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2025年よありがとう~

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2025年もあと数時間で 年が明けるという 一つの区切りがあります。 こうして、 いろいろなことに区切りをつけて 来年を新しい気持ちで迎えることの ありがたさ。 本当はしたかった 年末の大掃除もやってなくて、 年内に終わらせたいと思っていた いろいろなことも、 中途半端なまま年を越す・・・ でも! こんなふうにそう思い通りにはできない ということを、 そういうことからも 教えてもらっているなあと 思えた自分がいました。 一年がんばった、学んだ、やった。 そして、 全然わかっていないことがわかった。笑 今年は途中から 毎日書くことに決めたブログ。 自分の心の整理と、 ときどき講座の告知と、 読んでくださっている方へ感謝しながら 書き続けることができました。 本当にありがとうございました。 これから実家へ行って、 みんなで紅白見ながら過ごします。 皆さまも良いお年をお迎えください!!

しっかり受け取って

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気づいたことをいつもノートに書き綴っていますが、 一年振り返ってみて、忘れたくないと思うことを 今の自分のためにまとめてみました。 ・現実を知る(自分を歪みなく見る勇気) ・プライドでパターンを隠さない ・苦しさに飛び込んでいく ・人生(天)があなたに何を求めているのか?(フランクル) ・こういう日もあるよね ・「私」は全然そうは思っていない ・「もしかしたら、〇〇って決めつけなくても、もう、いいのかもしれない・・・」 ・パターンへ光をそそぐ ・パターンは大げさ、極端 ・自分にとって平たく身近な言葉を使う ・その黒パターンを持ち続けることのメリットは何? ・パターンは今すぐ知りたい。「私」はわからないままでいい。 ・才能とは、自分で何かができると信じること ・語りかけはカラっと! ・100%の健康よりも100%の精神性(柔軟性) ・どうありたいのか?は瞬間的にわかるもの ・引っかかった最初のものを拾い上げる ・あ、これってパターンだな ・創造と破壊 ・「私」の中の母性と父性 ・心のシステムと宇宙のシステムは共鳴する ・その動機で宇宙は歓迎しているか? ・間違っているから成長する なんか魂の道場名言集のようになりましたが・・・笑 どれだけのことを実践できたかな~と思うと、 まだまだだけど伸びしろがあると思ってやっていこう。 そして、 すごい豊かで恵まれた一年だったことにあらためて感謝です。 苦しいことにも率先して、 あちらから与えられたものを拒むことがないよう 来年はさらなる勇気を出して受け取っていこうと思いました。

決して一人ではない

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魂はいつまでも永遠に、 人間だったときと変わらず、 その魂のまま生き続けている・・・と思っています。 ご先祖様方から、ご縁があった方々、 また、会ったことはないけれどきっとあの世に帰ったときに 自分を迎え入れてくれるものたちがいるのではないか。 だから肉体を持って今生きている私(たち)を見て、 守ってくれたり、警告してくれたり、 何かを教えてくれていたり・・・っていうことがあると思うのです。 目に見ることや確かめることのできるものだけが、 この世のすべてではない。 そう深いところでは思う一方で、 結局、見えている世界にほんろうされることはしょっちゅうある。 (この矛盾よ) 見守られていると感じるどころか、 なんでこんなことが起きてしまったのか? 疑問を投げかけたり、他者を責めたり自分を責めたり。 また、解決できたときは、 一人でがんばっているような気になっていたりすることもある。 どんなに幸せを感じていても、どんなに苦しくても、 決して一人ではないということを いつもいつも忘れないで生きていたい。 どうありたいのか?を問うことも、 魂がいつまでも生き続けていくという、そもそもがあるから。 今はこの肉体をもってしかできない経験を積み重ねているんだなあ。 なんかそんなことを感じた一日でした。

本日空いてます

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【はじめて講座】 毎月お一人様に向けて 心のカラクリとミニカウンセリング体験をやっています。 今日は予約がなかったのですが、 やはぱーくにおりますので、どうぞ気になった方はいらしてください! 事前にご連絡いただかなくても大丈夫です。 やはぱーく(活動室A) 14:10~15:30 読みたい本を持ち込んで読書をしようか、 語りかけを作ってみるか、しようかな。

小さな「私」

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自分がなんとかしたいというパターンは、 いつも心の中に存在しています。 それ以外にもたくさんパターンはあって、 なくなることはないので・・・ でも、それが問題ではない。 その存在を自由にしてあげられていない「私」の小ささなのだと思いました。 そしてそのまだまだ小さな「私」であるけれど、 そういう自分をちゃんと自覚していきたいし、 そんな「私」であっても、 パターンを包み込む力があることを信じてやっていこう。 今年も一年あっという間でした。 仕事について言えば大きい変化の年でした。 たくさんの人が自分の先生となってくれて本当にありがたかった。 そして、たくさん悩み思考し(パターンが騒ぎ)、 それを何とかしようとしないこと、 また何とかしたいという自分がいつでもいることを学んだ一年だったと思う。 残りのカウントダウンは、 家族や身近な知人・友人たちとの関わりを大事にながら 自分のケアに励みます。 夕飯前のおやつ

自分がなんとかしたい

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明日は仕事納めとなりますが、 最後に謝罪という仕事が残っています。 心から申し訳なく思い、 自分が見切り発車してしまったことを謝りたいです。 何とかなると安易に思ってしまった。 できないことをできると言ってしまいました。 そうしたい自分がいたのです。 自分がしたいと願うことを全部できるわけではない。 思い通りにしたいというのは自分のパターンだから。 でもそういうことを、 わかっているようで全然わかっていなかったんだと思いました。 どれとどれが自分が与えられていることで、 どれとどれが与えられていないことなのかを見極められませんでした。 パターンとしては、 ●自分がなんとかしたい、です。 なんとかできるのかもしれないと思っていたし、 なんとかすることが良いことだとも思っています。 とても傲慢なパターンがいたのだなあと、 そんなパターンと一緒にいられるように母性を使っていきたい。 喜咲さんの中華そば 温まります

「私」の母性

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イライラする、腹が立つ、悲しくなる。 このようなネガティブな感情が出たら、 何かしらのパターンが心の中にいるんだなとわかります。 そのパターンを母性で受け止める。 泣く子をあやすように母である「私」が、優しく抱きしめる。 ・・・っていうところを飛ばして、 父性の私がもう登場していたんだなと思いました。 すぐに「そうだよね、あなたは・・・」と代弁しようとする。 母性を使ってとなると、 女であるのに自分の中にもそういうものがあるのかどうなのか、 ちょっとわからなくなります。 (ここもぐるぐると考えてしまうんだなー自分) 泣いている子をただただ、よしよしって、 背中をぽんぽんと優しくたたく。 子どもの頃を思い出そうとしてみますが、 そういう経験ってあったのか、なかったのか・・・ でもなんとなく思い出せるのは、 温かい手でいつも自分の手をにぎってくれていた両親。 そういう感じが自分にとっての安心(母性)のように思う。 また、自分が子どもにしてあげたことを思い出すと、 ぽんぽんもあったけれど、 一緒にゆらゆらって感じだったかなあとか。 感じてみる。 母性もいろいろ。 パターンにどうしてあげたいのかな~ 「私」ならどうしてあげたい?

