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1月, 2026の投稿を表示しています

本当はしゃべりたい

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今日は仕事で研修があり、はじめましてのメンバーでグループワークがありました。 こういう時、自分がまず思うこととして(←パターンだと思って下さい) 出しゃばらないようにしよう、ということを思います。 一人でべらべらしゃべったら他の人が話せなくなってしまうので、 始まるときにいつもそこを気をつけるようにしています。 ってことは、それくらいしゃべりたい自分がいるってこと。 要点を整理してコンパクトに話すのが苦手というのもありますが、 普段思考で頭がいっぱいだからなのか、 また、話すことで自分(パターン)を満たそうとしているのか、 パターンは話をしたいし、聞いてほしいと思っています。 さらに、相手の話を聞いていても、 疑問があると質問を結構してしまうので、 相手の回答に対して自分が思ったことをまた話していたりもするのです。 でも、今日は出しゃばってはいけないというパターンが、 何も起こる前から発動しているのを感じました。 出しゃばらなければ、黙っていれば、そこそこマナーをわきまえるいい人に思われるのだから・・・そうしなさいと。 ●話を聞いてほしい というパターンがあるのに、 そうさせないようにプライドが自分を制しようとしているのも感じます。 パターンにしゃべらせてはいけないと思っている、パターンを嫌うパターンです。 うーん・・・ ここは、まずどこから語りかけをしようか? 素敵なシャンデリア

自分の心の中とおんなじ

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ここのところ、 障害のある方と接していて(普段接している方より重度の方と一緒にいて) 思うことがあります。 突然独り言を言ってみたり、うなってみたり、 かと思えば笑顔になり、はしゃいでみたりという予測不能な反応を見ていると、 自分の心の中と同じだなと思うことがあります。 心の中では、そうしたいと思っているけれど、 しっかりと理性があるため周囲があっと驚くような表現はしません。 でも、自分も一日に何度も、 独り言を大きな声で言ったり、 低い声でおおおおおおおってうなったり、 そして、イエ~イ!ヒューヒュー!って、 のりのりの状態で声を出したくなることもあります。 だけど・・・しない。我慢。 なぜならば、変な人だと思われたくないから。 これに尽きると思います。 じゃあ、障害のある方がそうしたら変な人だと思うのか? 私は思わないし、むしろうらやましいなあって思うことがあります。 そのまんま、誰にどう思われようが、 感じたままの反応をしていることが、 それを自分にゆるしていることがいいなあって思う。 その方々は今自分のお手本になっているかのようです。 こういう感じでもいいんだよって。 卵と牛乳を買ってこよう

忙しいのは嫌だ

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昨日のパターンは何だろうと考えると、 ●忙しいのは嫌だ というのが日常的にあると思いました。 パターンが訴えているのは、 スケジュールがぎっしりなのは、それだけで疲れるって思うし、 やることがいっぱいだからミスしないように神経を使うのも嫌だって思うし、 もっとゆっくりゆったり生活(仕事)がしたいって思っています。 同僚と、ホント疲れたよねと共感しあったことで、 心の中に空間が生まれ、ひと息つけたことで笑いが出た。 無理をせず、ゆっくりやろうと思えばできることを思い出せた。 そんなふうに、以前のようにがむしゃらというところの「忙しさ」はなくなってきています。 それでも、やはり「忙しい」という言葉にまだまだ体が反応し、 パターンはその言葉に合った動きをしようとするのではないかと思いました。 このパターンの白は、 〇忙しいのは嫌ではない、になります。 時間を少しずつ楽しむような、そこに浸るような、 また、やることがたくさんあることへ感謝したい気持ちがわいてくるような、 そんな白もあるのかもしれません。 でも、その白を選ぶには今はかなり背伸びしている気がする。 もしかしたら・・・忙しいのは嫌だって・・・もう・・・決めつけなくてもいいのかもしれない・・・ 明日も、これを唱えてみよう。 降っては少し溶け、また積もる

笑って吹っ飛ぶ

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今日、仕事を終えて帰る準備をしていた時、 ああ~、今日もあっという間だったな~ と同僚の前でつぶやくと、 ホントもう毎日が忙しすぎて(ため息)〜と、 2人でうなだれ・・・笑ってしまいました。 それが何だかとてもホッとしました。 その同僚と二人で新規事業を担当しているのですが、 自分だけが忙しいわけではないから、 弱音を吐きたくても吐けなかったんだなあ。 本当は、忙しすぎるわ、疲れたわ、うわーーーーって、 パターンは言いたかったのだ。 今日の疲れはこれで一気に飛びました。 自分の気持ちを自覚し、認めるって大事だ~ ちょっとランチを奮発しました(豆乳担々スープパスタ)

