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パターンの恐怖心

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●自分はわかっている というパターンに語りかけをしました。 「そうだよね、 あなたは、自分はわかっているって思っているんだね。」 この言葉だけでも、 今まで見て見ぬふりをされてきたものに 光が注がれるような明るさを感じます。 パターンはなぜすぐに、 自分はわかっていると思ってしまうのか? 少しの経験であってもすぐに自分はわかっている、もう知っている、 理解していると思いたがるパターン。 もしかすると、●自分は特別で一番だ というパターンにもつながっているように思いました。 「自分はわかっている。なぜならば、特別で一番なんだから」 「自分は特別で一番だ。なぜならば、自分はわかっているんだから」 とどちらを理由にしてもつながります。 そう思うことでパターンは威力が増しますます満たされる。 でも、そこに相反するパターンもあって、 ●自分は劣っている  というのも自分の中ではとても根深いものだと感じます。 ここを打ち消したいがために、 自分を誇示するようなパターンを作ったようにも思います。 心の奥底には、劣っていることを信じる力の方が強くある。 それをどうにかしたくて、 わかっているとか特別だとか思うことで自分を成り立たせてきたのかもしれません。 ということは・・・ 他人より劣っているのではないかという恐怖心がそうさせています。 劣っていると、他人から必要とされないのではないか、 自分の存在価値ってないのではないかと思い怖いのです。 やはりパターンって、 恐怖と不安でできているんだな。 また食べたいな、ばっけピザ

自分はわかっているというパターン

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今日は月1回の勉強会の日。 ちょっと風邪気味でしたが、 やはり行くといろいろ話をしていくうちに元気になります。 みなさんいつもありがとうございます。 今日は最近の話をそれぞれにしてもらい、 参加者は全員がそのことについて感想なり質問などしながら 相手を知るということをしました。 そして、自分の話の番のときは、自分自身を知るということにもなります。 私の話は、先日美容室に行ったときのこと。 数分遅れて行ったことが発端でまずはパターンが引っかかりました。 感情は、イラ立ち、悲しい、苦しさでした。 その後も、美容師さんとの会話から~ちょいちょい引っかかりまくり、 感情は、むなしさ、イラ立ち、不快感です。 そうやって正味2時間程度の間で次々反応していく自分をみてました。 少し整理するようにみんなへ話していくうちに(話すって整理されますね)、 自分がかつて美容師だった頃があるために、 さも美容師の心境やオーダーについての事情など 知っているから、わかるから、こうなんだよね~って言っていることに気づかされました。 自分はわかっている、理解している。 なのにそういうふうにイラ立ったりしてはいけないと、 そんな自分じゃないでしょ? 美容師の事情も知っているんでしょ? いいお客さんでいたいんでしょ? と悪魔のささやきじゃないですが、 パターンを抑え込もうとするプライドの壁が立ちはだかったのでした。 この、自分はわかっている、知っている、理解しているというプライドは、 仕事のときもあって、 仕事中に引っかかったもの(パターン)を素直に出させようとしないのです。 そんなことでイラ立つような自分ではないと、 パターンを否定するパターンです。 よくあるのが、自分が経験したことについて、 経験者だからその人の気持ちがわかるんだよね~っていうものです。 経験者だからといって全く同じ体験ではないし、 捉え方も意味付けも全く違っているのに、 それでわかった気になってしまうのだ。 でも、これもパターンなので! ケアしていこう。 実家の玄関先のたぬき いつも見守りありがとう

今の自分に必要なもの

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一日の終わりに、 今日その日に感じた小さな感謝や幸せ、 良かったことを思い出して眠りについています。 でも・・・ ポジティブな方だけちょっと特別扱いしていないか? とふと思いました。 ポジティブもネガティヴもどちらもあっていいものなのに、 寝る前だけはそんなことをして一日を振り返っていたりする。 どうしてそうするようになったのか・・・ 自分はまだまだネガティヴな感情・感覚に飲み込まれる事が多いので、 感情をただそのまま受け止める。 (飲みこまれるというのは思考がぐるぐるするということ) 今はそれの練習の一つでやってみています。 っていうことを思い出す・・・。 今の自分に必要なものを、 いい感覚のものをちょっとやってみようと思い、 やってみている私なんだなー はりきってモーニングに行くの巻

はじめて講座 2026年3月

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今月の 【はじめて講座】 は~ 3月29日(日)13:45 やはぱーく活動室Aとなっております。 チラシを作り忘れてしまい・・・今のところお申込みはありませんので、 よろしかったら、気になっていた方がおりましたらこの機会にどうぞいらしてください! ―――――――――― 先日、温泉に行った話をしましたがー 翌日からの仕事のときに、毎回少なからず「ああ~明日から仕事だなあ」 って思ったりつぶやいたりする私が、 今回なかったことに後から気づきました。 楽しくくつろぎの時間を過ごした後に、 それも楽しければ楽しいほど、 いつもは現実に引き戻されるような不快感を感じることが多いのですが、 それが今回は・・・ない! 場所が、近場であったから あまり非日常的な感覚がなかったというのもあるかもしれません。 旅行や遠出の外出には、多少なりとも羽目を外すということがありますが、 もしかすると、だんだん仕事中であっても休みでも、 「素」の自分でいる時間が増えてきているのかもしれません。 そしてもう1つは、 今、何を感じている?の問いに対して、 「私」と「パターン」しかいないという状態は変わることがない。 このことが自分の中で、 いつなんどきでも特別な自分というものはない。 という感覚が継続されていて、 その感覚の静けさというか安心感のようなものをこの頃感じています(表現がむずかしいけれど・・・)。 これから花巻東の選抜がはじまります! テレビの前で応援したいと思いまーす。

このまま行ってみよう

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ポジティブな感情もネガティブな感情も どちらも解放しましょう、手放していきましょう! っていう心理学というのか、スピリチュアルというのか、量子力学というのか・・・。 そう言う話を聞くと、 それができるようになる方法を教えてもらえば、 これで自分は幸せになれると思う人は多いのではないでしょうか。 ポジティブがいいということじゃなく、 ネガティブが悪いということじゃなく、 どちらの感情もゆるせるようになりたいって思う人は ひと昔前よりもあたり前なくらい増えたような気がします。 でも、その方法はあるようでいて無い。 無いというのは、一度きりでそうなる方法はないということ。 ただあるのは、自分を知ることへの探求をし続けた先に、 自分のどんな感情をもゆるせるようになってきている・・・ ということはあるかもしれません。 知っているつもりほど無知なことはないし、 無知だと思うから、ゆがみなく自分を見ていこうと 何度も謙虚に純粋に自分という感情のかたまりをみていく。 それだけではなく、 時に絵画を見るように音楽を聴くように、 感性をつかって自分の芯の部分をふるわせたり、 心にすがすがしい風が吹くような、 心地良さがあるものを選び自分に与えてみる。 そういういろ~んなことをやってみて・・・ 自分という個体が最後は精神性だけを求めていくのではないかと思います。 健康な肉体でもなく、恵まれた環境でもなく、 心地良いものだけに囲まれることでもなく、 どんな自分をもゆるせる精神性への探求です。 何も変わらずそこにいていい。 そう思えるまでの道のりが 誰にでも用意されていると思うし、 それを選ぶのか選ばないのかも自由な意志がある。 ここで暮らしている日常そのものが探求。 もう別のなにものかにならなくていいんだって、 このまま行けばいいし、連れていってもらえばいいって思うのでした。 池や川にいないと思ったらこんなところに…いた!