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8月, 2026の投稿を表示しています

休息しよう

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もう30度の夏の暑さは去っていったようです。 イワシ雲らしきものも出ていたので、 今年の秋はいつもより少し早く来ているのかな。 今日は風邪っぽい症状があって、 力が出ず、弱々しく大人しく一日を過ごしました。 明日に伸ばせるものは伸ばし、 何事も根詰めないようにして体力を温存させました。 以前は太りたくても太れず、 痩せすぎて体力が全然ない時期も長くあり、 いつも体が冷えていました。 1年中風邪をひいているかのように寝込むことが多かった。 でも、今は体も厚みが出たためか体温も上がり、 手足が冷たいということもなくなり、 体質はほんの10年前と比べても劇的な変化です。 ただ、風邪をひかなくなった代わりに、 無理をしてしまう傾向があるので、 キャパオーバーしないと体を労わないということではなく、 そうなる前に早めに休むようにしたいです。 みなさんも季節の変わり目は気をつけてくださいね。 ということで・・・今夜は早く寝ます。 焼きサバの炊き込みご飯

幸せに包まれながら

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千住真理子さんのヴァイオリンコンサートに行ってきました。 東日本大震災をきっかけに毎年岩手に来てくださっていて、 会場の人たちへ話しかけるような親しみのあるトークと、音楽を愛し敬い魂で演奏している姿が本当に素敵でした。 どんな作曲家が作ったものなのか、 込められたストーリーやそれを弾くときの千住さんの思いなど、 一つ一つ全ての曲への紹介がありました。 (素人には嬉しい曲紹介) ある曲はピアノが非常に難しく、伴奏者の丸山滋さんでないとコンサートで弾くことができない貴重な曲なんですよというお話もあり、 たしかに、脇役でありながら主役級の素晴らしさを感じるピアノです。 あのストラディヴァリウスの音を最大限に引き出すため、 千住さんは看護士のように毎日ヴァイオリン管理に付き添い、 そして、朝早くからホールの環境設定を万全にしてくれたスタッフの方々がいて、 今日の日を迎えることができたと話していました。 まさにヴァイオリンに命が吹きこまれたかのように喜びに満ち溢れた響きでした。 目を閉じて聞くと、 なぜだか今まで忘れかけていた家族との何気ない出来事が思いだされ、 私もたくさんの人に支えられて生きてきたこと、 そしてずっと幸せだったこと、 生かされてきたことを感じ涙が止まらなくなってしまいました。 今日はこれからクラスの勉強会です。 幸せに包まれながら行ってきます。

やや得意なこと

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昨日の日記にも書いたように、 私は普段から何かを忘れたり失くしたり、 壊したりということが結構な頻度であります。 注意欠如に多動もあってか、 ますます不注意が起きやすい動きをしているのだと思います。 (とパターンは言っている) なんですがー、 失くし物については、見つけるのがまあまあ得意だったりします。 すぐに見つかるということではないけど、 先日も誰も探さないような場所から見つけ、 やはり、探す際のコツみたいなものがあるなと確信した気がしました。 口に出して言ってしまうと、 なんだそんなことかというものですが・・・ まずは、 心あたりのところから、絶対ここにはないというところまでくまなく探していく。 くまなく見る、です。 そしてもし、それが無いとどうなるのか最悪の事態を考える。 その最悪を実行するかのごとく行動する。 そして、探し物が得意なご先祖様に、 どうかそのお力を私にも分けてくださいと背中を押してもらう。 それをやっての翌日または数日後、ずっとここで待ってましたよ〜 という感じで出てくることが本当に多いのでした。 なんて言ってて、見つからないものもありますし、 そもそも、 失くさないようにはじめから意識的に気をつければいいのでしょうが なかなかそこが難しいと、パターンは言っている。 結局、見つかったときは見つかった方がいいということだし、 見つからないときは見つからない方がいいということだと信じています。 和でも洋でもない朝食