小さなパターン

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これ、パターンだったんだなあとちょっと経ってから気づくことがあります。 それは感情が動いているのにそれを認められない自分がいる。 ということだと思いました。 本当はもやっとしたり、一瞬ドキッとしたり、 いずれもネガティブな感情が少しだけであっても動いていた。 そこを、少しだけだからとスルーする。 これをやってしまっていました。 その少しだけ感じた気持ちは、 パターンがあることを嫌うパターンです。 感情が動いたときに大きなものであれば、 パターンがもう明らかにあるとわかりますが(ケアしたいと思う)、 ほんのちょっと動いたくらいならば、パターンも小さいだろうと、 小さなパターンは優先度が低かったなと思いました。 パターンを嫌うパターンってこういうこともするんだと思った。 ここにもちゃんと目を向けていこう。 今日はめっちゃ晴れた

「孤立する」の意味付け

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この私が孤立するわけがない・・・ というプライドがありました。 「このわたくしが」というところが、いかにもプライドらしい。 そして、「孤立する」の意味付けがマイナスへ傾いているために、 そんな自分であってはならないということになっている気がします。 マイナスの意味付けは ⊖ 仲間がいない 一人ぼっち 誰からも大事にされていない 誰からも気にかけてもらえない関係 人間関係に問題がある 中立にはただ一つの事象。 そして、マイナスの体験を通して身につけた プラスの意味付けは ⊕ 自分で考える 自分を大事にする 自分を信じる 「私」と共にいる 「私」に相談する パターンを守れる「私」でいる マイナスで出てきた人間関係というのは、 パターンがすべての責任は自分にあるかのようにその状況を捉えています。 自分に起きたことはすべて自分が蒔いた種であって、 特に「孤立」という人と人の関わりが経たれた状況下では、 それが自分の非と無縁だとは思えない・・・とパターンは思っています。 でも、本来は、人間関係がうまくいっているかどうかは関係なく、 孤立した状況になることだってあります。 「孤立したくない」の真逆は「孤立してもいい」 この心構えってすごく楽ではなかろうか。 孤立したっていいから自分を信じてやってみればいいし、 そうなったとしても一人ぽっちではなく「私」がいつでもすぐそばにいて、 見守っているのだから・・・ これら全部の話が、 なんと、語りかけワークの文言に含まれています! 何気にすごいことだと思った。

孤立したくない

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今ケアをしているパターンの言い分を聞いていたら、 孤立感を感じたくない(孤立したくない)という、 プライドがあったのではないかと思いました。 このプライドが、自分は孤立などしていないし、 我が道を行っているだけなのだから大丈夫なんだと言っている気がしました。 よく孤独と孤立は比較されますが、 孤独は、一人でいることが寂しいという感情のことで、 たしかに孤独を感じるときは、素直に寂しいなあと思うだけのことで終わります。 でも、孤立になると、 決して孤立はしていないとどこか頑なな反応をしてしまう自分がいました。 (孤立とは、状況的に一人きりになっていること)。 普段、一人で行動することに対して平気な方だと思っていたので (むしろ自由気ままが好きだから) そういう状況と、孤立という状況は似ているようでいて違う、 ということに気がつかなかった。 だから、一人でいることに対してネガティブな感情を持っているとは、 ちょっと思えなかったのかもしれません。 孤立していると思われることも、 そもそも一人きりにならざるを得なかったその原因は自身にあるのではないか? というところに至るとパターンは思っています。 周囲と足並み揃えられない自分はアウトだったのだ。 だから孤立は恥ずかしいことだとパターンは思っている・・・ 孤立している人だと思われたくないし、 自分自身もそう感じたくない。 変なプライドの壁が立ちふさがっていたんだなあ。 ここに光をあてて、 もう一度、ゆっくり語りかけをしていこう。 老眼鏡新しくしました!

好きな休日の過ごし方

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今日は久しぶりの休みで、 朝食後は録画していた朝ドラを見て、また3時間ほど寝てしまいました。 その後、休みだからゆっくり仕事をして、 というのも変だけど、 ゆっくりした時しか考えられないようなことをやり、 それも一通り終わったので、すっきりして買い物へ出かける。 実家で夕飯を作り、大相撲ファンの母と一緒にTVの前で盛り上がりました。 こういう休日がなんかとても落ち着きます。 やることをやったら後は自由だー!という感じがいい。 そういえば、子どもの頃の夏休み冬休みもそんな感じで、 まず先に宿題を終わらせてからあとは遊ぶぞー!が好きでした。 それで思い出すのは、 娘は私とは全く逆な性格なので、 当時はなんでさっさと終わらせないんだろう? なんで最終日に徹夜するんだ? こんなにやることを先延ばしにして、よくのん気に遊べるなあ と謎だらけだったこと。 でも、それが娘のやり方であって、 最後にはやることになるわけで、それは泣きながらやるでもなし、 ただ自分に返ってきたものをやっていただけだったなあと思いました。 中学高校と進んでも、エンジンのかかりが遅いのは変わらず、 それが一番娘にとって納得いくものだったのかもしれません。 パターンは恐怖と不安で動くため、 子どもが宿題をやらないことが、私の育て方が悪かったために 何かとてもだらしがない人間になってしまったのではないかと怖かった。 そして、子どもの将来への不安ではなく、 自分自身がそういうもの(子どものペース)を受け入れられなかったのです。 自分とは真逆な行動を取ること自体が、 自分の価値観を否定されているかのようでパターンは引っかかるのでした。 今思えば、先に宿題をやるというと、 何かしっかりした子のようにも見えますが、 そうではなくて、そうすることが自分は好きだったし楽だったのだと思う。 だから、先にやれる。 それだけでした。 今日の休みは、そういう意味で〜 自分の好きな時間の使い方をしたんだなあと思う。 おとなりの屋根 生クリーム

