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一連の出来事

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今日起きた出来事を、一つのパターンとしてみてしまうことがあります。 一連の出来事と総して、このパターンがあるからだよね・・・ とやってしまうことです。 気持ちの部分をよ~くみていくと、はじめに湧き起こった感情と、中盤、後半、というように感情は微妙に変化し、パターンもそれぞれ違いがあります。 例えば(先日の私)、 自分の言った通りにやってくれないので、頭にくる。 ●言う通りにやってほしい とパターンがいいます。 その次に相手がやらなことを棚にあげ、逆にこちらを強い口調で責めたてるので、 自分にも非があったのかもと不安になり、 ●責められたくない というパターンが騒ぎます。 そして、結局何もかもうまくいかなくて、疲労困憊。 ●自分の思い通りになってほしい というパターンが訴えてくる。 こんな風に、一つ一つの感情・感覚を見ていくといいようです。 今日はいろんなことがあったなあと振り返ったときに、 今日の出来事をまとめてみると、大体こんなパターンかな? というのでは、ちょっと雑すぎます。 似たように見えても、みんなそれぞれの主張があるということ。 いろいろあったけど、 最初にざわっとした瞬間を思い出し、 どんな言葉にパターンは反応したのか。 そこがかなり大事だと思われます。 この「一連の出来事」が起こった場合、いくつかのパターンが隠れていることが多いかもしれませんね。 だからこそ、しら~っとどこかを省略しないように、しっかり振り返って見つける。 一つのパターンを見つけ、語りかけができると、それだけでかなり落ち着いてくるので、一つ目ってとても大事なんだなあと思います。

直感を使う

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TVを見ていたら、 直感が先、理屈はあとからついてくる。 という言葉がありました。 理屈から始めたものは必ず行き詰まり、直感で始めたことの方がうまくいく、という話だったと思います。 自分にあてはめると、これは本当にほぼほぼ当たっています。 直感、思いつき、ひらめき、衝動、予感などなど。 ここから少し長びかせてしまうと、理屈が入り、違うものになってしまうので、 「あっ」という一瞬の感覚が大事なんだと思います。 生活の中の選ぶ、という簡単なことで試したりします。 服を買うときは、年齢的におかしくないかとか、安いからいいだろう、 ということではなく、着心地と鏡に映った自分が「あっいい感じ」かどうかで選ぶ。 外食ならば、今食べたいものであることは大前提ですが、 店の居心地が自分にとっては大事なポイント。 この選ぶときのポイントというのは、人によって違うと思いますが、 直感に従わなかったときの失敗から分かることが多いように思います。 あ~やっぱり、そうだよね。という感じで。 こうして、直感は使えば使うほど、研ぎ澄まされる感じがあります。 そして、信用度も増し、使いたくなっていくものなのかもしれません。 仕事中でも生かせる場面は多いと思いました。 なんとなく、今ここで言ったほうがいい。 この感覚はよくあります。 これまであれこれ考え続けて、思ってはいても言わないできたことを、 今、言うのです。 今日はそんな場面があり、 相手から「はっきり言われると傷つく!」と言われ、 そのあと「傷つくけど、なんか嬉しい」とも言われました。 直感で言ったことで、 やってしまった・・・と思うこともありますが、 もともと物事には正解はないと思いますので(都合よく考える)。 この感が、鈍らないように使っていきたいです。