啄木の魅力

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盛岡劇場で、舞台『泣き虫なまいき石川啄木』を観てきました。 岩手の詩人といえば、宮沢賢治の方が有名だと思いますが、 啄木の詩や短歌は凡人にもわかりやすく、すぐに情景が浮かぶものが多い。 かざらない素直な表現がす~っと胸に届く感じが好きです。 私は演劇が好きというよりは、 少しでもそのとき自分の興味が向いているものに 関連するものを観たくなります。 先月、わらび座で観た『秋田は何もない』もそうです。 その頃秋田へ通い慣れ親しんでいたため、 その土地のもつ豊かさ素朴さに惹かれて 秋田の良さにはまっていたから観にいきました。 今回のこまつ座も、 一冊の本を読んだことをきっかけに、 啄木という人間が気になってしかたなかったのでした。 たった26歳でこの世を去るまでの生涯って、 どんなだったんだろうって思った。 どんな育ち方をして、どこでどんな暮らしをしていたのか。 自分の結婚式に来なかったことや、借金だらけだったことなど、 ものすごく自分勝手に生きた印象がある啄木ですが、 本当のところはどうだったんだろうって思います。 啄木は26歳で亡くなるまでたくさん作品を残したのかもしれませんが、 それよりも日記を書き綴ったことにすごさがあります。 毎日の苦悩の中でも交友関係があり、 家族との葛藤がありながらも何とか稼ごうとした。 その生活日記があったからこそ、 今自分たちが親しみをもって啄木のことに思いを寄せられるのでした。 今私も、こうして日記を書いていますが、 誰かに読んでほしいというものではなく・・・ (当然、啄木と比較してませんよー) 今の思いと事実を言葉にしながら、 自分を作っていきたいから書いているのかもしれないです。 それにしても、舞台やる人ってなぜにあんなに声が出るのでしょう。 すごく気持ちよさそうだしカッコイイ。 昨日のケーキがひっくり返った!

クリスマスケーキ

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今日はクリスマスケーキをいただきました。 ちひろさんの甘くないあっさり生クリームが本当に美味しいです。 スポンジもフワフワでいくらでも食べれそうですが〜明日の楽しみに残しておきました。 子どもの頃のケーキといえばバタークリーム。 ほどなくして生クリームが主流になりましたが、 頭の中はあの口触りが重たいバタークリームがまだはっきりと印象に残っていて、 クリームが苦手なためにショートケーキが食べれませんでした。 先入観ってすごいもので、 その後もシュークリームもバタークリームなんじゃないかと警戒し・・・ 大人になるまで手が出ませんでした。 毎年クリスマスシーズンになるとそんなことを思い出します。 普段から苦手だなと思っている人のことも、 苦手に感じた出来事が過去のことであっても、 今も引き続き、この人は苦手なんだと自分で決めていることがあります。 そして未来に向けても、 これから先もきっと嫌な人だろうと決めて関わり方を考えていたりします。 過去でも未来でもなく、今の自分をどう作っていきたいのかを決めるには、 それら全部破壊する必要がある。 先入観を破壊・・・そして創造。 またそれを破壊して新たな自分を創っていこう。 甘くなくあっさり なんぼでも食べれるケーキ

隙をあたえない

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別に考えるのが悪いわけではないけれど、 パターンで考えているときは堂々巡りだったり、 パターンの理想を叶えようとしていたりするので、 それは本来ありたい自分とは違うんだなと思います。 パターンが描く理想は、 あくまで本当の「私」がなりたい姿ではないため、 そんな理想について「私」は何も感じるものもない。 パターンを否定するわけではないし、 「私」はこだわりも執着もないのでどうにでも変化していきます。 無感情なところでただ与えられるものを受け取っていく。 その変化に、流れる水のようにかたちを変えていくだけ。 与えられたものを受け取るって、 そこに思考(パターン)を登場させる隙をあたえてはいけないのかもしれません。 今に生きるのだから、あれこれ考えている場合じゃないっていうことでもあります。 考える暇があったら行動を起こそう。 与えられたものを活かすための行動を。 そうそう、考えるくらいなら何かしよう。 大吟醸を使っている甘酒!  美味しいよ~

今、話を聞こう

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今日はクラスの勉強会でした。 だいぶ疲れていたこともあり一瞬参加を迷いました。 でもやっぱり行って良かった~と思いました。 (ここは語りかけをしてから参加) いつもファシリの方がテーマを出してくれますが、 今回はほぼほぼおしゃべり。 ノートも取りません。 いつもよりみんなで感じたことを話せたし、 お互いの話もじっくり聞けたような気がします。 クラスの在り方も進化していて、 パターンだとわかって話すのはもう気持ちが悪く、 むしろできなくなっているんだと思う。 俗にいう本音で話すというのは、 パターンで何でも言い合うことではないし、 いつでも、自分はどうありたいのか? というところに立っているんだなと感じました。 私は、すぐに頭で考えてしまう癖がついていることを さらに認識した時間でした。 仕事中はそういう場面があったとしても、 やはりそこから離れたときはもう、 思考ではなく感じるもの「私」として生活したい。 それくらい意識的にやっていないと、 仕事時間が終わっているのにまだ頭はその続きをやっていて、 より良い方法はないかと考えていたりすることがあります。 仕事が好きということも多少あるかもしれないけど、 こういうことをしていると、 頭が休まらないのだと思いました。 (これも頭痛の要因の一つだ) そして何よりも、今を生きるというところから大分離れてしまう。 昔よりは感じることを大事にしているとは思いますが、 もっと今に没頭できたらどんなにいいかと思う。 そこに少しずつ気付いてこれたのも良かったです。 帰りはすっかり暗くなり、 眠気にも襲われてしまったので、 しばしコンビニの駐車場で寝てから帰りました。 帰宅後、 夫に今朝聞いた話のこと(夕方の約束)を全然覚えてなくて、 めちゃめちゃ怒られました。 忘れたのではなく記憶になかった・・・ ほんと私って「今」にいないな~と反省。 ちゃんと人の話を聞く。今、聞く。 一日に何度か、今何している?と問いていったらいいのか。 みなさん今年一年ありがとうございました。 とろろ蕎麦が一番好き♪

