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5月, 2026の投稿を表示しています

少しだけ朝型

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このところ一日のルーティンが少し変わってきています。 少しだけですが朝型になってきました。 そのため、日記も朝書いているのですが、 夜に書いていたときよりもあまり考えずに書けるようになった気がします。 朝は時間がない・・・というのもホント思い込みの一つでした。 実際時間はあまりないし眠いのもあるけれど、 眠くても夜の眠気と違い、だんだん目が覚めてくるということも知った。 そして何より、静かな環境で書けます。 これは今まで一番自分が望んだことであり、 それが現実に叶っていることがうれしい・・・ ということを~ ブログをはじめてもうすぐ6年になりますが、今知りましたよー笑。 こんなふうに長い年月を経て知ることってありますね。 もっと早く気づけなかったのか?と思うけど、 朝は絶対に時間を作れないというのがパターンだということにも気づけていなかったので、 体が強制的に朝型をつくってくれた気がします。 さあ、今朝の宣言は、 自分にとって心地よいことをしよう!です。 これで一日やってみよう。 作業台の布をシャ―ッて引くのが好き

成長過程の私

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まだまだまだまだ成長過程の私。 肉体はちょっとあれだけど・・・精神は育ち盛りです。 そう思ったら、これからの自分へなんだか勇気が湧いてきます。 なんとなくそう思っているのではなく、 自分自身と対峙してみると以前より少しだけ感じられるのです。 正直さ、素直さ、客観性、受容、達観性など それらの資質を意識的に使おうとしていたところから、 だんだん無意識に使っているかのようにも感じます。 また、そういうたくさんの資質が私にはあることを、 以前の私よりもあたり前に受け容れているのだと思いました。 自分がしたことを真っ直ぐ見ようする力が働くとき、 感情が少しづつ落ち着いていって、 パターンのケアのときにもそれらの資質が使われているんだなあと。 成長したいと願うことは、なんどでも試される・・・ 私にとって必要不可欠なもの。 鍋敷き 毎日の必需品

装わない

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自分の身の丈を知る、ということがありました。 今の自分という人間がどういう領域にいて、 どういうものを持ちながら、 またはまだ持っていないものがありながら今を生きているのか。 パターンの理想というものがあって、 それは違うと自分の内側ではわかっているはずなのに、 していることはその理想に近いことをしている。 ああ、なんて表面的なことをしているんだ自分は・・・と気づく。 たぶん自分が自分の身の丈を本当にはわかっていないから、 パターンは表面的な自分を装ってしまようにも思います。 そして、そんなパターンをまた嫌うパターンがあり、 自分はそんなレベルの低い人間ではないと思いたい・・・からまた苦しむのです。 だから、どんなにいろいろな感情がわき、 それらがつらいと感じてもまずは何かを装わないこと。 ちゃんと今の自分を認めること。 このありのままの自分を! ここからやっていこうと思いました。 今の自分「私」はまだまだ成長過程。 そのための日々のワーク。 この6時間後は雨でした~

体にしみこんだもの

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昨日のつづきになりますがー 自分の失敗や自分に対しての指摘など、 他人にそれらを知られたくない(聞かれたくない)と思うパターンは、 心の中で「いやいや、今それを人前で言わなくてもいいでしょう」 と言った相手を否認している状態でもあります。 そうすると素直にそれを一つの事象として受け入れることなどできず、 まずは、そう言ってきた相手を責めたり、 言われた自分の不甲斐なさに傷つき落ち込むパターンもいます。 この場合、気分はよくありません。 でもそれが、言われたときは「快」ではないけれど、 「不快」にもならないこともあります。 そういうときは、自分の失敗や自分に対しての指摘を素直に聞ける自分を感じています。 他人にそれらを知られてもいい、聞かれてもいいと思う白パターンがいることに気づくのだと思う。 黒パターンではなく白パターンの方に心地よさを感じられるようになっている、この感覚。 この感じ方って、ワークを通してしか体にしみこませることができなくて、 でも体にしみこんだものは、頭で理解するよりもずっと覚えているのかもしれません。 最近、物忘れやあたらしいことを覚えられない自分ですが、 「私」とパターンは同じではないということはしみこんでいる・・・だといいな。 雨が降りそうで降らなかった

