だれを責めるかの違い
自分を責めることも、他人を責めることも、
だれを責めているか?の対象の違いだけで、
起きていること(していること)は同じなのかもしれません。
自分を責めるというのは、
そんな自分であってはならないという、
それを許さないと決めている、頑ななものが心の中にあります。
だから、自分を懲らしめ責めなければならないのです。
他人を責める場合も、
自分を許せないことから始まっています。
無能な自分、できない自分、さえないパッとしない自分が嫌で、
そんな自分の中にある大嫌いなものが、他人を通して感じてしまうと、
自分自身(←これ、パターン)は耐えられなくなってしまうのです。
だから、他人を責めるという行為で、代わりに自分を責めている。
だから、あの人のこういうところが許せない、嫌だ、ムカつくという時、
ほとんどが、自分の中にも同じようなところがあって、
手を変え品を変えそんな自分ではないと隠してはいるのですが、
結局自分が許せていないので、他人の中にそれを見るなり反応してしまうのです。
もしも、自分のそういう許せない部分があるということを少しずつ理解し、
許せないということを明らかにさせていくことができれば、
それ自体がすでに許そうとしている行為であり、
「許せる」ことに意識が向けられ状況が変わり始めます。
自分の中に許されて存在しているものは、
他人の中にそれが見えても、やはりそこにあっていいと思えるようになる。
存在していることが気にならなくなる。
他人の中にあるそれももう責める必要はなくなってくるだと思います。
少しややこしい話になりましたが・・・
自分にないものは相手の中にも見えず、
また、自分にあるものは、相手の中にもそれを見つけることができる。
久々に雪、降りました |
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