ヤキモチをやくパターン

最近お世話になっている鍼灸院があります。
自分が施術を受けて寝ている間、
お彼岸ということもあってか他のお客さんが先生に、
お墓参りに行った話をしているようでした。
それも親しげに。
そこで・・・見えない世界がどうたらと言っているような??
でも、もしかしたらそういう話ではないような??
一体、先生とどんな話をしているのか・・・

こういう時、自分にはしないで他のお客さんにはしている、
先生が話す内容が気になります。
どういう会話をしているのか、自分とはできない話なのか、
自分の知らないものすんごい話なのか・・・
何だか楽しそうで気になって仕方ない自分がいます。

この時のモヤっとするような、そわそわするような感情や感覚って、
えこひいきされた時の不快感のような、ヤキモチにも似ています。
●自分を特別扱いしてほしい、とか、
●自分を大事に扱ってほしい、とかいうパターンであるように思いました。

いつも先生との会話は本当に体のことオンリー。
それが普通だと思っていたため、
そうではない会話が他のお客さんとは交わされているんだと知って、
自分は先生にとってただの患者でしかないと知る(そりゃそうだ)。

これは鍼灸の先生だけではなく、
自分の師匠に対しても少なからずこのパターンがあったと思うし、
上司に対してもそうだし、
ちょっと親しくなった人に対しても、
そこから外れようものならば、これらのパターンが騒ぐのです。

自分の感じ方、考え方、捉え方の癖がまさしくここにあり。
それは自分が特別に扱われてきた、
(決してそれほどでもなかったとは思うのだが)
そう思いこんで生きてきた幼少期にあるように思います。
親、親戚から可愛がってもらっていただけでなく、
周囲にいる大人たちはみんな自分にとって、温かな目を向けてくれる人。
ちやほやしてくれる人。

それがたとえお世辞や大人同士の社交辞令のようなものだとしても、
それでもいいんですね(子どもだから単純)。
自分を可愛がるのはあたり前だと、
そうしない方がおかしいくらいに思っていた子どもだった。
また、幼稚園の出し物でお姫様役を演じたもんだから、
その思いこみは(やっぱり自分は特別だと)自然だったのかもしれません。

そして、そのパターンの対象となる人は、
先生と言われるような、自分よりも知識や経験があって肩書があって
社長やお金持ちといった世間一般的な権力があったり、
すごいですねと誰からも言われる人たちだったりするのだ。
そこに自分のパターンは反応しやすく、
そういう人に自分は可愛がってもらい大事にされたい。
もっと言えば、一目置かれたい・・・と思っている。
まさに、パターンにとって特別な人に特別扱いしてもらいたい。
ってことだろうか。

このあたり、もうこのパターンには引っかからないだろうと、
願望はパターンであると疑い観察していこうと思いました。


宮古に行ったら、ここに寄ります♪




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