何も発信しない

PCを開くとネットニュースも同時に立ち上がるのですが、
ニューヨークで暮らしている元皇族の眞子さんの、
「自分から何も発信しない」ということが話題となっていました。

今や一般人でもSNSでプライベートを見せる時代。
眞子さんについてのいろいろな誤解や偏見と思われるような記事が書かれているのは、
有名人であるから仕方がないと思いつつも、
ベビーカーを押すありのままのお写真を見ていると(撮られたものですが)、
よくわからないけれど日本を離れて良かったのではないかと思います。

一切否定もせず肯定もせず、
自分たちの生活はそんな世界とは無縁であるかのように、
何も発信しない眞子さん。
そして、それが気になってしかたがないという人たち。
発信があたり前の人たちや上流階級の人たちにしてみると、
とてもミステリアスで、かえって注目したくなるのだと書かれてありました。

何も言わない。
これが、一番自分たちの生活を守れるものだと知っているのだろうと思います。

自分に置き換えてみると、
言われるゆえんがない事を言われたとか、
自分が正しいことをなんたって証明したいとか、
わかってほしいとか、気づいてほしいとか・・・
それ、違うんですよ!と言いたくなる時があります。

でも・・・
そのとき自分はどうありたいのか?
ということなんだと思いました。

わかってもらうように話すのか(時と場合にはこれも必要かもしんないけど)、
気付いてもらえるように仕組むのか(誰かに言ってもらうとか?)。
SNSで発信ということはしないにせよ、
アナログなやり方で何とか自分を知ってもらいたいとするだろうか?
それは・・・たぶん、しないと思いました。

でも、「したいけど、しない」なのか、
「全くしたいと思わない」のかでは違います。
前者の「しない」というこれもある意味パフォーマンスなのかもしれませんが、
それがやがて後者の「しない」になれるような自分になりたいです。

っていうか、
そうなろう!と決めていく。




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