 呼吸を整えながら唱えて進んでいくと、 普段通らない道の風景が、心の落ち着きと共に だんだん見えてくるようになっていきました。 そして、橋の上にさしかかると、 真っ暗な川の向こうに、市内の夜景が見えてきます。 うお~~、き・れ・い! 素晴らしい光景が待っていました。 しばし足を止めて見入り、 この景色をスルーしないでいられた自分がいて良かった。 待合せ場所には娘が先に到着していて、 すごい鼻息でやってきた私をねぎらいます。 その後は、 ゆっくりと夜の時間を過ごしました。 世界食堂 | Around the world on the table.