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パターンを嫌うパターンは大事

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今日のクラスの勉強会では、パターンを嫌うパターンについて話しました。 パターンがただそこにあるという状態を、 毛嫌いしている(拒絶反応がある)パターンがあります。 これは、今年に入ってからうすうす気付きはじめ・・・ いざ見つけてしまったらもう逆に納得がいくというか、 だから苦しくなるんだな、疲れてしまうんだなと、 結構な体へのダメージがあることを感じています。 うまくいっている、その調子だ、いい流れだ、などど思っていると、 パターンを嫌うパターンが出てきて、 なぜか単なるパターンの登場よりも深刻な扱いをしてしまう傾向があります。 パターンを嫌うパターンも、他のパターン同様、 単なるパターンにすぎないのに・・・そう、すぎないのに、 意外と気付かれずにうまく隠れていたりするので、要注意なのです。 みんなそれぞれに自分の今生の課題(テーマ)が見つかりはじめているので、 そのパターンが出てくることにいらだったり、 落ち込んだりするのかもしれません。 自分が向き合うことは、コレなんだってわかっているから、 それがまだまだだ~って知ると、パターンはがっかりしちゃうんでしょうね。 語りかけをするパターンが多くなっていっても、 「私」なら、たんたんとやれるのだろうと思うのです。 一度落ち着いた、パターンを嫌うパターンも、 定期的に語りかけをしたいと思いました。 朝晩の肝油ドロップ なんか楽しい

良くなる感じはあるか?

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先日、 頭痛の話 をしましたが、 ふだん数か月に一度お薬をもらいに行っているクリニックがあって、 そこの薬局の薬剤師さんから思いがけず、 他のクリニックの話を聞かされました(そっちをやんわり勧められた)。 「これを飲んで、良くなっている感じはありますか?」と聞かれ、 そうなんだよなあ、あんまり良くはなってはいないんだよなあって思っていたことを、 薬剤師さんのこの質問ではっきりと認識したのです。 そして、対処法の薬ではなく治療としての薬を飲んだ方がいいという話をされ、 頭痛って治療ができることをはじめて知ったのでした。 痛くなったら飲む。そういうものだと思っていたのが、 これこそ思い込み、決めつけ、だったんだなあと。 これを飲んで良くなっていくという、 白い部屋に入ったときのあの感覚のようには・・・確かになかった。 早速、お勧めされたクリニックへ行ってみると、 DRから、こんなことあんなことは今までありませんでしたか? とたくさん質問され、 そうそう、そうなんですよーーー、何でわかるんですか!と。 まさかそれが原因の一つだったとは知らなかったし、 その症状は痛みの前兆だったんだとか、飲んでいた薬が合っていないとか、 いろいろ自分の状態を言い当てられて、 診察でこれほど腑に落ちることってなかなかないなと思いました。 まだ治療は始まったばかりで何とも言えませんが、 これは一つの自分の体への観察になりそうです。 記録をつけるように言われたので、 ついでにパターン(何に引っかかり、その後どうしたのか)の方も、 記録していこうかなと思いました。 薬剤師さんは、かつて私と同じような症状があり、 仕事をするのもつらかったそうです。 ずっと鎮痛剤だけを服用していたけれど、 良い専門医と出会ってからは劇的によくなり、 今は痛みも自分の体調も、把握できるようになったと教えてくれました。 こっそり教えてくれた勇気に感謝です。 (いろいろ立場もあったと推測されるので・・・) もし今後も、そのクリニックに通うことになったとしても、 あの薬剤師さんがいる薬局にまた行きたいなあって思います。 今日は母を美容室へ クリスマスの飾りつけ始まってました~

先日お電話くださった方へ

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今日はこの場を借りて伝言させてください。 ――――――――――― 先日お電話をくださった方へ ご連絡ありがとうございました。 そして、折りかえしの電話ができず大変失礼致しました。 こちらからショートメールを送らせていただきましたが、 もしかするとメールが届かなかったのかも、と思い・・・すみませんでした。 またよろしければ、ご連絡お待ちしております。 メールでもよければ、 ★ ←「お問合せ(ご予約)」と書いてあるこちらからでも大丈夫です。 よろしくお願いします。 ありがとうございます!!

私の推し 

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ETV特集「ねちねちと、問うーある学者の果てなき対話ー」を見てから、 ずっと気になっている京大の宮野公樹さん。 はじめての私の推しと言ってもいいのですが・・・ ちょっと恐れ多いし、そう軽々しくも言いたくないけど推してます。 宮野さんから発せられる言葉が今の自分にもう響きまくっています。 今日は、現代思想という雑誌に掲載されていたものを読みました。 10月号は「学問の危機」という全く自分の日常に関係のないテーマ。 でもそこで語られている「社交としての産と学」という内容が、 ちょうど人との付き合い方について何かしらのパターンがあることを感じていた自分へ、 あ~そういうことなのかと、 新たな言葉を使って諭してもらった気がします。 ―――――――――― 深く考えなくてよい。産と学は、まずもって互いに「社交」から始めよ。その過程において、「わかってきた」ないしは「この人となら仲良くやれそう」なら共同すればよい。そう思わないのなら別に無理に共同しなくてもいい。なぜなら、「他人は己を理解する鏡である」という言葉のとおり、社交には大いなる学びがあり、契約に至らなくともその意義は本質的な自己認識に接続されるものなのだから。 (中略) 自信がないのであれば、あなたの日常に「社交」を組み入れてください。自分が如何に狭いかがよく分かることに加え、なによりアイディアやセンスというものはアウェーでこそ磨かれるのですから。 ――――――――――― テーマありきではなく、人ありき。 そしてその過程において感じたものを信じて次を決めればいいのかもしれません。 至ってシンプル。そして、その選択はどちらでもいい。 どちらにも大いなる学びがそこにはある・・・と言っています。 とても勇気がわいてきます。 自信がない自分だからこそ交わることに飛び込んでもいいのだ。 しかもアウェーの環境に! その方が自分が磨かれていくのかもしれないと思えば、 ちょっとわくわくするような面白いようなそういう軽さも感じられてきます。 本文はあくまで学問の危機について宮野さんの哲学が書かれたもので、 他にもたくさん、うなるような深い内容の箇所があるのですが、 自分の目に飛び込んできたものはここだった。 これも、自分が気になった人のところへ素直に従った結果です。 この体験がまさにテーマではなく人ありき、なんだなあと思いました。 宮野さ...

無視は禁物

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思考がぐるぐるしています。 ということは~ パターンが主導権を握り、思考に突っ走っているのですが、 まだ、はっきりと何のパターンなのかタイトルが決まらず、 これかなあと思うものが、今少し浮かんできています。 こんなふうな頭ぐるぐるのとき、 はじめに感じた強い感情をみます。 その感情がわいたときの出来事は、あまり思い出したくないような、 なえる出来事で、もう済んだことにしたいのですが。 語りかけも一度しただけで終わっていたのです。 それでも日常が進んでいくから、 目の前のことをやりながら、いろいろ人と話したり仕事したり、 夕飯作ったりして時間が過ぎていったのだけれど、 やはりまだもやもやしている自分がいました(これにはウソつけない)。 もう一度、その時にもどって語りかけをしていこう。 戻ればいいだけだ。 パターンに無視してごめんねと言っていたのに、 もう無視をしていました。反省・・・ 肴町商店街も模様替えしてました