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2月, 2026の投稿を表示しています

2026年目標は〜

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PCの調子が悪くスマホからぽちぽち入力しています。 明日は直ってほしいなあ〜汗 さて、今日で2月も終わり、 今年の目標・継続したいことを確認します。 今年は毎日必ず「一日の振り返り時間を持つ」にしました。 毎日やるというところが自分にとって重要。 今日感じたことを振り返り、 パターンが見つかっていれば語りかけをしたり、 今日一日で良かったことや感謝することを書き記してみたりしています。 もしも眠くなってしまっても、 この最後の良かったことと感謝だけは、 最低一つ思い出してから眠りにつくようにしています。 これは思いのほか、気持ちが柔らかくなるようなほぐれていくような感じがあり、 安眠にもつながっているかもしれません。 もう一つ今年の目標・継続したいことがありますが、 そちらはちょっと義務感こなし感がなきにしもあらず・・・ 以前からある付き合いの長い強いパターンへの語りかけです。 もう少し丁寧にやっていこうと思います。 白鳥さんもそろそろ旅立ちかなあ

待つ練習

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人の話をちゃんと聴く。集中して聞く。 ということを意識してみて、 相手が何を言っているのか(言いたいのか)、 以前よりも入ってくるようになった気がします。 って、言うと・・・どんだけ今まで聞いていなかったの? ということになりますがー 自分が思うほどは聞けていなかったのではないかと思う。 たぶん、聞いたつもりになっていたことが多く、 いつの間にか無意識に聞くことを中断させては、 思考を使いだし、自分が次に言う言葉を考えていたりしていた。 相手が何を話しているのか、 早く理解したいという気持ちもあったかもしれません。 すぐにわかる自分でありたいとパターンなら、そう思う。 そうやって分からないと決めつけているパターンが、焦っていたように思う。 聞くというのは、待つことに似ています。 話の中の点と点がつながっていくのを時間をかけて待つ。 そうすると点と点がだんだんつながってきて、 一つ理解が進む。 そうやって背景が見えてきて、もっと聞きたいなあってなるのでした。 話を聞く練習、待つ練習って楽しいです。 消しゴムサイズ

思考で動かしているもの

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昨日は鍼灸をしてきました。 今の自分の体には、ハリがあっているような気がします。 本当は自分でも簡単な運動というか、 何かは自発的にやったほうがいいだろうなあとは思っているのですが、 なかなか体を動かすという余力がありません。 ただ、この頃は朝起きると肩と首が固まっているので、肩をまわし~ ってやるようになったら何となく調子いいです。 と、先生にお話したら、 「そうですか。本当に軽くならやってもいいですけど、ストレッチとか可動域を広げたり柔軟運動したりというのはやめてくださいね」 と言われたのでした。 え・・・それっていいことじゃないの? 肩まわしなんかより、 そっち(ストレッチやヨガ)がやれるにこしたことないんじゃないの~ と、もやっとしました。 肩まわし以上のことをすると体を傷めたり、 他のところを悪くするので、絶対やめてくださいと。 普通の生活の動きだけでいいですよということでした。 この会話、以前にもありました。 あくまでも私の場合は、という話。 それより何より「肩まわし」と「ストレッチ」の違いは、 前者は、本能的に気持ちいいから動かすというもので、 後者は、やったほうが健康的だろうと思考で動かしているものかもしれません。 お~、そういうことか。 と先生の言葉以上に腑に落ちた自分でした。 こういうこと体の一つ一つにも、 考えないで感じたものをすればいい。 っていうことなのかもしれない。 岩手山も久しぶりにくっきり!