きっと何とかなる

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車で約束の場所へ行く途中、 自分の準備不足で、はっきりした場所も、 その相手の方の名前もどうしても思い出せないということがありました。 (なぜか確かめずに向かっている) 場所は大体あのあたり・・・という感じで、 途中、スマホで調べてみたのですがはっきりした場所が出てこない。 ここかなとは思うけれど、入口や駐車場はどこなのか。 とにかく、あのあたりへまず行こうと思い走っていました。 雨で道も混んでいて、 もしかしたら遅れるかもしれないと焦ってきます。 そして、遅れることを連絡しようにも、 約束の相手の方の名前が思い出せないので伝えられない・・・ 手帳に内容は書いてあるけど、名前だけがどこを探してもない。 ああもう、どうしよう。 緊張、イラ立ち、焦り、不安、胸が苦しくなりました。 結局、スマホの名刺アプリに入っていたのを見つけたときは、 本当に安堵しました(自分で入れたんですね)。 おかげで時間も場所も何とかなり、事なき事を得て帰りました。 こういう時、本当に自分の準備の悪さを反省します。 次は必ず出る前に確認しようと誓う。 と同時に、 何とかなる(なってきた)という経験が、 これまでどれだけ積み重ねられてきたことか・・・と思いました。 ラッキーだった。だから、懲りない。 必ず最後はどうにかなると信じている。 こういうことに関しての自信って、我ながらすごいなと思います。 これも、 「根拠はないけれど、私はやっていかれる・・・」 というものなんだろうか。

慣れていきたいこと

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ふいにやっている、今、何感じている?は、 疎外感、腹立つーーーっていう気持ちがありました。 もうはっきりとしたパターンなので、 こういうパターンを選ばないというのはどういうことだろうか。 ●自分が中心にいたい というパターンからくるものだと思うので、 真逆を考えると、○自分が中心にいなくていい、になります。 自分が中心にいなくていい。 ということは一体どういうことなんだろう? もう自分が輪の中にいなくても、 誰も話しかけてこなくても、 まったく相手にされない、完全無視状態だったとしても、 それでも「私」はいいということになります。 でもそこを選択するには極端すぎて・・・ じゃあ、現実的にやってみたいことは何だろうか。 ワークをやってみて今思うそれは、 中心にいない状態にもっと慣れていきたい、というものです。 慣れたら何とかなるだろうということではなく、 そういう今までやってこなかったことをやってみたいなと思いました。 ずぶ濡れの後の、夕焼け

よく思われたいパターン

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毎年職場でPSW試験の実習生を受け入れています。 毎年のことなので内容もおおよそ決まっているのですが、 今年は何かいつもと違う・・・。 何が違うんだろうって考えたら、 本当に些細なことなんですが~ 実習生と一緒にまだご飯を食べに行っていないことに気づきました。 いえ、行っていないのではなく、 行こうという気が起きていなかったということ。 いつもであれば、まずご飯を一緒に食べに行って、 なぜこの資格を取ろうと思ったのかというところから、 大学の話、バイト先の話、彼氏(彼女)の話まで聞いていたと思います。 しかしそれをやっていたのは誰なんだろうか? 人間、ご飯を一緒に食べることで緊張がほぐれるとか、 担当なんだから学生と心を通わした方がいいとか、 今までそうしてきたんだから今回もしなきゃなって。 変な義務感だったのか、 よく思われたかったのか、 そのあたりのパターンでやっていたのではないかと思いました。 気づいた瞬間から感情がざわついています。 迷い、焦り、不安、不快感。 もうそれは(パターンは)選ばない・・・でやってみよう。 少し秋風感じます

