張り合った末に
昔はよく、いろんなところで張り合っていたなあと思います。
あからさまではなかったと思うけれど(たぶん)、
マウントを取りにがんばっていたと思う。
何をそんなにがんばっていたか?と言えば、
あらゆることにです。
ママ友には、自分の子どもの方が優しいとか、運動神経がいいとか、
入った高校でも内心張り合っていたと思う。
子どものこと以外にでも、
少しでも暮らしぶりが裕福でゆとりがあるかのように見せることも、
いつも他人とくらべて張り合っていた。
職場では、これは自分の手柄だとか、自分の成績だとか、
自分がどれだけ優れていて、好かれていて、仕事ができているかどうか。
まだまだいっぱいあったとは思うけれど、
今はむしろ逆になっていて、
そう見られたくはないし、そう思っていない部分ばかりです。
そんなことをしてどうしたかったのか?
その頃の自分は、結構本気で、
そこが満たされれば自分が安心できると思っていたのだと思う。
そこが周囲から認められれば、
自分は幸せを証明できたかのように感じていたかもしれません。
一瞬の満足の後は、より一層もやもやするし、
全然幸せではないし、ただただ疲れるだけでした。
でも、そういう張り合った経験から10年以上が経過して(まだそれくらいしか経っていない)、
そこまでではないにしろ、
他人と比べそうになるパターンは今もいる。
でもそれを完璧に無くそう!というのも、また違うんだな。
無くそうとしたくなるのはパターンであって、
本来の「私」がすることではないからです。
「私」の存在は小さく、なんの主導権もなく、機能不全だったんだなあと思う。
| 海藻たっぷり蕎麦 |
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