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「私」は全然そう思っていない

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昨日見つけたパターンで、 ●すぐ考える自分はダメだ というものがありました。 以前よりは考えないようになったつもりだったのに・・・ やはり、気がつくとすぐに黒パターンで考えているんだなと思いました。 そしてそのことをとても悔しがり、 自分を責め、落ち込み・・・ いつまでたってもダメな人だと言っているパターンです。 そこで、語りかけの最中に、 「私」寄りで冷静に語っていくことを もっと意識してみたいと思いました。 パターンの気持ちや言いたいことを代弁したときは、 「私」はそうは思っていないけどね・・・という言葉を付け加えるだけでは弱く、 「私」は全然そう思っていないけどね!と。 もう少しだけ「私」を意識してみます。 この“全然”という言葉を追加したら、 本当に「私」ってこれっぽっちもパターンの思うようなことは 考えてもいないし、思ってもいないんだなあ って感じられました。 (なんか、無表情というか真顔で言っている自分がいた!) しばらく、この語り方で、 「私」とパターンの分離感を出していこう。 朝ごはん

シンプルに!

2日間の道場が終わりました。 先生、みなさん、はるばる遠くから参加いただいたMさんありがとうございました。 このところ、 体のことを考えると黒パターンに飲みこまれていました。 また、それを選んでしまっていた自分に 気づかないでいたことをはっきりと認識した2日間です。 (感情を感じて) あ、これパターンだな。 じゃあ語りかけしよう。 というように、 思考に走らずに、すっといけば良いのですが、 パターンだと感じたところでそれに浸っている。 その後に、あ~パターンに飲まれているなあ・・・ とくよくよ考えているのが「私」ではないということ。 パターンと「私」が分離している状態では感情が騒がない。 だったら、パターンで自分をさらに観察し続けないよう 思考し続けないようにする。 やることはシンプルなことなのに 複雑にしているのは誰なのか? やっと毎日のワークが習慣化された今、 今度は正しくシンプルにワークをしていく。 このことを思い出せたこと、 そして何度も何度も先生に喝を入れてもらいながらも、 また今回も直せてなかったことを知って、 考える癖が染みついていることを あらためて意識しました。 不安な体を感じたときも、 体一つ一つへ手をあてていこう。 ここも黒パターンを選ばず、 「私」を使って毎日ケアしていこうと思います。

生きていてほしい

今日は嬉しいことがありました。 手術が無事に終わり退院してきた方が、 元気な顔を見せに来てくれたのです。 私は今回その方が入院した知らせを聞いて、 本当にとても心配でした。 正直なところ、もう会えないのではないかと思ったし、 もしそうならば、自分は悔しくてたまらないと思いました。 もっと早く体調不良に気付いてあげればよかった。 その症状を私は聞いていたのに、 まさかそんな病気とは思ってもみなかったので、 安易な話をして時間を経過させてしまったことを後悔しています。 でも、こうして会いに来てくれて、 私の方が救われたような思いがしました。 その人の人生はその人のもの。 その人の選択によって道が開かれていくのだと思っているけれど、 自分が関わった人のことを幸せになってほしいとか 元気で生きていてほしいとか思うのは、 エゴなんだろうか・・・。 自分が寂しい思い、悲しい思いをしたくないという 自分の感情よりも、 がんばってきた姿を見て知っているので、 その人が報われてほしいと願ってしまいます。 その人にだけにしかわからない報われ方でいいから、 生きていてほしい。 やっぱり、これってエゴなのか。

なんか似てる

朝晩の冷え込みを感じるこのごろ、 ラーメンを食べたくて夕飯に作って食べました(チャーハンも作った)。 体重を落としたいと思っても、 私の秋は、食欲の秋・・・何を食べても美味しくて困っています。 でも逆に、最近ふっくらしたなあって思った人に、 「あれ?太りました?」と言う自分。 「そうなのよ、旅行して美味しいものばっかり食べてきたから」 と言って笑ってくれましたが、 一歩間違えればとんでもなく失礼なことをしている・・・かも。 そういう、鈍感さというか、正直さというか。 この頃の自分は思ったことを そのまんま口にしてしまう傾向があるなと思いました。 それって、 正直に言うことが悪いことではない。 そのまんまを言っているだけ。 という認識が自分にあるからかもしれないと感じました。 パターンは悪いものではない。 そのままそこにいていい。 ・・・っていうのと、なんか似てる。

どんな自分で仕事をしたいか?

今日は、今、何感じている?の問いに対して、 超疲れたあ~~~と大きく深呼吸をして腕をぐるぐる回す。 ということがありました。 でも、疲れたからといって必ずしも不快感しかない、 ということでもない。 息つく間もなく忙しかったけれど、 それが苦しいものではないっていうこともあるのだと知りました。 感情としては、慌ただしさを一旦終結させて、 疲れの中にも少しほっとしている感じもありました。 小さな達成感、安堵感みたいなものです。 それは、気持ちを問う前から、 まずは一息入れようと、そう思いながらやっていたことにあったように思います。 自販機で炭酸を買って(打合せする相手の分も買って) 一緒にごくごく飲んだのですが、 たったそれだけで体がゆるみ、解放感があり。 その後の話は体が疲れを感じつつもリラックスして話せたような気がしました。 よくある、コーヒーブレイクのシーンに似てるかもしれませんが、 こうして自分の意思で仕事を止めたり緩めたりすることができるし、 自分のタイミングで再開する(しっかり考え始める)こともできるんだなと思いました。 すぐに、予定通りに、やらなきゃというのでやる。 これがあたり前になってしまいがちです。 でも、ほんのささやかなことだけど、 気分よく柔らかく、本来の自分に戻って仕事をする。 流されず、意識をもって。 ・・・そういうこともできるんだ~! と実感した一日でした。