自分にしか生きられない

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―――自分にしか生きられない、オリジナルの人生に誇りをもとう――― これは先日、いただいた『魂の格言』の中の言葉(画像がこの冊子です)。 「今の自分にふさわしい言葉をください」 と静かに祈ってから開き、目に飛び込んできたものでした。 これまでの人生を振り返ると、 自分だったからこそ、この人生を送ってこれたんだ。 よく頑張ってきたね、とやさしく言ってあげたいです。 辛いときは、なんでこうも自分ばっかり・・・ でも、あなただからなんだよ~ということなのですね。 そしてこれからも、 この私だからこそ、体験できるのだし(むしろこれ以外の体験は必要ない?) 成長の糧になるものばかり与えられていくのだと思います。 この糧とは、辛いことや悲しいことばかりではなく、 うれしいことも、幸せを感じることも感じること全てが含まれていて、 今の仕事も、生活環境も、家族も、毎日出会う人たちとのやりとりも 自分に用意された特別でオリジナルなもの。 そう思うと、ちょっと楽しみ。 この人はこんなに大変な人生を送ってきたんだ、と思うとき、 自分だったらどうしていたか、想像できないと思うことがあります。 それは、この方だからこその、この人生であるからなのでしょうね。 胸をはって、 これからも、この経験をする価値ある自分に、 誇りをもってのぞんでいきたい。 向日葵畑で両手を広げる女の子と自分がかさなりました(50の私が言っている)。 この格言集を作製することをひらめき、 編集を引き受けてくれたマーガレットさん→ ☆ そして、場所は遠く離れていても、同じ学びをしている仲間から、 涙がでそうなほど素敵なイラストの装丁をしていただき完成しました。 それぞれの地で、「私」で生きようと人生を楽しみながら挑戦している。 とても力をもらいます。

弱みと決別

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昨日は、グループセッションの日でした。 「魂の道場」茅ヶ崎クラスからのゲスト参加で、いつもの盛岡クラスに新たな風が吹きました。その風に心が開かれ、背中を押されたような気がします。 セッションの中で、 一人一人が自分の弱み(と思っているのはパターン)を話していることが、もう当たりまえのこととなっていたのですが、これって、すごいことなんじゃないかと思えました。 日常生活では、他人に弱みを見せるより(あえて見せて武器とするのとは違いますよ)、平気なふりや強がってみせるほうが多いのではないかと思います。 だからこそ、そこを自己開示するということは、すでに弱みと自分を切り離していること(別もの)を認識できている。 正直さ、強さ、許し、理解、勇気、信頼、愛情、行動力などの資質が、「私」の中に育ちはじめているあかしです。 さらに、そのパターンとの決別を決心した行動は、魂の選択といえます。 もうこれ以上できない、耐えられない、戻りたくない。 そう思うほどの苦しさを体験し続けて、 その苦しさの中にとどまる意味は何もないのだと確信したときに、 迷いのない行動が起こせるのだと感じました。 だから、そうなっていないということは? まだまだ認めたくない自分がいて、 本気で、そこから自分を救い出したいと思っていないのかもしれません。 そういう意味では、 苦しいと感じたまま続けてしまう行動も、 変わっていくためには、必要なのかもしれないですね。 陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。 この世のしくみが2極でできているということは、そういうことなのかもしれません(できれば、極まる手前で気づきたいが)。   ☆ ←  上杉政子さん(ルミエール歯科) 上杉さんの、自己紹介での自己開示が、あまりにも飾り気なく自然すぎたので、 開示するってこんなに素敵なことなのか、 と思ってしまうほどでした。 上杉さん、みなさん、いつもありがとうございます。

何タイプか

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「私って、褒められて伸びるタイプだから」 という言葉を耳にするたびに、 「私、怒られたくないのよ」 と言っているように聞こえたりします。 かくいう私自身も、夫に怒られるたびに、そう言っていました。 そう頑張って主張して、あなたの私に対するその対応は間違っていると、必死の抵抗。 褒めてくれる人に愛情を感じ、そうじゃない人は自分を理解していない人。 と、いうくらいの感じです。 褒められて伸びるタイプだと言っている私の顔には、 怒らないで~ 怒ると逆効果だよ~ 褒めないと何も変わらないよ~ と、書いてあったのだろうと思われます。 褒められると、確かに勢いづき、才能開花でぐーんと伸びることは実際ありますよね。 でも、よほど自分を観察していないと、一瞬でその伸びは止まってしまうこともありそうです。伸びるというより、有頂天とか裸の王様に近い感じ。 だから最近は、 褒められて伸びるタイプだと自分で言わなくなりました(言うことに抵抗感・・・)。 どうしてかと、考えると、 まだまだ、成長したいからなんだと思います。 自分を叱る人、注意したり、否定をしたりする人がいても、 一瞬不快な思いはあるかもしれませんが、 この言葉をもらうということは、もっと改善の余地があるということなんだと思うようになりました。 そこを直したり、気を付けたりすることで今より良い状態へと、深みを増していくのかもしれない、と。 私って怒られて伸びるタイプだから~とまでは言いませんが、 怒られても大丈夫な人かも、になっていきたいです。