宇宙から歓迎されるように

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何をするにもそれをする動機が大事だと思います。 宇宙が歓迎しているかどうかの動機。 後から理由をつけることもできるため、 正当な理由とか、誰かに話したときに納得してもらえそうな理由とか、 いろいろ考えることはできると思う。 でもどうしてそれをするのかは、自分が瞬間的にわかっていることで、 時間をかけてあれこれ考えているようでは、 きっとその動機はいまいちなんだろうな(宇宙から歓迎されていない)。 どうして、それを言ったのかとか、 どうして、そういう態度をとったのかとか。 パターンで言ったり、パターンがそういう態度を取らせてしまうことは、 反射的にあると思うけれどそれが悪いのではなく、 なぜそのような自分がいたのか? ちゃんと見たいと思います。 リースに見えないけど、表現したいことはわかる

それをする自分はどうなのか

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奥羽山脈もこれからもっと雪が降って道も悪くなってくるため、 今日でわらしべマーケットは私だけ冬休みに入ります。 私はこのイベントで何をしているのかというと、 たまにオラクルカードを引いてもらってお客さんとお話ししたりしています。 ほとんどそれだけなんですが~ でも毎回子どものように楽しんでいます。 はじめは、こんなちょっと怪しいものを引かせてふざけ過ぎてないかと、 うさんくさい人に思われるのは嫌だなと思いました。 ややもすれば、自分が一番したくないことをやっているのではないかと。 そこにカウンセリングとのギャップを感じてしまうからです。 でもやってみると、 相手との話の中で内省しているような感覚があり・・・ 自分の中のパターンがここで見えることもあります。 これって、遊びに見える中にも自分を見ることはできるし、 何をしていたとしても自分を見ることはできる。 って気づかされた気がします。 そして、そのギャップとは、 カウンセラーはいつでも真剣で真摯的に悩みを正面から受け取めるべきだし、 占いみたいなことをしたり、こういうカードを使ったりするのはどうかと思う・・・ というパターンがあるんだなと思いました。 そしてパターンは、カウンセリングはちゃんとお金をいただいてやるもので、 そうでなければ、やってはいけない、とも思っています。 でも、お金はいただかなくても(物々交換してますが)、 パターンが思うちゃんとしたカウンセリングでなくても、 何か頭の中が整理されたり、自分の気持ちに気づいたり、 ほんの少しでも希望が見えたりということがあるのなら、 それは自分のやりたいことの一つなんだと思いました。 常にそれをする自分はどうなのか? ここを感じていきたいな。 寒そうに見えて…すっごい寒い!

バッハのメロディ

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朝の通勤時、車を運転していると、 ここ最近では見られなかった朝焼けのような空が広がっていました。 今日はお天気よくなるのかな・・・ そう思わせる空。 ふうっと、その空を見ていたら音楽が聞こえてきます。 あ~G線上のアリア。 すごくきれいな音と、雲が散っていく様子がとても神秘的でした。 ほんとうに時々、何でもない時に、 空耳のように自分にだけ聞こえる音、そして美しい景色に涙が出そうになります。 自分がそこに溶け込んで一つになっていくような・・・ しばしそこに浸れる幸せをいっぱいかみしめる。 雲の隙間からうすい水色の空が広がるとき、 バッハのメロディ、この曲が合うと私は思う。 盛岡の新しいお菓子 お米で作ったブラウニー♪

パターンが緊張を呼ぶ

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今日は鍼灸に行って寝てきました。 っていうくらい、始まるとすぐ眠ってしまいます。 口をぽかんと開けて、たまにイビキをかいていること間違いない・・・。 それくらいリラックスしているんだと思います。 ということは、日中は緊張しているということ。 今日は初めて訪問するところも含めて、 あらたまって人とお話しする時間が多い日でした。 そういうときは、ちゃんとしようというパターンが働いていたと思います。 そのパターンが緊張を呼びこむんですね。 でも、ちゃんと、って何を? アホなことを言わないようにとか、 逆に、このおばさん頑張ってんな~と痛そうに思われたくないとか。 できすぎてもダメ、できなすぎてもダメで、 人と話をする時はほどほどに柔らかく緊張せず、 ちょっと楽しくリラックスして対話ができたらいいなと思う。 なんて思うパターンに気づけたらいい。 気づいていない間は緊張でガチガチで、さぞかし疲れていたんだろうな。 喫茶ひまわり スープパスタ美味しいよー

パターンの本心

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今日もたくさんパターンが騒いだ一日でした。 中でも、久しぶりに登場したのは~ ●自分には能力がない、というパターン。 パターンは周囲の反応をみてオロオロしてました。 自分が言っていることって全然論理的じゃないし、 すぐにこの人バカだなと、大したことない人だなと、 そう思われているんだろうなといじけていました。 そして、それを観察する私。 「私」ならば、能力があるとかないとかどうでもよくて、 ないとは思っていないし、あるとも思っていない。 だけどパターンは、自分に能力がないことを証明すらしようとしているようにも見えます。 「だから、仕方ないよね」と納得して自分を守りたい。 というメリットを感じます。 保身のために、傷つかないようにするために、 自分には能力なんかないんだと思っていた方が言い訳できる。 何かと都合がいい。 そういうこと・・・?

ロイヤルファミリー

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今季のTVドラマは2つほど録画して楽しんでいます。 1つは天海祐希さんが主演の「緊急取調室」。 相手に突き刺さるような言葉が役柄ではなく、 天海さん自身の言葉なのではないかと思ってしまうほど、はまり役です。 カッコいいです。 そしてもう1つは、妻夫木聡さん主演の「ロイヤルファミリー」。 こちらは競馬をドラマにしたものなんですがー 単なる勝った負けたの話ではなくて、夢とその夢に立ちはだかる壁と人間模様と、 私的には今年一番の傑作ドラマでした(あんぱんも良かったけど)。 馬を育てる人たちの執念、馬主としての会社存続の危機や家族の確執、 ジョッキーの葛藤、馬の継承と人間の継承。 20年の歳月をさかのぼっての人間模様とレースのリアルさがすごかった。 競馬って、こんなにも多くの人が関わってできているんですね。 馬がさらに好きになって、今や競馬中継も見てしまいます。 そのロイヤルファミリーのテーマは「継承」であり、 最終回は、その継承に対する動機は何か?という場面がありました。 父から子への押し付けられた継承と、 望んで受け取り自分のものへと生み出していく継承。 この二つの動機の違いがドラマ的には最後、レースの明暗を分けるのでした。 そして競走馬って、何代でもさかのぼってその馬の性質や特長を見ていくんですね。 (ほんとに競馬について何もまったく知らなかった私) 代々の馬たちの能力や気質が受け継がれているということを信じて、 またその血が流れていることを馬自身もわかって、 自分のレースをしていくかのようでした。 血統ってここまでなのか!というくらい夢(可能性)がそこにあるのです。 これって、人間も同じようなものではないかと思いました。 自分が知らないご先祖様のとある能力と、気質や人格、 または身体的特徴などを受け継ぎ、今の自分がある。 そう思うと自分は一人であって一人きりではない。 かなり心強いものがあります。 こういう気づきも学びも熱いドラマを持ってこそ伝わる。 かじりついて見てしまうものは、そういうことでもありますね。 ぜひ~、続編やってほしいな。 街は年末ムードです

