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石田組の魅力

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昨日は一日、音楽の秋を楽しみました。 ヴァイオリニストの石田泰尚さん率いる『石田組』の結成10周年ツアー。 石田さん(組長)の弦楽合奏の音楽にかける情熱、 初めて聞くような素晴らしいヴァイオリンの音色に魅了されました。 TVでこの方を見たときは、 え?この風貌でクラシックするんだ~ってびっくりでしたが(ホントに失礼だけど) でもこういうファッション私は嫌いではないので、 実際にいつか見てみたい、聞いてみたいと思っていました。 なんと岩手に来ていただけるとは! 音楽って・・・はあ~、なんというか、こんなにも自由だったんですね。 ヴァイオリンも弾く人によって、 こんなに音に違いがあるなんて知りませんでした。 弦楽器だけとは思えないような、オーケストラのような響き。 迫力だけでなく、繊細さとか、はかなさとか、優しさも感じられました。 また、組長の場合、見ても楽しませてくれるというか、 ヴァイオリンを自由に操り、体をしのらせ、 指揮者のようでもあり、踊っている人のようでもあり。 そして、メンバーたちを時々食入るように見る、あの視線もまたいい。 全身で音楽を表現している人。 みなさんどこかの楽団に所属している一流の奏者で、 自分の役割をしっかり果たしているように感じました。 組長のヴァイオリンが美しく響くのも、あの13人の方たちがいるからこそで。 それを一番よく知っているのでしょうね、 演奏途中で一人一人の紹介を石田さんがするのですが、 それがまた、独特の語り方で組員たちへ向けた愛と尊敬の思いを感じました。 特別な才能をもった人たちは、 その人たちなりの特別な使命があるのではないかと感じました。 たくさんの人を感動させ、奮い立たせ、また優しく励ますような、クラシックを身近にしてくれる役割。 で、こういう機会を得て、 自分は本当に凡人中の凡人だと認識できます。 その凡人なりの役目もまたあるんだろうな。 素晴らしい音楽を聞けて、幸せです! Zホールって音がすごくいいらしいです

引っかかる傾向

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あれ?落ち着いていたパターンが、 また暴れそうになっているな・・・ と思うことがありました。 イライラが発動し、自分の中に緊張が走ります(心臓がばくばく)。 そういう時、他にも見ているパターンがあると(ケアの最中)、 感じていても、少し後回しになってしまうことがあります。 ああ、どっちのケアを先にしようって。 でも、こうして放っておいている間も、 パターンはそのまま何一つ変わらずそこにいるため、 いえ、むしろどんどん大きく複雑になってしまうこともあり、 今度は同じ反応どころか、 倍増して反応している自分に気づきました。 (もう、不快指数が急上昇) パターンがこちらに合図を送っているのか? ちゃんと、見てくれよ~って。 何度も以前ケアしたことがあるパターンだから、 ノートをめくりながら前に語っていた語りかけ文章を、 もう一度声に出して読んでみる。 それはそれで、最もなパターンの言い分がありましたが、 今回はまた少し違った言い分も発見しました。 どうして、そうあなたは思うの? 問いかけると・・・ 普段よく出てくるパターンにもつながっていたことがわかりました。 自分のパターンには、こういう場面があると~「引っかかる傾向がある」 という何だか法則的なものがあるなと。 自分も一緒に笑いたい、楽しくありたい、一緒に何かしたい、 つながりたい、役に立ちたい。 というところから、 仲良くやりたい、好かれたい、よく思われたい、仲間でいたい。 または、孤立したくない、自分だけ笑えないのは嫌、一緒に何かできないのは嫌、 気にかけてもらえないのは嫌、そこに自分がいないのは嫌・・・ といった集団の中での自分の存在へ、 何かしらのパターンが騒ぐことを感じました。 一人でいることが好きなのに、なんで? この矛盾した欲望(パターン)を、 これからちゃんと見ていきます。 もっと深く、どういうときにここが揺れるのか? まずは、今出てきたパターンをケアしながら、 ここから丁寧に観察していこうと思います。 わくわくがあると、心がほぐれます・・・

何をそんなにがんばっているのか?

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このところ疲れがたまって、 体調があまりよくないまま過ごしています。 よく寝込んでいた昔に比べれば、 健康に過ごせている方だと思いますが、 うっかり自分のキャパを超えたことを続けてしまうと ああ、こうなってしまったかと反省です。 葛根湯を飲みながら、 食事を控え、温かい恰好をして(今季初の湯たんぽ登場)、 家では静かに過ごしています。 がんばるという意味付けも、新たなものを付け加え、 一体、何をがんばっているのか? 少し考えたいです。 他人に任せられないと思うとき、 その後のことが自分に降りかかってくるのではないか(責任とか)、 それを避けたくてがんばってしまう。 相手を信用していないということもあるのだと思う。 他人がしたことで自分が嫌な思いをしたくないから、 だからパターンはがんばっているんだろうな。 自分がやって、後悔したり、反省したり、 ということに対しては納得というか、 自分の責任だと思えてやれる? それよりも、単に自分がやりたい!というパターンがあるんだと思う。 誰かに頼む、見守る、口を出さない等々は苦手。 自分がやった方が早い、確実、間違えがない。 ・・・なんて思うのも、 すごーい、驕り(おごり)だったんだなー 頭がストップしてやっと感じられたことでした。 体もストップしかけ、 しゃべるのをやめる、動くのをやめる、考えるのをやめる。 なんだかほっとする・・・。 見えるかな? 蜂~でかっ!