はじめて講座で気づく

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ちょっと先になりますが、3月の【はじめて講座】お一人様を募集しています。 日時はこちらから→ ★ (クリック)ご確認くださいね。 近々また4月以降の予定もこちらにアップしたいと思います。 毎月一回だけ。されど一回で、 この日を私はとても大切にしています。 ・・・っていうと、 なんか重くて足が遠のく方もいるかもしれませんが、 正直最近感じていることは、 これが、今の自分を知る唯一無二の方法なんじゃないかって(私自身にとって、ですよ)。 少し大袈裟かもしれませんがそう感じています。 私の先生がいつも、 カウンセラーをやるのなら、自分自身が自分をもっともっと見なさいと言います(何度も何度も言われている)。 これを言われるたびに、 背筋がピーーーンと伸び、わが身を振り返るのです。 自分を見ることの実践って、 一人でもくもくとワークをするだけではない。 この講座のように、人にお話しする機会がなければ気づけないことがたくさんあって、 その気づきをもってまたワークが少しだけ深くなり、日常での実践に繋がっているのではないかと思っています。 来てくれる方がホント私の先生になって、また一つ自分がわかっていないことを教えてくれる。 そんな月一を、半分緊張、半分楽しみにしています。 なんか結局自分のためにやっているという話になってしまいました。 皆さま、これからもどうぞお付き合いのほどよろしくお願いします!

パターンが思う悩み

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仕事で嫌なことがあったりしても、 一晩寝ると忘れます・・・って方もいます。 それでずっとやってきた方もいるでしょうし、 やせ我慢でも何でもなく、ホントにそういう方もいるのかもしれません。 でも私の場合は、寝て忘れるということができず、 ずーーーっと一度発生した悩みは消えることがなかったです。 そして、たとえ一つの悩み事を解決しても、 もう二度と同じような悩みで悩むことはない、なんてこともない。 そういうものではないんだと、 そこに気づくために何度も手を変え品を変え起きているんだと。 これまでの人生で刻まれ刷り込まれてきた「パターン」と、 本来の本当の自分である「私」と、 二つが存在し自分を創っています。 これが「私」なんだと思っていたのが、 実は「パターン」だったんだと気づくとき、 なぜか、とても救われたような気持ちになりました。 とても心が静かになって肩の力が抜け、そして希望がわいた。 パターンが思っていることだから、 パターンが悩んでいるのだから、それでいいんだと思えた。 だからこれからも、 悩まない「私」がパターンの悩みをよ~く聞いてあげよう。 それでいいなと思います。 バーモンドカレーもいいけど、たまにはこれを使って!

噛むか噛まないか

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引き続き よく噛んで食べることを意識しています。 でも、無意識にそうなっているわけではないので パスタやパンや麺類はなかなかむずかしい・・・ 唾液とよ~く混ざる前に飲みこみたくなってしまいます。 飲みこむ瞬間に美味しさを感じてしまうからでしょうね。 でもそんな時、 噛むと決めたのにやれてないじゃん、 と自分を責めるようなことはしなくなったなあと思いました。 当時、食養生を教えてくれた先生から、 「食べることも食べないことも、 噛まないことも噛むことも、どっちもできるようになったね」 と言われたことを覚えています。 「体に良い物を噛んで食べれるようになったね」ならば分かるけど、 その逆も選ぶことができるということが、 当時は、え???でした。 どうして良くないと思うこともどちらもできるって言うんだ?と。 今となれば、 いかようにも(どちらでも)自分はなろうと思えばなれるんだ! という意味だとわかります。 「できる」「できない」という内容ではなく、 「どちらも選べるようになった」という方が とても自由で広い世界を感じられていいなあと思いました。 どちらの自分でも良いと言える。 どちらの自分でも問題はなく、あるのはそれを否定したがるパターンです。 どちらかを選ぶという時、 今までやったことのない方の選択をすればよりバランスが取れるかもしれないし、 アンバランスを選んだとしても、それもありなんだと思います。 それでも大丈夫と自分に許せるようでありたいです。 お店の前はきれいに除雪

