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7月, 2026の投稿を表示しています

過去の意味付け

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他人を羨ましいと思うパターンは、 「私」ではなくパターンの考える素敵な人です。 パターンが考える頭のいい人、人とうまく関われる人、 地位があり成功している人、 おしゃれな人、マイペースな人、苦労がなさそうな人、 したいことをしていて楽しそうな人などなど。 どれもこれも、過去の意味付けのままで、 パターンは思っているんだと思います。 他人との比較って、 なにか時が止まっているかのように、 全てが更新されないものの中での話なのでしょうね。 息苦しく狭い領域の中に住みつづけている・・・そんな感じがします。 これら全部、また新しく言葉の意味や捉え方を考えてみたいな。 でもまずは、 羨ましいと思ったパターンの気持ちを今は大切にしよう。 それから意味付けを考えてみます。 入り口は低めの天井 ちょっとどきどきします

羨ましさ

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今、何を感じている? と問えば、昨日は、 これまであまり出てこなかった感情を見つけました。 羨ましいと思う気持ちです。 苛立ち、不快感の中に、 少し羨ましさを感じていて、 それは、そうなれないと思っているパターンの寂しさ のような感じでもあるのかな。 そっかあ・・・ あなたは羨ましいって思っているんだね。 そうつぶやくと、ざぶーんとした心の波が、 少しゆらゆらとしたものになるのを感じました。 大波ではなく、小波。 ミナペルホネン初めて行くの巻

初心という心

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引き続き「禅マインド」を読んでいたら、 だんだん頭に内容が入ってこなくなり・・・ それで、読み進めるのはやめて最初のページに戻ってみました。 禅の修行は難しいとよくいわれます。しかし、その理由については、誤解があるようです。禅の修行が難しいのは、長い時間ひざを組んで座る座禅の姿勢を保つのが難しいからでも、また悟りを得るのが難しいからでもありません。それが難しいのは、私たちの心を、根本的な意味で、混じりけのないものにしておくこと、そして、修行も混じりけのない、純粋なものにしておく、ということが難しいからなのです。 今の自分の状況を教えてくれるようなことが書かれてありました。 自分はこの本を読んでいるうちに何かここから得たいとか、 自分が知っていることと共感をしたいとか、 今度は最後まで読み切りたいとか思っていたことに気づきます。 修行の目的は、この初めての心をそのまま保つことにあります。 たとえば、たった一度の般若心経を唱えたとしましょう。その時とてもよく唱えられたかもしれません。けれども、2度目、3度目あるいはそれ以上唱えたときはどうでしょう。だんだん初めて唱えたときの心を忘れていきます。同じことが、禅のほかの修行でも起こります。しばらくの間は初心者の心を保ち続けますが、2年、3年と修行を続けていくうちに、向上するところもあるかもしれませんが、初心の持っている無限の可能性を失いやすくなるのです。 ー中略ー 禅の修行で一番大切なことは、「二つ」にならない、ということなのです。私たちの初心は、その中にすべてを含んでいます。それはいつも豊かで、それ自体で満ち足りています。この、それ自体で満ち足りている心の状態を失ってはいけません。これは心を閉ざすという意味ではなく、常にどんなことも受け容れる用意がある心です。心が空であるとき、、それはどんなことも受け入れる、どんなことにも開かれている、という状態であります。初心者の心には多くの可能性があります。しかし、専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。 この「二つ」というところは、 「私」と「パターン」という解釈ができます。 読書すら、時間の経過と共に「パターン」で読んでいるということがわかります。 自分がこの学びをしたときの心は、 純粋とまでは言えなかっとしても、初心だったと思う。 知ることすべてに素直だったのではな...

熱中症に気をつけて

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今日は障害のある方の技能競技会がありました。 競技は建物の中でしたが、 なんとこの暑さなのにエアコンが効いてない! すぐに係の方に何とかしてもらえるようお願いをすると、 扇風機2台と冷風機1台が追加され・・・ でも、その程度では全然涼しくならず 滝のような汗が止まりません。 いくら選手の数が一番少ない競技といえど、 この環境でやるのはかわいそうでしょ! と思っているうちに・・・ なんかもう頭がガンガンしてきて・・・ 水分補給はたくさんしてはいましたが 熱中症の症状になってしまいました。 (選手の皆さんは無事でした) 家に着いたときには、 今日楽しみにしていた大相撲の千秋楽ももはや見る気力がなく、 頭を冷やし横になり、 先ほどなんとか復活したところです。 熱中症になってもおかしくない場所に長時間いて その通り具合悪くなってしまった。 今回限りでこの大会への参加は最後だったんですが、 最後に感謝とクレームを伝えて去りました。 なんとも微妙な終わり方。笑 全国的にとんでもない暑さになっているようで、 くれぐれも皆さま体調に気をつけて涼しいところでお過ごしくださいね。