よく噛んで食べます

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道場が終わりみんなで夕飯を食べていたいとき、 よく噛んで唾液を出して食べることがどれほど体に良いか、という話がでました。 かつて自分も病気をきっかけに、 一口100回~300回と噛んで時間をかけて食べていたときがありました。 そう、ありましたという、遠い過去のこと。 元気になってからも、よく噛むことはずっと習慣化されていたので、 本当に食べるのは遅く、働くようになってからはそれが難点でもありました。 なのに、そのままで良かったのに、 今ではすっかり人並みの速さで食べるようになってしまった・・・ そこで今日は、昔を思い出し意識して噛んで食べてみました。 一口口に入れて箸を置きまずは100回。 ああ、こんな感じだったなあと、 口の中のどろどろ具合とご飯が甘くなっていく感じを思い出しました。 そして、最後には噛むものもなくなり・・・って、なくならないんですねこれが。 野菜の繊維だけが残ります。 スジのようなものが嚙みきれずにいつまでも残る。 これを一生懸命嚙みちぎろうとして顎が疲れてくる感じも懐かしい。 どんだけ今まで、噛まずにきたのだろう。 食事中もTVをつけず、ひたすら食べ物に集中し、 口の中で起きている変化を感じながら味わいました。 玄米だともっと甘くなっていく感じがあったなとか、 少し塩気があると美味しくて飲みこみたくなったよな~とか。 また、噛むことができる歯があることもありがたいです。 そして、はじめは噛む回数を数えていましたが、 100回だとこんな感じだなあって感覚でわかるようになっていきます。 ただ食べることに集中している。 この感覚を今思い出せてほんとうに良かった。 昨日、先生から頭で考えないように!と何度も言われた自分なんですが、 こういうことなんじゃないかって思いました。 考えずに今を感じるだけでいい。 これが「今に生きる」ということでもあるのではないか。 日常の中に今の自分が無理なく取り入れられるもの、 取り入れたいと思うものをしながら、 大事に生活していきたいです。 朝ごはん。後半は出かける時間に遅れそうになって普通に食べた!

勇気をもって

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2日目のセミナーでは、たくさんの心に響くことがありましたが、 一つだけここに書かせていただくとしたら、 自分が感じたものがすべてだということ。 その感じた自分が、自分だけのものを創っていけばいい。 勇気をもって破壊し、創造するのだ。 他人の評価や他人の理解はそこにはいらない。 誤解され孤立することがあっても、 孤独を引き受けながら「私」にしかわからないものを守っていく。 自分だけの思いを抱いて生きていくには勇気が必要だということ。 創造、破壊、勇気、孤独、真実。 これらの意味もこれから考えていきたいと思いました(ここは考えていいと思う)。 道場の先生、みなさんありがとうございました。 今月の勉強会では、自分の間違いを認め、パターンを開示し、 そこに勇気を使って行動に起こしていきます! 今日も寒かったなあ

瞬時にわかるもの

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今日の岩手クラスのセミナーは、 先生がまずは無事に盛岡へ来れたことが本当に良かったと思いました。 あと何回来られるんだろうって思うことがあり(先生もよく言うので)、 一回一回が奇跡であり、先を行く先生の言葉は、 理解するというよりただただ全身にしみこませたいと思い受けています。 今日のお話の中で、 どうありたいか?ということは、 決して考えぬいてその答えを出していくということではない。 ということを知りました。 瞬時にそれはわかるもの。 逆に瞬時でなければそれは違うのだ。 思考し続けて、どうありたいのかを考えたとしたら、 それはパターンがやっていることだからです。 パターンはずっとああだこうだと過去や未来に考え続けているため、 今この瞬間に生きている「私」なら、 どうありたいかがわかっているのだと思います。 まだまだそんな想像での捉え方ですが、 明日も「今を生きること」を意識して没頭してみようと思います。 きれいなブルーだなあ

やればできるかも

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自分にとっての一週間は今日で終わりました。 今週は激動の忙しさでしたので、 やっとひと息つける感じです。 でもこの一週間、あえてゆっくり動くことを心がけてみました。 いつも、もしかしたら、 自分から忙しくしているってことないだろうか?と思ったのです。 いつもならばもう気持ちがせかせかして、 あ~やばいやばい・・・と急ぐのが通常ですがー 急がない慌てない、と決めると、 急がなくてもなんとかなっていくのでした。 ほどほどに休憩を取っていた気がするし、 明日でいいものは明日にして、 いつもより慌てずにやれてちょっと良かったです。 急ぐんだけど今やることは実はそんなには多くない。 いろいろ予定(〆切)だけをちゃんとわかっていけば、 なんとかなるものだなと思った。 やればできる・・・かも。 この感覚を少しだけどつかんだのだから、 来週も実践してそのまま年末に向かっていこうと思います。 ヨガカレンダーに今年も一年お世話になりました~

ほんとは着たい服

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この頃、クローゼットを見ると(クローゼットではなくただの押し入れですが)、 冬服がほぼほぼ暗い色ばっかし・・・。 ブラック、グレー、ネイビー、ブラウンにちょっとオフホワイトがあるだけ。 合わせやすい色ばっかりずらーっと並んでいるので、 毎朝悩むことなく着れるかと思いきや~、そうでもない。 ある服の中からどれにしようかと毎回悩みます。 仕事着は特に制服のように決まったものの方が楽だと思ってきたのですが、 この頃、もうちょっと明るい服を着たいなあと思うようになりました。 おばあちゃんが真っ赤なワンピースを着ていたり、 いろんな色のセーターを着ておしゃれを楽しんでいる人を見かけると、 自由でいいなあって思う。 仕事でも・・・ただ好きな服を着て行きたい! ほんとは着たいなと思っている服を何も考えないで着たい。 全身黒は最近は着なくなった

