遠慮する、とは

今日の午前中は勉強会でした。
話の中で「遠慮して・・・」という言葉が出てきて、
なんだか引っかかってしまいました。
そこで、中立ワークです(意味付けを考えてみる)。

「遠慮する」のプラスの意味付けは、

親切心がある
気遣いがある
自分は二の次でいいこと
控えめで慎ましいこと
自分のことよりも相手や周囲を大切にすること
自分のことよりも相手や周囲のためにしないこと
謙虚な行い

マイナスの意味付けは、

よそよそしい(親しさがない)
そうした方がいいという決めつけ
親切などあだで返す感じがある
関わるのが面倒でそうする
いい人っぽく見せたい?
保身
本心が見えない

そして、ただ一つの経験として、
「遠慮する」があるだけです。

今まで、遠慮とは、
いい意味で使っていたことが多かったのですが、
マイナスの捉え方も自分にはあるな~と感じました。

自分が本当は、
何か声をかければ良かったかなあと思うことがあり(声かけたい人がいた)、
それが出来なかったのは、遠慮したから?って話になりましたが、
遠慮・・・じゃないなと思った。

私のそれは、プラスの捉え方ではなく、
限りなく保身に近い遠慮でした。
その人を責めるようなことになってしまわないか?
自分の行動が相手を不快にし、自分も嫌な気持ちにならないか?
と思ったから声をかけられなかったのです。

決して責めたいのではないのだけど、
責めているようにしか聞こえないような言葉しか思い浮かばず、
何て言おうかな・・・と思っているうちに、
結局、あたり障りのないことだけを言っていました。

そのまんま、
「責めているわけでも何でもないんだけどー」とか、
「何て言ったらいいのか、うまく言えないんだけどー」とか、
「ちょっと気になったんだけどー」とか、
いろいろ言えたんじゃないか?
いっそのこと誤解されてもいいから、
その時感じたままに話してみても良かったのかもしれません。

そして日常的に自分は、
あまり遠慮することってない方かもしれないと思いました。
親しくない人の前では多少あったとしても(何かをゆずるとか)、
そもそも何が遠慮すべきで、何が遠慮しない方がいいのか?
何が、どうすることが、失礼にあたるのか?
そういうことを見極めるのが苦手なんです。

でも、これは、見極めるというより、
自分がそこにどんな意味をつけるのか?というものだから、
何に遠慮し、何に遠慮しないかは、
わからなくていいし、変わっていってもいいのかもしれません。

こうして書いていて、思った。
遠慮するって、
優しさがそこにある遠慮はいいなあと。
愛のある遠慮です。

今度から、「遠慮する」はそういう時に使っていこう。



午後からの講座は申込がなく・・・天気良すぎ~

























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