過去の自分を見る

これからどうありたいのかを考える時、
じゃあ、今までの自分はどんなだったのか?
自分のやってきたことを明らかにしていくことも大切だと感じました。

過去はもう関係ない・・・のではなく、
なぜそういう自分であったのか、
認めたくない部分や、自分が悪かったとは思いたくない部分、
間違っていたと他人から思われたくない部分など、
必ず過去にはそういう見たくないところがあるのです。

何となくそうしてきたというものでさえ、
ちゃんと深く丁寧に見ていくと、そこには恐怖と不安があったりします。
その恐怖と不安から逃れるために、
感じないように、また深く考えないようにしてきたのだと思います。

でも本当は、何かは感じていて、
どうにかしたいと思っていることはたくさんあるのです。
勇気がないから(という理由をつけて)やらなかったことや、
他人へばれるのが嫌でわかったふりをしていたことなど、
もうそんな自分ではいたくないと思っているのです。

人はなぜか、どこまでも自分を正統化しようとします。
できれば間違っていないと、仕方なかったんだと思いたいところがある。
また、自分自身を責めることも得意。
責めて責めて、何か許しでももらいたいと思っているのか、
自分を卑下するのも保身。

そんな弱い自分であることを、もう隠さなくてもいい。
怖かったから、不安だったから、
だから自分をちゃんと見ることができなかったと認めていいのです。
もうそこではないあり方をしたいのなら、
もっと強烈に、過去の自分は嫌だ!って思わなければ変わりません。

もうわかったふりをしなくてもいいのだ。
わからない時は、自分は本当は何一つわかっていないんだと言っていい。
全然わかっていない自分を明らかにして、そして見ていこう。

どんな気持ちも全てわかってあげられるのは「私」だけです。
これからどうありたいのかを考えるのなら、
どうありたくないのか(これは絶対嫌なんだー!!)
こっちも心に刻んでいきたいと思いました。


フリマで、焼き魚皿買った







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