今日から宣言

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毎日の雪かきご苦労様です。 って言われるほどまだ私は雪かきしていませんが、 今週は毎日雪が降っています。 車を出すのには、まずはそこまでの道の雪をかき、 エンジンを温めている間に車に乗っかっている雪を降ろし、 最後に車が出るところの雪をちょっとどかし、いざ出発。 今年はもしかして降らないのかなあと(そんなわけはない)、 少しだけ期待をしていたためか、 どっさり降ったらなんだか急に冬への覚悟がすわった気がしました。 そして今日はもう一つ自分への覚悟を決める。 一日の終わりに、 どれか1つ何かしらのワークをやってから終えようというもの。 夜は眠くなることが多いので朝や日中でもいい。 とにかくこの日記がこうして(奇跡的に)毎日続けることができたのだから、 もう1つ毎日のルーティンを増やしてもいいんじゃないかと思いました。 ということで・・・自分に宣言をして。 眠くなる前にやろう。 白鳥さんのガードレール

新しい手帳で

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新しい手帳を買いました! いつものA5サイズを使っています。 だいたい3年ごとに買い替えていますが、 今年はマグネットでパタッと手帳が閉じられるもの。 その音が聞きたくて何度もパタッとしたくなる。 この頃はちょっとした打合せでもタブレットやノートPCなどを出しては、 ささっと使ってこなれ感がある人が増えました。 私はスケジュールだけは忘れないようにスマホに入れますが、 後は「打つ派」より「書く派」です。 こんなに真っ赤な手帳ははじめて。 還暦の方が赤いパンツをはく・・・じゃないですが、 この赤を見ていると、魔除け、生命力、情熱、エネルギーの循環を感じてしまいます。 そして、太陽のように明るくお仕事していきたいなあ タブレットに見えて~普通に手帳。

眠くなる

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今日はシェービング(お顔剃り)に行ってきました。 シェービングをすると顔が明るくなりお化粧のノリもよくなる。 砂漠のようだった肌も生き返った感じ。 そして何よりも気持ちいいーーーーんです。 これがもう極楽です。 暖かい泡が顔にのっかり、 ショリショリと剃られる音も感触も心地いい。 ただ・・・それゆえに、 絶対にといっていいほど眠ってしまいます。 シェービングに限らず、 美容室のシャンプー、鍼灸、歯医者、朝夕の渋滞時の運転、 受け身の講座や研修、会議中も黙っているととかく眠くなる私。 これって大丈夫なんだろうか? しかも年々顕著になっている気がして、 いつか何か大きな失態をやらかさないかと不安になったりします。 (すでにちょっとやらかしているし) 皆さんは、そういうことないでしょうか? もし、今自分が受験生だったらホント大変だろうなと想像。 疲れがたまっている?ということなのか、 単なる年だから? 不安という感情が出たので、 ここも何かしらのパターンがあるんだろうな。 探してみよう。 お風呂でのウトウトは気をつけてます

初心忘れるべからず

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棚を整理していたら約10年前のノートが出てきました。 何でここに1冊だけあるんだ? 開くと1ページ目には「嫌われたくない」というパターンの 語りかけ文章が書いてありました。じゃーん。言い分が結構長い! 他にも家族のこと、体調のこと、 黒パターンを休ませたいというパターンを責めるパターンもありました。 ノートにはほぼ毎日語りかけや白黒ワークが書かれてあります。 また、昨日の自分のように感情を書いただけのページもある。 何度となく似たようなパターンが登場し、また似たような語りかけをし、 白パターンをいろいろ考え、 今よりとにかくたくさん書いてワークを身につけていったんだなあと思いました。 ・・・ということは、どういうことか。 今、こんなに毎日ノートに書くということはしていないと思いました。 自分を見るという点で全然ワークが足りてないのではないかと。 やりたいときだけやっている(だから毎日の語りかけはできていない)。 そのノートからは、書きまくっていてすごいというより、 とにかく自分を見るという姿勢がびしびしと感じられました。 ちゃんとできていないことを分かっているか? 傲慢になっていないか? 10年前のようにもっとじっくりやっていこう。 今年の目標はこのあたりでもう一度自分をみてみたいです。

ちょっと落ち着くまで

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今日は急いでいるときにとても面倒な仕事が入り、 丸く収まってほしいとパターンは騒ぎました。 自分の正統性を伝えるために、 よくまあ次から次へと出てくる単語たちに、 一回では引き下がらないんだなあと自分を観察(一応一回は説明してみる)。 仕事だから自分一人の問題ではないため説明するのですが、 これがもし自分だけの問題であったなら、 きっとこんなに言い返したりはしないのではないかと思ったり。 誤解されたままでもいいと思ったかもしれない。 そうできなかった今日の自分は、 丸く収まってほしい、自分は悪くない、責任を押し付けられたくない。 というあたりのパターンかな。 家に帰ってからもまだイライラしていたので、 ちょっと落ち着くまで、ただそばにいてあげよう。 ブロッコリーとじゃがいものポタージュ ウマーベラス!

