報われたい

このところの自分のテーマである、●報われたい、というパターン

そもそも、このパターンがあるからといって、「私、報われたいんですよ」って普段口にしたことはないです。
「絶対に報われたいんだけど」と思いながらやっている自覚もない。
それなのに、このパターンが確かに存在しているということがわかります。

「報われる」の意味は、
努力や苦労により、それに見合った成果や成功、それ相応の結果が与えられること。

自分がそれだけの努力をし、苦労をし、こんなに頑張っているんだ、という認識があるということになります。
この場合の努力って何かの我慢の上に成り立つ苦しさを感じました。
だから、もどかしさ、いらだち、無力感、寂しさという感情で訴えてくるのでしょう。

そして、それ相応の結果が与えられる、というくらいなので、
当然成果が出るだけのことを自分はやったんだという自負の強さ。
うぬぼれとか、過大評価に近いかもしれません。
成果を出すために(その目的で)やったという動機もあります。

抑えて抑えて、そう思っていないと偽り、演じ、認めたくないものがパターンであることが多いです。
口に出したこともないし、そう思ってきた自覚がないというのは、
それだけ、根深いものだったのかもしれません。
そんな心の奥深くに閉じ込められていたパターンが顔を出したということは、
もう自分がそのパターンに向き合える準備ができたということでもあります。
パターンは、今ならば充分気づいてもらえるということが(絶妙なタイミングが)わかるようです。

それは喜ばしいことでもあり、
パターンがいてくれたから気づくことができたということに、感謝だなあと思いました。












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