聞かれたくない

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あんな言い方されたくなかったと思うとき(思っているのはパターン)、 言い方の内容に引っかかっているということではあるのですが、 結構あるのは(私の場合)、人前で言われたこと、この状態に引っかかっていたりします。 もしも、誰もまわりにいない一対一のときに言われたら、 ネガティブな感情がここまでわいただろうか。 もしかしたら、自分のしていることを反省なり改善なり、 真摯に受け止めるということもするのかもしれない。 だけど、まわりに人がいる、それが良く思われたいと思っている人だったりすればなおのこと、 自分へ向けられた「あんな言い方の内容」をパターンとしては恥ずかしいから他人に聞かれたくないのだ。 だって、聞かれたら自分の評価が下がってしまう。 それが耐えられないとパターンは思っているから。 このあたりに引っかかると、 パターンは言った相手をすごく責めたくなります。 夜食 野菜ペースト

それだけのこと

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今、何感じている?と、朝目覚めて思いました。 朝っぱらから・・・まだ一日が始まっていないのに・・・ それだけずっと心の奥に持ち続けていた(しかも、無視されていた)感情なんだとわかります。 恥ずかしい、悔しい、無力感、イラ立ち、憂うつな気分。 これらがずっとあったはずなのに、一日のふりかえりのときには、 もっと大きな感情の方をみていた。 でも、ここに気づけてよかった。 数日間?いやもっと?無視をしていたんだと思うけれど、 やはりずっとそこにいるものには嘘をつけないんだな。 もうひとりぼっちにはしないし、 あなたは何も変わらずそこにいていいよ。 パターンで受けとっていただけだったんだ、それだけのことだったんだと分かると、 窓から心地いい風が入ってくるようで、 一気に空気の入れ替え~晴れやかになります。 こんなに単純だった~ これどうしたらいいかなあ?などど考えるのではなく、 自分(パターン)を見ればよかっただけ。 本当にこれだけで良かったんだ!と。 また今日も、小さいざわざわもみていこう。

パターンに教えてもらうもの

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孤独の時間が自分を創る。 というけれど、今日は一日中ゆったり家で過ごしたことで、 今まで同じワークをしていても見えなかったものが少しだけまた見えた気がしました。 ●自分は特別で一番だ というパターンの理由は、 小さいころからの体験が根底にあるため語りかけにそこを入れてきましたが、 他にも思い出したものがありました。 「がんを経験したけれど、自分はこうして生かされている」というものです。 がん体験をパターンは過剰に評価しているのだと思います。 確かに病気は価値観を壊し、生き方を変えてくれたものではあるけれど、 何か特別な力が自分を支えてくれたのだという、 感謝とは違うパターンの驕りがあったのだと思いました。 パターンって、かなり分厚い層で作られているのかもしれません。 幼少期からのほめられたり、ちやほやされたということだけではなく、 結構大人になってからも自分は特別で一番だというものを刷り込み続けていたんだなあ 語りかけにこの理由を追加てみたらしっくりきたので、 パターンが教えてくれたのだと思いました。 朝ごはん シジミ汁

そこに利益を求めない私

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今日の勉強会は、 体を休めるためにお休みすることにしました。 勉強会はほぼ休まず出てきたので、 休むということに少し抵抗がありました。 続けてきたことをしないということが、 何か落ち着かないような感覚もあります。 勉強会とは、 自分の成長に欠かせないものだし、 みんなの話を聞いて、また自分の話をしてみて、 それぞれから新しい発見が得られる時間です。 少々体調が悪いときでも、行って良かったなあって思うことが多かったので、 今回も行けば行ったで何か収穫が得られるはずだと、 行くということの動機に自分の利益を感じていることに気づきました。 勉強会を休むのはもったいない・・・と思っているのは誰か? 私は利益を求めないし、 そこに理由をもたない。 胸に手をあてると、 今日はゆっくり休みたいと思ったので、そうしてみようと思います。 みなさんまた来月よろしくお願いします。 ケンカするかと思いきや、白黒ネコが道をゆずるらしい… はい、どうぞお通りくださいませ え…、そっちに行くんかーい!

