私の推し
ETV特集「ねちねちと、問うーある学者の果てなき対話ー」を見てから、
ずっと気になっている京大の宮野公樹さん。
はじめての私の推しと言ってもいいのですが・・・
ちょっと恐れ多いし、そう軽々しくも言いたくないけど推してます。
宮野さんから発せられる言葉が今の自分にもう響きまくっています。
今日は、現代思想という雑誌に掲載されていたものを読みました。
10月号は「学問の危機」という全く自分の日常に関係のないテーマ。
でもそこで語られている「社交としての産と学」という内容が、
ちょうど人との付き合い方について何かしらのパターンがあることを感じていた自分へ、
あ~そういうことなのかと、
新たな言葉を使って諭してもらった気がします。
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深く考えなくてよい。産と学は、まずもって互いに「社交」から始めよ。その過程において、「わかってきた」ないしは「この人となら仲良くやれそう」なら共同すればよい。そう思わないのなら別に無理に共同しなくてもいい。なぜなら、「他人は己を理解する鏡である」という言葉のとおり、社交には大いなる学びがあり、契約に至らなくともその意義は本質的な自己認識に接続されるものなのだから。
(中略)
自信がないのであれば、あなたの日常に「社交」を組み入れてください。自分が如何に狭いかがよく分かることに加え、なによりアイディアやセンスというものはアウェーでこそ磨かれるのですから。
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テーマありきではなく、人ありき。
そしてその過程において感じたものを信じて次を決めればいいのかもしれません。
至ってシンプル。そして、その選択はどちらでもいい。
どちらにも大いなる学びがそこにはある・・・と言っています。
とても勇気がわいてきます。
自信がない自分だからこそ交わることに飛び込んでもいいのだ。
しかもアウェーの環境に!
その方が自分が磨かれていくのかもしれないと思えば、
ちょっとわくわくするような面白いようなそういう軽さも感じられてきます。
本文はあくまで学問の危機について宮野さんの哲学が書かれたもので、
他にもたくさん、うなるような深い内容の箇所があるのですが、
自分の目に飛び込んできたものはここだった。
これも、自分が気になった人のところへ素直に従った結果です。
この体験がまさにテーマではなく人ありき、なんだなあと思いました。
宮野さんのVoicyも、
大した話じゃないんですと言いながらいつもまったく気負わない。
感情を大事にしているところ、そのまんま見せているところ、かっこつけないところ、
その語りが何だかいいなあって思います。
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