定年を考えたら
帰りにちらちらと雪が降ってきました。
昨日と同じくお風呂に入りながら、
今日は何のパターンがあったかな~と回想します。
今日はもやっとしたことがありました。
何にもやっとしたのかというと、
自分がこれからどんなふうに働いていきたいか?という問いにです。
もう定年退職まで数年です。
そんな自分が何か若い人たちに言うことなど何もないのですが、
何もない以上にじゃまをしたくないと思っている。
でも、自分ができる限りの役に立てることがもしあれば、
一生懸命にそれをしたいという気持ちがあります。
だけど、その役に立つことって何かあるのか?
とふと思ったら、何だかもやっとしてしまいました。
胸がきゅーっと締め付けられるような、苦しさ。
本当は害になっていないだろうか。
いない方がのびのび仕事ができるのではないか。
いや、自分がもうここでやれることは体力的にも能力的にも、
そして精神的な面でも何かいて良かったと自分自身が思えることがあるだろうか。
そんなことを考えても、
今は辞めるという流れに向かってはいないのだから、
その日まで、誰かのために働いていきたいと思いました。
いやいや、誰かではなく自分のために・・・です。
これ、自分がやりました~って、
わざわざ自分がしたことを見せたいわけではないのに、
でもどこか心の一点に、誰かの役に立てたなと、
そう思いたいパターンがあったら、それが嫌なんだと思いました。
そういうパターンを持ちたくないなって。
(久しぶりに登場、パターンを嫌うパターン)
そして、そのパターンが出たおかげで、
自分がここまでよくやったなと納得できるような、
そんな働き方ができなかったとしても、
それでもやれるところまで(働かせてもらう日まで)がんばっていく。
それだけでいいと思ったのでした。
もやっとするってことは、
パターンがあるなとわかるってことで、
それを確認することが大事だな。
| 冷凍ピラフにイカの塩辛 |
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