意識的に選ぶ

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昨日はゆ~っくりな一日を意識してみたのですが、 その意識とは逆にたくさんのことができたことにちょっと驚いています。 何か一つあきらめようと思っていたことも、 今日一日でできなくてもいいと思うことも、 どちらも無理をすることなくなぜかすべて終わることができました。 あきらめるものすらなかったのでした。 同じ時間でこれだけ違うものなのか・・・疲れ方も全然違ったー。 ということは、 もしも一日というものを、何の意識もせずにいつものように 仕事のあらゆる場面で思考してはがんばる。 なんていうやり方って、(今の自分にとっては)間違いなんだと思う。 語りかけをしているから、 いつかはゆったりとした一日を自然体で過ごせるようになっていく〜 のではない。 「私」が意識的に選び続けるからなっていくんだなあと思いました。 こんな感じで、また来週もやってみよう。 かちあっている…  

何か間違っている

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昨日は帰りに実家でご飯を作って母親と一緒に食べているときに、 半分寝そうになって・・・ 帰宅してちょっとだけ横になろうと思ったら、 そのまま朝までぐっすり眠ってしまいました。 (でもうっすら、夫が一人ご飯を食べていたのは知っている) 今朝はやっと、 ずっと疲れていることを認めることができたと思いました。 そう、やっとです。 それと同時に自分は欲張りなんだなと自覚。 ときどきやってしまう、この、あれもこれもやりたい症候群といえばいいか・・・ これはパターンを選び替えないと体がもたなくなると思いました。 何をやめるか? または何のやり方を変えるか? 体が疲れているときは、 自分の間違いを知らせてもらっているということ。 今日はゆっくり仕事をして、ゆっくり動き、 時々自分の感情を観察しながら、 とにかくゆっく~~りな一日を意識してみようと思います。 そして、何か一つでもあきらめてみよう。 マタギの里の味…私はちょっと苦手かも…

まだ何とかしたい

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暑い日が続いていますが~ 今日はついに半袖シャツを着まして、日焼け止めをしっかり塗りました。 年々、手にもシミがたくさんできてしまって、 顔だけでなくあちこちに日焼け止めが欠かせません。 でも、若い頃に自分くらいの年齢の人を見ると、 もうこの年なら日焼けも何も気にしないんだろうなと勝手に思っていました。 シミが出たって、シワがあったって平気なんだろうなと。 ところが、いざ自分がそういう年齢になると、 全くどうして全然外見は気になります。 シミもシワも白髪も体型もぜ~んぶ気になりますし、 まだ何とかしたいと思う気持ちがある。 夏はいろいろ露出する季節なので余計に~。 鏡を見るたび、なんとも微妙な気分になっています。 マップスのパングラタン 体型気にしている割には…

黒板消しで消す

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昨日の感情と似たようなものが朝にもありました。 目が覚めてお布団から出ようかな~というときに、 今日やることと、それに付随したあれこれ思うことが 急にスイッチが入ったかのように動き出します。 そこで、ホワイトボードの文字を黒板消しみたいなやつで消すように、 湧き上がってくる思考をサササッと頭の中で消します。 そうやってリセットして、 今度は「私、私、私・・・」と胸に手をあてて意識を私に戻す。 こんなふうに、パターンで考え始めたなと気づいたときは、 黒板消しでサササッと消してホワイトボードを白くする(イメージ)。 これ、結構気にいってやっています。 はい、考えるのは終わり~みたいな。 でも、今日はそれ以降、ちょっと無意識でした。 一度も「今、何を感じている?」という問いは出ませんでした。 何も感じない一日ではなかったはずですが、 あっという間に時間が過ぎていった。あーーー早かったな。 明日こそ、1回だけもいいから~~感じてみよう。 山田線 一車両 宮古行き!

仕事していなかったら感じないのか?