心の奥底にあるもの

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カウンセリングの先生が書いた最近の日記に、 「自分はうまくいくだろう」 というものがありました。 人は心の一番底にある思いが自分自身なのだと。 そしてそれは、根拠のないところの 「自分はうまくいくだろう」というものと 「自分はうまくいかないだろう」というもの。 自分の心の底にはどちらがあるのだろうか。 これまでのパターンを見ていると、 はじめはネガティブなものしかないと思っていましたが、 だんだんに相反するパターンも見つけ、 気づけばいつも同じようなパターンを許せず、 そのパターンが自分を苦しめているようにも思う。 自分は能力がない(劣っている)と思うパターンと、 自分はいけてる(特別で天才だ)と思うパターン。 これは大波小波のように、 いつも交互に揺れているのではないかと思います。 自分は頭が悪く、物覚えが悪く、 何の取柄も能力もないとパターンは落ち込み苛立つ。 だけど、本当は自分って結構運がよく意外と天才じゃないか? と明るく幸せも感じていたりする。 そういう相反するパターンがいるけれど、 おそらく、どちらかといえば、 「自分はうまくいかないだろう」というものの方が心の奥底、一番下にあって、 それを感じているからこそ、そうはなりたくない、 それを打ち破りたい、自分を変えたいと思うものが、 パターンのかたちを変えて出てきているようにも思う。 でも、先生の日記に書かれてあるように、 その根底を変えようとしても無駄。 無駄どころか、変えようとしていることがすでに量子力学的に違っている。 だからやることは一つ。 目の前に出てきたどんなパターンも丁寧にみていく。 そして許していく、ということを「私」が選ぶ。 その積み重ねしかないのかもしれません。 その積み重ねでパターンは安心してそのままでいられるのだ。 そのままということが、すでに、 見える世界が変わるということなの・・・かも。 きれいな色の夕陽~!

ただ、感じる

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またまた昨日の続き。 尊敬するという気持ちが湧いたというのは、 逆を言えば、今までそう思っていなかった・・・ と、書き終わってから気づきました。 びっくりしたけれど、 ある意味そんなびっくりするようなことでもないような気もしました。 自分とはそういう人間。 そういう段階(レベル)にいたんだなあと思うから。 共に学ぶからこそ、 みんなに負けたくないという気持ちや、 自分だけひとり劣っていると思う焦る気持ちもあり、 そういう感情がわいては、 出てきたパターンをまた嫌うパターンもあります。 でも、それらの人と比べるパターンが、 今は騒がなくなってきたということではなく、 そういうパターンあるよなあ~ってただ感じられるようになってきたことが、 前より少しだけ違う自分に感じるし、 みんなに対しても、素直にすごいなあって思えるのかもしれない。 今日も、今、何感じている?と問いながら、 そうあなたは感じているんだねとパターンに言えることが これが密かに自然体でいいなと思いました。 半生焼きのたらこと、豚汁

尊敬する気持ち

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昨日、グループで学んできた仲間の変化・成長を感じているとき、 今まで味わったことのないような、 とても静かな落ち着きと、誇らしさといったらいいか・・・ みんなを尊敬したい気持ちがありました。 自分のしてきたこと、できていないこと、 またどんな気持ちで過ごせるようになってきたのかを 「私」の視点で静かにみていることが、 本当に素晴らしいことだと思ったのです。 自分を探求し続けてきた同志でもありますが、 それぞれの持つ魂の課題はまったく違うもの。 私にもそういうパターンがあるなあと共感はしても、 その人にしかわからない向き合い方、 魂がしたがっていること、というのがあります。 いつも自分自身に、どうありたいのかを問いて、 「私」を育てていくことをあきらめない勇気と強さ(ねばり強さかな)。 私はそこに今までずっと感化されてきたのだと思いました。 そんな響き合う環境を与えてくれたこと、 自分とめぐり合ってくれた方たちに感謝しかないです。 みなさんありがとう。 いただいたお団子 ありがたくいただきました!