迷うということ

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今朝ふと思ったことで、 迷うというのはパターンが迷っているってことで、 本当の「私」は迷わないのだろうなあと。 どうすればいいとか、 どうしたいのかとか、 そういうことをあれこれ考えているという時、それは「私」ではない。 ということが頭ではわかっているのに、 それでも考えたくなるのは、 深くよく考えることで、最も良い答えを出せるのだという 強い思い込み(信念)があるからだと思いました。 小さい頃から、よく考えなさいね!と言われてきて、 ちゃんと考えずにやってしまうと失敗することが(怒られたとか)確かにあったので、 そうならないように今度こそよく考えて~って言い聞かせてきたのだと思う(パターンのすり込み)。 でも、それが何年か経って、 あの時あまり何も考えずに迷うことなくやったことが、 それで良かったんだなと思うこともいっぱいあります。 例えばその一つが結婚。 勢いというもので結婚した人は少なくないと思う。 した後はいろいろあっても、最後はこの人で良かったかなと思えるのではなかろうか。 長年連れ添ったご夫婦を見ていると、そんなことを想像します。 それから、何か賞を取ったり合格したりということも、 無我夢中になってやった結果だったりします。 なんか、迷いが全然なかったわけではないと思うけど、 気づいたら行動していたというものがある。 結果が思わしくなくても、後からあの結果で本当に良かったんだと思えたりする。 そういうものであるのに、 自分はいまだに、わかっていなくて、 いつまでもより良いものを求めて?考えて迷っています・・・ お風呂上りの一杯

仕事についての中立ワーク

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「仕事」について中立(意味付け)のワークをしてみます。 ⊖ 責任が伴う(負う)・つらいこと理不尽なことを体験する・忙しくて疲れる・自分を見失うこともある・嫌なこともする・それでどんな人かを決めつけようとする・それがないと生活できない 中立は、ただ一つの事象 ⊕ 自分の役割・何かの役に立つこと・自分を成長させるもの・やることがあるということ・工夫し続ける力がつく・耐える力がつく・いろんな人とやっていく力が備わる・生きていくこと(生活)そのもの たぶん仕事を中立に置いてみたのは今回だけではないと思います。 今回もまたマイナスの意味付けとして出てきたものには あまり変化がないように思いましたが、 それらマイナスによって得られたプラスのものには、 今までとは少し変わってきたものがありました。 生活が豊かになるとか、お金をもらえるとか、 そういうものが今までは真っ先に出ていたような気がするのですが、 それよりももっと生きることに関する精神的な部分を感じています。 特に、「生きていくこと(生活)そのもの」というのは、 何も会社勤めとか何か事業をするとか 対価をもらえるようなそういうものでなくても、 生きていれば何かしら自分に与えられたものがあり、 それが仕事というものではないか? と思うとどんなことも、 どんな人であっても他者へ(自身へ)与えられるものがあるのが人間であって、 それを仕事というのではないかと思った。 そういう意味では、 「やることがある」というのもプラスの意味付けになってくるし、 やることがあることは幸せなことだとも思うようになりました。 たとえそれが面倒でやっかいで、 それがあるためにほかの何かができなくなってしまったとしても、 与えられたものがあるということになるからです。 そして、一番自分自身が学べたと思うプラス意味付けには、 「いろんな人とやっていく力がつく」 ここは素直に嬉しいことでした。 だって、本当に以前はごく一部の人としか関わることができないような、 そんな怖さと不安をいつも抱えながら、 やっとのこと生きてきた人間だったからです。 そう思うと、よくやってきたなあ自分! と最後は褒めてあげたくなりました。 冷凍たい焼き 解凍中

気さくに挨拶

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高市首相が地元奈良で、 韓国のイ大統領を迎えた場面がテレビで映し出されていました。 その時の高市さんの満面の笑みと、 「こんにちは~」という、 なんとも気さくな挨拶がとても印象的でした。 それにしても、こんにちは~って・・・ 親戚のおじさんに挨拶をするんじゃないんだから(と思った)。 首脳会議という非日常の緊張感も漂う場面であるのに、 なぜかお互いの間には、 あの気さく挨拶を皮切りに日常感が思いきり出ていたように思いました。 なんて言ったらいいのかわかりませんが、 私もよく高市さんのように、 一度会った人に対しては、もうあなたとは親しくなったんだから、 以後、ため口しますよーっていう話し方になってしまうことがあります。 (総理と一緒にして申し訳ないけど) なるべく、じわじわと、 あなたと私は同じ人間なんだよね~ という世界に引きずり込みたくなってしまうのだ。 そうすることで、 自分自身が最も気さくで普通で自然体でいられるから。 無意識にそうしてしまっていたのかもしれない。 そういう関係も悪くないんじゃないかって思う。