怒りという感情

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怒りは悪いことという意味付けがあります。 怒りという無駄なエネルギーを使わないように、 または感じないよう蓋をして何か気持ちが変わるようなことをしてみたり、 怒られて怖い思いをしたときも、パターンとしては避けたくなる。 怒りをそのまま感じてみる、受けとめてみる、 怒りを感じた原因のパターンを理解してみる等々 パターンだと思うからこそ、 その中に恐る恐るですが入って行ける。 どんなネガティブな感情とも共にいられる自分ではないけれど、 少なくとも、 現実逃避をしたり、 感じないように考えないように何かに没頭したり、 まずは寝る(今は向き合えないと決めつける)といった選択を あまりしなくなったことに気づきました。 こうした時間を自分へつくることは、 自分(パターン)をひとりぼっちにはさせずに、 そばにいるという状態なのだと感じました。 そばにいるって、そういうことなんだなと、 ちゃんと感じてすぐに何とかしようとせずに、 自分(パターン)を待ってあげられる自分にも少しだけなれている気がした・・・。 行動と心との一致性を作っていく。 ってこういうことなのかなと思いました。 風の通り道

昔話

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はじめて母から、母の祖父(私の曽祖父)の話を聞きました。 市日(毎月一回、出店が来て買い物ができる日)になると、 山奥の奥に住んでいた祖父が、 今では信じられないような距離を歩いて 母たち(孫たち)に会いに来ては小銭をくれたという話でした。 ボロボロの布巾着にお金が入っていて、 母はそのお小遣いをもらうのが本当にうれしかったと言っていました。 父親(私の祖父)は厳しくて頑固でとにかく怖かった・・・ でもおじいさん(私の曽祖父)はとても優しかったんだったんだよ、と話す母の顔も穏やかでした。 母の両親(私の祖父母)は駆け落ちして村を出たので、 その時代ではめずらしい恋愛結婚。 夫婦で理容店を営んでいました。 やはり駆け落ちだけに、 母には祖父母たちの家に遊びに行くという子ども時代の思い出はなく (っていうか、思い出せないだけなのか、遠すぎたからなのか) はじめて聞く話に私は母を可愛がってくれたことを想像して 何だか嬉しくなりました。 その時代は生きるだけで大変だったと思うし、 私が想像できないほどの苦労と、 そしてささやかな幸せを感じながら生きてきた祖父母や曽祖父母たち。 ご先祖様のおかげで自分が今ここに生きていることを感じて涙がでました。 母からまたいろいろな昔話を聞いていこうと思います。

「わかる」の中立ワーク

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自分はわかっているという「わかる」の意味付けを考えました。 プラスの意味付けは、 ⊕ 安心する、ほっとする、疑問や不安が解消される、頭が整理される、すっきりする、面白くなる、わからないということがわかる、どちらでもいい(答えがなくていい)と思える、現実が見えてくる、新しい視点を持つ、視野が広くなる、わかると言わなくてもよくなる 中立は、ただ一つのわかるという事象です。 マイナスの意味付けは、 ⊖ すべてが分かった気になる、うぬぼれる、偏った見方、正解不正解を考える、わかることでそれ以上考えなくなる、決めつけや思い込み、表面的で終わる、安易、わからないままでいることに耐えられなくなる 一つわかり始めると関係のないことまで見えてきたり、 以前とは見ている世界も変わってきたりして わかる過程にはそういう面白さもあります。 (本来わかりたいと思っていたものが変わる) マイナスの意味付けとして一番強く感じるのは、早くわかってほっとしたいので、 そのままに寝かせておけない。 という衝動性の弊害が自分にはあるなと思いました。 それから、 わからないならば、「私はわかりませーん」って言っていいということ。 何とか答えようとしたり、わかったふりをしないように。 そうできないのは、 わからないことはかっこ悪いことだと思うパターンを選んでいるからなのだと思います。 いつ来ても好きな場所

カウンセリング体験(inやはぱーく)

