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6月, 2026の投稿を表示しています

自分は正しい、というパターン

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今語りかけをしているパターンの中の言葉をとって、 いろいろ意味付けワークをしています。 その中で、パターンっていかに自分が楽に生きていけるのかだけを 考え続けているんだなあと思いました。 ここで言うところの楽とは、 まったく嫌な思いをすることなく、あなたが正しいです、 一番です、素晴らしいですと、 称賛をあびては自分をかえりみずに守られて生きる。 という意味の楽。 (言葉にしてみると、なんかすごい・・・) 「正しさ」の意味付けのプラスで出てきたものに 「文句を言われない」というものがありました。 これが出てきたとき、あ~なるほど!と思いました。 そう、パターンって、ちょっとの文句も言われたくないんですよ。 自分の正しさは最強で、 それさえあれば他人からも納得してもらえるし、 とやかく言われないし、堂々としていられる。 とパターンは思っています。 でも、それらの弊害として何がおこるかと言えば、 「そこが絶対だと思ってしまう」 というマイナスの意味付けも出てきました。 正しさはプライドとなり、 自分を守るために盾となって立ちはだかるのだ。 考えてみると、 ●あんな言い方されたくなかった、 というパターンがちょいちょい出てくるのは、 大事にされたいというのもありますが、 パターンの正しさを否定されたと感じた際に出てくるもの。 パターンは、ちょっとの否定もゆるさんぞと、 正しさという盾をかざして戦っているんだなと感じました。 これは苦しい。 ●自分は正しい、というパターンのケアをしっかりやって、 この苦しさからパターンを救っていこう。 きっとこのあたりが自分の(魂の)課題なんだなあって感じます。 先日のピザは、紫波フルーツパークで作りました 秋はぶどう狩りも楽しめます!

『かくかくしかじか』私の場合

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映画『かくかくじかじか』を観ました。 漫画家の東村アキコさんがまだ高校生だった頃、 地元の絵画教室の恩師との9年間の日々を描いた作品。 東村さん役を永野芽郁さん、師匠の役を大泉洋さんが演じていました。 大泉洋ファンの私としては、 どうしても役柄以上に本人の素も出ているように感じてしまい・・ とても面白くて泣けるいい映画でした。 とにかく無謀な教え方をする先生。 その時はどんなにか怖くても、 なぜかついていってしまう生徒の気持ち、わかる気がしました。 温かくて優しくて真っすぐで・・・という先生の本当の心を感じているから。 そしてそこに来る人はみな、 1つの目的(絵がうまくなりたい、描きたい) というだけで先生の言うことを黙って聞いています。 映画の中で、とにかく 「描け(かけ)ーーー!」 「考えずに描けーーー!」 と主人公が何度もげきを飛ばされるシーンが出てきます。 これ、道場の先生と重なってしまいました。 「ちゃんとやりなさい!(パターンへの語りかけ)」 「考えるんじゃなくて、感じる!」 って言われているのと同じではなかろうか。 (いろんな言い方をしますが、中身はこれ) 竹刀こそ振りかざしませんが、 会ったときからずっと、先生は私に(私たちに)、 自分を見ることだけを言い続けています。 自分との関係を作らずして他人との関係は築けないということを ずっとしつこいくらい、ダメ出しを毎回しながら、 何度でもあきらめずに言ってくれる。 それがどんなに大事なことであるのか・・・ そしてそこからすべてが始まっていくことも教えてくれています。 (まだまだ自分は道の途中) 映画のように多感な時期に出会っているという話ではなく、 私の場合は40も過ぎてからの出会いです。 いい大人になってから、 「先生」と言える人が今いるということ、 学びたいと思うことがあるということが すでに恵まれているのではないかと感じました。 来月は茅ヶ崎に行きますが、 とにかく毎日語りかけ。 その他もろもろ毎日自己探求。続けていきます!

