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真逆な感情

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今日は家族用の事務処理をしていて、 頭を使いまくって疲労感がはんぱないです。 その仕事がスムーズにいかなかったのは、 途中から書類が一つどうしても見当たらず… でもこういう探し物って必ず見つかるし、 どっかから出てくると信じきって余裕でいる私。 それが今回は~ 出てこないんですね・・・どこ探しても。 家族から「探し屋」とおだてられるほど、 だいたい自分が探すと出てくることが今まであったので、 今回の、このどうしても見つからないものに対してのイライラ感、がっかり感、疲労感はすごい。 絶対見つけたーい。 ・・・とここまで書いて、 なんと今、たった今その書類が出てきました~! (夫が見つける) 急に感情は、 嬉しい、安心する、脱力感っていう真逆なものになりました。 自分が見つけたかったのかなと思っていたけど、 誰が見つけるかは重要ではなく、 素直にほっとすることができた自分でちょっと良かった。

順番を守ろう

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今日は久しぶりに利用者さんたちと余暇時間を過ごしました。 何気ないおしゃべりをし、 ジェンガをしたりオセロをしたり、 あ~こういう楽しい時間っていいなあと思った。 でも、楽しくてもそれなりに感情がざわっとすることもあって、 今、何を感じている?と聞くと、 イライラ、不快感もありました。 そう、こんなにほのぼのとした時間を過ごしても、 ちょっとしたことで不快になって、 ああ、あのパターンに引っかかったんだなあとわかります。 いつも引っかかるパターンだけど、 今までちゃんと語りかけをしてこなかった。 というより、語りかけ以前に、 今、どんな気持ちになっている? と問うことがなかったのです! 立ち止まって感情をみていないがために、 当然、感情がわいていることが無視されている。 どんな気持ちでいるのかを飛ばしてパターンに語りかけたとしても、 語りかけをするために、その時の感情を考える。 っていう奇妙な状態になっているのでした。 そうなると、順序が逆になってしまうから、 それは誰が語っているのか?という話にもなるのだと思う。 まず、気持ち(感情)があるから何のパターンなのか探せる。 この順番を守っていこう。 倒れそうで倒れません

感動する気満々

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WBCが観たいがためにNetflixをはじめました。 いろいろ映画もドラマも見れるということで、 早速見始めたら、午後まるまるTVにかじりついてしまいました。 そして夜は夜で野球がはじまり、またかじりつく・・・ でもまだドラマとは違って、 スポーツは何も手につかなくなるってことはないです。 それにくらべて以前、はまった韓ドラはやばかった。 連続して観ないと気がすまず、 明け方まで号泣しながら観てはまた翌日も懲りずに何時間も観る。 もう主婦業が成り立たなくなってしまったのでした。 ドラマが止まらなくなるのは、その先や結論を早く知りたいからで、 その世界にどっぷり浸かってそこから出たくない。 というものもあるかもしれません。 ええーー!どうなるの~~?っていう期待が満たされるドラマ。 非日常感にパターン騒ぎまくってますね。 ということは~ やっぱり何かしら満たされたいものがあって ドラマや映画にはまるのでしょうか? WBCに関しては、やはり2023年の感動をまた味わいたいのかも。 一人一人にドラマがありますからね。 あ、やっぱりここにもドラマに期待する自分。 感動する気満々で観ています。 牧選手のこの真顔が好き

中村天風さん

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先月、道場でいただいたプリントの中に、 中村天風さんの書いた文章がありました。 それを朝のお祈りの後に音読したり、 カバンに入れていつでも読めるように持ち歩いたりしています。 読むと心にじんわり染みわたり、そして元気が出てきます。 天風さんの本をはじめて読んだのは20代の頃で、 天風さんの病気と自分の病気が重なり、 考え方が変わるだけで完全に生き直すことができるんだと 当時本を読みあさったのでした。 でも、本を読んだだけでそう簡単には人は変わらない。 変わらないけれど、その時の自分なりの捉え方の中で 少なからず肉体としては大きな影響を受け、 病気が変化していったというのも事実です。 でも、それはこの本だけではなかったと思うし、 食事療法や自然療法、大自然の中で過ごすなど、 今までとは真逆な生活によって細胞が変わっていった・・・ または、たまたま病院の治療も効果があった、 ということがあったかもしれません。 いずれにしても、実際に天へ祈り、 すべてをおまかせしようと思うようになってから少しずつ体がよくなり、 結婚もし子育てもし、人並みにも働くようになった今がある。 あんなモヤシのような自分が今日まで生きてこれたのは、 何かに(宇宙に)生かされているからとしか言いようがないのです。 そして、今また天風さんの本を読んでいる。 はじめて読むかのように噛みしめながら読んでいます。 噛みしめてはまた戻って読み返したり、 あの頃とは全然違う本に思えます。 (え?こんなこと書いてあった?と思うほど違う) 今度は、病気直しのために読むのではなく、 魂のやりたいことをこの宇宙にゆだねながら 少しでも自分を整えていきたいと思いながら読んでいます。 爽やかな水色 文庫本で持ち歩いてます~

空気のような人

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そんなに会ってはいない(よく知っているわけではない)けれど、 会ったときにとても心が通じるような、風通しのよい人っています。 それは大抵、自分のパターンを満たしてくれる人。 という見方もできるのですが、 必ずしもそうとも言えないのではないか・・・ なんとなくその人のあり方というのかな、 どういう感じ方、考え方をするのか。 そこに「快」「不快」というはっきりしたものはなく、 なんか無理がない自然な感じがそこにはあるのだと思います。 そういう人がだんだん増えてきている。 空気のような人たちと言ったらいいのか。 もしかしたら~ですが、 自分自身少しだけ人に対する決めつけが弱くなってきているから そう感じるのかもしれないし。 以前だったら、この人はこういう人だから~とか、 いつもこういう考えなんだよね~とか、 そういう自分で決めつけたもので人を見ているんだなあと思いました。 そんな決めつけが薄れていくと、 結局、自分が楽になっていく。 人との違いも、ああ、違っていていいんだなとストンと落ちてきている気がします。 少な目に盛ってもおかわりする