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来月の カウンセリング体験 のお知らせです。 1時間って本当にあっという間ではありますが、 ご予約お待ちしておりまーす!  (onmnyn@gmail.com  ★ ←こちらからどうぞ) 昨日はもしかしたら、 体のことで今後やりたいことに制限がかかってくるのかもしれない。 という思いがよぎりましたが・・・ じゃあ、制限がかかっていなければ、 普段からやりたいことをやっているだろうか?と思いました。 あくまで制限って、 普段やるのがあたり前になっている「通常業務」についてです。 その通常業務はそんなに自分にとって大切なものなのかどうか。 したくてたまらないものなのか? どうありたいのかには、 それを選ぶという強い意思が必要だと感じます。 有言実行、即決即断がいいというのがサラリーマン的なパターンだとしたら、 臨機応変に焦らずに、じっくり考えて時を待つというのもあります。 どちらかに走りたがるのはパターン。 それをよく感じて、 自分のバランスを取っていけたらいいなと思いました。 誰がその選択を押しているのか? 今、何を感じている? どちらの問いかけもまだまだ意識的にやってみます。 堂々としているウミネコ

病院で待つ間

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今日は朝から、まる一日病院にかかっていました。 おかげ様で、今、何を感じているかの問いがたくさんできたのは良かった。 今、どんな気持ちで自分がいるのかということ以外にも、 パターンが本当に言いたいことは何だろうとあらためて考えてみたり・・・ でも、病院の中は常にさわがしく、 いつ呼ばれるかと耳をダンボにしているため、 昨日の図書館のようにはなかなか集中できませんでした。 人間ウォッチングをしながら、 いろんな人がいるなあってぼんやり眺めていました。 ずっと顔をしかめている人、 自分はまだましだと思って元気出している人、 家族だからしかたなく付き添っている感じの人、 その家族に気を遣いながら自分も具合が悪いのに大丈夫だと笑って見せる人、等々。 (自分のパターンがそう見ているだけです) 予約の診察までに1時間待ち、次の検査場所でも1時間待ち、 採血して戻って2時間、検査追加で1時間、 そしてその結果の話を聞くためにまた2時間待つ。 これは私だけの特別メニューではなく、 同じような時間を拘束された人はたくさんいるのに、 誰一人、受付で怒鳴っている人はいないし、苦情や嫌みを言う人もなく、 ただじーーーっとお昼も当然のように食べずにひたすら待つのでした。 日本人ってすごい。 いや、岩手県民ってすごい忍耐力だなと思いました。 県立病院の事情を知っているからなのか、 もう「そういうもの」という常識があるのか。 自分は途中お昼を食べに行ってきていいですかと聞いたのですが、 次の次に呼ばれると聞いて断念しました。 (がしかし、呼ばれるまで1時間ほどかかった!おーい) まだ検査が全部終わっていないのでまた来なければならず、 そして検査結果によっては、 いろいろ仕事も予定もあきらめなければならないことが出てきそうです。 それは気持ちとしては、 苛立ち、不安感、憤り、焦り、罪悪感。 次は必ずノート、文庫本、つまめるパンを持参しようと思います。 宮古の海 油断して腕が赤くなりました

図書館に行くの巻

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今月の勉強会で話す内容を、 ネット以外から調べるということをしています(自分で出したテーマ)。 久しぶりに行った図書館。 夏休みということもあり、子供たちも本を借りに来ていました。 お盆だから空いているかなと思ったら、 涼みに来ている大人たちも結構いる気がします。 (ただ気持ちよさそうに寝ている人もいたよ~) 高校生かなと思われる子たちは熱心に勉強中。 私は目当ての本を見つけると、 しばらく本棚のすぐ近くの椅子に座って読んでいたのですが、 だんだん気になる箇所が出てきたので、 大きなテーブルの方へ移動し本を広げノートに書き写していました。 斜め前に座っている女子高校生がチラッとこちらを見ていましたが、 自分が集中して書き綴っていると、 その子も結構な長さのものを書いているようでした。 書き綴るペンの音が空間に響き、 本のページをめくる音が心地よく聞こえる。 その中で時間を気にせず、周りを気にせず、好きなだけ本を読んで、 そして勉強できるっていいなあと思いました。 この感じは、 快、落ち着き、静けさ、安定感、ゆとり、おもしろさ・・・です。 ああ、なんか勉強というほどのものではないけれど、 知らないことを調べるって自分は好きなんだなあ。 たまに顔をあげて外の景色を眺める。 人々が本に集中しているこの空間もいいのかもしれません。 宿題はまあまあできましたが、 帰りに読みたい本を見つけたのでまた時間を作って来たいと思います。 もう少し涼しくなったら散歩もしたい