感謝

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感謝するってとても難しいことだと思いました。 何か自分が救われたとか、 誰かに何かをしてもらったとか、 天から与えられたことを実感することがあれば、 感謝しています・・・と言ったりはしますが、 言うほど簡単にできるものではないと感じます。 言葉にするとどうしてなのか、ウソっぽくなってしまう気がする。 ちゃんとそう感じていても、 どこか軽々しく言っているような感じもある。 時々、車を運転しているときに、 本当にありがたさを感じたり、幸せを感じたりしたときに、 涙が出そうになってしまうことがあるのですが、 これは自分が今生きていることへの感謝なのではないかと思いました。 でも、誰かにわざわざその気持ちを口にすることもないし、 ただ、静かに一人で感極まって、 なんて自分は幸せなんだろうって、はっとさせられるとき、 それは自分だけが知っている感情。 やはり、感謝という言葉しか浮かばない。 明日、意味付けワークやってみよう。 住宅街に突如現れた 素敵な教会でした               

初冬の風景

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明日からまた一段と冷えるらしく、 街の景色もいかにも寒そうな風景になってきました。 先日、母を連れてスーパーへ行くと、 「あら~・・・きれいだわ~」 と車窓からの景色を見て母がつぶやいていました。 もうすっかり枯れた草木に覆われた野原(というか空き地)を見て、 「枯れているけど、きれいだわよね・・・」と。 そこには優しい色合いのグラデーションが広がり、 たしかにただの枯れ草ではありましたが、自然の美しさ儚さがありました。 いつも買い物のときに通る場所だったので、 私は今まで何十年と通っていたはずなのに、 あれ?どうして気付かなかったんだろうって思いました。 その何でもない場所に母が小さな声できれいだと言ったことに、 ちょっと、じーんときてしまい・・・ その声は、子どもの頃に自分へ向けられた優しさや懐かしさを思い出します(今だってそうだよな)。 どのような中にでも美しさがあって、 それを素直に言葉にする母って素敵だなあと思った。 私もそんな豊かな心を持って年を取りたい。 初冬の景色、よく見ると自然にしか作れない色、形、おもむきがあります。 寒いけど、雪が降る前の今、 そういう楽しみ方があることを母が教えてくれました。 写真は撮れなかったんだけど、こんな感じの色でした

頭痛に語る

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今年の振り返りをしながら、 残りの時間を「どうありたいか?」で自分に問いかけながらやっていこうと思いました。 そこで、 以前日記にも書きました が、私の頭痛のその後の話になります。 ホント個人的なことなのでどうでもいい話なんですが・・・(すみません)。 治療薬というものを飲んで一週間経過しましたが、 とにかく眠ーーーい! 黙っていると目が閉じてしまい、首ががくんと落ち、 気持ちを奮い立たせて動こうとしますが、何ともだるいのです。 頭が回らないし、やる気も出ないし、 自分の体の感覚にも何とも言えない違和感あり。 専門のDRのところに行けて良かったと思うけれど、 そうか、こういうこともあるよね~って思った。 このまま言われた期間、薬を飲み続けることもできるし(やろうと思えば)、 クリニックへ行って症状を相談することもできるし、 今まで通り、痛くなったら薬を飲む、治療はしないという選択もある。 また、最近よく目につく漢方外来というところに行って相談する。 ということもあるかもしれない。 まずは、自分の今の体の異変に対して、 ●早くよくなりたい、というパターンが顔を出しているため、 そこには語りかけをして、 そんでどうありたいんだ自分は?と問いかけました。 あ~何でこうなるんだと思い始めたので、その思考はストップさせ、 とりあえず薬は一旦やめよう。 そして再度相談しよう。 今まで体調が悪いときは迷わず語りかけはしない(こういう時はお休み)と、 パターンがあってもやってこなかったのですが、 それこそがパターンであることもわかっていたと思う。 今はこの痛みがあってもやってみようと、やりたいんだな自分は・・・ って、一つ気づきました。 (ホントに無理なときもあるけど) あなたは早くよくなりたいって思っているんだね。 しばらくいい時でも、ここはやっていこう。 どうありたいか?には、そうしたいという自分がいます。

今年一年を振り返る

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今年最後のはじめて講座のお知らせです→ ★ 12月28日(日)14:10~15:30 矢巾町やはぱーく活動室A 毎月お一人さまに向けて、 心のカラクリのお話とミニカウンセリング体験をさせていただいております。 先日は、約一年前に来ていただいた方がまたお話を聞きに来てくださいました。 久しぶりの再会、とてもうれしかったです。 ありがとうございました。 一年前の自分は何をしていたのか? あ~そうでした~、体調が思わしくなく一日を終えることがなんか大変でした。 母の介護も仕事もきつく感じてしまい、 これからの暮らしを自分はどうしていきたいのだろう?って悩みました。 母のお世話もしたいし、仕事もしたい。 カウンセリングも講座もやっていきたい。 でも体も休めたいし一人の時間も創っていきたい。 考えぬいた後、会社員としての時間を減らすことにしました。 年明けにそれは実行したものの・・・ 自分は本当に欲張りな人間です。 減らすというのもそうだけど、何か新しいこともやってみたいと。 そこでしばらくの間、カウンセリングと講座はお休みし (というかカウンセリングは入らなかったというのが正直なとこ) たまたま友人からの誘いでイベントを手伝うようになりました。 自然の中を走るドライブと、大自然の恵みを感じる温泉。 気を遣わない友人と秋田のお客さんとのおしゃべりは、 今までとは違う時間が流れていきます。 仕事に戻ってもそれは続き、ほどほどな感じってこういう感じかなと、 あまりがんばらずに働けるようになっていった気がします。 年4回出張に行ったのもいかにそういう状況でもがんばらないでやれるのか、 その練習をしたように思う。 母との時間も以前よりずっとほどほどになりました。 毎日ご飯を作って一緒に食べて、それ以外は適当に。 自分が疲れたときはお休みをしたり家族に強力してもらったりして、 どんな最悪なときでさえもなんとかなるっていう経験もさせてもらった。 そうしていくうちに、またはじめて講座も復活させカウンセリングも再開し、 気づくと結構遊びも含めあれもこれもやっている自分がいました。 残りの一か月もそうですが、 これからもいろんなところで手を抜き、息抜きをし、 空いたところに新しいものを少し入れ、 来年の終わりは今年の終わりより、 また少し豊かさを感じられているようであるといいなあと思います。 ...