話をちゃんと聴く

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今日はクラスの勉強会でした。 普段カウンセリングや職場などでは、 他人の話をちゃんと聴くということから始まります。 と、言うは易く、 行うは難しで・・・ それがどんだけ大事なことなのか、 ちゃんと本当にやっているのか。 聴いている途中で騒ぐパターンがあると聞けなくなるし、 相手のパターンをも探し考えはじめる自分もいました。 今日の勉強会で、 いかに自分の聴くことへのダメさ加減を知っただけでなく、 皆さんが仕事を通じて自分自身をゆがみなく見ようとしている ことにも衝撃を受けました。 学びを続けていくうちに人の見え方が変わったこと、 また変わらない部分も受け容れていること、 常に自分を見ている(見ようとしている)。 そういう仲間がいたからこそ自分もやってこれた。 グループで学ぶことで、 自分も仕事のありかたへのたくさん影響を受けてきたんだと、 自分一人で成長してきたのではない! というまた一つまぎれもない事実を知るのでした。 みなさんいつもありがとうございます。 こちらは、風情ただようお雛様!

老化は進化

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昨年の後半あたりから頭痛に悩まされてきたのですが、 CTを撮ったときに副鼻腔炎っぽいのが発見されて、 それから耳鼻科に行くようになりました。 なんと、ポリープもあるというので数か月前から薬で様子をみています。 耳鼻科の先生に、 結構(ポリープ)デカいから、これだとあまり匂いしてないんじゃない? と言われ・・・ そう言われてみれば、悪臭もいい匂いもどっちにも鈍感でした。 それで思い出しのが、五感も老化するということ。 認知症の方ってたいていがこの匂いに鈍感(だと思う)。 鼻だけでなく耳も遠いことによって 認知症が進むことは実証されているようです。 (両親もそうでした〜) そして、鼻、耳、だけでなく、 味覚もちょっと変わる感じがするし(ある意味何でも食べれたり食べれなかったり)、 暑さや寒さにもにぶくなって、 冬なのに薄着をしたり、夏なのに冬物の下着を履いていたり。 温度感覚もかなりにぶくなるよう。 目だって、老眼はもとより白内障とか緑内障とか、 私の母も、夜はほとんど見えないということで夕方からの外出はとても不安がります。 それなのに、 自分の感覚器官はなぜか老化しないとでも思っていたのか、自分。 おかげさまで今は痛みの回数が減ってきていますが、 お薬以外にも、ゆる~くストレッチをしたり、 ハリに行ってみたり、光線機治療してみたり、 朝晩のスマホをやめて目を休めたり・・・ いろいろいいと思うものを楽しみながら続けてみています。 そういえば、 老化というものをキョンキョン(小泉今日子さん)が、 「進化」って言っていました! 自分が生きてきたことや見てきたことを、 そういうものをちゃんとまとって、進化し続けて力強いおばあちゃんになりたい。 とも語っていたっけなあ 老いにもどうありたいかなんだなあ サブールさんのパン よく噛んで食べた!

パターンがさわぐことが嫌

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やはり・・・パターンが騒がないと、 何だかほっとしている自分がいました。 っていうのもパターンです。 ●パターンに大人しくしてほしい、とか、 ●パターンがさわぐことが嫌、とか言っているパターンです。 パターンがさわがないということが平和で、自分が成長した証拠で、 さわがないということが穏やかに自分らしく生きられると思っています。 だから、さわぎ出すと苦痛で、 成長していないと責め、 そして、これでは伸び伸びとした自分ではいられない、 って信じているのだと思いました。 パターンはそんな考え方をする自分自身を許せないし、 そんな自分ではないとも思いたいのだ。 よく、先生から言われる、 これは驕り(おごり)なんだと思う。 そんな自分ではないという、 自分は分かっているという驕り。

