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感情論って

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感情を大切にしている自分にとって、 感情的になってもしょうがないとか、感情論でやってはいけないとか、 感情を否定するその手の話になると、 ●感情を大切にするべき、というパターンが騒ぐのがわかります。 でも、そういうことを相手も言っているのではないかもしれない。 って、この頃思うようになりました。 感情を持つからこそ、自分のパターンに気づくことができる。 そこを、感じることが悪いこと、無駄なこと、 大人なのに見苦しい・・・という意味で使っているのではなく、 感情のままにというのは、 ここで言う黒パターンのままに不快感を持ちながら、 その不快感をどうにかしたくて行動することは、 それは黒パターンで生きるということであり、それは違うということなんだなと思う。 やり方を変えるとか、仕組みを変えるとか、 何かを変えようとするときに、 先に感情があって感じるからこそどうにかしようと考える。 感情論でやってはいけないというのは、 黒パターンのままにやってはいけないということだから、 (ここまでは誰もがわかっていると思う) それを頭で理解するのではなく、 ちゃんと黒パターンがあることを知り、 白パターンがあることを知り、 そうやって心底、本当の「私」だったら?という選択ができるという意味なんだなと受け止めています。 ちょっとややこしい話になりましたが、 それが、自分にとっては腑に落ち、そうやっていきたいなと思いました。 朝食 ライ麦パン

韓ドラを見て

韓国ドラマをたまに見ますが、 日本のドラマと大きく違う点が、感情の激しさかなと思います。 韓国人がみなそうだということではないのでしょうが、 日本人の方が断然、 人前で感情を出すのは恥ずかしいことだ って思っているのではないかと思いました。 ドラマでは、悲しむにしても怒るにしても泣くにしても、 その口調や表情にそのまんまを現し、 そこがまたおもしろさでもあったりします。 嬉しさとか楽しさはそんなに変わらない気がするけれど、 ネガティブさに関しては、言い方を変えると、 とても素直にまっすぐにネガティブを出せるんだなあって思う。 今、何感じてる? という問いで感情をあえて感じてみることをしていますが、 今日はすごく忙しかったというのもあり、 一日の中で1回だけでした。 でも振り返れば、焦りも不安も、緊張も、恥ずかしさも、イライラも、 いろいろ気持ちが動いていた。 なのに、それらを表現することもなく、 ただただ仕事をこなしていた自分を思うと、 韓国ドラマだったら、こうは描かない。 何とも微妙なキャスティング・・・と思いました。 明日はちゃんと感情に意識を向けて過ごしていこう。

「私」は分析しない

突如、相手の話し方が気になる(って思うパターン)。 そっちに気を取られて、肝心な話の内容が入ってこない。 感情で言うと、 不快感、イラ立ち、気持ち悪さ、耳障り? どういうパターンなんだろうって考えると、 甘えた言い方をすべきではない。 というところで引っかかっている気がします。 そう言う自分も、 鼻声で聞きづらいと思うし、 電話だとしょっちゅう聞き返される。 声だけに留まらず、話し方だって癖があって、 よく主語がないねと言われます。 パターンって、 自分を棚にあげるの大好きなんだなあ。 いつも棚にあげては、他人のいろんなことを見て分析している。 そういうことに気づくと、 「私」ならば分析しないんだろうなって想像。 分析せずに、ただケアをする。

ときめく選択

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温かいものが体にしみる季節ですね~ 昨日の夕飯はサンマのつみれ汁、今日は菊の味噌汁と、 毎日、何かしら秋メニューを考えるのが楽しいです。 そんな私も、若い頃の一人暮らしでは、 まったく料理などしたことがありませんでした。 ご飯だけ炊いて、あとはコロッケかメンチカツを買ってよく食べていた。 それはそれで幸せ感じていましたし、 仕事の帰りにお肉屋さんに寄って選ぶのが楽しみでもありました。 当時コロッケは50円とかだったので、お金がない自分を助けてくれました。 なぜか寒くなると、 そういう日を思い出すのでした。 思えば、そんなにお金がなくても不安に思わなかった。 それには父親から、 間違ったことをしていないで普通に生きていれば、 食べ物には困らない。 という刷り込みのおかげがあったと思います(←これもパターン)。 間違ったことをしない・・・というのは、 おそらく、自分に正直に生きていればということだと思う。 お天道様に顔向けできないようなことはしないということだったと思います。 そういう生活を送っていれば、 そう簡単にお金で困ることはないんだと。 だから、心配するなと言われた。 そのパターンで今も生きている気がするし、 また、そうしていても、 人生には何があるかわからないので、 困るときは困るかもしれないというのもわかります。 お肉屋さんの前で、 今日は何にしようかな~ってときめきながら選ぶ自分。 そういうふうに、なんでも、いい感覚で今を選択していきたい。

芸術の見方

Eテレの「日曜美術館」や「美の壺」など好きでよく見ていますが、 テレビではその作品に対してのナレーションが入り、 無意識にそれを聞いた上で鑑賞しているんだなと思いました。 そういうものが何もなくただ眺めたときは、 その作品から伝わるもの、それに対しての自分の感情が 素直に湧きあがってくるのがわかります。 温かさ、懐かしさ、安心感、 また、楽しくなってくるような、 胸がときめくような、触れたくなるような・・・ というように感情だけでなく感覚的なものもあれば、 何だか怖い、さみしい、冷たい、落ちつかない・・・ というのもあったり。 それが、解説があると急に頭が動き出し、 その知りえた情報に沿うように感情を操作されるような気がしました。 そう言われてみれば、そう感じないわけでもないかも・・・って、 自分がはじめに感じたものをすりかえてしまう。 思考で分析された作品を見ていることになります。 芸術から感じるものを大切にしたいのか、 その背景を知りたいのか、 目的によって見方が変わりますが、 何かしらの情報を得たとしても、 自分が感じるものを大切にしたいなと思いました。 夕方、空を見ていたら、 そこには何の分析もなく、 ただ素直にきれいだな~、気持ちいいな~と感じた。 これです、これ。 自然の中にいると思考がストップして、 感じるものだけの世界に自分が漂う。 普段、思考に走りがちなので、 ただ感じるままでいられる、 自然も芸術もそんなふうに見たいなと思いました。