りんりんらんらん新聞

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たぶん小学一年生だったと思うのですが、 「りんりんらんらん新聞」というものを作っていました。 りんりんらんらんというのは上野のパンダのこと。 一年生の時に上野に行ったら動物園が休みで、 (父親が日曜より月曜が空いているからなと言って行ったら休園日だった・・・) パンダに会えずものすごくがっかりしたのを覚えています。 ノートの紙をさらに二つ折りにし、 大好きなパンダの絵も入れて、ひらがなばかりの記事だったと思うけど、 色鉛筆でカラフルな感じにして楽しさがにじみ出ていました。 4つ上の兄からもとても好評で、あの新聞取っておけばよかったね~と、 いまだに残念がられますし、自分でもあれは最高傑作だったと思う(自画自賛)。 小学4年生からは新聞クラブに入り、 ガリ版で作っていたのですが、あの工程が本当に楽しかった。 鉄の鉛筆みたいなものでガリガリと用紙に書いて(というか傷をつけて)、 破けないように気を遣いながら書くと少し角ばったような文字になってしまうのですが、 それがまたいい味出ていたんです。 インクが紙に沁み出て文字になっていくのも感動でした。 その後は、しばらく新聞作りには縁がなかったのですが、 娘が中学のときPTAの広報役員になり、再び新聞熱が復活しました。 この時は写真も撮ったし何より誰かにインタビューなんかもしたりして、 印刷屋さんと何度となく原稿のやり取りをして、まるで本職になったかのようで面白く、 最後の年には部長に立候補してまで広報作りに熱中していました。 それから数年経って家を新築したときも、 新築に住むことって人生でもう二度とないと思い、 家の様子や家族の近況を紹介する家族新聞を作りました。 仕事でパソコンをちょっと覚え始めたころだったのでワードで作成。 家のお気にいりポイントや、夫の日曜大工の様子、娘が当時はまっていた遊びなど、 本当に自己満足の何ものでもない家族だけに向けた新聞でした(何年間か続いた)。 と、まあ・・・こうしてみると新聞と私の歴史は長い。 今では仕事で新聞社に行く機会があるため、 記者の方とお話をしたりするのも内心うれしくドキドキしたりしています。 最近の新聞はデジタル版もでていますが、 やはり紙をめくって読む新聞がいい。活字っていいです! 好きというのはそれとは無縁なことをやっていても、 意識が一瞬でそこに向かうことができ、つなが...

決めつけに気付こう

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毎日なにかしらの決めつけをしているように思います。 今朝も雪が積もっていたので、 なんかもう今日は寒くてだめだなと(何がどうだめなのか?)。 決めつけているので、だいたいそんな感じになって行く気がします。 決めつけというのは、現実を見ても知ってももうすでにそう自分が決めているので、 なかなかそれ以外の選択を考えることがありません。 なんなら、そうなる前提でその先のことを考えているので、 その先のことっていうのも苦しいものだったりします。 そういうことが日常にたくさんあるなあって思いました。 しかも、すっごく小さなことに対しても・・・です。 ちょっとネガティブになったら、 これは決めつけか?と問いたい。 きっと、そう聞いた途端にいろんな選択肢が出てくるはず~。 熱燗でいただきました!

与えられるものは?

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先日、行こうかどうかしようかと迷うことがありました。 すでに人を連れて行く予定にはなっていたのですが、 行く目的、何をするためにその人を連れて行くのか、 自分の中で今一つ腑に落ちないことがあったのです。 パターンに引っかかっているなと思い、 ●責任が重いから行きたくない というパターンに語りかけをします。 なぜパターンは責任が重いと言っているのか。 その人を連れていくからには、 それなりの成果を出さなければならないとパターンは思っているからでした。 そして、その人に失礼なことがあれば、 自分との関係が危うくなってしまうのではないかと思うし、 まだよくわからない行った先の相手の人にも、 何か失礼なことにならないだろうか(それは結局自分が嫌な思いをしたくないのだ) とそんなこんなを心配するパターンもあります。 語りかけをしていくと、 もう少し、行く先の相手のことを自分が知りその関係性を深めて、 この人であれば自分があいだに入ってもいいと思えるような、 そんな心境になってから行きたいと思うようになりました。 それでも状況としては、もう行く選択しかなく・・・ それに向かって物事が進んでいきます。 これはもう、この流れに逆らわずに進んでみるということだなと理解し腹を決め、 「なるようになる」という気持ちで今度はいろいろ準備をし始めます。 もう行って自分も楽しもう!と。 そして、あと3日後にせまったとき、 連れていくはずの人が行けなくなりやむなく中止。 内心、ほっとした自分がいました。 この世のことはすべて、天から与えられていることだと聞きます。 人との出会いについても同じで、 人が人の意図のもとに会わせるのではなく(そう見えたとしても)、 天がそれは決めることなんじゃないかと思いました。 たくさん悩み、パターンも見つけ語りかけをし、 そして現実的なところでやるだけやったらあとはまかせる。 これしかできないし、これでいいのだなあって。 はじめから行くということが受容できなかったため、 それをパターンでやっていたとしたら(パターンの理想通りに何とかしようとしたら)、 何を自分に与えられたのかなあって思います。

なんか元気な人

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最近、中途採用の面接に来られる方をちらほら見かけます。 自分も面接はこれまで何度も受けてきましたが、 私の場合、落ちたときにまず思い出すのは、 笑顔がいまいちで、服装もなんか独自の基準で(ここも真剣さがでる)、 言うことや態度がちょっと生意気だったのではないかと思います。 おそらく謙虚で誠実にいこうとか、自信もっていこうとか、 いろいろ心づもりはしていたと思うけど、 素がそうじゃないので何かちぐはぐな感じだった気がします。 それで思い出したのですが、 今の会社に採用された時(40代前半)、 採用理由が、元気が良かったからね~、と言われたのです。 当時は、え、元気って・・・それだけ?と思いました。 でも今や障害のある方の就労支援をしていると、 障害の有無に関係なく、 本当にそれがまずは一番だということがよ~くわかります。 なんか素直で、明るくて、自然に元気な人。 この人となら一緒に楽しく働けるかな。 って感じる雰囲気があるかどうかはまさに感覚、直感でしかありません。 学歴も何をやってきたかとかも全然関係ない。 なんとなくいい感じ~っていうものこそ大事なんでしょうね。 働いてからもそういういい感じが人間関係を柔らかくしていくのだと思います。 と、ここまで書いて、 今の自分はどうかな?と振り返る。 ありがたいことに、素直で明るく元気じゃないときも、 利用者さんたちが自分を、 そういう人間を思い出させてくれているのではないかと思いました。 就職を目指してがんばっている人、 人との関係つくりに悩みながらも毎日通ってくる人、 体調を整えていくことを目標とする人、 自分の居場所として来れるようになった人、 などなどいろんな人がいます。 一見静かに見える毎日ですが、本当にみながんばっているんだなあと思うし、 がんばれないって言う人でもそれと対峙しながら、 やっぱりそれもがんばって生きていると言える。 そういう心はお互い影響されないわけはないので、 気づけば自分も元気なスイッチを入れて一日を始められているのです。 それがすごくありがたい。 明日から雪マークが出ていました。 どんよりした空が続いていますが、明るい挨拶で明日もいこう! 写真をAIでアニメふうに作ってもらったら…誰この人!