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今日も暑かった・・・けど、 無事にナス、ピーマン、ししとう、オクラ、大葉を植えました。 昨日無心で取ったスギナもカラカラに乾いたので、 土が乾かないように教わったとおり、野菜のまわりに敷いてみました。 去年、空いているスペースにたまたまナスを植えたら、 思いのほか美味しくよくできたので今年も育ってくれるといいなあ。 今日は、いろいろ私用があって休暇を取ったのですが、 相撲の時間までに全部済ませ、今、一息ついてブログを書いています。 たくさんやりたいことができた一日。 ・・・で、思ったのは、 今日は何か感情が湧くようなことあったかな?と。 やりたいことだけやっていたから、 何かストレスを感じているということもないしー。 しいて言えば、 休みでもよく仕事のことを考えることがあるのですがー そういう時に、憂うつ、不快感、疲労感が出てくるなと思いました。 (しいて言えば、ではなく、全然あったな!) あれとあれを明日行ったらやらなきゃとか、 あれはどうなったのかなとか、 あれにそろそろ手をかけないとやばいな、予定はどうなっているかなとか。 考えだすと止まりません。 そういうときに、さっきの感情が湧いてくるのです。 これって、もし会社を辞めたら、 仕事をしていなかったら感じないのだろうか? とふと考えることがあります(ほらほら、また考えている~パターンが)。 仕事=考えることだらけ ここから逃れられないと思うのもパターンなんですね。 「私」がパターンへのリーダーシップをとっていかないと、 気づくとこれは永遠にやってしまいそうなので、 本当に本当に、今、意識を私に戻していくことをやっていかなければと思うのでした。 ここも、まずは「最初に湧いた感情」から見ていこう。 こんな感じ~

土台が大事

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今日は盛岡も27℃まで気温があがり、きもちのいい青空が広がりました。 ここ数日でいろいろな方から畑をうめつくすスギナの撃退法を聞いたので、 早速いいと思ったのものを実行。 その撃退法は・・・ただ抜くだけ。 結局、他の雑草と一緒に抜いて抜いて、 取りつかれたかのようにスギナに狙いを定めては根っこからというより 上だけを引っこ抜き完了(これでいいそう)。 そして、カラカラに乾燥させれば肥料にもなるとのことで(ここは新しい知識)、 今日は天気がいいので、すでにしんなりしています。 その後、スコップで土全体を掘り起こすのですが、 私の全体重をかけてスコップに乗っても、さほど刃先が入っていかない・・・固い土。 このように痩せて栄養がなくて、酸素がない(空気を入れない状態)の土に、 よろこんでスギナは生えるのだそうです。 だから土作りの方が大事だったんですね。 これは魂の学びにも似ていました。 パターンが出てきては、 出てきたあ~ああいやだな~と表面的に何かしらの対策を思考に走ったとしても、 また出てくるものは出てくるのですから。 あなたはそこにいていいからね、と言って土台(「私」を)育てていくことが大事だということを、 スギナに教わりました。 そして、 なんとか掘りおこした土へ堆肥も入れてまぜ、 あとは野菜の苗を植えるだけにして今日は終了です。 土をいじるって本当に気持ちがいい。 無心になれます。 15分やって30分休憩~このペースを繰り返してやっと土を整えることができました。 土がある生活ってやっぱりいいなあ この数日雨が降っていないので、苦手なミミズとは会いませんでした

怖い体験

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ちょっと、いやかなり危険な体験をしました。 秋田からの帰り道、車を運転しているときに少し眠たい感じがあったので、 眠気覚ましに何度か肩を上げ下げしたり体勢を変えながら運転をしていました。 カーブも多かったので気をつけなければと思ったのもつかの間、 本当に一瞬だったと思うけれど、居眠りをしてしまい・・・ ゆるやかなカーブでセンターラインを大きくはみ出し、あわててハンドルを切りました。 たまたま対向車が来なかったのと、前後にも走る車はなく、 自分一人がヒヤッとしただけで済みました。 その後、コンビニを見つけてしばし休憩。 30分ほど寝て、アイスクリームを食べて再出発しました。 それからは眠くなることはなく無事に帰宅したのでした。 本当に事故にならなくて良かったですし、 こんなに一瞬で意識が飛ぶんだなと、はじめての怖い体験でした。 私はよく朝に何か失敗というかへまをするというか、 (足をぶつけるとか、モノを落とすとか、何か壊すとか) そういうことがあると、 ああ、今日一日気をつけようと思うことがあります。 それも結構な頻度で、朝にある。 そういうときは、これから起こるかもしれないことへの暗示として受け取っています。 この程度の失敗で済んだと思い、 見えないものへ忠告してもらったことへの感謝をする。 ということがよくあるのでした。 でも、今日のこれは今日だけのことではなく、 これから先も自分が気をつけなければならないことを、 身をもって教えられたような気がしました。 とにかく疲れたときは運転しないか、休息をとるか、 予定を変更するなどして過信しないように気をつけたいと思います。 朝だけ見えた鳥海山

