何かしらの価値
今日は東京出張の前乗りということで、
早目に盛岡を出発してカウンセリングを受けに茅ヶ崎へ行ってきました。
(こういう好きなことにはフットワークが軽い私…)
近況を報告しながら、先生の言葉に気づかされたことがあります。
パターンが、何かしらの価値を自分に持たせたがってはいないか・・・?
自分がしていること、
会社勤めにも、友人とのイベントにも、
カウンセリングをすることも、新しい講座もやってみたいと考えていることにも。
ひっくるめて言えば、仕事をしていることへの価値です。
でも、今の状態の自分では一つの形になっていないとか、
はっきりこれだ!という極めた形になっていないとか、
そういうのではパターンの考える価値には当てはまらない。
例えば、ぶれない自分、一つの道を迷わず歩く自分をパターンは目指したがっていたのかもしれません。
あれもこれもやるんじゃなく、
どこから見ても、「これをしている自分」になれば、
そこにこそ自分がしていることの価値が見出される。
そこを目指して行こうとするパターンは、
なかなか今の状態の自分には厳しい目を向けているんだな。
こんな顔の電車もありました!丸くてかわいい |
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