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何を選ぼうか

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今日は、夫と同伴の病院予約の日でした。 食事指導 されたことの途中経過をチェックしてもらうためです。 本来は数か月先だったのですが、食事がうまくコントロールできない人はそれ以前に一度来てくださいと言われていたのでした。 今朝になって、「やっぱり、予約取り消そうかな」と夫が言ってきたので、 今の状況を考えれば、病院へ行かない方が自然な流れだなと思い、そうしました。 食事のチェックって、 病院へ行かなければチェックできないものではない、と薄々気づいていた夫とわたし。 毎日つけている食事ノートもあるし、 ノートを見なくたって、ちゃんとやっているかどうかなど、誰に聞かなくても自分のことですからわかります(自分には嘘つけない)・・・。 それを、「どうやったらちゃんとできるんでしょうか」と聞きに行くのって何かおかしくないか? しかも、今大変な状況におかれている医療機関にわざわざ行って、自分のしたことを確認するってどうなんだ・・・ということで、 急遽、素人なりに二人で食事をふりかえり、自宅にて反省会と激励会(このままでいいのか、を問う会)を行いました。 すべてが自分の選択と行動にかかっている。 自分に向き合うって、こういうことだなあと思いました。 誰かに言われてやらなきゃ・・・は、実は自分のものになっていない(パターンがやっているもの)。 しかも、この気持ち悪さは自分自身が一番よく知っている。 「~しなければいけない」「~するべきだ」から、 「~したい」又は「~するだけ」という世界の中で生き続けていくことを、本当は選びたいのです。 だからここを、何度も挑戦しながらやっていきたい。 社会の一員としての役割としてやる、を選ぶ 家族の中で自分が一番適任だからやる、を選ぶ 仕事として自分ができることだからやる、を選ぶ これらの逆もありますよね。 そうやって、本来望んでいることとは違うけれど、「今は、これを選ぼう」と決めて行動することが、 仕方なく何となくやってしまう時とは、まったく違ったプロセスをもたらします。 待ったなしの日常についてはこんなふうに対応し、後からじっくり自分に問いかけていけばいいのだと思います。 結局は、自分の選択と行動のおさまるところには、嘘がないというこ...

真実はどこにあるのか

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先週の日曜日に放送されていた、新型ウィルスに関係するNHKスペシャル。 録画したままになっていて、今日やっと見たのですが・・・ (なぜこれほどタイムリーなものを、今日、だったのか) 今更ながら、すごく怖いと思いました。 すでに一週間前に(放送される時差を考えるともっと前に)、今日の状況を、 感染症の専門家チームが、言っていたからです。 オーバーシュート(爆発的な患者の急増)とロックダウン(都市の封鎖)があっという間にやってくる、と。 こんなに毎日、コロナコロナとTVでは言っているのに・・・、 肝心の、真実の情報はなかなか入ってこない。 東日本大震災(福島の原発)のときと似てる、と思いました。 起きていることの、正しい情報がまったく入ってきていなかったということ。 そして、被災地から遠い地域の人たちが自分のことに置き換えて、ことの重大さを実感するのは、むずかしかったこと。 それと同様のことが、今たまたま感染者がまだ出ていないだけの岩手の人たちに起きていないだろうかって。 感染が起きている首都圏の人たちと同様、無駄な外出をやめて、できる限り接触をさけ、感染予防に徹した行動をとっていくことへの意識が、 まだまだ足りていないような気がします。 数少ない感染者のいない県として、残れば残るほど、大丈夫か岩手?・・・と思うし、 そう言っている、自分も意識が低かったと思いました。 それにしても、どうして、このような事態になったのでしょう。 なぜ、今だったのでしょうか。 人類の生命をかけて、人が目を覚まさなければいけない時にきているのか。 そして何より、 自分自身は、一体どこへ向かおうとしているのか。 問いかけられているような気がしてならないです。 新型ウィルスそのものへは、いろいろな受け止め方があるでしょうが、 この事態が一人一人に向けられている真の意味は、みんなそれぞれ違う何かがあるのだと思います。 それでも、怖さですべて覆ってしまうのではなく、でも平和ボケでもなく、 自分ができることをやって、そしてからこの地球へ祈りを送りたいという思いをあらたにしました。 だから今日は、とても現実的に、免疫アップの料理を作り、ちょっと運動をし、家でお笑いを見て笑い、美容室の予定をやめて髪を家で染めてみました。 明日は季節が冬に戻っ...

