クリスマスプレゼントの論文

思いがけず、卒論の協力をさせていただく機会がありました。
発達障害における職場定着についてです。
発達障害でありながら定着して働いている方たちと、その企業担当者へも協力していただきました。
ヒアリングやアンケートを元に、とても素晴らしくまとめていただき、ご本人たちや企業側の自分が知らなかった一面を見聞きする機会となりました。
とてもありがたいことでした。

普段、インタビューを受けるなんてこと、滅多にありませんので、
密かに、これは楽しいかも・・・と思っていたら(興味本位で申し訳ないが)、ご本人たちもやはり楽しそうでした。
「もし話したくないことがあったら、無理に答えなくてもいいですよ」
と言われても、皆さんデリケートな問題ほど、詳細に丁寧に答えていたように思います。
他人に話すことで、過去の自分が客観的に見えたこともあったかもしれません。
後から振り返って感想を聞くと、
「自分の経験が、世の中の役にたつのかもしれない、と思うと嬉しかった」
こんなことをさらっと言うなんて・・・
とても誇らし気で、まぶしく見えました。

卒論は、恥ずかしながら自分が答えた部分もありました。
それに対しての学生さんの考察や感想を読むと、他人が感じ取ったものというのは、元は自分のことなのに、何か別のものに変換されるような感じがありました。
肉じゃがを作ったのに、翌日、つぶされて肉じゃがコロッケになっているような(具材は同じなのだが、美味しさが増す)。
そのあたりが、受け取った側の感性というか、個性が表れるのですね。

私が、障害者雇用に対しての古い価値観の殻を、企業がどうしたら破れるのかあの手この手で模索している部分について、
批判的な気持ちはあっても、関係性を決して崩さないようにむしろ親しくなっていこうとするのは、あくまでも自分の仕事は橋渡し役だからということ(安心して渡ってもらう橋)。
この、自分が言葉にはしていない部分を、学生さんが正確に、
いえ、そこに含まれる心情を想像し読み取ってくれたこと、的確に言葉で表現してくれたことにとても感動してしまいました。
素直にうれしかったです。
これは、私にとってのクリスマスプレゼントだなあって思いました。

その橋渡し役、と言っている私ですがー
本当に本当に数えきれないほどの失敗があります。
「バカじゃないのか」と思うような失礼なことを企業に言ったり、
「あー嫌な性格」と思われても不思議じゃない、きつい言葉をご本人たちに言ったこともある。
これは過去形の話ではなく、今だってあります。
相手や出来事が問題なのではなく、自分のパターンの問題であることの方が圧倒的に多いです。
パターンと向き合わずにはいられないような、そんなことばかり起きる。
そしてこれからも、失敗は続くでしょう・・・(確実に)。

学生さんから伝わる柔らかい心。
そんな柔らかい心が自分に育っていければ、
その失敗は自分を優しくし、粘り強くし、想像する力をつけ、軽い心でまた人と関わっていこうとあらためて思わせてくれるではないかと思いました。









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