忘年会の予定

今日はこれから岩手クラスの忘年会(ランチ会)です。
全員揃って食事するのはとても久しぶりで(たぶん)、旅行に行く数日前のように楽しみにしていた自分がいます。

今朝、思い出したことがありました。
もうかなり前のことなのですが、12月になると何件もの忘年会(飲み会)の予定が入っていました。
今思うと恐ろしいです。
個人で会うものを含めると4~5件あったと思います。
会社関係の人、友達、ママ友、サークル仲間等々、自分から誘ったものもあったと思うし、誘われたものはほぼ断らなかったからです。
案の定、1件くらいはいつもドタキャンのようになってしまい(体調不良で)、
申し訳なさから新年会と称して翌年に約束をし直すということもあった。

何が恐ろしいかというと、
『断れない自分』と、『予定がびっしり入ることに満足していた自分』にです。
●よく思われたい
というのがあったと思います。

せっかく誘ってもらったんだから、関係性を壊したくない(壊れるのが怖いと思っていた)
のりが悪いと思われたくない
誘ってもらったということは、自分は慕われている、信頼されている、だからそれに応えなきゃだめだ・・・
という理由から、飲み会に関わらずその動機で人との約束をしていました。

もう一つは、
●予定があるのは充実していること、というパターン。
予定があるということは、それだけ自分にやるべきことがあって、やりたいこともあって、他人から求められるものもあって、
生きている実感を、スケジュール帳を見て実感していた自分がいたかもしれません。

この思考パターンは私の20代の頃確立されていったと感じるところがあります。
22歳でがんになり、その後も再発があり、後遺症があり、
入院と自宅療養を繰り返し、交友関係も次第に希薄になり・・・
一般的には社会人としていろいろな経験を積み始め、若くはじける行動力で、楽しいことたくさんあったであろうこの時期に(これも自分のパターンだが)、
スケジュールが真っ白な生活。
この予定がないということが、世の中に必要とされていないことと同じ、というものすごい寂しさを感じていた自分がいました。
ですので、その頃の反動?のようなものもあったのかもしれません。

断れない自分は、最近はあまり顔を出してきません(特に、飲み会に関しては笑)。
交友関係も大分整理されたというか、
誘われたとき、誘うとき、共に動機は本当に今、会いたいのかどうか。
シンプルなことなのでしょうね。
でも、その頃はそれが難しかった・・・
また、体力が有り余っていた若い頃と違って(これがまた幸いしている)、
お酒は好きだけれど、飲んでいて楽しいお酒が好きなんだ、わたし。
と、体が教えてくれたというところもあります。
予定を組むとき、簡単に入れてしまわないように普段も気をつけるようにしています(しかし、ぽんぽん入れようとする癖はまだある)。

今年の忘年会の予定は、今日と、先日の仕事関係だけ(これはすごく楽しかった)。
今、自分の『予定』に関しての捉え方は変わったと思います。
年末、予定がほぼないカレンダー。
すごくいい、感じ・・・










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