自分が中心でいたい

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自分が中心でいたいと思うパターン。 意味付けワークを「中心」でやってみたら 広くなりすぎて分かりづらくなってしまったので、 「中心にいる(人)」で意味を考えてみました。 プラスは、 大事にされる・人が集まってくる・守られている・認められている・尊敬されている・ムードメーカー・象徴・重要・核・何もしなくても物事が進む・楽・人に(良い)影響を与える 中立は、 中心にいるというただ一つの事象。 マイナスは、 何をしているのか本当のところが見えにくい・(逆に)していることが目立つ・責任が重い・そこにいると見えないものがある・周りの人あっての自分だということが気づけない・うぬぼれやすい・偉くなったかのように勘違いしやすい・中心にいないと何をしたらいいのか分からなくなる・人に(悪い)影響も与える 意外なところでは、プラスの意味付けに、 何もしなくても物事が進むという捉え方がありました。 中心にいるということは楽なことだと パターンは思っていたんだなあ。 でもマイナスをあげてみると、 周囲へのありがたみとか分からなくなったり、 そもそも周囲と中心と、別エリアに分けて捉えているため、 その楽エリアから外れたとパターンが認識してあわてふためき、 苦しくなっているのかもしれないと思いました。 どちらがいいとか悪いとか、 もうそこではないエリアがある。 そこには、人を介しての自分ではない清々しさがあるように感じました。 「もしかしたら・・・自分が中心でいたいって、 もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」 これを空を見て唱えます。 ピザ作り体験

感情のキャッチから

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毎日いろいろなパターンをキャッチするんですが~ 自分は特別で一番だと思うパターンの親戚? 自分が中心でいたい、と思うパターンがいることを感じます。 同じような系統のものは他にもあって、 大事にされたい、尊重されたい、というものあります。 自分が中心でいたいんだねー ってパターンがいることはわかるけれど、 いつも語っている、自分は特別で一番というパターンでは、 なんかしっくりこない感じがありました。 なぜならば~以下の語りかけが、 やはり違うからなんだと思います。 なぜ中心じゃないとダメなのか? 中心という意味付けはこれからですが、 他のエリアにいる自分のことを、 大事にされてない・尊重されていないエリアにいるのだと パターンは思っているように思いました。 不安、緊張感、寂しさ、いらいら などといった感情。 どう対処したら、どう自分が居ればいいのかわからない。 だからそういう感情や感覚がわくのだと思うけど・・・ 以前の自分にくらべたら、 少しづつその中心ではないエリアにいれるようになっているような気はします。 でも不意に留まれなくなってしまうのはなぜか? パターンがさわぐ瞬間を感情をキャッチして、 もっと観察していこうと思います。 シンプルなカップに上品な量

たましいのどうじょう

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昔、「魂の道場」で学んでいることを聞かれたら何と説明するのか? ということを考えたことがありました。 そのとき、本当に何と言ったらいいのかわからず、 自分を知るための方法を実践することだったり、 全て自分の中に答えを見いだしていくものだったり、 確かにそうなんだけれど、 もっとスキルやノウハウではない表現はないものだろうかと考えました。 「道場」という言い方もなんか古くて固くて(先生すみません)、 しかも「魂」が付くと、ちょっとなんか怪しくないですか?とたぶん思う人もいる。 でも今や、 若い人たちに絶大な人気をほこるミュージシャンでさえ、 ごく自然に「魂」という言葉を使ってファンに語りかけ音楽を表現する時代なのです。 なのに、カウンセリングや、自分を知る方法の中で、 「魂」という言葉が入ると、 受け入れ難くなってしまうのはどうしてなのだろうって思う。 魂が肉体を持って生まれてきて、 肉体を使って自分の課題に挑戦していくためにこの世があるとすれば、 その挑戦は、自分とは何かを知ることでもあり、 その自分というのは愛のかたまりであり、 人も花も動物たちも地球もすべてそうであることを知るために、 自分だけの課題(人生のテーマ)があたえられていると思うのです。 自分はつくづく出来が悪いため、 そういう学びを通して自分を知る練習を時間をかけてやっているのだと思います。 人がうらやむような幸せを望むならば方法はたくさんあるし、 自己理解の方法だっていろいろあふれています。 でも、自分はこれだった。 一歩進んで二歩下がるような道。 根拠などなく、私=魂だけがいいと感じられるもの。 それが道場の教えにはあるんだなと思っています。

片付けよう

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今朝は地震で目が覚めました。 今日はお休みを取っていましたので、 スマホの目覚ましもかけず、夢の真っ只中でしたが~ スマホのアラーム音で起こされました。 ニュースでは思ったよりも被害は今のところ少ないようで良かったです。 沿岸の方々は津波が頭をよぎり、怖かったと思います。 地震が最近続いていますので、用心していきたいですね。 今朝の我が家の被害も大したことはなかったのですが、 床を見ると・・・テーブルの上の小物入れが落ちている。 (と、聞くとホント大したことないんだけど) その中のこまごまとしたゴミのような雑貨たちが盛大に散らばっていて、 あちゃ~という感じでした。 クリップ、髪留め、ボタン、付箋、ペン、使っていないストラップ 期限がとっくにすぎた券とか、もう連絡しないんじゃない?と思う名刺とか どれに使えるのかボールペンの替芯とか、メガネのレンズだけとか。 何でもかんでもそこにとりあえず入れてしまっていたので、 もう片付けろってことですね。 飾っていた写真や絵画なども倒れていて、 戻すとそこにはけっこうなほこりが・・・ ああ、これも掃除しろってことですな。 最近、捨てるもの、整理整頓するもの、 いろいろ断捨離的なことが続いていています。 そういう時期?なのかと思い、 気づいたところからやっていこうか。 このレンズがうけた…何で取っておいたのか?

