それなりにやっていく

それなりにやっていけばいいのかもしれない。

この言葉を、
自分の中で結構な頻度で登場させているかも
って思いました。
どう「それなり」なのかは、
出来事によって意味は変わってきます。

一つには、
多少は納得できないことがあっても、
周囲(相手)が納得しているのならば譲れる、許せる、
どっちでもいいとすぐに思えることがあります。
他のこだわりや決めたことの中で、
自分もなんとか合わせてやっていこうって、
それを選ぶという感じです。

また、あまり納得できないというときには、
その納得できないのはパターンであることを自覚しつつ、
自分の疑問を投げかけたり詳しい話を聞いてみたり、
そして自分の考えを言ってみたり。
対話をできるだけやってみて、
状況としてそれなりにもうやっていくしかないんだなと
思うときもあります。
あきらめに近いかな。

他にもあって、
自分のパターンだと理解しケアをしていくと、
もうそこにこだわらずにやっていける自分がいるのではないかと、
だんだん自分が変化していく感じが、
「それなり」を選ぼうとしているときがあります。
少しずつ白でも黒でもないグレーの「それなり」として、
自分に無理強いをせずに徐々に変わっていく感じです。

いずれも、
そうやって自分で自分の心を軽くしているんだなあと思いました。

妥協や切り替え、そして頭で強制的に割り切る。
ということを自分に課するのではなく、
「それなり」という自分以外のものに合わせていくような、
人間関係や仕事の中身や、自分自身の体に対してもです。
どちらかといえば、
新しい意味付けとしての我慢もしながら
パターンで選ばないところの「それなり」を練習しているような感覚。

その練習のためには、
それなりにやっていこうとする動機をちゃんとみていこう。




映画館は人がいっぱいいた~(きんとり観ました)








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