アンコンシャス・バイアス
市の広報紙にアンコンシャス・バイアスという言葉がありました。
略してアンコン。
直訳すると無意識の思い込みです。
●リーダーなんて自分にはできない
●仕事と家庭の両立はむずかしい
●地域活動は自分には合わない
などといった決めつけで、自分自身の可能性や活躍の場をせばめていませんか?
と書かれてありました。
ただの思い込みだと気づけば、新しい選択肢や挑戦が見えてきますよ、
というように地域活動にも一歩を踏み出してみましょうと続きます。
心理学でもバイアスという言葉がよく使われますが、
アンコンの種類として分けているところが、
その心理学用語の知識に重きを置くようで、なんだか難しさを感じます。
(それって全部パターンなのだし・・・)
アンコンがあるとどうなるのか?
他者に不快な思いをさせたり傷つけたりということがあると。
社会的な影響として、自分や組織の可能性をせばめる問題へと発展しかねない。
というような、どちらかというと自分自身よりも他者や組織、
人間関係や社会活動への影響があるという捉え方です。
小さい頃から刷り込まれてきた無意識の決めつけについて、
個人というより地域や企業といった単位で、
その色メガネを外していこう、変えていこう、
違う可能性(黒パターンの反対にあるもの)を見つけていこうという視点は、
多様性を大事にしていこうとする社会にはもしかすると、
逆にわかりやすいのかな・・・。
パターンもその影響は自分だけでなく、
他者や社会といったところへも良くも悪くもあります。
でも大きな捉え方の違いは、
やはりパターンに気づくとき、それが自分自身を知ることそのものである。
というところだと思いました。
パターンが自分のあり方さえも教えてくれているのです。
パターンもアンコンも意味は似ているところがありますが、
パターンはそれがあることで自分を理解できることだけでなく、
本来の自分「私」がそこに愛を注ぎ守っていくことで、
「私」は大きく育っていくという理解こそが、パターンが重要性を持つ理由です。
また、パターンならばケアをしていく、受容していく、
ということになりますが、
アンコンはあることに気付いたら(ここまでは同じ)、
解消していく、軽減していく、外していくなどという表現が多くあり、
違う見方や考え方をしていこうという、
修正の思考に走っている感じがあるかなと思いました。
アンコンを否定しているのではなく、
思い込みの影響を社会にするか個人にするかの違いも、大きいかなと思いました。
パターンもアンコンも自分にあっていいもの。
ここは同じです。
まずはそういう思い込みや決めつけがあるということに気付いていこう、
というところも同じ。
そこから先は、パターンを通して「私」という存在が成長していく。
自分の中のパターン(またはアンコン)をいつも静かに見ている。
というところへの想像までつなげられるかどうか・・・
これから講座やセミナーで、パターンってアンコンのことですよね?
などと言われることもあるかもしんないので、
ちゃんと説明できるようにしていこうと思います。
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