相手もパターンで話している

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話を聞いた後に、 何とも言えない違和感を感じることがありました。 そのときはそれが何なのかよくわからず、 自分がちゃんと相手の話を聞けていないということなんだなと、 パターンは思っています。 後から、 その人が自分に肝心なところを話していないことが分かり・・・ 違和感を感じたのはそういうことだったのかと、 腑に落ちた感じがありました。 パターンって、 自分にとっていい返答が欲しかったり、 自分には非がないと思われたかったり、 それが欲しいためにそこへ誘導することをします。 その人が本当のことを言いたくなかったのは、 何かしらのパターンがあったんだなあと、 自分がそう思えたことに、今までになく新鮮な気持ちがしました。 自分が話したことについては、 ・・・ってパターンが思っているのねと言えますが、 相手にも、・・・ってパターンが思っているんだなと捉えられる。 (相手がパターンの存在を知らずとも) ああ、そういうことか! と思った出来事でした。 足場の高~いところで…ご苦労様です!

今日も練習

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・・・ってパターンは思っているんだね。 思考がぐるぐるしていることに気づいたら、 それを心の中で言うようにしています。 そして、いろんなことを頭が考えだしたときは 以前よりも少しそこに気付きやすくなった気がします。 あれこれ考えている途中で、 「・・・ってパターンが言うんだよね」とつぶやく。 顔の前で手をパチンとたたかれたように、 ハッとして我に返る感じがあります。 でも、1つの考えが浮かんだときや、 「〇〇なんじゃないのー」などど、 普段の何気ない会話のときには、 なかなか、パッとその言葉がでてこない感じがあります。 それだけ、 パターンで話していることに気づいていないということ。 結構だらだらとパターンにしゃべらせているんだな~ 今日もたくさん考えると思うから、 練習、練習。 丸いところが花火のように点灯します♪(大曲駅)

家と友と

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東北も梅雨に入ったそうで、 昨日は一日中、夫と二人で書類の整理をしました。 夫のお母さんがホームへ入居してから関わっている人たちがものすごく増え、 その都度いろいろな申請ごともあり、 「捨てていいもの」「保留中」「大事に保管」と、 なかなか整理できずにいたものがやっと片付いてほっとしています。 と、思うのもつかの間、 片付けながら、うちのアレはどうなっているんだけ? などと話の流れで自分たちの手つかずの紙ものへ目がいき・・・ そして(とうとう)、20年以上も前からそのままにしてきた 開かずの扉を開けてしまいました(大げさだけど)。 そこには、家を建てたときの設計図やそのときの建築士さんとのやりとり、 当時まだPCをもっていなかったので、 本や雑誌、何かの切り抜き、それらを貼っているノートとか、 とにかく紙に描いた自作のものがいっぱい出てきました。 コンセントの位置から台所のタイルのレイアウトまで、 自分たちの家を建てるために惜しまず考え、調べ、勉強し、それを伝え、 途中いろいろな都合やハプニングでやもえず変更もあり。 当時の楽しさがよみがえるようでした。 そして、そこからの付き合いだった建築士さんとは、 一緒に悩み、ケンカし、笑い、喜び、 自分たちがこの家に暮らしはじめてからも内覧会を企画したり (当時、クロスを張らない木の家がめずらしかったため) メンテナンスの相談をしたりと、 自分たちの暮らしに切っても切れない間柄となっていました。 そんな大事な友人でもあった人が、今は空の上。 今日まで手付かずでいたのは、 当時を思い出して泣きたくなってしまうから・・・でした。 (そして、昨日は大笑いしながら泣いた) 今でも、何か家のことで夫と悩むとき、 いえ、家のことじゃなくてもどうしようもないことがあると、 その友人だったら何て言うだろうかと考えることがあります。 「なるようになる~」 たぶん、最後はそれで、 散々考え悩んだことは何だったんだと思うほど、 気が抜けるのでした。 今、屋根の修理をするところだったので、 「なんも心配いらない~」って、 出てきてくれたのかもしれません。 朝に目覚めての祈り。 今日も気持ちのいいこの家で休めたこと、 目覚めたこと、 住まわせていただいていること、 いつもありがとうっ! 友に感謝です。