自分はわかっている

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自分はわかっている、というパターン。 「私」はそうは思っていないけど・・・ 自分はわかっている、知っている、 どうすることがいいのかをわかっていると そう思うパターンを選んでいたことを思います。 今までこのパターンを簡単に選んでいたのかもしれません。 簡単に手軽に選んでいる。 考えも浅いというか・・・ いいと思う方向へ行かない展開になると、 イラ立ち、もどかしさ、不快感。 昨日はこれらの感情が特に出てきたように思いました。 今日も今の気持ちをふいに感じ取ってみます。

そのまま言ってみた

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お盆ですね~。 今朝はめずらしく早起きをしてお墓掃除に行ってきました。 お花屋さんにも開店前から並び(みんなこんなふうに並んでいたんですね!) いい感じのお花をたくさん買うことができました。 家にも仏壇があるのでいつも盆提灯を出して飾ります。 テレビを見ていた夫が、 「えーやっぱ出すの?やることいっぱいだな~」 今夫は義母の様子を見に行っているため、 休日も休みという感じがなく、 私まで忙しそうに動くのをとても嫌がります。 そして、そばに来ては(夫はやらないけど)、 あれこれ提灯の組み立て方を、そうじゃないだろう~って口をはさみます。 はい、ここで、今何感じている? 苛立ち、不快感、面倒くさい・・・ この面倒くさいっていう感情、 夫に対しては本当によく出てくる。 あまりにもそばでいろいろ言ってくるので、 「うるさい。いつもやっているから言わなくて大丈夫だよ」 と、気づいたら感じたことそのまんま言っていました。 反撃してくると思いきや、 夫は黙ってまたテレビを見始めました。 自分が今どんな感情でいるのかを知る。 っていうのをしているだけでしたが、 こうやって伝えればいいんだな、と思ったお盆の入りです。 只今調理中。この中には何が入っているでしょう??

ゆったりくつろぐ感覚

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マイヤーリングという滝沢にあるケーキ屋さん。 甘さ控えめの素朴で美味しいケーキがたくさんあります。 今は桃やスイカを使ったケーキやタルトがありました。 季節感があって、職人さんが丁寧に心を込めて作っていることが感じられるお菓子ばかり。 中に足を踏み入れた途端に、 ここはどこ?と外国を思わせるような おどろきと、懐かしさと、ちょっとわくわくしてくる感じ。 この空間があって、時間もゆったり流れていくように感じました。 この時に感じたゆったりくつろぐ感覚も できれば毎日一瞬でも思い出したいなあと思いました。 ケーキを食べれればいいということではなくて・・・ 自分がなんかいいな、好きだなと思う空間と時間感覚。 そういうものを自分の中にも作ってみたいな。 お花さんもくつろいでます

感じられない、を選ばない

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今、何を感じている? という問いを不意に投げかける。 (この、ふいにやるのがいいそう) と先生に言われるも・・・ 四六時中、意識できないものを、 果たして不意にというタイミングで思い出せるのだろうか。 って考え、難しい、できないと決めつけるのもパターンなんだなと思いました。 一日のうちに何度も何度も問いかけるって、 そう簡単なことではないと(パターンは)思っている。 何かネガティブな感情が湧いたときは問いやすいのですが、 その場で、今、何感じているのか? と問うことができない日も多い。 でも、もう、できないという決めつけは選ばない。 何度も何度も問いかけるのは難しい、 と言っているのは誰なんだろうか? ここにも問いかけた方がいいです(自分の場合)。 昨日は5~6回くらいですが、 今、何を感じているのか? 問うことができました。 その中に、面倒くさい、という感情がありました。 感情とは言えないかもしれませんが、 無気力っぽい感じというか、動くのがおっくうな感覚がありました。 こういう感覚、夫に何か言われたときや、 仕事に行く朝や暑い日なんかは特に出てきていたのかもなあ。 ちゃんと感じられている自分がいてよかった。 入道雲 つかめそう~