与えられたもので生きていく

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今朝、目が覚めて思ったのは、 自分が今、与えられているものの中で生きている、ということ。 なんかすご~くあたり前といえばあたり前。 まず、この家(この家で今朝目が覚めたから)。 この家を与えられているのだから、掃除をする、手入れをする、 温かで涼しい快適な環境で、健康で過ごす。 そう、この家があるのだから充分に休息もできるし、健康でいられる。 そして、家族。 夫が家のことをいろいろしてくれる。不便なくいられる。感謝。 娘は時々帰ってきては、笑いを持ってくる。 家族になった確率を思うと奇跡。 私は家族の中で、家族との喜怒哀楽の中で自分も成長させてもらっている。 そして、仕事。 会社員という与えられた仕事の中で、このメンバーで、このクライアントで、 この関わりのある企業と、その担当者たちと、 たくさんの人とやり取りをさせてもらっている。 全部、会社を通して与えられたものだ。 悩み、格闘するには充分すぎるほど、毎日いろいろなことがある。 この仕事は、本当にダイナミックで大好き。 もう一つのカウンセリングの仕事も、与えられたもの。 クライアントさんと、大事に丁寧に向き合いたいと思いやっている。 カウンセリングを通して、人の一生の奥深さを共に体感していく。 講座で出会う方も、土日で動くことができる環境も、 全部ありがたい。 こうして今あるものは(他にもいっぱいあるな)、 最初からずーっとあったものでなく、 だんだんにそうなったものもあれば、消えていった(失った)ものもある。 だからあたり前に永遠にここにあるものなど何もないのだ。 それを思うと、 なんてすごい奇跡の積み重ねで、今の幸せが与えられているのだろう! 何も欲しがらなくても、 充分すぎるほどあって、それは自分にちょうど良くて、 全部あるもの与えられたもの、それだけで生きていけるし、 それでこれからも生きていく。 全部必要なものしか与えられていなかったし、 私にないなーって思うものは、今の私に必要ないものなんだ! ・・・って感じた朝でした。 この自然豊かな環境も・・・です!

遠慮する、とは

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今日の午前中は勉強会でした。 話の中で「遠慮して・・・」という言葉が出てきて、 なんだか引っかかってしまいました。 そこで、中立ワークです(意味付けを考えてみる)。 「遠慮する」のプラスの意味付けは、 親切心がある 気遣いがある 自分は二の次でいいこと 控えめで慎ましいこと 自分のことよりも相手や周囲を大切にすること 自分のことよりも相手や周囲のためにしないこと 謙虚な行い マイナスの意味付けは、 よそよそしい(親しさがない) そうした方がいいという決めつけ 親切などあだで返す感じがある 関わるのが面倒でそうする いい人っぽく見せたい? 保身 本心が見えない そして、ただ一つの経験として、 「遠慮する」があるだけです。 今まで、遠慮とは、 いい意味で使っていたことが多かったのですが、 マイナスの捉え方も自分にはあるな~と感じました。 自分が本当は、 何か声をかければ良かったかなあと思うことがあり(声かけたい人がいた)、 それが出来なかったのは、遠慮したから?って話になりましたが、 遠慮・・・じゃないなと思った。 私のそれは、プラスの捉え方ではなく、 限りなく保身に近い遠慮でした。 その人を責めるようなことになってしまわないか? 自分の行動が相手を不快にし、自分も嫌な気持ちにならないか? と思ったから声をかけられなかったのです。 決して責めたいのではないのだけど、 責めているようにしか聞こえないような言葉しか思い浮かばず、 何て言おうかな・・・と思っているうちに、 結局、あたり障りのないことだけを言っていました。 そのまんま、 「責めているわけでも何でもないんだけどー」とか、 「何て言ったらいいのか、うまく言えないんだけどー」とか、 「ちょっと気になったんだけどー」とか、 いろいろ言えたんじゃないか? いっそのこと誤解されてもいいから、 その時感じたままに話してみても良かったのかもしれません。 そして日常的に自分は、 あまり遠慮することってない方かもしれないと思いました。 親しくない人の前では多少あったとしても(何かをゆずるとか)、 そもそも何が遠慮すべきで、何が遠慮しない方がいいのか? 何が、どうすることが、失礼にあたるのか? そういうことを見極めるのが苦手なんです。 でも、これは、見極めるというより、 自分がそこにどんな意味をつけるのか?というものだから、 何に遠...