どんな人生も楽しみたい

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パターンを何とかしたい。 つまり早くこの苦しさから逃れたい、っていうパターンがありました。 苦しいのは嫌、ネガティブでずーっといるのは嫌、 もやもやすっきりしないのは嫌だとパターンは言っています。 パターンって、本当にいつもいつもいつも、 自分の思う通りの状態にしたいと思っているんだなあ そんな時、そのパターンを否定するパターンもいて、 いやいや自分の思い通りにしたいなんて思っていませんよと、  だいたいでいいですよ、そのだいたいという譲歩した感じもパターンのわがまま。 全く自分が意図したものではなくても、 それがまあまあ受け入れられるものであればいいとか言って、 結局は少しでも思い通りであってほしいという気持ちがある。 どこまでいっても、パターンって望みを言ってくるんだと思いました。 そういうパターンもあるがままに許すというと、 自分勝手に好き勝手に生きていいみたいに聞こえてしまいますが、 そのまま続行させていいという許しではなく、 そう感じるパターンの存在を自由にし、見守る「私」でありたいです。 どんなふうに感じてもいいのだと。 これは思い通りだとかこれは思い通りじゃないとか、 そういう世界ではなく、 どんな人生も楽しめる、そんな自分でありたい。 そういうこと・・・なのかな? 藤田嗣治さんのネコだった!

頭のぐるぐる

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今日はなかなか頭のぐるぐるが止まりませんでした。 何度か、ストップ!黙りなさい!おーーーい! と言ってみるのですが、 すぐに頭が働いて気になっていることを考えてしまいます。 負のスパイラルに突入。 こんな時でもあきらめず、 なるべく上を向いて、 「そうだよね、あなたは今、怖いって思っているんだね」と、 それぞれの感情に意識を向けてみました。 相当な恐怖と不安があるのだから・・・ そうやっているうちに、ふと、 何とかしたいというパターンがいたことも感じました。 何とかならないパターンが嫌。 というパターンもいたのです。 パターンを許すということは、 パターンがいても気にならないということか? それとも、気になってもいいということを許すことだろうか。 うーん・・・ 気になってもならなくてもどっちでもいい。 っていうくらい、パターンを自由にさせてあげたいなあ パターンよ、ごめんなさい。 怖かったんだね、不安だったんだね。 もうゆっくりあなたを休ませてあげたい。

しっくりくる順番

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今日は起きてしまったことを、ああ~うう~と悔やんでいますが、 なるべくそのままの感情を感じてみます。 空を見て、上を向いて感じる。 緊張、不安、悔しさ、腹立たしさ。 心臓もばくばくしている。 これが今の状態なんだなあ そして・・・ どうしてそうなっているの? って、何のパターンなんだろうと考える(ここは考える、探す)。 順調にいってほしかったし、落ち度なくやりたかったし、 こんなにやっているのだから、そうできると思っていた。 つまり、●自分は正しい(正しくやっている) というパターンがいたから、 それをじゃましたものに対して緊張もしてくるし、 不安になるし無性に悔しくもなり、最後は腹が立ってくるのでした。 この、感情を感じるところからの~パターン探し。 この順番がとてもしっくりきます。

微妙な感情

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慣れというのは、 いろんなところでパターンを喜ばせているのではないかと思いました。 できているのか、できていないのかのこだわりの世界にいる時、 できたと認識することがあると、 パターンは調子に乗り、うぬぼれ、おごり高ぶる。 単なる「慣れ」がいつしか、自分はできるになっていた。 と気付かないのですね・・・ ただ、それを続けていたことで、 また長くそれをやるような状況があったからそうなったというのに。 特に仕事! ずっと同じような仕事をしてれば、 ある程度長く同じ会社にいれば、 誰だってそこに慣れてきて、それをしていない人よりは できるようになるってことあるでしょう。 それを能力があるとか、自分は特別だとか、評価が高いとか、 勘違いしてはいないだろうか。 一見ほめられてちょっとは嬉しかったりしても、 すっきりした爽やかな軽さとは違うので、 ああ、パターンが喜んでいるなあと分かる。 感謝があるかないかでも分かる。 よくよく自分を観察すれば、 本当は、ほめられても嬉しいという感情とは違っています。 モヤモヤ、羞恥心、不快感、息苦しさがある。 だとしたら、これは自分を特別扱いしたいプライドや、 がんばってきたというこれまた自分が一番というプライドか・・・ 微妙な感情もちゃんと感じていこう。 そして誰がそう思っているのか見ていこう。 東家さん 少し早いお昼なら空いてます~ 