パターンを選ばない自分になりたい

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2日間の道場を終えてー 語りかけを正しくやり続けることと、 自分はどうありたいのか、という目指すものを明らかにしていくこと。 この2つが体中をこだましています。 この2つについて(他にもあるんだけどまずはここにしぼる)、 次の回までに毎日意識して、 語りかけは深くもっと自分を見ていきたいし、 今、何を感じている?をできるだけ多く問いかけていきたいです。 「考えるな、感じろ」 Don't think, feel 黒パターンで考えるのをやめる ただただ感じよう 先生からの問いを受けて、 感じられない自分はダメだと思っているのもパターン。 分らないことを(感じられていないことも) あれこれ考え続けているのもパターン。 自分はやることがたくさんあって、 どれも優先でどれも必要なことで何も削れない、 と思っているのもパターン。 家族は大事で、夫が今一番大変なんだから 自分が助けるのは当然だと思っているのもパターン。 そんな夫にもしものことがあったら、 一人で生きていけないと思っているのもパターン。 会社員ってこうだから、仕事ってこうだから、あの人ってこうだから、 だから自分はこうするしかないって決めつけたがるのもパターン。 それらを選んでいるのは誰のせいでもなく自分でした。 そう、自分がぜ~~~んぶ選んでいる。 思考して選んでいる。 自分の体のことも、魂の望むこともちゃんと感じずにです。 じゃあ、どうありたいのか? パターンを選ばない自分になりたい。

同じことをやり続ける

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岩手クラスの道場1日目は、 なぜか盛岡冷麺を食べていたときに、 年をとってみんなで学べないという日が来ても 冷麺を食べるたびに懐かしく思い出すんだろうなと思いました。 なんでそんなことを今しみじみ思ったのかわかりませんが・・・ 15年経って、自分があまり変わっていない部分もあるし、 全然違っている部分もあります。 ただこうして続けてこれたのは自分が選択してきたことではあるけれど、 やはり先生やみんなのおかげだと思いました。 クラスの人の発言にパターンが引っかかったり、 みんなより自分は劣っているとか、成長していないとか、 そういう比較のパターンはずっとそこにある。 開示はまだまだだと思うけれど、 これからもっと開示しあえるクラスになっていくようにも思う。 15年前も今も、 感情が騒げばケアをして・・・と、 ホントいつも同じことをやっています。 でも同じことをやっているんだけれど、 15年前とは変わっているところもあります。 朝目覚めると暗い気分で一日を始めていたことも、 眠れなくて気が狂いそうな夜も、 しょっちゅう自分はダメな人間だと泣いていたことも、 今はそういう自分ではなくなっている。 それはやはり、パターンという存在を知ったから。 それは「私」ではないんだと知ったから。 そして、その先にずーっと先にあるもの、 それを見てみたい一心で続けているのかもしれないです。 階段を一段上がっただけで見える景色が変わるように、 今日も自分を知ること、やっていきたい! 今まで食べた中で一番おいしく感じました!

