すべては心の決めたままに
今年は昭和100年だそうです。
100年前は私の祖父や祖母たちが生きていた時代で、
その方々が出会っていなければ今の自分は生まれていなかったわけで、
いろいろあったことでしょうが、よくぞ一緒になってくれましたと思いました。
父方の家系はちょっと複雑で、
何代か婿取りが続いたそうですが、その婿養子に入った祖父の前妻さんが亡くなって、
父は後妻さんの長男(戸籍では7番目の子)として生まれてきました。
祖母は6人も子どもがいる家に嫁いできて、その子どもたちを育てながら自分も6人産んで、
カイコを育てたり漆を売ったり金物を売ったり、いろんな商売を手伝っていたそう。
良くも悪くも祖父がお人好し過ぎて、いろいろ大変だったという話も多々あり、
言いしれぬ苦労をした人ではないかと想像します。
父も小さい頃、親戚の家に預けられたり、小さい子たちの面倒を見たりしながら学校へ行き、
昼は働き夜は高校、通信制の大学へと進み、
勉強がしたくてしたくて、本が読みたくて読みたくて、
といった話をよく聞きました。
(兄の勉強好き、私の学び好きは父の遺伝だな)
母方の祖父母は、父の生家から歩いてすぐのところで床屋を営んでいました。
小さな村のさらに山奥もそのまた奥の出身で(方言で「ざい」と言いますが)、
そこから二人はなんと、かけおちをして村(「ざい」から見れば町!)にやってきたのでした。
当時のかけおちって命懸けに匹敵するのではないかと思います。
母に聞くと、祖父母たちの実家へ小さい頃遊びに行ったという記憶はなく、親戚にも会ったことがなく、
そうか、かけおちってそういうことなんだと子どもの私もちょっと寂しく思ったのを覚えています。
祖母は体が弱かったのですがとても社交的で、
店には朝から晩まで、髪を切るわけでもなくいつも人が集っていたそうです。
言われてみれば、私も小さい頃、何で帰らないんだこのおじさん、って思いながら一緒に店のテレビを見ていた記憶があります。
そして父と母は、祖母同士が友人だったこともありお見合いし、
村唯一の旅館で結婚式をあげたそうです。
そんな祖父母たちの遺伝子と気質を受け継ぎ、今日まで生きてこれた私。
どうして今、急に回想しているのかわかりませんがー
昭和100年ということで大好きな昭和歌謡をテレビでやっていて、
大御所のサブちゃんが久しぶりに出ていて、
何かあの時代が懐かしくなったのかもしれません。
その番組の最後に布施明さんが(昨年の盛岡コンサート以来、ファンになった)、
マイウェイをあの素晴らしい声量で熱唱したのですが、その歌詞にビビビッときました。
〜信じたこの道を私は行くだけ
すべては心の決めたままに〜
すごくないですか、この歌詞!
そう、心の決めたままに私が信じたこの道を進んでいく。
ご先祖様たちもマイウェイだったんだなあと知った今日です。
そんな方々が応援してくれている私なのだから、
私も、心の決めたままに明るく力強く歩いて行きたい。
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