目について、別の視点から
おかげ様で、目の充血も痛みも大分ひけました。
今日はなるべくPCを使わないような仕事を選び、
目をかばいながら一日を過ごしました。
たった2日間でしたが、
スマホは極力使わず、PCは開かず、テレビも相撲だけは見たけれど・・・
外に出たときは遠くの景色を見たりもしました。
それだけでも、何だか目が休まったような気がします。
どこか体の一部が不調になると、
スピリチュアル的な観点でその原因を考えるということもあるかもしれません。
転んでケガをしたり、事故にあうことさえもちゃんと理由があって、
そこに意味を付けたがる自分もいたのですが、
今は、そういうところとはまた違うものを感じます。
「シントラ声明」に書かれてある、
目についての箇所を読んでみました。
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また、人間の目は、何かをもう見たくないと思う時、力を弱める。
機能を壊さないために、自動制御が働く。
その見たくないものは何なのか。
やっかいな頼まれごとか。
汚れた部屋か。
こじれた人間関係か。
すさんだ自分の姿か。
それを感じるだけで、ああ、それかと思うだけで、痛みは弱まる。
なぜ目が疲れ、痛むのか、自分が納得することで目はうるおう。
目薬を差すより、よほど効果がある。
肉体は意識の反映なのだ。
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自分が今、見たくないと思っていることを感じるというだけで、
ああ、あのことか~と思いをめぐらすだけで、痛みは弱まり目はうるおう。
と書かれてあります。
まるでパターンを見つけ、語りかけをしただけで、
そこへの苦しさが薄まる。
というのと同じ。
いっぱいいっぱいになっている自分を見たくない。
と思っていたかもしれませんし、
いろいろな、目には見えないエネルギーを感じ取って自分が飽和状態になり、
見える分以上に背負っていたということもある。
そして何よりも今回感じたのは、
実際に普段から毎日、
目が疲れるものに囲まれて生活していること。
ここも自覚して気をつけていきたいです。
こうして体の不調はいつも自分に必要なこと、
今大事にしていかねばならないことを教えてくれるんだなあと思いました。
ドライブ中は遠くの山を~ |
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