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マントラと夜景と

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昨夜は娘と外食をする約束をしていました。 前から行きたかったお店への予約がやっと取れたのでした。 仕事を定時に終わらせて向かうつもりが、 この日に限ってそうはいかず、 しかもちょっと遠い場所にいて間に合うかどうかハラハラしていました。 そして、娘もまた渋滞に巻き込まれ、 ぎりぎりで向かっていると。 こんなとき、今、何どんな気持ち(感覚)かといえば、 焦りの中に苛立ち、落胆、後悔する気持ち、 そして心臓がばくばくしています(今度は急いで歩いているため)。 そんな自分の状況とは関係なく、 全然動じない(ように見える)娘のマイペースさにもいらいらしているパターンがいます。 ここで、マントラを登場させる。 歩いている間中ずーーーっと、 「もしかしたら・・・思い通りにしたいって・・・もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」 とつぶやいてみる。 呼吸を整えながら唱えて進んでいくと、 普段通らない道の風景が、心の落ち着きと共に だんだん見えてくるようになっていきました。 そして、橋の上にさしかかると、 真っ暗な川の向こうに、市内の夜景が見えてきます。 うお~~、き・れ・い! 素晴らしい光景が待っていました。 しばし足を止めて見入り、 この景色をスルーしないでいられた自分がいて良かった。 待合せ場所には娘が先に到着していて、 すごい鼻息でやってきた私をねぎらいます。 その後は、 ゆっくりと夜の時間を過ごしました。 世界食堂 | Around the world on the table.

宝もの

道場でこれまで先生からいただいた資料をファイルしています。 この話はこんな前から、 先生がもうすでに言っていたんだなと、 あらためて読み返して驚いたりしています。 その中で、自分を知るということをあの手この手で これでもかというくらい教わっていたことに気づかされます(今も続いているけれど)。 それは、先生の自作のものだったり、 キリストが言っていたことや仏陀が言っていたこと、 古代の哲学者や現代の心理学者、歴史上の人物や小説家、 医者、経営者、そして何の肩書も持たない人など この世に生きた人たちの多くの言葉がありました。 そして、芸術にもたくさん触れています。 感じる心を道場の中で育て(お寺に行ったり、社会科見学みたいなこともした~) 芸術、音楽、自然美、創作など、 その中で感じることもたくさんやっていました(って、今もだけど)。 また、体が弱いというパターンを持つ私たちのために、 細胞へ意識を向け量子を動かしていくことの大切さなど、 健康という意味付けを大きく広げられたのもワークのおかげです。 それらすべて非現実的なものは何一つなく、 すべてが現実に生きる自分の糧になっていったのだと、 それらを「私」は使って育っていったのだと心から感じました。 しかし・・・ それらの尊い教えを今、どう受け止め実践しているだろうか? どんなに正しいもの(真善美)であっても、 受けとる側の人間がそのときどう捉えるのか、 黒パターンで捉えればその結果を受け取り、 正しさの中身が別ものに変わっていきます。 正直、難しすぎて、 いまだによくわからないものもありますし、 少しだけこんな感じなんだろうなと感覚的にわかるようなもの、 そして、実際に自分が経験してきたことであれば理解できるもの。 今の自分のエッセンスとして、 その時その時の自分が必要なものを選んでいるように思いました。 当時の自分には通り過ぎていっただけの資料が、 今読み返すとこういうことだったんだって、 以前よりすーっと入ってくるものもあります。 これが意識の変容というものなのか。 日々のワークを大切にする中で、 こんなに自分の引き出しに宝ものがたくさん詰まっていたことを思い、 これぞ、宝の持ち腐れにならないように パターンではなく、ちゃんと「私」で生きていきたいと思った。

こころ忍術 ポポまるっ!

 今朝テレビを付けたら、 『こころ忍術 ポポまるっ!』という子ども向けの番組をやっていました。 忍者の話かな~と思って見ていたら、 感情リテラシーの話でとてもおもしろかったです。 主人公の小学生の女の子が、 学校で友達とのやり取りで「やばい」という言葉を使うのですが、 その「やばい」という表現で誤解を招いてしまいます。 普段「やばい」を何気に使いすぎて、 自分の本当の気持ちが見えなくなっていることや、 自分の気持ちがわからないとどうしたらいいのかも わからなくなってしまうということに女の子は気づくのでした。 心理学的な解説はなく、 学校生活で普通に誰もが子ども頃に体験する、 もやもや、いらいら、しょぼーん、といった感情を 小さいときからちゃんと感じていくことが、 人間としての成長(ここでは、こころ忍者になるための修行)というようなお話が、 とてもわかりやすく、また次回も見てみたいなと思いました。 もしも子どもの頃からずーっと、 今、どんな気持ち?と自分に問くことをあたり前にやっていたとしたら、 自分にとても素直に生きられるのではないかと思いました。 (そして友達の気持ちも自然に想像できるようになる) 番組では、人間離れした忍者も、 はじめから何でもできていたわけではなく、 練習に練習を重ねていろいろな術を身につけていったと女の子に教え、 その子も素直に、ノートに感情を一つ一つ書き出し、 最後に友だちに気持ちを伝えるということをしていました。 AIで何でも知識が増やせ、答えを見つけてもらえる時代。 でも、自分を知る手がかりは、 自分の中にしかないということを教えてくれます。

ちゃんと見ているよ

 一番最初にわいた感情。 その感情は、 何かしらのパターンに引っかかり、表に現れます。 表に現れて、そしてわかってもらうのを待っている。 もしも子どもが困って動けなくなって泣いていたら、 その子のところに駆け寄って、 「ちゃんとわかっているよ、大丈夫だよ」と言ってあげたい。 子どもがいる人にしか、 その感覚はわからないというものではなく、 自分が小さかった頃を思い出してみても、 自分自身に、「ちゃんと見ているよ、ひとりじゃないよ」と言ってあげたくなる。 パターンのケアってそういうことなんだなと思った。

それ、誰が考えているのか?

先延ばしにしていた仕事をやってみて、 ああ、これで良かったかもしれないと思いました。 期日も過ぎていたので先方にはその旨も伝え、 今日はじっくりとまとまった時間をとって取り組んでみたら、 スムーズに終えることができました。 これだけの時間で終われるものだったのなら、 期日を過ぎることもなくやれたのではないかと思うところですが、 自分にとっての優先を考え、 自分にとっての期限で選び、 丁寧にやれたということが体験できて良かったと思いました。 誰がそれを考えているのか? をふいに問いかけ、 仕事中には、誰がそれを言いたがっているのか? ということも感じられたり、 誰が喜んでいるのか?ということも感じ取りました。 そうすると・・・ ほぼ・・・ほぼ、頭がぐるぐるしているというのは、 黒パターンが考えていると気づかされます。 黒パターンの使用頻度多すぎです。 だから仕事が滞る。 気づいたときは、「黙りなさい」と言い、 黒板消しでその思考をサササと消すようにしてみる。 本当の「私」は全然そうは思っていないけどねーって、 明るくつぶやいてみる。 これらの感覚は軽さがあっていいです。 でも、今までだって「黙りなさい」と言ってはいた。 ということは~、 パターンというプライドが黒パターンに対して 叱っていたのかもしれないなと思いました。 自分で何をするか選び、 誰がやっているのかを問いかけていこう。 そして、黒パターンがやっていたら、 家に帰って語りかけをしよう。