ただ付き合うこと

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ちょっと前に書きました、 私の推しの話 の続きになります。 あらためて現代思想をまた読み返しているのですが・・・ 社会的営みが「社交」人との付き合いから生じているという話ですが、 ここで、「長期的でゆるい付き合い」という表現が出てきて、 昨日のクラスの勉強会(仲間)というのがまさしくソレなのではないかと思いました。 学んでいる内容が内容なだけに、 どんだけ深い付き合いがあるかといえば〜、そうでもなく・・・ 仲間とはもう15年あまり続く関係ではあっても、 どこか自分は自分というスタンスがあり、 毎月1回程度顔を合わすだけのゆるい付き合い。 でも長さだけは結構な年月続いている。 ちょっと元気がないとか、こういうパターンに引っかかっているのではないかとか、 そういう少しダークな部分があったり感情の波があったりしても、 何となくその気持ちわかるよ~的な関係に、心的にわかるようになってきたという感じです。 それもはじめは全く理解できなかった浅い関係の他人が、 少しづつ、心と心でわかりかけてきている。ということは、 関わりのゆるさがなければ、根気よく続けて付き合ってこれなかった。 ってことかもしれません。 そして、「異業種のアウェーで磨かれるもの」というのを再度考えてみたら、 自分にとっては、職場なのではないかと思った。 社外に一歩出ればいろんな企業の人と付き合うし、 社内であっても、何に重きを置いているのか、 何を目指しているのかというところでは見ている世界の違いがあります。 そういう意味では働くことがすでに自分にとってアウェーの場。 ただ会社へ行くだけでも、それは自分のある意味平凡さや至らなさや、 狭い心(パターン)を見つけられるというのは本当にそうです。 自分自身の鍛錬がここでまかなえる。 だからこの頃は、会社員でいて多種多様な人たちとお付き合いがあるというのは、 とても恵まれているってことなんだなと思うのでした。 魂を磨こうと思うなら、 自分と異なる人間と長期的にゆるいお付き合いしていきたいです。 本、また買ってしまった〜

パターンを嫌うパターンは大事

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今日のクラスの勉強会では、パターンを嫌うパターンについて話しました。 パターンがただそこにあるという状態を、 毛嫌いしている(拒絶反応がある)パターンがあります。 これは、今年に入ってからうすうす気付きはじめ・・・ いざ見つけてしまったらもう逆に納得がいくというか、 だから苦しくなるんだな、疲れてしまうんだなと、 結構な体へのダメージがあることを感じています。 うまくいっている、その調子だ、いい流れだ、などど思っていると、 パターンを嫌うパターンが出てきて、 なぜか単なるパターンの登場よりも深刻な扱いをしてしまう傾向があります。 パターンを嫌うパターンも、他のパターン同様、 単なるパターンにすぎないのに・・・そう、すぎないのに、 意外と気付かれずにうまく隠れていたりするので、要注意なのです。 みんなそれぞれに自分の今生の課題(テーマ)が見つかりはじめているので、 そのパターンが出てくることにいらだったり、 落ち込んだりするのかもしれません。 自分が向き合うことは、コレなんだってわかっているから、 それがまだまだだ~って知ると、パターンはがっかりしちゃうんでしょうね。 語りかけをするパターンが多くなっていっても、 「私」なら、たんたんとやれるのだろうと思うのです。 一度落ち着いた、パターンを嫌うパターンも、 定期的に語りかけをしたいと思いました。 朝晩の肝油ドロップ なんか楽しい

良くなる感じはあるか?

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先日、 頭痛の話 をしましたが、 ふだん数か月に一度お薬をもらいに行っているクリニックがあって、 そこの薬局の薬剤師さんから思いがけず、 他のクリニックの話を聞かされました(そっちをやんわり勧められた)。 「これを飲んで、良くなっている感じはありますか?」と聞かれ、 そうなんだよなあ、あんまり良くはなってはいないんだよなあって思っていたことを、 薬剤師さんのこの質問ではっきりと認識したのです。 そして、対処法の薬ではなく治療としての薬を飲んだ方がいいという話をされ、 頭痛って治療ができることをはじめて知ったのでした。 痛くなったら飲む。そういうものだと思っていたのが、 これこそ思い込み、決めつけ、だったんだなあと。 これを飲んで良くなっていくという、 白い部屋に入ったときのあの感覚のようには・・・確かになかった。 早速、お勧めされたクリニックへ行ってみると、 DRから、こんなことあんなことは今までありませんでしたか? とたくさん質問され、 そうそう、そうなんですよーーー、何でわかるんですか!と。 まさかそれが原因の一つだったとは知らなかったし、 その症状は痛みの前兆だったんだとか、飲んでいた薬が合っていないとか、 いろいろ自分の状態を言い当てられて、 診察でこれほど腑に落ちることってなかなかないなと思いました。 まだ治療は始まったばかりで何とも言えませんが、 これは一つの自分の体への観察になりそうです。 記録をつけるように言われたので、 ついでにパターン(何に引っかかり、その後どうしたのか)の方も、 記録していこうかなと思いました。 薬剤師さんは、かつて私と同じような症状があり、 仕事をするのもつらかったそうです。 ずっと鎮痛剤だけを服用していたけれど、 良い専門医と出会ってからは劇的によくなり、 今は痛みも自分の体調も、把握できるようになったと教えてくれました。 こっそり教えてくれた勇気に感謝です。 (いろいろ立場もあったと推測されるので・・・) もし今後も、そのクリニックに通うことになったとしても、 あの薬剤師さんがいる薬局にまた行きたいなあって思います。 今日は母を美容室へ クリスマスの飾りつけ始まってました~

先日お電話くださった方へ

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今日はこの場を借りて伝言させてください。 ――――――――――― 先日お電話をくださった方へ ご連絡ありがとうございました。 そして、折りかえしの電話ができず大変失礼致しました。 こちらからショートメールを送らせていただきましたが、 もしかするとメールが届かなかったのかも、と思い・・・すみませんでした。 またよろしければ、ご連絡お待ちしております。 メールでもよければ、 ★ ←「お問合せ(ご予約)」と書いてあるこちらからでも大丈夫です。 よろしくお願いします。 ありがとうございます!!

