ちょっとしたことへの動機
自分を観察するって、
何となく見るのではなく、歪みなく観察するということ。
自分を都合よく見ていないか?
というところを言っています。
自己観察が楽しいからこの学びが続いているのだな~と思うのですが、
ちゃんと見れているか?と言われれば、
ちゃんと見てます!とは言えない時もあります。
自分の中の誰が見ているか?というところなんですが、
本当の「私」で見ていこうと思っても、
本当の「私」って何?誰?ってなると思う。
それよりはパターンで見てはいないか?
ということなら、感情が騒げば何かしらのパターンがいるので、こっちの視点です。
やはりパターンに気づける自分であるかどうかが鍵を握っているんだと思う。
あのお店に行ってみようかなと思うとき、
本当にそこに何をしに、どんな動機で行くのか?
ふと、ここへの問いがありました。
そこに行って、買いたいと思わないものを買おうとしたり、
今日は行きたいと思っていないのに行こうとするパターンがいる。
私はカウンセリングの紹介カードを置かせていただいているお店がいくつかあるのですが、
そのお店というのは自分の中で大好きなお店で、
信頼している方がいるということでもあるのです。
いつも置かせていただいてて申し訳ないなあと、
それはありがたいなという気持ちなので、OK。
でもそうじゃなく、
置かせていただいているから、今日は欲しいものがないけど買おうかなとか、
寄ったことで何かよく思われたいパターンを感じている場合、
自分の気持ちがなんかスカッとしないのです。
もちろん、寄って良かったなと思うようなことの方が多いけれど、
でも、ずーっと行ってなかったりすると、
軽い心にちょっと重さが乗っかるのを感じることがあります。
これは、お相手にはいっさい何の問題はなく、自分の問題なのだ。
ただそこに行くという行動だけで、
そこににごった感情がほんの少しでもまぎれていると、
もう私のセンサーはちゃんと反応してくれる。
そうやってモノを買うという行為に対しても、会う人に対しても、やる仕事に対しても、
それをするときの、自分の動機がより重要となってきていることをこの頃感じます。
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