投稿

感動する気満々

イメージ
WBCが観たいがためにNetflixをはじめました。 いろいろ映画もドラマも見れるということで、 早速見始めたら、午後まるまるTVにかじりついてしまいました。 そして夜は夜で野球がはじまり、またかじりつく・・・ でもまだドラマとは違って、 スポーツは何も手につかなくなるってことはないです。 それにくらべて以前、はまった韓ドラはやばかった。 連続して観ないと気がすまず、 明け方まで号泣しながら観てはまた翌日も懲りずに何時間も観る。 もう主婦業が成り立たなくなってしまったのでした。 ドラマが止まらなくなるのは、その先や結論を早く知りたいからで、 その世界にどっぷり浸かってそこから出たくない。 というものもあるかもしれません。 ええーー!どうなるの~~?っていう期待が満たされるドラマ。 非日常感にパターン騒ぎまくってますね。 ということは~ やっぱり何かしら満たされたいものがあって ドラマや映画にはまるのでしょうか? WBCに関しては、やはり2023年の感動をまた味わいたいのかも。 一人一人にドラマがありますからね。 あ、やっぱりここにもドラマに期待する自分。 感動する気満々で観ています。 牧選手のこの真顔が好き

中村天風さん

イメージ
先月、道場でいただいたプリントの中に、 中村天風さんの書いた文章がありました。 それを朝のお祈りの後に音読したり、 カバンに入れていつでも読めるように持ち歩いたりしています。 読むと心にじんわり染みわたり、そして元気が出てきます。 天風さんの本をはじめて読んだのは20代の頃で、 天風さんの病気と自分の病気が重なり、 考え方が変わるだけで完全に生き直すことができるんだと 当時本を読みあさったのでした。 でも、本を読んだだけでそう簡単には人は変わらない。 変わらないけれど、その時の自分なりの捉え方の中で 少なからず肉体としては大きな影響を受け、 病気が変化していったというのも事実です。 でも、それはこの本だけではなかったと思うし、 食事療法や自然療法、大自然の中で過ごすなど、 今までとは真逆な生活によって細胞が変わっていった・・・ または、たまたま病院の治療も効果があった、 ということがあったかもしれません。 いずれにしても、実際に天へ祈り、 すべてをおまかせしようと思うようになってから少しずつ体がよくなり、 結婚もし子育てもし、人並みにも働くようになった今がある。 あんなモヤシのような自分が今日まで生きてこれたのは、 何かに(宇宙に)生かされているからとしか言いようがないのです。 そして、今また天風さんの本を読んでいる。 はじめて読むかのように噛みしめながら読んでいます。 噛みしめてはまた戻って読み返したり、 あの頃とは全然違う本に思えます。 (え?こんなこと書いてあった?と思うほど違う) 今度は、病気直しのために読むのではなく、 魂のやりたいことをこの宇宙にゆだねながら 少しでも自分を整えていきたいと思いながら読んでいます。 爽やかな水色 文庫本で持ち歩いてます~

空気のような人

イメージ
そんなに会ってはいない(よく知っているわけではない)けれど、 会ったときにとても心が通じるような、風通しのよい人っています。 それは大抵、自分のパターンを満たしてくれる人。 という見方もできるのですが、 必ずしもそうとも言えないのではないか・・・ なんとなくその人のあり方というのかな、 どういう感じ方、考え方をするのか。 そこに「快」「不快」というはっきりしたものはなく、 なんか無理がない自然な感じがそこにはあるのだと思います。 そういう人がだんだん増えてきている。 空気のような人たちと言ったらいいのか。 もしかしたら~ですが、 自分自身少しだけ人に対する決めつけが弱くなってきているから そう感じるのかもしれないし。 以前だったら、この人はこういう人だから~とか、 いつもこういう考えなんだよね~とか、 そういう自分で決めつけたもので人を見ているんだなあと思いました。 そんな決めつけが薄れていくと、 結局、自分が楽になっていく。 人との違いも、ああ、違っていていいんだなとストンと落ちてきている気がします。 少な目に盛ってもおかわりする

話を聞きながら考えるのをやめる

イメージ
この頃、話をちゃんと聞くということを意識的にやってみて、 ちょっと分かり始めたことがあります。 相手の話に集中すると、 その人が何を言いたいのか、または言わんとしていることは何なのかが よ~く聞いていくと話の中にちゃんと出てきているのです。 ちゃんと何を言っているのがわかる。 本当に何を今まで聞いていたんだ?と思うくらい、 何だか聞くということが今とても楽しくもあります。 だから、今までの人生半分損している・・・とまではいかなくても、 それでもすごくもったいないことをしてきたと感じました。 今はもう会うことができない人に対してもそうですし、 天国に行ってしまった人にもそうです。 そして今生きている人に対しても、 もっとちゃんと「聞く」ということが自分が誠実にできていたならば、 話の内容だけでなく、その人への理解も違っていたと思うのです。 そして最大の癖である、話を聞きながら自分が話すことを考える ということをできるだけやめたい。 違うことを考えるっていうのもやめよう。 それがあっては、ホント何も聞いていないと同じかも。 これからも、仕事でも家でも、 いろんなところで実践あるのみ。 言葉をもっと大事にしていこう。

可愛い動物たち

イメージ
このところお天気がいい朝は、 空を見あげると白鳥たちが団体さまで飛んでいます。 旅立ちが近くなると、 よく声を出して何か合図を交わしているのか? ただ飛んでいたころと違ってどこか活気がある。 空を飛ぶ白鳥たちのあのお腹の白さを見ると、 ああ触ってみたいな~と思う。 絶対に人間には触らせることのないお腹。 でも、犬を飼っていたころはよくお腹を出して、 たくさん撫でてあげてかわいがったことを思い出します。 先日は、高松の池のベンチでお昼のパンを食べていたら、 次々とすずめが集まってきて、 (きっとパンのおこぼれを狙っていたんだと思う) すずめから寄ってこられたのははじめてでした。 今にも手ですくって捕まえれそうだけど・・・捕まらないだろうな。笑 こちらもすごく可愛い。 これからだんだん春が近づき、 犬の散歩に出会ったり、小鳥の泣き声を聞いたり、 我が家の庭を堂々と横ぎるネコたちにも会える。 今はペットを飼っていませんが、 一歩外に出れば、動物たちに癒される生活だということに気づきます。 よく見ると飛んでます