行動を変えてみる

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新幹線「こまち」に乗りました。 東北新幹線は「はやぶさ」「はやて」「やまびこ」そして、 盛岡から切り離されて秋田に向かうのが「こまち」です。 いつもは車で行く選択しか頭にありませんでしたが、 何度かこまちを見かけているうちに乗ってみたくなりました。 グレーと赤のコントラストが可愛いボディ。 在来線と同じ線路を走るため、スピードもさほど出ず・・・ その分、窓からの景色をじっくりながめることができました。 いつも通る道路と、ほぼ変わらない高さで走る。 新幹線なのに~車と平行って(車よりは速いですよー) なんか不思議な感じでした。 車を運転している方は、 突如として視界に新幹線が現れびっくりなんですが、 新幹線に乗っている方は、 ちょっと照れるというか気恥ずかしいというか・・・ 大曲で降りてバスに乗り替え。 10人乗りのワンボックスカーがバス(羽後交通) ということにもびっくりでしたが、 発車して10分ほどで、 「ここからは、バス停以外のところでも停まることができます。お降りの方はお早目に教えてください」 というアナウンスにもびっくり。 えーーー、こんなところで降ろしてくれるんですか! バスのコンパクトな大きさといい、 乗客の足を考えた配慮といい(私の他におばあちゃん3名が客)、 なんて無駄なく優しい町なんでしょう。 盛岡にもこういうバス走ってほしいな。 同じ場所に行くにも行き方を変えただけで、 こんなに多くの発見とおどろきがあるとは・・・ 自分の固定概念ってこういう身近なところにもあるんですね。 いつもと違う行動をしてみるっていいかも。

お酒の飲み方

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今日は久しぶりにお酒を飲みました。 たぶん2か月ぐらい飲んでいなかったような・・・ お酒を飲むと当然酔うので、 その後はほぼ何もできなくなってしまう(後は寝るだけ~) という状況になるのが嫌だと思い、週末の楽しみもやめていました。 自分を振り返る時間がお酒のせいでできなくなる。 自己探求に使える時間が少しでもほしいと思うようになった結果、 飲まなくなった・・・という感じ。 そのおかげで、 以前より毎日のワークも定着してきたような気がしています。 定着するような生活リズムに変わり、 一日の終わりに自分自身が整理されていくようにも感じています。 一人の時間を作るのは至難の業だ。 と決めつけていたことも(←これがパターン) 自分でそれを壊し、新たにそれをつくり出すこともできるのだと知れたことも、 なんかうれしい。 久しぶりの日本酒(赤武)は、 今の自分の気持ちを表しているような~ フルーティでほんのり甘く軽やか。 いつも以上に美味しく感じられ、 この控えめな量もちょうどよかったです!

❁7月のお知らせ❁

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今の時代、なんでもAIに聞けるため、 それで悩み事も全部話して解決しているよー っていう方は多いかもしれません。 本当にAIってすごいですよね。 膨大な情報からの整理・編集もそうですが、 私はあの優しく決して相手を不快にさせないような言葉遣いに いつも感心してしまいます。 (最近はそれもちょっと慣れてしまいましたがー) そんな、AIにも絶対に真似できないこと。 AIと人間の決定的な違いは「知性」だと言っている神秘家の方がいました(加藤夏樹さん)。 この知性は、まだ誰も言語化していない視点を生み出すこと 「再定義する力」なのだそう。 誰も言っていない角度から意味を与え直す(再び定義する)ということなのだそうです。 この話を聞いていて、 もしかしたら、カウンセリングにもそういう役目があるのではないかと思いました。 今、目の前で気になって仕方ないことがあるとき、 自分を悩ませて仕方ないことがあるとき、 そこに新たな意味を創れるのはAIではなく、自分だけしかいません。 与え直すという行為が、 実はカウンセリングを通して行われているのではないか? と思ったら、自分で自分をケアしていくことは、 それそのものが尊いことだと思ったのです。 そこで来月は【はじめて講座】をお休みしまして、 【カウンセリング】のみのお試し体験をしたいと思います。 (なんか前置き長くなっちゃったけど) 今回は特に40代~50代の方へ向けて・・・ ちょっと一息つきにいらしてくださいね。 ★ ← 詳しくはこちらから~ リニューアルしていました! うなぎが美味しかったよー

