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ちょうどいい定食

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昼休みに定食を食べました(夜は居酒屋をやっている)。 肉か魚か、ミックスか、日替わりか、牛すじかを選べます。 焼き鮭、かぼちゃの煮物、ゴーヤの漬物、小魚の佃煮、ご飯、大根の味噌汁 これで1,000円。 食べ盛りの人には物足りないかもしれませんが、 私は食べすぎて眠くなる午後を考えれば、ちょうどいい量でした。 白米がすごく美味しくて、 鮭の塩気がちょうどよく美味しくいただきました。 この値段設定とメニューの種類。 なんかいいなと思いました。 女将さんが一人でやっているため、 食材が高騰している中、安過ぎず高過ぎず、 さらにお客さんも払いやすく店側も受け取りやすい千円札1枚。 これならやっていけると思い、決めた値段なのかな。 しかも、料理はお膳で運ばれてくるのです。 なんか武家のご飯を食べているかのよう~ 足が4つついたお膳は、テーブルを汚すこともなく、 ほとんどのお客さんが、カウンター越しに「ごちそうさまでした」と言って 手渡しして片付けています。 お茶とお水はセルフで、 お手拭きはテーブルの上にまとめてありました。 きっとお店を出すときに、 一人で無理なくやっていくには・・・って考えたのだと思います。 自分のやれることと、ここはゆずれないというところ、 そのバランスが大事だと思うし、 お店を出すからには、 一元さんではなく通ってもらいたいという願望もあるはず。 お客様第一なのか、 自分第一なのか・・・。 自分第一だからお客様も大切にできる。 (勝手にいろいろ想像する) 自分のしたいことと現実とのバランスを考えるって、 何をするにも大事なんだなあ。

祭りの音

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盛岡の秋祭りはずっと雨に見舞われ、 やっと晴れた最終日。 辛うじて山車を見ることができました(動いてないけど~)。 それだけでも嬉しい! 遠くの方からは太鼓や笛の音、鐘の音、 音頭の唄声も気持ちよいほど響き渡り聞こえてきます。 祭りの音を聞くのがとても好きです。 街中が浄化されるといったらいいか~ 神社でパンパンと柏手を打つときのような、 周辺の淀んだ「気」もパッと切り替わるような、 祓ってもらっているような。 心がすーっと洗われる感じがあります。 神さまが私たちの街を守ってくれていることを感じながら 家路に着きました。

欠けてはいけないこと

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今月も新たに 大学生 を迎い入れ、 自分はここから何を学んでいるんだろうって思います。 私自身も都内の関係機関へ出向き実習を受けたことがありました。 でもそのときはもうすでに社会人だったので、 学生のような初々しさは全くなかったと思う。 (おばさん頑張ってまーすという感じはあっただろうけど笑) 研修先でやっているような業務は、 初めてでわかりませんということもなく、 多少自分が知らないことであっても観察していると何を意図しているのかもすぐに理解できるため、 ここへ勉強しに来ているはずの身分を忘れてしまうような心持ちになっていったのでした。 勉強になることもたくさんあったはずなのに、 仕事のやり方の違いにばかり目がいき、 こうした方がいいのに何で?と、否定的に観察していたように思います。 自分の方が正しいというパターンで物事をみていた。 自分の方がもっと難しい業務をしているからわかるとか、 自分ならこうするとか、 自分ならそもそも、もっといい研修内容を実習する人のために考えるとか。 ホント恥ずかしい話ですが、 あらさがしのようなことをして、 何やっているんだ、あの時の自分よ・・・と言いたい。 表面的には教えて下さいという態度をとっていたと思うけれど(大人の対応)、 私の中身がそういうパターンで物事を受入れていたため、 相手も、この人には自分が知っていること全て教えてあげよう! とは、たぶん思えなかったでしょうね。 貴重な期間をあろうことに私はただ不満を抱えて終えた記憶があります。 だから今、自分を客観的に見てみると、 自分が普段大事に思っていることを学生たちへ惜しみなく伝えたり、 学生が学びたいことをもっと提供できないかと考えたり、 そして自分が学びたくて学生からたくさん話を聞いています。 でもそれは自分がそうしたいという思いと、 そうしたいと思わせる相手の姿勢がそこにはある。 その姿勢が見習うべき素晴らしいこと、 自分に欠けてはいけないことだと感じています。 初心忘るべからずの心です。 今後どんな学生さんが来ても、 たとえ、過去の自分のような心のありようで研修にのぞむ人だったとしても、 (そういう人いないと思うけど) 自分は自分自身のためにも、その方のためにも、 今の自分のあり方を確認するかのように 関わっていきたいなあって思うのでした。 明日もよろしくお願いします...