禅マインド

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禅マインド ビギナーズ・マインド(鈴木俊隆) 大分前に読んだときは、 なんだかよく分からないなと思いながら読んでいました。 今、また何気にページをめくっているのですが、 以前よりも読める箇所が増えていると感じます。 今日は「修行について」でした。 本書では、仏教(禅)のことを言っていますが、 もしかするとすでに生きていることが修行。 という捉え方でもいいのかどうか・・・ 少なくとも、自分自身は道場で学んでいるという 自覚をもっての自分にあてはめて読みました。 その中で、自分の修行が適切なものかどうかを 判断するには、 自分が疲れたり修行がいやになったと感じたときが警戒サインだと書かれてありました。 疲れる、いやになる、やる気を失うということは、 自分の中で修行が理想になってしまっているからだと。 その理想で何かを追いかけようとしている。 そうなるともう純粋なものはなくなってしまう。 これは、普段先生が言っていることではなかろうかと思います。 理想をパターンに置き換えてみるとあてはまるからです。 だから、目的をもってワークをしない、 たんたんとやるということはこういうこと。 また、喜びを感じることもあまりよくないサインなのだと。 ここは、えー、そうなの?と以前の自分は反応したところですが、 今は、本当にそうだよなあって思えます。 ワークをやっている自分はもう安泰かのように思うパターンが喜ぶからです。 本書では、そういう場合どうするか? シンプルに言うと、そこに気づけたことに感謝してまた始めればいいのだそう。 確かに〜! 今、自分が成長しているのかどうかチェックしないようにと、 ここもよく先生から言われる言葉です。 気づいて、ただ、やる。これでいいのだ。 でも、これでいいと思っているときに出てきた本。 なんだか要約してくれているような気がしました。 いろんなパターンを知ったおかげで、 少しずつ読めるようになったのかなと思うと、 まだ理解が及ばず積読されたままの本もこれからの楽しみになります。

話せば話すほどに

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夫のお母さんのことで、 毎日施設で寝泊まりしている夫からいろいろな話を聞きながら、 ●自分の思い通りにしたい(やってほしい) というパターンでみな生きているんだなと思いました。 夫も、母に関わる人たちにこうしてほしいというのがあるから苦しく、 私も、夫にあんまり頑張らないでほしいと思うから苦しい。 そして、母もだし、関わる人たちもみな、 それぞれのその領域での正しさがあって、 そこで考えたことが行動につながっている。 昨日、施設の方に介護の仕方について、 こまごまとしたことを話していて気づいたのは、 「・・・ってパターンは思っているんだよね」でした。 相手を責めるような言い方にならないように気をつけよう 自分は正しくも何でもないのだからと思いながら話したのですが、 どんな言い方をしようとも、 結局は全部パターンが言っている。 話せば話すほどにそれを感じました。 今、見るべきパターンはここだなと思うので、 語りかけからはじめて、そして、どうありたいか? のところまでたどり着いていきたいです。 ガマの穂!

国語辞典を引く

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最近、語りかけで分からない言葉や漢字があると辞書を引いています。 スマホをパッと開いて調べるのが常でしたが、 突如、棚の奥に国語辞典があったこと(それも兄のお古)を思い出し、 引いてみたくなりました。 すぐに出番があり引いてみると、 言葉の右側のところにえんぴつで線が引かれています。 ということは・・・ まだ10代の若かりし自分が、まったく同じ言葉の、 意味なのか漢字なのか分かりませんが知りたくて調べていたということですよね。 って思うと、なんかすごくないですか! 40年以上経っているのにまだ引いている(ちゃんと覚えられていない)ってこと。 毎日、結構な割合で、 もうすでに線が引いているものを引いてしまいます。 そのたびに、線を新たに引けないことにがっかりしてしたり、 まだ一度も線を引いたことのない言葉に出会うと、 何だか誇らしくうれしい気持ちになるのでした。 これは、新しいことを覚える方が勉強した気になるというパターン。 または、自分は進んでいる成長していると感じたいパターンなのかな。 辞書を引いては、そっか!と思い、 また忘れては、確認したくて引く。 この行為自体が好きで無心に楽しんでやっていた。 勉強(学ぶこと)ってこんなふうに手間をかけながら、 遊び心をもちながら続けられていくんだなあと、 昔の自分に教えられた気がしました。 年季入ってます! ページをめくる音、手触りも好き