素直に言う

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昨日の勉強会で、 今ケアしているパターンについて話したのですが、 本当はこういうふうに聞いてみたかったんだけど~ と話したら仲間から、 どうして言わなかったの?と聞かれました。 自分の中では、 まだまだそのパターンへの語りかけが足りていないと思ったし、 今言ってしまうと、またパターンで喋ってしまうかもしれないから。 と思ったのです。 でも、その後も、 やっぱり言いたいな(謝りたいな)と思う気持ちがまさり、 どんな返事が返ってこようともいい、と思い言ってみました。 すると・・・ 自分が思いもしない返事が返ってきたのでした。 え、そんなふうに思っていたの?? つくづく自分がパターンで物事を見ていたことに(←ここから全て始まっていた) 気づかされたという感じがしました。 もしも、また次の機会にでも言えばいいか~ なんてスルーしていたら、 相手がどういう思いでいたのかを知らずに、 ずーっと勘違いしたまま、もんもんとしながら、 パターンを増幅させながら私はいたでしょう。 素直な自分の感情は、それを話すだけで充分でした。 そしてどこか、 ちゃんとケアができていないはずだから、言いません(何も行動に移しません)! というのも違うんだなあ(これもパターンなんだな)と。 大切な気づきをありがとうございます。 鮭汁(酒かすが入るともっと美味しくなるよ)

質問と成長

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今日の勉強会は、 今自分がやっていること、について話しました。 いつもだったら、え~と・・・ノートには何と書いてあるかな? などと見返してみたり、 自分の番が回ってきたときにスムーズに話そうとメモを取ることをしがちなのですが、 それはやめました。 自分がやっていることならばノートを見る必要はなく、 仲間の話も必要ならば心に刻めばいいし、 そして何より手を止めて話を聞く・話す、ということを この時間では大切にしたいな。 私は今ケアをしているパターンの話をしましたが、 あれ?なんか本題から逸れた話になっていると思いました。 そういうことがあっても、 気づいた時点で戻せばいいということや、 パターンに気づいた後に実際の行動として、 どうして自分は(とある)言動を取らなかったのか(あるいは取ったのか)、 仲間から質問されることではじめて考えさせられます。 勉強会っておもしろいです。 自分へ対する質問がどれだけ自分を成長させるものであるか? これはもう、何事にも代えられません。 他者の話で自分のパターンがさわぐのも、 一つまた自分への理解が深まりますしね(今日は開示できて良かった)。 自分の成長って自分ではよくわかりませんが、 仲間の成長はよ~~~くわかります! みんなすごい・・・よく自分を観察しているなあ って、そんな中で学べる自分も幸せ者。 次はカレー蕎麦にしようかな~

反応する自分

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昨日の日記に、それは嘘ではなく事実だということを書きましたが、 事実を歪みなくみるということは、 言うほど簡単ではなくて、 自分に都合よくみることの方が、断然身についています。 事実、現実、目の前で起きていること、ただ一つの事象。 そこに意味を付けているのが自分(パターン)。 言わないから嘘をついている・・・ と判断するには早すぎることもあります。 じゃあ、なぜ言わないのか、 また、言わないことがなぜ良くないことだと自分は思うのか。 そういう部分にも目を向けて、 反応した自分のなぜ?をみていこう。 やどり木あった

嘘という事実をあきらかにする

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父親の三回忌を家族だけで行いました。 節目をまた一つ超えて、自分が年を取るということは、 父と会える日が近づく(それは嬉しい~) ということでもあるんだなあと思いました。 みんな確実に年をとっていくわけで、 母のことを心配している間に、 私も、夫も、兄だって、 自分で自分の体を保っていくこともおぼつかなくなっていく。 本当は体がきついけど、 本当はお金がないけど、 本当は・・・ということがいろいろ出てくるかもしれません。 朝の連ドラ「ばけばけ」を見ていますが、 今週は家族の嘘についての話でした。 日本人は特に、嘘も方便ということわざがあるくらい、 本音と建て前を使い分け、墓場まで持っていくと決めての隠しごとなど、 私も持っているから(何とは、ここでは言えないけどー)、 前のめりで見ていました。 主人公が言っていたように、 それ(噓をつくこと)の何が悪いのか。 純粋な思いの元に、家族には話さないということだってある。 また、それを大げさにしないから 話していないだけということもある。 ドラマでは、 全部を明らかにしなければならないような流れがきて、 主人公だけでなく家族みんな、 それを言ったことでどっと力が抜けるのでした。 うわああ~~~~って、 これまでのもやもやを声をあげて吐き出していました。 なんか、そのあきらかさのスカッと感は、 見ている方も気持ちが軽くなるようでした。 もしも、どうありたいのか?の問いの先に、 今は嘘をつこうという選択があったのなら(どんなものかにもよるけど) それでもいいのかもしれない・・・です。 でも、嘘はつかずに全部話してみよう! という選択だって、いいのかもしれない・・・のです。 そうなるともう、嘘ではなく「事実」ってことになるのかな。 運転しない兄と私だけ飲みました~♪

