嘘という事実をあきらかにする
父親の三回忌を家族だけで行いました。
節目をまた一つ超えて、自分が年を取るということは、
父と会える日が近づく(それは嬉しい~)
ということでもあるんだなあと思いました。
みんな確実に年をとっていくわけで、
母のことを心配している間に、
私も、夫も、兄だって、
自分で自分の体を保っていくこともおぼつかなくなっていく。
本当は体がきついけど、
本当はお金がないけど、
本当は・・・ということがいろいろ出てくるかもしれません。
朝の連ドラ「ばけばけ」を見ていますが、
今週は家族の嘘についての話でした。
日本人は特に、嘘も方便ということわざがあるくらい、
本音と建て前を使い分け、墓場まで持っていくと決めての隠しごとなど、
私も持っているから(何とは、ここでは言えないけどー)、
前のめりで見ていました。
主人公が言っていたように、
それ(噓をつくこと)の何が悪いのか。
純粋な思いの元に、家族には話さないということだってある。
また、それを大げさにしないから
話していないだけということもある。
ドラマでは、
全部を明らかにしなければならないような流れがきて、
主人公だけでなく家族みんな、
それを言ったことでどっと力が抜けるのでした。
うわああ~~~~って、
これまでのもやもやを声をあげて吐き出していました。
なんか、そのあきらかさのスカッと感は、
見ている方も気持ちが軽くなるようでした。
もしも、どうありたいのか?の問いの先に、
今は嘘をつこうという選択があったのなら(どんなものかにもよるけど)
それでもいいのかもしれない・・・です。
でも、嘘はつかずに全部話してみよう!
という選択だって、いいのかもしれない・・・のです。
そうなるともう、嘘ではなく「事実」ってことになるのかな。
| 運転しない兄と私だけ飲みました~♪ |
コメント