人が集まると出てくるパターン

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今日はわらしべマーケットの日でした。 お客さんの秋田なまり、方言がすごくって・・・外国語のようだった。 意味が時々わからなくなりフィーリングで聞いていたように思います。 こんな感じで例えば認知症の方とか、 耳が聞こえにくい方とか、 話題がむずかしすぎて理解できないときとか、 なんとな~くでいつも聞いている人っているだろうな。 楽しいときでも、本当はどういうことを話しているのか? 楽しいからこそ知りたくなります。 テレビでお笑いの人のセリフが早すぎて聞き取れなかったりすると(でも会場は爆笑) え~~今なんて言ったの?と気になる。 今日はその気持ちでした。 もやっとしたり、不快感がわいたりするのは、 内容をすべて把握したい、みんなのようにわかりたいというパターンかも。 仕事では、自分だけ知らないようなことがあるときにもやっとするのは、 みんなのように理解をしたいだけでなく、 自分だけのけものにされたくない、 わかっていないことがあると認めたくない、というのもありそうです。 なぜならば、わかっていればパターンは安心できるから。 わかっている自分がいいと思っているから(パターンがね)。 なぜ、それが安心なのか、いいと思うのか? そこをもっと考えてみよう。 数人集まると出てくるパターン。 みていこう。 友達がつくった海鮮ビーフン♪お昼にいただきました!

私の冷静さ

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前回はじめてお会いした方ともう一度会うことになり、 一度目のときの印象と随分違っていることに気づきました。 はじめてのときは、 誰がその相手の方を見ているのかと言えば、 パターンが見ていたのだと思う。 パターンで反応し、パターンでいろいろ考え、 パターンが受け答えをしていたのかも。 今回はそうした前回の自分が鮮明に思い出され、 ああ、あのときは「私」が見ていたのではなかったんだなと思えたのでした。 でも、今回は何のジャッジもせず、いたって静かで、 へえ~そうですかと、 相手も何かしらのパターンで話していることも見えたりしました。 自分が冷静でいられるとこんなにも楽です。 小学生のころ遊んだ川

今やれること

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まだ見ていないものがあります。 その見えない先にあるものに、自分はたどり着いてはいないし、 そこへ向かう道をひたすら歩けているのかどうかもわかりません・・・ けれど、今まで見えなかったものを見たい(不思議な力とかそういうものじゃないですよ)と思う気持ちがあるため、 いつかはきっとそんな日がくるのではないかと信じているところもあります。 もちろん、何もしないでただカウンセリングをして、ワークやって、セミナーに出ていればそうなれるということではない。 けれど、自分がしていることは、もしかしたらそういうことに近いのだと思う。 語りかけをしていれば、ワークを丁寧にやっていけば、中立ワークで意味付けを広げていけば・・・って思っている。 そうじゃないんだろうなと思いつつも、今の自分にはそれしか思いつかないのです。 そういうレベルに今いる私。 それだけは理解している。 如実知見(現実をありのままに見抜くことという意味)のように、 とにかく今は何もわからないから、 だから正しい(と思う)ワークをやっていく。毎日。 現実の自分をそのまま見ることをやっていくしかないし、 それをする自分はちょっと幸せだなと思います。 早いけど虫刺され対策…アロマスプレー

普遍的な意識でできている

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白黒ワークの中に出てくる言葉に、 今さらながら、本当にそうだなあと思った。 「私」は脳でもなければ、思考でもない。 パターンでもなければ、肉体でも感情でもない。 普遍的な意識でできているのが、「私」です。 ここを言うたびに、「私」とパターンだけでなく、 そうか、自分というのは単なる個体(肉体)ではないことを ずっと昔から知っていたかのような気持ちになります。 まだ生まれてもいないもっともっと以前からあるもの。 その意識が宇宙の流れにのっていけたら、それでいいのだけれど、 そうじゃない自分だから、 だから「私」へ意識を向けることが必要なんだなあって思った。

