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仕事の不満

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以前は仕事について、本当に文句ばっかり言っていたように思います。 自分がしたいことができない、自由にやれない、好きな仕事ではない、上司の理解がない、誰もわかってくれない。 考えるときりがないほど不満がありました。 楽しい日もあるにはあるのに、そうじゃないことに注目してしまう。 それが、今はあまり感じなくなっているのはなぜか? 何が昔とは違うんだろうと考えていました。 会社のしていることも、自分がやっていることも、人も、そんなに変わっていないのに、 不満が出てこないのはどうしてか。 と言っても全くないわけではないですし、 それなりに愚痴も出たりはします〜。 でも以前のそれとはその中身というか質というか、 不満というものの意味付けも違っているような・・・ 一番の理由は、 何を大事にしたいのか?というところが大きいかもしれません。 自分はそれをするとき、どうありたいのか? これをいつも考えているというか、 瞬間的に反応しているように思います。 情熱をもって、世の中のために、この仕事を私はやりたいんです! と言える仕事はそんなにはないと思います。それがあたりまえ。 だからといって、本気にはなれないから、やりたいことでもないから・・・ということで、 大切な一日一日を過ごしていいのか? こんないやいやの心持ちで、 あたり障りのない浅い考え方で、 関わる人とは波風立てない程度にしか向き合わず、 心が入らない言葉のやり取りをして。 そういう自分って・・・ 全部が一つ一つ、それでいいのか? そこに、自分がいる限り、 納得することやこうあるべきというガチガチのものではなく、 どっちでもいいという無責任な感じでもなく、 この条件ならこれくらいの仕事でいいでしょう・・・では決してないんだなあと。 今の自分で、 精一杯これでいいって思えることを大事にしたいのだと思いました。 やってみてうまくいかないことも山ほどあるし、 あの時の自分は何だったんだと、 立ち止まって考えたときに、少しまた自分を知れる。 そういう気づきを与えられることが、今は嬉しくもあり、ありがたく感じます。 自分を大事にするように、 相手のことも他のことも今あることに向き合っていこう。 結果よりも何よりその過程を大切にしたいです。 結局、なぜ仕事への不満がなぜなくなったかの説明になっていないかもしれませんがー 前よりも好きにな

話を聴く

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長年やっている福祉の仕事の一つに、就労定着支援というものがあります。 精神疾患など抱えている方が、その会社で安心して働けるようにいろいろとサポートしていくというもの。 この仕事で最近あらためて思うのが、 『話を聴く』ということの精神的効果(効用?)です。 聴いてもらう側の、相手の方にとって、 なにかしらの変化がもたらされているように思います。 話を聴いてもらうと心が軽くなる。 っていうのはあると思いますが・・・ 普段お薬をたくさん飲んでいる方とか、 発達障害の傾向が強い(それで二次障害として精神疾患が発症する)という方もいますので、 そういう不安定な状態の方であってもなお、 聴くことで変わっていくというのは、これ、すごいことなんじゃないかと思うのです。 特別な治療でも何でもない「聴く」だけ・・・ 話を聴いてもらっているうちに頭が整理されていくということはあると思うので、 職場で自分がおかれている状況や、自分の役割を客観視できるというのはたしかにあります。 でも、自分自身がどういう人間であるか、 ゆがみなく理解していくというのは、なかなか一人ではできないこともあると思うのです。 特に、自分がそのときどんな気持ちになっているのかと感じていくのは、 まずもってほとんどの方が意識しません。 自分がどんな気持ちになっているか、 それはどうしてそうなるのか?と誰かに聴かれてはじめて、 だんだんと他人ではなく自分に目を向け、自分だけを見ようとし始める。 そんな自己観察する作業を自然にやっていくようになることがすごいと思っています。 その間、私がしていることと言えば、 本当に話をひたすら聴いて、たまに質問をし、感じたことを伝える。 それはその人に何が起きているのかを知りたいという気持ちがあっての『聴く』であり、 その方自身も聴いている私以上に、自分のことを知っていくのが面白く感じていく。 この連作が支援の過程で起こっているんだと思いました。 本来、自分を知ることは楽しいこと! だれでも本当は自分自身に一番興味があるのだと思います。 意外な一面を知ったり、思ったよりもいいところを発見したりすると嬉しいし・・・ それなのに、 嫌な面、かっこ悪い面は見たくないという心理が働き、 そこを見たくないがために全てを見れなくなってしまっているのかもしれません。 私は私で、対面になると何かスイッチ

