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もう一度思い出す

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同じ景色を見ていても、 毎日、全く違うものが見えていて感じています。 自分の世界とは、そのときの自分だけが見えているものなのだと思います。 らせんの上を歩くように人が成長していくとしたら、 以前にもこんな悩みがあったなあと思うときも、 以前と全く同じ場所にいるということではない。 これまで歩いてきたらせんの上の、新たなこの地点での悩み。 以前よりももっと、 今の自分に必要なものが用意されているとわかる感じがあります。 その「わかる」を感じてみる。 悩んでいるときは、 そこには明らかに引っかかっているパターンがあります。 そのパターンは、これまで何度も顔を出してはケアしてきたものだったりします。 ずーっとそこにいたパターン。 ●自分をわかってほしい 〇自分をわからなくていい わかってもらう、わかってもらえない、という世界ではないところにいこう。 もうここから自由になっていこう。 それを「私」は感じて選ぶ。 もう一度思い出す。 本当の「私」が選びたいものをちゃんと感じて、 そうしてやってきた自分を確認していこう。 食後のプリン

雪の魅力

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今日は、骨董品を見に出かけてきました。 雪の結晶や雪輪(ゆきわ)と呼ばれる模様の入った、 着物や短刀、茶道具や生活用品がずらーっと並んでありました。 博物館のガラスケース越しにしか見れないような貴重な品々。 この道50年以上の収集家高橋雪人さんのはからいで、特別手に取って見ることができました。 雪人さんのお父様は、高橋喜平さんといって岩手では有名な雪崩研究家でエッセイスト。 私も喜平さんの雪の写真集が大好きでした。 雪の模様って、可愛らしくとても美しい。 形もいろいろで、こんなところにも雪が!と見つけていく楽しさもありました。 こんなにときめきながら描かれた雪を探したことはありません。 何百年も前に誰かが使っていた道具。 持ち主もまた、時にうっとりとしながらこの雪模様を眺めたりしていたのかなあ。 雪の結晶は、顕微鏡が外国から入ってきた江戸時代に証明されたものだそうで、 それ以前の平安時代の頃から人々は雪のことを「六花」と呼び、 花鳥風月と並び描かれてきたそうです。 それら(約50種類もの図案)が並ぶと、まるで家紋のようなかっこよさもありました。 特に、雪輪は、雪が降ってきて植物などに積もったときの、 あのふんわり雪が乗っかるさまを図案化したもので、 雪の結晶のような(雪印マークを思い出す)凛とした感じとは違い、 ふんわり感がなんともいえない親しみを感じます。 今年の冬は、本当に暖かく雪が全然積もらないので楽なんですが、 当時の生活に雪は「降ると大変なもの」ではなく、 「必要なもの 心を豊かにするもの」だったんだなあと思いました。 雪の下で甘くなるキャベツ、大根、白菜などの野菜もあるし、 飲み水としてももちろん、生活には欠かせないもの。 今とはだいぶ雪に対する見方が違っていたのではないかと思います。 写真を撮っていいものかどうか、 手に取るものがあまりに貴重すぎて、最後までなんだか聞けませんでした(もしかしてマナー違反なんだろうか?と)。 そこにいた皆さんがそうでしたので、 タイムスリップしたあの中でだけ楽しむ。 そんな贅沢な時間だったのかなと思います。 唯一撮った写真は、おやつにご馳走になった黒糖胡桃が入ったお餅。 何気ないこの漆塗りのお皿も、 なんと100年以上前のものだそうです!レコードじゃないですよ~ これから骨董品を見たら、雪模様を探してしまいそうです。 柏...

だれを責めるかの違い

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自分を責めることも、他人を責めることも、 だれを責めているか?の対象の違いだけで、 起きていること(していること)は同じなのかもしれません。 自分を責めるというのは、 そんな自分であってはならないという、 それを許さないと決めている、頑ななものが心の中にあります。 だから、自分を懲らしめ責めなければならないのです。 他人を責める場合も、 自分を許せないことから始まっています。 無能な自分、できない自分、さえないパッとしない自分が嫌で、 そんな自分の中にある大嫌いなものが、他人を通して感じてしまうと、 自分自身(←これ、パターン)は耐えられなくなってしまうのです。 だから、他人を責めるという行為で、代わりに自分を責めている。 だから、あの人のこういうところが許せない、嫌だ、ムカつくという時、 ほとんどが、自分の中にも同じようなところがあって、 手を変え品を変えそんな自分ではないと隠してはいるのですが、 結局自分が許せていないので、他人の中にそれを見るなり反応してしまうのです。 もしも、自分のそういう許せない部分があるということを少しずつ理解し、 許せないということを明らかにさせていくことができれば、 それ自体がすでに許そうとしている行為であり、 「許せる」ことに意識が向けられ状況が変わり始めます。 自分の中に許されて存在しているものは、 他人の中にそれが見えても、やはりそこにあっていいと思えるようになる。 存在していることが気にならなくなる。 他人の中にあるそれももう責める必要はなくなってくるだと思います。 少しややこしい話になりましたが・・・ 自分にないものは相手の中にも見えず、 また、自分にあるものは、相手の中にもそれを見つけることができる。 久々に雪、降りました

