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本物にふれる秋

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ガルシア・ガルシアさんのピアノの余韻。 言葉を発することがないのに、 たくさんの言葉がそこにあるようでもあり、 また無言だから感じられる「私」の世界。 春秋あわせて全国20か所をまわったコンサートだったようですが、 東北はこの福島だけ。って何で? 何かのご縁があったのかもしれませんが、 やはり、日本屈指といわれる 素晴らしい音響を誇る場所だったから選ばれたのでしょうか。 木製の床、タイルの壁、高い天井に目がいきます。 盛岡のマリオスホールにあるパイプオルガンとはまた違った雰囲気のあるオルガンに見守られて、 ガルシアさんのピアノが真ん中に置かれ、 休憩時間には調律師の方がピアノに触れていました。 天才が選んだ場所。 なんか一流って・・・本気度が違うんだなと感じます(それはそうだよ!)。 もう、数年前まで自分は凡人だという認識がうすかったことを思うと、 本当にどうすればそんなふうにパターンは思っていたのか・・・ ものすごく恥ずかしい。 それが自分(パターン)というものなんだな。 素朴な福島は、方言もやさしく、 歩いている人たちの速さもゆっくり、のんびり。 宿泊したビジネスホテルでは、 朝食で残ったキノコの炊き込みご飯をおにぎりにしてくれたり、 地元のお豆腐の味噌汁もおいしかった。 なんだか、 民宿にでも泊まったかのような気分になりました。 そして、福島って果物大国なんですね。 岩手にもガスボンベに滝沢スイカが描かれていますが、 こちらは、可愛いらしい桃でした! 翌日は、カウンセリングを受けに茅ヶ崎へ。 これまで何か月間、 今、何感じている?とワークの日々でしたが、 そこは大分感じられてきているので(そういうところも素直に確認)、 これからは、 今、誰が言っている?とワークの日々へと進化していこうと思います。 やはり、先生とのカウンセリングは、 今の自分にとってはなくてはならないものです。 もしかしたら、 考えてばかりいる自分はダメだって、 もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・ すぐに考える自分をダメだと責めるパターンに語りかけ。 これだけなんだよ、これだけ!と思い家路に着きました。

ガルシアさん

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ピアニスト、マルティン・ガルシア・ガルシアさん。 街角ピアノの番組を見たとき、 どこに行っても飛びきり明るくて感性のかたまりのようなガルシアさんに魅了されました。 こういう人が弾くピアノをいつかちゃんと聞いてみたいって思っていたら、 なんと東北に来るというので行ってきました。 新幹線は福島駅で降り、そこからバスに乗って、ふくしん夢の音楽堂というところへ。 乗り物も初めての街の景色もわくわくします。 知らない土地に行くってやはり自分は好きだなあって思う。 コンサートが始まってすぐ、ピアノ以外の音が聞こえる?と思ったら、 演奏しながら歌っているではありませんか(ハミングしていると言えばいいのか)。 今までそういうピアニストを見たことがなかったのでびっくりでした。 自由だなあ。 そして、消えうるような音と、 ピアノってこんな音出るの?と思うような激しい音。 聞いたことのない音を感じるって異世界でした。 音にひたり目を閉じると、 自分の体が音楽堂を飛び出して空まで飛んで行くようで、 しばし宙を漂うような異空間にいるような不思議な感覚になりました。 そして、途中、ショパンの曲が続いたときは気持ちよく寝た(やっぱり寝たかあ)。 あっという間にコンサートは最後の曲へ。 日本が大好きというガルシアさんの愛とサービス精神がここから本領発揮で、 なんと、アンコールの拍手で5曲も演奏をしていただきました。 ブラボー!!! 帰りに、そう言えばガルシアさんって日本語を話せないというのもあるけど、 一言もしゃべらなかったなあと。 それなのに、あんなに観客と一体になれるって・・・すごい。 曲の説明など何もないのもまた、 ただ「私」が感じるままにいられて良かったなあと思いました。 世界的ピアニストの魂の演奏をまた聞きたいです。

感情論って

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感情を大切にしている自分にとって、 感情的になってもしょうがないとか、感情論でやってはいけないとか、 感情を否定するその手の話になると、 ●感情を大切にするべき、というパターンが騒ぐのがわかります。 でも、そういうことを相手も言っているのではないかもしれない。 って、この頃思うようになりました。 感情を持つからこそ、自分のパターンに気づくことができる。 そこを、感じることが悪いこと、無駄なこと、 大人なのに見苦しい・・・という意味で使っているのではなく、 感情のままにというのは、 ここで言う黒パターンのままに不快感を持ちながら、 その不快感をどうにかしたくて行動することは、 それは黒パターンで生きるということであり、それは違うということなんだなと思う。 やり方を変えるとか、仕組みを変えるとか、 何かを変えようとするときに、 先に感情があって感じるからこそどうにかしようと考える。 感情論でやってはいけないというのは、 黒パターンのままにやってはいけないということだから、 (ここまでは誰もがわかっていると思う) それを頭で理解するのではなく、 ちゃんと黒パターンがあることを知り、 白パターンがあることを知り、 そうやって心底、本当の「私」だったら?という選択ができるという意味なんだなと受け止めています。 ちょっとややこしい話になりましたが、 それが、自分にとっては腑に落ち、そうやっていきたいなと思いました。 朝食 ライ麦パン

韓ドラを見て

韓国ドラマをたまに見ますが、 日本のドラマと大きく違う点が、感情の激しさかなと思います。 韓国人がみなそうだということではないのでしょうが、 日本人の方が断然、 人前で感情を出すのは恥ずかしいことだ って思っているのではないかと思いました。 ドラマでは、悲しむにしても怒るにしても泣くにしても、 その口調や表情にそのまんまを現し、 そこがまたおもしろさでもあったりします。 嬉しさとか楽しさはそんなに変わらない気がするけれど、 ネガティブさに関しては、言い方を変えると、 とても素直にまっすぐにネガティブを出せるんだなあって思う。 今、何感じてる? という問いで感情をあえて感じてみることをしていますが、 今日はすごく忙しかったというのもあり、 一日の中で1回だけでした。 でも振り返れば、焦りも不安も、緊張も、恥ずかしさも、イライラも、 いろいろ気持ちが動いていた。 なのに、それらを表現することもなく、 ただただ仕事をこなしていた自分を思うと、 韓国ドラマだったら、こうは描かない。 何とも微妙なキャスティング・・・と思いました。 明日はちゃんと感情に意識を向けて過ごしていこう。

「私」は分析しない

突如、相手の話し方が気になる(って思うパターン)。 そっちに気を取られて、肝心な話の内容が入ってこない。 感情で言うと、 不快感、イラ立ち、気持ち悪さ、耳障り? どういうパターンなんだろうって考えると、 甘えた言い方をすべきではない。 というところで引っかかっている気がします。 そう言う自分も、 鼻声で聞きづらいと思うし、 電話だとしょっちゅう聞き返される。 声だけに留まらず、話し方だって癖があって、 よく主語がないねと言われます。 パターンって、 自分を棚にあげるの大好きなんだなあ。 いつも棚にあげては、他人のいろんなことを見て分析している。 そういうことに気づくと、 「私」ならば分析しないんだろうなって想像。 分析せずに、ただケアをする。