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動ける幸せ

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明日から盛岡はさんさ祭りがスタートします。 今年は暑さのせいか、 外でさんさを練習している人たちをほとんど見かけていませんが、 時折聞こえる太鼓や笛の音には心が踊り、 今年もこの季節がやってきたか~って思います。 小さい頃は本当に体を動かすことが大好きで、 なんでもすぐにリズムに合わせて、しかもいくらでも踊れたのでした。 子どもの頃はたぶん運動神経が良かったのです(自慢みたくなってしまいましたが、子どもって皆そうか)。 それが~・・・まさかのまさか、 踊るどころか体を動かすことがこんなにできなくなる体になるとは、 夢にも思っていなかったのです。 何歳になっても、それなりに走れるし、動けるし、踊れるって思っていたんですね。 今となっては、よく体が動いていたころがどんなに貴重で、 幸せなことだったのかと思います。 ちょとやそっと疲れたって全然平気だった体。 そんな経験を小さい頃だけだったとしても、 思い切り味わえたことは良かったなあと思う。 あの頃の体を動かす気持ち良さは、 今でもよ~く覚えているし(まだ動けそうな気さえしてくる)、 それはそれは楽しい時間でした。 今ある健康も、今ある自分のあたり前の生活も、 全部がずーっと同じように続くものは何一つない。 だから、今やれていること、今動けていること、今週末も出張ですが、 動いて歩ける幸せをかみしめながらお出かけしようと思います! 久しぶりの読書

そんなことをしている場合じゃない

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昨日の続きですがー パターンへの語りかけをして、 少し気持ちが落ち着いてきたのかどうかはわからなくても、 自分が作った夕飯をいつものように、 「おいしいわ~」って言って食べる母を見ていたら、 生きているうちにできることをさせてもらおう! ただ、そう思ったのでした。 悲しんでいる場合ではないのだ。 時間があるのかないのかそれすらわからないことだし、 だったら今、たくさん話せばいいじゃないか! してあげたいことをいっぱいすればいいじゃないか! と、私の思考回路が逆回転し出したような気がしました。 そう、この頃思うことがありました。 〇〇している場合ではない・・・という名言(←自分で名言と言う)。 他人のことをあれこれ考えているときは、 他人のパイプに入り込んでいるいるわけで~、 そんなことに時間を割いている自分でいいのかと、 本当にそんな暇はないでしょって、思うのです。 自分のパイプ磨きをしろーって。 この名言を出すときは、 ケアをちゃんとしてからでないと思っています。 問題を単に思考ですりかえているだけに過ぎなかったりしますので、 きちんとパターンだと自覚をして(語りかけをして)、そして感じて、 そして自分はどうありたいのか? すると、いろんな選択肢を持った自分が発動し始めます。 パターンに人生を決めさせたいのか、 それとも、「私」が人生を引っ張っていくのか? この違いを感じていこう。 連続して買いすぎた~

悲しくなったパターン

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とても悲しい気持ちになったので、 これはパターンだなとすぐにわかりました。 ●母にずっと元気でいてほしい、というパターンに引っかかり、 悲しく寂しく、しょげているのです。 母の左手が腫れていて、指を動かすと痛がっていたので、 今日は病院へ連れていってみたら、骨折ではなく打撲か何かでした。 先生がその時に、「何をしたわけではなくても、腫れることがあるからね」と言っていたので、 それってもう年だから仕方ないね、ってことだよねと思いました。 ひとまず骨折ではなかったのでほっとしましたが、 病院ついでに、以前から目が疲れると言っていたので、眼科にも寄ってみました。 メガネを新しくすれば、少しはいいかなと思い診てもらったのですが、 メガネの問題ではなく、片方の目がほとんど見えていないことがわかったのです。 丸いはずの眼球が、まんまるではなくなっている・・・ いつから見えていなかったのか、 もっと早く眼科に連れてきていれば良かったなと気落ちする私に、 またしても先生が、 「だんだんこんなふうに、目がいびつになってしまう人もいるんですよ」と。 どちらの先生もまったく悪気がないのもわかっているし、 むしろ優しく言ってくださっているのもわかるんですが、 自分のパターンが受け取るのは、 母はもう、どんどん元気がなくなっていって、もうすぐ死ぬってこと? って思うと、悲しくなってしまいました。 歩くときふらふらしたり、ちょっとよろめいて転びそうになったり、 それも片方の目だけで見ているからなんだなあと、せつなくなります。 「はあ、もうどっこも悪くて、いいところはないんだね」と笑う様子にも、 私の中に泣きそうになっているパターンがいます。 死に向かって生きている。 これはみんなそう。私も、誰でも。 でも、母に元気で長生きしてほしいし、まだまだおしゃべりもしたいし、 もっと笑い合いたいし、いつまでもそばにいてほしい・・・ そう思うパターンの力が大きかったんですね。 と、気づいたので、 今日はしっかり語りかけをします。 暑さの中、真っ赤に、しっかり咲いてます!

一喜一憂

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疲れがたまっていたのか、 今朝はちょっと起きるのに、「よっこいしょ」と掛け声をかけ、 自分で自分に気合をいれて朝の支度をしました。 でも、カラ元気なのでだんだんに頭痛がしてきて、身体も重くなっていきます。 頭痛薬を飲み、しばし目を閉じ、 なんとか今日一日乗り切ったらちゃんと休むからね・・・と自分の体に言い聞かせました。 そして、今夜は早めに眠ろうと誓う。 絶好調の日もあれば、こういう日もあります。 パターンが暴れまくる日もあれば、落ち着いて平常心で過ごす日もある。 そこに以前よりも少しだけ一喜一憂しなくなっている自分も感じ、 不調ではあってもなんだか良かったなって思いました。 というわけで、今日はこの辺で、 疲れたら寝るに限ります。 おやすみなさい。 お昼に桜山でアイスチャイ飲みました~

どうありたいか?への意識

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今日は岩手クラスの勉強会でした。 今年も半分過ぎたということで、今年の抱負の経過を考察してみました。 『どうありたいか?』 ここをしっかり見ていくことを目標に掲げていましたが、 昨年は、どうある?というところを、 考えに考えぬいたすえ、どんな自分という人格であったらいいのかと、 表面的なもので頭で捉えていたことに気づいたのでした。 なので、今年の「どうありたいか?」は、 窮地に立たされた時、不安や緊張や怒りや焦りなど感情が動いたらすぐに考えるのではなく、 まずは、これはパターンじゃないの?と、 ここにしっかり気づくことを大事にやってみています。 やってみると、パターンだと気づきさえすればその後のやることは決まっていて・・・ 白を選んだその感覚も大事にしようと思える。 この軽さ、広がり、光があたるようなこの心地よい感じを持って、 そして(ここからの~)どうありたいか?なんだと思って今はやっています。 今年に入ってから一種のマントラのようにやっている、 「もしかしたら、〇〇だともう決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」 と言う時の感覚もそれです。 これを持つ自分ならば、黒はもう選びません。 ここを24時間(寝てるとき以外)意識を持って日常を送ることは、永遠のテーマです。 テーマが壮大すぎているかもしんないが、 それくらいの意識が自分にはちょうどよいことも分かってきました。 明日もパターンを自覚すること、 この白の部屋の感覚をなるべく持続させること。 忘れても何度でも思い出すようにして(ここは自力しかない)、 繰り返しやっていこうと思います! こんなふうに立ち止まって確認し、 あらためて自分がしていることを言葉にしてみると、 自分を俯瞰してみれていいなと思いました。 月1回の本当にありがたい時間です。 みなさん、いつもありがとうございます!! 雲りの日はちょっとほっとします