決めつけなくてもいい

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昨日は撃沈しました。 私とパターンの分離。 どちらも意識することなく、 ほぼ一日を過ごしてしまい・・・ 家に帰ってソファーに座ってはじめて、 あ、今日は何も問いかけしなかったな~と気づく始末。 ●私とパターンの分離がちゃんとできない というパターンに語りかけをしました。 勉強会でいい感じで意識ができたのに~~ってパターンは言っています。 たった一日でもうやれていない自分をみてあきれているのも、 これもパターン。 もしかしたら・・・ 私とパターンの分離がちゃんとできないって、 もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・ 決めつけなくてもいいって、 可能性が感じられて希望が持てます。

ってパターンが言っている。

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昨日は久しぶりにみんな揃っての勉強会でした。 普段ふつうに、 〇〇だって思うんだよね、という言い方をしますが、 勉強会では、 〇〇だって『パターンは』思うんだよね と声に出して言うようにしてみました。 声に出すことをやってみると、 パターンが思っているだけで私はそうは思っていないことを、 一つ一つ確かめられるような感じがしました。 「あー、これ恥ずかしいんだけどさ」 って言ったらすかさずメンバーから、 ってパターンが思っているんでしょう! と訂正が入りました。 このやり取りおもしろくて、 これを一人ツッコミとしてやっていけばいいんだなと思いました。 ネガティブな感情だけでなく、 ネガティブともポジティブともはっきりしないような無意識発言にも、 これ、誰が言っているんだろう? って、より察知するセンサーが働き、 パターンと私の分離にはいい感じです。 問題は・・・、 それを声に出さないまでも仕事中もやっていけるかどうか?です。 (それは難しい・・・とパターンは言っている) 丸く刈られた松

今自分がいるところ

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自分のこれまでの成長と変容を出してみようと思ったものの、 「健康について」 以外はすぐに出てこなかったのが本当のところです。 (その後、空を見上げて、2つ3つ出てきたけど~) で、それはどうしてかといえば、 それだけ●自分は他人より劣っている というパターンが考えようとするからなんだと思いました。 自分は他人より劣っているというパターンが、 あー、それそんな成長したとは言えないんじゃない?とか、 あー、この日記にそれを書く?恥ずかしいなあとか、 ささやくんですね。 そうやって、私が素直に感じられていることのじゃまをする。 そして何度か仕切り直しをして、 10年以上前の自分を思い出すと、 やっぱり全然違うよな、変わったよなと現実を見るのでした。 ということは・・・ 自分は劣っているというパターンと、 本当の「私」を意識的に分離させていかないと、 まだまだパターンが優勢になってしまう(特に今回のような問いかけには)。 それが今の自分のいるところ、ということなのかもしれません。 人間関係でだんだんと感じられている、軽さ、清々しさ。 そこへ意識を向けていくことで広げていきたいと思います。 スワンの砂糖入れ 可愛いな

人間関係で変わったこと

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自分の成長と変容。 10年ほど前の自分、もっと以前の自分って、 本当に必死で取り繕って生きていたなと思います。 朝、目覚めから気分が悪く、 よく分からない不安の闇のから這い出ては、 流されるままに子育て、家事、そしてとりあえず仕事に行く。 人と関わるたびに感情に振り回され、 なんでこうなるんだろうって・・・ 不安と恐怖の中にいても、他人からわかられないように頑張っていたなあって。 そう思うと、 成長と言えるものの一つには人間関係があります。 パターンは、この人はいい人悪い人と決めつけます。 差別、比較、我慢、競争をしながらの関わりしかしていなかったと思います。 今は、嫌いな人を嫌いなままでもよく、 でも、装う自分ではなく。 現実にはパターンで相手を見なければ、 感じるものが変わり楽になっていくということもあるし、 いつの間にか自分が「素」に戻っていくような感覚があります。 一生許せない大嫌いだ、と思った人が、 今はその感情が薄れ、 でもときどきその人の言動に自分のパターンが引っかかるということは普通にあり、 これはお互いのセッティング(約束)のように感じます。 成長のためにはゆずれない関係性。 人間関係は先に自分との関係があります。 何かあれば、自分は生き方間違っていないだろうか? と日々立ち止まれるようになってきたことも大きな変化です。 そこで私がどうありたいか? パターンではなく、やるのは私だから! これからも大事にやっていきたいです。 アイーナのカフェ ここのハンバーグ超美味しい♪