楽しく生きるために

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本当の「私」で生きたいから、人生を楽しく生きたいから、 パターンではないところで話したい、行動したい、と思っている。 だけど、「私」を信頼し、「私」の存在に意識を向けないと、すぐにパターンで生きていることになってしまう。 それほどパターンって、気が抜けない存在・・・ねんきが入っている。 はじめは本当の「私」ってどこにいる?と胸に手をあてながら、このあたりにあるという感覚をイメージした。 もう何十年と、これが自分だ、と信じてきたパターンたちのことを、 胸のあたりに存在している(と自分はイメージしている)「私」が、自分なんだ、ということをちゃんと感じていく。 そして、パターンの言いたいことを聞きながら、「私」があなたたちを守っていくよ、ということをパターンたちにも知ってもらう。 これが、パターンと「私」の出会い。 ぼんやりとしていた(まだ少し頼りない)「私」の存在と、強烈な主張をしてくるパターン。 お互いの本来の役割を理解しながら、語りかけによって両者の関係性を築き、 「私」という大きな存在を、はっきりと実感するようになっていく。 このプロセスは、宇宙規模のゆっくりとした動きではありますが、これほど確実で安全で、わかりやすいものはないなと思います。 そうやってきて、本当に少しずつですが、 支配させっぱなし、活躍させっぱなし、働きっぱなしのパターンたちをもういい加減休ませてあげたい。 さも本当の自分がしているかのように、パターンで話すとか行動するとか、もう、もう~充分やってきたんじゃないか・・・ そこまできてはじめて、今までとは別の存在がいると、それが「私」なんだと意識する、ということもあるかもしれません。 そしてさらに、気がつくとあれほど意識的に感じていた「私」の存在が、少しずつ大きくなっていき、 いよいよもって「私」が自分の人生を創造しはじめる。 わたしはこの魂の成長をめざすカウンセリングをしながら、この方法で人生を楽しく送りたい、って思っていますが、 この方法(カウンセリングやワークをしていくこと)でなくても、さまざまな経験を通して、本当の自分を生きている方たちもいると思うのです。 そうやって、たった一人の生き方、あり方が地球をこえて、宇宙全体へと広がっていくという...

どんな環境でもいいわけではない

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ヨガ教室が再開しました。 家でも普通にヨガはできるはずなんですが、 温度湿度が管理された空間で、リラックスできる音楽を聞きながら、呼吸に集中し精神統一。 そういう環境で〜、やりたいんですね。 インストラクターの先生の華麗な動きが見れたのも(自分も華麗に動けているかのような気分になり)良かった。 自分のための心地よい空間、 自分のための時間、が守られている安心できる環境でやれるヨガを、心底わたしは満喫したいのだろうなあって思いました。 気持ちのよい汗をたくさんかいて、疲れたけれど、動けることの幸せを感じました。 空間が及ぼす、心と体への影響も今回感じました。 新型ウィルス対策で、消毒はもちろん、何度かドアをあけて換気。 ドアをあけたときの、外から入る風が気持ちよかったり、 いつもより、音、におい、温度、明るさ、空気の流れ、人との距離感などを感じ、 五感をふるに使っているんだなあと思いました。 人はいろんな神経を、四六時中使い続けているのでしょうね。 だからこそ、五感が休まる環境に身をおいてみるって、いいことかもしれません。 それは、自分のパターンにひっかからない環境? とも言えるかもしれませんが、 五感に何かがひっかかったとしても、本当の「私」が今日ここでやろう、ここで体をほぐそう、と選んで決めてやってみる、 という意思が、さらにいい環境を作り出すのだろうと思います。 理想は、どんな環境でもいい(やれる)、になっていきたいですがー 「私」を発揮できる環境ってどういうところなのか、と考えてみるのもいいですね。

工房蟻さんの服

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『工房蟻』さんでつくられている洋服が好きです。 とても着心地がよいです。 もし、自分が金持ちだったら・・・蟻さんの服だけをいっぱい買いたい・・・くらい好き。 リネン生地は、肌ざわりだったり、風合いだったり、 痩せていても太っていても体型に左右されずに、丁度よくなじんでくれるところがたまりません。 着心地が良すぎて、着ていることを一瞬忘れてしまいそうなほどなんです。 そんな、バカな~って思うでしょうが、 本当にボトムなどは「あれ、今日、下履いていたよね。あー、履いてたあ。」 って思うくらい(実際履いていなかった、ということはないが)、着ていることのストレスがない。 しかも、蟻さんのボトムはほぼゴム入りなので、忙しい朝も、さっと履いてきゅっとひもを結び、じゃぶじゃぶとお洗濯できてすぐに乾きます。 この扱いやすさもいい。 リネン特有のしわは、仕事着にはどうかなとはじめは思っていましたが、 今では、多少しわしわでも着たい・・・という方が勝ってしまい、 休みのときも、お出かけのときも、仕事でも着ています(毎日ってことですね)。 これまで何度か、実際につくっている蟻さんとお話をしたことがあります。 ナチュラルな服のイメージとぴったりな、森に住んでいるような方です(工房は盛岡市内)。 さすが、自分がつくったどの服も上手に着こなしていて、立ち姿勢の美しさからなのか、バレリーナのようなイメージもあります。 やさしい雰囲気で、お話するととても楽しい方なんですが、やはり職人という感じは漂いますね。 このシンプルさの中に計算された形(体にほどよく添うシルエット)を生み出すだけあって、きりりとした精巧な感じもあります。 ものづくりをしている人、いいものを作っている人って、目が違うように思います。 本物を見分ける目、誠実に仕事をする目、着る人を思うやさしい目、服がとても好きだという純真な目、とてもきれいな目です。 これからも、いくつになっても着られる大好きな洋服たちをつくり続けていただきたいです。 蟻さん、いつもありがとうございます。