慣れで対処する

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パターンを嫌うパターン。 今、何を感じている?と問うと、 疲れた、イライラする、腹がたつ、ちょっと悲しい。 という気持ちがありました。 母へ何度も繰り返して話したり、その話も全然かみ合わなかったり。 耳が遠いので大きな声でずっと話し続けることにもへとへとになってしまう。 そんな時に、出た感情。 母が認知症になってからちょいちょい顔を出してきたパターン。 語りかけをしているからここまで落ち着いてきた? いえいえ、日常でのやり取りの「慣れ」が自分を落ち着かせていたんだと思いました。 仕方ないよな~という頭での理解と、 そして毎日の慣れで対処できると、 そうしてきた自分がいたのだと分かりました。 このパターンを本当にはゆるしていなかったのです。 これは、今までずっと語ってきたパターンを嫌うパターンです。 母親にもうちょっと話を聞いて(わかって)ほしいと思う自分がいて、 そう思うことがなんだか全く成長していないと自覚させられるかのようで、 そこで湧くネガティブさも強烈です。 でも、ここも心臓を優先します。 今年はこのあたりのパターンにもしっかり語りかけをしていこう。 水辺に近づいていったら、藻で滑って転びました

いい感覚もキャッチしている

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この頃、朝に、自分がこれいいなあと、 心が軽~くなるようなことが書いてある文章を読んでいます。 小学生の音読の宿題のようですが、今、これにはまっています。 今朝は先日から続けている 「脳より心臓を優先させる」というもの。 読み込んでいくうちに、 今、何を感じている?の問いに対して 頭ではなく心臓に意識を向けるようにしています。 心臓はたいていドキドキしています。 そして、緊張、不安、イライラといった感情のどれかを感じとっていることが多い。 でも今日は少し違う感覚もありました。 宮古へ向かう途中、盛岡よりずっと暖かい空気に春を感じ、 ほんわかした気持ちになったのです。 さらに太平洋を見ては、本当に気持ちがよく、 すがすがしさと落ち着きも広がっていきました。 ネガティブな感情だけでなく、 白の部屋に入ったときのような心の軽さも感じられた。 その感覚を味わえたことが良かったです。 そうかー、どの感覚も察知している「私」(自分自身)がいる。 黒パターンだけでなく白パターンの心の動きも観察している。 どっちの感情・感覚もキャッチしながら、 どっちがいいという評価もせずに 静かに見ている「私」がいるんだなと思いました。 ・・・もちろん、いつどんな時も、 黙って静かに見ていられる「私」に育っているわけではないですが、 それでも少しずつ、毎日、何を感じているのか? ここは大切にやっていこうと思います。 久々の海だーーー!

おさげっこ

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今日は週末なのでお酒をいただきまーす。 秋田の純米原酒「おさげっこ」。 ネーミングがいいし、味もすっきりしてお米の香りがします。 岩手にも美味しいお酒はたくさんありますし、 たぶん日本一美味しいという海の幸も山の幸もある(完全に身内びいきー)。 でも、秋田も食に関してはなかなかのものだと、 去年一年秋田通いをして思いました。 おそらくその根底には、 まずは水がうまい!空気がうまい! というのがあるのだと思います。 米、野菜、味噌、調味料、 それらを使ったお菓子も素朴なものがたくさんある。 ・・・で、岩手や秋田、そして青森の北東北というかな、 自分が食べてうまいと思ったものを、 知人友人・家族などごくごく身近な人たちにふるまったり、 分け合ったりということはしますが、 県外を飛び出してまで宣伝しようという気がほぼない。 逆にそれが伝統の食を守ってこれた理由の一つではないかと思いました。 何百年も変わらずその土地で食べ続けてきたものには、 なんだか私たちのDNAにも一番合うものだし、 そういうことってとても幸せなことだと思いました。 私の一押しのお酒