何も問題はなかった

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夫の母の施設でケア会議なるものがありました。 夫が母の代弁者として出席し、 私も聞いているだけでいいからと言われて同席しました。 なんですがー、 仕事柄というか、そばで聞いているうちについしゃべりたくなる自分。 点数的に(使えるサービスが限られていること)こうだとか、 夫のまわりくどい言い方へも通訳したくなったりとか、 スタッフさんの対応はこうすべきだとか・・・ いろいろ思考が走り感情もわきました。 いろいろわく感情は全部自分の問題。 ということは・・・ そこに自分以外には何も問題はないということになります。 そう思うと気持ちが少し楽になります。 そのこと自体へ信頼を寄せるからこそ黙っていられるのかもしれません。 集まった方々は、 みなどうしたら母が安心した生活を送れるかいろいろ考えてくれていました。 もう少し様子をみましょうというのもあるし、新しい試みもある。 そうやって話し合ってくれたことならば、それでいい!と思いました。 なんだか成るようになっていきそう。 自分の問題だけを引き受けると、 周りには何も問題がなかったかのように見えました。 そして、成るようになっていくのは、自分が余計なことをしなかったからなのか! 黙って参加した会議で教わりました。 皆さん、ありがとうございました。

二人の母へ

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母の日ということで、 自分の母親にはブラウスを贈りました。 白地に紫系の花柄のブラウスは母にしては初挑戦の色合いだったので、 気にいってくれるかな~とちょっと不安でしたが、 とても喜んでくれて良かったです。 今日は美容室にも行ってきたので、 おしゃれを楽しむ昔の母が戻ってきたようでした。 夫の母の方は施設に入ってちょうど1か月。 一日中パジャマを着て過ごしているので、 食事のときだけは何か羽織れるものがあった方がいいかなと思い、 そのまま寝ても疲れないような薄手のカーディガンを贈ろうと思っています。 新しい場所はまだ慣れない感じもあって、 病院のときのようにお友だちもなかなかできない中、 体も不自由なのでつい不憫に思ってしまいますが、 これは母が体験していくことなんだなあと・・・ 私はそっと見守りながら、できることはしていきたいなと思うのでした。 今の夫と私がいるのは、二人の母がいるおかげ。 これからどんどん年を取って今より体は大変になっていくのかもしれないけど、 二人とも安心して穏やかに過ごしてほしいなあと願います。 中央公民館は新緑がいっぱい

はじめに湧いた感情

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今日は腹が立ってイライラした感情がわきました。 悲しくて泣きたくなるような感じもあるくらい、感情が高ぶります。 なかなか、これってパターンは何?と思う余裕がありません。 で、少し落ち着いてから(とりあえずいろいろ用事を済ませました~)、 帰宅してまた思い出すと頭に血が上りそうになりましたが、 さっきよりは、これ、パターンなんだよねって、 やっと引っかかったものを探せたのでした。 ノートに語りかけの文章を書いてみると、 ちょっとパターンよりかな?と書き直します。 パターンが語っていないかどうかの確認は、 声に出してみるとわかる気がします。 そして、大事なところは、はじめに湧いた感情の部分。 この部分をしっかり感じられた(嘘をつかなかった)自分は良かったと思いました。 まだちょっとしっくりする文章ではないため、 次はもう少し丁寧に言葉を紡いで、語りかけを完成させていきたいです。 いつもの兄から母へのプレゼント 

パターンを守るもの

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一度パターンの存在を認めると、 そのパターンは水を得た魚のように主張してくるような気がしました。 もうなかったことにはできないし、 あとはそのパターンがケアされるまで、 パターンも堂々と主張してきます。 その主張を受けとめるのは母性。 母性がパターンを受け入れ、 そして次に父性によってパターンよりももっと堂々と 大きな愛で語られていくのでした。 このバランスでパターンは守られていくんだな。 遠くから見るとこんなに大きな木

変えようとしない

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パターンへの語りかけに、 「私」はそうは思っていないけどね・・・という言葉を付け足すと、 ああ、そうなんだ~って思うときと、 ああ、そうだよね~って思うときがあり、 この差は微妙ですが全く違うものです。 前者は、パターンが優勢になっているために、 「私」がそうは思っていないことをすっかり忘れているというか、 パターンの言い分を聞くのにどこか必死さがあるように思います。 後者は、パターンの言い分もわかっているけれど、 深いところの真実として本当は違うということも知りつつ聞いている。 「私」の立ち位置を今一度確認しながらもパターンへも寄り添いたいと思っている感じがあります。 語りかけをするときはまずはパターンだけを見る。 言いたいことはわかったわかったと、すぐに白パターンを考えたくなるのは、 今いるパターンを何とか変えさせたいという魂胆があるのだと思う。 そうなると、今の自分を変えさせる目的で語りかけをしているようなものだと思いました。 これからは「私」が見守っているから、 あなたは何も変わらなくて大丈夫。 「私」がそうは思っていないと言っているのは、 パターンがどう思っても大丈夫なんだよと言っているのと同じ・・・ということなのかな。 今日は26℃曇り 過ごしやすい一日でした!

