コンプレックスと意味付けワーク

顔の老化について意味付けをしてみようと思ったとき、
コンプレックスなんだからプラスの意味付けなど考えられるだろうかと、
それができないからコンプレックスなんだよなと思いました。

でも、そのコンプレックスだと思い続けてきた数々の苦くつらい体験は、
決してそれだけで終わったものばかりではない。
そこから自分がどんなものを学び得てきたのか?
そこからでないと教われないことがあったと、意味付けワークをやってみて思います。

マイナスだと信じているものをプラスに意味付けるとは、
世間一般的な回答ではなく(良いところを探しましょう、ではなく)、
あくまで自分自身がそこから確実に獲得したものがあげられます。
ゲットしていないものはまだ意味にもなっていないのだ。
つまり、意味を考える、見つけるというのは、
今の自分の状態をゆがみなく見ることと同じなのではないかと思いました。

自分がコンプレックスだと思うことを正直に書き出すという行為そのものも、
結構な「洞察力」がなければできません。
洞察力が高ければ、「観察力」もあるということだし、
何より、嫌だと思うことをわざわざ出すのですから、そんな自分を「素直」に感じられる「純粋さ」「勇気」もあるということにもなります。

っていうことは、
コンプレックスがたくさん出たということは悪いことではなく・・・
これは、パターンにもいえることで、
それだけ自分について感じられているということ。
そして、私がちゃんと「理解」した上で「リーダーシップ」をとっていけばいいということ。
そう感じました。
リーダーシップって、他人に対してのそれかと思っていましたが、
こういうところにも使っていけばいいんですね。

意味付けワークをすることそのものが、
「私」を機能させていくんですね。




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