痛みと感情を察知する

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今日は久々の頭痛に襲われ・・・ えーと、今どんな気持ち?と問う。 痛い、不快、(早く横になりたくて)イライラしました。 体に実際に起きている痛みとか頭がズキズキするというのは、 感情ではないけれど、感覚としてあるので、 そこも含めて自分に起きていることを認めます。 あ~今自分って、こう感じているんだなあって。 なんか、それだけでもちょっと冷静に客観的になり、 「私」とパターンが離れるような(別ものになる)感じがします。 量子力学や脳科学の理論から心のお話をされている 小森圭太さんが説いていたものに、 「脳より心臓を優先させる」というものがありました。 宇宙意識と同調するには、脳(思考)ではなく心臓の感覚に従う方がよいのだそう。 心臓っていうところが生身の人間ぽく、 胸に手をあてるというのもやはり本能的なものなのかなと思いました。 心臓に従うを言いかえれば、 「私」の感覚に従えばいいということにもなり、 感情や感覚をとにかく感じるところから始まるってことになります。 今こうして日記を書いている時は脳が働いていて、 頭痛のズキズキをなんとかしたい、頭痛になりたくない、 早く日記書き終わって寝たい・・・とか考えてしまう。 でも、そういうパターンのことを考えるのではなく、 ただ、頭痛いし不愉快だしイライラするし~ という正直な気持ちをちゃんと察知して受けとめたいです。 はい、お浸し~

いろんな言葉で

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「きょうの料理」という番組に土井善晴さんが出ていました。 関西弁の軽やかなトークにそって、 緑あざやかなホウレン草のお浸しが出来ていました。 それがすごく美味しそう~ まずは、ホウレン草をざっくり切ったものをフライパンに入れ、 (ピンクの根本のところもきれい洗って、そのまま使っていました!) さっと水を入れて蓋をして蒸す。 蒸されてきた感じがしたら天地返しして、 全体に火が通ったら取り出し、お水にさっとくぐらせふわっとしぼる。 ささっと鰹節を乾煎りしてたっぷりかけて出来上がり。 この、「ざっくり」「さっと」「ふわっと」「ささっと」が土井先生らしい。 しかも、お湯沸かした鍋じゃなくフライパンでささっと作る! お醤油は自分でかけて~ 特に子供には自分でかけさせて、 これくらいの感じなら、これくらいかけていいかな?って、 感覚でわかるようになっていくのがいい、と言っていました。 この土井先生の感覚ちょっとわかる気がしますし、 こういうところで、家庭料理のハードルを低くしてくれているのが 見ていて楽しいです。 でも、土井先生のように感覚的であっても、 またそれがちゃんとした言葉にできるからこそ、 万人に料理を楽しく教えることができるのだと思います。 その言葉のマッチングというか、 いろんな言葉を使いこなしているというか、 軽やかに話せることっていいなあと思いました。 自分も少しずついろんな言葉を使えるようになりたい。 キーマカレーっぽいの作りました

今日は一回だけ

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今、何を感じているか?の問いですが、 今日は感じたことを意識できたのは一回だけでした。 気づいたらもう夕方になっていた・・・がーん。 帰宅途中で無意識に、 ああ~疲れたなあ~でも良かったなあ(安堵感) と心の中で思い、その後一日を振り返るようにまた思考していました。 頭の中でぐるぐると反省会してたーーー! こういう時、今何を感じたのか? と自分に問いかけられるといいなあと思います。 疲労感、安堵感、脱力感・・・ 〇〇感というのも感情の仲間です。 明日は休日ですので、 どんな感じ方をするのか、ちょっと楽しみだったりします。 少し辛口って書いているけど、すっきりした甘さがあります♪