手放せないもの

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毎日の日課、そして永遠と続くご飯作り。 それに役立っているのが、 雑草の中に埋もれながらも育っている野菜です。 途中で枯れてしまったり芽が出なかったものもありますが、 生き残っているのは、ナス、ニラ、ピーマン、ししとう、パプリカ、青しそ。 虫食いも多いし、形もいびつ。 でも味がすごくいい! 雑草をかきわけて収穫していると毎回蚊にくわれ、 この数分間さえも面倒がらずに手袋と長袖を着用することを覚えました。 (かなりくわれてから気づいた・・・) お花がたくさんあった頃もとても華やかで良かったのですが、 花はとても手がかかり、その体力と年々見合わなくなる。 (野菜も本来は手がかかるものかもしれませんがー) 思い切って減らして良かった。 その空いたところに、 ちょっと苗を植えただけなのに育ってくれている野菜たちがなんだか愛おしい。 スペースを作るって大事ですね。 お花をあきらめてスペースを作ったところに、 こんな生活が待っていたとは・・・。 何かを手放す(捨てる)と何かが入ってくる。 もしかすると、これの繰り返しで生活は成り立ち、 逆を言うと、足すばかりではあらゆることがパンクしてしまうっていう、 これも法則の1つでもあるのですね。 自分が心の中に手放せずにいるもの。 今日はそれを見つけていきたいと思います。 トマトはいただきました!

老いていくままに

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梅雨明けしてから、快晴の空と爽やかな風を感じています。 すでにその風は、お盆に吹くような涼しさです。 熊本の方々にこの涼しい風を少しでも届けられたらと思いますが・・・ 一日も早くライフラインが通り、 夜だけでも休まれる状態になりますようにと祈っています。 今朝はお盆が近いためか、 両親の実家がある田舎の夢を見ました。 小学生の頃、お盆と言えばよく泊まりに行った親戚の家があります。 小さかった自分には、 その家に泊まるということがとてもうれしくて、 子どもながらにここは入っちゃいけないんだろうなあ って思うような部屋をのぞいてみたり、 伯母がやっていた美容室が居間のとなりにあって、 そこを何度も行き来するのが楽しかったのです。 家族みんなが寝る部屋も、 横一列に4人分の布団が敷いていて、 思う存分ごろごろ転がったり、 お盆で来ているいとこを誘って布団で秘密基地を作ったり。 親戚のおじさんおばさんたくさんいて、 大勢の食事の準備を手伝うのも楽しかった。 夢の中では、まだその家には到着していません。 向かう車の中でわくわくしながら何かおしゃべりしているところ。 運転している父へ何か話しかけたり、 兄とバカ騒ぎして笑っているのですが、 そこに母だけが今のままの母でした。 母は耳が遠いためにみんなの会話に入ることはなく(ここだけ現実) 後部座席でひとり車窓から外を見ていました。 自分一人はしゃいでいたけれど、 母をひとりぼっちにしてしまったと少し悲しい気持ちになって、 母に「お母さん、今の話はね~」って 話しかけようとしたところで目が覚めました。 母はこの数年で体重もかなり減って歩くのもやっと。 耳は聞こえず、目も見えなくなり、 先日は入れ歯が真っ二つに割れて大騒ぎしたりと(これは笑った)、 日々、自分の体が衰えていくことを実感していく日々ではないかと思います。 このことが、かわいそうだな、悲しいな。 と思う自分がいたことを夢をみて思いました。 母も一緒に楽しんでほしいと思うけれど、 母には母の事情もある・・・ 自分の気持ちは自分でケアができるという考えのもと、 自分は大丈夫だけど、母は大丈夫じゃない。 というのは違う。 私は母の老いていくままに見守っていけたらいいなと思いました。 野菜は自家製!

