親へのパターン

久しぶりに父親に会いに行ってきました。
コロナ中も会えるときがありましたが、玄関で数分間のビニール越しでしたので、
距離間があると父も自分に会いにきているということがわからないようで、
話しかけてもうわの空状態でした。
だんだん娘だということも忘れさられてしまっている・・・
自分に関心を示さない父を見るのがつらかったりして、
コロナを理由に足が遠のいていたのが正直なところでした。

この数か月間のうちに、大好きな叔母が亡くなったり、
昨日まで言葉を交わしていたご近所の方が亡くなったりということがあって、
やはり人との別れに思うのは、もっと会いに行けばよかったという思いです。
たとえ自分のことがわからなくなってしまったとしても、
わたしが会いたいのだから、それでいいと思い父に会いに行きました。

手を握ると思ったよりも温かく、ずーっとわたしの手を握ったまま何か話しています。
また一本歯が抜けてしまったみたいで(もう前歯は数本しか残っていない)、
「歯が無くなっちゃったね~」と笑うと、
笑われて恥ずかしいと思ったのか、父は口を真一文字に閉じてしまいました。

元気そうでほっとしました。
まだこうして会話にならない会話ではあるけれど、話しかけると聞いているような感じもあります。
そんなやり取りをしていると、スタッフの方たちが集まってきて、
こんなことあんなことがあったと、いろいろエピソードを教えてくれました。
話すこともままならないのに、まさか今ギャグを言おうとした?
というときがあったそう。
スタッフさんたちは、まさか!と思い、耳を澄ます・・・
ああ、そう言えば、よくおやじギャグを言っていたっけ・・・と家にいた頃を思い出しました。
本当に頑固なところはあったけれど、落語も漫才も好きな楽しい父だったのです。

母に対する●自分をおいていかないでほしい、というパターン。
父にも同じようにあるのだと思いました。
パターンは、
もう無条件に自分を愛してくれる人がこの世からいなくなってしまうことに耐えられないと思っています。
どんなときも自分を一番に思ってくれた人を失うという怖さ、悲しさ、
本当にたった一人になってしまうんだという寂しさ。

ここから本当の「私」が白を選択していくとしたら、
○自分は一人で生きていけるのかもしれない
○もしかしたら一人で生きていける準備ができているのかもしれない
○もしかしたら(両親を)自由にさせてあげられる自分になってきているのかもしれない
・・・どれが一番しっくりくるか、そのときどきで変わってくるように思います。

愛する人の声もまなざしも、ぬくもりも、
それは自分にとってとても安心できるものであるけれど、
それがないと自分はもう絶対に安心することができないのだろうか。
不安の中だけで生きていくことになるのだろうか・・・と問えば、
やはり、そんなことはないよ、と知っている「私」がいます。
大丈夫、なんとかやっていける、と知っている「私」。

深い愛情をもらうだけだったのではなく、
自分もその愛を受けて精一杯返してきたのではなかっただろうか・・・
今こうして自分が少しでもお世話させてもらえることで、
自分はいろいろな方法で『返していくこと』を体験させてもらえている時間が、今なんだと感じました。

といっても、パターンで捉えたり話したりしては、
親に対して本当はどうしたかったのか、白で話すとどうなる?
白で行動するとどうなる?と胸に手をあてる自分。
恩返ししたい。
それが今一番思うことです。














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