パターンは生き物

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朝、今何を感じている?と自分に問い、 不安、緊張、怖い・・・と感じていました。 今日はいつも頼りにしている人がいなかったという日で、 まだ起きてもいないことを怖がっている自分(パターン)がいました。 夕方になるとちょっとひと段落を終えた気がして、 ほっとした、安心、脱力感・・・を感じました。 それ以降は立ち止まって感じることができず、 それだけ、何を感じているか?と問うことを常にはやってこなかったんだなあと反省。 1日に何度も聞く(何度も、がポイント)。 これをあたり前にしていきたい。  どんな感情なのかをちゃんと見ずに、 今、引っかかったよね?何のパターン? と、すぐに思考へワープしていたんだと気づきました。 今日は、他にも思い出せば、 不安、イラ立ち、ムカつく・・・という感情もあったなあ こうして感情だけを拾っていくと、 パターンって本当に心の中で生きているんだなあ。 生チョコ食べくらべ

一つのことに集中

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先生からいただいたプリントを音読してみました。 自分のペースでゆっくり読むと、 昨日とは違う箇所が心に響く感じがありました。 そして、驚いたのは・・・ 結構な長い文章だったのですが、 声を出して読んでいるのにも関わらず、 ちょっとの間、違うことを考えている自分がいました。 読みながら、 頭は違うことを考え始めるとは! 最初から最後まで一つのことに集中するってホント難しい。 すぐに普段気になっていることが頭に割り込んできます。 こんなにできていなかったんだなあ、自分。 ちょっとショック・・・ でも今、気づけて良かった。 相当意識してこれからやっていこう。

今、何を感じている?

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考えることをやめて、感じる。 それが今の自分にとって一番必要なことで、 大切なことだと思いました。 基本中の基本にもどる。 人の話を聞くときも、聞きながら自分を振り返ったり、 相手の言わんとしていることを分析したり、 とにかく感じることより考えている自分がいました。 それは相手の話をちゃんと聞いていないということ。 そして、それはきっとパターンの話も聞けていない・・・ ということにつながっている。 ここを1日に何度も、 今、何を感じている? って毎日自分に問いかけていこう。 かわいい雪の結晶

極寒の盛岡

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今日は 道場 の日でした。 そして朝からすっごい寒かった・・・。 駐車場から会場に行く途中、ものすごい強風にあおられ、 寒いわ、前に進まないわ、息が吸えないわで、 久しぶりに発作が出そうになりました。 しばし立ちすくんで呼吸に意識を向け、 引いた血の気が戻ってくるのを待ちながら、ゆっくりまた歩きました。 突然起こるそういうことにも、 慌てずに呼吸を整えていけば大丈夫なんだということを、 体も覚えてくれて、助けてくれたんだなあって思いました。 先生も、極寒の盛岡に来てくれました。 そして、家族も穏やかだから私はこうして学びに来れた。 そんないろんな人の(また、目には見えないものからの) 協力があってこそ続けられています。 今日もできていないことを実感し、 でもいつか先生が言っていることの意味を ちゃんとわかるようになっていきたいなと思う。 明日は、脳みそ空っぽにして臨もうと思います。 紅茶ゼリーヨーグルト さっぱりいけます  

3分の1しか生きていないのに

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学生さんが実習に来るといつも、何歳?と聞いてしまいます。 聞いて年齢を知ると、 自分のまだ3分の1しか生きていないんだー!という事実に、 わかっているけど毎回驚く。 3分の1なのに、何だか話がこんなにいろいろできて面白くて、 3倍生きてきた自分なんかよりずっと物怖じしない感じが すごくいいなあと思います。 また、自分がどの程度の人間であるのか? それを知っている若い人が最近多いような気がします。 いつも何やっても抜きんでるということがないんですとか、 頑張って頑張ってやっと中の下なんですとか、 人より頭の回転が遅いので倍時間をかけてやっていますとか。 こういう話を聞くたびに、 自分のことを否定しているのではなく、 よく見ているし、自分を受け入れているんだなと思うのです。 どうせ自分は・・・という感じがない。 今までの自分を観察すると、 ここは認めざるを得ないという話なんだと思う。 こういうことも謙虚であることの一つなのかもしれないし、 自分を歪みなく見ることを何度もやってきての感じたことなのかもしれません。 実習でいろんな学生さんが来るたびに、 自分の身近な人だけでなく、 何となく世界全体が、 自分を知ることこと生きることを普遍的な学びのように感じている人が増えているのではなかろうか・・・ なんてことを思いました。 雨で雪がとけて、ざっくざくの道になった~