いくらか、ましに

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今、父の関係の諸々の手続きをしているのですが、 我ながらあきれてしまうほど、抜けてるな~と思います。 仕事の合間に休みをもらいながらですので、 あちこち出向いては最短の時間でできれば終わらせたいのですが、 なかなか終わりません・・・ その原因が自分にあると、もう確信してます。 本来、性格というか気質というか、 おっちょこちょいなんですね(少し可愛らしく言うと)。 いろいろ考えているわりには、いや考えているからこそ? 注意力が欠け抜け落ちるのだと思います。 一つに集中すると何かを忘れている・・・ということが多い。 先日も、免許証をコピーしてそのままコピー機に置いてきたり、 証明書は写しでもよかったのに、何枚も購入してしまったり(もったいなかった!)、 たくさん書いた書類のハンコが間違えていたり(はい、やり直し~)、 もう本当にあきれます。 これもみな、今始まったことではないし、 小さい頃からいろんなものを忘れ、失くし、間違え、怒られてきました。 ずーっとこんな調子だったなあと思い出す。 それでも、いくらかましになっている部分もあります。 スムーズにできていないことは、 誰のせいでもなく自分がしたことという認識です。 (抜けるという部分は、残念ながらほぼ変わっていないが) 教えてもらわなかったから、相手がミスしたから、不親切にされたからこうなった、 という他人のせいにして苛立つことがなくなっているなと思いました。 以前は、自分のおっちょこちょいを棚にあげて、 こうなるのは周りも悪い的な感じが常にありました。 自分も反省するけれど、あの人のあれも悪い・・・みたいに。 できないことを素直に認めたくないパターンが強かったのです。 だからこの苛立たなくなったというのは、ちょっとうれしい変化。 まだまだ手続き関係は続きます。 そして、完了したとしても、 誰にも何もほめられもしないこと・・・というのがまたポイント。 誰にもほめられないという、これこそが、自分には必要な経験なのです。 いかにも、自分、やってます~すごいでしょ~大変だったんだから~ というところではないところでやる、という経験。 そして、できる限り注意力もあきらめずに育てたいところです。 自分にしかわからない達成感を目指して、 また頑張ってやっていこう。 甘すぎないケーキ(ちひろ)最高!

過去の自分を見る

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これからどうありたいのかを考える時、 じゃあ、今までの自分はどんなだったのか? 自分のやってきたことを明らかにしていくことも大切だと感じました。 過去はもう関係ない・・・のではなく、 なぜそういう自分であったのか、 認めたくない部分や、自分が悪かったとは思いたくない部分、 間違っていたと他人から思われたくない部分など、 必ず過去にはそういう見たくないところがあるのです。 何となくそうしてきたというものでさえ、 ちゃんと深く丁寧に見ていくと、そこには恐怖と不安があったりします。 その恐怖と不安から逃れるために、 感じないように、また深く考えないようにしてきたのだと思います。 でも本当は、何かは感じていて、 どうにかしたいと思っていることはたくさんあるのです。 勇気がないから(という理由をつけて)やらなかったことや、 他人へばれるのが嫌でわかったふりをしていたことなど、 もうそんな自分ではいたくないと思っているのです。 人はなぜか、どこまでも自分を正統化しようとします。 できれば間違っていないと、仕方なかったんだと思いたいところがある。 また、自分自身を責めることも得意。 責めて責めて、何か許しでももらいたいと思っているのか、 自分を卑下するのも保身。 そんな弱い自分であることを、もう隠さなくてもいい。 怖かったから、不安だったから、 だから自分をちゃんと見ることができなかったと認めていいのです。 もうそこではないあり方をしたいのなら、 もっと強烈に、過去の自分は嫌だ!って思わなければ変わりません。 もうわかったふりをしなくてもいいのだ。 わからない時は、自分は本当は何一つわかっていないんだと言っていい。 全然わかっていない自分を明らかにして、そして見ていこう。 どんな気持ちも全てわかってあげられるのは「私」だけです。 これからどうありたいのかを考えるのなら、 どうありたくないのか(これは絶対嫌なんだー!!) こっちも心に刻んでいきたいと思いました。 フリマで、焼き魚皿買った