正直さをとり戻す

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そのときの自分の気持ちに意識を向けると、 れっきとした怒りがありました。 でも怒りもあるけれど、それについての先行きの不安や恐怖心もそこに同時にあって、 それを何とか表面的に解決させるために思考が動き出すように思いました。 いろいろ考えることでその不安への対策ができて、 怖いと感じたものもだんだん落ち着いてきます。 でも、やはり一番はじめの怒りはそのままそこにパターンとしてある。 そのまんまそこにいていいからね、と普段パターンへ言っているくせに、 怒りがあると仕事がしずらいのでそこは見ないようにしていたんだなあと思います。 自分に嘘をつくというのはこういうこと。 嘘はつきたくない、と思っていても、 感情を見ていないことが結局は正直じゃないことになっていたとは・・・。 わかっていなかったな、ということをまた自覚しながら、 また一歩一歩やっていこう。

もっと意識的に

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先生のカウンセリングを受けました。 行く前に話すことを整理したくても出来ず・・・その理由が身に染みてわかった気がしました。 パターンに反応しているのにそれを思考ですり替えていました。 こう考えていけばいいとか、こういう捉え方もあるとか、全部パターンがやっていること。 普段から染み付いている、すぐに頭で考えようとする癖。 意識的に目を向けていないとこうなってしまいます。 特に仕事中は、感情を無視していたり、感じるのではなくすぐさま考えることをやっているのでした。 それは自分に嘘をついていることと同じ状態だということも教わりました。 自分の感情を見ないということは、表面的な解決を私は優先していたんだな。 そうなると、見た目にはうまくやっているように見えます。 でもどうありたいのかの「私」とは不一致性が出てきて、いつまでもどこかすっきりしない感じがありました。 仕事をより良いものにするためにお互いを尊重し合いながら進めていけるようにとするのは、 表面的にはそうなんだけど、 自分のやる事はそこではなかったのです。 自分がやる事は、他人や外の出来事ではなく自分(パターン)を見ること、またそれをゆるすこと。 いつどんな時も、たとえ仕事であってもここを外していいということはない。 もう一度、感情に意識を向けることと、向けた後もしっかりパターンのケアをし続けていこう。 まだまだ甘いんだなあ。 自分に喝を入れます。 いつもの茅ヶ崎の景色

食事をつくる幸せ

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母はこの頃、食べ物の好き嫌いが出てきた感じで、 毎回冷蔵庫を開けては、何つくろう?って思います。 一応好きな食材は買ってあるつもりなのですが、 美味しそうに見えてないと食べなくなってきている・・・ように思います。 1年ほど前からどんどん体重が落ちてしまって、 年だからね~と、自然に食事の量は減っていくものだと 主治医の先生からは聞いていました。 それでも、あまり食べないままにしていると 今度は歩くこともままならなくなってしまうので、 せめて好きなものだけでも食べてほしいと思い、いろいろ試行錯誤していたら・・・ 見た目が重要だということに気づいたのです。 例えば卵焼きも、黄色の鮮やかさとキレイに一口大に切って出すとか、 和え物も小鉢に量が少なめに上品に盛ってあると食べます。 味噌汁も今まで食べていた田舎味噌より、白味噌の方が美味しいと言う気がして、 そこに油揚げと野菜をバランスよく入れると、完食するような気がします。 ゼリーやヨーグルトも、ガラスの器に盛ってあげると食事の最後に、 あら~これは何?と言って嬉しそうに食べるのでした。 母のおかげで、そういう工夫を楽しませてもらっている私。 食卓に美味しそうなものが並ぶ光景は、作っていて楽しいし、 他愛もない会話もはずみます。 なんだか小さい頃の食卓を思い出しました。 子どもの頃、自分の好きなものが出るだけでなく、 わあ~!という感動と共に食べていたのだと思う。 そういえば、私が喜ぶから作っていた(ハンバーグとか餃子とか) と母から聞いたことがあるので、 食事って食欲が満たされるだけでなくちょっとした感動の時間なのかもしれません。 そして何よりも、一緒にご飯を食べる人がいるということが一番! 自分ができることがあるということの幸せを母からもらっています。 九戸村名物といったらコレ「甘茶でかっぽれ」