成長した部分

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今日は自分が成長した部分をちゃんと感じてみたいと思いました。 謙虚に、まだまだ自分なんて~ というのもまた違うんですね。 10年前の自分を思い出すと・・・ 真っ先に思いつくのは、 健康に対しての意味付けの変化です。 これはガラッと変わりました。 病気をしてからずっと、 自分は弱いというパターンがありました(今もあるけど)。 長いこと体も含め自分の弱い部分だけを見てきた自分が、 今は、健やかに感じる心があればそれでいいと思うようになってきています。 それから、幸せについても変化を感じます。 日常的に幸せの深さをじんわりと感じられることが増えました。 植物や花や四季の風景や、動物や子どもやお年寄りや空や太陽にも感じる。 そこに美しさを見いだしたり、 特別なことなどない日常にも幸せがあふれます。 この頃は、ただワークをしているだけでも・・・幸せ。 また、一見幸せとはほど遠く感じるような苦しさ、つらさ、 どんな痛みの中にあってもそこに光をあてられるようになったこと。 いいことだけが幸せなのではない。 感謝の気持ちも朝と夜に言葉にして、 見える人見えない人、会える人会えない人みなさんへ伝えます。 あとは、死生観について・・・もあるかな。 本当に少しずつですが自分だけの哲学を創ってきているように思います。 いつか向こうへ行く日まで、魂のしたいように。 自分自身に嘘のない生き方をしたい。 死を越えて続いていくものがあると思うと、 死ぬって怖くて悲しいものではないと思うようになってきています。 明日もまた成長の足跡を見つけてみよう。 曇り空で過ごしやすい一日でした!

夢から脱する

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何に「快」だったかのかというと、 夢の中に出てきた人が自分のことを好意的に思っていて、 自分に信頼を寄せはじめている。 その状況が相手を見ているとわかったのです。 それはパターンにとってうれしい状態。 パターンはその瞬間から心地よさを感じているのだと思いました。 ここに居れば、この状態が続けば、 自分(パターン)は優位に守られるって。 それは願ってもいないことだし、これ以上ない安心保障。 だけど、これは、 「私」はそうは思っていないけどねーの世界じゃないだろうか。 そういう表面的な、 今まで長く住み慣れた世界から脱していきたいと思っているのに、 実際にそういうことが起これば、 嬉しい、安心、心地いいと舞い上がるパターンがいる。 目先のことでよろこぶパターン健在です。 先生も言っていましたが、 すぐに脱することなどない。 行ったり来たりすると(ここだけ切り取った言い方をすると)。 これまでの領域でよろこび、 でもまた新たな「私」の思いに意識が向けられ、 そしてまた、パターンを選んだり・・・ 夢から覚めたとき、今までだったら、 ずーっといい気分に浸っていたと思うけど、 はじめて誰が浸っているんだろうと考えた。 これは本当に小さな一歩だと思います。 さわやかなお天気続いてます

この「快」は何?

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夢を見ました。 内容はちょっとあまりにも変なので 詳しくは言えませんが~ (だいたい夢って変ですよね) 「快」か「不快」かで言えば「快」なのです。 自分がこれからそうなるだろうと予感していることが、 もうそろそろ実現すると感じているのだけど、 それを表に出さないように(嬉しそうにしないように) 我慢しているというものです。 なんかあくまで平気を装っているような、 そんな感じ・・・ その「快」を感じて余韻にひたって目が覚めたんですがー、 あれ? これってパターンじゃないだろうか・・・ 夢がどんどん消えていくので、 何が自分の中に起こっていたのか思い出そうとしました。 それで感じたことは、 「快」はパターンが心地よいと感じているものじゃないか?って。 疑問が湧いた途端に、 なんか・・・ぞーーーっとしました。 つづく 昼休み中のお散歩

日常でやること

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私とパターンを分離させること。 自分「私」に嘘をつかないこと。 一致性を整えていくこと。 これらはどれも言っていることは同じです。 そしてどれも普段頭ではわかっているはずでしたが、 本当にはわかっていないから、 自分はダメだと思い苦しむのだと思いました。 かといって、苦しみたくないから語りかけをするということでもなく、 このあたりにむずかしさを感じています・・・。 っていうのも違って、 「自分にはむずかしい、とパターンが言っている。」と言おう! 日常の中にこそ私とパターンの分離を意識し、 私に嘘をつかないでいきたい。 嘘をつくとざわざわしてくるからすぐに分かります。 一致性がないことに違和感を感じられる自分になってきているのだから、 ちゃんと嘘をつかずに生きていきたいです。 仕事中も心でつぶやいてみよう。 日常にそこを沁み込ませていこう。 かぼちゃのスープ美味しかった♪

