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普遍的な意識でできている

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白黒ワークの中に出てくる言葉に、 今さらながら、本当にそうだなあと思った。 「私」は脳でもなければ、思考でもない。 パターンでもなければ、肉体でも感情でもない。 普遍的な意識でできているのが、「私」です。 ここを言うたびに、「私」とパターンだけでなく、 そうか、自分というのは単なる個体(肉体)ではないことを ずっと昔から知っていたかのような気持ちになります。 まだ生まれてもいないもっともっと以前からあるもの。 その意識が宇宙の流れにのっていけたら、それでいいのだけれど、 そうじゃない自分だから、 だから「私」へ意識を向けることが必要なんだなあって思った。

何も問題はなかった

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夫の母の施設でケア会議なるものがありました。 夫が母の代弁者として出席し、 私も聞いているだけでいいからと言われて同席しました。 なんですがー、 仕事柄というか、そばで聞いているうちについしゃべりたくなる自分。 点数的に(使えるサービスが限られていること)こうだとか、 夫のまわりくどい言い方へも通訳したくなったりとか、 スタッフさんの対応はこうすべきだとか・・・ いろいろ思考が走り感情もわきました。 いろいろわく感情は全部自分の問題。 ということは・・・ そこに自分以外には何も問題はないということになります。 そう思うと気持ちが少し楽になります。 そのこと自体へ信頼を寄せるからこそ黙っていられるのかもしれません。 集まった方々は、 みなどうしたら母が安心した生活を送れるかいろいろ考えてくれていました。 もう少し様子をみましょうというのもあるし、新しい試みもある。 そうやって話し合ってくれたことならば、それでいい!と思いました。 なんだか成るようになっていきそう。 自分の問題だけを引き受けると、 周りには何も問題がなかったかのように見えました。 そして、成るようになっていくのは、自分が余計なことをしなかったからなのか! 黙って参加した会議で教わりました。 皆さん、ありがとうございました。

二人の母へ

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母の日ということで、 自分の母親にはブラウスを贈りました。 白地に紫系の花柄のブラウスは母にしては初挑戦の色合いだったので、 気にいってくれるかな~とちょっと不安でしたが、 とても喜んでくれて良かったです。 今日は美容室にも行ってきたので、 おしゃれを楽しむ昔の母が戻ってきたようでした。 夫の母の方は施設に入ってちょうど1か月。 一日中パジャマを着て過ごしているので、 食事のときだけは何か羽織れるものがあった方がいいかなと思い、 そのまま寝ても疲れないような薄手のカーディガンを贈ろうと思っています。 新しい場所はまだ慣れない感じもあって、 病院のときのようにお友だちもなかなかできない中、 体も不自由なのでつい不憫に思ってしまいますが、 これは母が体験していくことなんだなあと・・・ 私はそっと見守りながら、できることはしていきたいなと思うのでした。 今の夫と私がいるのは、二人の母がいるおかげ。 これからどんどん年を取って今より体は大変になっていくのかもしれないけど、 二人とも安心して穏やかに過ごしてほしいなあと願います。 中央公民館は新緑がいっぱい

はじめに湧いた感情

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今日は腹が立ってイライラした感情がわきました。 悲しくて泣きたくなるような感じもあるくらい、感情が高ぶります。 なかなか、これってパターンは何?と思う余裕がありません。 で、少し落ち着いてから(とりあえずいろいろ用事を済ませました~)、 帰宅してまた思い出すと頭に血が上りそうになりましたが、 さっきよりは、これ、パターンなんだよねって、 やっと引っかかったものを探せたのでした。 ノートに語りかけの文章を書いてみると、 ちょっとパターンよりかな?と書き直します。 パターンが語っていないかどうかの確認は、 声に出してみるとわかる気がします。 そして、大事なところは、はじめに湧いた感情の部分。 この部分をしっかり感じられた(嘘をつかなかった)自分は良かったと思いました。 まだちょっとしっくりする文章ではないため、 次はもう少し丁寧に言葉を紡いで、語りかけを完成させていきたいです。 いつもの兄から母へのプレゼント 

パターンを守るもの

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一度パターンの存在を認めると、 そのパターンは水を得た魚のように主張してくるような気がしました。 もうなかったことにはできないし、 あとはそのパターンがケアされるまで、 パターンも堂々と主張してきます。 その主張を受けとめるのは母性。 母性がパターンを受け入れ、 そして次に父性によってパターンよりももっと堂々と 大きな愛で語られていくのでした。 このバランスでパターンは守られていくんだな。 遠くから見るとこんなに大きな木