ねことわたし

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気持ちはのんびり行こう・・・と決めてから、 実際にはあれこれやってはいますが、 のんびりしている時の感覚(一つ一つ楽でいる感じ)をつかめてきました。 こんなふうに意識が変わると、体の感じ方まで変わっていけるんだと、 忙しさの中から教わった気がします。 疲れやすい自分はダメだとか、 体力がない自分もダメと思うパターンにゆっくり語りかけ、自分で心をケアしていく。 少しの時間で休む、寝る、といったことをする。 そうやって、『語りかけ』と『動き』を合わせていくと、 本当に疲れ方が全然違います! 疲れたというのは肉体のことであっても、 疲れている自分はダメだという決めつけもやはりあるため、 そこに、あなたはそう思っているんだね~って言えるのは、 自分自身へ対しての愛なんだなあと思いました。 この愛を感じる気持ちって、自分へ思いもよらぬ変化をもたらします。 なんと、ここ何十年と変わらなかった犬派の私が、 この数日で、 あれ?猫ってこんなに可愛いかったっけ・・・と思うようになったのです。 知人のにゃんこを見ていると、惹かれるものがたくさんあります。 色も、太い腕(手)も、スタンンプのような肉球も。 じーっと見つめる目、そして犬とも共通ですが後頭部のラインが本当に素敵。 後頭部って、人もそうですがそこに哀愁というか、人に見せずにきたものを感じます。 そして、だんだん猫と自分って似ていたんだなと思うようになりました。 意味不明な行動や、誰に何と思われても平気な態度、 本当は一人でいたいけど少しはかまってほしい気持ち。 そして、たった今これをやっていたのに秒で違うことをやりはじめる気ままさが、 猫そっくりだったと思いました。 そうなると猫もわかるのでしょうか。 昨日はついに、はじめて入ったお店の猫が、 店主もびっくりするかの行動でこちらへ寄ってくるのです。 その後も少し離れたところからじーっとこちらを観察。 そこには、猫と私との見えない交流がありました。 ほんわかするような交流が・・・。 もしかすると、 今までは、猫のように生きられたらな~と思う気持ちと、 反面自分にもある猫のような性質(のんびり気ままに生きることとか)が、 どこか許せなかったのかもしれません。 それが(そのパターンが)、今はどんなふうに生きていっても大丈夫だと、 それで本来の自分なんだ、と受け容れられるようにもなって

一息つこう

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毎年春先は眠気がすごくて、寝ても寝ても眠れてしまう。 今年もそんな季節が来たな~と思っていましたが、 これは、いつもの「それ」とはなんか違う・・・ 年明けから父のこと、母のこと、 一人でたくさんやることがあって、 同時に講座もスタート。 走り続けて息つく暇がなかった。 なんかすごいがんばっていたな自分。 ずーっと今日まで休みなく来ていたことに気づき・・・ (カレンダー見てぎょっとした!) これはもう疲れていないはずがないし、眠いはずだ! あともう少し。 百箇日法要が終わったら、ゆっくり一息つきたいです。 何も予定を入れない休日を、とにかくだらだらと過ごしたーい。 あともう少しがんばったら・・・? いやいや、もう今から気持ちだけはのんびりいこうと思います。 桜もまだキレイに咲いています。 明日は、花をじーっと見て、ゆっくり歩いて、 動きながらも自分を休ませてあげよう。 こういうときこそ、たくさん一息つこう! 見たことない世界!

はっきり言う人

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こんなことを言ったら相手からどう思われるだろうか?と思う人は多いと思います。 どう思われるか?というのは、嫌われるか、不快にさせてしまうか、怒らせるか、困らせるか・・・ といったネガティブな反応をされたくないと思っています。 ネガティブな反応、感情、感覚を持たれることが悪いことであると思っているから、 それらを相手に与えたくないと思っています。 また、自分が悪者になってしまうのも絶対避けたい・・・と。 それくらいネガティブなものに対しての悪者感、拒否感、否定的な感情ってあるのだと思う。 でも、そう思っていない人もいます。 どう思われるか?の世界にはいない人(自分のパイプに他人を入れない)。 先日、久しぶりに眼科に行ったら先生が替わっていて、 先生のご子息らしき人がはじめて診察をしてくれました。 いつもの先生はゆったりとしていて、物腰が柔らかくやさしく話す方。 でも、今度の先生は間髪入れず、まさにはっきり言う方でした。 DR:前回から随分あいてますね。目薬(緑内障の薬)ちゃんと差してないですね。 私:結構忘れちゃうんです~ DR:目薬をしないときは、目が悪くなっていると思ってください。 私:あ、はい・・・(動揺して目線が下を向く) DR:下向かないで、まっすぐ見て。 (診察が終わり) 私:いつも目薬を差す前にコンタクトを入れてしまって、それで目薬させないんですよ~ DR:そうならないようにしてください。 とまあ、私の言い訳に一切先生からの共感はありません。 おばさん特有の、照れながら笑いながらの話にも、ばっさりです。 妥協もなければ、甘やかしもなく。 でも、先生の言っていることは全部その通りだと思いました。 薬局に行くと、隣りの窓口で話している薬剤師さんに患者さんが、 「そうなんです~なんか、もうはっきりものを言う人で~」 という会話が聞こえてきました。 きっと、苦情とまではいかなくても、 以前の『やさしい先生』から『きびしい先生』に代替わりし、 戸惑っている患者さんもいるのだろうなあと思いました。 以前の自分だったら、その窓口で話している人のように同じことを思ったかもしれません。 そして、それを誰かに言わずにはいられない(ちょっと聞いてよ~みたいに)。 でも、言われたことをやらずに目が悪くなったと平気で言ってくる患者さんに対して(←自分)、 先生がはっきりともの申す