私とパターンを分離させる

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この1か月のノートを見返してみると、 似たようなパターンだけど、主語が違っていたり言い方が違っていたりするだけで、 中身は同じなんじゃない?と思うようなものがありました。 それら中身が同じものは1つのパターンにまとめられ、 他にももしかしたら1つにまとめられるものがあるかもしれませんが、 とりあえず気づいたところから語りかけをしています。 あと、プラス2個の大御所のパターンにも・・・。 それからほぼ毎日語った方がいいなと思うパターンも、 1~2個ありまして、合計5つほど語りかけをするという、 今までしたことのないパターンたちを集中してケアしてみました。 それを語るのがパターンにならないように気をつけながら、 空を見あげて、クールな感じに、 でもパターンを必ずや守りますという宣言をして。 私ではないパターン。 今日もパターンが騒いだときに、 あ、これってパターンなんだな、私とは違うんだなと、 じっくり分離を感じるようにしていきます。

守破離の「守」

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魂の道場 、2日間を終えました。 4か月ぶりの道場ということと、 ゲストのMさんのパワフルな個性にも刺激を受け、 すごく真剣なんだけれど、アフターでは笑いが止まらなくなるという、 とてもいい時間が過ぎました。 ありがとうございました。 昨日は、「守破離」という言葉を思い出しました。 守破離の「守」は、 修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に守るところから始まります。 型を正しく学んではじめて、 良し悪しの判断基準を得ることができるというもの。 そして「破」は、 その教えに従って修業を積みさらなる研究により 自分に合った型を模索することで既存の型を破ることができるようになります。 最後の「離」は、 さらに修業を重ね、師匠の型と自分自身で見いだした型の双方に精通し、 いわば型から離れで自在となることができ、 新たなものが生まれるということだそうです。 (Wikipediaより) それで・・・ 自分は「守」の段階にいるということを忘れてはいけないと思いました。 ワーク1つとっても、ちゃんとわかっていないのに、 わかっているとパターンは思いこみ、教えとは違うことをやっていたんだなあと。 そのことにすら気づいていないほど、 基本を守ることへの忠実さが甘かったと思いました。 15年やってきて今気づいた。 がーーーん。 しかし、この時点からでも軌道修正ができます。 (もっと早く気づくべきだった~だから成長しないんだよ~とパターンは言っている) まず、言われた通りにやる。 これは師匠との約束として守っていきます。 やっぱりここ落ち着く~

加えずに削ぐ

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魂の道場 1日目が終わり、 たくさんの気づきがあった中でも、 「削ぐ」という言葉が今朝になっても心に響いています。 削ぐ、減らす、やめる、捨てる、手放す、引くといったこと。 今、苦しさを感じているものには何かが足りないと、 足りないもの、欠けているものを加えようと考えてしまうのですが、 そうではないこともあると教わりました。 (しかも、こっちの方が苦手かもー) この数か月をふりかえって、 あのことかな、このことかなと 苦しい、つらい、腹が立つ、悔しい、疲れた・・・ といったネガティブな感情がわいたことを思い出し、 何が余計だったのか、そぎ落とすものは何だったのか。 それとも、これからじっくり考えていくこと、 感じてわかることなのかなと思いました。 違和感があったときにそれを思い出していきたいです。 2日目もまっさらになって感じていきます! 先生の古希のお祝い IN盛岡

パターンで受け止めなくてもいい

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他人から嫌われたくないというパターンは時々顔を出します。 嫌われたくないと思って、そう意識して何かをしているつもりはないのですが、 結果的に嫌われたくないからそう言動したんだなあって 後から分かったりします。 黒パターンのとなりには白パターンが必ずセットで並んであります。 (このくだりが私は好きだー) だから、どんなに黒パターンで言動してしまうくらいパターンに飲みこまれたとしても、 必ず白が反対側に、となりに、背中合わせに、いつでもすぐそこにいる。 熱くなっている黒のとなりに、すんっとしている白がいる。 その白黒で一つという考え方によってどんなにパターンが騒いだとしても、 どこか大丈夫なのかもって根本的に思っているのかもしれません。 最近作った白の一つに、 「もうパターンで受け止めなくてもいいのかもしれない」 というのがあります。 〇〇さんから嫌われたくない、というパターンへも、 「〇〇さんから嫌われたくないとかこう思われていたいとか、もうパターンで受け止めなくてもいいのかもしれない」 ちょっと長いですが今の自分にはとてもしっくりくるため使っています。 今まで黒ばかり使ってきたけれど、 そっか!白もあったんだ!という発見のような感覚があって、 白黒ワークのときに何か毎回新鮮な気持ちになるのでした。 サッポロ一番みそラーメン♪

