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どんなプライドなのか

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孤独を感じているとき、 ここにもプライドが壁となって出てきたなと感じました。 どんなプライドなのかというと、 自分は一人でいても(孤独だなと感じたとしても)、一人ではないし、 話そうと思えば周囲とも話せるし笑えるし、 今のこの状態は全然平気です~という平気なふりをするプライドかなと思います。 本当は、一人でいることなど平気ではあるのだけれど、 周囲からどう思われているのかが気になっていたり、 もっとみんなと仲良くした方が良い人でいられるのかなと、 パターンは思ったりしている。 一人でいるという状態がはたからみて、どうなのか? どう見られているのかがなぜ気になるのか? だったら、一体自分はどう見られたいのか? 何のパターンがあって、 そのパターンをどんなプライドがじゃましているのか。 そこをみる。 鍬ケ崎の漁港

目について、別の視点から

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おかげ様で、目の充血も痛みも大分ひけました。 今日はなるべくPCを使わないような仕事を選び、 目をかばいながら一日を過ごしました。 たった2日間でしたが、 スマホは極力使わず、PCは開かず、テレビも相撲だけは見たけれど・・・ 外に出たときは遠くの景色を見たりもしました。 それだけでも、何だか目が休まったような気がします。 どこか体の一部が不調になると、 スピリチュアル的な観点でその原因を考えるということもあるかもしれません。 転んでケガをしたり、事故にあうことさえもちゃんと理由があって、 そこに意味を付けたがる自分もいたのですが、 今は、そういうところとはまた違うものを感じます。 「シントラ声明」に書かれてある、 目についての箇所を読んでみました。 ―――――――――――――――――― また、人間の目は、何かをもう見たくないと思う時、力を弱める。 機能を壊さないために、自動制御が働く。 その見たくないものは何なのか。 やっかいな頼まれごとか。 汚れた部屋か。 こじれた人間関係か。 すさんだ自分の姿か。 それを感じるだけで、ああ、それかと思うだけで、痛みは弱まる。 なぜ目が疲れ、痛むのか、自分が納得することで目はうるおう。 目薬を差すより、よほど効果がある。 肉体は意識の反映なのだ。 ―――――――――――――― 自分が今、見たくないと思っていることを感じるというだけで、 ああ、あのことか~と思いをめぐらすだけで、痛みは弱まり目はうるおう。 と書かれてあります。 まるでパターンを見つけ、語りかけをしただけで、 そこへの苦しさが薄まる。 というのと同じ。 いっぱいいっぱいになっている自分を見たくない。 と思っていたかもしれませんし、 いろいろな、目には見えないエネルギーを感じ取って自分が飽和状態になり、 見える分以上に背負っていたということもある。 そして何よりも今回感じたのは、 実際に普段から毎日、 目が疲れるものに囲まれて生活していること。 ここも自覚して気をつけていきたいです。 こうして体の不調はいつも自分に必要なこと、 今大事にしていかねばならないことを教えてくれるんだなあと思いました。 ドライブ中は遠くの山を~

目は大事

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朝起きたら目が赤くなっていて、 午前中のうちにどんどん右目に痛みが走りました。 目を開けていられなくなって眼科に行くと、 結膜炎と角膜炎が同時になっているとのこと。 普段コンタクトをしていますが、 もう激痛なので外して眼帯をかけ、その上からメガネをかけるという、 なんともトホホな状態になっています。 そんなに目を酷使していたつもりはなかったけれど、 このところの疲れもあって、弱いところに響いたのかもしれません。 ・・・ということで、 しばらくはPCから離れ、スマホからも離れ、 大事に続けてきたブログですがしばしお休みします。 目を休ませて早く治したいと思います。 うさぎの目のようになってみてはじめて~ 目の白いところが白くあるって、 ありがたい状態なのだなあと思いました。 両目が充血すると、なんか痛々しいのを通り越して、顔が怖い・・・ですっ! 皆さまもどうぞ、きれいな目を大切にしてくださいね。

張り合った末に

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昔はよく、いろんなところで張り合っていたなあと思います。 あからさまではなかったと思うけれど(たぶん)、 マウントを取りにがんばっていたと思う。 何をそんなにがんばっていたか?と言えば、 あらゆることにです。 ママ友には、自分の子どもの方が優しいとか、運動神経がいいとか、 入った高校でも内心張り合っていたと思う。 子どものこと以外にでも、 少しでも暮らしぶりが裕福でゆとりがあるかのように見せることも、 いつも他人とくらべて張り合っていた。 職場では、これは自分の手柄だとか、自分の成績だとか、 自分がどれだけ優れていて、好かれていて、仕事ができているかどうか。 まだまだいっぱいあったとは思うけれど、 今はむしろ逆になっていて、 そう見られたくはないし、そう思っていない部分ばかりです。 そんなことをしてどうしたかったのか? その頃の自分は、結構本気で、 そこが満たされれば自分が安心できると思っていたのだと思う。 そこが周囲から認められれば、 自分は幸せを証明できたかのように感じていたかもしれません。 一瞬の満足の後は、より一層もやもやするし、 全然幸せではないし、ただただ疲れるだけでした。 でも、そういう張り合った経験から10年以上が経過して(まだそれくらいしか経っていない)、 そこまでではないにしろ、 他人と比べそうになるパターンは今もいる。 でもそれを完璧に無くそう!というのも、また違うんだな。 無くそうとしたくなるのはパターンであって、 本来の「私」がすることではないからです。 「私」の存在は小さく、なんの主導権もなく、機能不全だったんだなあと思う。 海藻たっぷり蕎麦

季節の変わり目

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だいぶ涼しくなってきました。 いつも、寝るときは丁度良い感じなのに、 明け方にかけて寒くて目が覚めます。 でも、そのまま小さくなってがんばって寝ていたりもします。 そのせいか・・・ 今朝は風邪っぽく、頭痛があって、喉がイガイガして、 だるいまま一日を終えました。 こういう時は一刻も早く寝るに限ります。 季節の変わり目の体調で自分の今の状態がわかる、と言いますが、 今、まさにその時期であり、 過信せずに大事に過ごしていこうと思いました。 体を暖かくしていこうと思います。 今日も一日お疲れ様でした! 仏様にあげたお花 束にしてパシャリ