あのときのあの言葉

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今朝、テレビで 原宿にある銭湯 をやってました。 朝の準備をしながらだったので、 内容がとぎれとぎれだったのですが、 どこかローカル的な雰囲気もあいまって、すごく惹かれてしまう銭湯でした。 ・・・と、ある言葉に私のアンテナが反応。 これだ!と思い、テーブルの上にあった年賀状の空きスペースに、 忘れないよう走り書きをします。 「そのままやさしく受けとめる」 「透明な関係」 「丁度いい距離間」 帰宅しあらためて読み返しますが、 うーん・・・何だっけ、この意味? なんでこれ、響いたんだっけ?? なぞだらけです。 おそらくお風呂のお湯のようにとか、 お湯の透明さや温度に触れ、 自分にとってちょうどいい距離間があると知る。 そう、そう、それって今の自分にとても必要なもの。 今朝は確かに、それらの言葉に私は助けられたと思いました。 言葉ってその時、 一瞬の私へ贈られるものなんだと思います。 自分にしかわからない尊い言葉。 だったのに~、 今の自分には響かなくなってしまった・・・ あんなに感動したのになあ。

がっかりという感情

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一日のうちにいろんな感情が湧きますが~ 久しぶりにがっかりする気持ちになったことがありました。 この感情は、 イライラとかムカムカとか、 腹が立ってしかないというような激しいものとは違い、 なんとも力が出なくなるような、 気力が奪われていくような感覚だなあと思いました。 見た目的にもたぶんあまり感情的に見えず、 ただぼーっとしていたりする人にも映るかも・・・。 この気持ちの原因は、 何かしらの期待があって、それが叶わなかったということ。 期待したパターンがそうならなかったことに がっかりしているということですな。 でも、そこは自分なりに今まで生きてきた経験も多少はあるので、 期待するより平常心でいよう、自然に任せよう、 ということが身についていないわけでもない。 自分が思うようでなかったとしても、 それはそういうものであるし、それでいいと思っていたのです。 ですがー 結果的にがっかりして、その後ぼーっとしていた自分は、 やはり相手に期待や願望を抱いていたんだなって あらためて知ったのでした。 激しさはないと言いましたが、 衝撃(ショック)が継続されるのではなく、 一旦衝撃で心が散ってしまうような感じ。 すぐに語りかけはできないし、 喜怒哀楽しなくなるような感じがあるので、 こういう時に黙って見守ることができるのも、母性なのかなと感じました。 なんかくどくどと、 感情の分析をしてしまいましたが・・・ いずれにしても、 パターンのケアをしよう。 るれろの塩たこ焼き、ウマーベラス!

夫婦って

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夫の体調不良から、 もしも、このまま夫に何かあったら・・・ と考えることがあります。 今のこの自分で後悔はない、とは全くもって言えません。 それでも、これからの自分はどうありたいかで、過ごすようにしています。 こんなときに縁起でもない、ではなく、こんなときだからこそなのかも。 考え抜いて答えを出すというより、 本当はもう、自分がどうありたいのかは自分が一番よくわかっているんだと思う。 夫婦のことを、伴侶(人生を共に歩む相手)という言い方をしたりしますが、 共に歩むべき人だと決めつけてしまうとなんだか心が苦しく感じてしまいます。 (一緒にいたくないってことじゃないですよ〜、むしろ逆だから苦しい) かけがえのない存在であることに間違いないのですが、 苦楽を共にしておこるネガティブな感情を、 夫婦なんだからというパターンが持たせたがっているような気もしました。 夫婦という、一つの事象から学べる異なる内容がそれぞれにあって、 それぞれがそこへ向かう姿を見ながら自分を見ている。 そこにまた感情も動き、 感情が動けばまた一つ自分(魂の向かいたいところ)を知るのかもしれない。 そうやってお互いこの関係でしか体験できないもので今、 一生懸命自分を丸く磨いているような気がしました。 ということは、どういうことか・・・ 本当は、どんな気持ちで毎日を過ごしたいのだろう。 どんな生き方をしたいのだろう。 大事なものは何? ちゃんと今を生きているだろうか? もっともっと大きな愛がいつでもここにある。 自分と向き合う時間、たくさん作ってもらっています。 光線かけるとぐっすり眠れます

仕事始めのどうありたいか

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仕事始めの日。 今朝はすごく寒かったです(氷点下の朝!)。 まだ頭も体も心も・・・お休みモードでしたが、 まあゆっくりと、たんたんと今日からやっていこうと準備をしていました。 そんな朝一で、 早速パターンがやや騒ぐようなことがあり、 それがパターンだとまずは察知。 かといって、パターンで行動したくはないと、 静かに自分を俯瞰して見ていました。 じたばたせずに今やっていることに目を向けていく。 こなすのではなく集中して、気持ちはゆっくりやる。 できなかったものは、また明日へ残す〜。 こんな感じっていいな!と思った。 これ、何でしょう???    答え:光線治療機器です!

