そんな自分ではないというプライド
先日の岩手クラスの勉強会で、
それぞれが持っているパターンの話をしたとき、
みなが持ち合わせているものに、
共通するプライドを見たような気がしました。
それが「そんな自分ではない!」というもの。
例えば、●他人から良く思われたい、というパターンがあった時、
他人から良く思われていないなんて・・・そんな自分ではないはずだ。
という真逆ともいえる気持ちが少なからずあったりすると、
このパターンに引っかかる、もしくはこのパターンを認めたくないパターンがあるのかもしれません。
パターンは大体にして自分の思い通りじゃなきゃ嫌なので、
その思い通りにしたい心の裏には、
思い通りにいくはずだと信じているものがあり、
同時に、それ(思い通りになる)に値する自分なのだと思っている。
それに値する自分。
って、どんだけプライド高いの~と思うけど、
良く思われないことが寂しい、悲しいということは、
良く思われているんじゃないかと、ちょっとでも思っていたからだし、
そうなるに相応しい自分であり、
そうなることにパターンは価値を置いているため、
それが与えられないと苦しくなるのだと思う。
期待外れにショックを受けるんですよね、パターンは。
プライドって、自慢げで、傲慢で、謙虚さがなくて、うぬぼれていて・・・
といった分かりやすいものだけではないのですね。
特に「悔しい」「腹立たしい」という感情がある時は、
思うようにいかない「怒り」ですから、
相当のプライドが蓄積されているのではないかと思いました。
人それぞれ向き合うパターンは違っても、
何かしらのプライドを持っているという見方をすると、
みな同じところで、もがいているのかなと思いました。
もがきながらも・・・でも、どうありたいか?
そんな自分なんだなーって素直になっていきたい。
『はれひめジュース』と『黄金柑』 |
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