ふわふわした白い毛

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以前から行ってみたかった山荘のそばにある動物舎。 とてもきれいに管理されたところに、 羊、ヤギ、ポニー、牛、そしてウサギがいました。 こののんびりとした土地柄にぴったりの 全く噛みつく様子も暴れることもしない、 ストレスゼロでここにいるのではないかと思うほど、 素朴な動物たち。 みんな地球の仲間だなあって思う。 うさぎは、昔飼っていたミミというメスのうさぎにそっくりで 釘付けになりました。 でも、よく見るとミミよりも耳が大きく体もデカい。 ふれあい用のカゴに今にも脱走しそうな元気なのが1匹、オリには2匹お昼寝中でした。 聞けば、ジャンボウサギという品種なんだそう。 秋田ゆえに「どんぱん三姉妹」と名付けられていました。 注:秋田には民謡どんぱん節というのがあり、ここ大曲ではジャンボウサギの発祥の地でもあり、動物舎ではこのような意気なネーミングで呼ばれていました。雪深い地域に住む雪うさぎというほのぼのとしたイメージとはほど遠い、食用目的で品種改良されたうさぎなんだそう(食べるのは可哀そうすぎる…)。 人の手に慣れているせいか撫でても嫌がらず、 ふわふわした白い毛は本当にもう癒しのなにものでもありません。 とにかく可愛かった~~! また会いに来るね~~!

楽しさを無理に感じようとしなくていい

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イベントでは今回もはじめての方々との交流。 笑顔いっぱいで楽しい一日でした・・・が・・・ 自分はその中にいて何を感じていたか? 一緒に大笑いし、素直に楽しいと思う時もたしかにありました。 でも、自分がこれからもずっとやりたいことではないなあと感じた瞬間もあった。 小さな焦燥感というのか、 平たく言えば面白さや自分にとっての必要性を感じなくなっている。 自分はこういうものを求めてはいないことや、 (イベント自体は素晴らしいことだと思っているんだけど) 体の疲れも感じていました。 でも1年前の自分は全くそうではなかった。 疲れがあっても吹っ飛ぶくらい、 この時間を楽しめたし癒されてもいたし、 学ぶものがたくさんありました。 今でも学ぶものはあるけれど、 以前の自分とは変わってきているのかも(パターンも変化する) ということに気づきはじめている。 一度決めたことだし、相手がいることだから今さら変えられない。 っていうのもパターンです。 楽しさを無理に感じようとしていたことも今日感じました。 そして本当に楽しみなのは、 温泉に入って非日常を大自然の中で過ごし、 時に友と語らうゆったりした時間。 そこでは一人自分を振り返る時間もたくさんあります。 そうか・・・私はこういうことがやりたくて イベントを手伝っていたのかもしれない(こっちがメイン)。 もしかしたら、他人から学ぶ事より今は 自分が感じて考えて実践していくことを選びたいのかもしれません。 今朝はきゅうりメインの冷汁と目玉焼き