どこがどう良かったのかを知りたくなる

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褒められる・・・ということがありました。 そこですぐに、何で?と思ったのです。 どこがどう褒められるに値する自分だったのか? それを具体的に無性に知りたくなりました。 これって、パターンは何に引っかかっているのだろうか。 褒められて嬉しいと思ったパターンは、 もう次のエサが欲しくなっている・・・そんな気がしました。 どこがどう良かったのかが分かれば、 次もまたそうやっていけば他者から褒められるかもしれないって。 それを欲しがっていたんだと分かりました。 こうやって今日はパターンで反応して、 パターンで行動していました。 でも見た目的には全然冷静であったので、 有頂天になっている、天狗になっているようには見えないはず。 ってことは? 見た目では人の心って全く分からないものだなと、 自分自身の心の中をみてそう思いました。 また次も褒められるように、 認められるように、 承認欲求がまだ「私」を押しぬけて前に出ようとします。 でも、本来はどうしたかったのか自分? と問いていこう。

今日は失礼します

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書くことで、どんな日があってもいいということを思った。 ・・・と昨日は書いておいて、 今日は、ものすごく眠いのでもう寝ることにします。 明日からはなるべく 夜といっても早めの夜に書きたいと思います。 このところ朝、寒いほどに道が混んでいますね。 みなさんもどうぞ、 遅刻しないようにお気をつけください。 (って、自分自身に言う) 明日も早めに準備して家を出ます! ひつじ数えなくても眠れます

書くっていいかも

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毎日ブログを書いていて、のる日とのらない日があります。 書きたいことがあって書いているときと、 書きたいことが見つからないけれど、 毎日やると自分で決めたから書かなきゃならないと、 絞り出して書いているときもあります。 それから、パターンで書いている自覚がある日と、 パターンで書いているという自覚がない日もある。 自分の日記を後から読みかえしたとき、 (これは自慢でもなんでもなく) ホントおもしろいなあって、 いいこと書いてるなあ、そうだよなあって思うことも正直あります。 自分の書いたものに本当に励まされることがあるのです。 時に、パターンであることをそのまま感じたり、 書くことでパターンで話していることにも気づける。 どんな日があってもいい。 書くって、そういうことなんだな。 会社からお昼に出ました♪

承認欲求

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 ●自分の話を聞いてほしい 他人にこの気持ちを何とか満たしてもらおうとするパターン。 ただしゃべりたいだけではなく、 話したことについて反応を(ここではいい反応を)もらいたい。 承認欲求のパターンです。 と同時に、パターンは褒められたいだけではなく、 ちょっと議論して楽しみたいというか、 そのテーマについて盛り上がりたい(いっぱい話すことがあるし、聞きたいこともある)。 意味のある時間にしたいし、学べる時間にしたい。 という欲求もあると思いました。 そのためには、 自分の話をまずは聞いてもらいたいのですね、パターンは。 そうじゃないと、物足りなく、寂しく、つまらないと感じています。 昨年、気付いた、 ●特別で一番でいたい、というパターンにも似ているなあ そうか、そうか~と受けとめる母性は、 しゃべりたい子どもの心の内をよくわかってくれているお母さんのよう。 これらのパターンを否定するパターンの方には、 ちょっと待っていてねと言って、こちらを先に語ります。 遠くに見えるは岩手山