こんなふうにしか動けない

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自分はどうありたいのか? これは永遠のテーマであり、常にであり、 自分にとってとても大切な問いです。 思考癖が強いので、 どうありたいのか?ということも、ぐるぐると頭の中で考えが始まります。 どうあることがいいことなのか? あれこれ考えてしまっていることがあります。 でも、この頃思うのは、 白の感覚抜きで、どうありたいのかという問いを投げかけると、 結局パターンで考えてしまうだけなのだと思いました。 白の部屋に入ったときの感覚=自分にとっての今の答え であるならば、 感じたものを持って、そこから離れずに~自分がどうありたいのか。 考えて考えて行動していくというのではなく、 もうこんなふうにしか動けない、という感じに近い気がします。 あの感覚を味わったのならそうしたくなるでしょうとか、 もうそれはやめるでしょうとか、 そうしないと気持ち悪いでしょうとか・・・そんな感じです。  県庁 このクロスが目印

今、心がけていること

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仕事がひと段落してほっとしている感じがあります。 忙しかった真っ只中のときに、 ゆっくり一つ一つやっていくことになるべく意識を向けるようにしました。 それが、なんとかなっていく感じがあって良かったです。 パターンに引っかかると、 今やること、または今じゃなくてもいいことが分からなくなっていくため、 自分で自分を余計に忙しくしてしまうんだなと。 今やればいいことを、 パターンに引っかかってやれずにいるということがありました。 様子をうかがいながら(仕事的には気を配りながら?)やっていることが、 後でさっさと聞けばよかったとか、 先にこっちをやればよかったとか。 他にも、いろいろ思考しているうちに、 それはパターン(不安と恐怖)で動いているということだから 結果的に何か墓穴を掘る・・・ということもある。 仕事こそ黒パターンではなく、 白パターンで感じながら動いていくことがどんなに大事なことか、 また忙しさを体験して自分に知らしめていくような気がします。 ホント懲りないなあ~自分。 だから「ゆっくり一つ一つやる」 少し物理的な表面的な感じではありますが、 ここから入って、意識を自分へ向けていくことっていいなと思いました。 自分の中で起きていることだけを見ていくと感情にも気づきやすい。 自分の内側の静けさの中で仕事をしていこう。 今週はそれを心がけています。 たまに行きたくなるタイガー餃子会館

心地いいものからの変化

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本当の「私」は感情ではないので、 言ってみれば無感情ということになりますが、 それは今の自分には、悟りの境地のように遠い世界の話になってしまいます。 だからまずは「私」が選ぶもので心地のいいもの、 少しでも軽さを感じられる、風通しのいいものを選びながら 自分自身を整えていこうとしています。 この心地いいものということで、 昨日は自然にこっちだなと体が動いたことがあったのですが、 それをしているときに相手の表情を見て止めたということがありました。 あれは何だったんだろうと後から思い・・・ 感情としては、 緊張、不安、怖れだったと思います。 何か余計なことを自分はしているんじゃないか?と、 相手の表情を見て感じたのでした。 相手ではなく自分の問題で、 ●嫌われたくない、というパターンが自分を止めたんだなあと思いました。 私が少し離れたところでそれらの感情を察知したということですが、 もう少しこの続きをみていこう。 今月のカレンダー フランス

停滞し続けない

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自分にとって心地よいことをしよう。 というのが昨日の朝に思ったことでしたが、 その感覚を持ちながら(ときどき忘れながら・・・)過ごしてみたら、 なんかとてもいい休日でした。 野菜に水をあげて、ちょっと調べものして、昼寝をして、 サンドウィッチマンのTVを見て笑って、家族でお蕎麦を食べに行った。 帰りに見た夕陽がとてもきれいだった・・・ その間、感情もいろいろありました。 昨日の不快だったことを思い出してため息ついていたり、 また、お店の店員さんの態度にイラっとしたりということがあったり、 その度に、今何を感じている?と自分に問い、 そのまま語りかけをしたりもしました。 一日ただただ心地よいことだけだった、というのではなく、 不快になることもイラ立つことも普通にあります。 その時の感情を受けとめながら、 それ以上いろいろ思考しないようにしてみると、 また元の穏やかさは戻ってこれるんだなあって思いました。 不快になってもイラ立ってもいい。 どんな感情を出してもいい。 ただ、そこに停滞し続けない、思考し続けないというのは私の強い意思を使います。