家族それぞれに大事なこと

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今日はちょっと何ていうか今までにないことがありました。 「快」か「不快」かと言えば、 本当にどっちとも言いがたい・・・ でも感情が全くないわけではないので、やや快かもしれません。 何のパターンなのか、まだ見れていませんが、 「快」の中にこれからどう自分がまた感じていくのか、 観察していこうと思います。 夫のお母さんの体調が思わしくなく、 お世話のために(少しでも口から食事を摂ってもらいたいために)、 「俺、会社1か月休むことにした~」と言って、 今朝早くに布団を車に積み、お母さんの施設へ向かった夫。 驚いたのは驚いたんですが、 何かそれで良かったって思ったのでした。 夫の体や気苦労を思うと心配がないわけではありませんが、 自分が選択して行動していく姿に、 ここ数日悩んで悩んで決めたことなんだなと思うと、 私もできることをしたいと覚悟が決まった気がします。 そんな中、娘も突然会社を辞めようかなと言って、 世間一般的にはダメなことなんだと思いますが、 2週間ほど行ってません。が、しかし、 それで良かったなと思って見守っています。 今までしたくてもできなかったご飯を作ったり、 部屋の掃除をしたり、散歩してみたり、 両祖母たちに会いに行ったり。 15年近く働いてきた会社の仕事を全部放り出し、 ずっとやりたいと思ってきたいことを今やっている。 何もしたくないのかと思ったら、 その逆だったんだなあと思ってみています。 それで、私は・・・といえば、 明日はいつもの秋田のイベントで一泊してきます。 以前なら、こんな時に遊びに行くなんてとパターンを嫌って感情はゆれたと思う。 けれど、パターンなんだなと自覚を持ちながら 楽しんでこようと思います。 家族であってもみなそれぞれに、 今自分にはこれが大事だなと思うことをしたいんだなあと感じた一日でした。

待てなかったこと その2

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昨夜、母の入れ歯が、なんと、 真っ二つに割れてしまいました! 40年前に作った入れ歯。 これまで何度か修理して使っていたのですが、 もう限界なのか・・・ 母はこの世の終わりのように大ショックの大パニックでした。 私はそんな母をはじめはなだめていたものの、 歯がなくてもムース食っていうのが今はあるよ、お母さん! と介護食のセールスマンのように、 画像を見せながらこんな食事もあるし、 これより形が残るタイプもあると。 まだまだ歯がなくても食べれるものはあるから安心してと説明しました。 でも・・・ こういうところなんだあと思いました。 待てていない自分(←パターン)。 母がこの大パニックから一刻も早く脱して落ちつきを取り戻してほしい。 と、パターンは思っている。 そうじゃないと、 自分がいつまでも母をなだめなければならず、 母の機嫌をとる生活が続き、自分が安心できないと思っているのです。 こういう時こそ、 母の気持ちを待ってあげられたら良かったなと思いました。 寄り添う時間を短めに切り上げてしまい、 母が自ら落ち着いていくことを信じて待てなかった。 その後、入れ歯は思いがけずたった1日で修理されて戻ってきました。 母の満面の笑みを見て、 いつもみてくれている歯医者さんも一緒に喜んでくれました。 「待つ」っていろんな待つがあるんだな。

眠れないことと眠いこと

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この頃、また睡魔というか、 寝ても寝ても眠い・・・です。 何度もこの話、すみません。 でも、つらい・・・(ってパターンは言っている)。 いかに帰宅後、1時間でも長く正気で起きていられるか? と毎晩思っているけれど、 ソファーに座ると即効で頭も体も寝る体勢に入ります。 たぶん、単純に疲れているからだとは思うのだけど、 こういうことってあるんだなと。 (あとは年齢的なキャパオーバーか) そんな私ですが、 一時期は全く眠れないことが何年もありました。 ヨガをしても、眠くなる音楽をかけても、アロマを焚いても、 本を読んでももう見事に、夜中中起きていられたのです。 また、薬に頼ってみると、 寝つきがよくなり眠れたりもするのですがー、 だんだん体が薬に慣れてくるのか、 その1~2時後にはぱっちりと目が覚め、 またもんもんとしたつらい時間を過ごすのでした(で、朝もつらい)。 眠れない時こそ語りかけ。 と当時は思ったのですが(考えないために)、 今度は、寝ている家族に物音を立ててはと、 気を遣って集中できず、またそれでより神経過敏になるというか、 交感神経だけが活発になっていたかもしれません。 本当につらかったな・・・あの時期。 だから、「私、眠れないんです」 と言う方のお気持ちよ~くわかります。 今はその時のツケをとり戻すかのように眠らされている自分。 あれをしたい、これをしなきゃと思っても、 強制終了させられているかのよう。 こういうことも、もしかして陰陽のバランスをとっているのかな。 今日は33℃ 中津川が涼しそう

