成長したい願望
少し前までは、成長したいとすごく思っていたことを思いました。 (過去の話ではなく、今も普通にあります) 道場で学ぶ仲間の中でも一番に成長したかったし、 職場でも成長した自分を感じたかったし、 あらゆることにおいて、人生が終わるときまでに、 何とか少しでも人として成長してから死にたいと思い、 自分の内側をもっと見なければとか、 先生の話を理解できるようにならなきゃと思っていた。 でも、ふと気づくと、 そういう成長の種類といったらいいかが変わってきて、 願望がだんだんなくなってきているような気がしました。 かと言って成長しなくないわけではないんですがー。 最近言葉にしていないだけというのもあるけれど、 成長という意味付けが変わってきている?のかも。 「成長する」のプラスの意味付けは、 ⊕ 以前とは異なる広い考え方ができる、悩み事に対して前向きになれる、少々のことでは動じなくなる(でも感情を大事にしている)、対処できることが増える、他人と比べなくなる、感謝や思いやりをもてる、自分を自分で引き上げられる、成長しているのかどうかを確かめようとしなくなる、白も選べる 中立は、成長するというただ一つの事象。 マイナスの意味付けは、 ⊖ 動じると成長をしていないと感じる、何でもポジティブに考えようとする、知識が増えることで自分の成長を図る、成長しているかしていないかの基準で人を(自分を)見る、自分を大事にすることと自己中心がごちゃまぜになる、パターンでどんなふうに生きてもいいと考える なぜ、こんなにも成長することにこだわっていたのか・・・ そうなれば、嫌なことが起きても大丈夫な自分でいられる。 (嫌だと感じることがなくなると本気で思っていた) ひどく落ち込むことも、傷つくこともなくなるはずだと。 なんなら、パターンに引っかかるのは成長していない証拠だ。 そんなふうにも思っていたんです。 (パターンを敵対しているパターン) 意味付けのワークをすると、 自分がどうありたいと思い始めているのか、 ここからも、少しずつ見えてくる気がしました。 そして、成長を願って得られるものではなく、 自分に準備が整っていれば・・・ということなのかなと思います。