何を選ぼうか

今日は、夫と同伴の病院予約の日でした。
食事指導されたことの途中経過をチェックしてもらうためです。
本来は数か月先だったのですが、食事がうまくコントロールできない人はそれ以前に一度来てくださいと言われていたのでした。
今朝になって、「やっぱり、予約取り消そうかな」と夫が言ってきたので、
今の状況を考えれば、病院へ行かない方が自然な流れだなと思い、そうしました。

食事のチェックって、
病院へ行かなければチェックできないものではない、と薄々気づいていた夫とわたし。
毎日つけている食事ノートもあるし、
ノートを見なくたって、ちゃんとやっているかどうかなど、誰に聞かなくても自分のことですからわかります(自分には嘘つけない)・・・。
それを、「どうやったらちゃんとできるんでしょうか」と聞きに行くのって何かおかしくないか?
しかも、今大変な状況におかれている医療機関にわざわざ行って、自分のしたことを確認するってどうなんだ・・・ということで、
急遽、素人なりに二人で食事をふりかえり、自宅にて反省会と激励会(このままでいいのか、を問う会)を行いました。

すべてが自分の選択と行動にかかっている。
自分に向き合うって、こういうことだなあと思いました。
誰かに言われてやらなきゃ・・・は、実は自分のものになっていない(パターンがやっているもの)。
しかも、この気持ち悪さは自分自身が一番よく知っている。
「~しなければいけない」「~するべきだ」から、
「~したい」又は「~するだけ」という世界の中で生き続けていくことを、本当は選びたいのです。
だからここを、何度も挑戦しながらやっていきたい。

社会の一員としての役割としてやる、を選ぶ
家族の中で自分が一番適任だからやる、を選ぶ
仕事として自分ができることだからやる、を選ぶ
これらの逆もありますよね。

そうやって、本来望んでいることとは違うけれど、「今は、これを選ぼう」と決めて行動することが、
仕方なく何となくやってしまう時とは、まったく違ったプロセスをもたらします。
待ったなしの日常についてはこんなふうに対応し、後からじっくり自分に問いかけていけばいいのだと思います。

結局は、自分の選択と行動のおさまるところには、嘘がないということでしょうか。
自分が選ぶということは、そこには例え気持ちと真逆な行動であっても嘘はありません。
だから、自分が選ぶということには大変さも伴いますが、
堂々としていられる、正直でいられる安心感があります。
















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