待てなかった

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つくづく自分は「待つ」ということが苦手だと、 そうパターンは言っているし、 「ここは待つところ」というタイミングを自覚せずにきたように思いました。 答えは早く出した方がいいとか、 早く解決したいとか思うパターンは、 そうじゃないと、不安とともにいつまでも居なければならない。 その時間が苦痛。だから、待てない。 どういう時に待てばいいのか、そうじゃないのか。 それらを誰かに聞いてわかるものではないし、 自分で考えるしかないんだな。 (っていうより、常に意識してもいいくらいだな) 仕事でも早く片付けてしまいたいために、 結論を立てて、あとはそこに向かっていけばいいかのように、 自分でシナリオを作っていることがあります。 そうなると途中で変更があったり、 相手が気が変わったりすると、 えーーー、今さら~何でよ~~と、 相手の言動にイラっとしたりするのです。 自分があのとき、待つということをやっていれば、 別に事態が一変しようと関係ないことなのに。 さっさと進めたから(または妄想したから)こうなっているだけ。 今まで私にせかされた人はどれくらいいるんだろう。 本当にみなさんに謝りたいです。 言葉以外でも、 早く決めてほしいというオーラを出していたかもしれないし。 何より自分自身が待てないから(苦痛だから) という理由でそれをするのはもう辞めよう。 苦痛とともに、わからないまま待ってみよう。

ずーっとあまえてきた

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3日間の茅ヶ崎で感じたことの中に、 自分がいかに自分以外の他人とか社会とか家族とか仕事とか、 そういった取り巻くものたちの中で あたり前のようにあまえて生きてきたんだなって思いました。 道場で学んでいてもその大きな錯覚に気づかず、 こういうことやっているんだから、自分は大丈夫なんだと、 ワークさえやっていれば何とかなるって思っていた? ・・・自動的に鍛えられていると思っていました。 思えば、今にはじまったことではなく、 子どもの頃からずーっとそうだったかもしれません。 たった何か1つやってのけると、 もうそれでいいと思ってしまう。 病気になったときも、 「すごいね、よく乗り越えたね」と言われて、 苦しんだ分、自分でもすごいなと。 これからはどんなこともやっていけると思っていた。 でも今は、その場限りのものではない継続していく力、 自分をひっぱっていく力が欠けていると思いました。 新しい意味付けの元に、欠落している資質は何か。 そこを今考えているのですが、 自制心、忍耐力、リーダーシップ、柔軟性、そして継続力。 このあたりが今朝浮かんできました。 これまでとは違う意味も持ちながら、 自分に欠けているものとして、 また自分を引き上げていく力として意識してみたい。 それは、自分がこれからどうありたいからなのか? またここも考えていこうと思います。 今朝の収穫 

相手にちゃんと伝える

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自分の思い通りの夫でいてほしい というパターンに語りかけをしました。 「夫」のところには、 その時によっていろいろな人が入ると思います。 もやもやしたり、無性に腹が立ったり・・・ そして感情に振り回されるととても疲れます。 そうしたことが起こるたびに、 語りかけだけではダメなんだなと思う(それはそう!)。 今、自分に必要なことは何なんだろう。 パターンにだまりなさいと言って 「私」がここから管理者となって管理していく。 この強い意思も必要。 自分はこう思った。 だからこうしてほしい。 というようなことを伝えると、その後はケンカになることもなく・・・ そうしてくれた夫。 一方で自分も、こうなる前にやれることはあったなと思い、 次はああしようと自分がすることも確認しました。 これからも二人の生活が続いていったときに(たぶん)、 二人であっても一人で生きていくのだと思うし、 一人で生きていくことを自分が選ぶのであれば、 こんなふうに意思表示していくことが出てくるのかもしれません。 思うだけでは何も変わらないし、 相手を変えるために言うのではない。 自分を大事にしていくために伝えていく。 そんな気がしました。

いつもと違う行動

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昨日は電車でうとうとしてしまい、 間違えて違う駅で降りてしまいました。 しかも降りてしばらく気づかず~ (リニューアルしたんだなあって思って歩いていた) あわてて戻る。 いつもなら、 新幹線の時間まで、駅で何か食べたり飲んだり、 時間がさほどなくっても、 お土産探したり自分のものを買ったりするのですが、 何も買わずにホームに向かいました。 でも、それで良かったと思いました。 新幹線の中では、 お隣りの女性が車内販売のシャインマスカットのアイスを頼み、 うわぁ〜美味しそう、食べたいな、でも420円か! 結局、ここも買わない(水があるしな)。 何も買わないという行動。 本当に小さなことですが、いつもなら食べたいものは食べ、 欲しいと思ったものは買って、よい気持ちになっていた自分。 (これもパターンを満たす習慣化した行動だったんだな) でも、そこではない体験が今の自分には必要なのではないかと、 それをやってみたことがなんか良かったと思いました。 道場の皆さーん、ありがとうございました!

