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胸の中にあるもの

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自分がどうありたいか?と問いかける時の「自分」というのは、 「パターン」ではなく、本当の「私」がどうしたいと思っているのか? ということなんですがー ここがなかなかパターンは巧妙なので、 さも「私」が望んでいるかのようにうっかり反応してしまいます。 そういうとき、一旦リセットして語りかけ以外にも、 いろいろなワークをやってみています。 最近、特にやっているのが、 胸に手をあててつぶやく・・・というもの。 そう、とにかくここに向かっていろいろつぶやいています。 何かざわざわとパターンが騒いでいるなと感じたら、 黙りなさい!とぽんぽんと軽く叩いて言ってみたり、 どうしようか?と考える時は、 私、私、私・・・と、自分の中のパターンではなく「私」に意識を向けます。 また、心に軽さを感じている時は、 それでよし!ということでそのままでいいのかもしれませんがー こういう時も、全てのことに対して、 胸に手をあて、ありがとうございますと感謝の言葉を言います。 年末から語りかけているパターンの一つに、 他人からどう思われているのかを気にするパターンがあるのですが、 こんなふうにいろいろ体に触れながら、 パターンのそばにいるということをしばしやっています。 それで思ったのは、 パターンが出てきてケアをして、落ち着いて・・・ ということの永遠の繰り返しなんだけど、 もう少しじっくりとパターンのそばに居てもいいんだなと思いました。 っていうか、むしろもうちょっと長く居た方がいい。 だって、語りかけで、 これからは「私」があなたのそばにいてあなたを守っていくからね、 と言っているのですから。 本当にもう大丈夫と感じるまで、 心の軽さを持続させながら見守っていこう。 その行為として、 胸に手をあてる、声をかけるのでした。 青春のオサムグッズ

母のこと

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大事に思う人には、いつも元気で笑顔でいてほしい・・・ けれど、自分に置き換えてみれば、 元気が出なくて、あまり笑えない時だって普通にあります。 年越しとお正月は実家で母と一緒に私たち家族も過ごしましたが、 母はいつもの生活とは異なる状況に、 半分嬉しそうにしていたり、半分は無言でいたりと、 あきらかに戸惑っているように見えました。 「みんなで食べると、やっぱり美味しいわね~」 と言う母の気持ちは本当だと思いますが、 耳の遠い母には、私たちの会話はついていけなかったと思うし、 自分が食べたいように、寝たいように、好きなTVを見たりというのもできなかったと思う。 家族みんなで集まって長時間居るこの状況は、 決して嬉しい楽しいだけではない・・・のだろうな。 私と2人だけで過ごすことには慣れているけれど、 普段一人でいる場所に、ちょっと人が増えてしまうと、 母がとても気を遣っていることがわかり、 以前自分は、その気遣いをなんとか和らげたいと、 なんとか笑っていて欲しいと必死になっていたことがありました。 それが大分、みんなでいることの違和感というか、 お互いの不慣れさ、気遣いというものに自分自身が慣れてきていること。 ちょっと良かったなと感じました。 元気に楽しく笑顔で~を基準にしてしまうと、 そういう表情になっていない相手に、 こちらが申し訳なく思ったり、そうなってもらえるように頑張ったりしてしまいます。 みんなが幸せでいてほしい・・・ それはそうなんだけどー 自分がまずは楽しく、ゆったり実家での時間を過ごすことが大事だと思うようになりました。 近所のお宅に、 今度おじいちゃんと一緒に暮らすことになりましたと、 挨拶にいらしたご夫婦がいました。 私も、最近その方の歩く姿がおぼつかないので、 いつまで一人暮らしができるんだろうと心配していたこともあり、 ちょっとほっとしたのです。 でも、親子でもこれから一緒に住むって大変なことだろうなと思った。 お互いの生活が成り立っていての、全く違う生活が始まるわけですから。 一緒に住んでいない私は、 母がマイペースで暮らしているところにバタバタと行っては、やることをやって、 言いたいことを言って(連絡事項とか紙に書きまくり~)、 自分のタイミングで帰る。 それが自分のできる精一杯のことだと思い、今日まで来ているけれど、 そのご夫婦は、そ...

お正月といえば

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明けましておめでとうございます。 2025年も皆さまにとって良い一年でありますように。 穏やかな新年を無事に迎えられたことに感謝です。 今日は箱根駅伝を見ておりました。 お正月といったら、私はこれです! 普通に考えても、箱根の山を走ること自体がも~う超人です(往路の感動ポイント)。 その日の体調や天候が影響しながら、 10人全員でタスキをつなぐところにドラマを感じます。 選手って、 走っているときどんなことを考えているのでしょう。 10キロほどの道はあっという間ではないと思うし、 何も考え無しでは走れないような・・・ 後方の車から監督が選手へ向けていう言葉に、 何かを思い出したかのようにフォームが変わっていく選手がいたり、 前方を走る選手が見えた時は、急に力が出たり。 ただ無心になって自分のペースを守ったり、 常に体を修正しながら走ることもあるのかもしれません。 だけど一番は、その選手が何を感じて何を考えているのかによって、 現れる走りが違うのかなと思いました。 結果ではなく、そこまでの過程が大事ではあるけれど、 その過程をどういう心でやっていくのか? 走り方にこれまでやってきた『気持ち』が出ているようにも思いました。 人ががんばる姿は美しいです。 その舞台に立つまでの道のり、 あきらめたこと、やめたこと、黙って耐えたことなどたくさんあったでしょう。 自分の実力、今ある現実を見なければ、 自分がやるべきことが何なのかがわからないかもしれません。 華やかさの陰にあるものに惹かれます。 今年は、沿道での応援にも目がいきました。 大学の応援団ではなくても、 目の前を走る選手の名前をずーっと呼び続け励ます姿がありました。 こういうのを見てしまうと、ぐっときちゃうのですね・・・ 誰かを応援したり、何かに熱くなるというのが、 自分は好きかもなって感じます。 明日の復路もTVの前で応援しまーす! 今年はじめての、空、きれい!