私の体の記録 終わり

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この病院に来ると20代のころをどうしても思い出します。 私のある意味、青春時代とも言える大事な人たちとたくさん出会った場所。 夜中に病室を抜け出し(なんたって20代ですから)、 誰もいない院内を歩き、静かになった外来の待合に寝てみたり、 元気そうに見えた友だちとは、 トイレで着替えをして喫茶店まで行ったこともあった。 本当に若いときの好奇心ってすごいし、 今より監視もだいぶゆるかったのだと思う。 おかげで、つらいだけの思い出ではなく、 それなりにこの状況を楽しもうという気持ちで過ごせていたのだと思う。 それでも、自分がこの世で一番不幸な人間かのように ガン治療にあたって先生にたくさん感謝もしたけど、 同じくらい文句も言っていました。 もう少し患者の身になってほしいと無理なことを考えていたし、 自分の知らないところで先生方が どんなに想像をめぐらし知恵を出し合い 最善の治療を施してくれていたのかなど、思いもしなかった。 だから呼吸器科の先生と今日で最後になるかもという日、 「いろいろ調べてくださって、本当にありがとうございました」 と心からのお礼を言いました。 先生は半分背中ごしで、 「はい、お大事にね」 と何らいつもの日と変わりなく返事をしてくれました。 その後~ 耳鼻咽喉科の先生からは、 手術は出来なかったけど悪いものではないし、 鼻の治療ってずっと続くけどそういうものだからと説明がありました。 励ますような、大丈夫だからと言いたいような。 魂からにじみでるような優しいことばをもらい、 それで充分だと思いました。 先生と言ってもまだ全然若いのです。 目にかかる前髪とロン毛の中から刈り上げがちらっと見え、 下半分は青くカラーリングしている。 パンクの人?と思わせる見た目と優しい声のギャップ。 その先生が 「気休めだけど表面のポリープだけ切ろうか?」と言うので、 何の迷いもなく切ってもらうことにしました。 その場で部分麻酔をかけ、 小指の第一関節ほどのポリープは、 歯を抜くときのような力がかかりグイっとちぎれるような鈍い音がした。 「あ~・・・喉に落ちそうだな・・・」 そう先生がつぶやいた時、 切り落とされたポリープをゴックン。 私、ポリープを飲みこんでしまったんです~~~(泣。 「あ~、生検に出そうと思ったのに・・・ま、しょうがないか」 「え~すみません・・・ それ...

私の体の記録②

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県立病院の耳鼻咽喉科に行ったときには、 もう手術の日程を自分で考え、 入院となったら一人の時間ができて、なんかゆっくりできるかもな~ 『入院=神からあたえられた休息時間』 などと、都合よく考えている自分(パターン)がいました。 しかし、 鼻という顔のほんの一部分の手術なのに、 部分麻酔ではなく全身麻酔が必要だということをはじめて知ります。 過去の私の病歴から先生は 「うーん… 取りたいですか?リスクがどれだけあるか、まずは調べないとね」 え、取るんじゃないの? 呼吸器科を紹介され、 思ってもみない展開へと進んでいったのでした。 全身麻酔ができる身体であるかどうか。 そのための検査がこれからはじまります。 30年以上も前の病気が、 今どのように私の体に影響を及ぼしているのか。 現在の状態を知れるということは、 自分の現実を知ることでもある。 それは心のどこかで願ってきたことだったように思いました。 検査は、まず肺機能に異常がないかどうか調べます。 CTに移った自分の変形した肺(正常な肺と並べられて説明を受ける)。 一部ヘチマのように固くなっていてもなお、 残された肺で今日までがんばってきたんだって思うと 自分を褒めたい気持ちになりました。 呼吸器科の診察室は4つあって、 自分の担当の先生だけ、診察スピードが極端に遅かった。 それだけ先生は患者と向き合い検査結果も受診もていねいだということ(と、受け取る)。 朝に来て夕方までかかって、 5時間以内で帰れた日は「今日は早い!」と思うほど。 あとは会計だけっていうときにも、追加検査を言われて戻ったり、 次の受診の前に、循環器科へ行くように電話がかかってきたり、 おかげ様で、疑うべきところはすべて診ていただいたように思います。 結局、私の息切れ・動悸(数値の悪さ)がどこからくるものなのか? 全身麻酔ははたしてできるのかできないのか? 先生が出した答えは、 「あと考えられるのは、喉の筋肉が麻痺しているか・・・ぐらいなんだよね」 で、それが大当たりだったのでした。 内視鏡で診てもらうと、 喉の声帯が半分麻痺して閉じられたまま。 もう片方の声帯が必死でなんとか動いているというより、 もがいているかのように見える喉の様子がありました。 これだったんだ。 この入口がいつからか半分になっていたことで、 呼吸がしずらかったし声が出にくかった...