向き合いたくないもの
今日のクラスの勉強会にのぞむまで、
約1か月間、パターンのケアをしてきました。
前回、パターンが騒いだことはわかって開示をしましたが、
それが「私」ではなくパターンで開示をしていたんだと思いました。
そこにまずは気付いていなかったというか、
これまでも似たようなことが起きてもスルーしてきたことを思い、
今回は以前より目を背けなくても向き合える自分が、
多少なりともいるのではないかと信じて、
いくつかパターンを見つけて語りかけをしました。
クラスで学ぶということに意味がある。
と思うようになったのは、他のクラスに参加してからです。
カウンセリングは本来一対一でするものですし、
個人で学ぶ良さを充分にわかっているつもり。
でも、一緒に学ぶというのはそこに比較が生まれ、優劣ができ、
クラスの仲間に抱く感情もこんなに出てくるんだなと。
だから、そこに向き合っていくことが、
自分のためになるだろうなあって思ったのでした。
でも・・・言うは易く行うは難し。
クラスの仲間の言動で引っかかるパターンに対してケアをするというのを、
この10年以上もの間、数えるくらいしかしていないように思います。
今回、自分が否定される(とパターンが思っている)ことに対して、
実はとても恐怖を覚えていたんだと気がつきました。
自分は間違えていないと思っているのに、間違えたことをやっていたとしたら、
もう、そこを指摘されたもんなら、
怒りと、恥ずかしさと、失望と、落胆と、そこに引っかかるパターンが、
その場には居られないと思ってしまうほど嫌なことだったんだ!
と思い知ることになったのでした。
自分は間違っていないはず(正しいはず)というパターンと、
否定されたくないというパターンと、見下されたくないというパターン。
自分が一番いろいろ頑張っているし、
自分の言うことに賛同してもらえないなんてありえない・・・
ってパターンは思っていました(傲慢さがすごい!!)。
だから、今日のファシリで、
もしもそういう否定が、この安全であるべき場所で起きたのなら、
もう自分は耐えられない・・・ダメージが強い・・・絶対嫌・・・傷つく。
というようにパターンは思っていたんだと知りました。
本当に、今、そこに向き合えたことがよかったと思いました。
一番やらなければならないことをしないまま、
違う方向へ進もうとしていたかもしれません。
向き合いたいところにだけ向き合いたい。
そんなパターンもいたんだな。
稲刈り終わった田んぼも、ちらほら出てきました |
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