ただ、やる

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おはようございます! 昨日は沖縄から来たYさんや、 久しぶりに会うWさんがいて、 懐かしい(うれし〜〜い)だけではなく、 みんなそれぞれの場所でがんばっていたことを思いました。 自分は、他人より劣っているという このパターンで話を聞かないように意識しての参加でしたがー、 パターン自体は反応しまくっていました。 みんなどうしてこんなに理路整然と話せるんだろうとか、 自分のやるべきことを分かっていてすごいなあとか、 こんなに深く自分を見れているんだなあとか。 感情としては驚き、うらやましさ、 悔しさ、寂しさ、不安、緊張感なども感じていました。 今までたくさん学んでやってきたことを 自発的に使っていく。 先生からの言葉を聞いて、 あらためて本当にその通りだと思ったし、 反応してなんぼのパターンたちでいいのだと思いました。 自分のレベルも再確認した一日。 でもそういうレベルにいても、出来ることをやる。ただやる。 今日も一日よろしくお願い致します!

明日は晴れますように

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明日から茅ヶ崎です。 明日の朝に準備しても間に合うほど荷物も最小限で、 我ながらもう慣れたものだなあと思います。 なんて言ってても、 結構な頻度で忘れるのがお金。 大体忘れものって、盛岡にいてもお金なんですね(なんでーーー!)。 今回はこうして今書いているくらいなので忘れないと思います。 私は一人でホテルに泊まるのが好きなので、 旅行はもちろん、出張でさえもたまらなくわくわくします。 ましてや茅ヶ崎ですから・・・ ただ、今回はいつもより緊張しています。 毎回セミナーの後に、 今回も全然わかっていなかった~ということが分かった。 という感想を、おそらく自分は持つような気がするのですが、 その「分からなさ度合い」がどんだけのものなのか・・・ 少し不安にパターンは思っています。 がしかし、 他人と比較するパターンはもう選びません。 そこには恐れず、むしろ飛び込み、 たとえ、【他人と比較するパターン】や【自分は正しいのパターン】 【自分は特別で一番だのパターン】や【自分は劣っているのパターン】など、 その他いろいろパターンを嫌うパターンとか出てきたとしても 即座に、 「私」はそうは思っていないけどねと心の中で言います。 そして、話をする際は「・・・ってパターンは思っています」と。 で、ときどきは、今、何感じている?と、 感情をキャッチしていこうと思います。 やることいっぱいだな。 宮古のさとう衣料店 このセンスが好き!

正直と嘘つき

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今日、自分が話しながら、 あ・・・今、自分は嘘をついた・・・と思ったことがありました。 そのとき、何を感じていたかといえば、 苦しさ、不快感、後悔する気持ちです。 嘘をつきながら、自分が嘘をついているとはっきりと自覚した。 こうやって自覚できるものなんだと、 それにもちょっと驚きました。 正直さとは、嘘をつかないこと・・・だけではないのかも。 嘘をついたことをその場で自覚し認められたことも もしかすると正直だったと言えるのかもしれない。 感情をキャッチするセンサーが働いていたということで 良かったのかもしれない。 今朝の収穫~~

パターンが理想とするところの正しさと人間性

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初めて心のカラクリを企業研修で取り入れたとき、 一言でいうと、あれはカラクリならぬ、 空振り又は空回りだった(とパターンは認識している)。 ものすごい緊張と、頭も真っ白になりながら、 必死でやっていた気がします。 はりきって変な自己紹介もしたりして・・・ 思い出すだけで顔から火が出る(とパターンは思っている)。 と、過去形の話ではなくー、 人前で話すことは今でも緊張はしますし、 むずかしいことを質問されたらどうしようとか、 ちゃんと「それはわかりません」と言えるだろうかとか、 そこも不安に思うパターンがいるのでした。 自分が話した内容を納得してもらいたいとパターンが思うのは、 それだけ、自分が言うこと説明すること、 自分が正しいということを証明したいからなんだと思う。 証明できれば安心し、できなければどうしたらいいのかわからない・・・ ってこれもパターンが思っているのだ。 それにプラスして、 自分がいかにそこの社員の方々と誠実に向き合えるか。 自分自身がまずは楽しめるか。 ここを求めるパターンもいる気がしたし、 そのパターンの求めているのは精神性のようでいて、そうじゃない、 まだまだ表面的な部分ではないかと。 どっちもパターンが思うところの正しさと、 パターンが理想とする人間性。 今回は、今までと違ってこんなふうな自分への変化を感じました。 中ノ橋通  北田屋さんでは 、ととろ蕎麦以外食べません なぜならば~日本一うまいから!