私の推し 

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ETV特集「ねちねちと、問うーある学者の果てなき対話ー」を見てから、 ずっと気になっている京大の宮野公樹さん。 はじめての私の推しと言ってもいいのですが・・・ ちょっと恐れ多いし、そう軽々しくも言いたくないけど推してます。 宮野さんから発せられる言葉が今の自分にもう響きまくっています。 今日は、現代思想という雑誌に掲載されていたものを読みました。 10月号は「学問の危機」という全く自分の日常に関係のないテーマ。 でもそこで語られている「社交としての産と学」という内容が、 ちょうど人との付き合い方について何かしらのパターンがあることを感じていた自分へ、 あ~そういうことなのかと、 新たな言葉を使って諭してもらった気がします。 ―――――――――― 深く考えなくてよい。産と学は、まずもって互いに「社交」から始めよ。その過程において、「わかってきた」ないしは「この人となら仲良くやれそう」なら共同すればよい。そう思わないのなら別に無理に共同しなくてもいい。なぜなら、「他人は己を理解する鏡である」という言葉のとおり、社交には大いなる学びがあり、契約に至らなくともその意義は本質的な自己認識に接続されるものなのだから。 (中略) 自信がないのであれば、あなたの日常に「社交」を組み入れてください。自分が如何に狭いかがよく分かることに加え、なによりアイディアやセンスというものはアウェーでこそ磨かれるのですから。 ――――――――――― テーマありきではなく、人ありき。 そしてその過程において感じたものを信じて次を決めればいいのかもしれません。 至ってシンプル。そして、その選択はどちらでもいい。 どちらにも大いなる学びがそこにはある・・・と言っています。 とても勇気がわいてきます。 自信がない自分だからこそ交わることに飛び込んでもいいのだ。 しかもアウェーの環境に! その方が自分が磨かれていくのかもしれないと思えば、 ちょっとわくわくするような面白いようなそういう軽さも感じられてきます。 本文はあくまで学問の危機について宮野さんの哲学が書かれたもので、 他にもたくさん、うなるような深い内容の箇所があるのですが、 自分の目に飛び込んできたものはここだった。 これも、自分が気になった人のところへ素直に従った結果です。 この体験がまさにテーマではなく人ありき、なんだなあと思いました。 宮野さ...

無視は禁物

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思考がぐるぐるしています。 ということは~ パターンが主導権を握り、思考に突っ走っているのですが、 まだ、はっきりと何のパターンなのかタイトルが決まらず、 これかなあと思うものが、今少し浮かんできています。 こんなふうな頭ぐるぐるのとき、 はじめに感じた強い感情をみます。 その感情がわいたときの出来事は、あまり思い出したくないような、 なえる出来事で、もう済んだことにしたいのですが。 語りかけも一度しただけで終わっていたのです。 それでも日常が進んでいくから、 目の前のことをやりながら、いろいろ人と話したり仕事したり、 夕飯作ったりして時間が過ぎていったのだけれど、 やはりまだもやもやしている自分がいました(これにはウソつけない)。 もう一度、その時にもどって語りかけをしていこう。 戻ればいいだけだ。 パターンに無視してごめんねと言っていたのに、 もう無視をしていました。反省・・・ 肴町商店街も模様替えしてました

自分のレスポンスを聞く

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クライアントさんの話を聴くときに、 単に傾聴だけではなく何かしらレスポンスをしていきますが、 これって、うまくやるものでもないし、テンポよくするっていうことでもないし、 なかなか奥深くてむずかしいものだと感じています。 (っていうか、全然できているとは思っていません) スポーツと同じで検証と練習が必要です。 どういうレスポンスが相手の話しやすさにつながり、こちらも理解が深まっていくのか。 感覚的なものだと思うのです。 この頃は録音させていただくことをお願いし、 自分がどんなふうにクライアントさんと話しているのかを聞くようになりました。 聞いてみて・・・ 自分が何をしているのか、もうホントによ~~く見えてくるのです。 録音ってすごいです! 今の自分の現実が見えるのです。 録画だったら、もっとよくわかるでしょう。 これにはごまかしも気のせいも一切なく、 ただただ自分がしていることがそのまんま見せられます(聞かされます)。 以前、カウンセリングの先生が、 そもそもレスポンスって楽しいものだって。 むずかしく考えないで慣れていけば大丈夫だと。 でも、はじめて録音した自分の声や自分のレスポンスは聞くに堪えないものでした。 何をそんなに焦っているのか、何をそんなに怖がっているのか。 聞くべきところを聞かず、言わなくていいものを言い、 自分でもわかるのですが、クライアントさんがこのやり取りで、 話をちゃんと聞いてもらった、良い時間だった、って思うだろうか?と。 反省することばかりですが、 1回目に聞いたものと、また2回目に聞いたものでも大事なポイントが変わります。 これが正解ということはないのかもしれませんが、 自分という人間がクライアントさんの中に映し出されていることを、 その場でもっと感じられたらいいなあと思いました。 そこから学んでいきたい。 ご協力いただいた皆さまありがとうございました。

アンコンシャス・バイアス

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市の広報紙にアンコンシャス・バイアスという言葉がありました。 略してアンコン。 直訳すると無意識の思い込みです。 ●リーダーなんて自分にはできない ●仕事と家庭の両立はむずかしい ●地域活動は自分には合わない などといった決めつけで、自分自身の可能性や活躍の場をせばめていませんか? と書かれてありました。 ただの思い込みだと気づけば、新しい選択肢や挑戦が見えてきますよ、 というように地域活動にも一歩を踏み出してみましょうと続きます。 心理学でもバイアスという言葉がよく使われますが、 アンコンの種類として分けているところが、 その心理学用語の知識に重きを置くようで、なんだか難しさを感じます。 (それって全部パターンなのだし・・・) アンコンがあるとどうなるのか? 他者に不快な思いをさせたり傷つけたりということがあると。 社会的な影響として、自分や組織の可能性をせばめる問題へと発展しかねない。 というような、どちらかというと自分自身よりも他者や組織、 人間関係や社会活動への影響があるという捉え方です。 小さい頃から刷り込まれてきた無意識の決めつけについて、 個人というより地域や企業といった単位で、 その色メガネを外していこう、変えていこう、 違う可能性(黒パターンの反対にあるもの)を見つけていこうという視点は、 多様性を大事にしていこうとする社会にはもしかすると、 逆にわかりやすいのかな・・・。 パターンもその影響は自分だけでなく、 他者や社会といったところへも良くも悪くもあります。 でも大きな捉え方の違いは、 やはりパターンに気づくとき、それが自分自身を知ることそのものである。 というところだと思いました。 パターンが自分のあり方さえも教えてくれているのです。 パターンもアンコンも意味は似ているところがありますが、 パターンはそれがあることで自分を理解できることだけでなく、 本来の自分「私」がそこに愛を注ぎ守っていくことで、 「私」は大きく育っていくという理解こそが、パターンが重要性を持つ理由です。 また、パターンならばケアをしていく、受容していく、 ということになりますが、 アンコンはあることに気付いたら(ここまでは同じ)、 解消していく、軽減していく、外していくなどという表現が多くあり、 違う見方や考え方をしていこうという、 修正の思考に走っている感じがあるかなと...