まだまだわかっていない
2日間の合宿が終わりました。
3か月ぶりの道場を、とても楽しみにしていた気持ちと、
今の自分の状況がどうなっているのか?
突破口が欲しかった気持ちとがありました。
突破口が欲しかったというのは、終わってみて、
そうだっだんだなあって気づいたことでもあります。
ずーっと長年ケアしているパターンは、
しているつもりのレベルでもあり(だからいつまでもケアしている)、
本気で自分のあり方が変わっていたわけではなかったのだと、
ガ―――ンと、衝撃的に気づかされました。
以前にもこの衝撃がありました(いや毎回言っているかも)。
本当に自分は何にもわかっていないんだなー
ということがしみじみ分かったような気がします。
考えなければいいのに、そこがもったいない。
と言われ、考えていないと思っていた自分にも、
ガ―――ンでした。え、そんなに頭使っていたのかな??
こういうところが、わかっていないのだな。
いろいろなことが自分に起こるとき(感情が動くとき)、
それをもっと単純に素直に、あれこれ考えずに、
ただひたすらワークを丁寧にやっていけばいい。
あ、そういうことでいいのか!
・・・本当に今更ながら思いました。
そして、パターンに語る者はいったい誰なのか?
この国の王である本当の「私」が、
民(パターンたち)へ語るのに、本当にそこにふさわしく、
パターンとは違う「私」が耳を傾け、語っているのかを、
そこを意識してやっていこうと思います。
「私」と「パターン」は違う。
国王と民は違う。
あなたは、そう思っているんだね・・・
この言葉を使う王は、パターンに大きな距離を置きながら、
静かに眺めている・・・そんな存在なのだ。
らせんの階段を上がっていく途中の、
自分はどこを歩いているんだ・・・?という感覚は、
先に進まなければという焦りだったのかも。
「成長したい」が、「しなければ」になり、
そうじゃないと善いカウンセリングができないと。
じゃあ、善いカウンセリングって何か?
そこへの探求が、パターンの求める安心になっていたのかもしれません。
安心というのは、
要するに、嫌なものから逃げたいということでもある。
そこに向き合え、自分。
「私」はそう思っていないんだから、怖がらずに向き合っていけ。
どうありたいか?
決して表面的なところではなく、
人格を変えようとするのではなく、
何のプライドが働いているのかをよく見て、
誰が(「私」が)どうありたいのか、どうしたいのか、どうするのか?
そこをもっと丁寧にやってやっていこう。
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