疲れた日のパターン

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昨日は疲れて早々に寝ました。 今、朝5時でブログを書こうと思ったけれど、 その前に振り返りをしました。 (今年の目標に「毎日、一日の振り返りの時間をつくる」というものがあるから~) 自分はいつも誰かと比べて劣っている、というパターンの その誰かに名前を入れる。 以前も似たようなパターンがあったなと考えると、 大波ではないけれど、小波がゆれているのを感じます。 波は、いつもゆらゆらとゆれていて、 凪になるのはわずかな時間だけ。 その凪の状態というのは、とても静かで、無感情で、何もないような、 それが自分にとっての本当の心地よさでもあるんだなあと思います。 そして、パターンがあると波が荒れ・・・ やはり苦しいし、嫌だなって思うし、イラ立つし、落ち込むこともある。 そういうパターンが出てくることが嫌だと思うパターンもいる。 そこをスルーして、 パターンで語りかけをしていることもあるのだと思う。 ●パターンに出てきてほしくない というパターンへの語りかけ。 体が疲れているとき(昨日のように)特に出てくるように思う。 なぜならば~、 こんなときにパターンに出てこられると、 ちゃんとケアしなきゃって思うし、 でも今日はちょっとできないなって思うと それはそれで放っておかれたままのパターンが気になって 本当には休まっていない気もするし・・・ だから、パターンに出てきてほしくないんだな。 なぜならば~の部分を声に出して読むと、 なんだかこれだけでほっとする感じがありました。 「私」はそうは思っていないけどね、でさらに、すんっとなる。 疲れたときは、このパターンへの語りかけがしっくりきます。 久しぶりの夕焼け

ダイレクトにそのままに

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●自分は他人より劣っている というパターンの語りかけ。 ふと思ったのは、 いつも何事かに対して、他人と比べる思考が習慣になっていて 常に自分はその人と比べて〇〇が劣っているな、 その人の〇〇には及ばないな、と感じているのだと思います。 対象者があってのこのパターン。 なんですがー、 それがいつしか「他人と比べて」の部分が省略されて 「自分は劣っている」と言っている時があるように思いました。 自分一人の存在で見ていけば、 自分自身という人間が劣っているかと言えば・・・何がどう劣っているんだろう。 って、パッと答えが出てこない感じがあります。 やはり、比較があるというところがこのパターンが騒ぐ理由ではないか。 そもそも「劣る」というのは、 昔の自分に比べて体力が劣ってきたとか、 若い時のような情熱がちょっと衰えてきたとか、 そういうことはあるかもしれませんが、 人として優劣をつけることって、 自分一人だけを見ればそんなふうには思っていないような気がしました。 だから、今日は少し言葉を変えて、 ●自分はいつも誰かと比べて劣っている という比較したがるパターンを受け止め語りかけをしてみました。 なぜならば~のところは、 より具体的な対象者に対して感じていることが ダイレクトに伝わってきた気がします。 ありのままで、 パターンの思っていることを変えずに(きれいに整えずに) そのまんまをケアをしていくことも大切だと感じました。 木があるとちょっと涼しい

感情をすくいあげる

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羨ましいという感情がわいたパターンのケアをしていくと 気づいたことがありました。 この人大嫌いっていうパターンのケアをたくさんしてきた私。 それらを振り返ると、 怒り、イラ立ち、悔しさ、苦しさ、悲しみ、憎しみ、不快感の他に そうかあ、羨ましいという気持ちもあったなあ と思い出しました。 (っていうより、今気づいたかも・・・) その人と自分との比較で、 パターンが思う優れているとところを発見し反応していました。 その優れているとパターンが思っているところ。 じゃあ、そうなりたいの?と聞けば、 いやいや、あんなふうには絶対になりたくない!と言う。 だけど、どこかその人の能力とか外見的なものとか、 表面上現れている一般的に優れていると判断されるところを見て、 パターンはその領域の中での憧れなようなものを抱いていたのかもしれません。 なんていつも身勝手なんだろうと思っても、 ストレスなくていいだろうな~と どこか羨ましくパターンは思っていたのかもしれません。 でも、自分にはそういう能力というか器用さはない。 「私」はそうなりたいと思わないのだけど、 パターンとしてはちょっとそうなったら楽なんじゃないかって思っている。 パターンはとても小さな子どもなので、 表面的なわかりやすい部分には飛びつきやすい。 しかも、周囲がその人を否定すれば憧れることはないかもしれませんが、 褒められていたり評価されたりしているところを目撃してしまうと、 あんなふうに自分もなれたらいいなと感情が騒ぐ。 それがパターンというもの。 あなたをずっと一人ぼっちにさせてきて、本当にごめんね。 小さな感情もちゃんと感じていきたい。 緑がいっぱいの中庭