ただ一つの事象

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昨日はノートを持って出かけ、 映画上映まで少し待ち時間があったので新春の中立ワークをやってみました。 今気になっているものを真ん中に(中立として)立てたとき、 真ん中には「ただ一つの経験」を置くのですが、 先日先生からの訂正を受けて、「ただ一つの事象」に置き換えてみました。 経験よりも事象という言葉の方が、 より自分目線ではなくなり宇宙目線になる感じがあります。 無機質っぽくなる感じもある。 本当にいいも悪いもない単なるそこに現れてあるものって感じがして、 言葉一つでこんなに感じるものが変わってくるんだなあ。 それをプラスとして意味付けて見ていくか、 マイナスとして捉えていくか。 常にどっちかを選ぶことがあたり前となっていて、 単なるただ一つの事象としては全く捉えていないんだなあと思いました。 瞬時に何かしらの意味を自分でつけてしまっているんですね。 それでも今、ただ一つの事象だということがわからなくても、 そういうものなんだ(これ、宇宙のルールですよー) ということをあらためて確認したい。 今年はよりたくさんの中立ワーク(意味付けワーク)を通して、 自分がこれまで獲得してきたもの、 また意味が変わってきているものを発見し、 その世界を少しずつ広めていこう!

それなりにやっていく

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それなりにやっていけばいいのかもしれない。 この言葉を、 自分の中で結構な頻度で登場させているかも って思いました。 どう「それなり」なのかは、 出来事によって意味は変わってきます。 一つには、 多少は納得できないことがあっても、 周囲(相手)が納得しているのならば譲れる、許せる、 どっちでもいいとすぐに思えることがあります。 他のこだわりや決めたことの中で、 自分もなんとか合わせてやっていこうって、 それを選ぶという感じです。 また、あまり納得できないというときには、 その納得できないのはパターンであることを自覚しつつ、 自分の疑問を投げかけたり詳しい話を聞いてみたり、 そして自分の考えを言ってみたり。 対話をできるだけやってみて、 状況としてそれなりにもうやっていくしかないんだなと 思うときもあります。 あきらめに近いかな。 他にもあって、 自分のパターンだと理解しケアをしていくと、 もうそこにこだわらずにやっていける自分がいるのではないかと、 だんだん自分が変化していく感じが、 「それなり」を選ぼうとしているときがあります。 少しずつ白でも黒でもないグレーの「それなり」として、 自分に無理強いをせずに徐々に変わっていく感じです。 いずれも、 そうやって自分で自分の心を軽くしているんだなあと思いました。 妥協や切り替え、そして頭で強制的に割り切る。 ということを自分に課するのではなく、 「それなり」という自分以外のものに合わせていくような、 人間関係や仕事の中身や、自分自身の体に対してもです。 どちらかといえば、 新しい意味付けとしての我慢もしながら パターンで選ばないところの「それなり」を練習しているような感覚。 その練習のためには、 それなりにやっていこうとする動機をちゃんとみていこう。 映画館は人がいっぱいいた~(きんとり観ました)

母性と父性

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今日の岩手山は青空に顔を出していました。 なんか賀正という雰囲気があります! さて、新年早々パターンの話なんですが・・・ 昨年から意識をしている、 「私」の母性と父性を意識して使うということ。 特にパターンへの語りかけに対して 母性はどのように登場させているのか? それがやっとのことですが、 何とな~くこんな感じかな~と、感じられています。 不安や憂うつという感情に対して、 母なる大地、大きな愛、いつでもそこにいる母性。 何も言わず、 ただただ不安に思い憂うつになっているパターンのそばに、 ずーっといてくれる。 そんな泣く子を抱きしめる母のように、 少しずつそばにいる感覚、実感が感じられてきた気がします。 母性を感じてみるために、 すぐに語りかけに切り替えず、 しばらく一緒に寄り添ってみる。 そうやってちょっと落ち着いてきたかなあ って思う子の話をたんたんと聞いてみる。 うまく言えないその内容を代わりに言ってあげ、 そこへの理解を示し、 いつでも自分が守っていることを伝える。 ・・・それが父性であるのだろうか。 本当にちょっとずつですが、 そんな役割が「私」にはあったのだと感じられた気がしました。

2026年こんにちは!

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明けましておめでとうございます! 盛岡はしんしんと雪が降っています。 皆さま、どんな新年をお迎えでしょうか。 今年はさっそく寝正月になっています。 夫の体調がすぐれず救急や休日当番医のところへ走り、 目まぐるしい年末でした。 不安と共にいながらも、 そんな自分を遠くから見ているような感じもありました。 こうした事態はいつも予測不能なものです。 それでも昨夜はなんとか家族みんなで紅白が見れた。 それがどんなにありがたいことだったのか。 今年はみんなが元気でいられる一年にしたいなあ って心から思いました。 数日間、火事場のバカ力を発揮し続けた私。 たくさん寝て休み、 まずは体力温存したいと思います!