いつでも自分が正しいと思っている

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自分が正しいというパターンがあることは自覚をしているのに、 そのパターンだったとすぐには気付かないことがあります。 相手が状況に合わない言動をしていると、 なんでそういう行動になるんだろうってイライラしたり。 自分のやり方ではないやり方でされると、 そうじゃないでしょうってムッとしたり。 相手に反応がないと、わからせたくてさらに話してみたり。 (反応がないのはまだわかってないんだなーとパターンが思うから) というようなとき、 自分が正しいというパターンがそうさせている。 でも、そこにすぐに直結しないため、 あんな言い方されたくなかったとか、 あんな態度はないでしょうと、 相手の問題だと思う癖が抜けないのだと思いました。 どこかこれは相手の問題もあるでしょうって思いつつ、 でもイライラしているのは自分だから、 そこの部分はパターンを理解せねばとケアをしている気がしました。 この怒りは、 どこのパターンにつながっているのか? 根っこを見ると、パターンが思う正しさにすべてつながっていたのかも。 ケアをするのに自分の内ではなく外を見ている。 つまりパターンよりでやっていたってことがあります。 「正しさ」というパターンが思う絶対的なものは、 引っかかるときは何かもっと、 大きな感情に飲みこまれそうになるときだというのも、 無意識にあったかもしれません。 でももっと身近で吹けば飛ぶような小さなことにも隠れている。 自分は正しいとパターンは思っているから、 ちょっとしたことで、 そうじゃないでしょうってなことになるんだなあと。 いつでも自分が正しいとパターンは思っているってことか~~ お庭のあじさい、今年は咲いてくれたよ~~

それ、パターンで言っているよね?

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以前、勉強会で自分の話をすると、 クラスの人から「それ、パターンで言ってるよね?」 と言われたことがありました(毎回のように・・・)。 今となれば、本当にその通りで、 「そうなのよ、パターンはそう思っているんだよね」 と言えるのに~ その頃はそれを言われることがとても嫌でした。 パターンで言っていることを自分が認識できていないと 毎回指摘をされている(直されている)かのようで、 これじゃあ何も話せないじゃんって思っていました(←っていうのもパターンですけど)。 不思議なもので、 「・・・ってパターンは思っているんだよね」 と心の中でつぶやくことをやっていると、 パターンがそれ以上ああだこうだと言わなくなり、 気持ちも落ち着いてくる感覚があります。 でも、それを言わずに(気づかずに) ごく普通にいつものように話していると、 やはりパターンで話しているという意識はないのだと思いました。 勉強会ではあたり前のようにパターンを意識して話せていたと思っていたけれど、 そうでもなかったのです。 「それってパターンで言っているよね?」 と言われときに悔しく感じたのは、 パターンで話していることを自覚できない自分をゆるせないパターン。 今もし、このパターンに引っかかったら、 語りかけをしていくだけだー。

どちらかのルーティン

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今年も半分過ぎました。 早いですね〜 今年の目標は、 一日の振り返りをするということで、 感情、感覚、出てきたパターン、 そしてパターンのケアをすることを毎日のルーティンに入れてきました。 私は元々ルーティンで毎日この時間にワークをするということがなく、 今年の目標としたこともあり、今はだいたい2パターンの時間の使い方が定着してきました。 疲れているときは、早く寝て朝に昨日の振り返りをする。 元気なときは、夜にその日の振り返りをする。 これだけのルールですが、 今の自分にはこのどちらかを選択するだけで 自分に向き合えている気がして、 本当にちょっとの工夫で変わるという経験は大事なんだなあと感じました。 中には、疲れていて夜も朝もダメ〜って日もあるけれどー、 残りの後半戦もこれでやっていこうと思います。 梅雨入りしてから晴れてます…