自分と向き合う時間

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 ●自分は特別で一番だ という大きなパターンへの語りかけを続けています。 やる前に疲れて寝てしまうこともあるけれど、 それは時々やってしまう、化粧落とさないで寝てしまった!という感じのものに近く、 朝起きたら顔を洗おう(翌朝、語りかけしよう)・・・という軽さがよい意味でちょっと出てきたようにも思います。 と、感じたのは、 一度決めたことをやり続けたいと思うときに、 できなかったことがあると、また違うものを選び直したり、 続けられないのは自分の意思なのに、 続けられるようなものを選び直そうとするパターンがいます。 また、そんなこともやれない自分なんだと責めるパターンも。 完璧にやりたがるパターンがいろいろささやくのだ。 でも、もうそういう執着はもう不要だということも少しずつわかってきているため、 できない日があってもまたやってみよう、という方を選んでいます。 家に帰ったら顔を洗うように、または寝る前に歯を磨くように。 それだけのことだけど、それだけではないと言ったらいいか・・・ 瞑想をしているかのようにパターンと向き合うこの時間が、 自分にとって日々とても大切なことに感じられるようになってきました。 続けるということも、 他人とも過去の自分とも何にもくらべることなく、 前を向いてやっていける自分でありたい。

もしかしたら~

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親戚の家に寄った帰りに九戸神社へ行きました。 下から見上げると、樹齢500年規模の大きな杉の木がたくさんあって、ちょっと薄暗くもあり、 気が遠くなるような急な階段がず~っと続いています。 いつもだったら、これくらいの階段であったら速攻にあきらめてしまうのですが、 もしかしたら~登れるのかもしれない・・・と思い、 少しずつゆっくり登ってみたのでした。 上を見ると転びそうになるので、下を見て一段一段登ります。 途中、止まりかけたり、深呼吸をして息を整えたり。 残り10段くらいになると一気に登りたくなるのですが(と言っても早くは上がれないんだけど)、 はやる気持ちをおさえて最後までスローペースで登り切りました。 登れるのかどうかの根拠を探すこともなく、 いけるかなどうかな、体調も悪くはないから大丈夫かな、 などとあれこれ考える間もなく、 上を見ていたらす~っと足が出た。 そして思ったよりも、息は切れても心は軽かったです。 こういう感じでやってみればいいんだと、 神社だけに、神さまから背中を押されたような気がしました。 帰りは風が気持ちよかった!

キラキラしたところ

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今日はちょっと変わった支援をしている事業所を見学してきました。 SNSで見ているかぎりは、ここ福祉なんだろうか? (相談できる場所なんだろうか?という意味) という疑問がちょっとあったのですが、謎が解けた感じがしました。 この場所を求めている人たちはたくさんいると思うので、 盛岡にもやっとこういうところができたのか!と驚きでした。 楽しく通ってほしいという願いの通り、 あっと驚くようなカッコイイ内装やキラキラインテリアで、 毎日来るのが楽しくなるだろうなあって。 スタッフの方たちも若くて本当にいきいきしていて・・・ だったのですが~、 好評価の感想とは別に自分の感情としては、 心臓バクバク、緊張、不安、疲労感だったのでした。 そこがいいとか悪いとかいうものではなく、 正直に自分をみると、それが本当の自分なんだなって。 帰宅後、その感情から解放されたためなのかどっと疲れが出てしまいました。 なんでこんなに今日疲れた?って考えたら、 自分には今流行りのもの、いわゆるサブカルにほとんど興味がないため、 その世界にいると自分のセンサー的には落ち着くものがなく、 こんなにも疲れるものだったのです。 一緒に見学しにいった方は、 もう目をキラキラさせてとても嬉しそうでした。 そこは本当に良かった。 今日のパターンは、 ●新しいものにはついていけない ●自分はもう若くない あたり・・・かな? しっぽのキーマスープカレー