離れていってしまった人
以前経験した、とてもつらいこと。
また再び、それに関わる出来事がありました。
その時と同じ「つらい」を感じとり、怖がっている自分がいました。
信頼されたい
いい人でありたい
自分がいかにその人たちのことを思ってやったことか、
自分をわかってもらいたい・・・
そんなパターンで接した結果、関係性はだんだんと悪くなり、
最後は離れていってしまった人、で自分の中で区切りをつけたような感じでした。
その頃は、頭の中が日々ぐるぐるし、ケアしないパターンが積み重なり、どこから手をつけたらいいのか・・・
こんなに混乱させてしまったことに、後悔の念でいっぱいでした。
でも同時に、苦しさから解放されたほっとした自分がいたのを覚えています。
顔を会わすことがなくなると、
パターンも暴れる必要がなくなり、
次第に、その後悔した経験を(同じ失敗を)しないように意識するようになりました。
それはそれで、知恵として身につき、役に立っていた部分もあったかもしれません。
でも、乗り越えたものではなかったので、
辛いことの中にあった、自分を知るというこの上なく大事なことを、
ただ先延ばしにしていただけだったんだと、今になって思いました。
つらいと感じたことを思い出していく作業。
全部パターンでのやりとりで(相手にとっても、自分にとっても)、
本当の「私」ではないところで起きているだけなのが分かります。
その頃は、なかなかパターンと「私」を分離することができませんでした。
語りかけも途中であきらめてしまい(強い意志を持ってやろうとしていなかった)、
パターンに飲み込まれてしまっていた。
そんな勇気がなかった弱い自分。
再びの出来事に、あの時の自分なのか、今の自分が感じているのか、
怖い、と思った途端にパターンが勢いづいていくのが分かりました。
そんなとき。
偶然つけたTVに、その人とすごく似ている人が出ていました(よく見ると似てないのだが)。
笑ったときの雰囲気がそっくり。
そのくったくのない笑い顔に、胸のあたりがざわざわし、
怖いような、でもちょっと違う感覚がおこりました。
何度も、その似た人を見ているうちに、
「あー、以前はよくあんな風にあの人笑っていたなあ」
怖い顔、苦しそうな顔、落胆した顔、そんな顔しか思いだせなかったけれど、
本来はそうじゃなかったよね、って。
涙が止まらなくなってしまいました。
もう笑いあったり、話すこともない(今は)・・・
私は「怖い」のではなく、寂しかったのかもしれない。
とても悲しい気持ちだったのかもしれません。
批判される怖さよりも、自分が未熟なゆえに関係が壊れてしまったこと(未熟な自分が壊したとパターンは信じていること)の悲しさ、寂しさ。
もっと自分を信頼することができていたら。
自分にはできない、対応する力がないともっと早くに言えていたら。
自分は正しい、と思い込んでいることに気づけていたら。
未熟でも良かったんだと、今なら思えます。
自分が見失いがちなことだから、これから先もしっかり見ていかなくてはいけないな、と思いました。
そしてもう一つ、その人がどうか幸せに生きていってほしいなあと心から願っています。
私に再びチャンスを与えてくれた人。
今度は、ちゃんと自分(パターン)に向きあいたいです。
また再び、それに関わる出来事がありました。
その時と同じ「つらい」を感じとり、怖がっている自分がいました。
信頼されたい
いい人でありたい
自分がいかにその人たちのことを思ってやったことか、
自分をわかってもらいたい・・・
そんなパターンで接した結果、関係性はだんだんと悪くなり、
最後は離れていってしまった人、で自分の中で区切りをつけたような感じでした。
その頃は、頭の中が日々ぐるぐるし、ケアしないパターンが積み重なり、どこから手をつけたらいいのか・・・
こんなに混乱させてしまったことに、後悔の念でいっぱいでした。
でも同時に、苦しさから解放されたほっとした自分がいたのを覚えています。
顔を会わすことがなくなると、
パターンも暴れる必要がなくなり、
次第に、その後悔した経験を(同じ失敗を)しないように意識するようになりました。
それはそれで、知恵として身につき、役に立っていた部分もあったかもしれません。
でも、乗り越えたものではなかったので、
辛いことの中にあった、自分を知るというこの上なく大事なことを、
ただ先延ばしにしていただけだったんだと、今になって思いました。
つらいと感じたことを思い出していく作業。
全部パターンでのやりとりで(相手にとっても、自分にとっても)、
本当の「私」ではないところで起きているだけなのが分かります。
その頃は、なかなかパターンと「私」を分離することができませんでした。
語りかけも途中であきらめてしまい(強い意志を持ってやろうとしていなかった)、
パターンに飲み込まれてしまっていた。
そんな勇気がなかった弱い自分。
再びの出来事に、あの時の自分なのか、今の自分が感じているのか、
怖い、と思った途端にパターンが勢いづいていくのが分かりました。
そんなとき。
偶然つけたTVに、その人とすごく似ている人が出ていました(よく見ると似てないのだが)。
笑ったときの雰囲気がそっくり。
そのくったくのない笑い顔に、胸のあたりがざわざわし、
怖いような、でもちょっと違う感覚がおこりました。
何度も、その似た人を見ているうちに、
「あー、以前はよくあんな風にあの人笑っていたなあ」
怖い顔、苦しそうな顔、落胆した顔、そんな顔しか思いだせなかったけれど、
本来はそうじゃなかったよね、って。
涙が止まらなくなってしまいました。
もう笑いあったり、話すこともない(今は)・・・
私は「怖い」のではなく、寂しかったのかもしれない。
とても悲しい気持ちだったのかもしれません。
批判される怖さよりも、自分が未熟なゆえに関係が壊れてしまったこと(未熟な自分が壊したとパターンは信じていること)の悲しさ、寂しさ。
もっと自分を信頼することができていたら。
自分にはできない、対応する力がないともっと早くに言えていたら。
自分は正しい、と思い込んでいることに気づけていたら。
未熟でも良かったんだと、今なら思えます。
自分が見失いがちなことだから、これから先もしっかり見ていかなくてはいけないな、と思いました。
そしてもう一つ、その人がどうか幸せに生きていってほしいなあと心から願っています。
私に再びチャンスを与えてくれた人。
今度は、ちゃんと自分(パターン)に向きあいたいです。
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